KYODO NEWS IMAGELINK

報道写真の購入なら共同通信イメージズ

  • くにあき
  • 内地
  • 朝鮮総督
  • 陸軍大将
  • 南次郎
  • 土肥原賢二
  • 大島浩
  • 広田弘毅
  • 東条英機
  • 松井石根

「小磯国昭」の写真・映像

絞り込み
  • 提供元
  • 日付
  • 種類
  • 向き
  • カテゴリ
並び順
  • マッチ度順
15
( 1 15 件を表示)
  • 1
15
( 1 15 件を表示)
絞り込み
並び順
  • マッチ度順
  • 1948年11月01日
    (こいそ・くにあき) 小磯国昭

    首相、拓務相、陸軍大将、朝鮮総督、戦犯=1948(昭和23)年11月

    商品コード: 2005031600212

  • 1979年08月01日
    (こいそ・くにあき) 小磯国昭

    軍人、首相、拓務相、陸軍大将、朝鮮総督=1979(昭和54)年8月複写

    商品コード: 2004101200055

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    1950年12月31日
    (こいそ・くにあき) 小磯国昭

    軍人、政治家。1880(明治13)年、栃木県生まれ。陸軍大学校を卒業。陸軍省軍務局長。陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官などを歴任し、1937年陸軍大将。その後、平沼内閣の拓務大臣、朝鮮総督、第41代内閣総理大臣(1944年7月22日-45年4月7日)を務める。太平洋戦争後、東京裁判でA級戦犯として終身刑の判決を受け、服役中の1950年病没=撮影年月日不詳

    商品コード: 1997120300105

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    1940年03月01日
    (こいそ・くにあき) 小磯国昭

    軍人、政治家。1880(明治13)年、栃木県生まれ。陸軍大学校を卒業。陸軍省軍務局長。陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官などを歴任し、1937年陸軍大将。その後、平沼内閣の拓務大臣、朝鮮総督、第41代内閣総理大臣(1944年7月22日-45年4月7日)を務める。太平洋戦争後、東京裁判でA級戦犯として終身刑の判決を受け、服役中の1950年に病没=1940(昭和15)年3月複写(撮影年月日不詳)(小磯國昭)

    商品コード: 2013082700318

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    1950年04月25日
    小磯国昭

    巣鴨拘置所から仮釈放された小磯国昭氏=1950(昭和25)年4月25日(25年内地2114参)

    商品コード: 2013080500464

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    1950年04月25日
    小磯国昭氏が特別出所

    特別出所で重病の夫人を見舞った後、孫たち送られて自宅を後にするA級戦犯の小磯国昭元首相(東京・世田谷)=1950(昭和25)年4月25日(25年内地2113)

    商品コード: 2013080500695

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    1945年01月01日
    明治神宮参拝の首相

    明治神宮参拝の小磯国昭首相(神官の後ろ)=1945(昭和20)年1月1日

    商品コード: 2014081900065

  • 1944年07月22日
    小磯内閣記念写真

    小磯国昭内閣記念写真=整理1944(昭和19)年7月22日、首相官邸(19年内地番号なし)

    商品コード: 2015010700587

  • 1932年11月22日
    日本電報通信社資料

    重大要務を帯び東上した関東軍参謀長小磯國昭中将(左)=1932(昭和7)年11月21日、東京駅(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932112200001

  • 1944年11月11日
    汪首席に勲章伝達

    蔡駐日大使に勲章を伝達する重光外相(手前後ろ向き)、その左は小磯国昭首相=1944(昭和19)年11月11日、名古屋帝大付属病院(19年内地番号なし)

    商品コード: 2015010700059

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    2021年10月01日
    歴代首相5 最高権力者、戦前は同輩

    阿部信行(第36代)、米内光政(第37代)、東条英機(第40代)、小磯国昭(第41代)、鈴木貫太郎(第42代)、東久邇宮稔彦(第43代)

    商品コード: 2021100107080

  • 1946年07月01日
    広田弘毅、橋本欣五郎ら 極東国際軍事裁判法廷の被告

    極東国際軍事裁判法廷の被告の横顔、前列から土肥原賢二、畑俊六、広田弘毅、南次郎、後列左から橋本欣五郎、小磯国昭、永野修身、大島浩、松井石根=1946(昭和21)年7月頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2016030400223

  • 本画像はログイン後にご覧いただけます
    1946年05月03日
    法廷内の被告たち 東京裁判始まる

    裁判初日、入廷する裁判長らを迎え起立する法廷内の被告たち。最後列右から板垣征四郎、鈴木貞一、白鳥敏夫、嶋田繁太郎、佐藤賢了、重光葵、松岡洋右、東郷茂徳、平沼騏一郎、大川周明、松井石根、大島浩、永野修身、小磯国昭、橋本欣五郎、その前列右から木村兵太郎、木戸幸一、賀屋興宣、星野直樹、武藤章、荒木貞夫、梅津美治郎、岡敬純、東条英機、南次郎、広田弘毅、畑俊六、土肥原賢二の各被告=1946(昭和21)年5月3日、東京・市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂(現防衛省市ヶ谷記念館)(極東国際軍事裁判)(戦犯21)

    商品コード: 1946050350002

  • 2014年09月11日
    東京裁判始まる A級戦犯を裁いた軍事裁判

    東京裁判開廷の日、入廷する裁判長らを迎え起立する28名の被告たち。最後列右から板垣征四郎、鈴木貞一、白鳥敏夫、嶋田繁太郎、佐藤賢了、重光葵、松岡洋右、東郷茂徳、平沼騏一郎、大川周明、松井石根、大島浩、永野修身、小磯国昭、橋本欣五郎、その前列右から木村兵太郎、木戸幸一、賀屋興宣、星野直樹、武藤章、荒木貞夫、梅津美治郎、岡敬純、東条英機、南次郎、広田弘毅、畑俊六、土肥原賢二の各被告=1946(昭和21)年5月3日、東京・市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂(現防衛省市ヶ谷記念館)(極東国際軍事裁判)「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第1巻使用画像(P69)

    商品コード: 2014091100374

  • 1944年12月31日
    昭和天皇、裕仁(ひろひと)

    1944(昭和19)年8月19日、昭和天皇(奥中央)が臨席し宮殿・東一の間で開かれた最高戦争指導会議。それまでの大本営政府連絡会議を廃止し、代わりに設置された会議である。出席者は(右列奥から手前へ)蓮沼蕃侍従武官長、小磯国昭首相、米内光政海相、重光葵外相、杉山元陸相、田中武雄内閣書記官長、多田武雄海軍省軍務局長、佐藤賢了陸軍省軍務局長、(左列奥から手前へ)及川古志郎軍令部総長(後頭部のみ)、梅津美治郎参謀総長、秦彦三郎参謀次長、伊藤整一軍令部次長。上座のテーブルに着席した首相と閣僚、軍令部総長と参謀総長が構成員であり、蓮沼侍従武官長は陪席者である。そのほかは列席者や幹事である。この写真は12月に宮内省から提供され、各紙は1945(昭和20)年元旦号の紙面で掲載した。皇M番号なし 運用メモ参照

    商品コード: 2015120900057

  • 1