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「代将」の写真・グラフィックス・映像
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-芝増上寺文昭院霊廟勅額門第六代将軍家宣の霊廟文昭院。 階段の前で頭を下げる男たちの真中にいるの武家らしい。 両端の二人は従者であろう。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐5‐0]
商品コード: 2017080201343
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-芝増上寺文昭院勅額門内側六代将軍家宣の霊廟文昭院の勅額門を内側から撮った写真。本柱と前柱の間には鳳凰の彫刻が施されている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号36‐21‐0]
商品コード: 2017080902248
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-芝増上寺将軍霊廟回廊増上寺にあった歴代将軍の霊廟をつなぐ回廊。金箔をふんだんに用い、手の込んだ透かし彫りの技術を駆使した贅沢な作りは、東照宮などと同じ様式。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐65‐0]
商品コード: 2017080902305
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-芝公園 二代将軍御霊家奥の院キーワード:二代将軍御霊家奥の院、徳川家霊廟=明治後期、東京、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2019013021871
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-浜離宮隅田川河口にあるこの地はもともと将軍家の鷹狩り場であったが、六代将軍家宣の西丸御屋敷となり、御浜御殿と称された。かつては三方を海に囲まれた菱形の庭園であった。=撮影年月日不明、東京、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号36‐26‐0]
商品コード: 2017080902277
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-芝増上寺有章院鐘楼七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以後の将軍は、八代将軍吉宗の遺命により既存の霊廟に合祀する形で奥院だけを造るようになる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐5‐0]
商品コード: 2017081401032
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-芝増上寺五重の石塔二代将軍秀忠(台徳院)霊廟奥院中門脇に立てられていた石塔である。石塔前に配された女性と比較すると高さは約5m程と思われる。左端に僅かに写るのが秀忠の木製宝塔の覆屋を囲む玉垣の一部である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐34‐0]
商品コード: 2017081401461
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-芝増上寺有章院勅額門内側七代将軍家継の霊廟有章院の勅額門の内側。父親の家宣の霊廟と比べるといくぶん簡略化されているとはいえ、金箔をふんだんに用いた豪華な浮き彫りがふんだんに用いられている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号36‐22‐0]
商品コード: 2017080902336
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-浜離宮汐入の池北岸にあった燕の茶屋である。十一代将軍家斉の時代に造られたもので、釘隠しが燕の形であったからとも燕子花の形であったから名付けられたともいう。家斉の時代は浜御殿が最も整備された時代で、この茶屋の他にも松の茶屋・鷹の茶屋などが建てられている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐31‐0]
商品コード: 2017081401142
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-亀戸天神の藤棚藤棚で有名な亀戸天神。正面に見える木製の太鼓橋が有名だったが、現在は立て替えられている。本殿その他を寄進して現在の姿の基礎を作ったのは四代将軍家綱である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐45‐0]
商品コード: 2017080902146
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-‘Officer of the 87th‘Officer of the 87th, Royal Irish, Fusiliers. Illustration by L. Mansion and L. Eschauzier for ‘‘Military and Naval Costumes‘‘, London, 1830-1840.‘、クレジット:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ※エディトリアル使用のみ。広告、プロモーション、商業目的での利用に関してはお問合せください。
商品コード: 2019091100706
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-鶴岡八幡宮
画面には‘№531 KAMAKURA.'の印字がある。向かって左手には三代将軍源実朝の暗殺にまつわる伝説で名高い大銀杏(いちょう)があり(現神奈川県指定天然記念物)、その反対側にはソテツが植わる。年代推定等については目録番号4674の解説に同じ。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐79‐0]
商品コード: 2017081600891
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-池上本門寺
中央の五重塔は二代将軍秀忠が祈願で病が平癒したお礼にと寄進し、慶長13年(1608)に棟上式をあげた。慶長19年(1614)に地震で傾いていたので、五代将軍綱吉の命で、元禄14年(1701)に現在の場所に移築され改修された。初層は和洋であるが、二層より上は唐様(からよう)の造りという珍しい塔。平成13年(2001)に全面修復が完工した。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐14‐0]
商品コード: 2017081002606
