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「寛永」の写真・グラフィックス・映像

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  •  愛宕山百段男坂
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    愛宕山百段男坂

    愛宕神社東側社前の急斜面にある男坂。百段とあるが実際には86段。現在の坂は戦災後昭和41年のもの。講談・浪曲の『寛永三馬術』で有名。鳥居の傍らに茶店が見える。右手に緩やかに登っているのが女坂(109段)。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号22‐2‐0]

    商品コード: 2017080400514

  •  寛永寺五重塔
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    寛永寺五重塔

    上野の寛永寺は家綱、綱吉、吉宗、家治、家定の5人の将軍の霊廟があった。この五重の塔は改修され、現在は動物公園内にある。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐3‐0]

    商品コード: 2017080902066

  •  知恩院
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    知恩院

    知恩院境内を霊塔南東側より北東に望む。石畳の参道が前方より一直線に延び、左方の本堂の御影(ごえい)堂、右方の経蔵へと続く。背後に華頂山をいただく。御影堂前には洋服にステッキを持った男性の姿、経蔵前には2対の石灯籠が見える。御影堂は寛永16年(1639)の創建で、入母屋、本瓦葺の大堂である。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐92‐0]

    商品コード: 2017080902897

  •  西本願寺
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    西本願寺

    西本願寺御影(ごえい)堂正面を東側から西を向いて撮影する。中央には青銅製の灯籠が建つ。御影堂正面の階段前では礼拝している人の姿が見える。御影堂は大師堂とも呼ばれ、寛永13年(1636)の創建。入母屋造、本瓦葺で、東西24間半(約45m)、南北31間半(約57m)、棟高15間(約27m)である。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐111‐0]

    商品コード: 2017080902971

  •  知恩院大釣鐘
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    知恩院大釣鐘

    知恩院大釣鐘を鐘楼西側から東に望む。鐘の下では写真屋が彩色写真を額装し販売している。その周りに観光客の青年が立つ。知恩院大釣鐘は吉水の鐘とも呼ばれ、寛永13年(1636)に三条釜座によって鋳造された日本最大の銅鐘である。高さ5.4m、口径2.7m、厚さ29cm、重量約7.5t(約2万貫)である。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号52‐17‐0]

    商品コード: 2017081002529

  •  不忍池
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    不忍池

    不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)に、天海僧正が琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。参道半ばあたりから池の端に向かって撮影されたもの。右手、松の木陰にのぞいているのは弁天社左端の殿。蓮の花がいくつか大きく開いており、夏の日の撮影であることが分かる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐19‐0]

    商品コード: 2017080200979

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    上野公園

    東照宮の入り口左側にあった大仏の入り口の鳥居である。大仏は寛永8年(1631)に最初に建立され、その後地震や火災で崩壊したが、何度も復興された。大仏に覆屋がなく明治6年(1873)以後の撮影である。現在は頭部だけ残されている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐89‐0]

    商品コード: 2017080903323

  •  上野寛永寺の五重塔
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    上野寛永寺の五重塔

    寛永16年(1639)に古河城主土井利勝によって再建されたもの。手前の石灯籠は上野東照宮参道に並ぶもので、左手が東照宮本殿となる。本来は東照宮の五重塔であったが明治の神仏分離によって寛永寺に帰属した。現在は東京都所有で、上野動物園の敷地内にある。=撮影年月日不明、上野、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐28‐0]

    商品コード: 2017081401236

  •  芝増上寺の弁天池
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    芝増上寺の弁天池

    上野と芝、 寛永寺と増上寺は、 いずれも徳川家の菩提寺で、 弁天池は不忍池に、 中の島は弁天島とパラレルな関係にある。 蓮の花の咲く池の上にかかる石橋を渡り、 中の島の弁天様にお参りすることになっていた。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐21‐0]

    商品コード: 2017080200844

  •  興福寺の大雄宝殿
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    興福寺の大雄宝殿

    南京寺と通称される東明山興福寺(長崎市寺町64)の大雄宝殿。元和6年(1620)、中国・江西省浮梁県から渡来した眞圓が開創。宝殿、山門、経堂は二代住持の黙子如定が寛永18年(1641)に建立した。向かって左奥の入母屋造りは媽祖堂(媽祖は航海の守護神)、右端は庫裡(台所にあたる建物)。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐47‐0]

    商品コード: 2017081502218

  •  上野公園韻松亭
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    上野公園韻松亭

    左の韻松亭という茶店の上に見える屋根は寛永寺に属していた「時の鐘」。松尾芭蕉の句「花の雲鐘は上野か浅草か」のモデルとなった鐘である。かつて江戸市中には時の鐘が9箇所あり、一刻(2時間)毎に鐘を撞いた。時計を持たない庶民たちは鐘の音で時を知った。いまでも正午と午前午後の6時に撞かれている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐37‐0]

