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「堀川」の写真・グラフィックス・映像
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-外国人居留地と港手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐66‐0]
商品コード: 2017082300975
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-堀川キーワード:横浜、堀川、元町、増徳院、船=明治中期、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2019020711944
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-東横堀川に架かる高麗橋東横堀川に架かる高麗橋=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐28‐3]
商品コード: 2017081400543
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-横浜元町百段と前田橋横浜元町百段と堀川前田橋が撮影されている。前田橋は当初木橋であったが、明治23年、鉄の橋に架け換えられた。写真の橋は、鉄製の3連プレートガーダー橋である。高覧が美しい。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐44‐0]
商品コード: 2017080400619
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-藤と娘たち本コレクション中に「東京亀戸の藤」(整理番号53-4)がある。本写真も同一場所と思われる。しかしここでは3人の若い女性の姿態に撮影者の意図は集中している。茶屋風の建物や堀川などに江戸の風情を残している。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐50‐0]
商品コード: 2017080201275
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-居留地より元町と谷戸橋居留地109番付近より元町を見る。手前を流れる堀川は、万延元年(1860)居留地と元町の境に開削され、明治初年(1868)、ブラントン(R.H.Brunton)の設計により、拡幅工事と護岸整備が行なわれた。正面に見えているのが元町増徳院。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐4‐0]
商品コード: 2017081002722
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-フランス山からの横浜居留地山手から見た外国人居留地である。堀川を挟んで、完成近い横浜居留地と元町が撮影されている。F.ベアトの撮影。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号36‐1‐0]
商品コード: 2017080902391
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-Oshun denbei horikawa no danOshun denbei horikawa no dan, Scene of Oshun Denbei Horikawa., Utagawa, Toyokuni, 1786-1865, artist, [between 1830 and 1835], 1 print : woodcut, color ; 38.4 x 26.6 cm., Print shows the young emperor Horikawa playing a shamisen, sitting on large sheets of text.、クレジット:Sepia Times/Universal Images Group/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。広告、プロモーション、商業目的での利用に関してはお問合せください。
商品コード: 2020013100884
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-Horibe yatsubei horibe yajibei shōzōHoribe yatsubei horibe yajibei shōzō, Portraits of Horibe Yatsubei and Horibe Yajibei., Utagawa, Toyokuni, 1786-1865, artist, [ca. 1818-1830], 1 print : woodcut, color ; 37.7 x 26.3 cm., A scene from the drama The Storehouse of the Loyalties. The two figures in the image are the actors Horibe Yatsubei (Yasubei) and Horibe Yajibe.、クレジット:Sepia Times/Universal Images Group/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。広告、プロモーション、商業目的での利用に関してはお問合せください。
商品コード: 2020013100889
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-道頓堀川沿いの旅館画面左端に見えるのは明治11年(1878)に鉄橋となった戎橋。戎橋の右側は宗右衛門町である。宗右衛門町は、南地五花街の一つで芸妓や置屋・貸座敷・茶屋・旅館などが立ち並んでいた。明治10年(1877)代以降の撮影と思われる。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号57‐10‐0]
