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「(長崎大学附属図書館 古写真 ) + イマジンネット画廊 建物」の写真・映像

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  • 1911年12月31日
    大浦居留地の洋館群

    明治中期の大浦海岸通りに面した商館と領事館の建物が背後から撮影されている。右の道路は石畳舗装され、当時の代表的な交通手段である人力車が止まっている。港には多数の商船や艦艇が停泊し、繁栄していた頃の長崎港の様子を知ることができる。鮮明な、彩色の技術の高さを感じさせる写真である。=明治後期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐1‐0]

    撮影: 明治後期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐1‐0]

  • 1904年12月31日
    松島

    湾内の経ケ島(きょうがしま)付近から松島海岸を眺めた写真で、島の左には桃山建築様式であり、宮城県指定文化財の観瀾亭(かんらんてい)の建物が見える。船は真帆のチャブネである。水面のおだやかさがとても美しい。=1904(明治37)年、松島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐13‐0]

  • 1904年12月31日
    日光東照宮陽明門

    画面中央が陽明門。日光東照宮の本殿前境内から陽明門の裏側を写している。画面左端の八乙女が立っている建物は神楽殿。ここで八乙女が神楽を舞う。写真に添えられた英文キャプションには薬師堂の文字が見えるが、この写真からは画面右奥に薬師堂の屋根だけが見える。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐60‐0]

    撮影: 1904

  • 1904年12月31日
    仁和寺を参拝する巡礼の女性たち

    仁和寺金堂に参拝するため石段を登って巡礼にむかう女性たちを、観音堂東側の参道から東を向いて撮影する。 女性たちは草鞋履きで荷物を背負い、大きな編み笠をかぶり、長い杖をついて歩いている。背後に建つ入母屋造の建物は水飲み場であろうか。1904年イギリス人写真家H・G・ポンティングの撮影か。=1904(明治37)年、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐39‐0]

    撮影: 1904

  • 1904年12月31日
    諏訪山から神戸市街を望む

    目録番号4949・4950と同様に、アメリカのUnderwood & Underwood が制作したステレオスコープ用の写真。諏訪山から南東を望む。麓の円塔のある建物は、明治26年 (1893) に落成した、英和女学校 (移転前の現神戸女学院) の理化学館。台紙には1904年 (明治37) に同社が版権を取得した旨の記載があるため、その間の撮影。=1904(明治37)年、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐15‐0]

  • 1904年12月31日
    水前寺公園

    熊本の名園として知られる水前寺成趣園を撮影したものである。撮影位置は、酔月亭と呼ばれる建物の跡(明治10年西南戦争で焼失、現在はその跡に古今伝授の間が建つ)からの撮影である。飛び石に日傘をさした女性が並ぶが、お土産写真のための演出であろう。=1904(明治37)年、熊本、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐4‐0]

  • 1904年12月31日
    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐7‐0]

    撮影: 1904

  • 1903年12月31日
    内国勧業博覧会会場

    第5回博覧会では、機械館、参考館、加奈陀館、ジョーン館、台湾館等の建物が特設され、国内ばかりではなく、世界各国の最新の技術・産業が紹介された。=1903(明治36)年、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐75‐0]

    撮影: 1903

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    長崎市街と長崎港

    左端の梅香崎の埋立地に建物が建ち込み、波止場には長崎税関が見える。新地の海岸側には洋館が建てられ、裏側では護岸工事が進んでいる。変流前の中島川の河口には明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。出島では、築町の対岸側に新しい洋館が建っているが、明治9年(1876)建設の美以教会の鐘塔も、同11年(1878)建設の聖公会神学校の鐘塔も見えない。したがって、撮影時期は明治5年前後である。暴風雨で倒壊した初代県庁舎に代わって、明治9年に新築される2代目県庁舎もまだ見えない。五島町あたりには諸藩の蔵屋敷が多かった。めぼしい大きな建物が市街にまだない頃の、風頭山から見た典型的な明治初期の長崎の鳥瞰である。=1873(明治6)年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐22‐0]

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    外国人居留地と港

    手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐66‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐66‐0]

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐2‐0]

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    鈴木ホテル

    画面中央の白い建物群が鈴木ホテル。鈴木ホテルは明治4(1871)年に鈴木喜惣次が神橋近くの鉢石町に開業した旅館。外国人に対する日本の内地旅行が解禁されると、日光での外国人向けホテルの先駆者となったが、明治20年代に廃業した。画面の奥に大谷川が見える。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐32‐0]