    商品コード: 2017081002658

  •  銀閣寺
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    銀閣寺

    慈照寺銀閣を錦鏡池西側より西に望む。写真の銀閣は観音堂とも呼ばれ、足利義政の命により長享3年(1489)に上棟、元和元年(1615)、寛永16年(1639)に修復されている。二層、宝形造、柿(こけら)葺の楼閣である。右方の植え込みは仙人洲、左の植え込み下には山名石、その奥に分界橋が姿をのぞかせる。F.ベアド撮影。=撮影年月日不明、京都、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号62‐24‐0]

    商品コード: 2017082300986

  •  不忍池
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    不忍池

    不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)、天海僧正が池を琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。清水坂あたりからの俯瞰。参道に茶屋が建ち並んでいる。その先、中央に弁天堂、右手前に生地院、明治6年上野山が公園に指定される前の撮影。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐31‐0]

    商品コード: 2017080901997

  •  知恩院大釣鐘
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    知恩院大釣鐘

    知恩院大釣鐘を鐘楼西側から東に望む。知恩院大釣鐘は吉水の鐘とも呼ばれ、寛永13年(1636)に三条釜座によって鋳造された日本最大の銅鐘である。高さ5.4m、口径2.7m、厚さ29cm、重量約7.5t(約2万貫)である。=撮影年月日不明、京都、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐15‐0]

    商品コード: 2017081401373

  •  崇福寺竜宮門遠景
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    崇福寺竜宮門遠景

    大光寺の境内から崇福寺の山門の竜宮門を望んでいる。崇福寺は、寛永19年(1642)に当時在留していた中国・福建出身者が創建した黄檗宗の寺院である。その山門は寛文13年(1673)単層の八脚門形式で建てられたが、嘉永2年(1849)の再建時に今日の竜宮門形式となった。日本人棟梁・大串五郎平の作。石と瓦の練積みに漆喰塗り。重要文化財。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐28‐0]

    商品コード: 2017081502089

  •  旧寛永寺五重塔
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    旧寛永寺五重塔

    キーワード:上野、旧寛永寺、五重塔、人力車、重要文化財=撮影日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019020417620

  •  愛宕山百段男坂
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    愛宕山百段男坂

    愛宕神社東側社前の急斜面にある男坂。百段とあるが実際には86段。現在の坂は戦災後昭和41年のもの。講談・浪曲の『寛永三馬術』で有名。右手に緩やかに登っているのが女坂。鳥居の柱下に人力車夫が見える。=撮影年月日不明、東京、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号36‐25‐0]

    商品コード: 2017080902340

  •  清水寺
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    清水寺

    清水寺西門と三重塔を仁王門東側より東に見上げる。参道は右方の西門をくぐり三重塔へ至る石段と、左方の直接に三重塔へと至る石段に分かれている。西門西側の斜面には岸駒灯籠と呼ばれる灯籠群が建ち並ぶ。西門西門は寛永8年(1631)の創建で、切妻造、檜皮葺。三重塔は寛永10年(1633)頃の創建で、本瓦葺である。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐43‐0]

    商品コード: 2017081401008

  •  上野の大仏
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    上野の大仏

    上野の山には大仏があった。寛永8年(1631)年、堀丹後守直寄が忍ヶ丘の高台に土の大仏を造ったのが始まり。後に淨雲和尚が青銅仏に改鋳。元禄11年(1698)に殿舎が建立されるが、天保12年(1841)に焼失。天保14年(1843)に2代目の大仏と殿舎が再建。その殿舎も明治6年(1873)に取り払われたという。それでこの写真の大仏は露仏になっている。明治20年代後半の撮影か。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐7‐0]

    商品コード: 2017081002603

  •  西本願寺
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    西本願寺

    西本願寺境内を御影(ごえい)堂南東側から北北西に望む。左から御影堂(大師堂)、阿弥陀堂(本堂)、水吹き銀杏が見える。御影堂は寛永13年(1636)の創建、阿弥陀堂は宝暦10年(1760)の創建で、両者は歩廊で結ばれている。子供を中心に大勢の人々が青銅製の灯籠の周囲に集まっている。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号52‐9‐0]

    商品コード: 2017081002526

  •  京都清水寺の舞台
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    京都清水寺の舞台

    清水寺本堂舞台を奥ノ院より西北西に望む。舞台上には日傘を差した女性など観光客の姿が見える。南苑には木々が生い茂り、季節は初夏でないかと推察される。本堂舞台は寛永10年(1633)の再建で、寄棟造で総檜皮葺、西側正面と南側東西に翼楼を配する。本堂裏には地主神社が垣間見える。舞台高欄周囲に内側を向けて設けられた柵は落下防止のためか。=撮影年月日不明、京都、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐13‐0]

    商品コード: 2017081401378

  •  日光山輪王寺相輪橖と三仏堂
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    日光山輪王寺相輪橖と三仏堂

    相輪橖は、寛永20(1643)年に天海大僧正が東照宮奥院に建てた青銅の塔。その後、二荒山神社付近に移されたが、神仏分離のため明治8(1875)年に現在の場所に移設された。輪王寺の三仏堂も、日光二荒山神社の境内から撤去され、明治14年に写真の場所に再建された。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐15‐0]