商品コード: 2017081002560
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-横浜元町百段と前田橋正面に見えている石段が元町百段。石段の上には浅間神社が鎮座する。下は元町2・3丁目の境。手前の橋は、万延元年(1860)の堀川開削の際に架けられた前田橋。明治23年(1890)に鉄橋化されるので、撮影時期はそれ以前と推定される。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐40‐0]
商品コード: 2017082301005
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-横浜居留地谷戸坂を下りた右手に見える赤レンガの建物が明治29年(1896)竣工のフランス領事館で、設計はフランス人建築家サルダ(P.Sarda)。堀川を渡った向こうが山下居留地。写真中央の煙突をもつ建物はグランド・ホテル旧館で、その左の和風屋根は旧ヘボン邸。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐13‐0]
商品コード: 2017081002757
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-横浜・増徳院
キーワード:増徳院、外観、堀川、関東大震災で焼失=明治~大正期、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2018071200643
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-山手公園元町百段上からの風景。手前は元町の家並み、堀川の向こうが山下居留地。目立つ建物としては、右端に増徳院の薬師堂、その左遠方に見える2階建ての大きな洋館がグランド・ホテル新館。撮影時期は明治30年(1897)頃か。=1885(明治18)年頃、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐89‐0]
商品コード: 2017081401670
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-堀川運河と増徳院英語で「運河、横浜」と記入されているが、横浜の堀川沿いである。外国人居留地109番付近から堀川を挟んで、対岸の元町の増徳院方面をみている。手前には荷駄をひく馬車がみられる。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐6‐0]
商品コード: 2017080201196
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-横浜元町百段と前田橋関内外国人居留地本村通りからこの堀川にかかっていた前田橋を渡り、元町2丁目と3丁目の境を抜けると元町百段下につきあたる。前田橋は明治23年(1890)に土田鉄雄の設計で見られるような鉄橋になった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号7‐1‐0]
商品コード: 2017080200997
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-横浜本村の薬師堂山手の山裾に位置する元町は、開港場建設に際して旧横浜村の住民が移住して生まれた町。町を貫く通り(現元町通り)の突き当たりには、この増徳院が位置していた。写真は、本堂脇の薬師堂。その後薬師堂は、移転を経て現在も堀川端に建つ。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐2‐0]
商品コード: 2017081401284
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-山手からの横浜居留地元町百段上からの風景。手前は元町の家並み、堀川の向こうが山下居留地。目立つ建物としては、右端に増徳院の薬師堂、その左遠方に見える2階建ての大きな洋館がグランド・ホテル新館。撮影時期は明治30年(1897)頃か。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐22‐0]
商品コード: 2017081401567
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-横浜運河沿いの居留地居留地より堀川越しに、元町増徳院方面を見たもの。運河の向こうに谷戸橋が見える。堀川沿いの居留地の街路と元町増徳院付近が撮影されている。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号23‐23‐0]
商品コード: 2017080400516
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-横浜の運河と山手ベアトによる1865年9月7日の書き込み。横浜居留地東端橋から堀川(運河)上流を望む。左の家並みは元(本)村、橋は谷戸橋、前田橋。西ノ橋もかすかに見えている。右手奥に見えるのはキャメロン&クックの小造船所である。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐9‐0]
商品コード: 2017080201627
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-西本願寺西本願寺境内を御影(ごえい)堂南東側から北東に望む。右端に御影堂門、左端に水吹き銀杏が見える。中央に建つ青銅製の灯籠に男性がもたれかかるなど、境内各所に人の姿がうかがえる。写真の御影堂門は正保2年(1645)の再建で、入母屋造、本瓦葺である。御影堂門の奥には堀川に架かる橋の高欄が姿をのぞかせる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号52‐28‐0]