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-日光東照宮の上神庫と唐銅鳥居画面右の上神庫は校倉造りを模した建物で百物揃千人行列の装束など祭礼道具を納めている。画面左端は鍋島藩が奉納した御水舎(おみずや)。その右が三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。日本初の青銅製鳥居である。その奥の二層屋根は経典を納める輪蔵(りんぞう)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号62‐6‐0]
商品コード: 2017082300970
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-日光東照宮唐銅鳥居付近画面左端は三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。唐銅鳥居の右上に鼓楼。その右下が釣灯籠。画面中央に日光東照宮で最も有名な建物である陽明門。その奥に日光東照宮の本社がある。陽明門の右に鼓楼と対をなす鐘楼が見える。右端に上神庫(かみじんこ)の一部が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐12‐0]
商品コード: 2017082301042
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-王子の茶屋右が料亭の扇屋で音無川を挟んで左手が庭。扇屋は慶安元年(1648)初代弥左衛門が掛茶屋を出したのが始まりとのこと(扇屋パンフレットによる)。三代将軍徳川家光の時代である。当代早船武彦氏は十四代目とのこと。現在は鉄筋コンクリート5階建てのビルとなり、2階が扇屋である。1階入口に門構えだけ残している。明治中期。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐3‐0]
商品コード: 2017081400907
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-日光大猷院皇嘉門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の奥院への入り口。宮中大内裏外郭十二門の名前のひとつをとった皇嘉門は中国明朝の建築様式を模しており、別名「竜宮門」とも呼ばれている。門の天井には艶やかな天女の絵が描かれている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐5‐0]
商品コード: 2017081002673
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-日光大猷院二天門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の境内にあり、仁王門の次にくぐる門。後水尾天皇の筆による「大猷院」の額が掲げられている。門の表側に「持国天」と「広目天」の二天がまつられており、裏側には「風神」「雷神」が安置されている。日光山内で最大の門。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐21‐0]
商品コード: 2017081400776
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-芝増上寺有章院霊廟中門七代将軍家継の霊廟。左端にあるのが拝殿中門である。中央やや右寄りに映っている建物は鐘楼。水盤舎のあたりからの撮影。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐37‐0]
商品コード: 2017080400643
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-日光東照宮奥社宝塔
日光東照宮の奥社宝塔には徳川家康の神柩(しんきゅう)が納められている。木造から石造に替えられた宝塔は、天和3(1683)年の大地震で破損したため、五代将軍綱吉が唐銅(からがね)製に造り替えた。左手前にある鶴の燭台や香炉、花瓶は朝鮮国王から贈られた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐41‐2]
商品コード: 2017081002691
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-日光東照宮奥社鋳抜の門と宝塔徳川家康の墓所である日光東照宮の奥社を写したもの。石段の上に鋳抜門(いぬきもん)があり、奥に家康の神柩(しんきゅう)を納めた宝塔が見える。鋳抜門は柱や梁がひとつの鋳型で作られたことからそう呼ばれている。宝塔は五代将軍綱吉が石造りから唐銅製に造り替えた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号89‐11‐0]
商品コード: 2017081400827
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-池上本門寺元禄年間(1688~1704)年に建造の総門(現存)を入り、加藤清正が寄進して元禄年間(1596~1615)に造られた石段を上り、慶長13年(1603)二代将軍徳川秀忠が五重塔と共に建立した三門を潜った所から右側を見ると、この写真の風景になる。左は大太鼓の納められていた鼓楼。三門も鼓楼も戦災で焼失。五重塔は焼けずに現存。関東で最古の五重塔である。高さ29、5m。国の重要文化財。明治中期。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐19‐0]
商品コード: 2017081400637
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-芝増上寺有章院霊廟勅額門増上寺は浄土宗六大本山のひとつで、徳川家の菩提寺。有章院は七代将軍徳川家継の法号。勅額門は銅板葺で軒唐破風、側面は千鳥破風の四脚唐門。正面からの撮影(整理番号22-9および整理番号27-2を見よ)。開いた門から拝殿中門が見える。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐44‐0]
商品コード: 2017080902744
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-王子滝野川の紅葉三宝寺池・石神井池・富士見池などを源とする緩やかな流れの石神井川が、台地を貫いて流れる王子附近では、急流になり滝のように轟いたことから王子附近では滝野川と呼ばれていた。一方で音無川とも呼ばれる。紀州の音無川に因み名付けたとのこと。この地に享保6年(1721)、八代将軍徳川吉宗が100本の紅葉を植えることを命じたことで、滝野川は紅葉の名所となった。紅葉を愛でる女性が一人佇む。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐12‐0]
商品コード: 2017091301349
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-音羽護国寺五代将軍綱吉が生母桂昌院のために天和元年(1681)に建てた寺。神齢門と護国寺門の二つの山門があるが、写真は音羽通り側の神齢門付近から本堂に向かって境内を撮したもの。石段の向こうに中門、そして本堂の屋根瓦が見える。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐33‐0]
