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    明石城

    明石城は、1619年小笠原忠真により築城され、その後、松平氏が城主となった。現存する坤櫓(ひつじさるやぐら)と巽櫓(たつみやぐら)に、当時の姿を見ることができる。=撮影年月日不明、明石、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号24‐7‐0]

    商品コード: 2017080400449

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    小笠原諸島 父島夜明け山の旧日本軍施設

    キーワード:屋外、旧日本軍、軍事、施設、自然遺産、社会問題、小笠原諸島、世界遺産、日本、父島、無人、木立、その他、夜明山、世界自然遺産、テーマメイン写真=撮影日不明、東京都小笠原村、クレジット:ITSUKI/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020060504594

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    小笠原諸島 父島二見港を遠くに望む

    キーワード:さわやか、屋外、自然、自然遺産、小笠原諸島、森林、世界遺産、島、日本、父島、風景、無人、二見港、世界自然遺産、テーマメイン写真=撮影日不明、東京都小笠原村、クレジット:ITSUKI/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020060504347

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    小笠原諸島 父島三日月山展望台から望む夕暮れの海

    キーワード:屋外、海、自然、自然遺産、小笠原諸島、世界遺産、夕暮れ、日本、風景、無人、世界自然遺産、テーマメイン写真=撮影日不明、東京都小笠原村、クレジット:ITSUKI/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020060504464

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    小笠原諸島 父島二見港を遠くに望む

    キーワード:さわやか、屋外、自然、自然遺産、小笠原諸島、森林、世界遺産、島、日本、父島、風景、無人、二見港、世界自然遺産、テーマメイン写真=撮影日不明、東京都小笠原村、クレジット:ITSUKI/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020060504517

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    牛 選挙

    キーワード:牛、牛車、動物、選挙、「小笠原日堂」の文字=撮影年月日不明、撮影場所不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020080102257

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    小笠原諸島 父島三日月山展望台から望む夕暮れの海

    キーワード:屋外、海、自然、自然遺産、小笠原諸島、世界遺産、夕暮れ、日本、風景、無人、世界自然遺産、テーマメイン写真=撮影日不明、東京都小笠原村、クレジット:ITSUKI/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020060504426

  • 1923年09月30日
    関東大震災

    1923(大正12)年11月初めから、罹災した女性たちを対象に授産場を開き、編み物教授を始めた小笠原貞子伯爵夫人(手前右から2人目の横向き)と、津軽照子伯爵夫人(その左の後ろ姿)。場所は九段の尚百子侯爵夫人邸。津軽夫人と尚夫人は小笠原家出身の姉妹

    商品コード: 2009042800204

  • 1929年01月30日
    日本電報通信社資料

    仙台の殿様伊達興宗氏と婚約した小笠原伯爵の四女鞠子さん=1929(昭和4)年1月30日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2011022700051

  • 1929年03月02日
    日本電報通信社資料

    小笠原長幹伯爵邸の日本一といわれる豪華なひな飾り=1929(昭和4)年3月2日、東京・牛込(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2008053000060

  • 1929年03月03日
    日本電報通信社資料

    雛祭りを楽しむ小笠原家の貞子夫人(右)と子どもたち=1929(昭和4)年3月3日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2011032600129

  • 1929年05月08日
    日本電報通信社資料

    伊達興宗伯と小笠原長幹氏の長女鞠子さん(20)の結婚式=1929(昭和4)年5月8日、大森の伊達家(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1929050800003

  • 1929年09月29日
    日本電報通信社資料

    田中義一邸を弔問する小笠原長幹伯爵(右)ら=1929(昭和4)年9月29日、東京・青山(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2011082900132

  • 1930年02月18日
    日本電報通信社資料

    奇鳥「マシコ」研究で小笠原へ行っていた山階芳麿侯爵夫妻が多大の収穫を得て帰京した。並んだ標本の右端はアホウドリと思われる=1930(昭和5)年2月18日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1930021800001

  • 1930年10月29日
    台湾霧社事件

    霧社事件(台湾原住民による抗日蜂起事件)で惨殺された能高郡守の小笠原敬太郎氏(中央)=1930(昭和5)年10月29日(日本電報通信社配信)

    商品コード: 1930102900002

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    1932年02月29日
    日本電報通信社資料

