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  • 2021年04月15日
    (1)雲洞図書館の一般開放始まる海南省海口市

    13日、上空から見た海南省海口市の雲洞図書館。(小型無人機から)中国海南省海口市の海口湾エリアで13日、初の高標準スポットとなる雲洞図書館が一般開放された。建物は芸術性が高く、港のランドマークとして来館者に読書や休憩の場を提供する。同市は現在、海口湾エリアに質の高い観光スポットを建設し、都市景観の整備を進めている。(海口=新華社記者/蒲暁旭)= 配信日: 2021(令和3)年4月15日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月15日
    (3)雲洞図書館の一般開放始まる海南省海口市

    13日、海南省海口市の海口湾にある雲洞図書館。(小型無人機から)中国海南省海口市の海口湾エリアで13日、初の高標準スポットとなる雲洞図書館が一般開放された。建物は芸術性が高く、港のランドマークとして来館者に読書や休憩の場を提供する。同市は現在、海口湾エリアに質の高い観光スポットを建設し、都市景観の整備を進めている。(海口=新華社記者/蒲暁旭)= 配信日: 2021(令和3)年4月15日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月15日
    (2)雲洞図書館の一般開放始まる海南省海口市

    13日、海南省海口市の海口湾にある雲洞図書館。(小型無人機から)中国海南省海口市の海口湾エリアで13日、初の高標準スポットとなる雲洞図書館が一般開放された。建物は芸術性が高く、港のランドマークとして来館者に読書や休憩の場を提供する。同市は現在、海口湾エリアに質の高い観光スポットを建設し、都市景観の整備を進めている。(海口=新華社記者/蒲暁旭)= 配信日: 2021(令和3)年4月15日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月13日
    (1)東アジア3カ国の文化交流示す展覧会敦煌で開催

    9日、中日韓敦煌文化交流成果展の会場。中国甘粛省敦煌市でこのほど、「中日韓敦煌文化交流成果展」が開幕した。同展は中国、日本、韓国の敦煌文化交流の歩みを振り返る内容となっている。甘粛画院元副院長の段兼善(だん・けんぜん)氏は、3カ国は関わりが非常に深く、シルクロードを通して東に伝わった仏教によって似通った文化的背景がもたらされたと話した。敦煌には古代の日本や韓国の痕跡が残されており、壁画には法隆寺に酷似した建築物も描かれている。(敦煌=新華社記者/郎兵兵)= 配信日: 2021(令和3)年4月13日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月13日
    (4)東アジア3カ国の文化交流示す展覧会敦煌で開催

    2019年10月に開催された「中韓縁・仏教芸術展」の開幕式。(資料写真)中国甘粛省敦煌市でこのほど、「中日韓敦煌文化交流成果展」が開幕した。同展は中国、日本、韓国の敦煌文化交流の歩みを振り返る内容となっている。甘粛画院元副院長の段兼善(だん・けんぜん)氏は、3カ国は関わりが非常に深く、シルクロードを通して東に伝わった仏教によって似通った文化的背景がもたらされたと話した。敦煌には古代の日本や韓国の痕跡が残されており、壁画には法隆寺に酷似した建築物も描かれている。(敦煌=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年4月13日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月13日
    (3)東アジア3カ国の文化交流示す展覧会敦煌で開催

    高解像度デジタルカメラを使い、敦煌莫高窟第53窟の3D撮影をする東京文化財研究所と敦煌研究院の職員。(資料写真)中国甘粛省敦煌市でこのほど、「中日韓敦煌文化交流成果展」が開幕した。同展は中国、日本、韓国の敦煌文化交流の歩みを振り返る内容となっている。甘粛画院元副院長の段兼善(だん・けんぜん)氏は、3カ国は関わりが非常に深く、シルクロードを通して東に伝わった仏教によって似通った文化的背景がもたらされたと話した。敦煌には古代の日本や韓国の痕跡が残されており、壁画には法隆寺に酷似した建築物も描かれている。(敦煌=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年4月13日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月12日
    東アジア3カ国の文化交流示す展覧会敦煌で開催

    高解像度デジタルカメラを使い、敦煌莫高窟第53窟の3D撮影をする東京文化財研究所と敦煌研究院の職員。(資料写真)中国甘粛省敦煌市でこのほど、「中日韓敦煌文化交流成果展」が開幕した。同展は中国、日本、韓国の敦煌文化交流の歩みを振り返る内容となっている。甘粛画院元副院長の段兼善(だん・けんぜん)氏は、3カ国は関わりが非常に深く、シルクロードを通して東に伝わった仏教によって似通った文化的背景がもたらされたと話した。敦煌には古代の日本や韓国の痕跡が残されており、壁画には法隆寺に酷似した建築物も描かれている。(敦煌=新華社配信)=配信日:2021(令和3)年4月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月12日
    東アジア3カ国の文化交流示す展覧会敦煌で開催

    1997年に長崎、大分両県で開催された「敦煌芸術展」。(資料写真)中国甘粛省敦煌市でこのほど、「中日韓敦煌文化交流成果展」が開幕した。同展は中国、日本、韓国の敦煌文化交流の歩みを振り返る内容となっている。甘粛画院元副院長の段兼善(だん・けんぜん)氏は、3カ国は関わりが非常に深く、シルクロードを通して東に伝わった仏教によって似通った文化的背景がもたらされたと話した。敦煌には古代の日本や韓国の痕跡が残されており、壁画には法隆寺に酷似した建築物も描かれている。(敦煌=新華社配信)=配信日:2021(令和3)年4月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月07日
    (3)上海天文館を空中散歩