商品コード: 2017080200779
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-蒲田梅園広重の「江戸名所百景」にも描かれた梅の名所。十二代将軍家慶、十四代将軍家茂も訪れたといわれる。中央にぽっくりを履いた少女が2人、奥の茶屋にも何人かの人物が見える。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐17‐0]
商品コード: 2017080902279
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-芝増上寺文昭院霊廟拝殿六代将軍家宣の霊廟。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号24‐31‐0]
商品コード: 2017080400589
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-Military uniforms. France. 18th century. First Empire. Officer of the Horse Chasseurs of the Imperial Guard. Color engraving, 19Military uniforms. France. 18th century. First Empire. Officer of the Horse Chasseurs of the Imperial Guard. Color engraving, 19th century.、クレジット:Album/Prisma/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。
商品コード: 2019101705237
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-池上本門寺
中央の五重塔は二代将軍秀忠が祈願で病が平癒したお礼にと寄進し、慶長13年(1608)に棟上式をあげた。慶長19年(1614)に地震で傾いていたので、五代将軍綱吉の命で、元禄14年(1701)に現在の場所に移築され改修された。初層は和洋であるが、二層より上は唐様(からよう)の造りという珍しい塔。平成13年(2001)に全面修復が完工した。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐27‐0]
商品コード: 2017081002623
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-Charles Cornwallis, 1st Marquess Cornwallis (1738-1805). British Army officer. Engraving. Colored.Charles Cornwallis, 1st Marquess Cornwallis (1738-1805). British Army officer. Engraving. Colored.、クレジット:Album/Prisma/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。
商品コード: 2020070810770
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-芝増上寺有章院奥院唐門七代将軍家継の霊廟である有章院の奥院唐門。朱と金箔をふんだんに用いた贅沢な作りが、将軍家の栄華を現代に伝えている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐47‐0]
商品コード: 2017080902737
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-Unknown (American), Medal Commemorating 100th Gen.Unknown (American), Medal Commemorating 100th Gen. Assembly of Presbyterian Church, Philadelphia, 1888, bronze, Overall: 2 inches (5.1 cm).、クレジット:Album/quintlox/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。
商品コード: 2022102710830
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-日光大猷院二天門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の境内にあり、仁王門の次にくぐる門。後水尾天皇の筆による「大猷院」の額が掲げられている。門の表側に「持国天」と「広目天」の二天がまつられており、裏側には「風神」「雷神」が安置されている。日光山内で最大の門。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐22‐0]
商品コード: 2017082300884
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-日光大猷院二天門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の境内にあり、仁王門の次にくぐる門。後水尾天皇の筆による「大猷院」の額が掲げられている。門の表側に「持国天」と「広目天」の二天がまつられており、裏側には「風神」「雷神」が安置されている。日光山内で最大の門。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐22‐0]
商品コード: 2017081400789
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-日光大猷院拝殿三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の拝殿。大猷院は拝殿、相の間(中殿)、本殿が連なる建築物である。拝殿の広さは64畳。天井には狩野派一門の作と伝わる140の竜の絵がある。画面の右に法要の際に将軍が着座するための相の間(中殿)が見える。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐23‐0]
商品コード: 2017081400711
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-王子滝野川の紅葉享保5~6年(1720~21)頃、この地に遊んだ八代将軍徳川吉宗は、王子権現や音無川の由来が自らの故郷である紀州にあることを知り大層喜んだ。それで飛鳥山には吉野桜を、滝野川には紅葉を植えさせ花の名所とした。以後、王子一帯は江戸市民の行楽地となったのである。明治中期。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐34‐0]
商品コード: 2017081401259