    満州事変と上海事変の戦死者を慰霊する日本一の石塔婆を建立することになり、東郷平八郎元帥の書を石面に張る小笠原長生子爵(左)。右は大圓寺の服部太元住職。塔婆は36センチ角で高さ6・3メートル。4月10日に建立式が行われる=1932(昭和7)年2月29日、東京・本郷の大圓寺(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2009042700179

  • 1932年02月29日
    日本電報通信社資料

    来る4月10日、本郷の大円寺で建立式を挙げる上海満州事変戦死者の霊を慰める日本一の石塔婆に貼られる東郷元帥の書。左は小笠原長生子爵、右は服部太元住職=1932(昭和7)年2月29日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015011600328

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    1932年04月10日
    日本電報通信社資料

    本郷の大圓寺境内に建立した満州、上海両事変の戦死者を慰霊する大石塔婆の開眼式に臨む(右から2人目から)服部太元住職、小笠原長生子爵、彫刻家の高村光雲とその弟子の山本瑞雲の各氏。高村と山本の両氏は、同じ大圓寺で同日に開眼式を迎えた慰霊観音の作者として出席した=1932(昭和7)年4月10日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932041000004

  • 1932年06月28日
    日本電報通信社資料

    彫刻家の高村光雲氏(左)が彫った護国祈願の釈迦如来像。その右へ大円寺の服部太元住職、小笠原長生子爵=1932(昭和7)年6月28日、東京・本郷の東片町(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932062800004

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    1943年09月28日
    太平洋戦争

    1943年9月(米国時間)、小笠原諸島南鳥島の日本軍飛行場を爆撃し、空母へ帰還する米海軍の雷撃機TBFアベンジャー。画面奥で煙を上げているのが南鳥島。米海軍機動部隊によるこの日の攻撃で、島の日本軍施設の80%が破壊されたとされる、米海軍撮影(ACME)

    商品コード: 2010081700460

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    1943年09月29日
    太平洋戦争

    小笠原諸島南鳥島で1943年9月(米国時間)、日本軍の爆撃機と燃料タンクが米軍機の爆撃を受け、炎上している。手前は米海軍の雷撃機TBFアベンジャーの主翼、米海軍撮影(ACME)

    商品コード: 2010081700463

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    1944年12月14日
    太平洋戦争

    小笠原諸島母島の日本軍の標的に近付く米軍の重爆撃機B24リベレーター=1944年12月、米陸軍航空隊撮影(ACME)

    商品コード: 2012040900184

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    1945年02月28日
    太平洋戦争硫黄島の戦い

    1945(昭和20)年2月19日、米軍が沖縄と日本本土攻略を前に小笠原諸島硫黄島に上陸、23日に同島摺鉢山を占領し、3月26日に全島を制圧した。大本営は同島日本軍との通信が17日の総攻撃を知らせる打電を最後に途絶えたと3月21日に発表。2万9百余名の同島日本軍の内2万人以上が死亡、米軍も6千人以上の死亡者を出すなど、両軍に多大な損害をもたらす激戦であった。写真は硫黄島に上陸し一寸刻みの激戦を続ける米軍=1945(昭和20)年2月(撮影日不詳)(米軍通信隊撮影)

    商品コード: 2010060200282

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    1945年03月01日
    太平洋戦争

    小笠原諸島硫黄島で、日本軍の砲撃で損傷した食糧運搬車を眺める米陸軍兵士と沿岸警備隊員=1945年3月、米沿岸警備隊撮影(ACME)

    商品コード: 2010102000196

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    1945年03月02日
    太平洋戦争

    小笠原諸島硫黄島の摺鉢山を背景にして停泊する米沿岸警備隊の病院船=1945年3月、米沿岸警備隊撮影(ACME)

    商品コード: 2011070800436

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    1945年03月02日
    (くりばやし・ただみち) 栗林忠道

    軍人、陸軍大将。アメリカとカナダの駐在武官などを経て、留守近衛第2師団長、小笠原兵団長などを歴任。太平洋戦争末期の激戦、硫黄島の戦いの指揮を執り、1945年3月同地で戦没=1945(昭和20)年3月2日複写(撮影年月日不詳

    商品コード: 2011080100202

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    1945年03月03日
    太平洋戦争

    小笠原諸島硫黄島で、戦闘の間も朝の歯磨きの習慣を忘れない米海兵隊員=1945年3月、米海兵隊撮影(ACME)

