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「建ち」の写真・グラフィックス・映像
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-京都清水寺仁王門京都市街を清水寺西門前の石段より西に眺望する。右方には仁王門が建ち、その脇には物売りや浴衣姿の子供の姿、その奥には門前の茶店が見える。左方の植え込みの隙間から見える子安の塔は、清水寺の境内整備にともない、明治43年(1910)に南苑南側山腹に移築されたので、写真はそれ以前に撮影されたもの。背後には京都市街の町並みが広がる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐19‐0]
商品コード: 2017080902671
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-京都下鴨茶寮下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。明治期には夏季に川縁に篝火を焚き、納涼床が建ち並んだ。背後には糺の森が広がる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐26‐0]
商品コード: 2017081401482
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-西大谷(大谷本廟)西大谷円通橋西詰より登り坂の参道を東に望む。背後に建つ山門の脇には2本の大きな松がそびえ立つ。円通橋は安政3年(1865)に築造された石橋である。その形より眼鏡橋と称され、幕末から明治にかけて紅白の蓮が眺められる景勝地であった。橋の西詰北側には茶店が建ち、縁台が置かれている。F・ベアド撮影。=撮影年月日不明、京都、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号62‐19‐0]
商品コード: 2017082301027
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-円山也阿弥ホテル東山を八坂神社境内東側参道から東に望む。左から也阿弥ホテルの別館、洋風の本館が姿をのぞかせる。中央奥にそびえる三層の楼閣は、明治6年(1874)に京都の近代化の推進者であった明石博高(ひろあきら)が金閣寺を模して造った吉水温泉である。右の下見板貼りの洋館の軒先には国旗と社旗が掲げられている。参道の往来は少なく、電柱が建ち並ぶ。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐109‐0]
商品コード: 2017080902925
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-猿沢池猿沢池の東南から、前方に猿沢池と遠方に興福寺南円堂・三重塔を撮影する。現状はみやげ物店などが建ち並び、土塀は見えない。南円堂はほぼ全景が見え、三重塔は二重目の屋根より上が見えている。煙出しを持つ大型町家は、旅館である。旅館の手前、三条通りの角に采女神社がある。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐25‐0]
商品コード: 2017081400606
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-坂道の町並み円山也阿弥(やあみ)ホテル正門前から八坂神社への参道を西に望む。正門前には人力車が常駐する車庫が設けられ、その脇には電灯が建つ。電柱が建ち並ぶ砂利道の参道には杖をついた老人や袴姿の少年が往来し、後方南側には寄棟造の洋館が建つ。写真は京都に電灯供給が開始される明治25年(1892)以後に撮影されたものである。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐93‐0]
商品コード: 2017080902681
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-中山道和田の宿場和田宿付近の集落。防風用の石置屋根造りの家屋が建ち並び、村人の姿も見える。和田宿は中仙道中最も険しい和田峠を控え、古くから交通の要地であった。しかし明治以降は幹線道路から外れたため、発展を望めなくなった。=撮影年月日不明、長野、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号38‐43‐0]
商品コード: 2017082200865
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-円山からの京都市街京都市街北部を円山吉水温泉楼閣から西に望む。中央から左奥に向けて延びる道は、神苑で覆われた八坂神社境内へと続く参道である。後に円山公園となる敷地はいまだ未整備のままであるが、所々に料亭が建ち並ぶ。後に公園の名所となる枝垂桜の北東側には、寄棟造の2階建て洋館が建つ。背後には西山連峰が霞んで見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号79‐5‐0]
商品コード: 2017081401135
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-円山からの京都市街京都市街北部を円山吉水温泉楼閣から西に望む。中央から左奥に向けて延びる道は、神苑で覆われた八坂神社境内へと続く参道である。後に円山公園となる敷地はいまだ未整備のままであるが、所々に料亭が建ち並ぶ。後の名所となる枝垂桜の北東側には、寄棟造の2階建て洋館が建つ。背後には西山連峰が霞んで見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐3‐0]