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-皇居吹上御苑享保10年(1725)頃、八代将軍徳川吉宗が半蔵門北側の吹上御苑一帯に竹を植えたとされる。幕府財政逼迫の際で、実用になる竹が選ばれたという。現在も半蔵門を入ると孟宗竹の林が残されている。昭和天皇は春にここで竹の子狩りを楽しんでおられたそうである。明治10年代の撮影か。=撮影年月日不明、東京、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐6‐0]
商品コード: 2017082400635
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-日光東照宮奥社宝塔
日光東照宮の奥社宝塔には徳川家康の神柩(しんきゅう)が納められている。木造から石造に替えられた宝塔は、天和3(1683)年の大地震で破損したため、五代将軍綱吉が唐銅(からがね)製に造り替えた。右手前にある鶴の燭台や香炉、花瓶は朝鮮国王から贈られた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐38‐0]
商品コード: 2017081002692
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-日光東照宮奥社宝塔
日光東照宮の奥社宝塔には徳川家康の神柩(しんきゅう)が納められている。木造から石造に替えられた宝塔は、天和3(1683)年の大地震で破損したため、五代将軍綱吉が唐銅(からがね)製に造り替えた。手前にある鶴の燭台や香炉、花瓶は朝鮮国王から贈られた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐14‐0]
商品コード: 2017081002688
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-日光東照宮奥社鋳抜の門と宝塔徳川家康の墓所である日光東照宮の奥社を写したもの。石段の上に鋳抜門(いぬきもん)があり、奥に家康の神柩(しんきゅう)を納めた宝塔が見える。鋳抜門は柱や梁がひとつの鋳型で作られたことからそう呼ばれている。宝塔は五代将軍綱吉が石造りから唐銅製に造り替えた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号50‐13‐0]
商品コード: 2017080903365
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-日光東照宮奥社鋳抜の門と宝塔徳川家康の墓所である日光東照宮の奥社を写したもの。石段の上に鋳抜門(いぬきもん)があり、奥に家康の神柩(しんきゅう)を納めた宝塔が見える。鋳抜門は柱や梁がひとつの鋳型で作られたことからそう呼ばれている。宝塔は五代将軍綱吉が石造りから唐銅製に造り替えた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐21‐0]
商品コード: 2017081400778
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-芝増上寺有章院霊廟勅額門増上寺は浄土宗六大本山のひとつで、徳川家の菩提寺。有章院は七代将軍徳川家継の法号。勅額門は銅板葺で軒唐破風、側面は千鳥破風の四脚唐門。右手前からの撮影(整理番号22-9 および整理番号42-44を見よ)。左隅、塀越しに見えるのは水盤舎の屋根。=撮影年月日不明、東京、撮影者:[スチルフリ-ド]、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号27‐2‐0]
商品コード: 2017080902068
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-芝増上寺有章院霊廟勅額門増上寺は浄土宗六大本山のひとつで、徳川家の菩提寺。有章院は七代将軍徳川家継の法号。勅額門は銅板葺で軒唐破風、側面は千鳥破風の四脚唐門。左手前からの撮影(整理番号27-2および整理番号42-44を見よ)。右手、塀越しに鐘楼が見える。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号22‐9‐0]
商品コード: 2017080400466
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-芝増上寺タイトルに 「二代将軍霊廟」 とある。 秀忠の霊廟台徳院の門前である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐24‐0]
商品コード: 2017080200857
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-芝増上寺有章院霊廟勅額門文昭院に北側にあった七代将軍家継の霊廟。 勅額門は銅板葺で軒唐破風、 側面は千鳥破風の四脚唐門。 柱には龍が巻きついた彫刻が見える。 中央に立つ二人の女性との対比から門の大きさがうかがえる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号4‐1‐0]
商品コード: 2017080200884
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-芝増上寺昭徳院奥院中門と宝塔
欄外に「東京にある将軍の墓所」とドイツ語で書き込まれている。これは東京芝の増上寺境内にある昭徳院(徳川十四代将軍家茂)の墓所の中門と宝塔である。震災で消失したものであるが、往時の中門の豪壮な彫刻がみれる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号1‐48‐0]
商品コード: 2017080200692
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-芝増上寺有章院拝殿中門英文のタイトルには 「銅の門扉と家継の墓」 とある。 七代将軍家継は家宣の子で、 五歳で将軍就任し、 八歳で病没した。 霊廟は父の文昭院の隣に建てられた。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号4‐3‐0]
商品コード: 2017080200819
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-日光東照宮唐銅鳥居からの陽明門画面手前が唐銅鳥居。唐銅鳥居は三代将軍家光の建てた日本初の青銅製鳥居である。唐銅鳥居をとおして釣灯籠を納める燈台穂屋が見える。石段を上ると突き当たるのが、日光東照宮で最も有名な建物である陽明門。陽明門の奥に本社がある。唐銅鳥居の高さは6メートルある。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐8‐0]
商品コード: 2017082301148
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-芝増上寺の水盤舎六代将軍家宣(文昭院)霊廟本殿の前面部分を北東方向から撮影したものである。勅額門を入った本殿前のこの区画には左手に水屋・井戸屋形、右手に鐘楼が配され、正面に左右廊を付けた向唐破風造の中門があった。中門は背面に伸びる前廊と一体となり拝殿に通じていた。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐15‐0]
商品コード: 2017081400710
