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  •  国民党軍兵士
    1929年09月10日
    国民党軍兵士

    満州の海拉爾(ハイラル)(現・内モンゴル自治区フルンボイル市)で、ソ連軍に対する防衛のため集結した中国国民党軍の兵士=1929年9月(PACIFIC AND ATLANTIC PHOTOS)

    商品コード: 2010112400271

  •  中国国民党軍兵士
    1929年09月14日
    中国国民党軍兵士

    満州で軍を除隊となり、近代農法を学ぶ中国国民党軍の元兵士。中国当局はこの地での近代農法を推奨し、土地を有効活用しない地主からは土地を没収した=1929年9月

    商品コード: 2010112400273

  •  中国国民党軍
    1929年10月08日
    中国国民党軍

    中ソの軍事衝突を回避するための外交努力が続く中、国境地帯で砲撃目標確定のため測距儀で前方地形を調べる中国国民党軍の観測兵=1929年10月(PACIFIC AND ATLANTIC PHOTOS)

    商品コード: 2010112400274

  •  中国国民党軍
    1929年11月25日
    中国国民党軍

    満州の満州里(現・内モンゴル自治区満州里)近くの前線のざん壕に立つ中国国民党軍兵士。1929年11月25日の報告によると、ソ連軍は興安嶺の西側を完全支配。国民党軍はほとんど抵抗もせずに退却を続けており、ソ連軍のハルビン占領も近いと予想される=1929年11月(PACIFIC AND ATLANTIC PHOTOS)

    商品コード: 2010112400275

  •  The Long March
    1934年12月31日
    The Long March

    Chinese communists take a break to study during the Long March, a military retreat to avoid capture by the Nationalist Party forces Date: 1934 - 1935、クレジット:(c)Robert Hunt Library/Mary Evans/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019100402715

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    1945年10月29日
    国共内戦

    雲南省昆明西方の米陸軍航空隊第10空軍司令部正門前で警備に立つ米軍兵士。近くで国民党軍と共産党支援の雲南省政府軍の戦闘があった=1945年10月、米陸軍航空隊撮影(ACME)

    商品コード: 2011042700361

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    1945年10月29日
    国共内戦

    昆明西方の米陸軍航空隊第10空軍司令部の南側の壁の上で、小銃と軽機関銃で警備する米軍兵士。近くで国民党軍と共産党支援の雲南省政府軍の戦闘があった=1945年10月、米陸軍航空隊撮影(ACME)

    商品コード: 2011042700362

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    1945年10月29日
    国共内戦

    昆明西方の米陸軍航空隊第10空軍司令部の屋根の上で警備する米軍兵士。近くで国民党軍と共産党支援の雲南省政府軍の戦闘があった=1945年10月、米陸軍航空隊撮影(ACME)

    商品コード: 2011042700363

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    1946年03月08日
    中国の戦後 日中戦争

    土のうでバリケードが作られた満州・奉天(現・瀋陽)の警察署。奉天ではソ連軍が撤退に応ぜず、国民党軍が進攻する構えのため、緊張が高まっている=1946年3月(ACME)

    商品コード: 2011042700376

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    1946年03月11日
    国共内戦

    満州の奉天(現・瀋陽)で、ソ連軍の撤退に伴い、北方から進攻の動きを見せる共産軍に備え、市内を移動する国民党軍兵士=1946年3月(ACME)

    商品コード: 2011042700388

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    1946年03月11日
    国共内戦

    入り口に蒋介石総統の肖像画を掲げた満州の奉天(現・瀋陽)の国民党軍司令部。ソ連軍撤退を受けて、奉天近郊では国民党軍と共産軍が戦闘を始めたという=1946年3月(ACME)

    商品コード: 2011042700385

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    1946年05月27日
    中国 国共内戦

    満州の奉天(現・瀋陽)から長春へ向かう鉄道の重要経由地、四平の近くの丘にざん壕を掘り、共産軍とにらみ合う国民党軍=1946年5月(ACME)

