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-諏訪神社本殿と奥門明治中期(1887)頃の写真。諏訪神社の拝殿、祝詞殿、本殿が側面から撮影されている。諏訪神社は秋のくんちで有名な長崎の氏神である。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐29‐0]
商品コード: 2017081501525
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-日光街道の杉並木日光に通じる杉並木街道は御成(日光)街道、例幣使街道、会津西街道の3本から成る。3本の総全長は約37キロメートルあるが、その大半は日光に隣接する今市市内にある。写真は今市から日光方面を眺めたようでもあり、今市の森友村側から水無村方面を眺めようにも見える。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐10‐0]
商品コード: 2017081400937
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-鎌倉の大仏大仏殿再建を計画していた明治10年代の写真だろう。目録番号2748や3132とほぼ同じ頃のものと思えるが、像の右には掲示板はない。また、像左下には仮設の小屋が建つが、その内部は空である。臼井秀三郎(生没年未詳・明治期横浜の写真家)の撮影か。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐6‐0]
商品コード: 2017082800563
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-日光街道の杉並木現在の今市市近郊の杉並木街道。日光に通じる杉並木街道は御成(日光)街道、例幣使街道、会津西街道の3本から成る。3本の総全長は約37キロメートルで、その大半は現在の今市市内にある。写真の杉並木街道は道幅が狭いので例幣使街道の可能性もある。=撮影年月日不明、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐35‐0]
商品コード: 2017081401262
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-鎌倉の大仏目録番号2252と同じ写真。台座前方に平石が2基整然と並んでいる。また、この資料とは別に、石列が像を四角く囲んで描かれる明治16年(1883)の境内絵図もある。明治期、旧大仏殿の礎石はまだ原位置にあったのか。なお、この種の石は境内に59個が現存する。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐137‐0]
商品コード: 2017081600874
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-高鉾島戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真中央の島が高鉾島。右の半島の先が神埼鼻、左の突き出た先が女神。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐127‐0]
商品コード: 2017080903283
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-大阪高津社高津神社祭神仁徳天皇は、高台から民のかまどから煙の出ないのをみて、3年間無税にしたという伝承で有名である。神社の地は上町台地にあり、そこに作られた舞台からは大阪の市街地が一望できた。明治20年代と思われる。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐12‐0]
商品コード: 2017082301133
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-神社小動岬(こするぎみさき)にある小動神社か。腰越村の鎮守で旧名を八王子宮と云い、佐々木盛綱が勧請し、建速素戔鳴命(たけはやすさのおのみこと)をまつったという。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐8‐0]
商品コード: 2017080201339
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-街道沿いの神社円覚寺の続灯庵付近を写したものか。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐33‐0]
商品コード: 2017080200999
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-芦ノ湖白いポールが見えるのが関所跡で、左端がはふやホテル、その右に連なるのは、川田覚衛門、駒佐五右衛門、石内太郎左衛門天野平左衛門等の本陣跡である。芦ノ湖は、遊覧船の発着所辺りが写っつている。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐11‐0]
商品コード: 2017080200970
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-鎌倉の大仏大仏像は高徳院の本尊で、もとは「大仏殿」とよばれた、建物の中にあったと言う。最初は木像であったが、後の建長4年(1252)深沢の里に金銅八尺の釈迦如来(阿弥陀像の誤り)を鋳始めると『吾妻鏡』にある。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐17‐0]
商品コード: 2017080201159
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-大阪城
石山本願寺跡に秀吉によって築城された大阪城は、大坂夏の陣により全焼する。徳川秀忠が再建するも、落雷によりふたたび天守閣を焼失した。現在の天守閣は昭和6年になってみたび再建されたものである。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号23‐21‐0]
商品コード: 2017080400495
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-日光街道の杉並木日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=撮影年月日不明、今市、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐5‐0]
商品コード: 2017082300930
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-横浜本村の薬師堂横浜元町増徳院の薬師堂である。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐2‐0]
商品コード: 2017080201840
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-寺の境内未詳の寺の境内である。二層の立派な蔵の構えからみて東京芝の増上寺の寺の一部か。左隅には大灯篭の端がみえる。水盤社の構えも大きく、井戸の横の銅製と思われる飾り水盤も大きい。木の鳥はご愛敬である。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号13‐26‐0]
