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「上野彦馬」の写真・映像

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  • 2004年07月29日
    携帯暗室 幕末の「携帯暗室」復元へ

    復元に向けた調査が行われた、写真師上野彦馬が使用した「携帯暗室」=29日午前、長崎市元船町

    撮影: 29日午前、長崎市元船町

  • 2003年06月24日
    「上野彦馬の人物像」 写真の祖、上野彦馬の冊子

    発刊された冊子「上野彦馬の人物像」

  • 2002年12月17日
    カラスミ干す上野さん 北風とともにカラスミ干し

    作業場の屋上で、カラスミを干す上野芳裕さん=14日、長崎市毛井首町

    撮影: 14日、長崎市毛井首町

  • 2001年12月19日
    「彦馬がゆく」を再演

    「彦馬がゆく」作・演出の三谷幸喜(左から3人目)を囲む主な出演者=東京・渋谷のホテル

  • 1989年08月05日
    写真が生まれて150年

    明治初年、長崎の上野彦馬邸から銭屋川(現在の中島川)を望む。上野彦馬撮影の鶏卵紙(長崎県立図書館蔵)

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    長崎大光寺本堂

    内田九一撮影の大光寺と男性。同じアングルで上野彦馬が同じポーズをとりベアトが撮影した幕末の写真(整理番号66-27)が残されているが、長崎を来訪した九一がこの写真と同じポーズでこれを撮影したと推測される。同様の彩色写真(整理番号15-28, 66-2)も、同じ写真の無彩色(整理番号66-3)もコレクションの中にある。=明治5年頃、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐2‐0]

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    長崎大光寺本堂

    内田九一撮影の大光寺と男性。同じアングルで上野彦馬が同じポーズをとりベアトが撮影した幕末の写真(整理番号66-27)が残されているが、長崎を来訪した九一がこの写真と同じポーズでこれを撮影したと推測される。同様の彩色写真(整理番号15-28, 66-2)も、同じ写真の無彩色(整理番号66-3)もコレクションの中にある。=明治5年頃、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐31‐0]

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    高鉾島

    戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真中央の島が高鉾島。右の半島の先が神埼鼻、その向こうに神の島があり、その左の島が高鉾島。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐26‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐26‐0]

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    悟真寺

    悟真寺=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号103‐4‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号103‐4‐0]

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    中島川と阿弥陀橋

    中島川と阿弥陀橋=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐8‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐8‐0]

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    長崎稲佐海岸

    長崎稲佐海岸=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐16‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐16‐0]

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    熊本城

    熊本城=撮影年月日不明、熊本、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐37‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、熊本、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐37‐0]

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    高鉾島

    神の島の海岸から見た高鉾島。高鉾島は、キリスト教の殉教の島として海外に知られ、パッペンベルグ(PAPPENBERG)島と呼ばれていた。現在の神の島教会付近から、高鉾島を撮影したもの。明治20年頃(1887)の写真。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐18‐0]

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    高鉾島

    戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真中央の島が高鉾島。右の半島の先が神埼鼻、左の突き出た先が女神。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐18‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐18‐0]

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    高鉾島

    戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真中央の島が高鉾島。右の半島の先が神埼鼻、左の突き出た先が女神。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐27‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐27‐0]

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    長崎 高鉾島を望む

    長崎、高鉾島を望む=明治初期、長崎、撮影者:ライムント・フォン・スティルフリード、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。★特別価格対象商品★

    撮影: 明治初期、長崎、撮影者:ライムント・フォン・スティルフリード、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。★特別価格対象商品★

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    高鉾島

    戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したものです。写真中央の島が高鉾島、右の半島の先が神崎鼻、左の突き出た先が女神です。高鉾島は、キリスト教の殉教の島として、また、船が長崎港に入る際の目印の島として、外国人に知られていました。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐10‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐10‐0]

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    高鉾島

    高鉾島=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐14‐0]

