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「三国時代」の写真・映像

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    00:49.57
    2021年04月02日
    「新華社」三国文化名村、かつての「空洞村」が人気スポットに湖北省嘉魚県

    中国湖北省咸寧(かんねい)市嘉魚県陸渓鎮印山村は、三国時代の呉の名将、丁奉(てい・ほう)の帥印(最高司令官の印綬)が残されたことから「三国文化名村」と呼ばれている。かつては交通が不便で、住民は伝統的な農業で暮らしを支えるしかなかった。やがて都市化の加速とともに、住民の大多数が都市に活路を求めて村を離れるようになった。豊かになるにはまず道を通す必要がある。嘉魚県は手始めに陸渓鎮から印山村までの貧困者支援観光道路を建設。続いて陸渓鎮が地元出身者のUターン促進政策を打ち出した。5年の発展を経て、印山村二組は観光とリゾート、研究学習をテーマとした田園式生態農園を建設した。3月1日に康豊源風景区がオープンすると、約1カ月で延べ3万人の観光客が訪れた。ここ5年で、印山村の集団経済は7500元(1元=約17円)から35万元に発展。約千人がUターン就職・起業し、住民1人当たりの平均収入は1万7千元に達した。かつての「空洞村」は、周辺の都市に暮らす人々の間で人気スポットとなり、農村振興への道を着実に歩んでいる。(記者/梁建強) =配信日: 2021(令和3)年4月2日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021040204498

  • 02:10.62
    2020年07月30日
    「新華社」無形文化遺産の水陸画に新たな息吹、第7代伝承者の取り組み河北省広平県

    中国の三国時代に源を発する水陸画は、主に仏教や道教、儒教に関する人物を題材としてきた。2014年には国家級無形文化遺産リストに登録された。河北省邯鄲(かんたん)市広平県の第7代伝承者、張貞美(ちょう・ていび)さんはここ数年、時代に合わせた新たな取り組みを続けている。張さんは従来の枠にとらわれず、作品の題材に民間の風習や芝居の登場人物、花や鳥、魚などの生き物を取り入れた。絵を描く媒体も赤色の陶器や石、原木などを使い、伝統的な民間芸術に新たな息吹をもたらしている。(記者/范世輝)<映像内容>水陸画の作品、制作の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020073106780

  • 00:45.28
    2020年07月16日
    「新華社」黄鶴楼風景区で最古の建造物「勝像宝塔」湖北省武漢市

    中国湖北省武漢市の黄鶴楼風景区では、黄鶴楼が最も古い建造物と思う人が多いようだが、実は「勝像宝塔」と呼ばれる10メートルほどの白塔が最古の建造物とされている。黄鶴楼は1985年に再建されたが、勝像宝塔は670年余りの歴史がある。西門から風景区に入った観光客は、最初にこの塔を目にする。「宝像塔」「白塔」「元代白塔」とも呼ばれ、史料によると、元代の至正3(1343)年に舎利と法物を収めるために建てられた。高さは9・36メートルで、台座の幅は5・68メートル。全体的には台座から上に向い徐々に細くなる形状をしており、輪郭はほぼ三角形となる。主体部分は鉢を伏せたような形で、石を三層に積み重ねた下層部分には美しく精緻な蓮華台の彫刻が施されている。塔頂部分は合金で作られている。同風景区で観光ガイドを務める王建権(おう・けんけん)さんによると、三国時代に諸葛亮(しょかつ・りょう、孔明)がこの地で明かりを灯し、関羽(かん・う)の水軍を導いたという言い伝えがあり、かつては「孔明灯」とも呼ばれたという。勝像宝塔は1956年に湖北省指定の文物保護単位(重要文化財)となり、2013年には全国重点文物保護に指定された。(記者/馮国棟)<映像内容>黄鶴楼風景区の最古の建造物とされている「勝像宝塔」、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020072802238