    商品コード: 2017092200479

  •  知恩院御影堂内の須弥壇と宮殿
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    知恩院御影堂内の須弥壇と宮殿

    知恩院御影堂内の須弥壇と厨子を撮影する。須弥壇と厨子は金箔と漆塗で装飾された禅宗様で、本尊である法然上人坐像の尊像を安置している。知恩院御影堂を南西側より北東に望む。御影堂は知恩院の本堂で、法然上人の御影を安置する。桁行11間、梁間9間、単層、入母屋造、本瓦葺で、寛永16年(1639)に再建された。=撮影年月日不明、京都、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐14‐0]

    商品コード: 2017081401340

  •  知恩院御影堂
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    知恩院御影堂

    知恩院御影堂を南西側より北東に望む。御影堂は知恩院の本堂で、法然上人の御影を安置する。桁行11間、梁間9間、単層、入母屋造、本瓦葺で、寛永16年(1639)に再建された。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐41‐0]

    商品コード: 2017081401612

  •  新大工町通り
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    新大工町通り

    明治中期の新大工町に至る町並みである。通りは広く、人力車があちこちに見える。慶長11年(1606)頃、大工が集まって大工町ができた。その後、大工町(本大工町)は手狭になり、当時の町外れに新大工町が分離した。寛永18年(1641)には内町の一つであった。寛文12年(1672)には出来大工町が分離している。旧新大工町は昭和56年(1981)に伊勢町と分離した。写真中央を拡大すると大手橋の擬宝珠の欄干が見えることから、撮影場所は諏訪神社一の鳥居前と思われる。\r\n=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐24‐0]

    商品コード: 2017081600829

  •  京都清水寺の舞台
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    京都清水寺の舞台

    清水寺本堂舞台を奥ノ院より西北西に望む。舞台上には人の姿はなく、南苑の木々は葉が落ちる。季節は冬でないかと推定される。本堂舞台は寛永10年(1633)の再建で、寄棟造で総檜皮葺、西側正面と南側東西に翼楼を配する。左方の南苑には参道が西にのびる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐13‐0]

    商品コード: 2017081400748

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    上野公園

    上野公園は江戸時代には東叡山寛永寺の境内であり、多くの堂塔が立ち並んでいたが、明治維新の際、ここに立て籠もった彰義隊と新政府軍との戦いでそのほとんどが消失してしまった。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐1‐0]

    商品コード: 2017080902251

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    上野公園

    東照宮の入り口左側にあった大仏の入り口の鳥居である。大仏は寛永8年(1631)に最初に建立され、その後地震や火災で崩壊したが、何度も復興された。大仏に覆屋がなく明治6年(1873)以後の撮影である。現在は頭部だけ残されている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐70‐0]

    商品コード: 2017080903282

  •  上野公園入口
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    上野公園入口

    上野広小路から上野の山に登る階段。公園東南に位置する小丘は桜ヶ丘と呼ばれた。階段の上はその桜ヶ丘で、寛永7年(1630)、林羅山がここを賜って孔子廟を創った(後に湯島に移転)。明治30年(1897)高村光雲により西郷隆盛銅像が竣工する。階段左に見える屋根は僧天海創建の上野清水堂。写真左端にはかつて黒門があった所。明治中期。=撮影年月日不明、東京、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐68‐0]

    商品コード: 2017080903277

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    中山道長久保の宿場

    中山道の宿駅の一つ、長窪宿があった長窪村の光景。藁葺きの家が並び、写真左に村民、中央街道上には笠をかぶった旅人の姿が見える。長窪村は、寛永8年(1631)の洪水以降、古町と新町に分かれたという。=撮影年月日不明、長野、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号38‐46‐0]

    商品コード: 2017082200875

  •  知恩院唐門と大方丈
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    知恩院唐門と大方丈

    知恩院唐門と大方丈を南西側から北東に望む。唐門前には松などの庭木が生い茂る。唐門は檜皮葺、前後唐破風、左右入母屋造の四脚門、大方丈は玄関・歩廊が附属し、桁行9間、梁間6間、一重入母屋造、檜皮葺で、双方とも寛永18年(1641)の創建である。右背後には華頂山が見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐94‐0]

    商品コード: 2017080902951

  •  知恩院大釣鐘
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    知恩院大釣鐘

    知恩院大釣鐘を鐘楼西側から東に望む。鐘の下では着物姿の2人の青年が鐘に手を伸ばしている。右側の柱には彩色写真を貼り付けた額が掲げられる。知恩院大釣鐘は吉水の鐘とも呼ばれ、寛永13年(1636)に三条釜座によって鋳造された日本最大の銅鐘である。高さ5.4m、口径2.7m、厚さ29cm、重量約7.5t(約2万貫)である。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号52‐24‐0]

    商品コード: 2017081002468

  •  知恩院御影堂
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    知恩院御影堂

    知恩院御影堂を南西側より北東に望む。御影堂は知恩院の本堂で、法然上人の御影を安置する。桁行11間、梁間9間、単層、入母屋造、本瓦葺で、寛永16年(1639)に再建された。右背後に華頂山が姿をのぞかせる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号52‐2‐0]

