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  •  大浦川中流域から東山手を望む
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    大浦川中流域から東山手を望む

    南山手26番付近から大浦および東山手の居留地を展望している。手前の大浦川左岸には空き地が目立つ。東山手の丘には12番のアメリカ領事館が見える。手前の大浦川を挟んだ対岸は角から右に29番(H・ホー商会)、左に15、14番(外国人のバー)の邸宅である。建物は和風擬洋式で、コロニアルなベランダが特徴的である。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐37‐0]

    商品コード: 2017081600952

  •  東山手12番館
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    東山手12番館

    東山手の丘の右手には明治元年(1868)に建設された東山手12番館。後にアメリカ領事館となる。その左奥は後の梅香崎女学校。坂下手前は長崎逓信管理局邸逓信生寄宿舎となる大浦28番Bの洋館。その左は幕末からある東山手15番の大型建物。その右奥は16番館(現在グラバー園横に移転)である。山手にはまだ建物がほとんど見られない。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐34‐0]

    商品コード: 2017081601051

  •  南山手からの大浦居留地と出島
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    南山手からの大浦居留地と出島

    南山手からの大浦居留地と出島=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐17‐0]

    商品コード: 2017081502133

  •  海側から見た松ヶ枝
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    海側から見た松ヶ枝

    海側から見た大浦海岸の洋館群。松ヶ枝橋の左横はドイツ領事館。背後の東山手には12番館、上方には明治31年(1898) 9月に建てられた海星学校の2階建て新校舎が見える。大正初期の風景。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐24‐0]

    商品コード: 2017081502453

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    海上からバンド山手を望む

    遠方にバンドと山手の丘を望む。中央やや右に見える大きな洋館2棟は、バンド東端に位置するグランド・ホテルの旧館(左)と新館(右)。堀川を越えてその左手にはイギリス海軍の物置所。右端はフランス波止場のたもとに建つボートハウス。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐79‐0]

    商品コード: 2017080903208

  •  不動坂からの本牧岬
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    不動坂からの本牧岬

    山手から根岸の丘を抜けてきた遊歩新道は、写真の不動坂で一気に海岸線まで下る。坂の眼下にはミシシッピー湾(根岸湾)が広がっている。この遊歩道を、人力車夫が空の人力車を牽いている。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号11‐24‐0]

    商品コード: 2017080201292

  •  積雪の彦根城
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    積雪の彦根城

    彦根城は、井伊直勝(直継)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成した。写真は手前に「いろは松」・「佐和口多聞櫓」、山手に「天秤櫓」、山頂に天守の順に写っている。いずれの建物も現存している。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号72‐194‐0]

    商品コード: 2017082400456

  •  不動坂からの本牧岬
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    不動坂からの本牧岬

    山手から根岸の丘を抜けてきた遊歩新道は、写真の不動坂で一気に海岸線まで下る。坂の眼下にはミシシッピー湾(根岸湾)が広がっている。この遊歩道を、人力車夫二人が、親子連れ二組を運んでいる。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐9‐0]

    商品コード: 2017080201213

  •  丘陵地から望む横浜の家並み
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    丘陵地から望む横浜の家並み

    ベアト撮影。「陽の当たる丘からの横浜の景色」とキャプションに書かれている。これは山手からみた元町と外国人居留地と思われる。谷間には墓石が並んだ墓地が見える。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐10‐0]

    商品コード: 2017080201606

  •  山手からの神戸居留地
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    山手からの神戸居留地

    山手から神戸居留地撮影した写真。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐17‐0]

    商品コード: 2017080400669

  •  横浜山手の桜道
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    横浜山手の桜道

    横浜山手の桜道=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号117‐9‐0]

    商品コード: 2017081502482

  •  新地蔵と出島
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    新地蔵と出島

    新地、出島と長崎港の映像。梅ケ崎の山手(中新町)からのアングル。出島新橋、新大橋と梅ケ崎橋の三橋(明治3年(1869)架設)を見ることができる。新地の蔵と出島が鮮明に写っている。=1872(明治5)年頃、長崎、撮影者:THE FAR EAST、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐28‐0]

    商品コード: 2017080400482

  •  山手公園
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    山手公園

    キーワード:山手公園、「BLUFF GARDENS YOKOHAMA」=明治中期、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018042001052

