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「古河」の写真・グラフィックス・映像
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-古河鉄橋の景絵葉書キーワード:古河鉄橋の景絵葉書(写真版)=撮影年月日不明、栃木・足尾銅山、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2019112704841
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-対岸から見た長崎港パノラマ(3枚組)大波止から新地、大浦海岸通り、松ヶ枝橋、南山手、小曽根、浪の平、古河町に至る3枚綴りのパノラマ写真。中島川変流工事が終わり、新大橋、梅香崎橋、松ヶ枝橋がすでに架設されているので、明治20年(1887)代後半の撮影。1枚目は、左側に海から見た出島の全景、中央に新大橋、新地と続き、梅香崎まで。2枚目は、梅香崎から南山手ロシア領事館付近まで。居留地の中心部が写されている。3枚目は、南山手居留地中心部から南端を越え、古河町まで。南山手居留地の南端が写されている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号107‐1‐0]
商品コード: 2017081502037
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-上野寛永寺の五重塔寛永16年(1639)に古河城主土井利勝によって再建されたもの。手前の石灯籠は上野東照宮参道に並ぶもので、左手が東照宮本殿となる。本来は東照宮の五重塔であったが明治の神仏分離によって寛永寺に帰属した。現在は東京都所有で、上野動物園の敷地内にある。=撮影年月日不明、上野、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐28‐0]
商品コード: 2017081401236
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-(ふるかわ・いちべえ) 古河市兵衛実業家、古河財閥創始者=撮影年月日不明、場所不明、クレジット:国立国会図書館所蔵画像/共同通信イメージズ
商品コード: 2017080202073
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-対岸から見た長崎港パノラマ(3枚組)大波止から新地、大浦海岸通り、松ヶ枝橋、南山手、小曽根、浪の平、古河町に至る3枚綴りのパノラマ写真。中島川変流工事が終わり、新大橋、梅香崎橋、松ヶ枝橋がすでに架設されているので、明治20年(1887)代後半の撮影。1枚目は、左側に海から見た出島の全景、中央に新大橋、新地と続き、梅香崎まで。2枚目は、梅香崎から南山手ロシア領事館付近まで。居留地の中心部が写されている。3枚目は、南山手居留地中心部から南端を越え、古河町まで。南山手居留地の南端が写されている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号107‐1‐0]
商品コード: 2017081501922
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-対岸から見た長崎港パノラマ(3枚組)大波止から新地、大浦海岸通り、松ヶ枝橋、南山手、小曽根、浪の平、古河町に至る3枚綴りのパノラマ写真。中島川変流工事が終わり、新大橋、梅香崎橋、松ヶ枝橋がすでに架設されているので、明治20年(1887)代後半の撮影。1枚目は、左側に海から見た出島の全景、中央に新大橋、新地と続き、梅香崎まで。2枚目は、梅香崎から南山手ロシア領事館付近まで。居留地の中心部が写されている。3枚目は、南山手居留地中心部から南端を越え、古河町まで。南山手居留地の南端が写されている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号107‐1‐0]
商品コード: 2017081501933
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-長崎港と浪の平南山手南山手外国人居留地の南の端付近から長崎市街地方向を望む。写真右の建物は、明治20年(1887) 7月、尋常小曾根小学校を改称した尋常鎮鼎小学校。学校の裏手から山麓一帯が南山手外国人居留地。左側の町並みは手前から古河町、浪の平町。写真中央の工場付近が小曾根町の三菱炭鉱社と麦粉会社。居留地末期の明治30年(1897)頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号105‐45‐0]
商品コード: 2017081501939
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-(ふるかわ・いちべえ) 古河市兵衛実業家、古河財閥創始者=撮影年月日不明、場所不明、クレジット:国立国会図書館所蔵画像/共同通信イメージズ
商品コード: 2017080202022
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-夕暮れの東北自動車道キーワード:3車線、テールランプ、ドライブ、運転、屋外、帰省、帰宅、群馬県、古河市、交通、高速道路、車、出口、東北自動車道、道、道路、夕暮れ、日本、無人、夕方、自動車、風景メイン写真=撮影日不明、茨城県館林市、クレジット:Keiji_Kaneda/アマナイメージズ/共同通信イメージズ
商品コード: 2021021504288
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-浪の平と長崎港南山手外国人居留地の南端にある金刀比羅神社の高台から浪の平越しに長崎市街地を望む。右の空き地の居留地境には、明治20年(1887)7月に建つ尋常鎮鼎小学校はまだない。左側の古河町と浪の平町の海岸には中小の造船所が見える。上の工場付近は小曾根町の三菱炭坑社となる。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐2‐0]