    商品コード: 2017081002519

  •  新大工町通り
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    新大工町通り

    明治中期の新大工町に至る町並みである。通りは広く、人力車があちこちに見える。慶長11年(1606)頃、大工が集まって大工町ができた。その後、大工町(本大工町)は手狭になり、当時の町外れに新大工町が分離した。寛永18年(1641)には内町の一つであった。寛文12年(1672)には出来大工町が分離している。旧新大工町は昭和56年(1981)に伊勢町と分離した。写真中央を拡大すると大手橋の擬宝珠の欄干が見えることから、撮影場所は諏訪神社一の鳥居前と思われる。\r\n=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号120‐19‐0]

    商品コード: 2017081600966

  •  京都清水寺の舞台
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    京都清水寺の舞台

    清水寺本堂舞台を奥ノ院より西北西に望む。舞台上には4人の人影が見える。南苑の木々は葉が落ち冬枯れの状態である。本堂舞台は寛永10年(1633)の再建で、寄棟造で総檜皮葺、西側正面と南側東西に翼楼を配する。舞台高欄周囲に内側を向けて設けられた柵は落下防止のためか。左の南苑には参道が西にのびる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐40‐0]

    商品コード: 2017081400763

  •  桂離宮松琴亭
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    桂離宮松琴亭

    桂離宮松琴亭を天の橋立より大池をはさみ南東に望む。松琴亭は寛永18年(1641)から実施された桂離宮の第2次造営にともない創建された。第2次造営は智忠親王の命により小堀遠州が当たっている。松琴亭は入母屋造、茅葺きで11畳の「一の間」と6畳半の「次の間」から成る。背後には松林の林泉が広がる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐106‐0]

    商品コード: 2017081401683

  •  京都清水寺の舞台
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    京都清水寺の舞台

    清水寺本堂舞台を奥ノ院より西北西に望む。舞台上には4人の人影が見える。南苑の木々は葉が落ち冬枯れの状態である。本堂舞台は寛永10年(1633)の再建で、寄棟造で総檜皮葺、西側正面と南側東西に翼楼を配する。舞台高欄周囲に内側を向けて設けられた柵は落下防止のためか。左の南苑には参道が西にのびる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号89‐5‐0]

    商品コード: 2017081400881

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    上野の大仏

    上野精養軒の東側の大仏山にあり、桜の季節には参拝者も多かったが、大正12年(1923)年の大震災で首が落ちてしまった。御体は第2次大戦の際に、軍に供出されて何と武器に変わったとのこと。50周忌となる昭和47年(1972)、大仏のあった場所に仏塔パゴダが建てられた。お顔は寛永寺に保管されていたが、同じ時レリーフとしてパゴダの南側に祀られ現在に至る。明治10年頃か。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐48‐0]

    商品コード: 2017081002651

  •  知恩院御影堂の歩廊
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    知恩院御影堂の歩廊

    知恩院御影堂北側の歩廊を東方から西に望む。御影堂は知恩院の本堂で、法然上人の御影を安置する。桁行11間、梁間9間、単層、入母屋造、本瓦葺で、寛永16年(1639)に再建された。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐90‐0]

    商品コード: 2017080902772

  •  不忍池
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    不忍池

    不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)、天海僧正が池を琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。蓮池の向こうに見えるのが弁天堂の屋根。左端には(長舵亭あるいは生地院)が見える。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号22‐4‐0]

    商品コード: 2017080400484

  •  上野公園の桜
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    上野公園の桜

    上野公園黒門通りと現在のJR上野駅との間を通る道を南方から写したものである。画面右隅は寛永寺の塔中凌雲院で、現在は国立西洋美術館などがある場所である。着物の片裾をつまみ上げて歩くのは母親であろうか。まだ小さな子どもに話しかけているようだ。=撮影年月日不明、東京、撮影者:臼井秀三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号94‐40‐0]

    商品コード: 2017081401083

  •  仁和寺五重塔
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    仁和寺五重塔

    仁和寺五重塔を塔西側から東に見上げる。辺りには小高い松の木と、御室桜が植えられている。手前の左右に続く参道は仁和寺の仁王門と金堂をつなぐ。仁和寺五重塔は寛永14年(1637)に徳川家光が創建した。各方約5.5m、高さ33mの朱塗の五層塔婆である。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐14‐0]

    商品コード: 2017080902584

  •  赤坂門
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    赤坂門

    江戸城城門および見附のひとつ。寛永13年黒田氏が枡形を築き、同16年加藤・小川の両名が門を改修。「江戸名所」に「此御門は北斗の景勝とて、江戸御城の御構え多き中にも殊更すぐれたる縄張という」とある。『角川日本地名大辞典』P.53にほぼ同一の写真があり、英人ブラックの撮影(明治4年)とある。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号22‐11‐0]