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    伊勢神宮境内

    伊勢神宮は、一般に内宮と外宮と呼ばれている皇大神宮と豊受大神宮とを中心に構成されている。写真は天照大神を祭る内宮の境内で、参拝した帰路に第二鳥居を眺めた図。右の建物は神楽殿で、木立の間に御酒殿の屋根が見えている。=撮影年月日不明、三重、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐22‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、三重、撮影者:臼井秀三郎

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    日光山輪王寺逍遥園

    戊辰戦争後の混乱のなか、明治4(1871)年に焼失した満願寺本坊南側の逍遙園。この庭園は、近江八景にならって造られた江戸時代を代表する池泉回遊式の庭園で現存している。ちなみに、写真右手の建物は焼失した満願寺の本坊の址に建てられた紫雲閣である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐24‐0]

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    大阪の河口の風景

    川口波止場である。大阪は慶応4年(1868)7月15日に開港した。安治川河口から約4キロ上流のところに設けられ、税関・電信も設置された。写真に写っている船は外輪船である。遠くに見える洋館は、外国人居留地の建物である。明治20年(1888)ころと思われる。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐10‐0]

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    日光東照宮の上神庫と唐銅鳥居

    画面右の上神庫は校倉造りを模した建物で百物揃千人行列の装束など祭礼道具を納めている。画面左端は鍋島藩が奉納した御水舎(おみずや)。その右が三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。日本初の青銅製鳥居である。その奥の二層屋根は経典を納める輪蔵(りんぞう)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号62‐6‐0]

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    興福寺の大雄宝殿

    南京寺と通称される東明山興福寺(長崎市寺町64)の大雄宝殿。元和6年(1620)、中国・江西省浮梁県から渡来した眞圓が開創。宝殿、山門、経堂は二代住持の黙子如定が寛永18年(1641)に建立した。向かって左奥の入母屋造りは媽祖堂(媽祖は航海の守護神)、右端は庫裡(台所にあたる建物)。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐47‐0]

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    歌舞伎座(東京百景ノ内)

    歌舞伎座(東京百景ノ内)=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号116‐1‐0]

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    東京の町並み

    川向うに 「江口商店」 の看板が見える。 手前の洋風の建物には目印が見えない。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐11‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐11‐0]

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    堂が島温泉

    宮の下の東側の渓谷に展開する堂が島温泉の様子である。画面左上は宮の下の家並み、左下の建物は大和屋、中央左手の三角の屋根は夢想国師の庵、その右の滝は調べの滝、滝の右上は五段旅館、滝の右下は対星館である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐7‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐7‐0]

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    横浜堀割川

    中村の切通し。堀割川は中村川から滝頭まで開削された運河で、明治7年(1874)に開通。中村川・大岡川・吉田川の舟運の便を図るとともに、開削した土砂を吉田新田の埋め立てに利用した。左手の建物は石油貯蔵庫か。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐68‐0]

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    鎌倉の大仏

    台座の前には銅造蓮弁(れんべん)が2枚写り(4枚現存)、その左横には簡素な建物が建つ。また、左右の蓮弁の前には大きな平石がある。蓮弁は残り、建物が替わっているなど、この写真は明治初期の、目録番号4464よりもやや下がった時期の撮影か。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐15‐0]

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    旅館

    横長に伸びる二階屋の大きな建物である。長く伸びた廊下の欄干に布団がずらりと干してある。客の途絶えた旅館の昼下がりの情景であろう。場所は特定できない。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:[スチルフリ-ド]、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号27‐15‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、場所不明、撮影者:[スチルフリ-ド]、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号27‐15‐0]

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    日光東照宮唐銅鳥居付近

    画面左端は三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。唐銅鳥居の右上に鼓楼。その右下が釣灯籠。画面中央に日光東照宮で最も有名な建物である陽明門。その奥に日光東照宮の本社がある。陽明門の右に鼓楼と対をなす鐘楼が見える。右端に上神庫(かみじんこ)の一部が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐12‐0]