    2日、上海天文館のメイン建築物。(小型無人機から)中国上海市浦東新区で進行中の上海天文館建設プロジェクトは、全体の工事が最終段階に近づき、メインとなる展示施設、付帯する施設の建設が着々と進んでいる。同館の建築面積は3万8千平方メートルを超え、メインの建物のほか、青少年観測拠点や大衆天文台、太陽の塔などが含まれている。(上海=新華社記者/方喆)= 配信日: 2021(令和3)年4月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月07日
    (7)上海天文館を空中散歩

    2日、上海天文館のメイン建築物。(小型無人機から)中国上海市浦東新区で進行中の上海天文館建設プロジェクトは、全体の工事が最終段階に近づき、メインとなる展示施設、付帯する施設の建設が着々と進んでいる。同館の建築面積は3万8千平方メートルを超え、メインの建物のほか、青少年観測拠点や大衆天文台、太陽の塔などが含まれている。(上海=新華社記者/方喆)= 配信日: 2021(令和3)年4月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月07日
    (4)上海天文館を空中散歩

    2日、上海天文館のメイン建築物。(小型無人機から)中国上海市浦東新区で進行中の上海天文館建設プロジェクトは、全体の工事が最終段階に近づき、メインとなる展示施設、付帯する施設の建設が着々と進んでいる。同館の建築面積は3万8千平方メートルを超え、メインの建物のほか、青少年観測拠点や大衆天文台、太陽の塔などが含まれている。(上海=新華社記者/方喆)= 配信日: 2021(令和3)年4月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月07日
    (6)上海天文館を空中散歩

    2日、上海天文館のメイン建築物。(小型無人機から)中国上海市浦東新区で進行中の上海天文館建設プロジェクトは、全体の工事が最終段階に近づき、メインとなる展示施設、付帯する施設の建設が着々と進んでいる。同館の建築面積は3万8千平方メートルを超え、メインの建物のほか、青少年観測拠点や大衆天文台、太陽の塔などが含まれている。(上海=新華社記者/方喆)= 配信日: 2021(令和3)年4月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月07日
    (1)上海天文館を空中散歩

    2日、上海天文館のメイン建築物。(小型無人機から)中国上海市浦東新区で進行中の上海天文館建設プロジェクトは、全体の工事が最終段階に近づき、メインとなる展示施設、付帯する施設の建設が着々と進んでいる。同館の建築面積は3万8千平方メートルを超え、メインの建物のほか、青少年観測拠点や大衆天文台、太陽の塔などが含まれている。(上海=新華社記者/方喆)= 配信日: 2021(令和3)年4月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月07日
    (5)上海天文館を空中散歩

    2日、上海天文館のメイン建築物。(小型無人機から)中国上海市浦東新区で進行中の上海天文館建設プロジェクトは、全体の工事が最終段階に近づき、メインとなる展示施設、付帯する施設の建設が着々と進んでいる。同館の建築面積は3万8千平方メートルを超え、メインの建物のほか、青少年観測拠点や大衆天文台、太陽の塔などが含まれている。(上海=新華社記者/方喆)= 配信日: 2021(令和3)年4月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月05日
    フジHDが入るビル フジHD外資規制違反疑い

    フジ・メディア・ホールディングスが入るビル=東京・台場

  • 2021年04月03日
    大阪市の森之宮地区 大阪市・空撮資料

    大阪市の森之宮地区(手前)。奥は大阪城公園(共同通信社ヘリから)

  • 2021年04月03日
    大阪市の森之宮地区 大阪市・空撮資料

    大阪市の森之宮地区。奥は大阪城公園(共同通信社ヘリから)

  • 2021年04月03日
    大阪市の森之宮地区 大阪市・空撮資料

    大阪市の森之宮地区。奥は大阪城公園(共同通信社ヘリから)

  • 2021年04月02日
    上海天文館を空中散歩

    2日、上海天文館のメイン建築物。(小型無人機から)中国上海市浦東新区で進行中の上海天文館建設プロジェクトは、全体の工事が最終段階に近づき、メインとなる展示施設、付帯する施設の建設が着々と進んでいる。同館の建築面積は3万8千平方メートルを超え、メインの建物のほか、青少年観測拠点や大衆天文台、太陽の塔などが含まれている。(上海=新華社記者/方喆)=配信日:2021(令和3)年4月2日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月01日
    (8)夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月19日、「磁器の城」の前で、観光客を案内する余二妹さん。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)= 配信日: 2021(令和3)年4月1日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月01日
    (11)夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月19日、「磁器の城」に展示されている磁器製のドラゴンボートを見つめる観光客。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)= 配信日: 2021(令和3)年4月1日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月01日
    (14)夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月19日、「磁器の城」で、壁にはめ込まれた陶板画について説明する余二妹さん。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)= 配信日: 2021(令和3)年4月1日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月01日
    (12)夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月18日、「磁器の城」に展示されている磁器製のドラゴンボートの一部。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)= 配信日: 2021(令和3)年4月1日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月01日
    (1)夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月19日、「磁器の城」で、壁にはめ込まれた陶板画について説明する余二妹さん。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)= 配信日: 2021(令和3)年4月1日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月01日
    (10)夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月19日、「磁器の城」の中を見学する観光客。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)= 配信日: 2021(令和3)年4月1日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月01日
    (5)夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月19日、「磁器の城」の中を見学する観光客。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)= 配信日: 2021(令和3)年4月1日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月01日
    (6)夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月20日、上空から見た「磁器の城」。(小型無人機から)中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)= 配信日: 2021(令和3)年4月1日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年04月01日
    (3)夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月19日、「磁器の城」で、観光客を案内する余二妹さん。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)= 配信日: 2021(令和3)年4月1日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月25日
    中国海南島のランドマーク 樹木のような形のホテル