商品コード: 2017081601014
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-Japan: Akechi Mitsuhide (c. 1528-1582), Sengoku period samurai and betrayer of Oda NobunagaAkechi Mitsuhide (明智光秀, c. 1528 – July 2, 1582), nicknamed Jūbei or called Koretō Hyūga no Kami (惟任日向守) from his clan name and title, was a samurai who lived during the Sengoku period of Feudal Japan.、クレジット:Pictures From History/ニューズコム/共同通信イメージズ
商品コード: 2019061804087
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1947年11月13日スケッチ258 カモ猟銃を手に獲物をさがすカモ猟のハンター=1947(昭和22)年11月13日、茨城県古河町
商品コード: 2016081901070
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1948年10月05日東京都のマーク 帝銀事件東京・丸の内古河電機会社前にある消火栓のマーク。平沢貞通被告はこのマークの上に手ぬぐいをかけて形をクレヨンでとって腕章に付けたと自供している=出稿1948(昭和23)年10月5日(23年内地12283)
商品コード: 2016040600291
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1962年05月04日古河駅で列車追突旅客列車後部の郵便車にめり込んだ貨物列車の電気機関車=1962(昭和37)年5月4日、茨城県の東北本線古河駅
商品コード: 2011122000276
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1963年09月09日福岡県小竹町 古河目尾鉱古河目尾(しゃかのお)鉱=福岡県鞍手郡小竹町、1963(昭和38)年9月頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ
商品コード: 2015072400753
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1964年01月02日古河鉱業下山田炭鉱の落盤事故 92時間ぶりに奇跡的救出救出され担架で運び出される生存者=1964(昭和39)年1月2日、福岡県山田市
商品コード: 2011072700055
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1964年04月22日(ひらき・りゅうぞう) 平木隆三サッカー、東京オリンピック主将、古河電工(FB)=1964(昭和39)年4月22日撮影(東京五輪403号)
商品コード: 1964042200005
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1964年04月22日(かわぶち・さぶろう) 川淵三郎サッカー選手、古河電工、1964(昭和39)年4月22日撮影、(東京五輪416号、昭和39年9月18日)
商品コード: 1964042200010
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1964年04月22日(かわぶち・さぶろう) 川淵三郎サッカー選手、古河電工、1964東京五輪サッカー日本代表、(社)日本プロサッカーリーグ・チェアマン(Jリーグ・チェアマン)=1964(昭和39)年4月22日、撮影場所不明
商品コード: 2021061513338
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1966年10月06日(ひらき・りゅうぞう) 平木隆三サッカー選手、東京オリンピック主将、古河電工(FB)、サッカー協会理事=1966(昭和41)年9月4日撮影
商品コード: 2006060700018
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1966年10月06日(ながぬま・けん) 長沼健サッカー選手、古河電工FW、古河電工監督、サッカー協会技術委員長、日本サッカー協会専務理事、メキシコオリンピックサッカー監督、日本サッカー協会会長=1966(昭和41)年9月4日撮影
商品コード: 2006060700017
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1967年06月04日古河電工―日本鋼管 日本サッカーリーグ後半8分、古河電工の木村がヘディングシュートを決める。手前はGK牧野=1967(昭和42)年6月4日、三ツ沢球技場
商品コード: 2011120700108
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1968年06月15日古河電工―ヤンマー サッカー日本リーグ後半16分、ヤンマーのFW釜本がヘディングシュートを放つも古河電工のGK保坂に阻まれる=1968(昭和43)年6月15日、駒沢競技場
商品コード: 2012022000185
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1968年07月10日(ながぬま・けん) 長沼健サッカー選手、古河電工FW、古河電工監督、サッカー協会技術委員長、日本サッカー協会専務理事、メキシコオリンピックサッカー監督、日本サッカー協会会長=1968(昭和43)年7月10日撮影
商品コード: 2007042500136
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1969年07月19日パビリオン建設進む建設が進むパビリオン。高さを競うブリティッシュ・コロンビア州館と古河パビリオン(後方)=1969(昭和44)年7月25日、大阪府吹田市