    商品コード: 2011051100221

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    1946年05月27日
    中国 国共内戦

    満州の熱河省承徳で捕虜となり、司令部での尋問のため国民党軍兵士によって列車に乗せられる共産軍兵士=1946年5月(ACME)

    商品コード: 2011051100223

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    1946年05月27日
    中国 国共内戦

    共産軍に破壊された満州の奉天(現・瀋陽)-長春間の鉄道橋。国民党軍か持つ奉天から前線への唯一の補給ルートだった。橋を守っていた国民党軍部隊30人は全滅した=1946年5月(ACME)

    商品コード: 2011051100218

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    1946年05月29日
    中国 国共内戦

    満州の奉天(現・瀋陽)郊外の馬仲河駅を警備する国民党軍の兵士=1946年5月(ACME)

    商品コード: 2011051100194

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    1946年06月06日
    中国 国共内戦

    共産党軍との戦闘で破壊された満州・長春の市庁舎ビル。国民党軍が司令部として使用していた=1946年6月(ACME)

    商品コード: 2011051100195

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    1946年06月28日
    中国 国共内戦

    満州の吉林で、国民党軍が共産軍から町を奪回した際、捕獲した武器類を見る指揮官=1946年6月(ACME)

    商品コード: 2011051100198

  •  View from above of provincial troops marching along city street
    1946年12月31日
    View from above of provincial troops marching along city street

    View from above of provincial troops marching along city street in the Kiangsu Province or Yunnan Province in China 1946、クレジット:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019032501714

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    1948年02月29日
    中国 国共内戦

    満州で、共産軍との戦闘に敗れ、敗走した国民党軍が遺棄した輸送トラック。米国が余剰物資として国民党軍に提供していた=1948年2月(SUNDAY NEWS)

    商品コード: 2011051100204

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    1948年02月29日
    中国 国共内戦

    1947年春に共産軍の捕虜となり、満州・ハルビンの収容所に到着した国民党軍部隊=1948年2月(SUNDAY NEWS)

    商品コード: 2011051100205

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    1948年02月29日
    中国 国共内戦

    満州で1947年夏、国民党軍から捕獲した4・2インチ迫撃砲などを列車から降ろす共産軍兵士。兵器は米国が国民党軍に売却した=1948年2月(SUNDAY NEWS)

    商品コード: 2011051100202

  •  China: Chen Yi (August 26, 1901 - January 6, 1972), Chinese communist military commander and politician.
    1950年01月01日
    China: Chen Yi (August 26, 1901 - January 6, 1972), Chinese communist military commander and politician.

    Chen was born in Lezhi, near Chengdu, Sichuan, into a moderately wealthy magistrate‘s family. A comrade of Lin Biao from their guerilla days, Chen was a commander of the New Fourth Army during the Sino-Japanese War (1937-1945), spearheaded the Shandong counter-offensive during the Chinese Civil War, and later commanded the Communist armies that defeated the KMT forces at Huai-Hai and conquered the lower Yangtze region in 1948-49. He was made a Marshal of the People‘s Liberation Army (PLA) in 1955. After the founding of the People‘s Republic of China, Chen became mayor of Shanghai. He also served as vice premier from 1954 to 1972 and foreign minister from 1958 to 1972 and president of the China Foreign Affairs University from 1961 to 1969. During the Cultural Revolution, he was purged in 1967, but not officially dismissed, so Zhou Enlai performed the duties of foreign minister in his place.、クレジット:Universal Images Group/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022071508211

  •  China: Chen Yi (August 26, 1901 - January 6, 1972), Chinese communist military commander and politician.
    1950年01月01日
    China: Chen Yi (August 26, 1901 - January 6, 1972), Chinese communist military commander and politician.

