KYODO NEWS IMAGELINK

報道写真の購入なら共同通信イメージズ

  • 図書館所蔵
  • 整理番号
  • 長崎大学
  • 附属図書館
  • 重要文化財
  • 厳島神社
  • 日下部金
  • 安芸の宮島
  • 明治中期
  • 小川一真

「(長崎大学附属図書館 古写真 ) + イマジンネット画廊」の写真・映像

絞り込み
  • 日付
  • 種類
  • 向き
  • 遺跡・世界遺産
  • 提供元
並び順
  • 新しい順
90
( 1 90 件を表示)
  • 1
90
( 1 90 件を表示)
絞り込み
並び順
  • 新しい順
  • 1904年12月31日
    本栖湖からの富士山

    富士五湖のひとつである本栖湖の北西側から富士山を望んだ写真(「目録番号3338」)のステレオ写真である。写真注記には「文人画家に愛された壮麗なる富士、本栖湖の北西より望む」とあり、木立の間から奥行きある光景を再現すべくステレオ写真化されたものであろう。=1904(明治37)年、山梨、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐82‐0]

  • 1904年12月31日
    小さな校庭で遊ぶ子供たち

    明治5年(1872)学制が頒布されて、義務教育が始められた。当時信州には3,000に近い寺子屋があり、庶民まで教育が普及していた。この寺子屋は近代国民教育の発足に大いに役立った。また近代的校舎ができるのは、明治7年(1874)以降であるが、写真のような仏教寺院が、明治37年(1904)現在でも軽井沢では学校の校舎として使用されていた。=1904(明治37)年、軽井沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐63‐0]

  • 1904年12月31日
    鎌倉の大仏

    鎌倉大仏は国宝銅造阿弥陀如来坐像(明治30年〔1897〕指定)という、高徳院清浄泉寺(こうとくいんしょうじょうせんじ)の本尊である。鎌倉時代の建長4年(1252)金銅八丈の釈迦如来像を鋳始めたと史料にあるが、いつごろ阿弥陀如来になったかは不明である。撮影年代等未詳。=1904(明治37)年、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐4‐0]

  • 1904年12月31日
    安芸の宮島

    厳島神社の朱塗りの大鳥居(重要文化財指定)は,観光日本のシンボルとして外国にも知られている。現在の大鳥居は平安時代から数えて8代目で明治8年(1875)に完成している。高さ約16m,棟の長さ約24mで主柱はクスノキである。写真は宮参りする帆掛け舟(舵付き)や櫓舟の様子を示している。=1904(明治37)年、宮島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐9‐0]

  • 1904年12月31日
    山中湖からの冠雪の富士山

    富士山の麓に点在する富士五湖最大の湖である山中湖湖畔から富士山を望んだ写真である。湖面に富士山が映る「逆さ富士」と小船を操る漁師らしき人物が併せ写る。撮影位置は、山梨県北都留郡山中湖村長池周辺と考えられる。なお、撮影位置は現在でも「逆さ富士」の鑑賞ポイントとして知られる地点である。=1904(明治37)年、山梨、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐2‐0]

    撮影: 1904

  • -
    僧侶

    寺の門前にたつ僧侶。僧服に長い袈裟をかけ、右手に扇子を持つ。これはヴィルヘルム・ブルガーのステレオ写真。長崎での撮影。同じポーズにはベアト撮影の写真もある。明治中期か。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:ヴィルヘルム・ブルガー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐27‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:ヴィルヘルム・ブルガー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐27‐0]

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    -
    濃尾大地震(根尾村水鳥谷倒壊寺院)

    濃尾地震の震源地、根尾谷村の水鳥にあった寺院の倒壊した模様。地震の規模はマグニチュード8.0(理科年表による)、瞬時の倒壊であったろう。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐19‐0]

  • -
    姫路城

    「白鷺城(しらさぎじょう)」とも呼ばれる姫路城(兵庫県姫路市 国宝)の天守を、南東方向から撮影、明治中期。この5重7階の天守は、関ケ原の戦いの後入城した池田輝政によって、秀吉の3重の旧天守を解体した上に築造された。近世城郭建築の粋を凝らした名建築で、平成5(1993)年に日本初の世界文化遺産に登録された。=撮影年月日不明、姫路、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐35‐0]