商品コード: 2017080201402
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-大阪城大阪城の南側から望んだところ。左の櫓は六番櫓、右に見えるのは三番櫓と二番櫓である。六番櫓の右に見える建物は輜重兵(しちょうへい)第四小隊等の兵営である。明治20年(1888)前後と思われる。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐10‐0]
商品コード: 2017081401333
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-向島佐竹庭園の女性たち現在は墨田区役所とアサヒビールがある一帯にあった秋田藩佐竹家屋敷の庭園である。幕末に大規模な改修が行われ、名園として知られた。明治23年(1890)から一般に公開されたが、同36年には大日本麦酒株式会社吾妻橋工場となり、庭園の一部は「浩養園」と呼ばれた。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐41‐0]
商品コード: 2017081401489
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-Pisoes Roman Villa (1st to 4th century A.D.). Floor mosaic. Near Beja. El Alentejo. Portugal.Pisoes Roman Villa (1st to 4th century A.D.). Floor mosaic. Near Beja. El Alentejo. Portugal.、クレジット:Album/Prisma/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。
商品コード: 2020051307740
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-鎌倉の大仏
撮影年代等未詳。大仏殿については史料が少なく、建武元年(1334)と応安2年(1369)等に倒壊の記事があるにとどまる。そして、明応7年(1498)の地震の後は再建されたという記録がないので、これ以降大仏は露坐(ろざ)であったようである。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐15‐0]
商品コード: 2017081400964
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-住吉大社の反橋反橋の下にあるのは蓮池である。橋の手前の橋は便宜橋(よるべはし)で、明治6年(1873)の架設。明治20年前後。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐37‐0]
商品コード: 2017081400835
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-日光街道の杉並木現在の今市市近郊の日光街道杉並木。今市市街地の日光街道と例幣使街道が交わる追分地蔵から森友(もりとも)村方面へ向かう途中の街道風景に似ている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐32‐0]
商品コード: 2017081401357
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-鎌倉の海岸海辺に漁村というには少々小さすぎる家並みが見えるが、これらは漁師小屋であろうか?裏手にはさらに棟が続き、遠くには畑のような開けた土地が広がっているようだ。舟は小型で陸に揚げられている。水車は灌漑、精米、製粉に用いられた。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐29‐0]
商品コード: 2017080201541
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-神社と池円覚寺の妙香池と塔頭正続院の暖寮(おんりょう)か。暖寮は一撃亭ともいう。正続院は早く建長寺から移したもので、左に回ると正面が舎利殿であり、舎利殿は上層は入母屋づくりで、虹梁は蝦虹梁となっているという点から右の建物がそう考えられる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号16‐47‐0]
商品コード: 2017080201595
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-鎌倉の神社
目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけら葺か檜皮葺(ひわだぶき)で、大正12年の大震災の後に銅板葺になった。スチルフリート撮影か。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐45‐0]
商品コード: 2017082800556
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-大谷川の神橋大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。右手に電柱が見える。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐18‐0]
商品コード: 2017081400784
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-大谷川の神橋大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐36‐0]
商品コード: 2017081401286
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-大谷川の神橋大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐16‐0]
商品コード: 2017081400717
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-大谷川の神橋
大谷川(だいやがわ)に架かる2本の橋。左の朱塗りの橋が神橋(神橋)。その右隣は仮橋。日光山内の入口でもあるこれらの橋は明治35(1902)年の大水害で大谷川が氾濫したため流失した。対岸の家屋は、いわゆる日光の名産品を商う店である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐8‐0]
商品コード: 2017081002611
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-諏訪神社の青銅馬[整理番号1‐20‐0](目録番号「20」)と同じ写真。高さ1.8mの青銅馬は、長崎製鉄所(現三菱長崎造船所)の創業記念として、明治3年(1870)に奉納されたものである。昭和3年(1928)10月、長崎公園口(通称諏訪公園口)に移されたが、第2次世界大戦中の金属回収政策により供出された。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐10‐0]
商品コード: 2017082400623