    Chen was born in Lezhi, near Chengdu, Sichuan, into a moderately wealthy magistrate‘s family. A comrade of Lin Biao from their guerilla days, Chen was a commander of the New Fourth Army during the Sino-Japanese War (1937-1945), spearheaded the Shandong counter-offensive during the Chinese Civil War, and later commanded the Communist armies that defeated the KMT forces at Huai-Hai and conquered the lower Yangtze region in 1948-49. He was made a Marshal of the People‘s Liberation Army (PLA) in 1955. After the founding of the People‘s Republic of China, Chen became mayor of Shanghai. He also served as vice premier from 1954 to 1972 and foreign minister from 1958 to 1972 and president of the China Foreign Affairs Uiversity from 1961 to 1969. During the Cultural Revolution, he was purged in 1967, but not officially dismissed, so Zhou Enlai performed the duties of foreign minister in his place. 、クレジット:Universal Images Group/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022071508210

  • 調景嶺の元国民党軍兵士 翻る青天白日満地紅旗
    1996年06月22日
    調景嶺の元国民党軍兵士 翻る青天白日満地紅旗

    中華民国の国旗・青天白日満地紅旗を今も掲げ、香港・調景嶺に暮らす元国民党軍兵士、黄広禧さん。黄さんは立ち退きに抵抗してきたが、間もなく40年暮らしたわが家を後にする(共同)

    商品コード: 1996062200102

  • 調景嶺の元国民党軍兵士 翻る青天白日満地紅旗
    1996年06月22日
    調景嶺の元国民党軍兵士 翻る青天白日満地紅旗

    中華民国の国旗・青天白日満地紅旗を今も掲げ、香港・調景嶺に暮らす元国民党軍兵士、黄広禧さん。黄さんは立ち退きに抵抗してきたが、間もなく40年暮らしたわが家を後にする(共同)

    商品コード: 1996062200089

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    2015年06月30日
    元軍人ら 抗日戦の軍服復元

    記念バッジを着け、日中戦争当時の国民党軍の軍服を着る元軍人ら=台北市、30日(共同)

    商品コード: 2015063000822

  • にらみ合う国民党軍 勝つため「貴重な人材」
    2016年04月11日
    にらみ合う国民党軍 勝つため「貴重な人材」

    1946年5月、満州の四平の近くの丘で共産党軍とにらみ合う国民党軍(ACME)

    商品コード: 2016041100586

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    2019年09月11日
    中国最大の民間国防教育施設「大金山国防園」

    11日、大金山国防園の訓練基地で軍事訓練の発表リハーサルをする南京理工大学の新入生。(右下の人文字、小型無人機から)中国で最大規模の民間国防教育施設「大金山国防園」は、江蘇省南京市溧水(りつすい)区東屏街道にある。かつては荒れ山だったが、30年近い建設を経て、今では樹木40万本余りが植えられ、36キロの山道も整備されている。各種設備の整った施設として多くの人に知られている。同施設の建設は、老兵・張勇(ちょう・ゆう)さんの「国防の夢」から始まった。1979年に軍に入隊し、1983年に退役した張さんは「軍に入隊して、強い国防こそが社会主義建設の保障となることが分かった」と語る。1990年から荒れ山の整備を始め、自ら集めた資金で退役軍人を中心とする作業チームを組織し、道路整備と造園を進めた。同施設の現在の面積は1200ムー(約800ヘクタール)。国防教育館や法律普及教育館、雷鋒文化館、生命安全体験館、党史国史館などが作られ、2・5キロの長征(1934~36年に中国共産党軍が国民党軍と交戦しながら行った1万2500キロの大行軍)体験コースもある。2018年には延べ45万人が同施設を訪れている。(南京=新華社記者/季春鵬)=2019(令和元)年9月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091901159

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    2019年09月11日
    中国最大の民間国防教育施設「大金山国防園」