  • 00:56.56
    2020年04月23日
    「新華社」1700年の歴史ある街並みに活気浙江省臨海市

    中国浙江省臨海市の紫陽古街は三国時代から建設が始まり、約1700年の歴史を誇る。南北1080メートル、幅4~5メートルで、国内でも比較的保存状態の良い歴史的な街並みとなっている。通りには切り紙細工や竹細工などの伝統的な手工芸品を扱う店舗が、今でも残っている。夜になると街灯がともり、古代の街を囲う土壁「坊牆(ぼうしょう)」や軽食屋台、書店などを散策する観光客の姿が見られる。(記者/鄭夢雨、魏董華、呉帥帥)<映像内容>紫陽古街の街並み、店の様子など、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020042803219

  • 01:25.24
    2020年03月09日
    「新華社」諸葛古鎮のモクレンが開花オンライン配信でお花見陝西省漢中市

    中国陝西省漢中市勉県にある三国時代・蜀漢の宰相、諸葛亮(孔明)を祭った武侯祠(ぶこうし)でこのほど、世界でも珍しい樹齢400年を超えるニシキモクレンが続々と開花している。新型コロナウイルスによる肺炎流行の影響で、武侯祠風景区は現在も閉鎖中だが、花を楽しみたいという市民らの要望に応え、風景区の職員がソーシャルメディアでニシキモクレンの花が咲く華やかな様子をライブ配信し「オンライン花見」のサービスを提供している。武侯祠のニシキモクレンは世界でも希少な植物で、諸葛亮を記念して植えられたと伝えられる。1979年に行われた文物の全面調査の際、専門家が放射性炭素による年代測定を行った結果、樹齢400年超と判明した。明代の万暦年間(1573~1620年)に相当する。ニシキモクレンは毎年5月につぼみをつけ始め、夏、秋、冬を経て翌年3月ごろに開花する。花をつけるまでに10カ月を要し、開花期間はわずか十数日間、開花した後に葉が出る。花弁は蝶のような形をしており、かぐわしい香りを漂わせる。水生のハスの花と似ているが、陸上で咲くため「旱蓮(かんれん)」と呼ばれる。(記者/孫正好)<映像内容>新型肺炎で閉鎖している武侯祠、ニシキモクレンをライブ配信、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020031004257

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    01:13.04
    2019年12月24日
    「新華社」武漢長江大橋に残る三国時代の史跡「関羽洗馬口」湖北省

    中国湖北省武漢市の漢陽区と武昌区を結ぶ武漢長江大橋の漢陽側のたもとには、「関羽洗馬処」と記された漢代様式の石碑がある。傍らには関羽と愛馬の赤兎馬、馬を洗う兵士の銅像が置かれている。関羽像の高さは約2メートル。よろいを身に着け、右手に馬を洗うブラシを持ち、川に向かって立っている。兵士は腰をかがめて馬にくらを乗せる準備をしている。赤兎馬は前足を高く上げ、躍動感に満ちている。同区史志弁公室の担当者によると、約1800年前の三国時代、関羽は現在の湖北省を含む荊州(けいしゅう)の守備を任されており、夏口(現在の漢陽区)に駐屯していた。地元には、関羽が当時頻繁に長江の岸辺で赤兎馬を洗ったという言い伝えがあり、その場所が「関羽洗馬口」として残されている。同地は武漢の「三国文化」を代表する場所であり、周辺の「洗馬長街」付近には晴川閣や鉄門関、魯粛(ろしゅく)墓など多くの歴史・文化遺跡が保存されているほか、近年整備された「大禹神話園」もある。晴川閣の西の亀山では「兵法三十六計」を説明する「計謀殿」の建設も進んでいる。(記者/馮国棟)<映像内容>関羽洗馬処の風景、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019122401717

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    01:21.83
    2019年12月16日
    「新華社」三国志の物語、黄鶴楼で展示湖北省武漢市