  •  山手から関内居留地を望む
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    山手から関内居留地を望む

    キーワード:横浜、山手、関内居留地、近代建築、眺望、街並み、海、風景=明治初期~中期、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019020711815

  •  堀川からの谷戸橋
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    堀川からの谷戸橋

    左端は山下居留地69番館。その奥に旧ヘボン邸。煙突をもった建物がグランド・ホテル旧館。谷戸橋(明治20年に鉄橋化)を挟んで山手側には、サルダ(P.Sarda)設計のフランス領事館の付属施設が見えているので、撮影は明治29年(1896)以降。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐3‐0]

    商品コード: 2017081400745

  •  山手からの横浜居留地
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    山手からの横浜居留地

    横浜・貝殻坂からの眺め。山手へ上る坂道である。手前が元町、向こうが外国人居留地である。手前は、日本人の墓地である。F.ベアトの撮影。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐10‐0]

    商品コード: 2017080902173

  •  バンド(海岸通り)と山手方面を望む
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    バンド(海岸通り)と山手方面を望む

    キーワード:バンド(海岸通り)、山手方面、横浜港=明治中期、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018041300950

  •  山手からの横浜居留地
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    山手からの横浜居留地

    元町百段上からの景。手前の堀川に架かるのは前田橋。前田橋からつながる本村通りの左側が旧埋立居留地。堀川の護岸工事がいまだなされておらず、80番の横浜天主堂の鐘楼が見えないことから、明治初年頃の撮影と思われる。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐27‐0]

    商品コード: 2017081002774

  •  南山手ベル・ビュ-・ホテル入口
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    南山手ベル・ビュ-・ホテル入口

    長崎大浦居留地のベルビュー・ホテル(現全日空ホテルグラバーヒル)入り口である。このホテルは文久3年(1863)頃に開業された日本最古のホテルである。撮影時期は明治中期。居留地内にあったため外国人が主たる顧客であった。人力車や街灯のランプや左上の展望台、フランス語の看板に時代を感じることができる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐17‐0]

    商品コード: 2017081400644

  •  東山手のラッセル館
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    東山手のラッセル館

    右上に活水学院草創期の本館校舎ラッセル館。その下は東山手12番館(国指定重要文化財)である。東山手の中腹から撮影している。オランダ坂と活水学院石垣のほぼ全景が見えている。坂下のベランダに赤い干し物が見える建物は、のちに長崎逓信管理局逓信生寄宿舎となる洋館。明治20年(1887)頃の撮影。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐10‐0]

    商品コード: 2017081400548

  •  南山手の洋館群
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    南山手の洋館群

    南山手の丘陵地から長崎港方向を展望する。ロシア寺またはニコライ堂と通称するロシア正教会(ハリストス正教会、長崎市南山手イ19番ロシア領事館構内)の礼拝堂は棟上げして屋根を葺いたところで、いまだ建設中である。竣工は明治38年(1905)であり、この頃の撮影。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐14‐0]

    商品コード: 2017081502316

  •  東山手から大浦天主堂を望む
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    東山手から大浦天主堂を望む

    ヴィルヘルム・ブルガーの「日本と中国」のシリーズとして外国人に販売されたもののうち「長崎の風景」のステレオカード。中央上の大木は「よんご松」と呼ばれたグラバー邸内の大松で、そばにグラバー邸の屋根が見える。大浦居留地の建物群には、まだ活気が窺える。明治初期。=1877(明治10)年頃、長崎、撮影者:ヴィルヘルム・ブルガー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐20‐0]

    商品コード: 2017082301073

  •  大浦海岸通り
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    大浦海岸通り

    明治中期の大浦海岸通り(バンド)。写真右から二つ目の建物は大浦10番で、居留地の外国人社交場であった長崎クラブである。前に電信柱が見えるが、これは明治26年(1893)以降、長崎電灯株式会社が設置したものである。建物の向うの丘が東山手で、明治15年(1882)に落成したラッセル館(活水学院の本校舎)が見える。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐24‐0]

    商品コード: 2017081400987

  •  大浦海岸通り
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    大浦海岸通り

    大浦海岸通りから南山手と浪の平を撮影した、明治20年代後半の写真。道路の屋敷前には雨の日の人力車用に石畳が見えるが、メインストリートは土である。石を積み上げた護岸、松の木の街路樹、電柱がある。この頃の道路の構造と景観がわかる。右側には、浪の平造船所、山手にはグラバー邸が見える。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号101‐3‐0]