    商品コード: 2017080400468

  •  上野公園
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    上野公園

    上野公園は元々寛永寺の境内であったが、戊辰戦争の戦場となり堂宇のほとんどが焼失した。明治6年(1873)、日本で初めて公園に指定され、ソメイヨシノを中心とした桜は900本植えられている。人力車は売店(甘酒屋?)で買い物をする女性客を待っているのだろうか。=撮影年月日不明、東京、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐63‐0]

    商品コード: 2017080903162

  •  大阪城外堀六番櫓
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    大阪城外堀六番櫓

    大坂城外堀に面する内側城壁と六番櫓を、現在の上町筋方面(外堀南西角)より望む。この高石垣に見られる勾配は、石材を規格化することによる新しい技法で、元和・寛永年間に登場した築城技術の特徴を示している。=1872(明治5)年、大阪、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐50‐0]

    商品コード: 2017080200883

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    寛永寺五重塔

    寛永8年(1631)幕府重臣土井利勝が建立し上野東照宮に寄進。寛永16年(1639)薬師堂からの出火で類焼。写真の塔は同年土井利勝が再建したもの。手前は東照宮の石灯籠。参道の北側、上野動物園の敷地内に現存。所有者は明治初年に寛永寺に、戦後は東京都に変わった。それで現在は旧寛永寺五重塔と呼ぶ。東京で江戸期の五重塔は池上(本門寺)と上野しか遺っていない。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐16‐2]

    商品コード: 2017081002613

  •  鈴川河合橋附近からの富士山
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    鈴川河合橋附近からの富士山

    鈴川は元吉原ともいい、吉原の駅が寛永16年(1639)水害をさけて、移動したのち、鈴川駅が作られたという。富士に最も近い鉄道の駅があり、海浜には田子の浦が広がっている。=撮影年月日不明、静岡、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐30‐0]

    商品コード: 2017080200882

  •  鶴岡八幡宮
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    鶴岡八幡宮

    東から若宮(わかみや)を望む。その上段は上宮楼門(ろうもん)と廻廊(かいろう)である。若宮はこけら葺か檜皮葺(ひわだぶき)で、寛永元年(1624)の再建。上宮は江戸初期の建物が文政4年(1821)の大火で焼失したのち、同11年に銅板葺で再建された。若宮と上宮廻廊は現重要文化財。撮影年代は未詳。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐36‐0]

    商品コード: 2017081401051

  •  愛宕山百段男坂
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    愛宕山百段男坂

    愛宕神社東側社前の急斜面にある男坂。百段とあるが実際には86段。現在の坂は戦災後昭和41年のもの。講談・浪曲の『寛永三馬術』で有名。右手に緩やかに登っているのが女坂。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐42‐0]

    商品コード: 2017080902783

  •  京都清水寺の舞台
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    京都清水寺の舞台

    清水寺本堂舞台を奥ノ院より西北西に望む。舞台上には2人の人影が見える。南苑の木々は緑深く生い茂る。本堂舞台は寛永10年(1633)の再建で、寄棟造で総檜皮葺、西側正面と南側東西に翼楼を配する。舞台高欄周囲に内側を向けて設けられた柵は落下防止のためか。左の南苑には参道が西にのびる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐20‐0]

    商品コード: 2017080902676

  •  知恩院大釣鐘
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    知恩院大釣鐘

    知恩院大釣鐘を鐘楼西側から東に望む。鐘の下では着物姿の青年が鐘に右手を伸ばしている。知恩院大釣鐘は吉水の鐘とも呼ばれ、寛永13年(1636)に三条釜座によって鋳造された日本最大の銅鐘である。高さ5.4m、口径2.7m、厚さ29cm、重量約7.5t(約2万貫)である。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐24‐0]

    商品コード: 2017081400585

  •  上野・五重塔
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    上野・五重塔

    キーワード:上野、五重塔(旧寛永寺五重塔か?)=明治後期、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018041300967

  •  江戸 上野寛永寺の幕臣
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    江戸 上野寛永寺の幕臣

    江戸、上野寛永寺の幕臣=1872年11月2日、東京・江戸、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。★特別価格対象商品★

    商品コード: 2018122023029

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    興福寺の鐘楼

    ベアトによる1866年3月の書き込み。興福寺の仏殿右側前面の鐘楼。寛永9年創建、火災後元禄4年再興、享保15年以降4回修繕された木造、本瓦、入母屋2層づくり。高欄付き、千鳥破風を有する。=1866年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐4‐0]

    商品コード: 2017080201528

  •  飽の浦恵美須神社
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    飽の浦恵美須神社

    写真には「浪の平」とあるが、飽の浦の恵美須神社である。恵美須町(現・長崎駅付近)から寛永10年(1633)、小柳五郎佐衛門道長が稲佐の「瀬ノ脇村」のこの地に移転した。フェートン号事件の時に奉行松平図書守の御用場所となる。明治維新後、稲佐神社と改称したが、昭和12年(1937)に創立時の呼称が復活。鳥居の下まで海岸が迫って、漁家が建ち並び、港内から対岸を見渡せる景勝地であった。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐34‐0]