商品コード: 2017081002525
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-グランドホテル
バンド東端の居留地18~20番に位置するグランド・ホテルの全景。左側の旧館(20番)と右側の新館(18・19番)からなり、関東大震災で倒壊するまで横浜の代表的なホテルであった。旧館左手の堀川河口に架かる鉄橋は谷戸橋(やとばし)。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐16‐0]
商品コード: 2017081002725
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-山手からの横浜居留地元町百段上からの風景。手前は元町の家並み、堀川の向こうが山下居留地。目立つ建物としては、右端に増徳院の薬師堂、その左遠方に見える2階建ての大きな洋館がグランド・ホテル新館。撮影時期は明治30年(1897)頃か。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐2‐0]
商品コード: 2017081002677
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-外国人居留地109番より元町増徳院をみるキーワード:外国人居留地109番、元町、増徳院、堀川、船=明治中期、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2018042001027
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-元町、堀川沿いから関内居留地を見るキーワード:横浜、元町、堀川、関内居留地、街並み=明治中期、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2018042001034
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-大阪心斎橋キーワード:大阪心斎橋、竣工式典、長堀川に架かる橋、大勢の人たち、洋服店の看板が見える、竣工式当日の光景=明治後期、大阪、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2017122200357
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-グランドホテル
バンド東端と山手方面を望む。18~20番のグランド・ホテル新館・旧館から堀川を隔ててその奥にみえるのはイギリス海軍の物置所。のちに海軍病院の庭園になる。手前の人物が立っているのは、フランス波止場。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐15‐0]
商品コード: 2017081401417
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-海からの外国人居留地
遠方にバンドと山手の丘を望む。中央やや右に見える大きな洋館2棟は、バンド東端に位置するグランド・ホテルの旧館(左)と新館(右)。堀川を越えてその左手にはイギリス海軍の物置所。右端はフランス波止場のたもとに建つボートハウス。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号68‐15‐2]
商品コード: 2017082400267
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-横浜元町百段からの関内居留地元町百段上からの景。手前は元町の家並み、堀川の向こうが山下居留地。右端に増徳院、その左遠方にグランド・ホテル新館(明治20年竣工)が見える。元町百段上からは、幕末以来しばしばパノラマ写真が撮影されており、山下居留地の定点観測地であった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐138‐0]
商品コード: 2017080903254
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-横浜元町百段からの関内居留地元町百段上からの景。手前は元町の家並み、堀川の向こうが山下居留地。右端に増徳院、その左遠方にグランド・ホテル新館(明治20年竣工)が見える。元町百段上からは、幕末以来しばしばパノラマ写真が撮影されており、山下居留地の定点観測地であった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐78‐0]
商品コード: 2017080903207
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-横浜増徳院山手の山裾に位置する元町は、開港場建設に際して旧横浜村の住民が移住して生まれた町。町を貫く通り(現元町通り)の突き当たりには、この増徳院が位置していた。写真は、本堂脇の薬師堂。その後薬師堂は、移転を経て現在も堀川端に建つ。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐63‐0]
商品コード: 2017082300968
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-道頓堀戎橋キーワード:大阪、道頓堀、戎橋、道頓堀川、街並み、電柱、人力車=明治中期、大阪、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2019011810947
