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    長崎停車場

    キーワード:長崎停車場、旧長崎駅、現浦上駅、鉄道、駅舎、人力車、外観=明治後期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018011900953

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    諸岡マツの料亭「ボルガ」

    志賀の波止割石にあった、諸岡マツの経営する料亭「ボルガ」。ロシア人相手のホテル・レストランである。現在の旭町・旭大橋の進入路の下付近。江戸時代には市街から西岸地区は浦上渕村で、志賀氏が代々庄屋をつとめた。志賀氏が造った波止場である。ここにはロシア人将校クラブもあった。明治20年(1887)頃の写真。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号107‐5‐0]

    商品コード: 2017081502014

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    福済寺からの長崎市街

    福済寺の上の墓地から見た、長崎市街地北部と出島から大黒町に至る沿岸部。出島の変流工事が終わっておらず、明治10年代と思われる。出島から五島町に至る沿岸部は浦上新道の整備がされていない。写真右、松の木の先端付近が砲台である。写真中央の空き地は、後に中町教会が建てられた大村藩屋敷跡である。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐4‐0]

    商品コード: 2017081502073

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    星取山から見た長崎港

    星取山(撮影当時は大平山)から大浦居留地越しに長崎港を望む。出島の外回りに遊歩道(慶応3年・1867築)および馬回しが見え、その右側には新地蔵、大浦居留地の背後にイギリス領事館がある。湾奥の浦上川河口には浦上新田(現・茂里町)が広がっている。また、明治2年(1869)架設の出島新橋が見えないので、明治元年(1868)頃の撮影。=1868年頃、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐23‐0]

    商品コード: 2017080902044

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    稲佐のロシア人居留地桟橋

    現在の旭町・旭大橋の進入路の下付近は、浦上村渕庄屋・志賀家の屋敷があり、「志賀の波止」と呼ばれた。左の地先の建物は諸岡マツ経営の料亭ボルガ。その手前の2階建ては、福田家の別邸で、「稲佐お栄」こと道永エイが働くことになるロシアの将校クラブ。さらに手前の大きな屋根は散使の福田家、右は庄屋の志賀家。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐19‐0]

    商品コード: 2017081601032

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    梁川

    明治初期の撮影。現在の長崎市の浦上川下流。浦上川の河口は、当時浦上山里村で、浦上川の下流は、梁川と呼ばれていた。写真は、下流から上流を撮影したもの。写真右側は左岸で浦上新田である。左側は右岸で、竹の久保付近である。明治30年(1897)以降に埋立てられる前の、浦上川下流の風景。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐30‐0]

    商品コード: 2017081501693

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    長崎市街北部及び長崎港

    風頭山から撮影した、長崎市街中心部、現在の長崎県庁から長崎市役所に至る高台から大黒町を経て、右端に浦上新田を撮影したもの。明治20年(1887)頃の撮影。写真下側の市街地の中心部に中島川が見える。明治中期の繁栄した長崎の密集した市街地を見ることができる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号106‐41‐0]

    商品コード: 2017081501979

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    小島からの長崎医学校と唐人屋敷

    現在の鶴鳴学園長崎女子高校下の高台あたりから、長崎医学校越しに長崎港を展望している。中央の白い建物群が長崎医学校。文久元年(1861)に小島養生所として創設され、医学校を併設して、慶応元年(1865)に精得館と改称。明治元年(1868)には長崎府医学校と改称。その後明治5年(1872)に第六大学区医学校と名前を変更し、明治7年(1874)には長崎医学校となり、明治24年(1891)浦上に移転した。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐40‐0]

    商品コード: 2017081601053

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    星取山から見た長崎港

    星取山(撮影当時は大平山)から大浦居留地越しに長崎港を望む。出島の外回りに遊歩道(慶応3年・1867築)および馬回しが見え、その右側には新地蔵、大浦居留地の背後にイギリス領事館がある。湾奥の浦上川河口には浦上新田(現・茂里町)が広がっている。また、明治2年(1869)架設の出島新橋が見えないので、明治元年(1868)頃の撮影。=1868年頃、長崎、撮影者: F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐53‐0]

