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    野毛山公園の茶店

    野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、時報を告げる「時の鐘」。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐32‐0]

    商品コード: 2017081401049

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    Crimean War 1853-1856: Russians

    Crimean War 1853-1856: Russians, having destroyed as much as possible and scuttled their fleet, abandoning the main southern part of Sebastapol for the northern forts, 8 September 1855. Hand-finished lithograph c1857.、クレジット:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。広告、プロモーション、商業目的での利用はできません。

    商品コード: 2019091004533

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    横浜の桜

    野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、時報を告げる「時の鐘」。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐14‐0]

    商品コード: 2017081401521

  • 1914年11月21日
    1914 War Illustrated Siege of Tsingtao

    1914 War Illustrated Siege of Tsingtao Date: 21st November 1914、クレジット:? John Frost Newspapers/Mary Evans Picture Library/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。

    商品コード: 2019101101118

  • 1929年04月05日
    日本電報通信社資料

    正午の時報を知らせる大砲の「ドン」に替え、近くモーターサイレンが取付けられる本所公会堂屋上。麻布、小石川にも取付けられる=1929(昭和4)年4月5日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2011041300289

  • 1929年04月26日
    日本電報通信社資料

    大砲による正午の時報「ドン」に替わり愛宕山に備え付けられたサイレン。5月1日から正午を知らせる=1929(昭和4)年4月26日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1929042600002

  • 1929年12月19日
    日本電報通信社資料

    正午の時報を知らせる大砲の「ドン」に換え、丸ビル屋上にも取り付けられ、試験が行われたサイレン。サイレンは愛宕山、小石川、本所に設置されたが丸ノ内では聞こえないとの非難に応え、増設され、元日から稼働する。来年3月には上野公園の東京博物館屋上にも設置される=1929(昭和4)年12月19日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1929121900007

  • 1942年12月31日
    Patriotic Russian war postcard

    World War Two: Patriotic Russian war postcard depicting Russian soldier、クレジット:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。広告、プロモーション、商業目的での利用に関してはお問合せください。

    商品コード: 2019092402387

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    1945年08月15日
    玉音放送

    8月15日正午の時報の後、終戦を告げる天皇陛下の「終戦の詔勅」がラジオで流れた。戦災跡地で終戦の御放送を聞いて涙する国民=1945(昭和20)年8月15日、撮影地不明

    商品コード: 2001032800109

  • 1948年10月21日
    新潟市

    時報塔=整理1948(昭和23)年10月21日、新潟市(23年内地番号なし)

    商品コード: 2016021700646

  • 1948年10月21日
    新潟市

    時報塔=整理1948(昭和23)年10月21日、新潟市(23年内地番号なし)

    商品コード: 2016021700648

  • 1951年08月24日
    朝鮮時報出版元急襲

    朝鮮時報出版元の手入れ=1951(昭和26)年8月24日、東京・神田神保町(26年内地2354)

    商品コード: 2013101700154

  • 1955年06月08日
    電話の時報サービス

    電電公社千代田分局にできた時報サービス機=1955(昭和30)年6月8日(縮刷版掲載なし 30年内地番号なし)

    商品コード: 2012080800363

  • 1972年06月30日
    あすは1秒長くなります

    東京・千代田電話局の時報サービス装置=出稿1972(昭和47)年6月30日(47年内地4364)

    商品コード: 2010110900114

  • 1974年12月21日
    銀座のシンボル修理終わる

    修理され時報ごとに響きのいいメロディーを流すようになった銀座・和光ビルの大時計塔。昭和7年に服部時計店のビル新築とともに完成、銀座のシンボルの一つになったが、戦災で破損し27年まで文字盤もない哀れな姿をさらした。29年に復活、水晶時計に切り替えた。今回の修理では、腐食した枠組みを変え時計も新品に取り換えた=1974(昭和49)年12月21日、東京・銀座4丁目

    商品コード: 2012062100100

  • 1987年05月03日
    財宝展示で有名なロレッタ修道院 民主化進むチェコスロバキア

    17世紀に建立されたロレッタ修道院。時報に宗教音楽を鐘で演奏することで知られ、財宝コレクションが有名=1987年5月撮影、プラハ(共同)