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-道頓堀川キーワード:道頓堀川、川の両岸の街並み、船着き場、街並み、暮らし=明治後期、大阪、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2017122200433
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-堀川からの谷戸橋左端は山下居留地69番館。その奥に旧ヘボン邸。煙突をもった建物がグランド・ホテル旧館。谷戸橋(明治20年に鉄橋化)を挟んで山手側には、サルダ(P.Sarda)設計のフランス領事館の付属施設が見えているので、撮影は明治29年(1896)以降。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐3‐0]
商品コード: 2017081400745
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-横浜市街地元町百段上から山下居留地をみる。堀川より手前の家並みは元町。突きあたり(画面右端)に増徳院が見える。沖の白灯台は明治20年代の横浜築港工事で建設されたもの。明治29年(1896)に竣工しており、撮影は同30年頃と推定される。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐16‐0]
商品コード: 2017081401481
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-山手からの横浜居留地元町百段上からの景。手前の堀川に架かるのは前田橋。前田橋からつながる本村通りの左側が旧埋立居留地。堀川の護岸工事がいまだなされておらず、80番の横浜天主堂の鐘楼が見えないことから、明治初年頃の撮影と思われる。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐27‐0]
商品コード: 2017081002774
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-西本願寺大門西本願寺総門を御影堂門から東に望む。手前から奥にむかって人通りで賑わう正面通がのびる。右端に堀川に架かる橋の欄干が見える。その上に御影門に立てられた日の丸の旗がたなびく。門前には3名の車夫が人力車を停車して客を待っている。背後には東山の山並が小さく見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐113‐0]
商品コード: 2017080902920
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-法螺貝を吹く修行僧旧花屋町通油小路西入から、高下駄を履き法螺貝を吹きながら旧花屋町通を東進する修行僧を撮影する。その修行僧を白地の洋服を着用した白人男性が物珍しく見つめている。同所は西本願寺の門前町で広告の看板・提灯・ガス灯を軒先に掲げた仏具屋などが建ち並び、人の往来も激しい。背後には並木の堀川をはさみ、方形屋根の西本願寺経蔵が見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐112‐0]
商品コード: 2017080902999
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-海上からバンド山手を望む
遠方にバンドと山手の丘を望む。中央やや右に見える大きな洋館2棟は、バンド東端に位置するグランド・ホテルの旧館(左)と新館(右)。堀川を越えてその左手にはイギリス海軍の物置所。右端はフランス波止場のたもとに建つボートハウス。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐79‐0]
商品コード: 2017080903208
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-横浜元町百段からの関内居留地元町百段上は、幕末から明治初期には横浜居留地のパノラマ写真が撮影された。手前は元町で、堀川を挟んで向こうに外国人居留地が見える。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:鈴木真一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号41‐17‐0]
商品コード: 2017080902653
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-本村増徳院英語で「寺、横浜」と印刷されているが、これは横浜外国人居留地に堀川を挟んで隣接していた元町(本村)の寺、増徳院の境内にあった薬師堂である。石垣は堀川の土手であり、対岸側から撮影している。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐7‐0]
商品コード: 2017080200807
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-二条城京都市中京区二条通にある二条城の堀川通に面する側である。東南隅櫓の方から、東大手門を望む。二条城は、将軍上洛時の居館として慶長7年(1602)着工、4年後に完成される。東大手門は、寛永頃の特徴を示すもので、中央五間を連窓とし、窓廻り縦格子を鉄板で覆い、柱・扉などにも筋鉄をうちつけている。東南隅櫓の白壁に縦格子の窓が並んでいる。右手に城壁に面するように人力車が一台、舵棒をおろして止まっており、車夫らしき人がこしかけている。=撮影年月日不明、京都、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐18‐0]
商品コード: 2017080200715
