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    2021年01月12日
    「新華社」岳陽市の羅城遺跡で新発見楚文化の湖南波及は春秋中期か

    中国湖南省岳陽市屈原管理区で9日、羅子国城遺跡(羅城遺跡)で実施された考古発掘の現地報告会が開かれた。参加した専門家は、遺跡北部の小洲羅で大量に出土した春秋時代中期またはそれ以前の遺構について、湖南地区で発見された年代の最も古い楚文化の遺構に属すると指摘。現在知られている典型的な楚文化が最も早い時期に湖南に伝った地点の一つが羅城遺跡であることを説明しており、湖南が正式に中原王朝の統治体系に組み込まれた起点の地といえるとの見方を示した。湖南省文物考古研究所は2020年に小洲羅で実施した発掘調査で、土器や石器の製造など手工業活動と関わりがあるとみられる土取り場跡や窯跡、建築跡を発見した。日常生活に関連する灰坑や井戸なども見つかり、主に春秋時代中・後期に属する土器や石器などが出土した。同研究所の研究員で、羅城遺跡発掘プロジェクトの責任者を務める盛偉(せい・い)氏は「これらの遺構は、楚人が羅国の民を移住させたという文献の記載が根拠のないものではないことを示している。羅城遺跡は楚が羅国の民を移した場所である可能性が高い」と指摘。陶盆や陶罐などの器物とその組み合わせは典型的な楚文化様式であり、湖北省の江漢平原で出土した春秋時代後期の土器との類似性が高く、湘江下流の臨湘大畈遺跡に代表されるこの地域の同時代の文化遺構とは大きく異なると説明した。したがって、当時の羅城に住んでいたのは湖南の土着民ではなく、江漢平原西部の楚文化地区からの移民である可能性があるという。専門家は、羅城遺跡が文献に記載のある羅県であった可能性があるとも推測する。戦国時代に強大な勢力を誇った楚は、南方開拓へ注力するために羅県を設置した。楚の詩人、屈原(くつ・げん)が晩年の一時期を同地で過ごし、汨羅江の河畔で吟行したとの言い伝えもある。同地には高位者を埋葬したと思われる大型の封土を持つ墳墓があり「屈原の十二疑塚」と呼ばれている。(記者/崔俊傑、李紫薇) =配信日: 2021(平成33)年01月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    00:48.40
    2019年06月02日
    「新華社」伝統行事「端午節」を前に賑わう嘉陵江四川省蓬安県

    中国四川省南充市の蓬安(ほうあん)県寒中水泳協会は2日午前、同県を流れる嘉陵江(かりょうこう)で、年に一度の水中竜舞(りゅうまい)や「搶鴨子」(チャンヤーズ、アヒルを奪い合う競技)などの伝統的な民俗行事を行い、間もなく迎える端午節(旧暦5月5日、今年は6月7日)を祝い、国の安泰と人々の平安を祈った。蓬安県の水中竜舞は千年以上の歴史を持つと言われている。伝説によると、旧暦の8月が来るたびに「旱魃(かんばつ)」という名の怪物が同地に現れ、少雨や干害などの災いをもたらしていた。地元の人々は、水竜が旱魃を河川から追い払い、雨や風を呼び、恵みの雨を降らせることで干ばつを和らげ、農作物が豊作になるよう祈った。「搶鴨子」は昔、地元の裕福な家が屈原(くつげん、中国戦国時代の楚の政治家、詩人)を偲び、また、全力で戦ったドラゴンボートの漕ぎ手をねぎらうために、買ってきたアヒルを試合終了後に川に投げ込み、それを漕ぎ手たちが奪い合ったのが、始まりとされている。それが次第に娯楽と競技を兼ねた民俗行事に変わっていったという。(記者/薛晨)<映像内容>間もなく迎える端午節を祝う伝統行事の様子、撮影日:2019(令和元)年6月2日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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