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-日光東照宮唐銅鳥居付近東照宮境内の御水舎(おみずや)の脇に建つ唐銅鳥居をとうして陽明門を見ている。唐銅鳥居は三代将軍家光の建てた日本初の青銅製鳥居である。画面左端の建物は鼓楼。その右隣に釣灯籠を納める燈台穂屋。陽明門の奥に唐門の一部が覗ける。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐38‐0]
商品コード: 2017081400896
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-池上本門寺本門寺は日蓮入滅の地に正応元年(1288)建立された日蓮宗本山である。奥に写る五重塔は二代将軍秀忠が慶長12年(1607)に建立した。和様・唐様折衷の桃山期の建築様式を伝える唯一の五重塔であり、都内に現存する最古の五重塔である。手前の建物は大太鼓の納められている鼓堂である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐2‐0]
商品コード: 2017081400966
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-日光東照宮御水舎画面中央の白い建物は元和4(1618)年に鍋島藩が奉納した花崗岩の水盤がある御水舎(おみずや)。その右隣は経典を納める輪蔵(経蔵)。右手前は三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。日本で最初の青銅製鳥居である。唐銅鳥居をくぐり、石段を上ると陽明門の前に出る。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐10‐0]
商品コード: 2017081400793
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-芝増上寺将軍霊廟六代将軍家宣の霊廟、文昭院拝殿中門。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号24‐19‐0]
商品コード: 2017080400551
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-FRANCO-PRUSSIAN WAR: BEFORE PARIS: AN OFFICER‘S FUNERAL FOR GOD, KING, AND FATHERLAND, 1870.FRANCO-PRUSSIAN WAR: BEFORE PARIS: AN OFFICER‘S FUNERAL FOR GOD, KING, AND FATHERLAND, 1870.、クレジット:Album/quintlox/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。
商品コード: 2020071406396
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-芝増上寺七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以後の将軍は、八代将軍吉宗の遺命により既存の霊廟に合祀する形で奥院だけを造るようになる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐38‐0]
商品コード: 2017082400174
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-日光東照宮奥社鋳抜の門と宝塔徳川家康の墓所である日光東照宮の奥社を写したもの。石段の上に鋳抜門(いぬきもん)があり、奥に家康の神柩(しんきゅう)を納めた宝塔が見える。鋳抜門は柱や梁がひとつの鋳型で作られたことからそう呼ばれている。宝塔は五代将軍綱吉が石造りから唐銅製に造り替えた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐17‐0]
商品コード: 2017081400808
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-向島の桜隅田川を挟んで浅草の反対側の地域を向島という。規定があるわけではないが、まあ木母寺(もくぼじ)の辺りから枕橋の辺りまでを向島と俗称するようである。向島の隅田川沿いの堤防は墨田堤と呼ばれ、また墨堤(ぼくてい)とも称された。その墨堤には八代将軍徳川吉宗により享保年間(1716~1736)に桜が植えられ、以後度々若木が捕植されてきた。そして江戸一番の花見の名所となった。明治30年頃。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐40‐0]
商品コード: 2017081002624
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-池上本門寺元禄年間(1688~1704)年に建造の総門(現存)を入り、加藤清正が寄進して元禄年間(1596~1615)に造られた石段を上り、慶長13年(1603)二代将軍徳川秀忠が五重塔と共に建立した三門を潜った所から右側を見ると、この写真の風景になる。左は大太鼓の納められていた鼓楼。三門も鼓楼も戦災で焼失。五重塔は焼けずに現存。関東で最古の五重塔である。高さ29、5m。国の重要文化財。明治中期。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐2‐0]
商品コード: 2017081002588
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-(とくがわ・よしのぶ) 徳川慶喜江戸幕府第15代将軍=撮影年月日不明、場所不明、クレジット:国立国会図書館所蔵画像/共同通信イメージズ
商品コード: 2017080202259
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-日光大猷院夜叉門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の二天門から急な長い石段を上ると4体の夜叉を祀るこの夜叉門の前に出る。夜叉の体はそれぞれ4色に塗られ、東西南北を表している。門には牡丹唐草の彫刻がほどこされていることから、別名「牡丹門」とも呼ばれる。=撮影年月日不明、大津、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐14‐0]
商品コード: 2017082301087
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-日光大猷院唐門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の境内にある門。大猷院とは家光の死後、後光明(ごこうみょう)天皇が授けた法号である。仁王門、二天門、夜叉門の次が唐門である。唐門は高さ3メートル、間口1.8メートル。大猷院の中で最小にして最も繊細優美な門である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐41‐0]
商品コード: 2017081400858