  • -
    妙義山の石段

    妙義神社は妙義山の中腹にある神社で、江戸時代の神仏習合時代の18世紀に整備された寺院・神社両方の建築がよく保存されている。この石段165段は寺域と神域を隔てるものである。=撮影年月日不明、群馬、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐32‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、群馬、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐32‐0]

  • -
    妙義山麓の高顕院石塔寺

    神仏習合の時代、妙義神社の社務所のあるところにあった白雲山高顕院石塔寺。妙技神社を鎮守とした。後方には妙義山の粗い岩肌が見える。参道から子供をふくむ数人の人物がこちらを見ている。=撮影年月日不明、群馬、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号38‐63‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、群馬、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号38‐63‐0]

  • -
    東大寺大仏殿

    聖武天皇の命により鋳造された盧遮那仏(大仏)を納めるために造られた大伽藍で、「金光明回天王護国之寺」と称する。国家の法要のための道場であるとともに、華厳宗の学問寺とされた。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐22‐0]

  • -
    稲佐悟真寺のロシア人墓地

    悟真寺は慶長3年(1598)に創建された。キリシタン時代以降最初に再興された浄土宗の寺院。裏山には中国人やオランダ人が埋葬された。安政5年(1858)に発生したコレラのため、ロシア軍艦アスコルド号の乗組員20名が死亡し、ロシア人墓地が出来た。左上の墓標を囲う大きな堂が真新しい。墓域に明確な区画はない。墓地周囲に煉瓦塀を備えたのは大正7年(1918)のことである。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐47‐0]

  • -
    真光寺

    真光寺境内の仏像と鐘楼。真光寺は西月山と号し、時宗開祖の一遍智真が入寂した寺として知られている。境内の一遍廟所内には、鎌倉末期~南北朝の作と見られる一遍墓石(五輪塔)もある。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐5‐0]

  • -
    興福寺の大雄宝殿

    南京寺と通称される東明山興福寺(長崎市寺町64)の大雄宝殿。元和6年(1620)、中国・江西省浮梁県から渡来した眞圓が開創。宝殿、山門、経堂は二代住持の黙子如定が寛永18年(1641)に建立した。向かって左奥の入母屋造りは媽祖堂(媽祖は航海の守護神)、右端は庫裡(台所にあたる建物)。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐47‐0]

  • -
    白糸の滝

    富士宮市上井出にある白糸の滝をやや近くから撮影したもの。富士山の雪解け水が絶壁で断ち切られ、新旧の溶岩層の間から湧き出して数百条の細い滝となって滝壺に落ちる。雌滝は写っていない。滝の水は芝川(しばかわ)となって富士川に注ぐ。昭和11年(1936)に国の名勝天然記念物に指定された。=撮影年月日不明、静岡、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐18‐0]

  • -
    中国寺院

    中国寺院=撮影年月日不明、清国、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐28‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、清国、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐28‐0]

  • -
    芦ノ湖からの富士山

    箱根小学校の手前辺りから見た芦ノ湖と富士山の姿で、所謂、「逆さ富士」である。湖の右側の山には、箱根権現がある。現在、よく知られた神社の赤鳥居は、昭和35年の立太子記念の建立なので、まだ見えない。=明治中期、箱根、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐42‐0]

    撮影: 明治中期、箱根、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐42‐0]

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    -
    濃尾大地震(根尾谷金原円勝寺倒壊)

    濃尾地震の震源地、根尾谷村の金原にあった寺院の倒壊した模様。地震の規模はマグニチュード8.0(理科年表による)、仙台以南の全国で揺れを感じたという。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐15‐0]

  • -
    日光東照宮表門

    表参道より一の鳥居を抜けると、 石段の上に朱塗の東照宮表門がある。 現在正面左右に仁王像、 背面左右に狛犬が安置され、 表は寺院裏は神社の様式となっている。 明治4年日光県に下った神仏分離令により、 正面の仁王像は大猷院仁王門後部に移され、 狛犬が正面に置かれた時期がある。 その時の写真である。 仁王門でなく一の門と写真に表記されている。=1871(明治4)年~1897(明治30)年、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号11‐9‐0]