    商品コード: 2017081501677

  •  キャンプ・ヒル
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    キャンプ・ヒル

    英語で「横浜のキャンプの丘」とキャプションが印字されている。これは、山手の外国人居留地の一部であり、幕末・明治初期に英仏軍が駐屯していたことから、「キャンプヒル」と呼ばれた。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐6‐0]

    商品コード: 2017080200859

  •  東山手から大浦居留地を望む
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    東山手から大浦居留地を望む

    東山手から大浦居留地を望む=1870年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。[目録番号 : 7296]

    商品コード: 2024081310814

  •  長崎大浦外国人居留地
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    長崎大浦外国人居留地

    ベアト撮影。「ヨーロッパ人の居留地の一部と長崎の市街、65年6月」と記されている。慶応年間の長崎大浦の海岸通り、と東山手の洋館群が詳細にうかがえる。右の丘の上にはまだ建物がみられない。=1865年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐32‐0]

    商品コード: 2017080201628

  •  横浜山手公園
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    横浜山手公園

    横浜公園。15か月前は薮の茂る墓地であった。日本政府からゆるい条件で借りて半分を開拓して公園になった。居留民の努力の賜のである。The Far East 明治4年(1871)4月14日号。「復刻版The Far East」より引用。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐14‐0]

    商品コード: 2017080201843

  •  山手からの函館市街
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    山手からの函館市街

    函館山側から函館市街と函館港を望む。彩色は乱雑で、かなり色褪せてしまっており、映像は極めて不鮮明。手前に草木の緑、その先に市街地、中景に港湾、遠景に亀田半島の山並みが見える。=撮影年月日不明、函館、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐9‐0]

    商品コード: 2017080201315

  •  山手からの横浜居留地
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    山手からの横浜居留地

    元町百段上より関内居留地を見たものである。元町百段上は幕末からしばしばパノラマ写真が撮影されている。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐1‐0]

    商品コード: 2017080201858

  •  長崎港と浪の平南山手
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    長崎港と浪の平南山手

    長崎港と浪の平南山手=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号120‐24‐0]

    商品コード: 2017081601010

  •  山手からの横浜居留地
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    山手からの横浜居留地

    山手からの横浜居留地=明治初期、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐277‐0]

    商品コード: 2017081601566

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601570

  •  横浜山手からの運河
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    横浜山手からの運河

    ベアトによる1865年10月の書き込み。横浜の山手から居留地の裏の吉田新田を望む。左の丘には外国人と編み笠および半裸の日本人がみえる。橋は西ノ橋、中央の家並みは元町になる。=1865年、横浜、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐6‐0]

    商品コード: 2017080201540

  •  山手谷戸坂からのグランドホテル
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    山手谷戸坂からのグランドホテル

    中央の建物はグランド・ホテル旧館。左奥にはサルダ(P.Sarda)設計の新館(明治20年竣工)が見える。旧館左の大きな和風屋根は旧ヘボン邸。谷戸橋の手前に広がる敷地には、のちに(同29年)同じくサルダの設計によりフランス領事館が竣工する。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐2‐0]

    商品コード: 2017081400952

  •  横浜山手桜道
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    横浜山手桜道

    キーワード:山手、桜道、桜、春、風景=撮影年月日不明、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018071200615

  •  メリケン波止場
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    メリケン波止場

    キーワード:神戸メリケン波止場より山手を望む、街並み、街灯、神戸港=撮影年月日不明、兵庫、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018091022450

  •  南山手の洋館群
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    南山手の洋館群

    南山手の洋館群=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐26‐0]

    商品コード: 2017082400572

  •  高野平からの小島山手遠望
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    高野平からの小島山手遠望

    高野平からの小島山手遠望=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐11‐0]

    商品コード: 2017081400544

  •  Negative - Morwell, Victoria, 1917, The Morwell open cut mine. There are rail tracks in the foreground.
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    Negative - Morwell, Victoria, 1917, The Morwell open cut mine. There are rail tracks in the foreground.