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-日光大猷院唐門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の境内にある門。大猷院とは家光の死後、後光明(ごこうみょう)天皇が授けた法号である。仁王門、二天門、夜叉門の次が唐門である。唐門は高さ3メートル、間口1.8メートル。大猷院の中で最小にして最も繊細優美な門である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐99‐0]
商品コード: 2017081401646
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-日光大猷院唐門と拝殿三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の唐門と拝殿。大猷院とは家光の死後、後光明(ごこうみょう)天皇が授けた法号である。高さ3メートル、間口1.8メートルの唐門は大猷院の中で最小にして最も繊細優美な門である。拝殿は64畳の広さがある。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐34‐0]
商品コード: 2017082301105
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-芝増上寺将軍霊廟九代将軍家重(諄信院)の宝塔前に設けられた門である。八代将軍吉宗から、新たな霊廟を建設しなくなったため、諄信院の奥院は、有章院奥院に付設された。増上寺将軍家霊廟の中では最も北側に位置していた。=撮影年月日不明、東京、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐33‐0]
商品コード: 2017081401283
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-日光大猷院二天門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の境内にあり、仁王門の次にくぐる門。後水尾天皇の筆による「大猷院」の額が掲げられている。門の表側に「持国天」と「広目天」の二天がまつられており、裏側には「風神」「雷神」が安置されている。日光山内で最大の門。=撮影年月日不明、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐47‐0]
商品コード: 2017081401243
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-有障院宝塔キーワード:東京、芝、増上寺、有障院宝塔、徳川七代将軍、徳川家継、霊廟=明治初期、東京、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2019020417644
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-芝増上寺文昭院霊廟仕切門英語で「東京芝の寺」と説明されているが、これは東京芝の増上寺境内にあった文昭院(徳川六代将軍家宣)の墓所の入り口にあった仕切門である。霊廟入り口の往時の雰囲気がうかがえる。門番と思われる男性には髷が残っている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐23‐0]
商品コード: 2017080200772
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-芝増上寺有章院霊廟拝殿向拝
写真内に「東京、芝の寺の内部」と英文で書き込まれている。これは東京芝の増上寺境内にある有章院(徳川七代将軍家継)の墓所にあった拝殿内部の拝礼場所である。震災で消失する以前の内部の絢爛さがうかがえる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐32‐0]
商品コード: 2017080200766
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-日光東照宮の上神庫と唐銅鳥居画面右の上神庫は校倉造りを模した建物で百物揃千人行列の装束など祭礼道具を納めている。画面左端は鍋島藩が奉納した御水舎(おみずや)。その右が三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。日本初の青銅製鳥居である。その奥の二層屋根は経典を納める輪蔵(りんぞう)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐10‐0]
商品コード: 2017082400638
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-Charles Cornwallis, 1st Marquess Cornwallis (1738-1805). British Army officer. Engraving.Charles Cornwallis, 1st Marquess Cornwallis (1738-1805). British Army officer. Engraving.、クレジット:Album/Prisma/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。
商品コード: 2020070810801
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-増上寺キーワード:東京、芝、増上寺、芝増上寺文昭院霊廟拝殿、六代将軍家宣の霊廟=撮影年月日不明、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2018111234466
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-湯島昌平黌五代将軍吉綱の発意により湯島(昌平坂)に元禄4年忍岡から聖堂が移転、昌平こうを併設し、儒学の最高学府とした。1868年、新政府に接収され、昌平学校、大学校と改称、明治4年に閉鎖。手前には神田川が流れている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号22‐16‐0]
商品コード: 2017080400472
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-芝増上寺有章院鐘楼七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以後の将軍は、八代将軍吉宗の遺命により既存の霊廟に合祀する形で奥院だけを造るようになる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐42‐0]
商品コード: 2017081002668
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-Pedro Menendez de Aviles (1519-1574).Pedro Menendez de Aviles (1519-1574). Spanish naval officer and conqueror. Engraving in Spanish and American Illustration, 1880. Colored.、クレジット:Album/Prisma/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。