    商品コード: 2010102000201

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    1945年03月03日
    太平洋戦争

    小笠原諸島硫黄島の前線観測所で、日本軍の機関銃陣地の位置を砲兵隊に連絡する米海兵隊の観測員=1945年3月、米海兵隊撮影(米海兵隊公式写真)

    商品コード: 2010102000202

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    1945年03月04日
    太平洋戦争

    小笠原諸島硫黄島で、日本軍の銃撃の中、聖体拝領を受ける米海兵隊員3人=1945年3月(ACME)

    商品コード: 2010102000203

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    1945年03月06日
    太平洋戦争

    小笠原諸島硫黄島で捕虜となり、米海兵隊員に囲まれる日本軍兵士2人=1945年3月

    商品コード: 2012032300306

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    1945年03月06日
    太平洋戦争

    日本軍守備隊の猛烈な砲火の中、小笠原諸島硫黄島に上陸する米海兵隊員=1945年3月(NEW YORK DAILY NEWS)

    商品コード: 2010102000205

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    1945年03月08日
    太平洋戦争

    小笠原諸島硫黄島の戦闘で捕虜となり、米沿岸警備隊の艦艇に収用され、食事を取る日本軍兵士=1945年3月(米沿岸警備隊公式写真)

    商品コード: 2012040500353

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    1945年03月15日
    太平洋戦争

    小笠原諸島硫黄島で、温泉の蒸気を利用して朝のコーヒーを温める米海兵隊員。日本軍はこの蒸気を蒸し風呂として利用していた=1945年3月(ACME)

    商品コード: 2010102000211

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    1945年03月31日
    摺鉢山で激戦 太平洋戦争硫黄島の戦い

    小笠原諸島硫黄島に上陸、摺鉢山で日本軍守備隊と激戦を交わす米軍兵士たち=1945(昭和20)年2~3月(米軍通信隊撮影)

    商品コード: 1945022850003

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    1945年04月06日
    太平洋戦争

    小笠原諸島硫黄島で捕虜となった日本軍兵士=1945年4月

    商品コード: 2012040500352

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    1945年06月14日
    太平洋戦争

    米陸軍第7航空隊の爆撃機による攻撃で炎上する小笠原諸島南鳥島の飛行場=1945年6月、米陸軍航空隊撮影(ACME)

    商品コード: 2010070700294

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    1945年06月22日
    太平洋戦争

    小笠原諸島硫黄島での戦闘で捕虜となり、米沿岸警備隊の艦船に収用された日本軍兵士=1945年6月、米沿岸警備隊撮影(ACME)

    商品コード: 2012040500355

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    1945年08月31日
    敗戦 太平洋戦争

    1945年8月31日、小笠原諸島の日本軍守備隊の降伏条件を交渉するため、父島沖に停泊する米駆逐艦ダンラップに日本軍の上陸用舟艇で近付く守備隊指揮官ら、米海軍撮影(ACME)

    商品コード: 2012011200230

  • 1945年10月08日
    組閣

    組閣本部に入る小笠原三九郎氏=1945(昭和20)年10月8日、外相官邸

    商品コード: 2014081900459

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    1945年10月09日
    幣原内閣閣僚記念撮影

    (前列右から)吉田茂外相(立っている)、松本烝治国務相、岩田宙造法相、幣原喜重郎首相、米内光政海軍相、堀切善次郎内相、松村謙三農相、(後列右から)次田大三郎内閣書記官長(吉田のかげ)、下村定陸軍相、芦田均厚相、前田多聞文相、田中武雄運相、河相達夫情報局総裁、小笠原三九郎商工相、渋沢敬三蔵相、楢橋渡法制局長官=1945(昭和20)年10月9日、首相官邸

    商品コード: 2014081900467

  • 1945年10月09日
    幣原内閣の閣僚顔合わせ

    幣原内閣の閣僚。(前列右から)吉田茂・外務大臣、松本蒸治・国務大臣、岩田宙造・司法大臣、幣原喜重郎・内閣総理大臣、米内光政・海軍大臣、堀切善次郎・内務大臣、松村謙三・農林大臣、(後列右から)次田大三郎・書記官長、下村定・陸軍大臣、芦田均・厚生大臣、前田多門・文部大臣、田中武雄・運輸大臣、河相達夫・情報局総裁、小笠原三九郎・商工大臣、渋沢敬三・大蔵大臣=首相官邸、1945年10月9日(よしだ・しげる、まつもと・じょうじ、いわた・ちゅうぞう、しではら・きじゅうろう、よない・みつまさ、ほりきり・ぜんじろう、まつむら・けんぞう、つぎた・だいざぶろう、しもむら・さだむ、あしだ・ひとし、まえだ・たもん、たなか・たけお、おがさわら・さんくろう、しぶさわ・けいぞう)(20年内地840)