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    日光東照宮オランダ灯篭

    画面右がオランダ国から贈られた八角形の回転灯籠で、日光東照宮陽明門の手前にある。画面左の建物は鐘楼で、その手前の屋根のある4本柱に支えられた建物には朝鮮鐘が下げられている。画面の左手外側に石段があり、それを上ると陽明門がある。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐11‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐11‐0]

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    グランドホテル全景

    英語で「グランドホテルの風景、横浜」とある。横浜バンドの東端、20番のグランドホテルの全景を元町側から撮影したものである。右端の大きな建物木骨石貼のグランドホテル旧館で、明治3年開業された。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐2‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐2‐0]

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    海上からの出島パノラマ組写真

    梅香崎の長崎税関岸壁の先端あたりから撮影された出島のパノラマ組写真の中央。右端の旧対馬屋敷の場所では中国商社の建物が建設中である。その左は明治2年(1869)に架けられた出島新橋。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐50‐0]

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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

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    長崎大浦外国人居留地

    ベアト撮影。「ヨーロッパ人の居留地の一部と長崎の市街、65年6月」と記されている。慶応年間の長崎大浦の海岸通り、と東山手の洋館群が詳細にうかがえる。右の丘の上にはまだ建物がみられない。=1865年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐32‐0]

    撮影: 1865年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐32‐0]

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    諏訪公園月見茶屋

    諏訪神社境内にある月見茶屋の昔の建物。現在の建物にも写真の茶屋の趣が残っている。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐16‐0]

    撮影: 明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐16‐0]

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    芦ノ湯温泉

    右の建物は松坂屋、正面は紀伊国屋である。芦ノ湯は、この撮影のすぐ後、明治4年の冬に大火に遭って全焼したので、その直前の様子を伝える貴重な1枚である。 "The Far East "の2巻15号に初出する。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号19‐45‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号19‐45‐0]

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    東大寺大仏殿

    東大寺の中心建物である金堂・大仏殿を正面・南から全景を写す。聖武天皇の命により建造されて以来2度焼失したが18世紀初めに再建され、現在に至っている。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐23‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐23‐0]

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    長崎市街の中心と梅香崎居留地

    ベアトによる1866年3月の書き込み。風頭山から長崎市の中心地および出島、新地、梅香崎を遠望したもの。中島川口にはまだ橋がなく、西役所の建物が右手上にみえる。新地の裏はまだ海続きである。海上に外国船舶多数。=1866年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐2‐0]

    撮影: 1866年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐2‐0]

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐18‐0]

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    神戸市街の遠景

    諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐4‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐4‐0]

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    藤沢清浄光寺山門

    正面に門があり、石畳が奥まで続いている。道の右側の白壁の建物には桶が並べられている。(整理番号37-4と同じ)=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐80‐0]

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    高島町神風楼

    横浜の遊郭、神風楼の建物と女性達を撮影した写真である。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号43‐29‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号43‐29‐0]

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    宮ノ下温泉

    明星ヶ岳の尾根から眺めた宮の下の全景で、珍しい構図。中央の白亜の洋館は奈良屋旅館、背後に富士屋ホテルが見える。後方の集落は小涌谷で、白い建物は三井家別荘層雲閣。画面右下はベルツの別荘の可能性がある。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐83‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐83‐0]

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    日光東照宮オランダ灯篭

    画面右がオランダ国から贈られた八角形の回転灯籠で、日光東照宮陽明門の手前にある。画面奥の中央にスタンド型の蓮灯籠。画面左の建物は鐘楼で、その手前の屋根のある4本柱に支えられた建物には朝鮮鐘が下げられている。画面奥に上神庫(かみじんこ)の屋根が見える。=撮影年月日不明、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐41‐0]

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    諏訪神社の鳥居

    明治中期(1887)頃の手彩色の写真。参道の大鳥居を過ぎた、二の鳥居の前から、諏訪神社方面を見た写真。右側にドンコ茶屋の建物が見える。神社の中腹に、洋風建築が建てられているのは、明治中期の洋風化の情勢が伝わる写真。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐34‐0]

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    中禅寺湖

    二荒山神社中宮祠の境内から中禅寺湖を眺める。手前の二つの建物は行者小屋である。行者小屋は男体山(なんたいさん)に登る信者たちの宿舎であった。信者たちは、この行者小屋に寝泊りしながら、中禅寺湖で禊をして、男体山の頂を目指した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐7‐0]