    「東洋のハワイ」と呼ばれる中国南部のリゾート地、海南島。最南端の三亜市を車で移動中、樹木のようなデザインの建物が目に飛び込んできました。インターネットで調べると、島のランドマーク的なホテルとのこと。宿泊したという60代男性は「外から見てもきれいだけど、中は広くて公園のようだよ」と、童心に帰ったような笑顔で教えてくれました。(撮影・渡辺哲郎、共同)

  • 2021年03月23日
    (1)「世界水の日」、シンガポールが青色にライトアップ

    22日、青くライトアップされたシンガポールの夜景。「世界水の日」の22日、シンガポールで多くの建築物が青色でライトアップされた。(シンガポール=新華社配信/鄧智煒)= 配信日: 2021(令和3)年3月23日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月23日
    (4)「世界水の日」、シンガポールが青色にライトアップ

    22日、青い照明で飾られた橋。「世界水の日」の22日、シンガポールで多くの建築物が青色でライトアップされた。(シンガポール=新華社配信/鄧智煒)= 配信日: 2021(令和3)年3月23日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月23日
    (3)「世界水の日」、シンガポールが青色にライトアップ

    22日、青くライトアップされたシンガポールの夜景。「世界水の日」の22日、シンガポールで多くの建築物が青色でライトアップされた。(シンガポール=新華社配信/鄧智煒)= 配信日: 2021(令和3)年3月23日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月23日
    (2)「世界水の日」、シンガポールが青色にライトアップ

    22日、青い照明で飾られた橋。「世界水の日」の22日、シンガポールで多くの建築物が青色でライトアップされた。(シンガポール=新華社配信/鄧智煒)= 配信日: 2021(令和3)年3月23日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月21日
    稼働時のホステルと現在 独の北朝鮮ホステル廃業

    ベルリンの在ドイツ北朝鮮大使館の敷地にある、看板が取り外され人影のない建物(上、15日)と、かつて稼働していた「シティホステル」(下、2020年1月)(共同)

  • 2021年03月20日
    夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月20日、上空から見た「磁器の城」。(小型無人機から)中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)=配信日:2021(令和3)年3月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月19日
    (8)歴史の趣を今に伝える文化名城「代県古城」山西省

    11日、武廟の大殿。寄棟造の木造建築で、金・元代の典型な北方建築様式。中国山西省の北部に位置する代県の市街地は、国家歴史文化名城に指定されており、2・35平方キロの保護範囲の中に辺靖楼や阿育王塔、文廟、武廟、古城城壁の一部など100余りの歴史的建築物と20の指定文化財がある。現代中国の著名な建築史家・建築家の梁思成(りょう・しせい、1901~1972年)もかつて、代県が蓄積する建築文化などの深さ、整然と並ぶ家屋、清潔な街並みを「極めてよく計画された都市」と賞賛した。(太原=新華社記者/王学濤)= 配信日: 2021(令和3)年3月19日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月19日
    夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月19日、上空から見た「磁器の城」の全景。(小型無人機から)中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)=配信日:2021(令和3)年3月19日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月19日
    夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月19日、「磁器の城」の正門。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)=配信日:2021(令和3)年3月19日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月19日
    (4)歴史の趣を今に伝える文化名城「代県古城」山西省

    11日、代県古城に残る版築工法の城壁。中国山西省の北部に位置する代県の市街地は、国家歴史文化名城に指定されており、2・35平方キロの保護範囲の中に辺靖楼や阿育王塔、文廟、武廟、古城城壁の一部など100余りの歴史的建築物と20の指定文化財がある。現代中国の著名な建築史家・建築家の梁思成(りょう・しせい、1901~1972年)もかつて、代県が蓄積する建築文化などの深さ、整然と並ぶ家屋、清潔な街並みを「極めてよく計画された都市」と賞賛した。(太原=新華社記者/王学濤)= 配信日: 2021(令和3)年3月19日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月19日
    (6)歴史の趣を今に伝える文化名城「代県古城」山西省

    11日、辺靖楼に掛かる「聲聞四達」扁額。長さ10メートル、幅3メートルで、清の雍正11(1733)年に楼を補修した際に設置された。中国山西省の北部に位置する代県の市街地は、国家歴史文化名城に指定されており、2・35平方キロの保護範囲の中に辺靖楼や阿育王塔、文廟、武廟、古城城壁の一部など100余りの歴史的建築物と20の指定文化財がある。現代中国の著名な建築史家・建築家の梁思成(りょう・しせい、1901~1972年)もかつて、代県が蓄積する建築文化などの深さ、整然と並ぶ家屋、清潔な街並みを「極めてよく計画された都市」と賞賛した。(太原=新華社記者/王学濤)= 配信日: 2021(令和3)年3月19日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月19日
    (10)歴史の趣を今に伝える文化名城「代県古城」山西省