    撮影: 1871

  • -
    鎌倉の大仏

    撮影年代等は未詳。像前方2基の大きな平石は旧大仏殿の礎石だろうか。江戸中期の古文書には、旧大仏殿の基礎60個が像の周囲に南北21間(126尺-約38m)、東西25間(150尺-約45m)の範囲で遺存していたと書かれている。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐25‐0]

  • -
    鶴岡八幡宮

    上宮楼門の扁額(へんがく)には「八幡宮寺」と記されている。幕末まで鶴岡八幡宮は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の寺院で、慶応4年(1868)のいわゆる「神仏分離令」で廃寺となった。写真は排仏毀釈(はいぶつきしゃく)で諸堂が取払われ、社殿のみとなる直前の時期のものと思われる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐19‐0]

  • -
    鈴川からの富士山

    富士市鈴川(すずかわ)の砂丘上にある地蔵堂から北方の富士山を遠望したもの。境内には地蔵が並び、茅葺きのお堂の一部が見える。お堂の前には4人は、作業内容が不自然で明らかにモデルである。隙間からは東海道線の線路とその先に河合橋(かわいばし)が見える。線路が存在するため、明治22年以降の撮影である。=撮影年月日不明、静岡、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐47‐0]

  • -
    池上本門寺

    元禄年間(1688~1704)年に建造の総門(現存)を入り、加藤清正が寄進して元禄年間(1596~1615)に造られた石段を上り、慶長13年(1603)二代将軍徳川秀忠が五重塔と共に建立した三門を潜った所から右側を見ると、この写真の風景になる。左は大太鼓の納められていた鼓楼。三門も鼓楼も戦災で焼失。五重塔は焼けずに現存。関東で最古の五重塔である。高さ29、5m。国の重要文化財。明治中期。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐19‐0]

  • -
    当麻山無量光寺

    The Far East 明治4年10月16日号(vol.2,no.10)掲載写真。「TAIMA TEMPLE, NEAR TANA」と題されている。"TANA"は相模原市の田名で、当麻山無量光寺のことか。=撮影年月日不明、神奈川、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号24‐38‐0]

  • -
    日光東照宮表門

    表参道より一の鳥居を抜けると、 石段の上に朱塗の東照宮表門がある。 現在正面左右に仁王像、 背面左右に狛犬が安置され、 表は寺院裏は神社の様式となっている。 明治4年日光県に下った神仏分離令により、 正面の仁王像は大猷院仁王門後部に移され、 狛犬が正面に置かれた時期がある。 その時の写真である。 仁王門でなく一の門と写真に表記されている。=1871(明治4)年~1897(明治30)年、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐26‐0]

    撮影: 1871

  • -
    仏事に集まった僧侶たち

    寺院の本堂前での僧侶約50人の集合写真。前列中央と左側には袈裟の色が鮮やかな身分の高い僧侶が椅子に座っている。本堂には幕が張られている。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号7‐46‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、場所不明、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号7‐46‐0]

  • -
    大阪の三重の塔

    詳細不明。平野部に位置すると思われる寺院の伽藍をなす三重の塔と講堂が映し出されている。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐34‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐34‐0]

  • -
    山間の村落風景

    日光山内の表参道である長坂(ながさか)の上から眺めた西町方面の景色。大谷川の流れと、画面右端の奥に西町の家並みが見える。画面中央の雑草に覆われた平地は三菱社主・岩崎弥之助が所有していた岩崎原である。足下には照尊院などの寺院があった。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐25‐0]

  • -
    長崎清水寺

    3854の絵葉書の写真よりも少し前の清水寺。寺は真言宗、元和9年僧慶順の開創。写真では中央の階段を上がった右側が鐘楼堂、外が方形、内が弓窩の石門。正面は木造、本瓦葺、単層入母屋の本堂、その左手には同じ作りの大師堂。その下には文政5年建てられて焼失後重建された聖天堂である。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐16‐0]

    撮影: 明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐16‐0]

  • -
    山中湖からの冠雪の富士山

    山梨県にある富士五湖の一つで、最も東にある山中湖から西方の富士山を遠望したもの。富士山頂、山麓、湖の周辺には雪が積もり、画面中央に蓑笠をかぶった人物が配される。山中湖からは、富士山の左側稜線に宝永山の突起は認められない。=撮影年月日不明、山梨、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐49‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、山梨、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐49‐0]