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    藤沢清浄光寺山門

    正面に門があり、石畳が奥まで続いている。道の右側の白壁の建物には桶が並べられている。(整理番号37-80と同じ)=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐4‐0]

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    横浜税関監視課庁舎と大桟橋

    海岸通りから見た大桟橋全景。横浜港のシンボル的存在である大桟橋は、明治22年(1889)からの第1次築港工事で建設され、同27年(1894)に完成した鉄製の海陸連絡橋。幅19m、全長730mを誇る。左の建物は同年竣工の税関監視課庁舎。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐9‐0]

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    中禅寺湖

    中禅寺湖の南東の湖畔にある歌ヶ浜から、北岸の男体山や、その麓の二荒山中宮祠と六軒茶屋の家並みを写したもの。夕景色の美しい歌ケ浜は埋め立てられ、現在は大駐車場となっている。画面奥の対岸に広がる建物の様子から、明治35(1902)年以前に撮影されたものである。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐23‐0]

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    身延山久遠寺本堂

    山梨県南巨摩郡身延町に所在する日蓮宗総本山身延山久遠寺の祖師堂棲神閣の内陣の状況を収めた写真であろう。棲神閣は日蓮上人尊像を奉安する建物であり、写真奥の須弥壇内がその主要な部分にあたろう。明治14年(1881)の再建後の建物内を写した写真として貴重である。=撮影年月日不明、山梨、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐53‐0]

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    彦根玄宮園

    玄宮園(げんきゅうえん)は、彦根城の北三の丸にある井伊家旧下屋敷の庭園。四代藩主・直興(なおおき)が、延宝7年(1679)に完成させた。名前は、中国唐代の玄宗皇帝の離宮から取ったものである。池を取り巻くように臨池閣(りんちかく)などの亭屋や緑樹・奇石などが配置されている。写真の建物は、明治以降に料理旅館業として使用されている。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐44‐0]

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    鎌倉の大仏

    画面には‘L19 DAI BUTSU(A)'の印字がある。像の左は目録番号3375と同じ建物で、台座の右下には大きな平石が3基並んでいる。また、台座正面にある銅製前机(まえづくえ)の下には瓦が数枚積まれている。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐18‐0]

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    日光東照宮唐門

    唐門は東照宮本社の正門である。江戸時代には将軍に直接拝謁できる身分の幕臣や大名だけが使用を許された。正面上部の彫刻は「舜帝朝見の儀」。唐門の内側に人物が立っている。後ろの建物が本社拝殿である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐39‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐39‐0]

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    鎌倉の大仏

    ‘Daibutsu Kamakura.'とある。銅造蓮弁(れんべん)が写るが、目録番号2747と同じ像左横の建物は朽ちており、2747よりも遅れた明治初期の撮影と思われる。また、蓮弁は享保21年(1736)に4枚鋳造されたと史料に見える。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐30‐0]

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    遊廓

    右手の建物の1階が張見世になっているので妓楼だと思われるが、左側の建物は旅館のような造りになっている。詳細は不明。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐1‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐1‐0]

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    山手谷戸坂からのグランドホテル

    中央の建物はグランド・ホテル旧館。左奥にはサルダ(P.Sarda)設計の新館(明治20年竣工)が見える。旧館左の大きな和風屋根は旧ヘボン邸。谷戸橋の手前に広がる敷地には、のちに(同29年)同じくサルダの設計によりフランス領事館が竣工する。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐2‐0]

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    堂が島温泉

    堂ヶ嶋温泉の眺望で、建物は左手前に一部見えるのが近江屋、次が大和屋、その向こうが江戸屋。早川沿いの新しい屋根の建物も大和屋、石段の上のお堂は山居山、その左奥に見えるのは、奈良屋の跡に建てられた平松別荘。平松別荘の建設は明治20年(1887)頃なので、それ以降の撮影と思われる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐44‐0]

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    横浜郵便局

    本町通りを挟んで、右に明治8年(1875)に新築された横浜郵便局(現県庁の敷地内)、その奥は電信局(同5年竣工)。いずれも明治20年代に煉瓦造に改築されるので撮影はそれ以前。時計塔のある建物は、同7年竣工の横浜町会所(現横浜開港記念会館)。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐104‐0]

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐33‐0]