商品コード: 2021012906307
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1969年08月04日“背比べ”ノッポ展示館万博会場で背比べ? そそり立つ巨木の列のブリティッシュ・コロンビア館(カナダ)と東大寺創建時に実在したという“幻の名塔”を復元しようと建設中の七重の塔展示館(古河グループ)=1969(昭和44)年8月4日(万国博トピックス1号)
商品コード: 2011040700103
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1969年11月30日World Expo “Expo 70“ in OsakaView from the Expo tower over the grounds. On the right is the Soviet Pavilion, on the left you can see the Japanese pagoda, the Furukawa Pavilion. The Expo 70 took place from 15 March to 13 September 1970 in Osaka, Japan. | usage worldwide、クレジット:DPA/共同通信イメージズ
商品コード: 2018081001772
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1970年01月12日大阪万国博パビリオンライトアップされた企業パビリオン群。左からみどり館、古河パビリオン、電力館=1970(昭和45)年1月12日、大阪府吹田市
商品コード: 2021012907493
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1970年01月12日大阪万国博パビリオンライトアップされた企業パビリオン群。古河パビリオン、日立グループ館=1970(昭和45)年1月12日、大阪府吹田市
商品コード: 2021012907498
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1970年01月12日大阪万国博パビリオンライトアップされた古河パビリオン=1970(昭和45)年1月12日、大阪府吹田市
商品コード: 2021012907504
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1970年01月14日大阪万国博パビリオン日本庭園の夜景。奥は古河パビリオン=1970(昭和45)年1月14日、大阪府吹田市
商品コード: 2021012907541
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1970年01月29日レインボーロープウェイ 大阪万博万博会場を移動するレインボーロープウェイのゴンドラ(後ろは古河館パピリオン)=1970(昭和45)年1月29日、大阪府吹田市
商品コード: 2018121314569
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1970年02月01日大阪万国博パビリオン古河館=1970(昭和45)年2月1日、大阪府吹田市
商品コード: 2021020100807
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1970年02月12日大阪万国博会場大阪万国博会場を観覧しながら移動できるロープウエー。下は古河パビリオン=1970(昭和45)年2月12日、大阪府吹田市
商品コード: 2021020101130
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1970年02月12日早春の空をゆらゆら大阪万博会場を回転しながら移動するロープウエーの球型ゴンドラ。抜群の眺望が楽しめる。左奥は古河パビリオン=1970(昭和45)年2月12日、大阪府吹田市
商品コード: 2020121706603
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1970年02月17日大阪万国博パビリオンビルマ館(手前)と古河パビリオン=1970(昭和45)年2月17日、大阪府吹田市
商品コード: 2021020101149
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1970年02月17日大阪万国博パビリオンビルマ館(手前)と古河パビリオン=1970(昭和45)年2月17日、大阪府吹田市
商品コード: 2021020101155
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1970年02月17日大阪万国博パビリオンビルマ館(左)と古河パビリオン=1970(昭和45)年2月17日、大阪府吹田市
商品コード: 2021020101157
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1970年02月18日大阪万国博パビリオンいずれも七重の塔のビルマ館(左)と古河パビリオン=1970(昭和45)年2月18日、大阪府吹田市
商品コード: 2021020101173
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1970年03月01日大阪万国博パビリオン建設中のビルマ館(手前)と古河パビリオン=撮影日時不明、大阪府吹田市
商品コード: 2021012704237
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1970年03月01日大阪万国博パビリオンビルマ館。後方は古河パビリオン=撮影日不明、大阪府吹田市
商品コード: 2021012704282