    撮影: 1874

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    諏訪神社の踊馬場と長坂

    諏訪神社の踊馬場と長坂=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐9‐0]

    撮影: 1874

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    稲佐悟真寺のロシア人墓地

    悟真寺は慶長3年(1598)に創建された。キリシタン時代以降最初に再興された浄土宗の寺院。裏山には中国人やオランダ人が埋葬された。安政5年(1858)に発生したコレラのため、ロシア軍艦アスコルド号の乗組員20名が死亡し、ロシア人墓地が出来た。左上の墓標を囲う大きな堂が真新しい。墓域に明確な区画はない。墓地周囲に煉瓦塀を備えたのは大正7年(1918)のことである。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐47‐0]

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    中島川八幡町高麗橋附近

    中島川八幡町高麗橋附近=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐22‐0]

    撮影: 1874

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    海上からの出島パノラマ組写真

    梅香崎の長崎税関岸壁の先端あたりから撮影された出島のパノラマ組写真の中央。右端の旧対馬屋敷の場所では中国商社の建物が建設中である。その左は明治2年(1869)に架けられた出島新橋。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐50‐0]

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    飽の浦のお雇い外国人宿舎

    飽の浦の工部省所管「長崎造船局」の北の丘に明治7年(1874)4月に落成したお雇い外国人の宿舎。この頃のお雇い外国人は、フランス人の建設師長ワンサン・フロラン、イギリス人の機械師長フランク・ロベルト・ストリー、同じくイギリス人の機械師補ジョン・デキソンと水夫頭目ダグラスの計4人であった。「長崎造船局」は、最先端の知識や技術、機械を外国から移植し、明治17年(1884)には岩崎弥太郎率いる三菱に経営が引き継がれ、「長崎造船所」と改称する。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐48‐0]

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    長崎製鉄所

    長崎製鉄所=1865年、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐54‐0]

    撮影: 1865年、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐54‐0]

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    本蓮寺の本堂と位牌堂

    本蓮寺の本堂と位牌堂=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐44‐0]

    撮影: 1874

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    中島川と上野彦馬邸

    中島川と上野彦馬邸=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐16‐0]

    撮影: 1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐16‐0]

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    長崎大光寺本堂

    長崎市鍛冶屋町にある浄土真宗大光寺本堂である。唐通事陽惣右衛門の寄進による。墓地には、日本印刷の祖本木昌造の墓がある。同じアングルで上野彦馬が同じポーズをとりベアトが撮影した幕末の写真(整理番号66-27)が残されているが、長崎を来訪した九一がこの写真と同じポーズでこれを撮影したと推測される。同様の彩色写真(整理番号15-28, 66-2)も、同じ写真の無彩色(整理番号66-3)もコレクションの中にある。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号15‐28‐0]

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    中島川と上野彦馬邸

    整理番号21-8の風景を反対側から川の下流に向けて撮影している。それゆえ右手の家が彦馬の家になる。家の前には街灯が設置されている。門前には人力車が止まっている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐9‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐9‐0]

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    飽の浦恵美須神社

    この写真は英文で「長崎、稲佐の景色」と題されている。飽の浦神社(恵美須神社)の境内ごしに長崎港の風景を遠望している。同じ作品が上野彦馬のアルバムにも収蔵されている。明治初年の撮影と思われる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号40‐28‐0]

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    中島川八幡町高麗橋附近

    1864年頃、ベアトが撮影した高麗橋と八幡橋の写真。この上流左手が上野彦馬の邸宅になる。右手の白い蔵は画家木下逸雲の屋敷。逸雲は彦馬が日田の広瀬淡窓の門に入るときの保証人でもあった。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐29‐0]

    撮影: 1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐29‐0]

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    高鉾島

    高鉾島=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号108‐16‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号108‐16‐0]

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    中島川と編笠橋

    中島川と編笠橋=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐6‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐6‐0]