    10日、代県古城に残る歴史的建築物。中国山西省の北部に位置する代県の市街地は、国家歴史文化名城に指定されており、2・35平方キロの保護範囲の中に辺靖楼や阿育王塔、文廟、武廟、古城城壁の一部など100余りの歴史的建築物と20の指定文化財がある。現代中国の著名な建築史家・建築家の梁思成(りょう・しせい、1901~1972年)もかつて、代県が蓄積する建築文化などの深さ、整然と並ぶ家屋、清潔な街並みを「極めてよく計画された都市」と賞賛した。(太原=新華社記者/王学濤)= 配信日: 2021(令和3)年3月19日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月19日
    (5)歴史の趣を今に伝える文化名城「代県古城」山西省

    11日、辺靖楼に掛かる「威鎮三関」扁額。長さ10メートル、幅3メートルで、清の雍正11(1733)年に設置された。中国山西省の北部に位置する代県の市街地は、国家歴史文化名城に指定されており、2・35平方キロの保護範囲の中に辺靖楼や阿育王塔、文廟、武廟、古城城壁の一部など100余りの歴史的建築物と20の指定文化財がある。現代中国の著名な建築史家・建築家の梁思成(りょう・しせい、1901~1972年)もかつて、代県が蓄積する建築文化などの深さ、整然と並ぶ家屋、清潔な街並みを「極めてよく計画された都市」と賞賛した。(太原=新華社記者/王学濤)= 配信日: 2021(令和3)年3月19日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月19日
    (3)歴史の趣を今に伝える文化名城「代県古城」山西省

    11日、辺靖楼に残る「官」の字が刻まれたれんが。中国山西省の北部に位置する代県の市街地は、国家歴史文化名城に指定されており、2・35平方キロの保護範囲の中に辺靖楼や阿育王塔、文廟、武廟、古城城壁の一部など100余りの歴史的建築物と20の指定文化財がある。現代中国の著名な建築史家・建築家の梁思成(りょう・しせい、1901~1972年)もかつて、代県が蓄積する建築文化などの深さ、整然と並ぶ家屋、清潔な街並みを「極めてよく計画された都市」と賞賛した。(太原=新華社記者/王学濤)= 配信日: 2021(令和3)年3月19日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月19日
    夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月19日、「磁器の城」で、写真を撮る観光客。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)=配信日:2021(令和3)年3月19日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (15)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    霊山寺の「壁蘭」。(2020年12月3日撮影)中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (5)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    11日、霊山寺の大雄宝殿内部。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (17)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    16日、霊山寺の傍らにある同寺の施主、洪氏一族を祭る洪氏宗祠。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (27)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    16日、霊山寺の唐大顛祖師塔(舌鏡塔)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月18日、「磁器の城」の外壁にはめ込まれた磁器の像。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)=配信日:2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (1)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の山門。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (3)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺のツバキと禅楼。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (9)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺境内にある韓愈が大顛に贈った手紙の碑刻。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (8)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の観音殿内部。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (21)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の唐大顛祖師塔(舌鏡塔)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (23)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    12日、霊山寺の雲板(右)と木魚。雲板は主に食事の時を知らせるために叩く。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (13)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の留衣亭。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (2)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の碑林。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (6)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    11日、霊山寺の大雄宝殿。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (7)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の観音殿。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (10)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    16日、霊山寺の傍らにある同寺の施主、洪氏一族を祭る洪氏宗祠の正門。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (12)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺唐大顛祖師記念堂の前庭。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (22)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺に残る唐代の井戸。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (20)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の塔院と建築群。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (4)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の大顛祖師像。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (11)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の唐大顛祖師記念堂。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (18)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺に残る再建や修復に関する石碑。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (16)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の山門。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (14)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の牌坊(はいぼう)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (24)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の斎堂(禅寺で食事をする堂)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (25)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    11日、霊山寺の「祝聖万寿山」勒石(ろくせき)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    (26)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺境内に安置されている三坪祖師(唐代の禅僧)、韓愈、同寺に土地を寄進した洪大丁(こう・だいてい、霊山寺創建時の潮州刺史)と子孫の像。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月18日
    夢をかなえたおばあちゃんの「磁器の城」江西省景徳鎮市

    3月18日、観光客と一緒に写真に納まる余二妹さん(左から3人目)。中国江西省景徳鎮市浮梁県新平村には、土楼(どろう)に似た、個性的な外観を持つ磁器でできた円形の建物が数軒立ち並ぶ。これらの「磁器の城」の壁には、青花(染付)や粉彩(上絵付け)、顔色釉(釉掛け)などさまざまな技法を凝らした磁器の瓶や碗、皿、陶板画などがはめ込まれている。「磁器の城」のあるじは「磁器の城のおばあちゃん」と呼ばれる余二妹(よ・にまい)さん(91)。余さんは12歳から母方のおじの陶磁器工房で陶芸を学び始めた。2009年に出張で天津を訪れた際、偶然目にした磁器タイルで作られた「磁器ハウス」に深い感銘を受け、故郷に自分の「磁器の城」を建てようと決意した。2011年、80歳になった余さんは、「磁器の城」の夢の実現に向けて行動を開始。16年に最初の磁器の城が人々の前に姿を現した。同村にはこれまでに4棟の「城」が建てられ、建築群が構成されている。(南昌=新華社記者/周密)=配信日:2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月15日
    (1)香港西九文化区で「M+博物館」ビルが竣工