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    -
    方広寺大鐘

    方広寺は豊臣秀吉の発願により東大寺の大仏殿を模して創建された寺で京都市東山区にある。高さ約20mもある大仏を有していたが、度重なる地震や落雷で破壊され、大仏殿も昭和48年の火災により焼失した。「国家安康・君臣豊楽」の銘が刻まれ、大坂の陣のきっかけとなった梵鐘は、今も境内に残り、国の重要文化財に指定されている。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号106‐32‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号106‐32‐0]

  • -
    安芸の宮島

    厳島神社の西側に延びる「西の松原」から朱の大鳥居を望む。「西の松原」は紅葉谷川から流出した土砂を堆積させて作られた人工堤浜である。堤上にはマツが植樹され,数多くの燈籠とともに独特の景観を作っている。=撮影年月日不明、宮島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐23‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、宮島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐23‐0]

  • -
    崇福寺楼門

    幕末から明治初期(1860-1870)に撮影された、崇福寺三門(楼門)。嘉永2年(1849)竜宮門造りに再建されているので、その門が撮影されている。竜宮門と呼ばれる。寺院の外門で、中央と左右に門戸があるのを三門という。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐14‐0]

  • -
    東京品川海晏寺紅葉

    キーワード:品川、海晏寺、紅葉、鳥居、絵葉書、寺院=撮影年月日不明、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    撮影: 撮影年月日不明、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

  • -
    春日大社大鳥居

    春日大社の大鳥居は、気比神宮(敦賀)、厳島神社(広島)の大鳥居とともに、日本三大鳥居のひとつとして数えられている。鳥居をくぐり右に鹿の角きり場を見ながら進むと、本殿に続く石段へと至る。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐35‐0]

  • -
    安芸の宮島

    三笠の浜から大鳥居を望む,この地は現在でも厳島神社の朱の大鳥居を背景に写真撮影が行われる眺望地である。画面左側には文化3年(1806)に阿波国の藍屋講中が寄進した石燈籠がある。厳島神社に寄進された数百の石燈籠のうちでも最大級の規模をもつ。=撮影年月日不明、宮島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐48‐0]

  • -
    安芸の宮島

    写真は厳島神社の西側を流れる紅葉谷川の河口で大西町側から石燈籠やアカマツが茂る「西の松原」,遠くに水晶山を望む。川に突き出した基壇上に建つ石燈籠は寛政7年(1795)の建造で笠石に垂木表現を行った笠石は全国的にも珍しい。=撮影年月日不明、宮島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐6‐0]

  • -
    崇福寺竜宮門遠景

    大光寺の境内から崇福寺の山門の竜宮門を望んでいる。崇福寺は、寛永19年(1642)に当時在留していた中国・福建出身者が創建した黄檗宗の寺院である。その山門は寛文13年(1673)単層の八脚門形式で建てられたが、嘉永2年(1849)の再建時に今日の竜宮門形式となった。日本人棟梁・大串五郎平の作。石と瓦の練積みに漆喰塗り。重要文化財。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐28‐0]

  • -
    建長寺山門

    キーワード:建長寺山門、重要文化財、寺院=撮影年月日不明、鎌倉、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    撮影: 撮影年月日不明、鎌倉、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

  • -
    安芸の宮島

    厳島神社は平安時代,平清盛によって整備され,今日にその姿を伝えている。写真は御本社平舞台西方から楽房・門客神社を望み,遠くにサクラ木が満開の塔の丘に豊国神社(千畳閣)や応永14年(1407)建立の五重塔(重要文化財)の他,山芝で覆われた亀居山が画面左端に望見できる。=撮影年月日不明、宮島、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐33‐0]

  • -
    奈良の石灯篭

    詳細不明。寺院に隣接する墓地に、墓石、石灯籠、卒塔婆等が多数立ち並んでいる。高下駄を履いた人物の姿も見える。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐24‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐24‐0]

  • -
    墓地

    寺院内の墓地であろう。檀家有力者たちの墓らしく整然としている。観音像を載せた墓石が一際目立っている。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:[スチルフリ-ド]、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号27‐9‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、場所不明、撮影者:[スチルフリ-ド]、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号27‐9‐0]