    11日、大金山国防園の長征広場。(小型無人機から)中国で最大規模の民間国防教育施設「大金山国防園」は、江蘇省南京市溧水(りつすい)区東屏街道にある。かつては荒れ山だったが、30年近い建設を経て、今では樹木40万本余りが植えられ、36キロの山道も整備されている。各種設備の整った施設として多くの人に知られている。同施設の建設は、老兵・張勇(ちょう・ゆう)さんの「国防の夢」から始まった。1979年に軍に入隊し、1983年に退役した張さんは「軍に入隊して、強い国防こそが社会主義建設の保障となることが分かった」と語る。1990年から荒れ山の整備を始め、自ら集めた資金で退役軍人を中心とする作業チームを組織し、道路整備と造園を進めた。同施設の現在の面積は1200ムー(約800ヘクタール)。国防教育館や法律普及教育館、雷鋒文化館、生命安全体験館、党史国史館などが作られ、2・5キロの長征(1934~36年に中国共産党軍が国民党軍と交戦しながら行った1万2500キロの大行軍)体験コースもある。2018年には延べ45万人が同施設を訪れている。(南京=新華社記者/季春鵬)=2019(令和元)年9月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091901190

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    2019年09月11日
    中国最大の民間国防教育施設「大金山国防園」

    11日、大金山国防園の訓練基地で軍事訓練の発表リハーサルをする南京理工大学の新入生。(小型無人機から)中国で最大規模の民間国防教育施設「大金山国防園」は、江蘇省南京市溧水(りつすい)区東屏街道にある。かつては荒れ山だったが、30年近い建設を経て、今では樹木40万本余りが植えられ、36キロの山道も整備されている。各種設備の整った施設として多くの人に知られている。同施設の建設は、老兵・張勇(ちょう・ゆう)さんの「国防の夢」から始まった。1979年に軍に入隊し、1983年に退役した張さんは「軍に入隊して、強い国防こそが社会主義建設の保障となることが分かった」と語る。1990年から荒れ山の整備を始め、自ら集めた資金で退役軍人を中心とする作業チームを組織し、道路整備と造園を進めた。同施設の現在の面積は1200ムー(約800ヘクタール)。国防教育館や法律普及教育館、雷鋒文化館、生命安全体験館、党史国史館などが作られ、2・5キロの長征(1934~36年に中国共産党軍が国民党軍と交戦しながら行った1万2500キロの大行軍)体験コースもある。2018年には延べ45万人が同施設を訪れている。(南京=新華社記者/季春鵬)=2019(令和元)年9月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091901204

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    2019年09月11日
    中国最大の民間国防教育施設「大金山国防園」

    11日、大金山国防園の長征体験コースで、大学生らに当時四川省の瀘定橋で起こった国民党軍との戦闘について解説する張勇さん。中国で最大規模の民間国防教育施設「大金山国防園」は、江蘇省南京市溧水(りつすい)区東屏街道にある。かつては荒れ山だったが、30年近い建設を経て、今では樹木40万本余りが植えられ、36キロの山道も整備されている。各種設備の整った施設として多くの人に知られている。同施設の建設は、老兵・張勇(ちょう・ゆう)さんの「国防の夢」から始まった。1979年に軍に入隊し、1983年に退役した張さんは「軍に入隊して、強い国防こそが社会主義建設の保障となることが分かった」と語る。1990年から荒れ山の整備を始め、自ら集めた資金で退役軍人を中心とする作業チームを組織し、道路整備と造園を進めた。同施設の現在の面積は1200ムー(約800ヘクタール)。国防教育館や法律普及教育館、雷鋒文化館、生命安全体験館、党史国史館などが作られ、2・5キロの長征(1934~36年に中国共産党軍が国民党軍と交戦しながら行った1万2500キロの大行軍)体験コースもある。2018年には延べ45万人が同施設を訪れている。(南京=新華社記者/季春鵬)=2019(令和元)年9月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091901158

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    2019年09月11日
    中国最大の民間国防教育施設「大金山国防園」