    商品コード: 2008060300206

  • 1993年10月07日
    国宝・僧形八幡神坐像 薬師寺の寺宝を展示

    奈良・薬師寺で開かれる秋の寺宝特別展「神と仏の出会い」で展示される国宝・僧形八幡神坐像(文化財)

    商品コード: 1993100700074

  • 1994年06月23日
    黙とうする遺族ら 沖縄で慰霊の日

    正午の時報に合わせ、戦没者のめい福を祈り黙とうをする遺族ら=23日午後0時、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園

    商品コード: 1994062300029

  • 1995年06月23日
    黙とうする参列者 沖縄で「慰霊の日」の式典

    正午の時報に合わせて戦没者のめい福を祈り、黙とうする参列者=23日、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園

    商品コード: 1995062300025

  • 1995年06月23日
    黙とうする参列者 沖縄で「慰霊の日」の式典

    正午の時報に合わせて戦没者のめい福を祈り、黙とうする参列者=23日、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園

    商品コード: 1995062300026

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    1995年08月10日
    ニュース写真の50年 8・15に見る日本の変ぼう

    昭和50年 東京・銀座4丁目の交差点で、正午の時報に合わせ黙とうする警察官や女性従業員(昭和50年国内5564)

    商品コード: 1995081000049

  • 1997年10月11日
    10日付中国経済時報 中国の新聞がヌード掲載

    女性のヌード写真を掲載した10日付の中国経済時報(共同)

    商品コード: 1997101100042

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    1999年08月12日
    発売された環球時報 「台湾海峡緊張」と中国紙

    12日、北京で発売された「台湾海峡が高度に緊張」との見出しの環球時報(ロイター=共同)

    商品コード: 1999081200179

  • 2001年04月06日
    十一面観音像と曼荼羅 ロスで寺宝のCG展

    米国ロサンゼルスで展示される「十一面観音像と曼荼羅(まんだら)」

    商品コード: 2001040600009

  • 2001年04月06日
    八木博司さん ロスで寺宝のCG展

    八木博司さん

    商品コード: 2001040600010

  • 2001年12月31日
    復活した鼓楼の太鼓 北京に77年ぶりに太鼓の音

    北京の街に時を知らせる「鼓楼(くろう)」の太鼓が12月31日、77年ぶりに復活し、伝統衣装を着た奏者が勇ましい演奏を披露した。鼓楼は元の時代に紫禁城の北につくられ、約650年にわたって時報の役割を果たしてきた。だが清朝最後の皇帝溥儀が紫禁城を去った1924年を最後に太鼓の音は途絶え、太鼓自体も老朽化で使えなくなっていた。再建された太鼓は以前と同じ25個。緩急を付けながら108回たたく昔ながらの奏法で定期的に演奏される。(共同)

    商品コード: 2001123100008

  • 2002年03月15日
    宝厳院の枯れ山水庭園 嵐山の枯れ山水公開へ

    20日から一般公開される京都・天竜寺宝厳院の枯れ山水の庭園

    商品コード: 2002031500060

  • 2002年10月19日
    富嶽(ふがく) 福岡で2つの寺宝展

    「薬師寺展」に展示される奥田元宋の「富嶽(ふがく)」

    商品コード: 2002101900005

  • 2003年08月11日
    旅先で降る雨の優しさ

    小堀遠州作の庭園や、貴重なふすま絵がある滋賀院門跡。案内役の男性が寺宝などについて説明してくれる=大津市坂本

    商品コード: 2003081100159

  • 2004年04月20日
    名刹の寺宝を一堂に

    「南禅寺」展から狩野探幽「群虎図襖」(江戸時代)