  • -
    四天王寺伽藍

    現在の大阪市天王寺区にある、和宗総本山。荒陵寺、難波寺、三津寺、天王寺などの名ももつ。伽藍配置は中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に配した、四天王寺式と呼ばれるもの。現存の伽藍は鉄筋で、昭和38年に再建された。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐8‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、大阪、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐8‐0]

  • -
    真光寺

    真光寺門前の蓮池に座す大仏。明治中期の撮影だろう。左手に大門(文政10年 (1827) 改築)、右奥に鐘楼(明和9年(1772) 再建) が見える。境内に入って南側に一遍上人の廟所があり、一遍の墓塔といわれる石造五輪塔 (南北朝時代) が、兵庫県重要文化財に指定されている。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:スチルフリード(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号63‐2‐0]

  • -
    石山寺

    石山寺本堂、蓮如堂を同寺多宝塔南側の珪灰岩の露出した斜面より南西に見下ろす。右には木々に覆い隠された三十八社が姿をのぞかせる。本堂は慶長7年(1602)の創建で、総檜皮葺で寄棟造である。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐117‐0]

  • -
    上野権現

    上野権現とは上野東照宮とも呼ばれ、徳川家康を奉る寺。権現とは菩薩が人々を救うために日本古来の神々や人間の姿で現れることだが、家康にもこの尊称がつけられた。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐48‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐48‐0]

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    -
    芝増上寺有章院霊廟拝殿向拝

    写真内に「東京、芝の寺の内部」と英文で書き込まれている。これは東京芝の増上寺境内にある有章院(徳川七代将軍家継)の墓所にあった拝殿内部の拝礼場所である。震災で消失する以前の内部の絢爛さがうかがえる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐32‐0]

  • -
    宮島の海岸

    厳島神社の西側に延びる「西の松原」は寄進された石燈籠群と白砂青松の地として神社景観にふさわしい。写真では海岸線に神の使いであるシカが群れ,漂着した海草等を食している。=撮影年月日不明、宮島、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐30‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、宮島、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐30‐0]

  • -
    山村からの富士山

    富士宮市村山あたりから富士山を遠望したものか。富士宮登山口から登る場合は、途中にある村山集落の村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)・大日堂(だいにちどう)へ参拝し登っていく。富士山の稜線には宝永山の突起が右側にあるため、村山あたりからの撮影で問題はないが、特徴のあるものが見えないため、撮影地点の特定は難しい。=撮影年月日不明、静岡、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐4‐0]

  • -
    厳島神社

    安芸の宮島の厳島神社は推古天皇即位元年に創建され,平安時代末期に平清盛によって今日に伝わる社殿整備が行われ,皇室をはじめ,戦国大名などによって厚く信仰されてきた。現在,社殿建造物40棟が国宝・重要文化財に指定されている他,国宝平家納経をはじめ,数多くの美術工芸品が伝えられている。=撮影年月日不明、宮島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐15‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、宮島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐15‐0]

  • -
    僧侶

    ベアト撮影「日本人の僧侶」と記されている。若い僧侶が袈裟姿で寺院の前で撮影されている。同じ写真がヴィルヘルム・ブルガーのステレオ写真 に撮影されているが、この撮影場所は長崎か。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐23‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、場所不明、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐23‐0]

  • -
    嵐山温泉地近くの茶店

    嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見える。対岸山腹に見える寺院は妙見堂か。=撮影年月日不明、京都、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐28‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、京都、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐28‐0]

  • -
    安芸の宮島

    厳島神社の東方にある塔の丘に立つ豊国神社(千畳閣)正面越しに五重塔を望む。千畳閣は豊臣秀吉が毎月一度,千部経の転読供養するために,天正15年(1587)発願・建立した。桁行15間,梁間8間の本瓦葺入母屋造りの大伽藍である。=撮影年月日不明、宮島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐30‐0]

  • -
    鎌倉の大仏

    像前方2基の大きな平石は旧大仏殿の礎石か。近年の発掘調査で礎石を置いた「根固め」の跡が数ヶ所で見つかり、その結果、東西が約44m、南北が約42.5mと推定される大仏殿の存在が明らかになった。撮影年代等未詳。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐37‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐37‐0]

  • -
    奈良の石灯篭

    詳細不明。寺院に隣接する墓地に立ち並ぶ、多数の墓石と石灯籠。中央には石仏も見える。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐25‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐25‐0]