    Negative - Morwell, Victoria, 1917, The Morwell open cut mine. There are rail tracks in the foreground.、クレジット:Album/quintlox/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。

    商品コード: 2023011311307

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設された。翌年には馬車も通行できるようになり、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が通じた。沿道には茶屋が設けられ、また海水浴や潮干狩りでも賑わった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐88‐0]

    商品コード: 2017080903189

  •  南山手からの大浦居留地
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    南山手からの大浦居留地

    南山手から大浦および東山手を展望している。中央には新築の孔子廟が見える。手前の洋館は外国人バー街。孔子廟の右後ろ3棟は現在復元された「東山手洋館7棟」。右手上に建つピンク色の洋館は東山学院(旧・イギリス領事館)、その上の白い建物は海星学校。正面奥にはラッセル館の屋根が見える。明治32年(1899)頃の撮影。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号95‐5‐0]

    商品コード: 2017081401550

  •  修学旅行の学童たち
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    修学旅行の学童たち

    神宮橋前での記念撮影。原宿駅は明治39年(1906)年10月現在より少し代々木(北)寄りに完成。明治神宮は大正8年(1919)に11月の完成。表参道から山手線を跨いで明治神宮に参詣する橋として神宮橋が竣工するのは大正9年(1920)9月である。日本最初の橋梁設計コンサルタント会社を興した樺島正義が設計に関わった。右奥の樹木は明治神宮。左は現在都立代々木公園になった。大正10~12年(1921~3)の撮影と思われる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号72‐37‐0]

    商品コード: 2017082301206

  •  横浜 山手公園 楽団
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    横浜 山手公園 楽団

    横浜、山手公園、楽団=明治初期、横浜、撮影者:ミヒャエル・モーザー、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。=明治初期・中期、横浜、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018122023206

  •  山手から見た横浜
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    山手から見た横浜

    山手から見た横浜=1863年9月12日、横浜、「THE ILLUSTRATED LONDON NEWSフェリーチェ・ベアト撮影」掲載、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018122023027

  •  根岸
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    根岸

    現在のJR日暮里駅に程近いところで、根岸の中では北西の端にあたる。道はこの先、芋坂となり台地上に続いていた。山手線等の鉄道が敷設されたため道は切断され、現在は跨線橋が架けられている。鄙びた風景の中で、人力車だけがモダンな色合いを出している。=撮影年月日不明、東京、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐3‐0]

    商品コード: 2017082400716

  •  大浦海岸通り
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    大浦海岸通り

    大浦4番と5番の前に突き出た波止場から撮影した大浦海岸通り(バンド)。左端の赤い柱の木造二階建ては大浦6番の英国領事館で、門のアーチにH.B.M.COUNCILの文字が見える。右端に木鉄混交橋の下り松橋が見えているので、明治20年代以降の写真である。南山手には大浦天主堂の尖塔、グラバー邸と「よんご松」が見える。=明治20年代、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号101‐4‐0]

    商品コード: 2017081501627

  •  南山手からの大浦居留地
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    南山手からの大浦居留地

    グラバー園の展望所下付近からの撮影。右手の大きな洋館は居留地最初の大規模ホテルであったベルヴューホテルで、その手前に柵の見えるところが大浦天主堂への坂道である。大浦海岸通りは元治元年(1864)の5間築足しを終え、突き当たりの梅香崎運上所前の突堤付け根には初代の荷物改所の建物がある。慶応3 年(1867)頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐17‐0]

    商品コード: 2017081501606

  •  大浦居留地から見た大浦天主堂
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    大浦居留地から見た大浦天主堂

    東山手の中腹から大浦居留地を俯瞰し、南山手の大浦天主堂やグラバー邸を望んだもの。天主堂は正面にのみ建設足場が組まれているので、最後の仕上げをしているところであろう。右は司教館で、その下が妙行寺。一番手前の倉庫が建つところは大浦甲33 番(現・NTT病院)である。元治元年(1864)頃の撮影。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐25‐0]

    商品コード: 2017081501703

  •  山手線 E235系電車
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    山手線 E235系電車

    キーワード:JR、カーブ、レール、運転席、屋外、交通、乗り物、山手線、首都圏、先頭、線路、通勤、鉄道、電車、日本、無人、列車、JR東日本、インフラ、運転室、通勤電車、先頭車、モノメイン写真、E235系=撮影日不明、東京都、クレジット:Shigeki_Kawakita/アマナイメージズ/共同通信イメージズ ※被写体やご使用方法によっては、権利保有者や管理者からの使用許可が必要な場合があります。