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1903年12月31日内国勧業博覧会会場この博覧会を契機に、市電が開通(1903年9月)し、あるいは市内堀川で小型蒸気船が営業を始めるなど、従来市内交通の中心であった人力車は徐々にその地位を失っていくことになる。=1903(明治36)年、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐81‐0]
商品コード: 2017080902900
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1923年09月30日関東大震災陸軍飛行第5大隊の小田曹長・林少尉が空撮した銀座通りの焼け跡。左上の銀座ビルヂングは銀座3丁目付近で、右は京橋方面。銀座ビルには後に松屋が入居した。中央上方のビルは大倉組。下方の堀は三十間堀川で、そこに架かっていた豊玉橋と紀伊国橋は焼け落ちた。宮内庁所蔵の原プリントにはもう少し広く写っている=1923(大正12)年9月5日(軍、空撮)
商品コード: 2009042700086
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1923年12月31日横浜・増徳院の焼跡
キーワード:増徳院の焼跡、関東大震災、堀川、被災=1923(大正12)年頃、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2018071200628
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1926年12月31日堀川キーワード:堀川(中村川)、船=昭和期、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2018071200620
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1930年08月01日日本電報通信社資料道頓堀川で快速巡航船の乗船場が転覆=1930(昭和5)年8月1日(日本電報通信社撮影)
商品コード: 1930080100007
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1945年08月06日焦土と化した広島市 広島に原爆投下原爆で瞬時に焦土と化し、煙突だけ残った広島市街の一部。中国新聞本社屋上から東南を望む。右下は現在の中区堀川町にあった久保田醤油の煙突。この煙突の先端部分は原爆資料館に保存されている。左の山は比治山、右端後方の山は金輪島=昭和20年8月10日から17日の間(資料15058、20年内地439-B)この写真は8月18日に配信され19日の各紙朝刊に大きく掲載された歴史的な写真。
商品コード: 2004030200077
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1945年08月11日焦土と化した広島市 広島の原爆被害
原爆で瞬時に焦土と化し、煙突だけ残った広島市街の一部。中国新聞本社屋上から東南を望む。右下は現在の中区堀川町にあった久保田醤油の煙突。この煙突の先端部分は原爆資料館に保存されている。左手前の山は比治山、右端後方の山は金輪島=昭和20年8月10日から17日の間(20年内地439-B)この写真は8月18日に配信され19日の各紙朝刊に大きく掲載された歴史的な写真。
商品コード: 2007081600084
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1945年08月18日焦土と化した広島市 広島の原爆被害瞬時に焦土と化し、煙突だけ残った広島市街の一部。中国新聞本社から南東を望む。左手前の山は比治山、右端後方の山は金輪島=1945(昭和20)年8月10日から17日の間。8月18日に配信され、19日の各紙朝刊に大きく掲載された歴史的な写真。右下は現在の中区堀川町にあった久保田醤油の煙突。この煙突の先端部は原爆資料館に保存されている(20年内地439−B)
商品コード: 2014101400102
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1948年06月30日スケッチ650 大阪道頓堀川大阪・道頓堀川をゆく小船と橋の上から眺める人たち=1948(昭和23)年6月、大阪市中央区
商品コード: 2016090800634
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1948年08月24日尾瀬ケ原ネムロコウホネ=整理1948(昭和23)年、群馬県の尾瀬ケ原・大堀川西(23年内地番号なし)
商品コード: 2016020800602
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1949年02月25日三十間堀埋め立て三原橋(左奥の電車道)を中心に埋め立て工事が進む三十間堀川。銀座7丁目から京橋方向を望む。手前は木挽き橋跡。左側は銀座、右側は築地方面。東京都は戦災によるがれき処理のため堀を埋め立て、造成した土地を分譲した。三原橋は橋下空間とともに残り三原橋地下街となった=1949(昭和24)年2月25日
商品コード: 2004070200157
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1949年02月25日三十間堀埋め立て三十間堀川は京橋川から汐留川に至る川で、中央通と昭和通の間を流れていた。戦災による瓦礫などの残土処理のため、1948年から埋め立てが始まり、1952年には全く姿を消した。写真は銀座8丁目方向から1丁目方向に向かって三原橋附近を望んだもので、三原橋を中心に埋め立て工事が進む様子が見える。画面左側が銀座、右側は築地方面=1949(昭和24)年2月25日、東京都中央区銀座(了)
商品コード: 2010022200090