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-高鉾島戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真手前左の入り江が戸町。右の半島の先が神埼鼻、左の突き出た先が女神。その先の島が高鉾島。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号56‐29‐2]
商品コード: 2017081002563
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-江ノ島対岸(片瀬)から見た江ノ島の遠景。江ノ島の神社は辺津宮、中津宮、奥津宮の三社からなり、寺号を金亀山興願寺といい、下の坊、中の坊、上の坊の三別当がそれぞれ管理していたという。中の坊は総別当で江ノ島寺ともいい、真言宗であったという。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐19‐0]
商品コード: 2017080200823
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-街道沿いの神社浄光明寺の本堂へ続く階段であろうか。浄光明寺には本尊として、足利直義の念持仏と伝える矢拾地蔵がまつられている。伝えによると足利直義が戦いのとき、すべての矢が尽きてしまった。その時、小僧一人が走り出て、直義が射捨てた矢をささげた。直義は不思議に思い、守り地蔵をみたところ、矢を一筋錫杖に持ちそえていたという。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐32‐0]
商品コード: 2017080200853
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-日光憾満ガ淵日光憾満ガ淵=1870年頃、栃木 (日光)、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。[目録番号 : 6916]
商品コード: 2024081310808
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-鶴岡八幡宮台紙には‘Hachiman Temple Kamakura.92-16'のペン書きがある。階段上は学生の集団だろう。目録番号2240の砲弾碑がなく、階段下の構成が明治26年(1893)頃とされる阿部家(旧福山藩主)の写真とほぼ同じであるので、この写真は20年代前半の撮影と考えられる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐16‐0]
商品コード: 2017081501805
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-鎌倉円覚寺への参道現北鎌倉駅側から望んだ円覚寺門前の景。寺の前を横切る道には門が二つあって、奥に見えるのは南東の門。左の橋の先は円覚寺で、右側の高まりの裏には「馬道(うまみち)」が通る。旧幕時代、庶民はこの門を通過できなかったかも知れない。また、中央の人力車は初期のものと思えるので、明治初頭の撮影と推測される。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐8‐0]
商品コード: 2017081400746
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-長崎大浦外国人居留地ベアト撮影。「ヨーロッパ人の居留地の一部と長崎の市街、65年6月」と記されている。慶応年間の長崎大浦の海岸通り、と東山手の洋館群が詳細にうかがえる。右の丘の上にはまだ建物がみられない。=1865年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐32‐0]
商品コード: 2017080201628
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-諏訪公園月見茶屋諏訪神社境内にある月見茶屋の昔の建物。現在の建物にも写真の茶屋の趣が残っている。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐16‐0]
商品コード: 2017080201854
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-凌雲閣
キーワード:東京名所浅草公園凌雲閣、浅草十二階、「日露戦争写真ジオラマ」「大日本名所旧跡写真陳列」の垂れ幕=1890(明治23)~1923(大正12)年、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2017103100489
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-日光街道の杉並木現在の今市市近郊の日光街道杉並木。杉並木の根元周囲や道路の両側は驚くほど整然としている。路面に数種類の轍の跡が見える。人力車や乗合馬車、さらには乗合自動車などの交通手段が多様化した時代に撮られたものか。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐40‐0]
商品コード: 2017081401109
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-芦ノ湖畔の延命地蔵廃仏棄釈運動で被害を受ける前の写真で、当時、芦ノ湖畔の賽の河原には、大小の仏像が数多く立ち並び、壮観を極め、この仏像はその中心に位置していた。ケンペル『日本誌』等にその様子が記されている。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号36‐7‐0]
商品コード: 2017080902284
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-鎌倉の大仏画面には‘L19 DAI BUTSU(A)'の印字がある。像の左は目録番号3375と同じ建物で、台座の右下には大きな平石が3基並んでいる。また、台座正面にある銅製前机(まえづくえ)の下には瓦が数枚積まれている。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐18‐0]
商品コード: 2017081501735
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-鎌倉の大仏‘Daibutsu Kamakura.'とある。銅造蓮弁(れんべん)が写るが、目録番号2747と同じ像左横の建物は朽ちており、2747よりも遅れた明治初期の撮影と思われる。また、蓮弁は享保21年(1736)に4枚鋳造されたと史料に見える。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐30‐0]
商品コード: 2017081501729
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-鶴岡八幡宮の蓮池
撮影年代未詳。‘A B6 LOTUS POND AT KAMAKURA'の印字がある。東から石橋を望んだ景で、向かって左の建物の先に三の鳥居がある。石橋は江戸期の風土記や絵図に「赤橋(あかはし)」とあり、その奥には「新橋」という木橋が架かる。この赤橋は大正12年(1923)の大震災で崩壊した。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐40‐0]
商品コード: 2017081401003