  • -
    寺の御堂

    神仏分離によって解体された、鶴岡八幡宮の輪蔵か。輪蔵は神楽殿左にあり、経文が納められていた。すでに解体作業に入ったものか、木材が積まれている。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号13‐28‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号13‐28‐0]

  • -
    猿沢池

    興福寺南側に位置する、周囲約300mの池で、同寺の放生池である。中世までは池の南西に猿塚があり、修行中の弘法大師に日々菓子を供えた猿の墓と伝えられていた。左奥には池越しに三重塔が見える。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号18‐52‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号18‐52‐0]

  • -
    中禅寺二荒山神社鳥居

    キーワード:中禅寺二荒山神社鳥居、明治後期絵葉書(写真版)=明治後期、栃木・日光、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

  • -
    寺院内部

    寺院内部=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号108‐23‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号108‐23‐0]

  • -
    風頭からの長崎市街鳥瞰(立山側)

    左下は延命寺の山門。右端には興福寺にあった開山堂が見える。その上の大伽藍は光永寺の本堂。正面の立山の山麓には福済寺や聖福寺などの寺院が連なっている。道路の縦筋は、左から現在の諏訪通り、まっすぐなのは新橋通り、右は紺屋通りである。この鳥瞰写真でも旧家や蔵屋敷の土蔵が目立つ。江戸時代総町80か町時代の様子がわかる。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐43‐0]

    撮影: 1874

  • -
    火消し衆

    長梯子、纏、突きポンプを備えた8人の火消し衆(消防士)。それぞれ火消し半纏、防火頭巾、鉢巻きなどを身にまとう。明治時代の火消し衆の風俗。背後は寺院の一角らしく鐘楼もしくは燈台の石垣か。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐84‐0]

  • -
    片瀬の龍口寺

    天保3年(1832)に竣工した本堂。間口12間奥行15間の木造大建築である。正式名称は寂光山龍口寺(じゃっこうざんりゅうこうじ)。寺伝によると延元2年(1337)日蓮の弟子日法の創建とするが、当初は小さな草庵で、伽藍が整えられたのは慶長6年(1601)のことである。階段下の灯籠、右手の水屋ともに現存する。=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐30‐0]

  • -
    六角堂

    六角堂本堂を境内南東側から北西に望む。六角堂は正式には紫雲山頂法寺と言い、天台宗の単立寺院である。通称の「六角堂」は本堂が六角宝形造であることに由来する。写真の本堂は明治5年(1872)の建立である。応仁の乱後、庶民信仰の場となり、上京の革堂に対する下京の町堂として、町組代表者の集会所の役割を果たした。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐34‐0]

  • -
    石山寺

    石山寺(いしやまでら)境内で撮影したもの。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。奥に見える建物は、本堂と蓮如堂。画面には、寺名の由来であるごつごつとした岩山(硅灰石【けいかいせき】)が大きく写されている。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐116‐0]

  • -
    池上本門寺

    元禄年間(1688~1704)年に建造の総門(現存)を入り、加藤清正が寄進して元禄年間(1596~1615)に造られた石段を上り、慶長13年(1603)二代将軍徳川秀忠が五重塔と共に建立した三門を潜った所から右側を見ると、この写真の風景になる。左は大太鼓の納められていた鼓楼。三門も鼓楼も戦災で焼失。五重塔は焼けずに現存。関東で最古の五重塔である。高さ29、5m。国の重要文化財。明治中期。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐2‐0]

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    -
    濃尾大地震

    明治24年(1891)、濃尾地方を震源としたマグニチュード8.4の地震が発生した。日本陸域の地震では最大で、世界的にも巨大地震であった。日本の近代的な地震学の原点になった地震であった。巨大な断層、根尾谷断層が発生したことで有名。写真は詳細な岐阜県内の寺院の被害の状況。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐43‐0]

  • -
    京都清水寺の舞台

    京都市東山区清水寺。北法相宗総本山。西国三十三ヶ所観音霊場の札所。音羽山山腹の本堂は懸崖造り、桁行9間・梁間7間で、主要部が内陣と外陣に分かれ、外陣前面は2間の礼堂と1間の庇があり、前面左右に翼廊が突き出している。庇の前面が「清水の舞台」として有名である。舞台の上に何人かの人影が見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐43‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、京都、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐43‐0]