    商品コード: 2003041100094

  • 1945年10月09日
    幣原内閣成立

    組閣本部を訪れた松本烝治(右)小笠原三九郎両氏=1945(昭和20)年10月9日、外相官邸

    商品コード: 2014081900468

  • 1945年10月09日
    幣原内閣の閣僚顔合わせ

    幣原内閣の閣僚。(前列右から)吉田茂・外務大臣、松本蒸治・国務大臣、岩田宙造・司法大臣、幣原喜重郎・内閣総理大臣、米内光政・海軍大臣、堀切善次郎・内務大臣、松村謙三・農林大臣、(後列右から)次田大三郎・書記官長、下村定・陸軍大臣、芦田均・厚生大臣、前田多門・文部大臣、田中武雄・運輸大臣、河相達夫・情報局総裁、小笠原三九郎・商工大臣、渋沢敬三・大蔵大臣=首相官邸、1945年10月9日(よしだ・しげる、まつもと・じょうじ、いわた・ちゅうぞう、しではら・きじゅうろう、よない・みつまさ、ほりきり・ぜんじろう、まつむら・けんぞう、つぎた・だいざぶろう、しもむら・さだむ、あしだ・ひとし、まえだ・たもん、たなか・たけお、おがさわら・さんくろう、しぶさわ・けいぞう)(20年内地837)

    商品コード: 2003041100092

  • 1945年11月17日
    深刻化する世相を巷に見る

    露店を視察する小笠原三九郎商工相=1945(昭和20)年11月、東京

    商品コード: 2014081900634

  • 1945年11月21日
    小笠原商工相、露店視察

    露店を視察する小笠原三九郎商工相=1945(昭和20)年11月、東京

    商品コード: 2014081900645

  • 1947年04月07日
    小笠原の鯨肉が到着

    東京・築地市場に着いた8万貫の鯨肉=1947(昭和22)年4月7日

    商品コード: 2014102000231

  • 1947年07月11日
    小笠原帰還運動

    故郷の小笠原諸島の「島に帰せ」と叫ぶ島民たち=1947(昭和22)年7月11日

    商品コード: 2014112000108

  • 1948年03月22日
    近海捕鯨第2陣出港

    小笠原近海を目指し、大阪港住友岸壁を離れる日本水産近海捕鯨船団第2陣母艦海幸丸=1948(昭和23)年3月22日(23年内地番号なし)

    商品コード: 2014101400216

  • 1952年07月07日
    小笠原諸島

    小笠原諸島母島の北東海岸=出稿1952(昭和27)年7月7日(キャビネ複写)

    商品コード: 2019032901125

  • 1952年07月19日
    飯室を生んだ現場魂

    陸上の飯室芳男選手(左)と同僚の小笠原武史さん=出稿1952(昭和27)年7月19日(27年内地1837)

    商品コード: 2012112800093

  • 1952年10月30日
    第4次吉田内閣発足

    記念撮影する第4次吉田内閣閣僚。前列中央は吉田茂首相、第2列(左から)犬養健法相、木村篤太郎保安庁長官、本多市郎国務相、山県勝見厚相、第3列(左から)大野木秀次郎国務相、林屋亀次郎国務相、向井忠晴蔵相、小笠原三九郎農相、高瀬荘太郎郵政相、第4列(左から)池田勇人通産相、佐藤栄作建設相、岡野清豪文相、岡崎勝男外相、緒方竹虎官房長官、戸塚九一郎労相、石井光次郎運輸相、最後列(左から)佐藤達夫法制局長官、管野義丸、江口見登留、両内閣官房副長官=1952(昭和27)年10月30日、首相官邸(27年内地2794)