    商品コード: 2020051500586

  •  山手から見た関内居留地
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    山手から見た関内居留地

    キーワード:山手から見た関内居留地、風景、街並み=明治中期、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018042001063

  •  長崎市街、長崎港
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    長崎市街、長崎港

    キーワード:南山手外国人居留地から長崎市街を望む。長崎港に停泊する船、海岸には中小の造船所が見える。後に三菱炭坑となる=明治初期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019010701530

  •  山手谷戸坂からの関内居留地
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    山手谷戸坂からの関内居留地

    山手谷戸坂途中から関内居留地を見た写真である。外国人居留地の大規模な近代建築と、元町の日本住宅の比較ができる。写真中央は、横浜港である。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号43‐21‐0]

    商品コード: 2017080902777

  •  東山手の画像
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    東山手の画像

    東山手の画像=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号120‐38‐0]

    商品コード: 2017081601050

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601605

  •  南山手から大浦・東山手を望む
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    南山手から大浦・東山手を望む

    グラバー園下の高台から東山手を撮影したもの。下は南山手8番(現町並み保存センター)。左手は幕末期からのベルビューホテル。右の丘の洋館は東山手9番のイギリス領事館。中央上部の洋館は前面が10番イギリス人J.N.フォレスト医師宅。その左手が11番イギリス国教会の礼拝所。さらにその左の白い洋館は東山手12番(旧アメリカ領事館)である。右手の屋根は妙行寺。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐15‐0]

    商品コード: 2017081600947

  •  南山手の洋館群
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    南山手の洋館群

    マリア学園付近から見た南山手の洋館群。右手の白い建物はロシア領事館、右上には「よんご松」とグラバー邸が見える。中央左の高台の屋敷はシャーマン・ピナニール邸で、眼下に小曽根町が広がっている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐25‐0]

    商品コード: 2017082800600

  •  Kayuzue / koshohei, Kayuzue: the sage Koshohei turning a goat into stone.
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    Kayuzue / koshohei, Kayuzue: the sage Koshohei turning a goat into stone.

    Kayuzue / koshohei, Kayuzue: the sage Koshohei turning a goat into stone., Yanagawa, Shigenobu, 1787-1832, artist, [1823, printed later], 1 print : woodcut, color ; 21.4 x 18.3 cm.、クレジット:Album/quintlox/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。

    商品コード: 2022012812439

  •  山手と横浜市街
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    山手と横浜市街

    山手と横浜市街=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号107‐20‐0]

    商品コード: 2017081501942

  •  根岸海岸
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    根岸海岸

    根岸不動様の男坂、女坂。山手から根岸を抜けた遊歩道は、不動坂より海岸まで下がる。坂の上には根岸の海岸が拡がる。滝壷で知られる不動尊への階段にもまた男坂・女坂の区別がある。The Far East 明治4年(1871)8月2日号。「復刻版The Far East」より引用。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号19‐26‐0]

    商品コード: 2017080201764

  •  神戸の街並みと海
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    神戸の街並みと海

    神戸の山手より、海岸沿いに広がる街並みと港を望む。荷物を運ぶ人影や、港に浮かぶ船なども見える。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐37‐0]

    商品コード: 2017080201468

  •  対岸から見た長崎港パノラマ(3枚組)
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    対岸から見た長崎港パノラマ(3枚組)

    大波止から新地、大浦海岸通り、松ヶ枝橋、南山手、小曽根、浪の平、古河町に至る3枚綴りのパノラマ写真。中島川変流工事が終わり、新大橋、梅香崎橋、松ヶ枝橋がすでに架設されているので、明治20年(1887)代後半の撮影。1枚目は、左側に海から見た出島の全景、中央に新大橋、新地と続き、梅香崎まで。2枚目は、梅香崎から南山手ロシア領事館付近まで。居留地の中心部が写されている。3枚目は、南山手居留地中心部から南端を越え、古河町まで。南山手居留地の南端が写されている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号107‐1‐0]

    商品コード: 2017081502037

  •  長崎港と浪の平南山手
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    長崎港と浪の平南山手