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    日光東照宮鐘楼

    画面左の建物が釣鐘が納められている鐘楼(しょうろう)。鐘楼には竜、飛竜(ひりゅう)、鶴、麒麟、波など78体の彫刻が施されている。鐘楼は陽明門を挟んで鼓楼と共に対を成している。画面の中央に陽明門が見え、そこから画面右方向に彫刻で飾られた東回廊が延びている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐102‐0]

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    鶴岡八幡宮の蓮池

    撮影年代未詳。‘A B6 LOTUS POND AT KAMAKURA'の印字がある。東から石橋を望んだ景で、向かって左の建物の先に三の鳥居がある。石橋は江戸期の風土記や絵図に「赤橋(あかはし)」とあり、その奥には「新橋」という木橋が架かる。この赤橋は大正12年(1923)の大震災で崩壊した。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐40‐0]

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    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐16‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐16‐0]

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    野毛山から見た横浜

    山裾は野毛町、長屋造りの大きな建物は神奈川奉行所の役宅(官舎)である。対岸の町並は太田屋新田の堤の上にできた入船町、左手の弁天の森にも役宅がある。その右手に横浜町の町並が広がっている。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐13‐0]

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    大浦川沿い

    大浦川右岸の居留地建物群。丘の上のピンクの建物は東山学院。川沿いの建物の看板には「M. H. Cook, SAIL MAKER, Cooks HOTEL」と読める。この一帯には外国人には外国人のバーやホテルが立ち並んでいる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号8‐3‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号8‐3‐0]

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    九段坂と燈明台

    神田方面から皇居内濠に沿って麹町の大地にあがる急勾配の坂。関東大震災後道路改正行事で緩くなった。明治4年に東京湾の漁船の目印にと燈明台が建てられた。遠景に望まれる丸天井の建物は駿河台のニコライ堂である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐18‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐18‐0]

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    長崎製鉄所飽の浦工場

    文久元年(1861)に落成した長崎製鉄所を譲り受け、明治17年(1884)に三菱会社長崎造船所飽の浦機械工場になった。工場の建物、50トン起重機等の工場施設を見ることができる。対岸は西坂、大黒町付近。=1879(明治12)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐3‐0]

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    長崎市街中心部

    風頭から撮られた長崎の旧市街と港の光景である。対岸は稲佐。町並みの中心部分に左上がりに中島川が写っている。川の石橋群も見ることができる。写真中央の白い建物は師範学校や小学校。整理番号21-6 の写真の複製と思われる。=1879(明治12)年頃、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐4‐0]

    撮影: 1879

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    藤と娘たち

    本コレクション中に「東京亀戸の藤」(整理番号53-4)がある。本写真も同一場所と思われる。しかしここでは3人の若い女性の姿態に撮影者の意図は集中している。茶屋風の建物や堀川などに江戸の風情を残している。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐50‐0]

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    円山

    京都市東山区の西部、東山山麓を背景として、前面山裾に新しい建物が多く建っている。明治19年(1886)の公園設置の太政官符により公園とし、円山安養寺にちなんで丸山公園と名付けられた。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐6‐0]

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    中島川一の瀬橋

    中島川上流の蛍茶屋に架かる石橋、一の瀬橋をベアトが撮影したものである。左手の建物は茶屋。旅人はこの茶屋で休憩したのち後、日見峠に向けて左折して長崎街道へと向かった。この橋の写真としては最古のものである。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐24‐0]

    撮影: 1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐24‐0]

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    江ノ島神社の鳥居

    撮影者未詳。江島神社の青銅鳥居?(現存)後方には看板があって、「ゑびすや茂八」と書かれている。「ゑびすや」は江戸時代から今に続く老舗(しにせ)の旅館で、鳥居左側の建物群は明治27年(1894)刊『日本博覧図』所収「一等旅館恵比寿楼」銅版図から、同旅館の「本店」「土蔵」「上段ノ間」等と推定できる。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐2‐0]

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    鎌倉の大仏

    画面には「西一九 112」の印字がある。台座の前面には銅造蓮弁(れんべん)は置かれていない。像左横の建物は目録番号3997と同じだろう。像前方2基の銅造灯籠(とうろう)の笠に渦巻き状の張り出しがあるなど明治初期の撮影と思えるが、3997とは短い時間差が感じられる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:臼井秀三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号94‐10‐0]