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1970年03月04日大阪万国博パビリオン「メビウスの環」と呼ばれる抽象彫刻の下に整列した古河パビリオンのホステス=1970(昭和45)年3月4日、大阪府吹田市
商品コード: 2021032308587
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1970年03月04日大阪万国博パビリオン古河パビリオンの「コンピューター・ミュージカル・ホール」=1970(昭和45)年3月4日、大阪府吹田市
商品コード: 2021032308588
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1970年03月04日大阪万国博パビリオン展示の説明をする古河パビリオンのホステス=1970(昭和45)年3月4日、大阪府吹田市
商品コード: 2021032308590
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1970年03月05日古河パビリオン古河パビリオン、外観、1970(昭和45)年3月5日撮影、大阪府吹田市
商品コード: 2018120200506
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1970年03月14日大阪万博開会式1970年大阪万博開会式の招待客や関係者に公開された万博会場。右奥は古河パビリオン、正面はみどり館=1970(昭和45)年3月14日、大阪府吹田市
商品コード: 2020102804597
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1970年03月15日大阪万博 EXPO’70キーワード:大阪万博、EXPO‘70、日本万国博覧会、七重の塔、古河パビリオン=1970(昭和45)年撮影月日不明、大阪府吹田市、クレジット:ジャパンタイムズ/共同通信イメージズ
商品コード: 2020060804949
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1970年03月15日大阪万博の一般公開始まる一般公開が始まり、夜を迎えた大阪万国博会場。左からみどり館、古河パビリオン、電力館=1970(昭和45)年3月15日、大阪府吹田市
商品コード: 2021031109746
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1970年09月13日古河パビリオン 大阪万博古河パビリオン、七重の塔、パビリオン、展示館、外観、EXPO′70、日本万国博覧会、大阪万国博覧会、ロープウェー(ゴンドラ)=1970(昭和45)年、大阪府吹田市、クレジット:植原綾香提供/共同通信イメージズ
商品コード: 2018120531846
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1970年12月31日会場 大阪万博大阪万博会場、突き当りは古河パビリオンの七重塔=1970(昭和45)年、撮影月日不明、大阪府吹田市
商品コード: 2020072100242
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1972年05月20日第1回調停 足尾鉱毒調停始まる
足尾鉱毒事件で調停開始。手前右が小沢文雄・中央公害審査委員会委員長、向こう側前列左から清水兵治・古河鉱業社長、板橋明治・渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会会長=1972(昭和47)年5月20日、総理府
商品コード: 2008121001023
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1972年05月20日渡良瀬川鉱毒事件の調停始まる清水兵治社長(右手前)ら古河鉱業側代表=1972(昭和47)年5月20日、総理府
商品コード: 1972052000003
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1972年05月20日渡良瀬川鉱毒事件の調停始まる全景。正面左は古河鉱業側、右は鉱毒根絶期成同盟会側、中央の頭は小沢文雄調停委員長=1972(昭和47)年5月20日、総理府
商品コード: 1972052000001
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1972年10月15日古河―ヤンマー ハッスル釜本前半18分、左からのセンタリングを釜本(中央)が鎌田のマークを外してシュート=1972(昭和47)年10月15日、国立競技場(運動14104)(釜本邦茂)
商品コード: 1972101500001
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1972年12月18日話し合う労使 足尾銅山の閉山を正式提案向こう側、左から3人目が森委員長、手前右端が清水社長=1972(昭和47)年12月18日、東京・丸の内の古河鉱業本社
商品コード: 2011020100109
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1972年12月31日47年(1972)/上/陰る栄光 輝く栄冠 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相「近代化の立役者」…「公害の原点」足尾銅山が閉山へ/日本の近代化を象徴し、公害の原点ともいわれた足尾銅山が翌年に閉山することが分かった。鉱源枯渇などが理由で、古河鉱業は従業員750人の人員整理を行うとした[下野新聞掲載日:2021(令和3)年2月12日]=1972(昭和47)年、栃木県、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ
商品コード: 2021021601029
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1974年05月11日足尾鉱毒補償に調印足尾鉱毒による農業被害などの補償調停で、調印書に署名後に握手する清水兵治古河鉱業社長(左)と板橋明治・鉱毒根絶期成同盟会長=1974(昭和49)年5月11日、総理府(49年内地 2866)