    香港西九文化区で竣工したM+博物館ビルの内部。(2月19日撮影)中国香港特別行政区の西九文化区は12日、同区で建設中だった「M+博物館」ビルがこのほど竣工したと発表した。年末のオープンを見込んでいる。同文化区は同日実施したメディア関係者への建物公開で、同博物館がアジア初のグローバルな現代視覚文化博物館になると説明。主要コレクションはデザインや建築、映像、ビジュアルアートなどをカバーし、香港要素も多く含まれると紹介した。(香港=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年3月15日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月15日
    (2)香港西九文化区で「M+博物館」ビルが竣工

    香港西九文化区で竣工したM+博物館ビルの内部。(2月19日撮影)中国香港特別行政区の西九文化区は12日、同区で建設中だった「M+博物館」ビルがこのほど竣工したと発表した。年末のオープンを見込んでいる。同文化区は同日実施したメディア関係者への建物公開で、同博物館がアジア初のグローバルな現代視覚文化博物館になると説明。主要コレクションはデザインや建築、映像、ビジュアルアートなどをカバーし、香港要素も多く含まれると紹介した。(香港=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年3月15日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月15日
    (3)香港西九文化区で「M+博物館」ビルが竣工

    香港西九文化区で竣工したM+博物館ビルの内部。(2月19日撮影)中国香港特別行政区の西九文化区は12日、同区で建設中だった「M+博物館」ビルがこのほど竣工したと発表した。年末のオープンを見込んでいる。同文化区は同日実施したメディア関係者への建物公開で、同博物館がアジア初のグローバルな現代視覚文化博物館になると説明。主要コレクションはデザインや建築、映像、ビジュアルアートなどをカバーし、香港要素も多く含まれると紹介した。(香港=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年3月15日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月10日
    歴史の趣を今に伝える文化名城「代県古城」山西省

    10日、代県古城の伝統的な民家。中国山西省の北部に位置する代県の市街地は、国家歴史文化名城に指定されており、2・35平方キロの保護範囲の中に辺靖楼や阿育王塔、文廟、武廟、古城城壁の一部など100余りの歴史的建築物と20の指定文化財がある。現代中国の著名な建築史家・建築家の梁思成(りょう・しせい、1901~1972年)もかつて、代県が蓄積する建築文化などの深さ、整然と並ぶ家屋、清潔な街並みを「極めてよく計画された都市」と賞賛した。(太原=新華社記者/王学濤)=配信日:2021(令和3)年3月10日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年03月08日
    唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺境内にある「敕賜霊山開善禅院之記」(左)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)=配信日:2021(令和3)年3月8日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2021年03月04日
    福島県双葉町の夜景 解除1年、生活音聞こえず

    東京電力福島第1原発事故による避難指示の一部解除や立ち入り規制緩和から1年となった福島県双葉町。道路の舗装や建物の解体などが徐々に進んでいるが、住宅団地が整備されるJR常磐線双葉駅(奥中央)の西側は街灯がなく暗いまま。いわき市に避難する男性(44)は「工事の音だけで生活音のない不思議な場所。話し声が聞こえたらいいな」とつぶやく。来年春以降の居住再開を目指し、団地には災害公営住宅など約80戸が建設される予定だ=4日夜

  • 2021年03月02日
    検査所と看板 コロナ関連に1億7千万円

    新型コロナウイルスの検査所として使われている建物(左奥)と入り口を示す看板=1日、オーベルストドルフ(共同)

  • 2021年02月26日
    (11)竹箸で作った古建築模型河北省蠡県

    23日、箸で制作した古建築模型を手直しする張国忠さん。中国河北省保定市蠡(れい)県留史村に住む張国忠(ちょう・こくちゅう)さん(74)は、竹箸1万2千膳を使い、黄鶴楼や天壇など有名な建築物の模型を制作した。設計図を使わず、経験と感覚だけを頼りに作ったというが、実物そっくりの素晴らしい出来栄えとなっている。張さんは以前、古建築関連の会社に勤務しており、古建築の窓製作や木工、鉄工などが得意だったという。(保定=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月26日
    (2)竹箸で作った古建築模型河北省蠡県

    23日、自身が制作した模型の前で撮影に応じる張国忠さん。中国河北省保定市蠡(れい)県留史村に住む張国忠(ちょう・こくちゅう)さん(74)は、竹箸1万2千膳を使い、黄鶴楼や天壇など有名な建築物の模型を制作した。設計図を使わず、経験と感覚だけを頼りに作ったというが、実物そっくりの素晴らしい出来栄えとなっている。張さんは以前、古建築関連の会社に勤務しており、古建築の窓製作や木工、鉄工などが得意だったという。(保定=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月26日
    (7)竹箸で作った古建築模型河北省蠡県

    23日、張国忠さんが箸で制作した作品。中国河北省保定市蠡(れい)県留史村に住む張国忠(ちょう・こくちゅう)さん(74)は、竹箸1万2千膳を使い、黄鶴楼や天壇など有名な建築物の模型を制作した。設計図を使わず、経験と感覚だけを頼りに作ったというが、実物そっくりの素晴らしい出来栄えとなっている。張さんは以前、古建築関連の会社に勤務しており、古建築の窓製作や木工、鉄工などが得意だったという。(保定=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月26日
    (10)竹箸で作った古建築模型河北省蠡県