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    円山

    京都市街を円山也阿弥ホテル本館2階から西に望む。右端と左端には也阿弥ホテルの別館が姿をのぞかせる。建物の外縁部に回廊をめぐらせ、ホテルが眺望に適した構造となっている様子がうかがえる。中央には電灯に向け8本の電線が架けられている。背後にはうっすらと西山連峰が見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐82‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐82‐0]

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    芝増上寺有章院霊廟中門

    七代将軍家継の霊廟。左端にあるのが拝殿中門である。中央やや右寄りに映っている建物は鐘楼。水盤舎のあたりからの撮影。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐37‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐37‐0]

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    南山手の洋館群

    マリア学園付近から見た南山手の洋館群。右手の白い建物はロシア領事館、右上には「よんご松」とグラバー邸が見える。中央左の高台の屋敷はシャーマン・ピナニール邸で、眼下に小曽根町が広がっている。\r\n=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐25‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐25‐0]

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    長崎港と浪の平南山手

    南山手の琴平神社から居留地の南端と浪の平を展望する。右手前の大きな建物は、明治20年(1887) 尋常小曽根小学校の校舎を鍋冠山麓に新築し、改称した尋常鎮鼎小学校(後の浪平小学校)。玄関には先生らしき人が立ち、校庭には男女の生徒が見える。右手、丘の上の「ヨンゴ松」の直下はグラバー邸。明治20年代中頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐24‐0]

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    長崎市街中心部と長崎港

    風頭山の南端から撮影。第1次長崎港改修事業完了後の明治26年(1893)頃。中島川は出島の背後に変流し、河口には、明治23年(1890)架設の新川口橋が架かっている。銅座川が新地の北側を流れるようになり、新地の海岸部には大規模な中国商社の建物が並んでいる。明治中期の急激に近代化する長崎市街地中心部を撮影した写真である。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐9‐0]

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    南山手からの大浦居留地

    南山手から大浦および東山手を展望している。中央には新築の孔子廟が見える。手前の洋館は外国人バー街。孔子廟の右後ろ3棟は現在復元された「東山手洋館7棟」。右手上に建つピンク色の洋館は東山学院(旧・イギリス領事館)、その上の白い建物は海星学校。正面奥にはラッセル館の屋根が見える。明治32年(1899)頃の撮影。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号95‐5‐0]

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    飽の浦恵美須神社

    飽の浦恵美須神社。明治5年(1872)の天皇巡幸に随行した内田九一が、同じアングルで撮影しているが、比べてみると、この写真では、海側の鳥居の左にあった松がないので、それより後の撮影。また、同じアングルで明治7年(1874)8月20日の台風直後に撮影された写真に写る、岬の先の丸尾海岸の海軍埋め立て地の建物がないので、それ以前の撮影である。当時の神社の建物は消滅しているが、神社は存続している。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐18‐0]

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    南山手からの大浦居留地

    グラバー園の展望所下付近からの撮影。右手の大きな洋館は居留地最初の大規模ホテルであったベルヴューホテルで、その手前に柵の見えるところが大浦天主堂への坂道である。大浦海岸通りは元治元年(1864)の5間築足しを終え、突き当たりの梅香崎運上所前の突堤付け根には初代の荷物改所の建物がある。慶応3 年(1867)頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐17‐0]

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    師範学校正門

    明治7年(1874)に創立されたばかりの長崎官立師範学校の正門である。門を入った左手の旧長崎奉行所の建物と新築の右手の建物が校舎(旧県知事公舎の場所)として利用された。明治5年(1872)東京に官立(国立)の師範学校が設立され、その後日本各地に設置されたが、東京師範学校と東京女子師範学校を除き、すべて府県に移管された。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐5‐0]

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    大浦天主堂と長崎港

    大浦天主堂の裏から長崎港と出島を望む。ヴィルヘルム・ブルガーによるステレオ写真シリーズの1枚であり、撮影時期は明治元年(1868)頃。創建時の身廊背面(祭壇部)の外壁が半円であることから、この時期すでに正面両脇の小尖塔は失われていることが分かる。右の大きな屋根は妙行寺。大浦川の河口には大浦11番の建物が見える。=1877(明治10)年頃、長崎、撮影者:ヴィルヘルム・ブルガー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐17‐0]