    商品コード: 2017081502097

  •  知恩院御影堂
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    知恩院御影堂

    知恩院御影堂を南西側より北東に望む。御影堂は知恩院の本堂で、法然上人の御影を安置する。桁行11間、梁間9間、単層、入母屋造、本瓦葺で、寛永16年(1639)に再建された。右背後に華頂山が姿をのぞかせる。F・ベアト撮影。=撮影年月日不明、京都、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号62‐2‐0]

    商品コード: 2017082300914

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    鎌倉の神社

    目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけら葺か檜皮葺(ひわだぶき)で、大正12年の大震災の後に銅板葺になった。スチルフリート撮影か。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐45‐0]

    商品コード: 2017082800556

  •  上野公園
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    上野公園

    上野公園黒門通りと現在のJR上野駅との間を通る道を南方から写したものである。画面右隅は寛永寺の塔中凌雲院で、現在は国立西洋美術館などがある場所である。着物の片裾をつまみ上げて歩くのは母親であろうか。まだ小さな子どもに話しかけているようだ。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐12‐0]

    商品コード: 2017081002625

  •  小石川後楽園
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    小石川後楽園

    小石川後楽園は広い池と岩組みをふんだんに採り入れた典型的な池泉回遊式の庭園である。寛永6(1629)年、水戸藩初代藩主、徳川頼房が築いた庭園を、嫡子の徳川光圀(水戸黄門)が完成させた。左手の木はかなりの古木であり、この庭の作庭当初に植えられたもののようだ。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐30‐0]

    商品コード: 2017081400860

  •  水戸庭園の石橋
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    水戸庭園の石橋

    「水戸庭園」は現在の「小石川後楽園」(国指定特別名勝及び特別史跡)。寛永6年(1629)に水戸藩初代藩主徳川頼房が築いた庭園を二代藩主光圀が改修して完成させた池泉回遊式庭園である。橋は「円月橋」で、水面に映る様子が満月のように見えることからつけられた。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐31‐0]

    商品コード: 2017081400740

  •  黒谷金戒光明寺の石段
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    黒谷金戒光明寺の石段

    黒谷金戒光明寺の石段を蓮池院(熊谷堂)北側の参道より東に望む。石段両側の斜面には数多くの墓石が建ち並び、親子連れが石段を登っていく。石段上には樹林でさえぎられた文珠塔がそびえる。石段中腹左に見える阿弥陀如来座像は移築され現存しない。 文珠塔は三重の塔で、寛永11年(1634)に徳川秀忠の菩提を弔うために建立された。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐28‐0]

    商品コード: 2017081401486

  •  二条城
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    二条城

    京都市中京区二条通にある二条城の堀川通に面する側である。東南隅櫓の方から、東大手門を望む。二条城は、将軍上洛時の居館として慶長7年(1602)着工、4年後に完成される。東大手門は、寛永頃の特徴を示すもので、中央五間を連窓とし、窓廻り縦格子を鉄板で覆い、柱・扉などにも筋鉄をうちつけている。東南隅櫓の白壁に縦格子の窓が並んでいる。右手に城壁に面するように人力車が一台、舵棒をおろして止まっており、車夫らしき人がこしかけている。=撮影年月日不明、京都、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐18‐0]

    商品コード: 2017080200715

  •  上野公園
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    上野公園

    芝公園が増上寺の境内であったのと同様、 上野公園も寛永寺の境内だった。 明治6年の太政官布達によって公園となる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐29‐0]

    商品コード: 2017080200742

  •  不忍池
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    不忍池

    不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)、天海僧正が池を琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。上野山は清水坂あたりからの俯瞰。参道に茶屋が建ち並んでいる。その先、中央に弁天堂、右手前に生地院、明治6年上野山が公園に指定される前の撮影。=撮影年月日不明、東京、撮影者:鈴木真一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号41‐6‐0]

    商品コード: 2017080902518

  •  銀閣寺庭園
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    銀閣寺庭園

    慈照寺本堂(左)と東求堂(右)を銀閣南側の錦鏡池縁より東北東に望む。錦鏡池の対岸中央には円錐形の向月台(こうげつだい)、右方に銀沙灘(ぎんしゃだん)の砂盛が見える。左方の橋は分界橋、右方の橋は迎仙橋である。本堂・東求堂よも足利義政の命により文明18年(1486)に創建され、元和元年(1615)、寛永16年(1640)に修復された。=撮影年月日不明、京都、撮影者:スチルフリード(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号63‐11‐0]

    商品コード: 2017082301022

  •  イギリス公使館高輪東禅寺山門
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    イギリス公使館高輪東禅寺山門

    東禅寺山門を境内(写真3420の反対側)から見る。山門の向こう側に斜めに生えた松が1本切られているので、3420より後の撮影である。明治初頭か。先には直ぐ海が広がっていたが、いまは埋め立てで海は遠くなってしまった。明治40年(1907)発行『東京案内』によれば、東禅寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、慶長17年(1610)、僧嶺南が溜池の上に嶺南庵として創建。寛永13年(1636)に高輪に移転し東禅寺と改めたそうである。=明治初期、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐2‐0]