    11日、大金山国防園の国防教育館前で大学生らに説明をする張勇さん。(小型無人機から)中国で最大規模の民間国防教育施設「大金山国防園」は、江蘇省南京市溧水(りつすい)区東屏街道にある。かつては荒れ山だったが、30年近い建設を経て、今では樹木40万本余りが植えられ、36キロの山道も整備されている。各種設備の整った施設として多くの人に知られている。同施設の建設は、老兵・張勇(ちょう・ゆう)さんの「国防の夢」から始まった。1979年に軍に入隊し、1983年に退役した張さんは「軍に入隊して、強い国防こそが社会主義建設の保障となることが分かった」と語る。1990年から荒れ山の整備を始め、自ら集めた資金で退役軍人を中心とする作業チームを組織し、道路整備と造園を進めた。同施設の現在の面積は1200ムー(約800ヘクタール)。国防教育館や法律普及教育館、雷鋒文化館、生命安全体験館、党史国史館などが作られ、2・5キロの長征(1934~36年に中国共産党軍が国民党軍と交戦しながら行った1万2500キロの大行軍)体験コースもある。2018年には延べ45万人が同施設を訪れている。(南京=新華社記者/季春鵬)=2019(令和元)年9月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091901206

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    2019年09月11日
    中国最大の民間国防教育施設「大金山国防園」

    11日、大金山国防園で大学生らに戦車について説明する張勇さん。(小型無人機から)中国で最大規模の民間国防教育施設「大金山国防園」は、江蘇省南京市溧水(りつすい)区東屏街道にある。かつては荒れ山だったが、30年近い建設を経て、今では樹木40万本余りが植えられ、36キロの山道も整備されている。各種設備の整った施設として多くの人に知られている。同施設の建設は、老兵・張勇(ちょう・ゆう)さんの「国防の夢」から始まった。1979年に軍に入隊し、1983年に退役した張さんは「軍に入隊して、強い国防こそが社会主義建設の保障となることが分かった」と語る。1990年から荒れ山の整備を始め、自ら集めた資金で退役軍人を中心とする作業チームを組織し、道路整備と造園を進めた。同施設の現在の面積は1200ムー(約800ヘクタール)。国防教育館や法律普及教育館、雷鋒文化館、生命安全体験館、党史国史館などが作られ、2・5キロの長征(1934~36年に中国共産党軍が国民党軍と交戦しながら行った1万2500キロの大行軍)体験コースもある。2018年には延べ45万人が同施設を訪れている。(南京=新華社記者/季春鵬)=2019(令和元)年9月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091901131

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    2019年09月11日
    中国最大の民間国防教育施設「大金山国防園」

    11日、大金山国防園の全景。(小型無人機から)中国で最大規模の民間国防教育施設「大金山国防園」は、江蘇省南京市溧水(りつすい)区東屏街道にある。かつては荒れ山だったが、30年近い建設を経て、今では樹木40万本余りが植えられ、36キロの山道も整備されている。各種設備の整った施設として多くの人に知られている。同施設の建設は、老兵・張勇(ちょう・ゆう)さんの「国防の夢」から始まった。1979年に軍に入隊し、1983年に退役した張さんは「軍に入隊して、強い国防こそが社会主義建設の保障となることが分かった」と語る。1990年から荒れ山の整備を始め、自ら集めた資金で退役軍人を中心とする作業チームを組織し、道路整備と造園を進めた。同施設の現在の面積は1200ムー(約800ヘクタール)。国防教育館や法律普及教育館、雷鋒文化館、生命安全体験館、党史国史館などが作られ、2・5キロの長征(1934~36年に中国共産党軍が国民党軍と交戦しながら行った1万2500キロの大行軍)体験コースもある。2018年には延べ45万人が同施設を訪れている。(南京=新華社記者/季春鵬)=2019(令和元)年9月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091901153

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    2019年09月11日
    中国最大の民間国防教育施設「大金山国防園」