商品コード: 2020050100187
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-日光東照宮唐銅鳥居付近画面左端は元和4(1618)年に鍋島藩が奉納した花崗岩の水盤がある御水舎(おみずや)。その右隣の建物は輪蔵(りんぞう)で、仏教の経典を納める経蔵である。中央手前に、三代将軍家光の建てた日本初の青銅製鳥居である唐銅鳥居。右上奥に鼓楼。その右下は釣灯籠。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐6‐2]
商品コード: 2017081002665
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-日光東照宮唐銅鳥居からの陽明門東照宮境内の御水舎(おみずや)の脇から唐銅鳥居をとうして陽明門を見ている。唐銅鳥居は三代将軍家光の建てた日本初の青銅製鳥居である。画面左端の建物は鼓楼。その右隣に釣灯籠を納める燈台穂屋。画面右端の建物は鐘楼。陽明門の奥が日光東照宮の本社である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐41‐0]
商品コード: 2017081002685
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-亀戸天神太宰府天満宮及び北野天満宮とこの亀戸天満宮(現亀戸天神社)は、共に菅原道真公を祀り三天神と呼ばれる。大宰府の別当だった菅原大鳥居信祐(すがわらおおとりいのぶすけ)が飛梅の木で御身体を彫り、寛文元年(1661)に本所の東の一角に安置したのが起源とされる。寛文2年(1662)四代将軍家綱が土地を寄進し、社殿・楼門・心字池・太鼓橋などが大宰府を模して造営された。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号51‐39‐0]
商品コード: 2017081002301
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-日光大猷院の仁王門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の入口にある門。大猷院とは家光の死後、後光明(ごこうみょう)天皇が授けた法号である。仁王門は高さ3.2メートルの2体の仁王像、「那羅延(ならえん)金剛」と、この写真の「蜜迹(みつしゃく)金剛」で守られている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐43‐0]
商品コード: 2017081401497
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-日光大猷院夜叉門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の二天門から急な長い石段を上ると4体の夜叉を祀るこの夜叉門の前に出る。夜叉の体はそれぞれ4色に塗られ、東西南北を表している。門には牡丹唐草の彫刻がほどこされていることから、別名「牡丹門」とも呼ばれる。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐48‐0]
商品コード: 2017081401266
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-日光大猷院の仁王門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の入口にある門。大猷院とは家光の死後、後光明(ごこうみょう)天皇が授けた法号である。仁王門は高さ3.2メートルの2体の仁王像、「蜜迹(みつしゃく)金剛」と、この写真の「那羅延(ならえん)金剛」で守られている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐42‐0]
商品コード: 2017081401390
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-日光大猷院夜叉門三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の二天門から急な長い石段を上ると4体の夜叉を祀るこの夜叉門の前に出る。夜叉の体はそれぞれ4色に塗られ、東西南北を表している。門には牡丹唐草の彫刻がほどこされていることから、別名「牡丹門」とも呼ばれる。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐36‐0]
商品コード: 2017081002696
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-芝増上寺有章院霊廟中門左右廊内部七代将軍家継の霊廟。閂のあるのが中門扉で、拝殿に通じている。左右対称につづく廊は、羽目に花鳥の彫刻、欄間には波の透彫が施され、天井は極彩色の化粧屋根裏であるなど、華麗な造りとなっている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐41‐0]
商品コード: 2017080400547
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-日光大猷院仁王門の那羅延金剛三代将軍・徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」の入口にある仁王門を守る2体の仁王像のひとつ「那羅延(ならえん)金剛」。大猷院とは家光の死後、後光明(ごこうみょう)天皇が授けた法号である。仁王像のもう1体は「蜜迹(みつしゃく)金剛」である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐46‐0]
商品コード: 2017081401244
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-日光東照宮奥社宝塔
日光東照宮の奥社宝塔には徳川家康の神柩(しんきゅう)が納められている。木造から石造に替えられた宝塔は、天和3(1683)年の大地震で破損したため、五代将軍綱吉が唐銅(からがね)製に造り替えた。左手前にある鶴の燭台や香炉、花瓶は朝鮮国王から贈られた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐41‐0]
商品コード: 2017081401362
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-芝増上寺有章院霊廟二天門東京芝増上寺の有章院は第七代将軍徳川家継(いえつぐ)の霊廟である。家継は父・家宣(いえのぶ)の跡を3歳で将軍職に就き、8歳で亡くなった。有章院の建造物群は日光東照宮に劣らぬ豪華さを誇ったが、昭和20(1945)年の空襲で大半を消失。このニ天門のみが残った。=撮影年月日不明、東京、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐31‐0]
商品コード: 2017081401358