    23日、箸で制作した古建築模型を手直しする張国忠さん。中国河北省保定市蠡(れい)県留史村に住む張国忠(ちょう・こくちゅう)さん(74)は、竹箸1万2千膳を使い、黄鶴楼や天壇など有名な建築物の模型を制作した。設計図を使わず、経験と感覚だけを頼りに作ったというが、実物そっくりの素晴らしい出来栄えとなっている。張さんは以前、古建築関連の会社に勤務しており、古建築の窓製作や木工、鉄工などが得意だったという。(保定=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月26日
    (8)竹箸で作った古建築模型河北省蠡県

    23日、自身が制作した模型を手にする張国忠さん。中国河北省保定市蠡(れい)県留史村に住む張国忠(ちょう・こくちゅう)さん(74)は、竹箸1万2千膳を使い、黄鶴楼や天壇など有名な建築物の模型を制作した。設計図を使わず、経験と感覚だけを頼りに作ったというが、実物そっくりの素晴らしい出来栄えとなっている。張さんは以前、古建築関連の会社に勤務しており、古建築の窓製作や木工、鉄工などが得意だったという。(保定=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月26日
    (9)竹箸で作った古建築模型河北省蠡県

    23日、自身が制作した模型を紹介する張国忠さん。中国河北省保定市蠡(れい)県留史村に住む張国忠(ちょう・こくちゅう)さん(74)は、竹箸1万2千膳を使い、黄鶴楼や天壇など有名な建築物の模型を制作した。設計図を使わず、経験と感覚だけを頼りに作ったというが、実物そっくりの素晴らしい出来栄えとなっている。張さんは以前、古建築関連の会社に勤務しており、古建築の窓製作や木工、鉄工などが得意だったという。(保定=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月26日
    (6)竹箸で作った古建築模型河北省蠡県

    23日、張国忠さんが箸で制作した作品。中国河北省保定市蠡(れい)県留史村に住む張国忠(ちょう・こくちゅう)さん(74)は、竹箸1万2千膳を使い、黄鶴楼や天壇など有名な建築物の模型を制作した。設計図を使わず、経験と感覚だけを頼りに作ったというが、実物そっくりの素晴らしい出来栄えとなっている。張さんは以前、古建築関連の会社に勤務しており、古建築の窓製作や木工、鉄工などが得意だったという。(保定=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月26日
    (3)竹箸で作った古建築模型河北省蠡県

    23日、張国忠さんが箸で制作した天壇や黄鶴楼などの作品。中国河北省保定市蠡(れい)県留史村に住む張国忠(ちょう・こくちゅう)さん(74)は、竹箸1万2千膳を使い、黄鶴楼や天壇など有名な建築物の模型を制作した。設計図を使わず、経験と感覚だけを頼りに作ったというが、実物そっくりの素晴らしい出来栄えとなっている。張さんは以前、古建築関連の会社に勤務しており、古建築の窓製作や木工、鉄工などが得意だったという。(保定=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月26日
    (1)竹箸で作った古建築模型河北省蠡県

    23日、箸で制作した古建築模型を手直しする張国忠さん。中国河北省保定市蠡(れい)県留史村に住む張国忠(ちょう・こくちゅう)さん(74)は、竹箸1万2千膳を使い、黄鶴楼や天壇など有名な建築物の模型を制作した。設計図を使わず、経験と感覚だけを頼りに作ったというが、実物そっくりの素晴らしい出来栄えとなっている。張さんは以前、古建築関連の会社に勤務しており、古建築の窓製作や木工、鉄工などが得意だったという。(保定=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月26日
    (4)竹箸で作った古建築模型河北省蠡県

    23日、自身が制作した模型を手にする張国忠さん。中国河北省保定市蠡(れい)県留史村に住む張国忠(ちょう・こくちゅう)さん(74)は、竹箸1万2千膳を使い、黄鶴楼や天壇など有名な建築物の模型を制作した。設計図を使わず、経験と感覚だけを頼りに作ったというが、実物そっくりの素晴らしい出来栄えとなっている。張さんは以前、古建築関連の会社に勤務しており、古建築の窓製作や木工、鉄工などが得意だったという。(保定=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月21日
    太行山脈奥地の古村落を訪ねて河北省大梁江村

    21日、大梁江村を散策する観光客。中国河北省石家荘市井陘(せいけい)県南障城鎮の大梁江村は、華北平原と黄土高原の境を南北に走る太行山脈の奥地にある。山を背にして建てられており、保存状態の良い古村落として知られる。古民家は石または石とレンガで作られた「四合院(建物が中庭を取り囲む中国北方の伝統家屋建築)」が中心で、明末清初に建てられたものが多い。2010年に第5次中国歴史文化名村に指定された。(石家荘=新華社記者/楊世尭)=配信日:2021(令和3)年2月21日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月21日
    太行山脈奥地の古村落を訪ねて河北省大梁江村