    商品コード: 2017081401617

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    時津街道・鯖腐かし岩

    浦上から時津に至る、いわゆる時津街道の途中の道。左上に見える岩は「長崎名勝図絵」にも画かれた有名な爛鯖巌(さばくさらかしいわ)。現在も西彼杵郡時津町元村郷に現存する。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐40‐0]

    商品コード: 2017081502116

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    長崎駅 (現浦上駅)

    長崎駅 (現浦上駅)=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号95‐8‐0]

    商品コード: 2017081501807

  • 1938年12月16日
    原爆被爆前 浦上天主堂

    原爆に被災する前=1938(昭和13)年12月、長崎・浦上天主堂、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100627

  • 1945年08月09日
    浦上天主堂

    被爆直後の浦上天主堂、長崎市=1945(昭和20)年8月

    商品コード: 2005061100053

  • 1945年08月31日
    原爆被爆 浦上天主堂

    被爆直後の浦上天主堂の惨状(長崎原爆)=1945(昭和20)年頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100393

  • 1945年08月31日
    原爆被爆 浦上天主堂

    長崎。一瞬にして廃墟と化した浦上天主堂=撮影日不明、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100394

  • 1945年08月31日
    原爆被爆 浦上天主堂

    焼け野原となった浦上天主堂付近=1945(昭和20)年8月頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100409

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    1945年09月18日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下後の長崎の浦上天主堂=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102900344

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    1945年09月30日
    爆心地付近の航空写真4 長崎に原爆投下

    GROUND ZEROは爆心地、1は浦上天主堂、3と4は軍需工場=1945(昭和20)年9月、長崎市

    商品コード: 1945093050018

  • 1945年09月30日
    長崎原爆 廃墟と化した浦上天主堂

    浦上天主堂周辺=1945(昭和20年)9月頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015030500348

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    1945年11月30日
    爆心地方向を見る 長崎に原爆投下

    浦上天主堂から焼け野原となった爆心地方向を見る=1945(昭和20)年11月、長崎市内

    商品コード: 1945113150001

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    1945年11月30日
    焼け落ちた浦上駅 長崎に原爆投下

    原爆で焼け落ちた浦上駅。後方は三菱製鋼所=1945(昭和20)年11月、長崎市内

    商品コード: 1945113050009

  • 1945年12月01日
    長崎・浦上天主堂

    長崎の浦上天主堂=1945(昭和20)年12月

    商品コード: 2005061100055

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    1945年12月10日
    破壊された浦上天主堂 長崎に原爆投下

    原爆が投下され、破壊された浦上天主堂=1945(昭和20)年12月、長崎市内

    商品コード: 1945121050006

  • 1946年08月01日
    浦上天主堂跡

    長崎市の破壊された浦上天主堂跡に祈りを捧げる信徒たち=1946(昭和21)年8月1日、長崎(21年内地1796)

    商品コード: 2003122000178

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    1946年08月01日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下前の長崎の航空写真。爆心地は画面上方中央やや右寄りのスタジアムの北東側。画面右上方の三菱重工長崎兵器製作所大橋工場や、浦上川東岸に広がる三菱製鋼所や長崎兵器製作所茂里町工場などが破壊の主な目標となった=1946年8月、米陸軍撮影(米陸軍公式写真)

    商品コード: 2010102900411

  • 1946年08月06日
    長崎

    浦上天主堂=1946(昭和21)年8月、長崎(21年内地1796関連)

    商品コード: 2014061600526

  • 1946年08月06日
    焼け跡の長崎

    長崎市浦上駅付近の焼け跡=1946(昭和21)年8月6日、長崎(21年内地1878)

    商品コード: 2003122000180

  • 1946年08月06日
    長崎

    浦上天主堂に祈りを捧げる信徒=1946(昭和21)年8月、長崎(21年内地1796関連)

    商品コード: 2014061600525

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    1946年08月06日
    復興の兆し 原爆投下から1年の長崎