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1949年02月25日埋め立て工事が進む三十間堀 ニュー銀座誕生へ戦災による瓦礫などの残土処理のため、1948年から埋め立てが始まり、1952年には三十間堀川は姿を消した。写真は銀座8丁目方向から1丁目方向に向かって三原橋附近を望んだもので、三原橋を中心に埋め立て工事が進む様子が見える。画面左側が銀座、右側は築地方面=1949(昭和24)年2月25日、東京都中央区銀座(24年内地1158(コマ))
商品コード: 1949022550001
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1949年04月16日堀川の肥船化学肥料が乏しいころは人肥が貴重だった。高知市郊外のお百姓さんたちは、肥たごを船に積み市内の堀川を上り、新京橋辺りまで人肥を買い求めにきた(昭和24年4月16日、現在の高知市帯屋町1丁目辺り) =1949(昭和24)年4月16日、高知県高知市、クレジット:高知新聞社/共同通信イメージズ
商品コード: 2020070303334
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1949年08月16日三十間堀川埋め立て地 埋め立てられた銀座裏通り東京都が戦災のがれきを処分するため銀座裏通りの三十間堀川を埋め立てて造成された土地。銀座3丁目から新橋方向を望む。中央奥の電車道は三原橋、右手が銀座側、左手が築地方向、右上の黒っぽいビルは松坂屋。東京都は埋め立て地の中央に道路を通し、その左右の土地を分譲した=整理1949(昭和24)年8月(24年内地5494)
商品コード: 2016111700429
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1949年08月17日銀座の埋め立て地東京都が三十間堀川を埋め立ててできた土地。銀座3丁目の朝日橋跡付近から京橋方向を望む。中央の車の走る地点は豊玉橋跡。後方のドーム屋根は京橋の第一相互館。東京都は埋め立て地の中央に道路を通し、その左右の土地を分譲した=整理1949(昭和24)年8月(24年内地番号なし)
商品コード: 2016092100391
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1951年01月26日日本一、お国自慢電車のハシリ、京都・堀川電車の内部=1951(昭和26)年1月(26年内地294関連)
商品コード: 2013041600316
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1951年01月26日日本一、お国自慢電車のハシリ、京都・堀川電車=出稿1951(昭和26)年1月26日(26年内地294)
商品コード: 2013041600315
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1951年01月26日日本一、お国自慢電車のハシリ、京都・堀川電車の内部=1951(昭和26)年1月(26年内地294関連)
商品コード: 2013041600319
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1953年10月22日大阪市街地(資料)大阪市中心部の空撮、市北西部から難波方面を撮影。西横堀川(下から右上へ)と交差する長堀川(交差点の橋は四つ橋)、左側斜め右上への通りが御堂筋、上方は難波=1953(昭和28)年10月22日(28年内地番号なし)
商品コード: 2013021300204
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1953年12月24日宇佐美毅宇佐美毅・宮内庁長官(左)、堀川辰吉郎・ニューヨーク中央倉庫副社長(中)、元皇族の久邇朝融氏=1953(昭和28)年12月24日 (28年内地番号なし)
商品コード: 2013022500101
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1953年12月24日堀川辰吉郎元メシア教最高顧問の堀川辰吉郎=1953(昭和28)年12月24日 (28年内地番号なし)
商品コード: 2013021300158
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1956年07月02日スケッチ20114 文楽人形の船乗り込み大阪の土佐堀川を行進する文楽人形船=1956(昭和31)年7月2日、大阪市内
商品コード: 2017081300229
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1960年03月27日長堀川を埋め立て 姿消す浪速名物の心斎橋下を流れる長堀川の埋め立てに伴い、姿を消すことになった心斎橋=1960(昭和35)年3月27日、大阪・心斎橋
商品コード: 1960032750001
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1961年06月24日福岡県・朝倉 朝倉の二連水車堀川の水を水田に揚水する朝倉のニ連水車=福岡県朝倉郡、1961(昭和36)年6月24日、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ
商品コード: 2015070200437
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1964年11月05日(なかだい・たつや) 仲代達矢俳優、左は堀川弘通監督=1964(昭和39)年11月5日
商品コード: 1964110500006
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1966年02月17日(ちば・じへい) 千葉治平作家、本名・堀川治平、「虜愁記」で第54回直木賞受賞=1966(昭和41)年2月10日撮影
商品コード: 2006042000131