  • -
    石山寺

    石山寺(いしやまでら)境内で撮影したもの。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。写真では、寺名の由来であるごつごつとした岩山(硅灰石【けいかいせき】)が大きく写されている。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐35‐0]

  • -
    芦ノ湖からの富士山

    目録番号5080・4147とほぼ同じ構図である。芦の湖畔の元箱根からの景で、手前の芦ノ湖、右手の箱根神社の杜、左手の三国山の裾野、その奥に台形の均整の取れた富士山を望む構図は、箱根を代表する風景として著名である。ただ、山体が湖面に映るいわゆる逆さ富士である点が他と異なっている。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐47‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐47‐0]

  • -
    三井寺と長等神社

    三井寺(園城寺)南側に接する長等神社である。飛鳥時代に、天智天皇が建速素戔鳴尊(タケハヤスサノオノミコト)に勧請して長等山岩倉谷に祀ったのが始まりとされ、また貞観2年(860)、比叡山の高僧円珍が、大山昨命(オオヤマクイノミコト)を合祀して園城寺の鎮守としたとされる。=撮影年月日不明、大津、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐44‐0]

  • -
    安芸の宮島

    厳島神社西方にある大元公園は江戸時代からサクラの名勝地として知られ,長澤蘆雪「厳島八景図」(重要文化財)で「大元桜花」として描かれている。大元神社参道脇に石燈籠とともにサクラ並木が続いている。=撮影年月日不明、宮島、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐32‐0]

  • -
    銀閣寺

    京都市左京区銀閣寺。足利義政が隠棲した東山殿を、没後寺とし、義政の法号から慈照寺と名付けられた。観音殿(銀閣)は、長享3年(1489)の上棟になり、義政は完成を見ることなく、翌年没した。宝形造、柿葺、1階は書院造の要素の多い住宅風、2階は唐様で花頭窓を多く配する。錦鏡池に望む東側の広縁に人が腰掛けている。その横に池に背を向ける形で、庭帚きをしている人がいる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号16‐33‐0]

  • -
    能福寺の大仏

    キーワード:神戸、能福寺の大仏、兵庫大仏、天台宗、仏教寺院=1891(明治24)年~1944(昭和19)年5月、兵庫、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    撮影: 1891

  • -
    長崎・大浦天主堂

    キーワード:大浦天主堂、外観、国宝(昭和28年に指定された)=明治後期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    -
    奈良の御堂

    興福寺八角堂(南円堂院)正面図と、その前に佇む人物と鹿。興福寺は天智天皇の時代に藤原鎌足病気平癒を祈って建てられた山階寺に由来するとされる。繰り返し火災等にみまわれたが、現在でも北円堂を初め、国宝指定の建物を有している。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号1‐22‐0]

  • -
    芝増上寺台徳院宝塔

    英語で「芝の寺の漆が塗られた墓」と解説されている。これは東京芝の増上寺境内にあった台徳院(徳川二代将軍秀忠)の墓所における宝塔である。この宝塔の中に家忠の遺体が安置されていた。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号4‐4‐0]

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    -
    鎌倉の神社

    目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけら葺か檜皮葺(ひわだぶき)で、大正12年の大震災の後に銅板葺になった。スチルフリート撮影か。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐45‐0]

  • -
    本栖湖からの富士山

    本栖湖は富士山麓に点在する富士五湖の西端に位置する湖である。写真は本栖湖の北西側山腹の樹木間から富士山を望んだ写真であり、写った樹木はマツと見られる。写真に写る湖面に突出した半島部が長崎であるとすれば写真が裏焼である可能性がある。=撮影年月日不明、山梨、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号69‐11‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、山梨、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号69‐11‐0]

  • -
    白糸の滝

    富士宮市上井出(かみいで)にある白糸の滝を近くから撮影したもの。富士山の雪解け水が絶壁で断ち切られ、新旧の溶岩層の間から湧き出して数百条の細い滝となって滝壺に落ちる。右手に雄滝と雌滝が見える。昭和11年(1936)に国の名勝天然記念物に指定された。=撮影年月日不明、静岡、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐67‐0]