    商品コード: 2004042000172

  • 2004年04月20日
    名刹の寺宝を一堂に

    「白隠 禅と書画」展から「達磨図」

    商品コード: 2004042000173

  • 2004年04月20日
    名刹の寺宝を一堂に

    「志村ふくみの紬織り」展から「湖上夕照」

    商品コード: 2004042000174

  • 2005年04月19日
    菩薩像に手を合わせる門跡 3寺宝、65年ぶり勢ぞろい

    中宮寺に戻った菩薩半跏像に笑顔で手を合わせる日野西光尊門跡=19日午後、奈良県斑鳩町

    商品コード: 2005041900217

  • 2005年04月19日
    文殊菩薩立像と天寿国繍帳 3寺宝、65年ぶり勢ぞろい

    中宮寺の紙製文殊菩薩立像(左)と天寿国繍帳=19日午後、奈良県斑鳩町

    商品コード: 2005041900222

  • 2005年04月20日
    中宮寺で公開された3寺宝 3寺宝そろって公開

    中宮寺本堂で並べて公開された(左から)国宝の天寿国繍帳と本尊・菩薩半跏像、重文の紙製文殊菩薩立像=20日午前、奈良県斑鳩町

    商品コード: 2005042000051

  • 2005年08月28日
    楊珮玲・東京支局長 自民、古いイメージに変化

    台湾紙、中国時報の楊珮玲・東京支局長(共同)

    商品コード: 2005082800033

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    2008年08月15日
    会場で黙とうする参列者 東京で全国戦没者追悼式

    時報とともに全国戦没者追悼式で黙とうする参列者=15日正午、東京都千代田区の日本武道館

    商品コード: 2008081500200

  • 2008年10月26日
    中台共同開発、本格検討か

    中国時報が報じた中台の共同開発区域

    商品コード: 2008102600124

  • 2008年10月26日
    中台共同開発、本格検討か

    中国時報が報じた中台の共同開発区域

    商品コード: 2008102600125

  • 2008年10月26日
    中台共同開発、本格検討か

    中国時報が報じた中台の共同開発区域

    商品コード: 2008102600126

  • 2008年10月26日
    中台共同開発、本格検討か

    中国時報が報じた中台の共同開発区域

    商品コード: 2008102600127

  • 2010年07月17日
    金総書記訪中伝える中国紙 人民元相場も「政治問題」

    北朝鮮の金正日総書記訪中を当局発表前に、外国メディアを引用して報道した共産党機関紙、人民日報系の5月4日付環球時報(共同)

    商品コード: 2010071700201

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    2011年04月27日
    写真を掲載した中国紙 空母艦載機「殲15」を報道

    中国が開発中の航空母艦搭載用国産戦闘機「殲15」の写真を掲載した25日付の環球時報(英語版)(共同)

    商品コード: 2011042700686

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    2011年05月03日
    台湾紙の感謝広告 被災地支援の台湾に謝意

    日本の有志約6千人による感謝広告を掲載した3日付の台湾紙、自由時報(左)と聯合報(共同)

    商品コード: 2011050300156

  • 2013年01月17日
    新京報が掲載した社説 共産党が報道規制圧力

    中国・北京の有力紙、新京報が9日付で掲載した人民日報系の環球時報の社説(共同)

    商品コード: 2013011700528

  • 2013年08月05日
    中国紙 中国に五輪招致支持要請

    猪瀬直樹東京都知事のインタビュー記事を掲載した、5日付の環球時報(共同)

    商品コード: 2013080500874

  • 2013年08月13日
    人民日報と学習時報 共産党が紙面上で“対立”

    人民日報の海外版(上)と学習時報(共同)

    商品コード: 2013081300351

  • 2014年12月02日
    時報サービス機 電話の時報サービス開始

    電電公社の東京・千代田分局に設置された時報サービス機。10日の「時の記念日」から運用が開始された=1955(昭和30)年6月8日 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第3巻使用画像(P46)

    商品コード: 2014120200538

  • 2015年02月12日
    時報サービス装置を調整 初実施される「うるう秒」

    翌7月1日に初めて実施される「うるう秒」に備え、前日に調整される東京・千代田電話局の時報サービス装置=1972(昭和47)年6月30日 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第6巻使用画像(P187)

    商品コード: 2015021200492

  • 2016年01月01日
    気勢を上げる伊調馨ら 女子レス伊調ら精力的に汗

    1日午前0時の時報に合わせ、気勢を上げる(前列左から)伊調馨、川井梨紗子、土性沙羅ら=味の素ナショナルトレーニングセンター

    商品コード: 2016010100066

  • 2017年08月08日
    8日付の環球時報 頭下げた河野氏の写真掲載

    河野外相が頭を下げて中国の王毅外相と握手した瞬間の写真を掲載した8日付の環球時報(共同)