    商品コード: 2017082800612

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    上野東照宮参道の桜

    徳川家康を祀る上野東照宮。寛永4年(1627)藤堂高虎(とうどうたかとら)が下屋敷内に創立した。唐門を背にして表参道を写したもの。諸大名が献納した石灯籠が並ぶ。奥に見える石造りの鳥居は寛永10年(1633)上州厩橋城主酒井田忠世が寄進したもの。その後何故か地中に埋められた。享保19年(1734)になって、孫の酒井忠知により掘り出され再建されたという経歴を持つ。以後、関東大震災にも動じることなく現存する。明治中期。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐6‐0]

    商品コード: 2017081400927

  •  知恩院大釣鐘
    1904年12月31日
    知恩院大釣鐘

    知恩院大釣鐘を鐘楼西側から東に望む。鉄製の柵がめぐらされた鐘楼の周囲には、着物姿の紳士淑女が鐘を見つめている。知恩院大釣鐘は吉水の鐘とも呼ばれ、寛永13年(1636)に三条釜座によって鋳造された日本最大の銅鐘である。高さ5.4m、口径2.7m、厚さ29cm、重量約7.5t(約2万貫)である。1904年イギリス人写真家H・G・ポンティングの撮影。=1904(明治37)年、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐32‐0]

    商品コード: 2017081501801

  •  日本電報通信社資料
    1929年04月09日
    日本電報通信社資料

    上野公園の桜。背景は寛永寺の五重の塔=1929(昭和4)年4月(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2008061200050

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    1929年04月11日
    日本電報通信社資料

    上野寛永寺に祭られている8代将軍徳川吉宗公を東照宮に合祀する祭典に参列する徳川家逹(いえさと)公(傘の下)=1929(昭和4)年4月11日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1929041100004

  •  日本電報通信社資料
    1929年04月30日
    日本電報通信社資料

    上野・東照宮の桜=1929(昭和4)年(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2011041500403

  • 1933年04月12日

    HC 6 ◎聖上御衣奉還 比叡山延暦寺で修行した天皇陛下の御衣が一旦、上野寛永寺に入った=1933年4月12日、東京・上野寛永寺、「ハッチャーコレクション」

    商品コード: 2006122200129

  •  日本電報通信社資料
    1933年05月15日
    日本電報通信社資料

    犬養木堂翁凶弾に倒れて1周年に当るので午後3時より上野寛永寺に於て多数参列の下に盛大に営まれた。焼香中の右、斉藤実首相(右)と倉富勇三郎男爵=1933(昭和8)年5月15日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015112000304

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    1945年08月01日
    本土空襲 太平洋戦争

    米海軍第3艦隊の艦載機が岡山の海岸で発見した日本の古銭「寛永通宝」をかたどった模様=1945年8月、米海軍撮影(ACME)

    商品コード: 2010072000142

  •  寛永寺の除夜の鐘
    1947年01月01日
    寛永寺の除夜の鐘

    東京上野・寛永寺の除夜の鐘つき=1947(昭和22)年1月1日

    商品コード: 2014101700075

  •  寛永寺の除夜の鐘
    1947年01月01日
    寛永寺の除夜の鐘

    東京上野・寛永寺の除夜の鐘つき=1947(昭和22)年1月1日(22年内地3368)

    商品コード: 2014082200256

  •  引き揚げ者の園遊会
    1947年04月20日
    引き揚げ者の園遊会

    桜を囲んで開かれた引き揚げ者の園遊会(東京・上野の寛永寺)=1947(昭和22)年4月20日

    商品コード: 2014102000257

  •  平和の鐘鳴り渡る
    1947年05月05日
    平和の鐘鳴り渡る

    東京・築地本願寺で全日本宗教平和会議が開催され、正午には上野・寛永寺の「平和の鐘が鳴り響いた=1947(昭和22)年5月5日

    商品コード: 2014102000315

  • スケッチ84 桜
    1947年05月05日
    スケッチ84 桜

    晩春に咲き誇る遅咲きの桜。後ろは旧寛永寺五重塔=1947(昭和22)年5月5日、東京都台東区上野公園

    商品コード: 2016081900630

  • スケッチ85 桜
    1947年05月05日
    スケッチ85 桜

    晩春に咲き誇る遅咲きの桜。後ろは旧寛永寺五重塔=1947(昭和22)年5月5日、東京都台東区上野公園

    商品コード: 2016081900631

  • スケッチ87 桜
    1947年05月05日
    スケッチ87 桜

    晩春に咲き誇る遅咲きの桜。後ろは旧寛永寺五重塔=1947(昭和22)年5月5日、東京都台東区上野公園

    商品コード: 2016081900632

  • スケッチ89 桜
    1947年05月05日
    スケッチ89 桜

    晩春に咲き誇る遅咲きの桜。後ろは旧寛永寺五重塔=1947(昭和22)年5月5日、東京都台東区上野公園

    商品コード: 2016081900634

  • スケッチ382 桜
    1948年04月07日
    スケッチ382 桜

    満開の桜と旧寛永寺五重塔=1948(昭和23)年4月7日、東京都台東区の上野公園

    商品コード: 2016082900295

  • スケッチ384 桜
    1948年04月07日
    スケッチ384 桜

    満開の桜と旧寛永寺五重塔=1948(昭和23)年4月7日、東京都台東区の上野公園

    商品コード: 2016082900297

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    1948年10月30日
    引揚者による雑居生活