    21日、太行山脈の奥地にある大梁江村。(小型無人機から)中国河北省石家荘市井陘(せいけい)県南障城鎮の大梁江村は、華北平原と黄土高原の境を南北に走る太行山脈の奥地にある。山を背にして建てられており、保存状態の良い古村落として知られる。古民家は石または石とレンガで作られた「四合院(建物が中庭を取り囲む中国北方の伝統家屋建築)」が中心で、明末清初に建てられたものが多い。2010年に第5次中国歴史文化名村に指定された。(石家荘=新華社記者/楊世尭)=配信日:2021(令和3)年2月21日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月21日
    太行山脈奥地の古村落を訪ねて河北省大梁江村

    21日、大梁江村を散策する観光客。中国河北省石家荘市井陘(せいけい)県南障城鎮の大梁江村は、華北平原と黄土高原の境を南北に走る太行山脈の奥地にある。山を背にして建てられており、保存状態の良い古村落として知られる。古民家は石または石とレンガで作られた「四合院(建物が中庭を取り囲む中国北方の伝統家屋建築)」が中心で、明末清初に建てられたものが多い。2010年に第5次中国歴史文化名村に指定された。(石家荘=新華社記者/楊世尭)=配信日:2021(令和3)年2月21日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月21日
    嶺南四大名山「鼎湖山」を訪ねて広東省肇慶市

    21日、鼎湖山慶雲寺境内の建築物の屋根。中国珠江デルタ地区の最高峰で、嶺南四大名山の筆頭に数えられる鼎湖山は、広東省肇慶(ちょうけい)市の北東部にあり、市街地から18キロ離れている。主峰の海抜は千メートル。1956年に新中国最初の自然保護区となり、中国科学院が管轄する唯一の自然保護区にも指定されている。1979年には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)「人間と生物圏計画(MAB)」に基づく自然保護区に中国で初めて認定され、人間と生物圏研究センターが設立された。北回帰線が通る世界のほとんどの地域が砂漠や乾燥草原であるのに対し、鼎湖山一帯のみ緑の植生で覆われていることから「北回帰線のオアシス」と呼ばれる。同山にある慶雲寺は、明の崇禎(すうてい)9(1636)年の創建で、嶺南四大名刹の一つに数えられる。また、竜興寺は唐の高僧・鑑真を招くため唐に渡った日本人僧・栄叡(ようえい)が、天宝8(749)年春に客死した地として知られる。中国仏教界は1963年、鑑真和上円寂(えんじゃく)1200年の記念活動の一環として鼎湖山に栄叡大師の碑を建立。1980年に鑑真和上像が中国に里帰りした際は碑亭が増築された。(肇慶=新華社配信/畢建鴿)=配信日:2021(令和3)年2月21日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月17日
    (2)莆田四大名刹の一つ、亀山寺を訪ねて福建省

    5日、亀山寺の禅堂。中国福建省莆田(ほでん)市の四大名刹(めいさつ)の一つに数えられる亀山寺は、市街地から西へ15キロ離れた華亭鎮の亀山の山頂に建つ。亀山は山頂が亀の背中に似ており、古くは「亀洋」と呼ばれていた。亀山寺は唐の穆宗(ぼくそう)の長慶2(822)年に名僧、無了禅師によって創建され、後梁の貞明年間(915~921年)に閩(びん)王の王審知(おう・しんち)から「亀山福清禅院」の名を授けられた。現存する建物は、清の光緒30(1904)年に再建された。総面積1万1600平方メートル、大小30以上の殿堂があり、うち大雄宝殿、法堂、禅堂、方丈室、放生池はいずれもその跡地に建てられている。石柱や礎石は全て宋代のものが使われ、斗栱(ときょう)の構造には明代の様式が見られる。亀山は茶の名産地で、明代に同地で生産された名茶「月中香」は、宮廷への献上品に選ばれたと伝えられている。(莆田=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年2月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月17日
    (11)莆田四大名刹の一つ、亀山寺を訪ねて福建省

    5日、亀山寺の鼓楼。中国福建省莆田(ほでん)市の四大名刹(めいさつ)の一つに数えられる亀山寺は、市街地から西へ15キロ離れた華亭鎮の亀山の山頂に建つ。亀山は山頂が亀の背中に似ており、古くは「亀洋」と呼ばれていた。亀山寺は唐の穆宗(ぼくそう)の長慶2(822)年に名僧、無了禅師によって創建され、後梁の貞明年間(915~921年)に閩(びん)王の王審知(おう・しんち)から「亀山福清禅院」の名を授けられた。現存する建物は、清の光緒30(1904)年に再建された。総面積1万1600平方メートル、大小30以上の殿堂があり、うち大雄宝殿、法堂、禅堂、方丈室、放生池はいずれもその跡地に建てられている。石柱や礎石は全て宋代のものが使われ、斗栱(ときょう)の構造には明代の様式が見られる。亀山は茶の名産地で、明代に同地で生産された名茶「月中香」は、宮廷への献上品に選ばれたと伝えられている。(莆田=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年2月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月17日
    (6)莆田四大名刹の一つ、亀山寺を訪ねて福建省