商品コード: 2011120600108
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1974年05月11日足尾鉱毒補償に調印足尾鉱毒による農業被害などの補償調停で、調印書に押印する板橋明治・鉱毒根絶期成同盟会長。左端は、清水兵治古河鉱業社長。手前後ろ姿は、小沢文雄公害等調整委員会委員長=1974(昭和49)年5月11日、総理府
商品コード: 2011120600107
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1974年08月23日まだ続く100年公害
「患者」-定期診察に近県からきた「じん肺患者」。栃木県上都賀郡足尾町に古河鉱業の付属病院がある。じん肺専門医の診察日が第2、第4金曜日。この日はじん肺にかかった患者でにぎやかだ。明治以来、農民が告発し続けてきた鉱毒被害対策は進まず、閉山した銅山の山奥に堆積された鉱泥はそのままだ(写真企画「まだ続く100年公害」鉱毒が残したもの 3枚組の1)
商品コード: 2012022700090
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1974年09月24日脱線貨車に急行突っ込む脱線した貨物列車(左)に突っ込み脱線転覆した東北線急行「まつしま5号」。茨城県古河市横山町の国鉄東北本線の踏切付近で、貨物列車(30両編成)の後部から8両目が脱線、上り線側にはみ出した。そこへ仙台発上野行きの上り急行が突っ込み、最前部が脱線横転、2、3両目も脱線した=1974(昭和49)年9月24日、茨城県古河市
商品コード: 2012031400220
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1974年09月25日脱線貨車に急行突っ込む脱線した貨物列車(左)に突っ込み脱線転覆した東北線急行「まつしま5号」。茨城県古河市横山町の国鉄東北本線の横山踏切付近で、貨物列車(30両編成)の後部から8両目が脱線、上り線側にはみ出した。そこへ仙台発上野行きの上り急行が突っ込み、最前部が脱線横転、2、3両目も脱線した=1974(昭和49)年9月24日午後10時30分、茨城県古河市
商品コード: 2012050700096
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1974年09月25日東北本線の貨車脱線事故
東北本線古河市横山町踏切付近の下り線脱線事故現場で検証をする茨城県警係官ら。矢印は外れていたボルト箇所。貨物列車(30両編成)の後部から8両目が脱線、上り線側にはみ出した。そこへ仙台発上野行きの上り急行が突っ込み、最前部が脱線横転、2、3両目も脱線する事故になった=1974(昭和49)年9月25日、茨城県古河市
商品コード: 2012050700106
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1974年09月25日東北本線の貨車脱線事故
枕木にレールを留めるボルトが抜けていた東北本線古河市横山町踏切付近の貨車脱線事故線路。貨物列車(30両編成)の後部から8両目が脱線、上り線側にはみ出した。そこへ仙台発上野行きの上り急行が突っ込み、最前部が脱線横転、2、3両目も脱線する事故になった=1974(昭和49)年9月25日、茨城県古河市
商品コード: 2012050700105
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1975年08月08日「公害の原点」明るみに
草倉銅山煙害事件の約定書。煙害事件を伝えているのは、新潟県東蒲原郡鹿瀬町の大江忠太郎さんが書き残した「耳目集」全37冊。明治15年、古河財閥(鉱業)創始者の古河市兵衛が建てた角神精錬所で「毒煙が空中に四散」して周辺に被害が出始めた。その損害賠償のために周辺村民と7カ条の約定書を取り交わした
商品コード: 2013022700368
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1975年08月08日「公害の原点」明るみに
「耳目集」を見る赤城源三郎さん。赤城さんの調査では、新潟県東蒲原郡鹿瀬町の大江忠太郎さんが書き残した「耳目集」に、明治15年、古河財閥(鉱業)創始者の古河市兵衛が建てた角神精錬所で「毒煙が空中に四散」して周辺に被害が出始めた。その損害賠償のために周辺村民と7カ条の約定書を取り交わした-と記されていた
商品コード: 2013022700369
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1975年12月13日(ほしの・じん) 星野仁スケート、古河電工=1975(昭和50)年12月13日撮影
商品コード: 2008010800044
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1977年01月01日古河・永井がゴール決める 天皇杯全日本サッカー古河—ヤンマー 前半13分、古河・荒井からのパスを受け川本が先制のゴールを決める。古河は12年ぶりの優勝=1977(昭和52)年1月2日、国立競技場(昭和52年運動19775)
商品コード: 2015090800161
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1977年01月01日胴上げされる鎌田監督 天皇杯全日本サッカーヤンマーを破り12年ぶりの優勝を飾り古河イレブンから胴上げされる鎌田監督=1977(昭和52)年1月1日、国立競技場(昭和52年運動19775)
商品コード: 2015090800163
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1977年02月05日古河電工—トヨタ自工 サッカー日本リーグ後半16分、古河電工・永井のシュートを鬼塚(右から2人目)が押し込んで2点目をあげる。右手前はトヨタFB山野井、左はGK望月博=1977(昭和52)年2月5日、西が丘サッカー場(昭和52年運動19936)