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-芝増上寺台徳院宝塔英語で「芝の寺の漆が塗られた墓」と解説されている。これは東京芝の増上寺境内にあった台徳院(徳川二代将軍秀忠)の墓所における宝塔である。この宝塔の中に家忠の遺体が安置されていた。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号4‐4‐0]
商品コード: 2017080200886
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1904年12月31日浅草寺
この観音堂(本堂)は三代将軍徳川家光が慶安2年(1649)に再建したもの。構造は高欄三手先造(こうらんみてさきづくり)というそうだ。仁王門楼上から鳩が飛び立った瞬間を撮影。昭和20年(1945)3月10日の大空襲で焼失。現在の観音堂は昭和33年(1958)10月17日に再建されたもの。ポンティング(Herbert George Ponting)撮影で明治37年(1904)発行のステレオ写真。=1904(明治37)年、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐69‐0]
商品コード: 2017081501515
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1910年12月31日Gate of the 7th Tokugawa Shogun, Shiba Park, TokyoGate of the Mausoleum (Ancestral Hall) of the 7th Tokugawa Shogun in Shiba Park, Tokyo, Japan. Date: 1910s、クレジット:Grenville Collins P/Mary Evans Picture Library/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。
商品コード: 2021052610821
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1929年04月11日日本電報通信社資料
上野寛永寺に祭られている8代将軍徳川吉宗公を東照宮に合祀する祭典に参列する徳川家逹(いえさと)公(傘の下)=1929(昭和4)年4月11日(日本電報通信社撮影)
商品コード: 1929041100004
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1929年04月11日日本電報通信社資料15代将軍徳川慶喜公に抱かれる喜久子さん=1929(昭和4)年4月11日(日本電報通信社撮影)
商品コード: 2011041800217
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1945年12月13日イーストウッド代将連合軍総司令部参謀副長のH・E・イーストウッド代将=整理1945(昭和20)年12月13日(20年内地番号なし)
商品コード: 2014090200173
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1945年12月15日GHQが国家神道の禁止を指令連合軍司令部(GHQ)は15日指令を発し、神道の国家からの分離と学校教育からの排除、軍国主義的・超国家主義的性格の除去を命じた。写真は指令の意図と詳細について記者団に説明するGHQ民間情報教育局長カーミット・R・ダイク(Kermit R. Dyke)代将(中央)=1945(昭和20)年12月15日
商品コード: 2008092400147
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1946年02月25日ボジェンコ代将ボジェンコソ連海軍代将=整理1946(昭和21)年2月25日(連番号なし)
商品コード: 2015012000497
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1946年05月16日ブロドフォード代将騎兵師団長のウイリアム・ブロドフォード代将=整理1946(昭和21)年5月16日(連番号なし)
商品コード: 2015012000228
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1947年05月18日米貿易視察団が来朝5月12日に来日した米貿易視察団一行。左から2人目が団長のジョージ・エバール代将(名前詳細は連合軍縮刷版参照)=1947(昭和22)年5月(撮影日不明、縮刷版では18日の記入あり)(22年内地番号なし 連287 旧連1290)
商品コード: 2014082100253
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1948年04月16日ノース少将使節団一行来朝ノース少将使節団の(前列左から)ウイリアム・C・ベーカー大佐、ウイリアム・W・ハリス大佐、ダニエル・ノース少将、エドガー・E・ヒューム大佐、(後列左から)サウル・バラン代将、ディーン・ボウマン代将、ジョージ・C・デュー中佐、レックス・E・グリーブス代将、ロイ・T・モンエア中佐、W・W・バーハム少佐、ウォルター・A・ルードリン代将=整理1948(昭和23)年4月166日、東京の帝国ホテル(連番号なし)
商品コード: 2016040600207
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1948年05月20日工業標準資料贈呈贈呈式でオブライエン代将より工業標準資料を受ける久保局長=整理1948(昭和23)年5月20日、場所不明(旧連2023)
商品コード: 2017041700387
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1950年02月11日米水陸両用部隊代将が来日羽田に着いた米太平洋艦隊所属水陸両用部隊訓練隊長フェラース代将(中央)=1950(昭和25)年2月11日(旧連4146)
商品コード: 2013080200489
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1976年10月23日足利義満の位牌 山村から足利義満の位牌荒井泉さんが先祖のものと思いこんで守ってきた位牌(いはい)。金閣寺の西田丞元禅師の鑑定で室町幕府三代将軍、足利義満の位牌と判明=1976(昭和51)年10月、山梨県北都留郡上野原町
商品コード: 2014021700386
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1978年03月27日小御所の上中下段の間 御所訪問[京都御所]小御所の上中下段の間 主に将軍家の使者や、諸大名との対面室。また、歌会始、東宮御元服、立太子礼などが行われ、別名「御元服御殿」。書院造りと寝殿造りの混合様式で上・中・下段に分かれ、各部屋は18畳敷き。紫宸殿の東北にある。ここで慶応3(1867)年12月9日夜、小御所会議が天皇出席のもとに開かれ、15代将軍徳川慶喜の処罰を決め、王政復古の大号令が発せられた(「御所訪問」3回続きの<上>)(53年内地 2926)
商品コード: 2015060800170
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