    引揚者による雑居生活=1948(昭和23)年10月、上野寛永寺寮にて(昭和_782)

    商品コード: 1948103050001

  •  除夜の鐘
    1948年12月31日
    除夜の鐘

    東京・上野の寛永寺で突かれる除夜の鐘=1948(昭和23)年12月31日

    商品コード: 2014081500196

  •  上野で“花まつり”
    1949年04月01日
    上野で“花まつり”

    東京・上野の“花まつり”で、寛永寺の“平和の鐘”を打つ山田東京都副知事=1949(昭和24)年4月1日

    商品コード: 2013062800350

  •  桃の節句
    1950年03月03日
    桃の節句

    東京上野の寛永寺幼稚園で桃の節句を祝う子どもたち=1950(昭和25)年3月3日

    商品コード: 2013090300279

  • スケッチ1582 お花見
    1950年04月16日
    スケッチ1582 お花見

    花見に訪れ旧寛永寺五重塔の側で食事をするお花見客=1950(昭和25)年4月16日、東京都台東区の上野公園

    商品コード: 2016102000237

  • スケッチ1546 桜満開
    1950年04月30日
    スケッチ1546 桜満開

    桜が満開になった上野公園。左奥に旧寛永寺五重塔が見える=1950(昭和25)年4月、東京都台東区の上野公園

    商品コード: 2016101400396

  • スケッチ2062 深まる秋の落葉焼き
    1950年10月16日
    スケッチ2062 深まる秋の落葉焼き

    秋が深まり、上野公園で落葉焼きする婦人ら。後方は旧寛永寺五重塔=1950(昭和25)年10月16日、東京都台東区

    商品コード: 2016110400299

  • スケッチ2063 深まる秋の落ち葉焼き
    1950年10月16日
    スケッチ2063 深まる秋の落ち葉焼き

    秋が深まり、上野公園で落ち葉焼きする婦人ら。後方は旧寛永寺五重塔=1950(昭和25)年10月16日、東京都台東区

    商品コード: 2016110400300

  • スケッチ2064 深まる秋の落ち葉焼き
    1950年10月16日
    スケッチ2064 深まる秋の落ち葉焼き

    秋が深まり、上野公園で落ち葉焼きする婦人ら。後方は旧寛永寺五重塔=1950(昭和25)年10月16日、東京都台東区

    商品コード: 2016110400302

  • 十四世名人に推載 将棋の木村、引退を声明
    1952年08月24日
    十四世名人に推載 将棋の木村、引退を声明

    心境を語る木村義雄氏=1952(昭和27)年8月24日、東京・上野寛永寺(27年内地2089)

    商品コード: 2012112800272

  • 十四世名人に推載 将棋の木村、引退を声明
    1952年08月24日
    十四世名人に推載 将棋の木村、引退を声明

    物故棋士の追善法要をする木村義雄氏=1952(昭和27)年8月24日、東京・上野寛永寺(27年内地2089関連)

    商品コード: 2012112800273

  • スケッチ12477 深まりゆく秋
    1952年11月04日
    スケッチ12477 深まりゆく秋

    落葉を燃やす秋、後方に旧寛永寺五重塔=1952(昭和27)年11月4日、東京都台東区

    商品コード: 2017022100624

  • スケッチ13117 桜が満開
    1953年03月31日
    スケッチ13117 桜が満開

    旧寛永寺五重塔をバックに満開となった桜=1953(昭和28)年3月31日、東京都台東区の上野公園

    商品コード: 2017031600220

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    1955年04月26日
    岡山城月見櫓の復元工事

    元和~寛永年間(1615~1644)に建てられた岡山城の隅櫓。昭和8年に国指定の重要文化財となったが、老朽化が目立ってきたことから、建物を解体し修復することになった。上層は月見の宴にも使われたが、展望台の役目を持ち、食糧や兵器の貯蔵所としての機能も備え、下層の地階部分には隠し銃眼を装備するなど、「月見櫓」という優雅な呼び名の中に、城塞の厳しさを維持している。翌年6月に工事を終えた。=1955(昭和30)年4月26日、岡山市、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018100119794

  •  上野 桜
    1960年04月01日
    上野 桜

    キーワード:上野、桜=1960(昭和35)年4月1日、上野、クレジット:ジャパンタイムズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017110800595

  •  上野 桜
    1960年04月03日
    上野 桜

    キーワード:上野、桜=1960(昭和35)年4月3日、上野、クレジット:ジャパンタイムズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017110800605

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