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1966年03月30日東京・東村山で赤痢汚水が漏れた空堀川。後方は民間分譲の「文化村住宅」=1966(昭和41)年3月30日、東京都東村山市 (41年内地1892)
商品コード: 2011052500185
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1969年11月05日新宮殿で勲一等親授式親授式後記念撮影する(前列左から)赤間文三、井口貞夫、井上五郎、岡部金治郎、堀切善次郎、永山忠則、柏原語六、兼重寛九郎、小島徹三、篠田弘作、(後列左から)島村一郎、津田正夫、名川保男、堀川恭平、松方三郎、松本重治、森下国雄の各氏=1969(昭和44)年11月5日、皇居・新宮殿前庭(44年内地 5630)
商品コード: 2011051700198
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1969年11月07日(ほりかわ・きょうへい) 堀川恭平衆議院議員、自由党、兵庫=1969(昭和44)年10月24日撮影
商品コード: 1969110700012
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1970年02月27日大阪万博をPR道頓堀川沿いに開設された大阪万国博をPRする「キリンEXPO」コーナー=1970(昭和45)年2月27日、大阪市
商品コード: 2021032308424
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1970年02月27日大阪万博をPR道頓堀川沿いに開設された大阪万国博をPRする「キリンEXPO」コーナー=1970(昭和45)年2月27日、大阪市
商品コード: 2021032308429
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1970年02月27日大阪万博をPR道頓堀川沿いに開設された大阪万国博をPRする「キリンEXPO」コーナー=1970(昭和45)年2月27日、大阪市
商品コード: 2021032308468
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1974年10月28日青島幸男ら 「告訴せず」製作発表映画「告訴せず」の製作発表で笑顔を見せる(右から)青島幸男、堀川弘道監督、江波杏子=1974(昭和49)年10月28日、東京・砧の東宝撮影所
商品コード: 1974102800002
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1975年07月11日ドラム缶船で太平洋横断へ勇躍、太平洋横断に出発するドラム缶イカダ「パイプカット号」。名古屋市南区の大野清久さん(人口抑制論者)が自ら設計した。ドラム缶66本でイカダを組み、その上にキャビン代用の自動車ボディーを乗せた2本マストの奇抜なもの。全長8メートル、幅4メートル、24馬力のディーゼルエンジン、無線機を装備している。国際婦人年にあたり、同船で米国に渡り自説をアピールするのが目的=1975(昭和50)年7月11日、名古屋市熱田区の堀川
商品コード: 2013011500403
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1976年02月14日“お堀電車”さようなら多くのファンに見送られ出発する“さよなら電車”。明治以降埋め立てられた名古屋城の外堀に線路を敷設したため、外堀を通る区間は「お堀電車」と呼ばれ、市民に親しまれたが、2月15日廃止される=1976(昭和51)年2月14日、名古屋市中区の名鉄瀬戸線堀川駅(51年内地 586~589「写真ニュース」、51年内地 1013参照)
商品コード: 2013061300334
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1976年06月24日(ほりかわ・ひろみち) 堀川弘通映画監督 東宝映画「アラスカ物語」撮影中、インタビューに答える堀川弘通監督=1976(昭和51)年6月24日、東宝撮影所
商品コード: 2004102400154
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1976年06月24日(ほりかわ・ひろみち) 堀川弘通映画監督=1976(昭和51)年6月24日撮影資料用
商品コード: 2005031100410
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1979年05月02日歌舞伎俳優を乗せ「船乗り込み」人気歌舞伎俳優を乗せ土佐堀川を行く「船乗り込み」=1979(昭和54)年5月2日、大阪市
商品コード: 2015051400340
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1979年05月02日人気歌舞伎俳優を乗せ「船乗り込み」人気歌舞伎俳優を乗せ土佐堀川を行く「船乗り込み」=1979(昭和54)年5月2日、大阪市
商品コード: 2015051400341
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1980年02月29日名古屋の堀川からコレラ菌堀川の水を採取する名古屋市衛生局員=1980(昭和55)年2月29日、名古屋市中区松原の松重橋下
商品コード: 2017112100147
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1980年04月06日喜ぶ高知商ナイン 高知商が初優勝帝京を破り初優勝を決め、決勝点の走者堀川(2)に駆け寄り喜ぶ高知商ナイン。左端はガックリする細谷捕手=1980(昭和55)年4月6日、甲子園
商品コード: 2018101222370