商品コード: 2015090800254
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1977年02月05日胴上げする古河イレブン サッカー日本リーグトヨタ自工を破り天皇杯に続き今季二冠を達成し、鎌田光夫監督を胴上げする古河電工イレブン=1977(昭和52)年2月5日、西が丘サッカー場(昭和52年運動19937)
商品コード: 2015090800261
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1977年09月10日コスモス-古河電工 サッカー日米交歓第1戦後半40分、ペレが田辺のマークをはずしてシュート=1977(昭和52)年9月10日、国立競技場
商品コード: 2003011800079
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1977年09月10日コスモス-古河電工 サッカー日米交歓第1戦後半44分、FKを左隅に決め、4点目を挙げVサインをするペレ、右はアルベルト=1977(昭和52)年9月10日、国立競技場
商品コード: 2003011800076
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1977年09月10日シュートするペレ ペレ引退親善試合サッカーの王様・ブラジルのペレ選手の引退親善試合、ニューヨーク・コスモス対古河電工戦が東京・国立競技場で行われた。後半40分、古河・田辺のマークをはずしてシュートするペレ=1977(昭和52)年9月10日 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第7巻使用画像(P112)
商品コード: 2015030600132
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1978年05月12日特急「ひばり4号」が脱線後部2車両が脱線したまま走り、利根川鉄橋にさしかかって止まった仙台発上野行き上り特急「ひばり4号」(12両編成)。手前が脱線した車両。乗客8人が負傷した=1978(昭和53)年5月12日、東北線栗橋〜古河駅間で共同通信社ヘリから
商品コード: 2015061900194
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1978年05月12日復旧を待つ乗客たち 特急「ひばり4号」が脱線後部車両が脱線した仙台発上野行き上り特急「ひばり4号」(12両編成)。右は復旧を待つ乗客たち=1978(昭和53)年5月12日、東北線栗橋〜古河駅間
商品コード: 2015061900195
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1978年05月12日曲がった線路が原因? 特急「ひばり4号」が脱線S字状に曲がった東北線上り線のレール。上方は脱線して停止した仙台発上野行き上り特急「ひばり4号」=1978(昭和53)年5月12日、東北線栗橋〜古河駅間で共同通信社ヘリから
商品コード: 2015061900196
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1978年06月05日東北新幹線が走行テスト小山駅から石橋駅へ田園地帯を走る東北新幹線試験車両。ひかりは北へ−55年度中の開業を目指して工事が進められている東北新幹線の初の走行試験が小山新幹線試験線(久喜−石橋間)で行われた=1978(昭和53)年6月5日、栃木県古河市の東北本線石橋駅手前2キロ付近で共同通信社ヘリから(*ポラ拡大電送)
商品コード: 2015062900807
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1979年01月08日古河一―室蘭大谷 全国高校サッカー決勝前半20分、室蘭大谷のクリアミスからチャンスをつかみ古河一のFW菅谷(右)がゴールを決める。左はボールを見守る室蘭大谷の熊本=1979(昭和54)年1月8日、国立競技場
商品コード: 2016070500127
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1979年01月08日喜ぶ古河一イレブン 全国高校サッカー決勝室蘭大谷を破り初優勝を飾り、両手を上げ喜ぶ古河一イレブン=1979(昭和54)年1月8日、国立競技場
商品コード: 2016070500128
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1979年01月10日渡部絵美が優勝 日本学生氷上第4日女子フィギュアフリー 余裕のある演技で他を寄せ付けず優勝した渡部絵美=1979(昭和54)年1月10日、古河電工リンク(昭和54年運動419)
商品コード: 2016070500135
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1979年10月26日(ながい・よしかず) 永井良和サッカー選手、古河電工、1979年10月26日撮影
商品コード: 2012082100292
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1980年01月11日(ほしの・ ) 星野仁スケート選手、古河電工、1080年1月18日出稿
商品コード: 2004081200042
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1980年02月22日省エネで「よしず」再評価「よしず」を機械編みする生産業者。省エネで注文が殺到している=出稿1980(昭和55)年2月22日、茨城県古河町
商品コード: 2017112100060
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1980年04月23日ヤンマー—古河 日本サッカーリーグ前半43分、ヤンマー釜本邦茂(右)が中央付近のフリーキックからボールを受け同点ゴールを決める=1980(昭和55)年4月23日、神戸中央球技場
商品コード: 2019031100521