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    大音寺本堂

    大音寺本堂=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐34‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐34‐0]

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    大浦川と居留地

    大浦川と居留地=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐24‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐24‐0]

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    本蓮寺

    本蓮寺=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐44‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐44‐0]

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    有栖川宮熾仁親王

    有栖川宮熾仁親王=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐39‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、場所不明、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐39‐0]

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    お茶の梱包

    お茶の梱包=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐43‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、場所不明、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐43‐0]

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    長崎製鉄所飽の浦工場

    文久元年(1861)に落成した長崎製鉄所を譲り受け、明治17年(1884)に三菱会社長崎造船所飽の浦機械工場になった。工場の建物、50トン起重機等の工場施設を見ることができる。対岸は西坂、大黒町付近。=1879(明治12)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐3‐0]

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    長崎市街中心部

    風頭から見た長崎の旧市街と港の風景である。街の中心部分に左上がりに中島川が写っている。川の石橋群も観察される。この写真は茶色に変色しているが、整理番号21-4 の同一の写真のオリジナルではないかと思われる。=明治中期、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐6‐0]

    撮影: 明治中期、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐6‐0]

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    芸妓

    上野彦馬のアルバムの中の一枚に整理番号21-22、24とともに収載されている。彦馬には珍しく着彩され、赤のペンで枠取りされている。前の方にはお茶子さんと見られる娘や、半玉と呼ばれた若い芸妓の見習いが写っている。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐23‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐23‐0]

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    ドンの山から見た出島と長崎港

    中央に出島、手前に新地蔵、梅ケ崎の居留地が写っている。出島の海側の線が鮮明に見える。新地と居留地を結ぶ木橋(梅ケ崎橋)が写っている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐2‐0]

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    椅子と女性

    ベアト撮影。「Kかささん」と記されている。ここは上野彦馬の写場である。そのことは椅子の形状と床の様子からわかる。若い女性は左手を椅子に軽くかけ、右手に扇を持っている。=1865年、場所不明、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐18‐0]

    撮影: 1865年、場所不明、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐18‐0]

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    長崎・茂木街道

    キーワード:茂木街道、上野彦馬撮影=明治中期、東京、撮影者:上野彦馬、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    撮影: 明治中期、東京、撮影者:上野彦馬、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

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    長崎・高鉾島

    キーワード:高鉾島(中央)、長崎湾=明治中期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

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    中島川風景

    1864年頃ベアトが撮影した中島川上流の風景。上野彦馬邸の前あたりから対岸を撮影したものである。このときベアトは彦馬宅に滞在したものと推測される。右側に写っている男性は魚釣りをしている。整理番号28-31と同じ。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐32‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐32‐0]

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    飽の浦恵美須神社

    飽の浦恵美須神社。明治5年(1872)の天皇巡幸に随行した内田九一が、同じアングルで撮影しているが、比べてみると、この写真では、海側の鳥居の左にあった松がないので、それより後の撮影。また、同じアングルで明治7年(1874)8月20日の台風直後に撮影された写真に写る、岬の先の丸尾海岸の海軍埋め立て地の建物がないので、それ以前の撮影である。当時の神社の建物は消滅しているが、神社は存続している。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐18‐0]

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    師範学校正門

    明治7年(1874)に創立されたばかりの長崎官立師範学校の正門である。門を入った左手の旧長崎奉行所の建物と新築の右手の建物が校舎(旧県知事公舎の場所)として利用された。明治5年(1872)東京に官立(国立)の師範学校が設立され、その後日本各地に設置されたが、東京師範学校と東京女子師範学校を除き、すべて府県に移管された。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐5‐0]