    中国湖北省武漢市にある黄鶴楼は三国時代(220~280年)に創建され、歴史上破壊と再建を繰り返してきた。現在の黄鶴楼は、1985年に長江南岸の蛇山山頂に清代に破壊された建物を再建したもので、一般公開している。中国国内最高レベルの観光スポット「国家5A級旅遊景区」に指定され、同市のランドマークとなっている。黄鶴楼の2階展示室には、中国で民間に広く伝わる三国時代の物語が描かれた壁画が2枚飾られている。1枚は、「孫権築城」を題材に、漢代の画像磚(がぞうせん、れんがに図案を彫刻したもの)の手法で黄鶴楼建築の場面を再現したもの。もう1枚は、「周瑜(しゅうゆ)設宴」を題材に、劉備が周瑜に黄鶴楼での宴を口実に暗殺されそうになるが難を逃れた「劉玄徳酔走黄鶴楼」の逸話を中央美術学院の孫景波(そん・けいは)教授が描いたものだ。(記者/馮国棟)<映像内容>黄鶴楼の風景、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019121600712

  • 01:09.88
    2019年12月11日
    「新華社」宋代と清代の黄鶴楼、精巧な模型で再現湖北省

    中国湖北省武漢市にある「黄鶴楼(こうかくろう)」は李白の詩「黄鶴楼にて孟浩然(もう・こうねん)の広陵に之(ゆ)くを送る」などで日本でもよく知られている。現在ある黄鶴楼は再建されたものだが、元々はどのような姿だったのだろうか。中国の研究者が再現した模型がこのほど、黄鶴楼で一般公開された。古代の絵画や古い写真などの資料に基づき、伝統的木造建築の技術によって宋代と清代それぞれの黄鶴楼を極めて精巧に縮小再現している。黄鶴楼は「中華名楼」として名高く、「江南三大名楼」に数えられる。考証によると三国時代、呉の黄武2年(西暦223年)の創建で、歴史の中で何度も焼失と再建を繰り返し、明、清の時代だけで7回も破壊された。公開された宋代(西暦960~1279年)の復元模型は、当時の伝統絵画「界画」(かいが)に描かれた黄鶴楼を元にし、楼閣構造も正確に再現されており、軒先、柱梁、斗拱(ときょう、ますぐみ)、高欄などの細部に至るまで精緻に作られている。「黄鶴楼図」などの史料によると、宋代の黄鶴楼はすでに「建築群」に発展しており、山を背に長江に面していた。形状としては楼(重層建築)、台(眺望がきくように高く平らに造った建造物)、軒(小部屋)、廊(廊下)を持つ。主楼は2階建てで、屋根はいずれも反り返った「重檐」(ちょうえん、二重の屋根)となっている。建築群全体が厳格に配置され、各建物の主従関係が明確となっており、不ぞろいで変化に富んでいながら渾然一体となって宋楼の雄壮であかぬけた風采が見て取れる。宋代の黄鶴楼は南宋と金の戦いで破壊された。清代の黄鶴楼は古い画像に基づいて復元された。古い写真と文献によると清代の黄鶴楼は3層で、独特な壮麗さが建築の特色だったが、光緒10年(西暦1884年)に焼失した。スタッフによると、損壊した歴代の黄鶴楼の中で唯一残されたのは清代黄鶴楼の宝形造りの屋根だったという。現在の黄鶴楼は武漢市の長江南岸の蛇山に位置し、清代の残存構造の上に再建、1985年に完成し一般開放された。5層の黄鶴楼は歴史の精華の上に、新たな特色もはっきり示している。最高ランクの国家5A風景区に指定されており、武漢のランドマーク的存在の歴史的建造物となっている。(記者/馮国棟)<映像内容>黄鶴楼の外観と模型、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019121110517