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1980年10月04日釜本がシュート サッカー日本リーグヤンマー—古河 後半30分、左からのパスを受けた釜本邦茂(右)が鵜飼のマークをはずしシュート=1980(昭和55)年10月4日、国立競技場
商品コード: 2019032001342
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1981年01月08日喜ぶ古河一イレブン 全国高校サッカー決勝古河一—清水東 後半17分、古河一の大野(左端)が決勝ゴールを決め飛び上がって喜ぶ古河一イレブン=1981(昭和56)年1月8日、国立競技場
商品コード: 2019032801286
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1981年01月08日沢入がヘディング 全国高校サッカー決勝古河一—清水東 後半12分、清水東の沢入がゴール前でヘディングで狙うが古河一のGK永井(右)のパンチングで阻まれる=1981(昭和56)年1月8日、国立競技場
商品コード: 2019032801314
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1983年12月10日中里が5点目のシュート アイスホッケー日本リーグ王子製紙—古河電工 第2ピリオド18分ごろ、王子の高橋からのパックを中里(右)が5点目のシュートを決める=1983(昭和58)年12月10日、品川スケートセンター
商品コード: 2019102500872
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1983年12月10日王子が7度目の優勝 アイスホッケー日本リーグ古河電工を破り3年連続7度目の優勝を飾り、引木監督を胴上げする王子の選手たち=1983(昭和58)年12月10日、品川スケートセンター
商品コード: 2019102500874
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1984年02月02日戸塚友行戸塚友行、野球、とつか・ともゆき、古河第一高、プロ選手(投手)、横浜大洋ホエールズ=1984(昭和59)年2月2日
商品コード: 1984032000034
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1984年09月05日柱谷のシュート サッカー日本リーグ日産自動車—古河電工 後半35分、中央から右に回ったボールを日産・柱谷がシュート。GK佐藤=1984(昭和59)年9月5日、三ツ沢球技場
商品コード: 2020012704403
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1985年01月02日天皇杯全日本サッカー後半24分、読売の戸塚(右)が古河の吉田暢のマークを交わし、先制シュートを決める=1985(昭和60)年1月1日、国立競技場
商品コード: 2022052705878
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1987年07月02日(ながぬま・けん) 長沼健古河電工FW、古河電工監督、サッカー協会技術委員長、日本サッカー協会専務理事、メキシコオリンピックサッカー監督、日本サッカー協会会長=1987(昭和62)年5月27日撮影
商品コード: 2003110700033
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1989年02月10日記者会見する原告団 古河鉱業と和解成立遠州じん肺訴訟の和解が成立し、記者会見する原告団。右から田代弁護団長、平出原告団長、友光弁護士、遺族の植山さん=1989(平成元)年2月10日午後9時50分、東京・霞が関の司法記者クラブ
商品コード: 2019070201625
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1992年05月21日ビラルド氏が指導JリーグS級ライセンス研修会で森孝慈氏(左端)、奥寺康彦氏(左から2人目)らを相手に指導するカルロス・ビラルド前アルゼンチン代表監督(右手前)=1992(平成4)年5月21日、浦安市のJR古河グラウンド
商品コード: 1992052100077
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1994年12月14日コクド―古河電工 アイスホッケー日本リーグコクド―古河電工 前期優勝を決め喜ぶコクドチーム=北九州プリンスホテルアリーナ
商品コード: 1994121400087
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1994年12月14日コクド―古河電工 アイスホッケー日本リーグコクド―古河電工 前期優勝を決め喜ぶコクドチーム=北九州プリンスホテルアリーナ
商品コード: 1994121400085
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1995年03月29日古河電工社長に古河氏古河潤之助氏(ふるかわ・じゅんのすけ)
商品コード: 1995032900059
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1995年08月03日北大文学部の研究施設 朝鮮民族などの人骨放置)、社会12S 北大古河記念講堂に放置されていた、甲午農民戦争の指導者のものともみられる頭がい骨
商品コード: 1995080300016
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1995年09月15日ベンチの三村監督 広島―巨人23広島―巨人 5回裏、代打古河(左)を告げた三村監督。投打に精彩を欠き渋い表情=広島(カラーネガ)
商品コード: 1995091500089
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