    商品コード: 2017080800769

  • 2018年09月08日
    空から見た寧夏回族自治区

    8日、空から見た寧夏回族自治区呉忠(ごちゅう)市紅寺堡(こうじほう)区の景色。(小型無人機から)中国北西部に位置する寧夏回族自治区の山や川、草原、砂漠、湖は絵画のように美しく、訪れた人を魅了する。(銀川=新華社記者/王鵬)=2018(平成30)年9月8日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018091816883

  • 2018年11月06日
    伊藤選手を報じる中国紙 伊藤美誠選手は「大魔王」

    卓球の国際大会で中国トップ選手を相次いで破った伊藤美誠選手について報じる6日付の環球時報(共同)

    商品コード: 2018110626145

  • 2019年06月11日
    国連で「中国古代ナビゲーション展」

    11日、国連ウィーン事務局で開かれた「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」の開幕式であいさつする国連宇宙部のシモネッタ・ディピッポ部長。国連ウィーン事務局で11日、「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」が開幕した。パネルや実物展示などを通じ、時報や測量、製図、ナビゲーションなどの分野における技術や文化の進歩、人類の歴史の発展で、中国が果たした役割を紹介している。会期は21日まで。(ウィーン=新華社記者/郭晨)=2019(令和元)年6月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019061300620

  • 2019年06月11日
    国連で「中国古代ナビゲーション展」

    11日、国連ウィーン事務局で「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」を見学する国連宇宙部のシモネッタ・ディピッポ部長(右)。国連ウィーン事務局で11日、「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」が開幕した。パネルや実物展示などを通じ、時報や測量、製図、ナビゲーションなどの分野における技術や文化の進歩、人類の歴史の発展で、中国が果たした役割を紹介している。会期は21日まで。(ウィーン=新華社記者/郭晨)=2019(令和元)年6月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019061300571

  • 2019年06月11日
    国連で「中国古代ナビゲーション展」

    11日、国連ウィーン事務局で「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」を見学する人々。国連ウィーン事務局で11日、「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」が開幕した。パネルや実物展示などを通じ、時報や測量、製図、ナビゲーションなどの分野における技術や文化の進歩、人類の歴史の発展で、中国が果たした役割を紹介している。会期は21日まで。(ウィーン=新華社記者/郭晨)=2019(令和元)年6月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019061300617

  • 2019年06月11日
    国連で「中国古代ナビゲーション展」

    11日、国連ウィーン事務局で「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」を見学する人々。国連ウィーン事務局で11日、「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」が開幕した。パネルや実物展示などを通じ、時報や測量、製図、ナビゲーションなどの分野における技術や文化の進歩、人類の歴史の発展で、中国が果たした役割を紹介している。会期は21日まで。(ウィーン=新華社記者/郭晨)=2019(令和元)年6月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019061300608

  • 2019年06月11日
    国連で「中国古代ナビゲーション展」

    11日、国連ウィーン事務局で「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」を見学する人々。国連ウィーン事務局で11日、「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」が開幕した。パネルや実物展示などを通じ、時報や測量、製図、ナビゲーションなどの分野における技術や文化の進歩、人類の歴史の発展で、中国が果たした役割を紹介している。会期は21日まで。(ウィーン=新華社記者/郭晨)=2019(令和元)年6月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019061300581

  • 2019年06月11日
    国連で「中国古代ナビゲーション展」

    11日、国連ウィーン事務局で「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」を見学する人々。国連ウィーン事務局で11日、「中国古代ナビゲーション展‐羅針盤から北斗衛星測位システムまで」が開幕した。パネルや実物展示などを通じ、時報や測量、製図、ナビゲーションなどの分野における技術や文化の進歩、人類の歴史の発展で、中国が果たした役割を紹介している。会期は21日まで。(ウィーン=新華社記者/郭晨)=2019(令和元)年6月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019061300630

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    2019年08月13日
    暴力は許されない各界が香港の混乱収束呼びかけ