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-住之江住吉大社の反橋である。4024の写真位置より少し遠くから撮影されている。明治中期ころ。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号103‐5‐0]
商品コード: 2017081600789
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-鶴岡八幡宮上宮楼門の扁額(へんがく)には「八幡宮寺」と記されている。幕末まで鶴岡八幡宮は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の寺院で、慶応4年(1868)のいわゆる「神仏分離令」で廃寺となった。写真は排仏毀釈(はいぶつきしゃく)で諸堂が取払われ、社殿のみとなる直前の時期のものと思われる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐19‐0]
商品コード: 2017081002747
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-大谷川の神橋大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐31‐0]
商品コード: 2017081401413
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-大谷川の神橋大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐11‐0]
商品コード: 2017082400686
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-鎌倉の大仏‘42 DAIBUTSU KAMAKURA.'とある。撮影年代等未詳。鎌倉大仏は重量およそ122tで、デジタル測量によれば、像高(地付〔壇上〕から頭頂まで)が11.310m、頭頂から顎までが3.678m等、最新のデータが得られている。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号47‐9‐0]
商品コード: 2017080903018
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-鎌倉の大仏撮影年代等は未詳。像前方2基の大きな平石は旧大仏殿の礎石だろうか。江戸中期の古文書には、旧大仏殿の基礎60個が像の周囲に南北21間(126尺-約38m)、東西25間(150尺-約45m)の範囲で遺存していたと書かれている。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐25‐0]
商品コード: 2017081002754
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-鎌倉の大仏‘JP Daibutzu of Kamacura/Japanese Buddha/’とある。銅造灯籠(とうろう)の笠に渦巻き状の張り出しが付くが、のちになくなる。ベアト作といい、来遊の事蹟等から幕末か明治初年の撮影と思われる。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号62‐13‐0]
商品コード: 2017091301338
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-鎌倉の大仏鎌倉大仏の周囲は豊かな松林。像の正面には2基の大きな平石が据えられている。左下の石製手水盤(ちょうずばん)は寛延2年(1749)の寄進。像前には銅造蓮弁は置かれていない。撮影年代等は未詳である。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐19‐0]
商品コード: 2017082300868
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-諏訪神社の大鳥居明治中期(1887)頃の手彩色の写真。諏訪神社参道の入り口の大鳥居と諏訪神社を見た写真。鳥居の右側に、近代的な街灯が見え、近代化しつつある長崎が分かる。秋のくんちで有名な長崎の氏神である。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐4‐0]
商品コード: 2017082400480
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-高鉾島神の島の海岸から見た高鉾島。高鉾島は、キリスト教の殉教の島として海外に知られ、パッペンベルグ(PAPPENBERG)島と呼ばれていた。現在の神の島教会付近から、高鉾島を撮影したもの。明治20年頃(1887)の写真。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐18‐0]
商品コード: 2017082400573
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-高鉾島戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真中央の島が高鉾島。右の半島の先が神埼鼻、左の突き出た先が女神。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐18‐0]
商品コード: 2017082400627
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-鶴岡八幡宮上宮楼門の軒下には目録番号4749に似た文様がある。また、石段の左下は御手洗(みたらし)で、その奥は高良明神(こうらみょうじん)であるが、明治初年を過ぎると両方とも見られない。この写真は上宮楼門に扁額がないことや神楽殿の屋根の傷み具合等から、目録番号3073と同時期と推定できる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐12‐0]
商品コード: 2017082800615
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-興福寺の鐘楼興福寺鐘鼓楼を撮影したステレオ写真。明治初期頃の撮影。寛文3年(1663)焼失、元禄4年(1691)再建享保15年(1730)重修されている。現在長崎県指定文化財。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:ピエール・ロシエ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐4‐0]
商品コード: 2017082301113
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-諏訪神社の大鳥居明治中期(1887)頃の手彩色の写真。秋のくんちの踊り馬場から参道入り口方面を見た写真。三つの鳥居が重なって見える。明治中期の、諏訪神社参道の風景。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐2‐0]
商品コード: 2017082400535
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-高鉾島神の島から見た高鉾島。高鉾島は、キリスト教の殉教の島として海外に知られ、パッペンベルグ(PAPPENBERG)島と呼ばれていた。現在の神の島教会付近から、高鉾島を撮影したもの。明治20年頃(1887)の写真。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐6‐0]