  • 03:13.48
    2019年11月02日
    「新華社」軍人運動会終了後も冷めやらぬ人気「中華名楼」黄鶴楼に登る

    第7回世界軍人運動会は閉幕したが、開催都市となった中国湖北省武漢市の観光地は、まだ熱気が冷めない。名勝地「黄鶴楼」は連日延べ1万人以上の観光客でにぎわっている。2日、黄鶴楼を訪れてみると、大勢の観光客の姿であふれていた。ポーランドから来たというグループは、黄鶴楼の建築は壮大で文化の蓄積も厚くすばらしいと感想を述べた。武漢市の長江沿岸の蛇山(だざん)に位置する黄鶴楼は、湖南省の岳陽楼、江西省の滕王閣と並んで「江南三大名楼」とされ「天下絶景」の誉れが高い。黄鶴楼は三国時代の呉の黄武2(223)年に建立されて以来、各時代の文人墨客に親しまれてきた。たびたび戦乱に巻き込まれた黄鶴楼は、明、清の時代だけでも7回も破壊され、清の光緒10(1884)年には大火で焼失した。現在の黄鶴楼は明清期の残存構造の上に再建され、1985年に完成した。黄鶴楼の最上階の大壁画の前で、人々は争うように記念写真を撮っていた。壁画は「江天浩瀚(こうてんこうかん)」と呼ばれ、10幅の濃い色合いの写意画(画家の心意を描写した絵画)で構成されている。大きさは全体で約100平方メートルにのぼる。正面の壁に並ぶ3幅の壁画はそれぞれ「流逝」「浪淘沙」「華年」と題し、長江の文化および黄鶴楼の盛衰を描いている。壁画は1983年に制作を開始し、完成までに4年以上を費やしたという。今年、原作者の楼家本(ろう・かほん)氏が半年以上にわたって修復作業を行った。「金碧重彩」という中国の伝統的な壁画の形式で、天然の鉱植物顔料や「瀝粉貼金」「泥金」という技法を用いている。特にこのような大きなスケールで金泥を使って絵付けされた壁画は、古今東西に類を見ない。(記者/馮国棟)<映像内容>観光客の姿であふれる黄鶴楼の様子、撮影日:2019(令和元)年11月2日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019110608564

  • 03:33.03
    2019年07月09日
    「新華社」特別展「三国志」東京国立博物館で開幕

    中日文化交流協定締結40周年記念特別展「三国志」が9日、東京・上野の東京国立博物館で始まった。9月16日までの期間中、「揺銭樹」など中国の国家1級文化財42点を含む文化財161点が展示される。三国時代は群雄が割拠し、多くの英雄を輩出した時代であり、政治、文化、軍事などの面で後世に深い影響を与えた。唐代の詩歌にも三国時代に関する内容が登場し、17世紀以降は三国時代の物語がアジア一帯で広く語られるようになった。日本では「三国志」が小説や漫画、人形劇やゲームなどさまざまな形で描かれており、三国時代の人物もよく知られている。(記者/姜俏梅、梁賽玉、鄧敏)<映像内容>東京国立博物館の特別展「三国志」の様子、撮影日:2019(令和元)年7月9日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019071100634

  • 01:03.27
    2019年06月26日
    「新華社」成都武侯祠に「三国志」愛好家が注目四川省

    中国四川省成都市にある武侯祠はまたの名を「漢昭烈廟」という。本来は三国時代の223年に造営が始まった蜀漢の昭烈帝、劉備の陵墓であり、後に丞相の諸葛亮(孔明)を祭る祠堂が廟内に移され中国史上唯一の君臣合祀廟となった。諸葛亮は生前「武郷侯」に封じられ、死後は「忠武侯」と呼ばれたことから、人々は敬意をこめてこの廟を武侯祠と呼ぶようになった。成都武侯祠は中国の全国重点文物保護単位に指定されている。廟内には「三国志」の登場人物47人の塑像があり、中国でもその数は最も多い。最古の塑像は300年以上の歴史がある。最も目立つ場所に置かれているのは劉備とその義兄弟の関羽と張飛、そして諸葛亮の塑像。劉備殿の両側の廊下にはそれぞれ武将と文官が並んでおり、武将の最前列は日本でも人気の高い趙雲、文官の最前列は諸葛亮に並ぶ軍師として称えられた龐統(ほう・とう)となっている。武侯祠では8日から10月31日まで「2019成都武侯祠三国志フェア」が開催されており「三国志」愛好家は文化展示や三国書院、クリエイティブ・マーケット、文化クリエイティブ・コンテストなど十数項目の「三国志」関連イベントを楽しむことができる。(記者/陳健)<映像内容>「三国志」の登場人物の塑像など成都武侯祠の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019062625283