    原爆投下から1年たった長崎市の浦上地区。簡易住宅が建ち並び始め、復興への兆しが見て取れる=1946(昭和21)年8月6日

    商品コード: 1946080650001

  • 1946年08月06日
    長崎

    浦上付近=1946(昭和21)年8月、長崎

    商品コード: 2014061600531

  • 1946年12月31日
    吹き飛ばされたドーム 浦上天主堂

    原爆(長崎)(爆心地)爆風で吹き飛ばされた浦上天主堂のドーム(右下)=1946(昭和21)年頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100799

  • 1948年08月06日
    長崎市

    浦上小公園=1948(昭和23)年8月、長崎市(長崎軍政部提供、ベンツ中尉6日撮影)(連番号なし)

    商品コード: 2016020800458

  • 1948年08月16日
    長崎市

    浦上天主堂=整理1948(昭和23)年8月、長崎市(23年内地番号なし)

    商品コード: 2016020800463

  • 1949年03月31日
    長崎市(4)

    浦上天主堂礼拝堂正面=整理1949(昭和24)年3月、長崎市(24年内地番号なし)

    商品コード: 2016051800340

  • 1949年03月31日
    長崎市(3)

    原爆で吹き飛ばされた浦上天主堂正門=整理1949(昭和24)年3月、長崎市(24年内地番号なし)

    商品コード: 2016051800341

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    1949年05月27日
    天皇が長崎巡幸

    被爆後の長崎を初めて訪れ、奉迎の多数の市民に帽子を振って応える天皇陛下=1949(昭和24)年5月27日午後、長崎市浦上球場の奉迎場

    商品コード: 2009122100115

  • 1949年05月27日
    天皇、長崎県御巡幸

    原爆被災後初めて長崎市を訪れ、市民にお言葉を賜う天皇陛下=1949(昭和24)年5月27日、長崎市浦上の奉迎場(皇5076)(裕仁)

    商品コード: 2017112900233

  • 1949年05月29日
    ザビエル400年祭 浦上天主堂

    浦上天主堂跡における荘厳ミサ。ザビエルを祀る祭壇=1949(昭和24)年5月、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100422

  • 1949年05月29日
    ザビエル400年祭 浦上天主堂

    ザビエル400年祭の浦上天主堂跡における荘厳ミサ。参列する15000の信徒達=1949(昭和24)年5月、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100625

  • 1949年05月30日
    浦上教会(浦上天主堂)

    原子爆弾で破壊された浦上教会(浦上天主堂)=1949(昭和24)年5月30日、長崎市

    商品コード: 2013070800155

  • 1949年06月01日
    ザビエル400年祭

    荘厳なミサ=整理1949(昭和24)年6月1日、長崎市浦上天主堂(旧連3054)

    商品コード: 2017072400183

  • 1949年06月01日
    ザビエル400年祭

    荘厳なミサ=整理1949(昭和24)年6月1日、長崎市浦上天主堂(旧連3053)

    商品コード: 2017072400185

  • 1949年06月01日
    ザビエル400年祭

    祭壇上の右腕(=整理1949(昭和24)年6月1日、長崎市浦上天主堂(旧連3050)

    商品コード: 2017072400187

  • 1949年06月01日
    ザビエル400年祭

    日本聖母像=整理1949(昭和24)年6月1日、長崎市浦上天主堂(旧連3048)

    商品コード: 2017072400188

  • 1949年06月01日
    ザビエル400年祭

    ザビエル400年祭=整理1949(昭和24)年6月1日、長崎市浦上天主堂(旧連3047)

    商品コード: 2017072400190

  • 1949年06月01日
    ザビエル400年祭

    荘厳なミサ=整理1949(昭和24)年6月1日、長崎市浦上天主堂(旧連3041)

    商品コード: 2017072400195

  • 1949年08月09日
    長崎、4年目の原爆記念日

    浦上天主堂で祈りを捧げる人たち=1949(昭和24)年8月9日、長崎市(24年内地5458)

    商品コード: 2013080900123

  • 1949年08月09日
    4周年祭の長崎 原野に築く文化の都市

    長崎国際世界文化都市建設記念祭は原爆祈念日の9日午前10時から爆心地を記念する国際平和公園で市内有志たち多数参列の下に式典が行われた。写真はアンゼラスの鐘の下で殉難者の冥福を祈る浦上の乙女達=出稿1949(昭和24)年8月9日、長崎市(24年内地番号番号なし)