商品コード: 2017081400537
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-大阪城大手門および大手多聞櫓を望んだところ。左は千貫櫓である。千貫櫓と大手多聞櫓は現存。明治初年のころの撮影と思われる。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号57‐3‐0]
商品コード: 2017081600859
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-崇福寺山門崇福寺三門(楼門)。撮影年代不詳。最初はこの造りでなかったが、嘉永2年(1849)竜宮門造りで再建された。長崎の代表的な観光地。現存し、国指定重要文化財。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐28‐4]
商品コード: 2017081400554
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-大阪城左の櫓は京橋口の伏見櫓である。櫓の多くが二層であるが、伏見櫓は三層である。右の櫓は乾櫓で、L字型の独特の様式をもつ。伏見櫓は焼失、乾櫓は現存。明治時代中期の撮影。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号57‐12‐0]
商品コード: 2017081002582
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-片瀬竜口寺門前寂光山竜口寺。文永8年(1271)9月12日、日蓮は執権北条時宗による追及のため名越の安国論寺で捕らえられ、竜の口まで来て、子の刻(深夜12時)に南方を拝んで合掌したところ、奇瑞が多かったため、斬首を免じられた場所である。いわゆる「竜の口の法難」の場所で、日蓮上人の死後ここに寺を創立したのが、竜口寺である。=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号19‐44‐0]
商品コード: 2017080201676
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-大阪城櫓追手門付近から大阪城外堀を撮影したもの。手前が六番櫓、奥が三番櫓(後戦災により焼失)である。整理番号2-9(目録第一集)の写真を参照。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号23‐5‐0]
商品コード: 2017080400494
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-腰越海岸と小動(こゆるぎ)岬腰越海岸と小動(こゆるぎ)岬=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐18‐0]
商品コード: 2017080200855
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-中島川と上野彦馬邸整理番号21-8の風景を反対側から川の下流に向けて撮影している。それゆえ右手の家が彦馬の家になる。家の前には街灯が設置されている。門前には人力車が止まっている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐9‐0]
商品コード: 2017080201851
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-高鉾島戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真中央の島が高鉾島。右の半島の先が神埼鼻、その向こうに神の島があり、その左の島が高鉾島。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐26‐0]
商品コード: 2017081501569
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-大谷川の神橋大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐2‐0]
商品コード: 2017082301015
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-富士川の吊橋富士川の内房付近の吊り橋、釜口橋。富士川の水源から、約13里(51km)程の所にあり、南に下った地点に内房の竈口という地名がある。川の流れが屈折し、深く左右の岸壁が落ち込んでいるためこの地名があるという。=撮影年月日不明、静岡、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号7‐26‐0]
商品コード: 2017080200968
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-箱根神社箱根神社の旧一の鳥居である。常夜燈は、現在、新三の鳥居の前に移されている。明治13年まであった鉄湯釜が見当たらないので、明治14年以降の撮影と思われる。なお、電線が見えないので、明治45年以前である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐12‐0]
商品コード: 2017080201207
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-日光大日堂大谷川に沿った中禅寺道途中の名所。憾満ガ淵や裏見滝と共に日光町の遊覧客にとって人気の高い散策コースだった。明治35(1902)年の大水害で大日堂を含む庭園の景観が、さらに、残っていた地蔵堂が大正8年の大水害で流失した他、地形そのものが変わり果てた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐6‐0]
商品コード: 2017081400913
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-鶴岡八幡宮の蓮池‘№54B. LOTUS FLOWERS AT KAMAKURA.'とある。向かって右には木の鳥居があり、その左側の赤い建物は若宮で、上にあるのは上宮廻廊(かいろう)であろう。ところで、明治期には池の周囲に馬場があったというが、この写真では判然としない。「玉村康三郎作品集」所収。撮影年代未詳。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐106‐0]
商品コード: 2017081600852
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-神社円覚寺総門か。円覚寺総門には後光厳天皇の宸筆「瑞鹿山」の額が掲げられており、右の奥の方に「般若水」と呼ばれる泉水があり、鎌倉五名水の一つである。その名の由来は、かつて出雲藩主松平不昧が参詣したとき、この泉水の前で、誠屈和尚と般若の問答をしたところと伝える。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号16‐43‐0]
商品コード: 2017080201516