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    諏訪神社の正殿と拝殿

    右から諏訪神社の拝殿、祝詞殿、本殿の順である。拝殿は一般人の参拝所で、檜木造り・檜皮葺・入母屋造。左右正面に上が口を開く。扁額は明治元年(1868)九州鎮撫総督となった沢宣嘉の書。渡り廊下でつながる祝詞殿の内部は畳敷きである。左奥は安政4年(1857)に炎上した後、明治2年(1869)に再建された本殿である。内陣には諏訪・森崎・住吉の三社のご神体が安置されている。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐11‐0]

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    南山手から大浦・東山手を望む

    グラバー園下の高台から東山手を撮影したもの。下は南山手8番(現町並み保存センター)。左手は幕末期からのベルビューホテル。右の丘の洋館は東山手9番のイギリス領事館。中央上部の洋館は前面が10番イギリス人J.N.フォレスト医師宅。その左手が11番イギリス国教会の礼拝所。さらにその左の白い洋館は東山手12番(旧アメリカ領事館)である。右手の屋根は妙行寺。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐15‐0]

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    ドンの山から見た大浦居留地と長崎港

    対岸の工部省所管「長崎造船局」の右上の丘に明治7年(1874)4月に完成したお雇い外国人宿舎が見えるので、それ以後の撮影。大浦川左岸の川幅が狭まる地点の建物をはじめ、随所に台風の傷跡が見られる。明治7年(1874)10月頃、海外に持ち出された『カーモディアルバム』に、大浦川左岸の川幅が狭まる地点の建物がすでに撤去されて新しい建物が建築中の写真があるので、同年8月の台風直後の写真であると推定される。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐5‐0]

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    工部省長崎造船局の台風被害

    明治7年(1874)8月20日の書き込みがある。安政4年(1857)に幕府直営の艦船修理工場としてスタートしたときの、二本の煙突のある鍛冶場とボイラー室の煉瓦造の建物が残り、同じく煉瓦造りで、日本で最初に鉄製のトラスの小屋組を採用した轆轤(ろくろ)盤細工所も破壊を免れた。左上の丘に見える洋館は明治7年(1874)4月に落成したお雇い外国人宿舎である。その右の岬の向こうには丸尾海岸の海軍埋め立て地の建物が見える。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐17‐0]

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    諏訪神社

    写真台紙には「大日本長崎上野寫」と印刷されている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐33‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐33‐0]

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    大浦外国人居留地の街路

    大浦バンド(海岸通り)から一筋入った常盤町2丁目あたりから梅香崎方面を望んでいる。背後が弁天橋である。左側は大浦7、8番あたりになる。左の店の看板には "WING CHEUHG TAP ARS CLOTHIERS FROM HONG KONG" と書かれているが、香港人の商店のようである。右の洋館は大浦19、20番あたりになる。左端は人力車のために舗装された車道。街灯ランプの構造がよくわかる。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐31‐0]

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    大浦海岸通りの洋館群

    居留地で一番家賃の高かった大浦海岸通りの洋館群。この船着き場は上海と同じようにバンドと呼ばれた。建物は左から、大浦4番ケエスイ商会、5番は後のアメリカ領事館。コロニアルなベランダ付の大きな建物は、大浦6番で、後のイギリス領事館。奥の大きな寄棟造りのベランダ付き洋館は、大浦7番のオルト商会で、屋根越しに大浦天主堂の尖塔が見える。岸壁に吊るされたボートは沖の船舶との連絡用である。後ろは鍋冠山。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐32‐0]

    撮影: 1874

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    長崎大光寺本堂

    ベアトの撮影による大光寺。寺の前、左の灯籠の前に男を立たせている。上野彦馬である。これと全く同じアングルの写真がこの約7年後に内田九一によって撮られている。興味深いことに、そこでもまた中央に男を立たせている(目録番号 688、3220、3222、3251参照)。このベアトの写真を参考にしたと思われる。=1865年頃、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐27‐0]

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    大音寺

    大音寺=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐26‐0]

    撮影: 1874

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    梅香崎長崎招魂社

    梅香崎長崎招魂社=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐30‐0]