    13日、香港国際空港で暴徒に拘束された「環球時報」の記者。中国香港特別行政区では、2カ月余りにわたってエスカレートし続ける違法な暴力行為のために、社会は重い代償を支払っている。暴徒は公共物の破壊や幹線道路の占拠、通勤の妨害、さらには放火にまで及んでおり、各界は恣意的な暴力行為を食い止め、秩序を取り戻すよう呼びかけている。(香港=新華社配信)=2019(令和元)年8月13日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019081900509

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    02:35.55
    2019年08月15日
    「不戦」令和につなぐ 終戦74年、戦没者追悼式

    終戦から74年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、参列した約5千人の遺族らが先の大戦で亡くなった約310万人を悼み、不戦の誓いを新たにした。令和初の追悼式で、戦後世代の天皇陛下はお言葉に「深い反省」という文言を盛り込み、上皇さまの姿勢を継承された。安倍晋三首相は式辞で「歴史の教訓を深く胸に刻み」と述べたものの、アジア諸国への加害責任には触れなかった。戦争経験者が減る中、記憶の風化をどう防ぐかが課題となる。1960年生まれの陛下は皇后さまとともに初の参列。<映像内容>会場雑観、安倍首相式辞、天皇陛下のお言葉、正午の時報に合わせて参列者が黙とう、父親を東部ニューギニアで失った横浜市南区の森本浩吉さん(77)=遺族代表=の追悼の辞、関係者らの献花など、撮影日:2019(令和元)年8月15日、撮影場所:日本武道館

    商品コード: 2019081508877

  • 2019年08月21日
    香港情勢を報じる中国各紙 中国、米の言論状況批判

    香港情勢について報じる環球時報などの中国各紙(共同)

    商品コード: 2019082101219

  • 2019年08月21日
    香港情勢を報じる中国紙 中国、米の言論状況批判

    香港情勢について報じる環球時報などの中国各紙(共同)

    商品コード: 2019082101221

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    00:36.03
    2019年08月22日
    「新華社」記者襲撃の被告、保釈認められず香港

    中国香港国際空港で「環球時報」記者の付国豪(ふ・こくごう)を襲ったとして、不法結集関与、傷害、「襲撃致傷」の罪で起訴された頼雲竜(らい・うんりゅう)被告の保釈請求がこのほど却下された。香港の東区法院(裁判所)は19日、頼被告に対し法廷での審理をした。同被告は裁判所に出廷したが、答弁の必要はなく、同事件の次回審理は警察のさらなる調査を待って10月28日に行われる。香港警察は今月16日、葵涌(クワイチョン)で19歳の頼被告を逮捕した。香港メディアの報道によると、頼被告は持っていた旗竿で、救護隊員に付き添われ病院へ搬送される途中の付国豪記者を複数回殴打した。(記者/林寧、楚雄、王斯班)<映像内容>香港の裁判所の風景、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019082203339

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    2019年11月12日
    黙とうする市役所職員 犠牲者悼み、住民黙とう

    台風19号の犠牲者を悼み、正午の時報に合わせて黙とうする長野県佐久市役所の職員ら=12日

    商品コード: 2019111201479

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    2019年11月12日
    黙とうする市役所職員 犠牲者悼み、住民黙とう

    台風19号の犠牲者を悼み、正午の時報に合わせて黙とうする長野県佐久市役所の職員ら=12日

    商品コード: 2019111201583

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    2019年12月03日
    「新華社」南京博物院の秘蔵品を紹介-山子鳥音水法鐘

    中国江蘇省の南京博物院が所蔵する「山子鳥水法鐘(さんしちょうすいほうしょう)」は、大自然の景観を模して作られた時計。台座に山岩や梅の木を配し、岩の前の湖には白いアヒルが泳いでいる。岩に嵌めこまれた時計は、時を刻むだけでなく時報も鳴らす。清の時代、訪中した宣教師が西洋時計を皇室へ献上するようになると、その影響を受けた清政府は「做鐘処」を設置。模造やオリジナルの機械時計を制作するようになった。(記者/劉宇軒)<映像内容>南京博物院所蔵の「山子鳥水法鐘」、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019120407131