  • -
    浅草五重塔

    弁天池から五重塔を望む。五重塔は天慶5年(942)安房守平公雅(あわのかみたいらのきんまさ)の創建にかかると伝えられている。本写真に写る塔は慶安元年(1648)に再建されたものである。明治44年(1911)国宝に指定されたが、昭和20年(1945)の空襲で焼失(右に写る経蔵も同時に焼失)。現在の五重塔は昭和48年(1973)に再建されたもの。明治10年代、スティルフリート撮影か。=撮影年月日不明、東京、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐25‐0]

  • -
    芦ノ湖からの富士山

    所謂「逆さ富士」を写した一枚である。白黒であるが、影がよく分かる。右側の山には、箱根神社がある。The Far Eastの2巻20号に掲載された写真と同一のものである。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号19‐48‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号19‐48‐0]

  • -
    寺の境内

    未詳の寺の境内である。二層の立派な蔵の構えからみて東京芝の増上寺の寺の一部か。左隅には大灯篭の端がみえる。水盤社の構えも大きく、井戸の横の銅製と思われる飾り水盤も大きい。木の鳥はご愛敬である。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号13‐26‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号13‐26‐0]

  • -
    萬徳殿(皓台寺本堂)

    萬徳殿は長崎の曹洞宗晧台寺(慶長13年創建)の本殿をいう。木造で屋根は銅板葺きである。堂正面の上方の額は清国の人、陳によるもの。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐21‐0]

  • -
    鶴岡八幡宮

    東から若宮(わかみや)を望む。その上段は上宮楼門(ろうもん)と廻廊(かいろう)である。若宮はこけら葺か檜皮葺(ひわだぶき)で、寛永元年(1624)の再建。上宮は江戸初期の建物が文政4年(1821)の大火で焼失したのち、同11年に銅板葺で再建された。若宮と上宮廻廊は現重要文化財。撮影年代は未詳。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐36‐0]

  • -
    宇治の茶摘

    宇治の茶畑で茶摘に専念する婦人達を撮影する。宇治茶の誕生は13世紀中頃に後嵯峨天皇が宇治行幸の際に平等院小松茶園と木幡西浦茶園を開設したことに由来すると伝えられる。近代には輸出用の茶が増加し、京都府や農商務省の指導により同業組合や製茶会社が創立され、品種の改良と増産がはかられた。背後に見える寺院の場所は不明である。=撮影年月日不明、宇治、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐43‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、宇治、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐43‐0]

  • -
    真光寺の仏像

    真光寺の大仏。明治中期から後期の撮影だろう。左手奥には鐘楼、右手には通用門が見える。寺は古くから時宗の霊場として信仰を集め、有名な観光名所でもあったが、昭和20年 (1945) の戦災で、一遍上人の廟所を残して建物などすべてを焼失した。現在、堂宇は再建されている。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐33‐0]

  • -
    愛宕下の墓地

    愛宕下とは愛宕山付近の東部低地一帯の俗称。写真は愛宕山から墓地・寺院を俯瞰したもの。愛宕山山上には京都愛宕神社を勧請した愛宕神社がある。江戸時代には雪見月見の名所であった。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号22‐1‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号22‐1‐0]

  • -
    安芸の宮島

    厳島神社は平安時代,平清盛によって整備され,今日にその姿を伝えている。写真は御本社平舞台西方から楽房・門客神社を望み,遠くにサクラ木が満開の塔の丘に豊国神社(千畳閣)や応永14年(1407)建立の五重塔(重要文化財)の他,山芝で覆われた亀居山が画面左端に望見できる。=撮影年月日不明、宮島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐41‐0]

  • -
    箱根神社

    箱根神社の二の鳥居と駕籠屋の写真で、明治13年(1880)の小林清親の絵では高札は鳥居の右側にあるが、左側に移動している。また、元寇の際に国土平穏を祈願し、神恩に感謝して造られた鎌倉期の鉄湯釜二つ(国指定重要文化財)も神社本殿に移動して消えている。背後は芦ノ湖。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐53‐0]

  • -
    真光寺

    明治中期の真光寺大仏。目録番号2821 (布引山入口) ・4893 (同左) ・2814 (布引雌滝) と同様に、横浜の写真師日下部金兵衛(くさかべきんべえ)が制作、販売した写真。奥行きのある構図や、日本的な寺院建築と大仏の前に僧侶たちを配した風景は、外国人の異国趣味を熟知した金兵衛ならではの秀作。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号56‐30‐0]

  • 1