    南山手の琴平神社から居留地の南端と浪の平を展望する。右手前の大きな建物は、明治20年(1887) 尋常小曽根小学校の校舎を鍋冠山麓に新築し、改称した尋常鎮鼎小学校(後の浪平小学校)。玄関には先生らしき人が立ち、校庭には男女の生徒が見える。右手、丘の上の「ヨンゴ松」の直下はグラバー邸。明治20年代中頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐24‐0]

    商品コード: 2017082400574

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    イギリス軍艦コーマス

    明治13年(1880)10月頃に長崎に来航したイギリス戦艦コーマス。1695年から名前が継承されてきた イギリス海軍の名艦。1870年に建造されたこのコーマスは、帆走もできる鉄で装甲された蒸気船で、 10インチ18トンの大砲を装備した沿岸攻撃用戦艦。砲撃中の安定を維持するために船底が低い。身投崎という現在の岩瀬道町占勝閣の先端あたりから撮影している。対岸は出島や東山手居留地な どの一部。左の小高い山は愛宕山、背後の稜線上に甑(こしき)岩が確認できる。=1880年、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。[目録番号 : 7136]

    商品コード: 2024081310827

  •  山手線 E235系電車
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    山手線 E235系電車

    キーワード:JR、ライフライン、レール、運転席、屋外、交通、乗り物、山手線、首都圏、先頭、線路、通勤、鉄道、電車、日本、無人、列車、JR東日本、インフラ、運転室、通勤電車、先頭車、モノメイン写真、E235系=撮影日不明、東京都、クレジット:Shigeki_Kawakita/アマナイメージズ/共同通信イメージズ ※被写体やご使用方法によっては、権利保有者や管理者からの使用許可が必要な場合があります。

    商品コード: 2020051500643

  •  横浜山手英国病院
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    横浜山手英国病院

    キーワード:横浜、山手居留地161番、英国病院、人力車、車夫、女性、ガス灯=撮影年月日不明、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019020711970

  •  荷台で木材を運ぶ人々
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    荷台で木材を運ぶ人々

    キーワード:山手、荷車=撮影年月日不明、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018042000938

  •  山手第一の殷盛を極める新宿駅前通りの盛観
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    山手第一の殷盛を極める新宿駅前通りの盛観

    キーワード:山手第一の殷盛を極める新宿駅前通りの盛観、路面電車、自動車、街並み、「明治ミルクキャラメル」の看板、不二家、新宿三丁目付近か?=撮影年月日不明、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019081301211

  •  山手と横浜市街
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    山手と横浜市街

    横浜山手と横浜市街である。山手公園の向こうに富士山が見えている。外国人墓地からの眺めである。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐51‐0]

    商品コード: 2017080902144

  •  南山手からの大浦居留地と出島
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    南山手からの大浦居留地と出島

    南山手からの大浦居留地と出島=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐20‐0]

    商品コード: 2017081400556

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設された。翌年には馬車も通行できるようになり、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が通じた。沿道には茶屋が設けられ、また海水浴や潮干狩りでも賑わった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐28‐0]

    商品コード: 2017082301004

  •  横浜山手
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    横浜山手

    右手の煙突をもつ建物(184番)はオランダ人ストルネブリンク(L. Stornebrink)の経営する機械製氷工場、横浜アイス・ワークス。明治12年(1879)創業のジャパン・アイス・カンパニーに起源をもつ。谷戸坂を挟んで左手はフランス領事館の敷地。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐31‐0]

    商品コード: 2017082301052

  •  横浜山手公園
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    横浜山手公園

    横浜山手公園=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号107‐21‐0]

    商品コード: 2017081501949

  •  山手天沼
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    山手天沼

    英語で「天沼山手、横浜」とある。ノルウェー生まれのアメリカ人コープランドは、天沼にビール醸造所を経営した。明治17年、これを手放すが、ジャパン・ブルワリーとして再建され、のちに麒麟麦酒となる。写真は天沼の外れの麦田、柏葉を外国人遊歩新道に沿って現・山手公園から撮影したものである。街道には物売りが道端で籠をおいて休息している=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐11‐0]

    商品コード: 2017080200771

  •  南山手からの大浦居留地
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    南山手からの大浦居留地

    南山手から大浦居留地、出島を望む。右手の建物は、現在全日空ホテルが建っている場所にあったベルビューホテル。整理番号28-25、36-28より左上の地点から撮影している。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐43‐0]