    5日、亀山寺の大雄宝殿。中国福建省莆田(ほでん)市の四大名刹(めいさつ)の一つに数えられる亀山寺は、市街地から西へ15キロ離れた華亭鎮の亀山の山頂に建つ。亀山は山頂が亀の背中に似ており、古くは「亀洋」と呼ばれていた。亀山寺は唐の穆宗(ぼくそう)の長慶2(822)年に名僧、無了禅師によって創建され、後梁の貞明年間(915~921年)に閩(びん)王の王審知(おう・しんち)から「亀山福清禅院」の名を授けられた。現存する建物は、清の光緒30(1904)年に再建された。総面積1万1600平方メートル、大小30以上の殿堂があり、うち大雄宝殿、法堂、禅堂、方丈室、放生池はいずれもその跡地に建てられている。石柱や礎石は全て宋代のものが使われ、斗栱(ときょう)の構造には明代の様式が見られる。亀山は茶の名産地で、明代に同地で生産された名茶「月中香」は、宮廷への献上品に選ばれたと伝えられている。(莆田=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年2月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月17日
    (20)莆田四大名刹の一つ、亀山寺を訪ねて福建省

    5日、亀山寺の前に立つ七仏塔。中国福建省莆田(ほでん)市の四大名刹(めいさつ)の一つに数えられる亀山寺は、市街地から西へ15キロ離れた華亭鎮の亀山の山頂に建つ。亀山は山頂が亀の背中に似ており、古くは「亀洋」と呼ばれていた。亀山寺は唐の穆宗(ぼくそう)の長慶2(822)年に名僧、無了禅師によって創建され、後梁の貞明年間(915~921年)に閩(びん)王の王審知(おう・しんち)から「亀山福清禅院」の名を授けられた。現存する建物は、清の光緒30(1904)年に再建された。総面積1万1600平方メートル、大小30以上の殿堂があり、うち大雄宝殿、法堂、禅堂、方丈室、放生池はいずれもその跡地に建てられている。石柱や礎石は全て宋代のものが使われ、斗栱(ときょう)の構造には明代の様式が見られる。亀山は茶の名産地で、明代に同地で生産された名茶「月中香」は、宮廷への献上品に選ばれたと伝えられている。(莆田=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年2月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月17日
    (23)莆田四大名刹の一つ、亀山寺を訪ねて福建省

    5日、亀山寺の鐘楼と観音殿。中国福建省莆田(ほでん)市の四大名刹(めいさつ)の一つに数えられる亀山寺は、市街地から西へ15キロ離れた華亭鎮の亀山の山頂に建つ。亀山は山頂が亀の背中に似ており、古くは「亀洋」と呼ばれていた。亀山寺は唐の穆宗(ぼくそう)の長慶2(822)年に名僧、無了禅師によって創建され、後梁の貞明年間(915~921年)に閩(びん)王の王審知(おう・しんち)から「亀山福清禅院」の名を授けられた。現存する建物は、清の光緒30(1904)年に再建された。総面積1万1600平方メートル、大小30以上の殿堂があり、うち大雄宝殿、法堂、禅堂、方丈室、放生池はいずれもその跡地に建てられている。石柱や礎石は全て宋代のものが使われ、斗栱(ときょう)の構造には明代の様式が見られる。亀山は茶の名産地で、明代に同地で生産された名茶「月中香」は、宮廷への献上品に選ばれたと伝えられている。(莆田=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年2月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月17日
    (25)莆田四大名刹の一つ、亀山寺を訪ねて福建省

    5日、斎堂(食堂)前の雲板と木魚。中国福建省莆田(ほでん)市の四大名刹(めいさつ)の一つに数えられる亀山寺は、市街地から西へ15キロ離れた華亭鎮の亀山の山頂に建つ。亀山は山頂が亀の背中に似ており、古くは「亀洋」と呼ばれていた。亀山寺は唐の穆宗(ぼくそう)の長慶2(822)年に名僧、無了禅師によって創建され、後梁の貞明年間(915~921年)に閩(びん)王の王審知(おう・しんち)から「亀山福清禅院」の名を授けられた。現存する建物は、清の光緒30(1904)年に再建された。総面積1万1600平方メートル、大小30以上の殿堂があり、うち大雄宝殿、法堂、禅堂、方丈室、放生池はいずれもその跡地に建てられている。石柱や礎石は全て宋代のものが使われ、斗栱(ときょう)の構造には明代の様式が見られる。亀山は茶の名産地で、明代に同地で生産された名茶「月中香」は、宮廷への献上品に選ばれたと伝えられている。(莆田=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年2月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 2021年02月17日
    (22)莆田四大名刹の一つ、亀山寺を訪ねて福建省

    5日、天王殿の背後から見た鐘楼と観音殿。中国福建省莆田(ほでん)市の四大名刹(めいさつ)の一つに数えられる亀山寺は、市街地から西へ15キロ離れた華亭鎮の亀山の山頂に建つ。亀山は山頂が亀の背中に似ており、古くは「亀洋」と呼ばれていた。亀山寺は唐の穆宗(ぼくそう)の長慶2(822)年に名僧、無了禅師によって創建され、後梁の貞明年間(915~921年)に閩(びん)王の王審知(おう・しんち)から「亀山福清禅院」の名を授けられた。現存する建物は、清の光緒30(1904)年に再建された。総面積1万1600平方メートル、大小30以上の殿堂があり、うち大雄宝殿、法堂、禅堂、方丈室、放生池はいずれもその跡地に建てられている。石柱や礎石は全て宋代のものが使われ、斗栱(ときょう)の構造には明代の様式が見られる。亀山は茶の名産地で、明代に同地で生産された名茶「月中香」は、宮廷への献上品に選ばれたと伝えられている。(莆田=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年2月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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