  • 2020年04月03日
    太原博物館で明清磁器展山西省

    3日、太原博物館で展示されている「珊瑚地倣木文釉花盆(さんごじほうぼくもんゆうかぼん)」。山西省太原市の太原博物館では同市文物局が主催する「摶土成金-館蔵明清磁器展」が開かれている。「摶土成金」とは「土をこねて金を作る」の意。同展は1月19日に開催されたが、その後の新型コロナウイルスの感染拡大を受け一時中止となり、3月24日に再開した。制作手法と形状、装飾文様の三つのテーマに分けて展示が行われており、来場者は磁器の歴史や発展過程を直感的に理解できるほか、磁器職人の卓越した技を実感できる。明清時代は近代以前の中国における磁器製造の最盛期に当たる。当時の磁器は祭事や室内装飾、日用食器などに広く用いられ、種類も豊富で装飾技法や題材も歴史上最も多岐にわたっていた。(太原=新華社配信/柴婷)=2020(令和2)年4月3日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020041403324

  • 2020年04月08日
    山西博物院に「磁器の世界」を訪ねて

    8日、山西博物院で展示されている清代乾隆年間の「窯変貫耳方瓶(ようへんかんじほうへい)」。中国山西省太原市にある山西博物院の磁器展示室「磁苑芸葩(じえんげいは)」には、「素朴な北方磁器」と「美しく変化に富む彩色磁器」の二つのコーナーがあり、特色ある北方磁器と同院所蔵の歴代彩色磁器の名品を展示している。収蔵する北朝時代から明清時代の磁器の中でも北方磁器が同院の特色となっており、北朝の青磁、隋唐の青磁と白磁、宋の名窯磁器などがある。(太原=新華社配信/柴婷)=2020(令和2)年4月8日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020042003611

  • 2021年03月08日
    唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺境内にある「敕賜霊山開善禅院之記」(左)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)=配信日:2021(令和3)年3月8日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031903723

  • 2021年03月09日
    三浦紀夫さん 福祉現場で伴走型支援を

    「福祉仏教入門講座」で講師を務める三浦紀夫さん。NPO法人「ビハーラ21」事務局長を務める=京都市下京区の文化時報社

    商品コード: 2021030904772

  • 2021年03月09日
    藤井奈緒さん 福祉現場で伴走型支援を

    福祉仏教入門講座で講師を務める藤井奈緒さん。「親なきあと」相談室関西ネットワークで代表理事を務める=京都市下京区の文化時報社

    商品コード: 2021030904943

  • 2021年03月09日
    小野木康雄さん 福祉現場で伴走型支援を

    「人生の道しるべとしての宗教専門紙」を打ち出した社長兼主筆の小野木康雄さん=京都市下京区の文化時報社

    商品コード: 2021030904960

  • 2021年03月18日
    (15)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    霊山寺の「壁蘭」。(2020年12月3日撮影)中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814446

  • 2021年03月18日
    (5)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    11日、霊山寺の大雄宝殿内部。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031813980

  • 2021年03月18日
    (17)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    16日、霊山寺の傍らにある同寺の施主、洪氏一族を祭る洪氏宗祠。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814557

  • 2021年03月18日
    (27)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    16日、霊山寺の唐大顛祖師塔(舌鏡塔)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031900239

  • 2021年03月18日
    (1)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の山門。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031813594

  • 2021年03月18日
    (9)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺境内にある韓愈が大顛に贈った手紙の碑刻。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814047

  • 2021年03月18日
    (8)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の観音殿内部。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814048

  • 2021年03月18日
    (13)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の留衣亭。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814434

  • 2021年03月18日
    (3)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺のツバキと禅楼。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031813598

  • 2021年03月18日
    (21)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の唐大顛祖師塔(舌鏡塔)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814702

  • 2021年03月18日
    (23)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    12日、霊山寺の雲板(右)と木魚。雲板は主に食事の時を知らせるために叩く。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031900050

  • 2021年03月18日
    (4)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の大顛祖師像。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031813726

  • 2021年03月18日
    (11)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の唐大顛祖師記念堂。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814291

  • 2021年03月18日
    (18)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺に残る再建や修復に関する石碑。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814559