    商品コード: 2017080902014

  •  神戸山手の風景
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    神戸山手の風景

    左手のこんもりとした丘は宇治野山 (うじのやま) 。現中央区の中山手通6・7丁目から山本通5丁目あたりの風景。明治初期から中期の撮影だろう。居留地背後の雑居地のなかでも、西部にあたるこの地域にも洋風建築が建っていくようすがわかる。植林が進められる以前の、荒廃した六甲山地も写し出されている。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号56‐31‐0]

    商品コード: 2017081002551

  •  神戸全景
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    神戸全景

    山手より神戸港を望む。1861年の兵庫開港の際、外国人居留地に指定されたのが、生田川から宇治川に至る、やや東に離れた地域であった。この地が発展して、現在の神戸となっている。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐47‐0]

    商品コード: 2017080200961

  •  上野の大仏
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    上野の大仏

    上野忍ヶ丘の大仏山に鎮座する大仏様。殿舎(覆屋)が無いので、明治6年(1873)以降。臼井秀三郎の撮影なので明治15年(1882)前後の撮影と想像できる。大仏山手前の小径を左に辿れば、京橋采女町の築地精養軒の支店として明治6年(1873)4月に開店した上野精養軒がある。小径の左側に「精養軒支店」と書かれた案内看板が立つ。手前の道は黒門通り。右は東照宮の森である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:臼井秀三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号94‐47‐0]

    商品コード: 2017081401058

  •  山手から見た横浜居留地
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    山手から見た横浜居留地

    山手から見た横浜居留地=明治初期、横浜、撮影者:ミヒャエル・モーザー、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。★特別価格対象商品★

    商品コード: 2018122023151

  •  東山手の十二番館
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    東山手の十二番館

    東山手の十二番館=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐36‐0]

    商品コード: 2017081501634

  •  南山手外国人居留地
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    南山手外国人居留地

    南山手外国人居留地=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐3‐0]

    商品コード: 2017081601005

  •  フランス山からの横浜居留地
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    フランス山からの横浜居留地

    山手から見た外国人居留地である。堀川を挟んで、完成近い横浜居留地と元町が撮影されている。F.ベアトの撮影。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号36‐1‐0]

    商品コード: 2017080902391

  •  対岸から見た長崎港パノラマ(3枚組)
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    対岸から見た長崎港パノラマ(3枚組)

    大波止から新地、大浦海岸通り、松ヶ枝橋、南山手、小曽根、浪の平、古河町に至る3枚綴りのパノラマ写真。中島川変流工事が終わり、新大橋、梅香崎橋、松ヶ枝橋がすでに架設されているので、明治20年(1887)代後半の撮影。1枚目は、左側に海から見た出島の全景、中央に新大橋、新地と続き、梅香崎まで。2枚目は、梅香崎から南山手ロシア領事館付近まで。居留地の中心部が写されている。3枚目は、南山手居留地中心部から南端を越え、古河町まで。南山手居留地の南端が写されている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号107‐1‐0]

    商品コード: 2017081501922

  •  長崎港と浪の平南山手
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    長崎港と浪の平南山手

    南山手外国人居留地の南の端付近から長崎市街地方向を望む。写真右の建物は、明治20年(1887) 7月、尋常小曾根小学校を改称した尋常鎮鼎小学校。学校の裏手から山麓一帯が南山手外国人居留地。左側の町並みは手前から古河町、浪の平町。写真中央の工場付近が小曾根町の三菱炭鉱社と麦粉会社。居留地末期の明治30年(1897)頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号105‐45‐0]

    商品コード: 2017081501939

  •  長崎市街と長崎港
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    長崎市街と長崎港

    風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の町並み。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐16‐0]

    商品コード: 2017081502343

  •  南山手からの大浦居留地
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    南山手からの大浦居留地

    南山手からの大浦居留地=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐11‐0]

    商品コード: 2017081601105

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設された。翌年には馬車も通行できるようになり、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が通じた。沿道には茶屋が設けられ、また海水浴や潮干狩りでも賑わった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号68‐3‐2]