    商品コード: 2006022700290

  • 1952年12月09日
    25回総選挙(10月1日) 1952年十大ニュース(国内)2

    認証式を終え首相官邸玄関広間で記念撮影する第4次吉田内閣の各大臣、最前列中央が吉田茂首相=10月30日(資料31203、資料31557)(内閣総理大臣・吉田茂、法務大臣・犬養健、外務大臣・岡崎勝男、大蔵大臣・向井忠晴、文部大臣・岡野清豪、厚生大臣・山県勝見、農林大臣・小笠原三九郎、通商産業大臣・池田勇人、運輸大臣・石井光次郎、郵政大臣・高瀬荘太郎、労働大臣・戸塚九一郎、建設大臣・佐藤栄作、行政管理庁長官・本多市郎、保安庁長官・木村篤太郎、国務大臣・緒方竹虎、国務大臣・大野木秀次郎、国務大臣・林屋亀次郎、法制局長官・佐藤達夫、内閣官房副長官・菅野義丸、内閣官房副長官・江口見登留)

    商品コード: 2002080200050

  • 1953年05月21日
    第5次吉田内閣顔ぶれ

    第5次吉田内閣。(前列右から)安藤正純国務相、大野伴睦国務相、吉田茂首相、塚田十一郎郵政相(2列目右から)緒方竹虎国務相、木村篤太郎保安庁長官、内田信也農相、犬養健法相、小坂善太郎労相(3列目右から)大野木秀次郎国務相、小笠原三九郎蔵相、山県勝見厚相、石井光次郎運輸相、岡野清豪通産相(4列目右から)江口見登留官房副長官、岡崎勝男外相、福永健司官房長官、戸塚九一郎建設相、田中不破三官房副長官、大達茂雄文相=1953(昭和28)年5月21日、首相官邸(28年内地1543)

    商品コード: 2006022700415

  • 1953年12月02日
    小笠原三九郎

    衆院本会議で財政演説をする小笠原三九郎蔵相=1953(昭和28)年11月30日 (28年内地3623)

    商品コード: 2013022500125

  • 1954年02月01日
    衆院本会議場の大臣席 石井光次郎

    第19回国会衆院本会議場の大臣席。右より吉田茂首相、緒方竹虎副総理、小笠原三九郎蔵相、石井光次郎運輸相、岡崎勝男外相=1954(昭和29)年2月頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2016030300306

  • 1954年05月08日
    比賠償調査団団長、蔵相と会談

    小笠原蔵相(左)と会談するフィリピン賠償調査団のエルナンデス団長(蔵相)=1954(昭和29)年5月8日、大蔵省

    商品コード: 2012081500099

  • 1954年05月27日
    小笠原蔵相、向井氏と会談

    会談する小笠原蔵相(右)と向井忠晴氏=1954(昭和29)年5月27日、東京・内幸町の大蔵省別館

    商品コード: 2012081500150

  • 1954年06月30日
    小笠原蔵相、大阪へ

    関西財界と懇談のため大阪駅に着いた小笠原三九郎蔵相=1954(昭和29)年6月30日

    商品コード: 2012092000420

  • 1954年08月23日
    ニェン団長、小笠原蔵相と会談

    会談する小笠原蔵相(左)とビルマ賠償使節団のウ・チョウ・ニェン団長=1954(昭和29)年8月23日、東京・三田の蔵相官邸

    商品コード: 2012111300114

  • 1954年09月19日
    小笠原蔵相、渡米

    IMFおよび世銀総会出席のため羽田空港を出発する小笠原蔵相=1954(昭和29)年9月19日

    商品コード: 2012121900138

  • 1954年12月11日
    新旧蔵相、事務引き継ぎ

    事務引き継ぎで握手する小笠原三九郎・前蔵相(右)と一万田尚登・新蔵相=1954(昭和29)年12月11日、大蔵省

    商品コード: 2013032700306

  • 1960年08月09日
    原水爆禁止世界大会終わる

    第6回原水爆禁止世界大会の最終日、“東京アピール”を読み上げる北海道代表の小笠原貞子さん(手前後ろ向き)=1960(昭和35)年8月9日、東京・千駄ケ谷の東京体育館

    商品コード: 2012030500150

  • 1960年08月09日
    原水爆禁止世界大会終わる

    第6回原水爆禁止世界大会の最終日、“東京アピール”を読み上げる北海道代表の小笠原貞子さん=1960(昭和35)年8月9日、東京・千駄ケ谷の東京体育館

    商品コード: 2012030500149

  • 1960年11月08日
    3党首テレビ討論で打ち合わせ

    「3党首テレビ・ラジオ討論会」の最終打ち合わせをする(右から)社会党の小笠原中執委員、自民党の益谷幹事長、民社党の中村総務局長=1960(昭和35)年11月8日、衆院議長サロン