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    ドンの山から見た大浦居留地と長崎港

    対岸の工部省所管「長崎造船局」の右上の丘に明治7年(1874)4月に完成したお雇い外国人宿舎が見えるので、それ以後の撮影。大浦川左岸の川幅が狭まる地点の建物をはじめ、随所に台風の傷跡が見られる。明治7年(1874)10月頃、海外に持ち出された『カーモディアルバム』に、大浦川左岸の川幅が狭まる地点の建物がすでに撤去されて新しい建物が建築中の写真があるので、同年8月の台風直後の写真であると推定される。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐5‐0]

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    工部省長崎造船局の台風被害

    明治7年(1874)8月20日の書き込みがある。安政4年(1857)に幕府直営の艦船修理工場としてスタートしたときの、二本の煙突のある鍛冶場とボイラー室の煉瓦造の建物が残り、同じく煉瓦造りで、日本で最初に鉄製のトラスの小屋組を採用した轆轤(ろくろ)盤細工所も破壊を免れた。左上の丘に見える洋館は明治7年(1874)4月に落成したお雇い外国人宿舎である。その右の岬の向こうには丸尾海岸の海軍埋め立て地の建物が見える。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐17‐0]

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    南山手と長崎港

    大浦天主堂は、明治8年(1875)に改築され、三つの尖塔から一つになる。大浦川に架かっている弁天橋が木鉄混交のポニー型ダブルワーレントラス形式となっていることから、明治22年(1889)前後以降の撮影。中央の建物はベルヴューホテルである。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐28‐0]

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    大浦海岸通りの洋館群

    居留地で一番家賃の高かった大浦海岸通りの洋館群。この船着き場は上海と同じようにバンドと呼ばれた。建物は左から、大浦4番ケエスイ商会、5番は後のアメリカ領事館。コロニアルなベランダ付の大きな建物は、大浦6番で、後のイギリス領事館。奥の大きな寄棟造りのベランダ付き洋館は、大浦7番のオルト商会で、屋根越しに大浦天主堂の尖塔が見える。岸壁に吊るされたボートは沖の船舶との連絡用である。後ろは鍋冠山。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐32‐0]

    撮影: 1874

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    小山の宿

    小山宿(おやましゅく)は静岡県の東北端に位置し、古くからの交通(矢倉沢往還:やぐらざわおうかん)の要所であった足柄峠(あしがらとうげ)の北麓の宿駅。正面に「いつや」と書かれた旅館らしき建物、右側に茶店が見える。左側には冠木門のある屋敷がある。旅館の多かった竹之下地区か。撮影地の書込み方から撮影者はF・ベアトと考えられる。=撮影年月日不明、静岡、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐19‐0]

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    日光東照宮陽明門

    画面中央に日光東照宮で最も有名な建物である陽明門。その奥に日光東照宮の本社がある。画面左側に鼓楼。その右下が釣灯籠。陽明門の右側が鼓楼と対をなす鐘楼。画面右手前に上神庫(かみじんこ)の一部が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐39‐0]

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    川辺の民家

    写真右手の建物や小船の様子からみて、整理番号46-70の写真撮影の前後いずれかに、ややアングルを変えて写したものだと思われる。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐71‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐71‐0]

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    グランドホテル

    バンド東端と山手方面を望む。グランドホテルは明治6年(1873)8月新装開業の旧館と18・19番の新館からなる。この建物は、フランス人居留地建築家サルダの設計になり、明治20年(1887)に落成した。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号43‐20‐0]

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    藤沢の寺

    藤沢にある時宗の総本山清浄光寺の境内。唐門と塀の向こうに建物の屋根が見える。背後は森になっている。=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐48‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐48‐0]

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    皇居富士見櫓と堀

    現在、東京駅から皇居に向かうと、最初に眼に映る二重櫓がある。写真右の桜田巽櫓である。中央に見える門が桔梗門で、左端は富士見三重櫓。堀は桔梗堀。現在も江戸城の名残を留めている場所である。それでテレビの歴史番組などで、この場所を写した場面がよく登場する。これらの建物は大正12年(1923)の関東大震災で倒壊したが、昭和2年(1927)頃に復元された。明治中期。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐2‐0]