    商品コード: 2017082400324

  •  大浦居留地の洋館群
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    大浦居留地の洋館群

    [整理番号75‐23‐0](3880)と2枚続きの写真で、東山手の現在昭和会病院がある敷地から南山手方面を望んだもの。大浦天主堂は明治11から12年(1878~1879)の増改築を終えたあとの姿で、その左手上の一番高いところにあるのちの清水氏宅の下に、小さな洋館が見えるのは旧・ウォーカー氏宅であろう。明治20年(1887)頃の撮影。=1887(明治20)年頃、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐24‐0]

    商品コード: 2017082800613

  •  横浜元町通り
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    横浜元町通り

    増徳院境内から元町通りを見る。山手の山裾に位置する元町は、開港場建設に際して旧横浜村の住民が移住して生まれた町。居留外国人の需要に応ずる商業地として発展した。左手の山上に見えるのは、元町百段上の浅間神社。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐10‐0]

    商品コード: 2017082300915

  •  グラバー邸と庭園
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    グラバー邸と庭園

    南山手1番のグラバー邸とその庭園。文久元年(1861)に、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理人として来日したトーマス・グラバーが、文久3年(1863)に自宅として建築した邸宅。日本で最も古い木造洋風建築物で、庭園もよく整備されている。坂本龍馬や伊藤俊輔、井上聞多なども商談で出入りした。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐1‐0]

    商品コード: 2017081600921

  •  居留地の町並
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    居留地の町並

    整然とした町並。ベアトの写した山手から見た横浜居留地の写真(「幕末日本の風景と人々」写真4-5-6)の整然とした町並から見て、本写真もおそらく横浜居留地の一角を写したものであろう。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐22‐0]

    商品コード: 2017080201316

  •  長崎市街中心部南
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    長崎市街中心部南

    風頭から旧市街南部を望んだ写真である。小島ごしに東山手と長崎港の入口にアングルが向けられている。写真左下に英語で「長崎港」という意味の説明。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐11‐0]

    商品コード: 2017080201857

  •  横浜増徳院
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    横浜増徳院

    山手の山裾に位置する元町は、開港場建設に際して旧横浜村の住民が移住して生まれた町。町を貫く通り(現元町通り)の突き当たりには、この増徳院が位置していた。写真は、本堂脇の薬師堂。その後薬師堂は、移転を経て現在も堀川端に建つ。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐63‐0]

    商品コード: 2017082300968

  •  本牧海岸
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    本牧海岸

    本牧十二天の海岸。元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設され、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が開通した。本牧本郷村の鎮守である十二天社は、本牧神社と改称して現存。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐17‐0]

    商品コード: 2017082300942

  •  東山手から見た大浦居留地
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    東山手から見た大浦居留地

    東山手から見た大浦居留地=1865年、長崎、撮影者:A.F.ボードイン、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号123‐15‐0]

    商品コード: 2017081601258

  •  飽の浦からの汽船と南山手
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    飽の浦からの汽船と南山手

    飽の浦からの汽船と南山手=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号123‐2‐0]

    商品コード: 2017081601160

  •  不動坂からの本牧岬
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    不動坂からの本牧岬

    山手から根岸の丘を抜けてきた遊歩道は、不動坂で海岸線まで下がる。ここを訪れた外国人を絶景と言わせたとされている。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐19‐0]

    商品コード: 2017080201712

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    神戸市街の遠景

    諏訪山から神戸港を望む。明治中期。建物などの着色が異なるが目録番号4871と同じ写真。南北の道路右側の塀で囲った屋敷は小寺邸。その向こうから左 (東方)にかけての地域には、現在も、県政の中枢を担う兵庫県庁舎や兵庫県警察本部がある。開港から20年あまりたち、市街地が沿岸部から山手へ拡大していくようすがわかる。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐1‐0]

    商品コード: 2017081501789

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設された。翌年には馬車も通行できるようになり、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が通じた。沿道には茶屋が設けられ、また海水浴や潮干狩りでも賑わった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐5‐0]

    商品コード: 2017081002753

  •  南山手からの大浦居留地と出島
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    南山手からの大浦居留地と出島

    グラバー園下の坂道付近から撮影したもの。右手中央の建物は幕末期から存在したベルヴューホテルだが、入口のポーチが増築されていたのが分かる。大浦居留地は多くの洋館が建て込み、海岸通りの中央には街路樹が植えられ、突き当たりの税関前の波止には大きな平屋建てが新築されている。明治7年から8年(1874~5)頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐9‐0]

    商品コード: 2017081400603

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