    商品コード: 2012042400157

  • 1963年09月13日
    (あおのさと・さかり) 青ノ里盛

    大相撲、関脇、本名・小笠原盛、所属部屋・時津風、四股名・小笠原→青ノ里、年寄名・二十山→立田川(2000年11月定年退職)=1963(昭和38)年9月13日撮影

    商品コード: 2007030600116

  • 1965年05月19日
    太平洋戦争関連

    敗戦後初めて小笠原諸島硫黄島を訪れ、戦没者の墓に詣る日本の関係者=1965年5月19日(UPI=共同)

    商品コード: 2014072600129

  • 1965年05月20日
    小笠原墓参団、東京港を出発

    海上保安庁の巡視船「宗谷」で東京港を出発する小笠原墓参団=1965(昭和40)年5月20日

    商品コード: 2011061000191

  • 1965年05月20日
    小笠原墓参団、東京港を出発

    海上保安庁の巡視船「宗谷」の前で行われた小笠原墓参団の出港式=1965(昭和40)年5月20日、東京港日の出桟橋

    商品コード: 2011061000192

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    1965年06月02日
    21年ぶりの法要 小笠原墓参団

    小笠原の墓地に墓参団から祭壇に写真が飾られ、久々に南国の空にお線香の煙が立ち上がった=1965(昭和40)年6月2日、父島小西墓地(外信26572)

    商品コード: 1965060250001

  • 1967年03月01日
    (おがさわら・さだこ) 小笠原貞子

    参議院議員、共産党、全国区、共産党副委員長=1967(昭和42)年3月撮影

    商品コード: 2007052100077

  • 1967年03月09日
    (おがさわら・さだこ) 小笠原貞子

    参議院議員、共産党、全国区、共産党副委員長=1967(昭和42)年3月1日撮影

    商品コード: 2006030700054

  • 1967年06月02日
    小笠原墓参団帰る

    「宗谷」から下船する小笠原墓参団一行=1967(昭和42)年6月2日、東京港晴海埠頭

    商品コード: 2011042000182

  • 1967年09月17日
    国際政治学者、京都産業大学教授 若泉敬(わかいずみ・けい)

    下田東急ホテルで開催された日米関係民間会議の最終日に撮影。会議は日米各界から人を集めて14日から開催され、沖縄と小笠原の早期返還などを勧告してこの日終了した。若泉氏は佐藤栄作首相の「密使」として、水面下で米国との沖縄返還交渉にあたったとされる。1996年7月27日没=1967(昭和42)年9月17日撮影

    商品コード: 2010091700077

  • 1967年11月09日
    沖縄・小笠原即時返還大会もめる

    返還要求大会は沖縄県祖国復帰協議会の喜屋武真栄会長のあいさつが行われただけで終わった=1967(昭和42)年11月9日、東京・日比谷野外音楽堂

    商品コード: 2011060700344

  • 1967年11月16日
    喜びの小笠原協会

    日米共同声明を聞き、バンザイを叫ぶ小笠原協会の人たち。中央は福田篤泰会長=1967(昭和42)年11月16日、東京・南方同胞援護会

    商品コード: 2011060700328

  • 1967年11月20日
    帰国した佐藤首相 小笠原返還の声明を発表

    日米首脳会談で小笠原諸島の施政権返還が基本合意に達したとの共同声明を発表、帰国した佐藤首相。涙声で万歳を叫ぶ=1967(昭和42)年11月20日、羽田空港

    商品コード: 1967112050001

  • 1967年12月06日

    42年内地 5290 ◎1967年十大ニュース(国内)1 佐藤首相訪米(11月12日)小笠原返還(11月15日)決定 ホワイトハウスでジョンソン大統領と握手する佐藤首相=11月14日(資料76308)

    商品コード: 2004011400023

  • 1967年12月17日
    小笠原出身者と対話 美濃部都知事八丈島へ

    小笠原出身者たちの中にはいって話し合う美濃部東京都知事(左)=1967(昭和42)年12月17日、八丈島役場会議室

    商品コード: 2011060700273

  • 1967年12月18日
    小笠原島民代表が首相訪問

    島民代表からウミガメを贈られる佐藤栄作首相(左)=1967(昭和42)年12月18日、院内

    商品コード: 1967121800002

  • 1968年01月01日
    小笠原返還

    復帰を待つ小笠原諸島は、南国の明るい太陽が降り注ぎ、藍色の海岸に浮かぶ島影が映える=父島二見港(43年内地 004)