    撮影: 1874

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    清水寺

    清水寺=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐41‐0]

    撮影: 1874

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    ねずみ島から見た長崎湾口

    ねずみ島から見た長崎湾口=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐21‐0]

    撮影: 1874

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    崇福寺山門

    崇福寺山門=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐46‐0]

    撮影: 1874

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    海上からの出島パノラマ組写真

    梅香崎の長崎税関岸壁の先端あたりから撮影された出島のパノラマ組写真の右側。中央の大きな木造の橋は明治2年(1869)に架けられた新大橋で48.6mの長さがあった。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐51‐0]

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    上野彦馬邸と中島川

    上野彦馬邸と中島川=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号120‐12‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号120‐12‐0]

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    侍たち

    侍たち=1866年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐44‐0]

    撮影: 1866年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐44‐0]

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    諏訪神社旧中門

    明治中期(1887)頃の写真。諏訪神社中門の写真。諏訪神社は秋のくんちで有名な長崎の氏神である。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐28‐0]

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    大浦川上流より見る大浦川と大浦居留地

    大浦川上流より見る大浦川と大浦居留地=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐3‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐3‐0]

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    高鉾島

    戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真中央の島が高鉾島。右の半島の先が神埼鼻、左の突き出た先が女神。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐45‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐45‐0]

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    深崇寺鐘楼堂

    深崇寺鐘楼堂=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐27‐0]

    撮影: 1874

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    南山手外国人居留地

    南山手外国人居留地=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐3‐0]

    撮影: 1874

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    中島川と上野彦馬邸

    中島川と上野彦馬邸=1865年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐39‐0]

    撮影: 1865年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐39‐0]

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    大音寺中門

    大音寺中門=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐17‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐17‐0]

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    大音寺本堂

    元治元年(1864)頃、ベアトが撮影した寺町の大音寺本堂。僧職と武士、従者が撮影されているが、整理番号28-21の鐘楼を撮影後、移動して撮ったと思われる。ベアトは上野彦馬をこの境内で撮影している。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐26‐0]

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    長崎・高鉾島

    キーワード:高鉾島(PAPPENBERG)、舟、長崎湾=撮影年月日不明、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

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    大音寺中門

    大音寺中門=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号103‐3‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号103‐3‐0]

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    樺島湊

    樺島湊=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐23‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐23‐0]

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    松ヶ枝橋と大浦居留地

    松ヶ枝橋と大浦居留地=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐25‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐25‐0]

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    崇福寺楼門

    幕末から明治初期(1860-1870)に撮影された、崇福寺三門(楼門)。嘉永2年(1849)竜宮門造りに再建されているので、その門が撮影されている。竜宮門と呼ばれる。寺院の外門で、中央と左右に門戸があるのを三門という。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐14‐0]

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    長崎大光寺本堂

    内田九一撮影の大光寺と男性。同じアングルで上野彦馬が同じポーズをとりベアトが撮影した幕末の写真(整理番号66-27)が残されているが、長崎を来訪した九一がこの写真と同じポーズでこれを撮影したと推測される。同様の彩色写真(整理番号15-28, 66-2)も、同じ写真の無彩色(整理番号66-3)もコレクションの中にある。=明治5年頃、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐3‐0]

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    高鉾島

    高鉾島=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号120‐16‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号120‐16‐0]

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    本蓮寺の本堂

    本蓮寺の本堂=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐8‐0]

    撮影: 1874

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    高鉾島と貨物船

    高鉾島と貨物船=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐20‐0]

    撮影: 1874

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    伊勢の宮神社

    伊勢の宮神社=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐25‐0]

    撮影: 1874

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    二人のロシア海軍士官

    二人のロシア海軍士官=1866年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐48‐0]

    撮影: 1866年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐48‐0]

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    A.J.ボードインとオランダ通商会社の同僚たち

    上野彦馬のスタジオで撮影されたA.J.ボードイン(前列右)、友人のクルース(前列左)とオランダ通商会社(NHM)の同僚たち。=1867(慶応3)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐52‐0]