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-江ノ島の洞窟江ノ島の海岸は岩礁をなし、多数の海食崖や海食洞が見られる。洞窟に続く、木の橋が写っている。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐4‐0]
商品コード: 2017080201113
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-清盛塚平清盛が没したのは1181年。遺体は愛宕で荼毘に付され、清盛が大輪田泊(後の兵庫津)に築いた人工島である経が島に納められたという。正確な位置は不明だが、現在の兵庫区・築島寺は、同島造築の際に人柱となった従者を弔うものとされている。=撮影年月日不明、兵庫、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐36‐0]
商品コード: 2017080201156
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-江ノ島絵島、壊島、荏島などと書かれる。絵のように美しい島という意味で名づけられたものであろう。周囲約2.2kmほどの小島で、北方だけが干潮時に砂州を通じて本土に接している。馬をひく人物の後方に三人の男性像、最左端のほおかむりをした人物は馬をひく人物と立ち話をしている。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号4‐14‐0]
商品コード: 2017080200890
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-鎌倉の大仏大仏像は阿弥陀如来なので面相が女性のように柔和である。歌人、与謝野晶子は「釈迦牟尼は美男にておはす」とたたえたが、実は阿弥陀如来なので女性の面相であるのは当然であろう。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号11‐26‐0]
商品コード: 2017080201190
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-赤坂門江戸城城門および見附のひとつ。寛永13年黒田氏が枡形を築き、同16年加藤・小川の両名が門を改修。「江戸名所」に「此御門は北斗の景勝とて、江戸御城の御構え多き中にも殊更すぐれたる縄張という」とある。『角川日本地名大辞典』P.53にほぼ同一の写真があり、英人ブラックの撮影(明治4年)とある。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号22‐11‐0]
商品コード: 2017080400468
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-阿弥陀池の寺大阪市西区北堀江の和光寺(わこうじ 1698創建)である。境内に阿弥陀池があり、推古天皇8年(600)本田善光(ほんだぜんこう)がこの池で如来像の出現をみて、信濃善光寺の本尊としたという。和光寺の本尊は善光寺からもたらされている。大阪の名所。明治時代中期。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐10‐0]
商品コード: 2017082301140
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-四天王寺五重塔聖徳太子建立の七所のひとつ。写真は、五重塔(写真奥)と金堂(手前)。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号57‐14‐2]
商品コード: 2017081600869
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-亀戸天神の藤棚英語で「藤棚」と解説されている。東京の亀戸天神の藤棚である。当時亀戸天神の藤棚は東京の名所であり、多くの写真が残されている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号11‐3‐0]
商品コード: 2017080201284
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-鎌倉の大仏‘No.301 Daibuts -Statue in Kamakura.'とある。像前に銅造蓮弁があるので、明治初期の撮影と思われる。画面手前には目録番号5372と同じ石畳があり、そこに写る安永9年(1780)「奉寄進境内敷石」碑(現存)から、この石畳はその時の造営と推定できる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:ヴィルヘルム・ブルガー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐22‐0]
商品コード: 2017082800592
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-和歌浦和歌浦は歌枕の名勝地として有名。渡し船が浮かぶ水面は、古代には紀ノ川が流れ込んでいた和歌川の河口。対岸の山腹に紀三井寺を望む。写真左の小山は、紀州徳川家初代藩主頼宣が建立した海禅院のある妹背山。山下の建物は海禅院の経王堂で、山陰に観海閣と多宝塔の屋根がかすかに見えている。=撮影年月日不明、和歌山、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐33‐0]
商品コード: 2017081400619
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-鶴岡八幡宮若宮社若宮の屋根に掛かる梯子は防火用か。隣は神楽殿(かぐらでん)の屋根であるが、やや傷んでいる。このような状態の神楽殿は、諸堂解体直後の境内の姿とされる『ザ・ファー・イースト』1871年9月1日号(旧暦明治4年7月17日)の写真にもあり、本資料はその頃の撮影と推定される。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐7‐0]
商品コード: 2017081400572
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-高鉾島戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真中央の島が高鉾島。右の半島の先が神埼鼻、左の突き出た先が女神。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐19‐0]
商品コード: 2017082400601
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-高鉾島明治中期(1887)頃の手彩色の写真。高鉾島は、外国人に殉教の島、パッペンベルグ(PAPPENBERG)島として知られていた。長崎港口にあり、沢山の写真が撮影されている。神ノ島から撮影した写真で、写真右の島が高鉾島。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐17‐0]
商品コード: 2017082400565
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-高鉾島戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したもの。写真手前左の入り江が戸町。右の半島の先が神埼鼻、左の突き出た先が女神。その先の島が高鉾島。高鉾島は、キリスト教の殉教の島であることと、船が長崎港に入る目印の島として外国人に知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐24‐0]