    11日、大金山国防園で大学生らに戦車について説明する張勇さん。中国で最大規模の民間国防教育施設「大金山国防園」は、江蘇省南京市溧水(りつすい)区東屏街道にある。かつては荒れ山だったが、30年近い建設を経て、今では樹木40万本余りが植えられ、36キロの山道も整備されている。各種設備の整った施設として多くの人に知られている。同施設の建設は、老兵・張勇(ちょう・ゆう)さんの「国防の夢」から始まった。1979年に軍に入隊し、1983年に退役した張さんは「軍に入隊して、強い国防こそが社会主義建設の保障となることが分かった」と語る。1990年から荒れ山の整備を始め、自ら集めた資金で退役軍人を中心とする作業チームを組織し、道路整備と造園を進めた。同施設の現在の面積は1200ムー(約800ヘクタール)。国防教育館や法律普及教育館、雷鋒文化館、生命安全体験館、党史国史館などが作られ、2・5キロの長征(1934~36年に中国共産党軍が国民党軍と交戦しながら行った1万2500キロの大行軍)体験コースもある。2018年には延べ45万人が同施設を訪れている。(南京=新華社記者/季春鵬)=2019(令和元)年9月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091901210

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    2019年09月11日
    中国最大の民間国防教育施設「大金山国防園」

    11日、大金山国防園の長征体験コースを巡回する張勇さん。中国で最大規模の民間国防教育施設「大金山国防園」は、江蘇省南京市溧水(りつすい)区東屏街道にある。かつては荒れ山だったが、30年近い建設を経て、今では樹木40万本余りが植えられ、36キロの山道も整備されている。各種設備の整った施設として多くの人に知られている。同施設の建設は、老兵・張勇(ちょう・ゆう)さんの「国防の夢」から始まった。1979年に軍に入隊し、1983年に退役した張さんは「軍に入隊して、強い国防こそが社会主義建設の保障となることが分かった」と語る。1990年から荒れ山の整備を始め、自ら集めた資金で退役軍人を中心とする作業チームを組織し、道路整備と造園を進めた。同施設の現在の面積は1200ムー(約800ヘクタール)。国防教育館や法律普及教育館、雷鋒文化館、生命安全体験館、党史国史館などが作られ、2・5キロの長征(1934~36年に中国共産党軍が国民党軍と交戦しながら行った1万2500キロの大行軍)体験コースもある。2018年には延べ45万人が同施設を訪れている。(南京=新華社記者/季春鵬)=2019(令和元)年9月11日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091901133

  • 戦闘再現の屋外ショー 「長征」学べ、愛国心鼓舞
    2019年12月06日
    戦闘再現の屋外ショー 「長征」学べ、愛国心鼓舞

    共産党軍と国民党軍の戦闘を再現した屋外ショー=11月22日、中国貴州省遵義市(共同)

    商品コード: 2019120601655

  • 屋外ショーの戦闘場面 「長征」学べ、愛国心鼓舞
    2019年12月06日
    屋外ショーの戦闘場面 「長征」学べ、愛国心鼓舞

    要衝「婁山関」で演じられた、共産党軍と国民党軍の戦闘を再現したシーン=11月22日、中国貴州省遵義市(共同)

    商品コード: 2019120601660

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    2021年09月23日
    「新華社」慶華軍工遺跡博物館を訪ねて黒竜江省北安市

    中国黒竜江省北安市の旧慶華工具廠の跡地にある慶華軍工遺跡博物館は、銃をテーマにした博物館として知られる。今から90年前の1931年に起きた「九・一八」事変(柳条湖事件)の翌日に当たる19日、日本軍は関東軍の軍備補充のための野戦兵器工場とするため、奉天(現在の遼寧省瀋陽市)にあった兵器工場「東三省兵工廠」を不法占拠した。1932年、同工場は「日本法人株式会社奉天造兵所」と改称され、武器の主力工場となった。日本による中国侵略戦争の期間中、同工場では機関銃4万3千丁以上が生産され、そのうち少なくとも3万丁が中国の戦場で使われた。奉天造兵所は1945年に日本が全面降伏した後、国民党軍に接収され「九十兵工廠」に、1948年11月の瀋陽解放後は東北人民解放軍が接収し、「五一兵工廠」に改称された。1950年11月、米軍機による爆撃を防ぐため、同工廠に所属する第一製造所が北安市に移され、その後、「慶華工具廠」と改称された。(記者/馬知遥、楊思琪) =配信日: 2021(令和3)年9月23日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021092311559

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