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「六祖壇経」の写真・グラフィックス・映像

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  •  (20)肇慶市の禅宗古刹、梅庵を訪ねて広東省
    2021年02月26日
    (20)肇慶市の禅宗古刹、梅庵を訪ねて広東省

    21日、梅庵禅脈堂内に展示されている六祖壇経。中国広東省肇慶(ちょうけい)市の西郊外にある梅庵は、同市の禅宗古刹として知られる。北宋の至道2(996)年の創建で、千年余りの歴史を持つ。同省最古の木造建築の一つとされ、中でも大雄宝殿は、梁(はり)や斗栱(ときょう、ますぐみ)が宋代の建築様式をとどめることから「千年の古庵、国の至宝」とたたえられる。言い伝えによると、唐代に禅宗六祖の慧能(えのう)が当時端州と呼ばれた同市を訪れた際、城の西側の丘に庵を結んで梅を植え、錫杖(しゃくじょう)で井戸を掘った。その後、智遠という僧が六祖を記念して同地に梅庵を建てた。敷地面積は5千平方メートルで、建築面積は1400平方メートル。山門前には慧能が掘ったとされる井戸が残る。「六祖井」または「六祖甘泉」と呼ばれ、同市の市街地で最も古い井戸とされる。1996年に全国重点文物保護単位(国宝・重要文化財に相当)に指定された。(肇慶=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年2月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021022607938

  •  (8)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (8)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    大雄宝殿の内部に置かれている香案(こうあん、香炉をのせる机)。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705962

  •  (2)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (2)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    大鑑禅寺付近を流れる湞江(ていこう)。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705970

  •  (13)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (13)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    大鑑禅寺天王殿の内部の様子。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705986

  •  (7)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (7)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    大雄宝殿の後ろにある拝庭と古い菩提樹。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705808

  •  (6)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (6)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    大鑑禅寺の大雄宝殿。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705984

  •  (1)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (1)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    「菜根香」と書かれた扁額。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705987

  •  (10)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (10)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    古い菩提樹と大雄宝殿。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060706023

  •  (3)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (3)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    大鑑禅寺の山門殿。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705974

  •  (11)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (11)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    境内に植えられた古い菩提樹の葉。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705976

  •  (4)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (4)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    「大鑑禅寺」と書かれた扁額。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705947

  •  (9)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (9)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    六祖・慧能大師が説法を行ったとされる場所に植えられている2本の古い菩提樹。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705948

  •  (5)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (5)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    大鑑禅寺付近の様子。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705961

  •  (12)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市
    2021年06月07日
    (12)慧能大師ゆかりの大鑑禅寺を訪ねて広東省韶関市

    陽の光に照らされて輝く古い菩提樹。(5月20日撮影)中国広東省北部の韶関市にある大鑑禅寺は、元の名を大梵寺という。唐の顕慶末(660)年より前に建立され、1300年以上の歴史を持つ。史書によると、禅宗第六祖・慧能(えのう)大師が湖北省黄梅県の東山で弘忍の法を継いだ後、曹渓宝林寺(現在の曲江県南華禅寺)に至り、何度も招かれて大梵寺で説法を行った。慧能大師の入滅後、唐の中宗は大鑑禅師の諡号(しごう)を送り、大梵寺を大鑑禅寺とした。その後時代の移り変わりとともに幾多の盛衰を経験した同寺は1940年、虚雲法師と弟子の寛鑑により再興された。慧能大師が大梵寺で行った説法とその生涯の事績は、弟子の法海により編纂され、それが「六祖壇経」と言われている。境内にある樹齢300年以上の2本の古木は、インドの僧、智薬三蔵法師が植えたとされる。(韶関=新華社配信/畢建鴿)= 配信日: 2021(令和3)年6月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060705963

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