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    三重塔

    石黒コレクションの明治8年頃に収集された古写真のアルバムに同じ写真がある。三重塔の左手奥にはかなり大きな建物の屋根が見える。これも寺院建築であろう。背景に山が写っていないので、広い平野部であると思われるが場所は不明だ。明治初年の古い写真である。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐4‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐4‐0]

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    布引滝

    雌滝右側の円筒形の石張りの建造物は、上流の布引ダムから流れてきた水を取り入れる取水場。神戸市街に水道を供給するための施設として、この取水場が完成したのは明治32年(1899) 3月だから、明治後期の撮影。布引ダム (翌年完成の、水道給水のための日本最初の重力式コンクリートダム 国登録文化財) とともに現存する。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐4‐0]

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    宮ノ下温泉

    左手奥の建物は創業当時の富士屋ホテルの洋館で、明治11年(1878)に造られ、明治16年(1883)12月に大火で消失するまで存在したので、その間の撮影と分かる。右手の建物は、明治7年(1874)の宮ノ下の火災で焼失後に再建された奈良屋旅館。目録番号3313と同時期の写真であろう。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:臼井秀三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号94‐43‐0]

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    鶴岡八幡宮の神輿

    上宮廻廊(かいろう)内側の景。廻廊は文政11年(1828)の再建で、現重要文化財。軒下には優美な文様が描かれるが、この建物は昭和初期に修理されており、江戸期以来の文様を知る上で貴重である。なお、神輿(みこし)は桃山期か江戸初期の作といい、県指定有形民俗文化財として7基が現存する。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐41‐0]

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    第一国立銀行と海運橋

    東京海運橋に隣接する建築物が第一国立銀行である。設計は二代目の清水喜助で、1871年から72年に建てられた。明治初期の擬洋風建築の代表作。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐97‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐97‐0]

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    神戸諏訪山

    南から六甲山系の山並みと諏訪山を望む。現中央区。道路の左手に見える庭園は、小寺泰次郎邸 (現在の相楽園) 。諏訪山の中腹にある大きな建物は、料亭常磐楼。その上の高台から、明治7年(1874) フランス観測隊が金星の日面通過の観測に成功し、記念碑が建てられたことから、そこが「金星台」と呼ばれるようになる。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号79‐10‐0]

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    堀切菖蒲園

    菖蒲園には人力車が常備され、来園者を乗せて園内を遊覧した。車夫の半纏には「堀鐡構内」の文字が読める。背景の建物は四阿屋ではなく、菖蒲園を管理人の住居であろうか。梅雨時が見ごろの菖蒲に傘はつき物のようだ。=撮影年月日不明、東京、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐11‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、東京、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐11‐0]

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    日光東照宮本殿

    日光東照宮の本社の建物を西側から写したもの。中央の建物は本殿。画面右端に一段窪んでいる部分が石の間。画面奥の石垣上の山中に徳川家康の神柩(しんきゅう)が納められた奥社がある。本殿の扉の上方に獏(ばく)の彫刻が並んでいる。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐40‐0]

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    松島の五大堂

    松島海岸をバックに人力車が写っている写真は大変珍しいもので女性が乗っているのは余程の富裕層であろう。創建当時の五大堂は朱塗りであったが現在は建物の一部にその痕跡を残すのみである。島に渡る橋が朱塗りでないのが不可解である。=撮影年月日不明、仙台、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐26‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、仙台、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐26‐0]

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    鶴岡八幡宮参道

    鶴岡八幡宮参道(若宮大路)。左手から三ノ鳥居まで伸びるのは段葛(だんかずら)。鳥居左横の大きな建物は旅館「角正(かどしょう)」。=1865年、鎌倉、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号123‐53‐0]

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    女性たち

    礼装時の服飾をした3人の女性である。背後にアーチ状の建物を配する構図は、古くからヨーロッパの肖像画などに見られるものである。帯から胸元に見られるものは、やはり礼装時などに用いる筈迫(はこせこ)という、懐中に挟んでもつ紙入れである。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号72‐4‐0]

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    宮ノ下温泉

    明治11年(1878)に創業した当初の富士屋ホテルのL字型の洋館である。山口仙之助氏が養父粂蔵氏の援助で老舗の藤屋旅館を買収し、「富士屋」と改称し実質的に日本初の洋式ホテルとして開業した。横浜から職人を連れてきて建設したもので、明治16年(1883)12月の宮ノ下大火で この建物は焼失した。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐51‐0]

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