    商品コード: 2016092100456

  • 1949年11月03日
    あの子らの碑除幕式

    除幕された「あの子らの碑」に祈りを捧げる子どもたち=整理1949(昭和24)年11月3日、長崎市浦上の山里小学校校庭(24年内地番号なし)

    商品コード: 2016111700128

  • 1950年07月08日
    浦上天主堂

    破壊された浦上天主堂内に並ぶ原爆破損記念品(長崎市)=1950(昭和25)年7月8日 (25年内地3287)

    商品コード: 2013121900594

  • 1950年08月01日
    浦上天主堂

    長崎市の浦上天主堂のマリア像=1950(昭和25)年8月1日

    商品コード: 2005012400371

  • 1950年08月01日
    永井隆

    病床で浦上天主堂の絵を描く永井隆博士(長崎)=1950(昭和25)年(撮影月日不明)(原爆五周年 25年内地3288)

    商品コード: 2013121900297

  • 1950年08月01日
    永井隆

    病床で浦上天主堂の絵を描く永井隆博士(長崎)=1950(昭和25)年8月1日出稿(原爆五周年 25年内地3347関連)

    商品コード: 2013121900296

  • 1950年08月09日
    浦上天主堂

    マリア像(左)と壊れた浦上天主堂(遠く手前)、その奥は新築の教会(長崎市)=1950(昭和25)年7月撮影日不明 (25年内地3347関連)

    商品コード: 2013121900595

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    1950年08月27日
    日本国際連合協会 第1回大会は長崎で開催

    日本国際連合協会の第1回大会開催で、長崎の浦上天主堂前にひるがえる国連旗=1950(昭和25)年8月27日

    商品コード: 1950082750001

  • 1950年08月27日
    原爆の地長崎に国連旗

    日本国際連合協会第一回全国大会で長崎の浦上天主堂にひるがえる国連旗=1950(昭和25)年8月27日(25年内地番号なし 旧連5124)

    商品コード: 2013121900905

  • 1950年08月28日
    国連旗 浦上天主堂

    長崎で開かれた国連協力会で浦上天主堂に掲げられた国連旗=1950(昭和25)年8月頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100552

  • 1950年11月24日
    南米航路第一船が帰国

    高栄丸がアルゼンチンから持ち帰った土産物。大統領のエヴァ・ペロン夫人から長崎の浦上天主堂へ贈られたルハン聖母像(右)など(神戸港)=1950(昭和25)年11月24日 (25年内地4595)

    商品コード: 2014022400997

  • 1950年12月09日
    永井博士面会謝絶

    容体が悪化した永井隆博士が臥せる如己堂(長崎市浦上)=1950(昭和25)年12月9日(25年内地番号なし)

    商品コード: 2014022401130

  • 1950年12月09日
    永井博士面会謝絶

    永井隆博士の容体が悪化して如己堂に張られた「面会謝絶」の張り札(長崎市浦上)=1950(昭和25)年12月9日(25年内地番号なし)

    商品コード: 2014022401128

  • 1951年05月01日
    故永井博士追悼ミサ

    浦上天主堂で行われた故永井博士の追悼ミサ=1951(昭和26)年5月1日、長崎市

    商品コード: 2013080700086

  • 1951年05月04日
    永井博士死去

    アンセラスの鐘が鳴り響く中、浦上天主堂へ運ばれる永井隆博士の遺体=1951(昭和26)年5月4日、長崎市(内地番号なし)

    商品コード: 2013082900099

  • 1951年05月14日
    故永井博士の市民葬

    浦上天主堂での故永井隆博士の追悼ミサ=1951(昭和26)年5月14日、長崎市(内地番号なし)

    商品コード: 2013090400357

  • 1951年05月14日
    故永井博士の市民葬

    原爆の被害生々しい旧浦上天主堂での故永井隆博士の市民葬告別式の盛儀=1951(昭和26)年5月14日、長崎市(内地番号なし)

    商品コード: 2013090400358

  • 1951年05月14日
    故永井博士の市民葬

    原爆の被害生々しい旧浦上天主堂での市民葬告別式=1951(昭和26)年5月14日、長崎市(26年内地1464)