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1982年04月01日松坂慶子ら 映画「道頓堀川」松竹映画「道頓堀川」の製作発表。(前列左から)真田広之、松坂慶子(後列左から)柄本明、深作欣二監督、佐藤浩市、山崎努=1982(昭和57)年4月1日、東京都内のホテル
商品コード: 1982040100030
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1982年04月01日(やまざき・つとむ) 山崎努松竹映画「道頓堀川」の製作発表記者会見に臨む山崎努さん=1982(昭和57)年4月1日、東京都内ホテル
商品コード: 1982040100033
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1985年10月16日阪神タイガース優勝道頓堀川に飛び込む熱狂的ファン=1985(昭和60)年10月17日午前0時15分、大阪市南区戎橋(1985年国内十大ニュース10)
商品コード: 2009110200241
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1985年10月17日道頓堀川に飛び込むファン 阪神タイガース優勝阪神のセ・リーグ優勝に狂喜して道頓堀川に飛び込む熱狂的ファン=1985(昭和60)年10月17日午前0時15分、大阪・心斎橋、 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第9巻使用画像(P37)
商品コード: 2015051100577
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1989年07月07日署名を提出する堀川京大教授ら代表者 3万人署名を首相らに中国人留学生の人権を守るよう首相や関係大臣あてに署名を提出する堀川京大教授(左から3人目)ら代表者=1989(平成元)年7月7日午後1時20分、総理府
商品コード: 2019122500702
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1993年11月13日堀川さん一家 住民の避難生活続く大火砕流で自宅を失い、移り住んだ市営住宅で不自由な生活を強いられる堀川さん一家=10日午後、島原市柿の木
商品コード: 1993111300033
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1994年04月16日道頓堀川の噴水道頓堀川の噴水、大阪市中央区
商品コード: 2004090600125
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1994年04月29日サッカー人気で参拝急増 けまりの神様大人気サッカー上達祈願の絵馬がたくさんかけられた白峯神宮=京都市・今出川通堀川東入(絵馬のアップ)
商品コード: 1994042900022
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1995年04月10日押収物の運び出し オウム京都支部の捜索終了オウム真理教京都支部から押収物を運び出す京都府警の機動隊員ら=10日午後2時10分、京都市下京区東堀川通高辻下ル(カラーネガ)
商品コード: 1995041000053
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1995年04月10日押収物の運び出し オウム京都支部の捜索終了オウム真理教京都支部から押収物を運び出す京都府警の機動隊員ら=10日午後2時10分、京都市下京区東堀川通高辻下ル(カラーネガ)
商品コード: 1995041000059
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1995年04月10日京都支部を捜索 オウム京都支部など捜索オウム真理教京都支部(2階)の捜索に入る捜査員ら=10日午前5時35分、京都市下京区東堀川通高辻下ル
商品コード: 1995041000013
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1995年04月25日現場検証 オウム京都支部に日本刀男
日本刀を持った男が侵入したオウム真理教京都支部で現場検証をする係官=25日午後9時20分、京都市下京区堀川通高辻下ル
商品コード: 1995042500101
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1995年06月21日慌ただしい旅行代理店 全日空機ハイジャック事件ハイジャック事件で応対に追われる旅行代理店の社員=21日午後3時30分、富山市堀川小泉
商品コード: 1995062100048
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1995年08月01日土佐堀川を上る「サバニ」 小舟「サバニ」で平和祈り
広島、長崎への平和のメッセージを携え、沖縄伝統の小舟「サバニ」で土佐堀川を上る喜納さんら=1日午前10時15分、大阪市西区(カラーネガ)
商品コード: 1995080100022
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1995年10月18日事件現場の戎橋 鉄パイプで暴行、投げ込む
藤本さんが道頓堀川に投げ込まれ殺害された戎橋(えびすばし)の現場=18日午前10時、大阪市中央区道頓堀(カラーネガ)
商品コード: 1995101800081
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1995年10月18日現場検証 3人組が男性を投げ込む
男性が道頓堀川に投げ込まれた戎橋(えびすばし)を調べる捜査員=18日午前10時5分、大阪市中央区道頓堀(カラーネガ)
商品コード: 1995101800018
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