  • 2021年03月18日
    (16)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の山門。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814562

  • 2021年03月18日
    (2)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の碑林。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031813601

  • 2021年03月18日
    (6)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    11日、霊山寺の大雄宝殿。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814038

  • 2021年03月18日
    (7)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の観音殿。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814046

  • 2021年03月18日
    (10)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    16日、霊山寺の傍らにある同寺の施主、洪氏一族を祭る洪氏宗祠の正門。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814432

  • 2021年03月18日
    (12)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺唐大顛祖師記念堂の前庭。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814437

  • 2021年03月18日
    (22)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺に残る唐代の井戸。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814697

  • 2021年03月18日
    (20)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の塔院と建築群。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814700

  • 2021年03月18日
    (14)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の牌坊(はいぼう)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031814449

  • 2021年03月18日
    (24)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺の斎堂(禅寺で食事をする堂)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031900053

  • 2021年03月18日
    (25)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    11日、霊山寺の「祝聖万寿山」勒石(ろくせき)。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/耀開法師)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031900237

  • 2021年03月18日
    (26)唐代の古刹、霊山寺を訪ねて広東省汕頭市

    8日、霊山寺境内に安置されている三坪祖師(唐代の禅僧)、韓愈、同寺に土地を寄進した洪大丁(こう・だいてい、霊山寺創建時の潮州刺史)と子孫の像。中国広東省汕頭市潮陽区北西部の銅盂鎮に、同省東部の古刹、霊山寺(霊山護国禅寺)がある。潮陽区の市街地からは25キロ離れている。同寺は、中国禅宗六祖の慧能(えのう)の曽孫弟子に当たる大顛(だいてん)が唐の貞元7(791)年に開いた。大顛は同寺を釈迦が仏法を説いたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえ「霊山」と命名した。霊山寺は歴代王朝によって拡張され、現在は約5千平方メートルの敷地を持つ。大顛祖師塔は「舌鏡塔」とも呼ばれ、高さは2・8メートル、直径は最大1・8メートル。古代インドのストゥーパ様式を模しており、広東省内で数少ない唐代の墓塔として同省の重点保護文物(重要文化財)に指定されている。境内にある留衣亭は、大顛と唐代の文人・政治家、韓愈(かん・ゆ)の友情を今に伝える。元和14(819)年に潮州に左遷された韓愈は、同地で大顛と交流を重ねた。同年10月に潮州から袁州(現在の江西省宜春市一帯)に転任する際には、わざわざ霊山寺に赴き大顛に別れを告げ、大顛もまた寺の外の小さな橋まで韓愈を見送った。韓愈はその時、感動のあまり着ていた官袍を脱いで大顛に記念の品として贈ったとされており、後世の人々は2人の友情を記念して留衣亭を建てた。同寺は「壁蘭(へきらん)」があることでも知られる。建物の壁に生えているランを指し、言い伝えによると、清の康熙45(1706)年に潮陽の信如和尚が霊山寺の補修を担当した際、丹精込めて育てたランの株を思いつきで壁に植えたところ、土もかけず、水や肥料をやらずとも四季を通じて葉を絶やすことがなかったという。壁蘭は「信蘭」とも呼ばれ、現在では寺宝の一つになっている。(汕頭=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年3月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021031900238

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    2021年05月30日
    「新華社」北斗システムの多様なサービスに注目中国衛星ナビゲーション年次総会

    中国江西省南昌市で26~28日、第12回中国衛星ナビゲーション年次総会が開かれた。北斗衛星測位システムがグローバル化、産業化を開始して初めての年次総会となる。また同会の重要な一環として同時開催された第12回中国衛星ナビゲーション成果博覧会では、展示面積1万8千平方メートルに九つの展示エリアが設けられた。同システムは測位やナビゲーション、時報サービスのほか、グローバル捜索救助支援、ショートメッセージ通信、地上強化、高精度な測位など、多様な付加価値サービスを提供する。また、さまざまな産業に貢献することで一般消費財に利益をもたらし、徐々に人々の生活に溶け込んでいく。(記者/陳毓珊) =配信日: 2021(令和3)年5月30日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021053010155

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