    商品コード: 2013090400449

  • 1951年05月14日
    故永井博士の市民葬

    如己堂から浦上天主堂の斎場に向かう葬列=1951(昭和26)年5月14日、長崎市(内地番号なし)

    商品コード: 2013090400355

  • 1951年05月14日
    永井博士市葬 浦上天主堂

    永井隆博士の市葬=1951(昭和26)年5月14日、長崎市・浦上天主堂、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100820

  • 1951年05月14日
    永井博士市葬 浦上天主堂

    永井隆博士の市葬会場、浦上天主堂に向かう葬列=1951(昭和26)年5月14日、長崎市、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100892

  • 1951年09月09日
    講和成る日の長崎

    アンセラスの鐘の音に、長崎浦上天主堂で平和を祈る信徒たち=1951(昭和26)年9月9日(26年内地2467)

    商品コード: 2013101700216

  • 1951年09月25日
    被爆したままの姿 浦上天主堂

    被爆したままの浦上天主堂=1951(昭和26)年9月25日、長崎市、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100908

  • 1952年05月31日
    長崎市

    浦上一帯=1952(昭和27)年5月、長崎市(27年内地番号なし)

    商品コード: 2019013103749

  • 1953年08月08日
    復興目ざす長崎

    面目を一新した長崎・浦上地区。中央の建物は原爆記念館=1953(昭和28)年8月8日出稿(28年内地番号なし)

    商品コード: 2012120500377

  • 1954年08月06日
    長崎県 浦上天主堂

    被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ (空撮)

    商品コード: 2017041300760

  • 1954年08月06日
    長崎県 浦上天主堂

    被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ (空撮)

    商品コード: 2017041300761

  • 1954年08月06日
    長崎県 浦上天主堂

    被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ (空撮)

    商品コード: 2017041300948

  • 1954年08月09日
    長崎県 浦上天主堂付近

    空から見た浦上天主堂付近=1954(昭和29)年8月、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ (空撮)

    商品コード: 2017041300597

  • 1955年08月08日
    あす原爆10周年記念日

    浦上天主堂で祈りを捧げる乙女=1955(昭和30)年8月8日、長崎市浦上(30年内地縮刷版掲載なし)

    商品コード: 2006091200369

  • 1955年08月08日
    あす長崎原爆記念日

    10年目の原爆記念日を迎え、除幕式が行われた平和祈念像=1955(昭和30)年8月8日、長崎市浦上(30年内地1353)

    商品コード: 2006091200368

  • 1955年12月31日
    被爆したままの姿 浦上天主堂

    被爆したままの浦上天主堂=1955(昭和30)年頃、長崎市、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100803

  • 1958年03月18日
    被爆したままの姿 浦上天主堂

    被爆して廃虚となった長崎・浦上天主堂=1958(昭和33)年3月頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100624

  • 1959年08月01日
    原爆記念公園

    左の柱は、浦上天主堂の焼け残った柱を移したもの。中央の柱は、爆心地記念塔。右上のビルは、国際文化会館=1959(昭和34)年8月1日(34内地859)

    商品コード: 2011102700290

  • 1959年08月01日
    再建された浦上天主堂

    再建された浦上天主堂とベールをつけてミサに向かう婦人たち=1959(昭和34)年8月1日、長崎市(34内地860)

    商品コード: 2011102700291

  • 1962年08月09日
    長崎第17回原爆記念日

    浦上天主堂での追悼ミサ=1962(昭和37)年8月9日、長崎市

    商品コード: 2011122200213

  • 1963年05月25日
    (うらがみ・りょうこ) 浦上涼子

    浦上涼子(手前)、競泳選手、東京五輪代表(1964年)、筑紫女学園。奥は中川静子(筑紫女学園)=1963(昭和38)年5月25日、撮影場所不明

    商品コード: 2018031600183

  • 1964年05月07日
    (うらがみ・りょうこ) 浦上涼子

    競泳選手、東京五輪代表(1964年)、筑紫女学園=1964(昭和39)年5月7日、撮影場所不明

    商品コード: 2018031600186

  • 1965年08月09日
    長崎の原爆犠牲者追悼ミサ

    浦上天主堂で行われた原爆犠牲者追悼のミサ=1965(昭和40)年8月9日、長崎市

    商品コード: 2011080900198

  • 1967年12月04日
    幻の原爆映画のスチール公開

    爆風でずれた浦上天主堂裏の墓石(爆心地から600メートル)=出稿1967(昭和42)年12月4日(42年内地5249-6)