  • 00:30.62
    2019年05月16日
    「新華社」四川博物院、諸葛亮が「空城の計」で奏でた曲を再現

    諸葛亮(しょかつ・りょう、中国三国時代の蜀漢の政治家・軍師)が戦術「空城の計」(くうじょうのけい、あえて自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心を誘う計略)で奏でた曲とされる「流水」が16日、中国四川省成都市の四川博物院で披露された。古琴は中国の伝統的な撥弦楽器(はつげんがっき)で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されている。湖北省にある戦国時代初期の諸侯の墓、曾侯乙墓(そうこういつぼ)から出土した十弦琴は、これまで中国で発見された最古の琴で、今から2500年以上前のものとされる。古琴の流派の一つである「蜀山派」を代表する人物には、司馬相如(しば・しょうじょ、前漢時代の文章家)や諸葛亮がおり、「流水」はその代表作とされている。同日夜に開かれた古琴演奏会では、古琴演奏家である中国琴会の曾成偉(そう・せいい)副会長が、観客にこの「流水」の演奏を披露した。5月18日の国際博物館の日には、四川博物院で唐代から清代にかけて作られた19の古琴が一般公開された。そのうち同院の宝と称される唐代の古琴「石澗敲氷(せっかんこうひょう)」が多くを占めていた。同展の開催期間中、同院では念入りに選んだ古琴に関する漢代の画像塼(がぞうせん、模様や図象を線刻、浮き彫りまたは型押ししたれんが)の複製品を使った「画像塼の拓本体験」イベントを実施する。(記者/童芳)<映像内容>古琴の演奏、撮影日:2019(令和元)年5月16日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019052200218

  • 02:50.11
    2019年04月12日
    「新華社」様相が全く異なる三国時代の英雄劉備と趙雲の墓四川省

    先祖を祭る中国の伝統的な祭日である清明節(今年は4月5日)に、墓参りをするのが中国人の習慣だ。しかし趙雲を愛する日本の人々が中国四川省成都市の郊外にある彼の墓を訪れ、三国志の名将を偲びたいと思ったら、きっと相当がっかりすることになるだろう。趙雲の墓には今、雑草が生い茂り、正門は閉ざされ、見渡す限り荒れ果てた光景が広がっている。同市大邑(だいゆう)県の錦屏山(きんぺいさん)の麓にある趙雲の墓は、彼の骨が埋められた場所として史学界からも認められている。しかし、県の政府所在地の端にあるぼろぼろの塀で囲われたところに、三国時代の名だたる英雄、趙雲の墓があるとは、地元の若者さえ知らないのだ。同じ三国志の英雄の墓地でありながら、まったく異なる様相を見せるところもある。劉備や諸葛孔明を愛する日本の人々にとって、成都市にある武侯祠(ぶこうし)は三国文化が感じられる格好の場所だろう。中国各地にある三国文化関連の古代遺跡の中でも、武侯祠は最もよく知られたものの一つ。またの名を「漢昭烈廟(かんしょうれつびょう)」ともいう。(記者/陳健)<映像内容>三国時代の英雄、劉備と趙雲の墓の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019041223794

  • 04:16.82
    2016年05月23日
    日韓の半跏思惟像お披露目 ソウルで初の共同展示

    日本と韓国を代表する国宝の半跏思惟(はんかしゆい)像を同じ場所で初めて展示する特別展「韓日国宝半跏思惟像の出会い」が24日から6月12日にソウルの国立中央博物館で開催されるのに先立ち、2体の像が23日、報道関係者に公開された。<映像内容>日本と韓国を代表する国宝の半跏思惟(はんかしゆい)像を同じ場所で初めて展示する特別展「韓日国宝半跏思惟像の出会い」で報道関係者に公開された半跏思惟像など。日本からは中宮寺(奈良県斑鳩町)の国宝、菩薩(ぼさつ)半跏像が海外では初めて展示。韓国からは、三国時代の6世紀後半に作られた国宝78号の金銅半跏思惟像を展示。東京国立博物館の銭谷真美(ぜにや・まさみ)館長、国立中央博物館の李栄勲(イ・ヨンフン)館長も出席、撮影日:2016(平成28)年5月23日、撮影場所:韓国 ソウル

    商品コード: 2020043003939

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