    商品コード: 2011021000401

  • 1968年01月01日
    小笠原返還

    たこを手に大喜びの子どもたち=父島(43年内地006)

    商品コード: 2011021000404

  • 1968年01月01日
    小笠原返還

    本土復帰を待つ父島。左端は米海軍気象観測所=父島(43年内地008)

    商品コード: 2011021000407

  • 1968年01月01日
    小笠原返還

    内地から贈られたこを揚げる子どもたち=父島(43年内地 005)

    商品コード: 2011021000403

  • 1968年02月01日
    スケッチ企画5508−42 沖縄返還びなと小笠原返還びな

    変わりびなとして展示された、沖縄返還びなと小笠原返還びな=1968(昭和43年)2月1日、撮影場所不明

    商品コード: 2018020900674

  • 1968年04月05日
    小笠原返還協定に調印

    調印書を交換後、握手する三木武夫外相(左)とジョンソン駐日米大使=1968(昭和43)年4月5日、外務省

    商品コード: 2003071600142

  • 1968年04月05日
    小笠原返還協定調印

    小笠原返還協定調印を祝して乾杯する小笠原協会の人たち=1968(昭和43)年4月5日、南方同胞援護会事務所

    商品コード: 2011032800193

  • 1968年04月05日
    小笠原返還協定調印

    調印後、協定書を交換する三木武夫外相(左)とジョンソン駐日米大使=1968(昭和43)年4月5日、外務省(43年内地 1639)

    商品コード: 2011032800212

  • 1968年04月05日
    小笠原返還協定に調印

    調印書を交換する三木武夫外相(左)とジョンソン駐日米大使=1968(昭和43)年4月5日、外務省(1968年国内十大ニュース7)

    商品コード: 2003072900081

  • 1968年04月05日
    小笠原返還協定に調印

    調印書に署名する三木武夫外相(左)とジョンソン駐日米大使=1968(昭和43)年4月5日、外務省

    商品コード: 2003071600141

  • 1968年04月10日
    (おがさわら・さだこ) 小笠原貞子

    参議院議員、共産党、全国区、共産党副委員長=1968(昭和43)年察

    商品コード: 1968041000004

  • 1968年04月19日
    衆院本会議

    小笠原返還協定で答弁する佐藤栄作首相=1968(昭和43)年4月19日

    商品コード: 2011022300058

  • 1968年04月19日
    衆院本会議

    小笠原返還協定に関して趣旨説明する三木武夫外相=1968(昭和43)年4月19日

    商品コード: 2011022300059

  • 1968年05月10日
    美濃部都知事、小笠原視察

    父島の野外集会場で島民と対話する美濃部亮吉東京都知事=1968(昭和43)年5月10日、父島

    商品コード: 1968051000003

  • 1968年05月15日
    硫黄島から遺骨帰る

    都の小笠原調査団に同行した厚生省職員の手で持ち帰られた硫黄島旧日本兵の遺骨=1968(昭和43)年5月15日、東京・晴海埠頭

    商品コード: 2011022300096

  • 1968年05月22日
    小笠原返還協定、国会を通過

    全会一致で可決された小笠原返還協定=1968(昭和43)年5月22日、参院本会議

    商品コード: 2011040500040

  • 1968年05月27日
    沖縄返還継続協議

    小笠原返還協定承認手続完了文書をジョンソン駐日大使(右)に渡す三木外相(三木武夫)

    商品コード: 2003071600166

  • 1968年05月27日
    沖縄返還第1回継続協議

    小笠原返還協定承認手続き完了の文書をジョンソン駐日米大使(左)に手渡す三木武夫外相=1968(昭和43)年5月27日、外務省(43年内地 2457)

    商品コード: 2011040500049

  • 1968年06月20日
    小笠原返還

    大勢の見送りを受け、小笠原諸島に向け出発する派遣本隊の揚陸艦おおすみ=神奈川県横須賀市

    商品コード: 2011040500193

  • 1968年06月24日
    小笠原返還

    揚陸艦おおすみから電信用資材を陸揚げする青年たち=1968(昭和43)年6月24日、父島

    商品コード: 2011040500069

  • 1968年06月24日
    小笠原返還

    選挙実施に向け、選挙人名簿を確認する新旧7人委員会=1968(昭和43)年6月24日、父島・米海軍司令部(林・萩原東京写真記者協会特派員撮影)

    商品コード: 2011040500071

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