商品コード: 2017082400153
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-下田港口下田港は幕末の開港場として知られ、嘉永6年(1853)、幕府は下田奉行をおく。この年、米国軍艦が浦賀まで来航、日本との通商を願った。幕府はこれに命じて、下田港に入港させたという。また、安政元年(1854)、下田港は黒船に乗ったペリーが上陸したところでもある。下田港は、昔から須崎半島に抱かれた天然の良港で、日本初の米国領事館がおかれ、ハリスが滞在するなど日米外交の舞台になったところである。=撮影年月日不明、下田、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号19‐29‐0]
商品コード: 2017080201767
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-生麦事件の現場F.ベアトアルバムの写真である。文久2年8月21日(1862.9.14)に起こった、生麦事件の現場である。東海道生麦村、現在の横浜市鶴見区生麦である。=撮影年月日不明、神奈川、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号36‐16‐0]
商品コード: 2017080902244
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-寺の御堂神仏分離によって解体された、鶴岡八幡宮の輪蔵か。輪蔵は神楽殿左にあり、経文が納められていた。すでに解体作業に入ったものか、木材が積まれている。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号13‐28‐0]
商品コード: 2017080201405
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-大谷川の神橋大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐9‐2]
商品コード: 2017081002627
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-小田原城小田原城の南曲輪西隅櫓で、明治3年(1870)末に取り壊される直前の写真であろう。 "The Far East "明治4年(1871)12月1日に掲載。堀が畑に変わっているのは大政奉還で禄を失った藩士救済のため。=撮影年月日不明、小田原、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号24‐21‐0]
商品コード: 2017080400458
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-芦ノ湖芦ノ湖とその左手に箱根の関所が見える。箱根の関所は東海道の要害を守る関所として新居の関所とともに有名で、湖面にも、二重の柵が突き出て設置されていた。遠方に見えるのは、参勤交代の時、大名が宿泊した本陣。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐73‐0]
商品コード: 2017080902263
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-諏訪神社の青銅馬高さ1.8mの青銅馬は、長崎製鉄所(現三菱長崎造船所)の創業記念として、明治3年(1870)に奉納されたものである。昭和3年(1928)10月、長崎公園口(通称諏訪公園口)に移されたが、第2次世界大戦中の金属回収政策により供出された。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号95‐4‐0]
商品コード: 2017081401544
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-日光街道の杉並木現在の今市市近郊の杉並木街道。日光に通じる杉並木街道は御成(日光)街道、例幣使街道、会津西街道の3本から成る。3本の総全長は約37キロメートルで、その大半は現在の今市市内にある。太陽の光が左側から射していることから、日光方面に向かって写したものである。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐100‐0]
商品コード: 2017081501796
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-鎌倉の大仏像前方2基の大きな平石は旧大仏殿の礎石か。近年の発掘調査で礎石を置いた「根固め」の跡が数ヶ所で見つかり、その結果、東西が約44m、南北が約42.5mと推定される大仏殿の存在が明らかになった。撮影年代等未詳。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐37‐0]
商品コード: 2017081400996
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-鎌倉の大仏像左後方に瓦葺きの建物がある。伯爵(はくしゃく)阿部家(旧福山藩主)の明治26年(1893)のアルバム『各地名所』所収写真にも同じ建物が写っており、本資料は同年を中心とした時期以降に撮影されたと推定できる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐56‐2]
商品コード: 2017081400628
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-諏訪神社の長坂明治中期(1887)頃の手彩色の写真。参道途中の踊馬場から大門と回廊を撮影した写真。途中の階段は長坂と呼ばれている。ここに、様々な服装をさせた人物を配置させて演出した写真。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐3‐0]
商品コード: 2017082400520
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-日光街道の杉並木日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐38‐0]
商品コード: 2017081501622
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-興福寺境内幕末から明治初期(1868年前後)のステレオ写真。視差のある二枚の写真をビューアーにより見ることにより、立体映像をみることができる。興福寺境内の青銅の燈篭。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:ピエール・ロシエ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐5‐0]
商品コード: 2017082301209
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-大谷川の神橋大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐28‐0]
商品コード: 2017081002705
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