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    本蓮寺の本堂

    本蓮寺の本堂=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号103‐2‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号103‐2‐0]

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    中島川と高麗橋

    中島川と高麗橋=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐13‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐13‐0]

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    野母の観音寺

    野母の観音寺=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐32‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐32‐0]

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    上野の大仏

    上野忍ヶ丘の大仏山に鎮座する大仏様。殿舎(覆屋)が無いので、明治6年(1873)以降。臼井秀三郎の撮影なので明治15年(1882)前後の撮影と想像できる。大仏山手前の小径を左に辿れば、京橋采女町の築地精養軒の支店として明治6年(1873)4月に開店した上野精養軒がある。小径の左側に「精養軒支店」と書かれた案内看板が立つ。手前の道は黒門通り。右は東照宮の森である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:臼井秀三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号94‐47‐0]

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    中島川阿弥陀橋と高麗橋

    手前に阿弥陀橋、奥に高麗橋が写っている。上流から下流に向かって撮影されている。近くには上野彦馬邸があった。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐42‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐42‐0]

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    高鉾島

    高鉾島=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐7‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐7‐0]

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    諏訪神社旧中門

    英語で「寺の入り口」と書き込まれているが、長崎諏訪神社の旧中門である。上野彦馬のアルバムのなかの一枚である。明治10年代の撮影で、門の脇にまだ伊万里焼きの灯篭が置かれていない。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐15‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐15‐0]

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    高鉾島

    戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真中央の島が高鉾島。右の半島の先が神埼鼻、左の突き出た先が女神。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐50‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐50‐0]

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    大音寺中門

    大音寺中門=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐15‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐15‐0]

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    長崎西山松の森

    長崎西山松の森=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号103‐1‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号103‐1‐0]

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    東山手の十二番館

    東山手の十二番館=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐36‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐36‐0]

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    長崎・高鉾島

    キーワード:高鉾島、長崎湾=明治初期~中期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    撮影: 明治初期~中期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

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    中島川 上野彦馬撮影局

    キーワード:中島川、上野彦馬撮影局(所)撮影、白壁の屋敷、写真=明治初期~中期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

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    飽の浦恵美須神社

    上野彦馬による稲佐飽の浦から長崎港のパノラマ写真の一部。もともとのオリジナルは四つ切り四枚で構成されていて、これは向かって一番左の写真。神社の裏から長崎港を望んでいる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐16‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐16‐0]

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    中島川風景伊勢神社辺り

    伊勢町の長崎聖堂の前辺りからのアングル。上流に向けて撮影している。近くには上野彦馬の邸宅があった。変わった形のこの石灯籠は現存しない。中島川と西山川との合流地点に同じような石灯籠が置いてある。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐41‐0]

    撮影: 撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐41‐0]

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    松の森神社側から本河内を望む

    左手の松の茂みが松の森神社で、右手の町並みは新大工町である。真ん中の片淵は田んぼだらけでまだ建物がない。ここには、明治15年(1882)年から41年(1908)の間、長崎監獄が建ち、その左手には、明治38年(1905)3月に、長崎高等商業学校(現長崎大学経済学部)が建設される。新大工町右手の伊勢町中島には、上野彦馬邸の蔵と明治5年(1872)頃に建てられた新しい二階建ての白い写場が遠望される。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐6‐0]

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    飽の浦恵美須神社

    明治7年(1874)8月20日の書き込みあり。飽の浦恵美須神社の境内越しに長崎港を遠望している。神社の境内には台風で荒らされた跡が見える。海岸には沢山の和船が係留されている。神社の左右が飽の浦の集落、左奥に水の浦、その先に大鳥崎、稲佐崎の岬がある。大鳥崎の先に丸尾海岸の海軍埋め立て地の建物が見える。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐18‐0]

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