    商品コード: 2011060700237

  • 1970年10月25日
    長崎県 長崎市陸上競技場

    松山町の野球場、競技場から浦上川に沿って長崎港方面を望む=1970(昭和45)年10月25日、長崎市(本社機から)、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ (空撮)

    商品コード: 2017041300992

  • 1971年08月09日
    長崎、26年目の原爆の日

    浦上天主堂で行われたミサで祈りをささげる少女たち=1971(昭和46)年8月9日、長崎市

    商品コード: 2011012500222

  • 1973年05月10日
    米軍返還の原爆写真を公開

    破壊された長崎浦上天主堂。敗戦後まもなく米軍調査団が持ち帰り、病理標本、組織標本などとともにワシントンの米陸軍病理学研究所に保管されていた原爆資料の写真。28年ぶりに返還された

    商品コード: 2010110800090

  • 1973年05月25日
    米軍返還の原爆写真を公開

    爆心地付近から浦上天主堂を望む。敗戦後まもなく米軍調査団が持ち帰り、病理標本、組織標本などとともにワシントンの米陸軍病理学研究所に保管されていた原爆資料の写真。28年ぶりに返還された

    商品コード: 2010110800109

  • 1974年08月09日
    長崎原爆の日

    あどけない表情で原爆犠牲者の冥福を祈る少女。恒例の早朝ミサには約千人が参列、広い堂内に賛美歌が広がった=1974(昭和49)年8月9日、長崎・浦上天主堂

    商品コード: 2012020700098

  • 1976年05月10日
    浦上車庫 マニア喜ばす長崎の電車

    懐かしい型式の電車が並んだ長崎電気軌道浦上車庫。右手前802型は、都電からの“トレード選手”=1976(昭和51)年5月10日、長崎市大橋町

    商品コード: 2013101100177

  • 1977年08月05日
    完成したモニュメント 「長崎の鐘」除幕式

    33回忌にあたり平和公園に完成したモニュメント「長崎の鐘」。爆心地に近い浦上天主堂にあった「アンジェラの鐘」で、動員学徒、女子挺身隊、徴用工、一般市民の原爆殉難者の冥福を祈るため掲げられた=長崎市松山町

    商品コード: 2014091700284

  • 1979年08月09日
    長崎で34回目の原爆忌

    早朝ミサで原爆犠牲者の冥福を祈る信者たち=1979(昭和54)年8月9日、長崎市の浦上天主堂

    商品コード: 2016042100456

  • 1980年10月05日
    長崎市の浦上天主堂 被爆前の雰囲気よみがえる

    原爆で破壊され、その後再建された長崎市の浦上天主堂で、ヨハネ・パウロ2世の来日に備え進めていた修繕が完成。被爆前の雰囲気がよみがえった=1980(昭和55)年10月5日 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第8巻使用画像(P56)

    商品コード: 2015041400527

  • 1980年12月22日
    長崎県 浦上一帯

    長崎市の浦上一帯=1980(昭和55)年12月22日(本社機から)、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ (空撮)

    商品コード: 2017041300887

  • 1981年02月19日
    被爆した聖母像 浦上天主堂

    焼けただれた顔に慈愛の表情をたたえる無原理の聖母像=浦上天主堂、1981(昭和56)年2月頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100626

  • 1981年02月25日
    ローマ法王、殉教の地長崎へ

    キーワード:ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世、来日、叙階式、ミサ=1981(昭和56)年2月25日、長崎市・浦上天主堂、クレジット:長崎新聞社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019112505615

  • 1981年02月25日
    ローマ法王、殉教の地長崎へ

    キーワード:ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世、来日、叙階式、ミサ=1981(昭和56)年2月25日、長崎市・浦上天主堂、クレジット:長崎新聞社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019112505622

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