商品コード: 2017081401210
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-京都清水寺回廊の絵馬清水寺本堂内陣を西から東を向いて撮影する。内陣には巨大な円柱が整然と建ち並び、天井には門徒により奉納された数多くの大小の絵馬が掛けられている。左前の柱上部に掛けられた絵馬は明治20年(1887)11月に奉納されているので、写真はそれ以後に撮影されたものである。右方の舞台から光が差し込む。玉村康三郎撮影。=撮影年月日不明、京都、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号68‐18‐0]
商品コード: 2017082400285
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-長崎市街と長崎港
左端の梅香崎の埋立地に建物が建ち込み、波止場には長崎税関が見える。新地の海岸側には洋館が建てられ、裏側では護岸工事が進んでいる。変流前の中島川の河口には明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。出島では、築町の対岸側に新しい洋館が建っているが、明治9年(1876)建設の美以教会の鐘塔も、同11年(1878)建設の聖公会神学校の鐘塔も見えない。したがって、撮影時期は明治5年前後である。暴風雨で倒壊した初代県庁舎に代わって、明治9年に新築される2代目県庁舎もまだ見えない。五島町あたりには諸藩の蔵屋敷が多かった。めぼしい大きな建物が市街にまだない頃の、風頭山から見た典型的な明治初期の長崎の鳥瞰である。=1873(明治6)年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐22‐0]
商品コード: 2017082400663
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-子供を背負う女性民家の庭先にて子供を背負う女性を撮影する。民家は柿葺きの平屋で、軒先にはガス灯が据え付けられる。民家は斜面途中の平地に建ち、左方に山が迫っている。縁側横の庭先には犬が座っている。右方に見える瓦で重石で蓋がされた木の箱はゴミ箱であろうか。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐87‐0]
商品コード: 2017080902771
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-不忍池不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)、天海僧正が池を琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。清水坂あたりからの俯瞰。参道に茶屋が建ち並んでいる。その先、中央に弁天堂、右手前に生地院、明治6年上野山が公園に指定される前の撮影。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐31‐0]
商品コード: 2017080901997
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-下鴨糺の森の御手洗池の茶店下鴨糺の森の御手洗川畔に建つ茶店を撮影する。簡素な数寄屋風の茶店に2人の女性が乗った小舟が乗り付けている。御手洗川は下鴨神社の御手洗社から湧き出る水が流れ出した川である。近世から明治期にかけて、毎年土用の丑の日に、この川の畔に篝火を焚いた屋根付きの納涼床ができ、名物の御手洗団子を売る茶店が建ち並んだ。=撮影年月日不明、京都、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐42‐0]
商品コード: 2017081401445
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-黒谷金戒光明寺の石段黒谷金戒光明寺の石段を石橋の極楽橋上より東に望む。石段両側の斜面には数多くの墓石が建ち並ぶ。石段の中腹には日傘をさした人物がカメラの方を向き立っている。石段上には樹林でさえぎられた文珠塔がそびえる。右端には蓮池院(熊谷堂)が垣間見える。石段中腹左に見える阿弥陀如来座像は移築され現存しない。=撮影年月日不明、京都、撮影者:堀内信重、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐94‐0]
商品コード: 2017081401643
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-中禅寺湖畔二荒山神社中宮祠の境内から中禅寺湖岸を眺めたもの。手前の二つの建物は行者小屋である。行者小屋は男体山に登る信者たちの宿舎だった。画面の中央に六軒茶屋が建ち並び、その左奥にも行者小屋が見える。画面右端の建物は英国人カークードの別荘と思われる。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐46‐0]
商品コード: 2017081002735
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-清水寺清水寺西門と三重塔を仁王門東側より東に見上げる。参道は右方の西門をくぐり三重塔へ至る石段と、左方の直接に三重塔へと至る石段に分かれている。西門西側の斜面には岸駒灯籠と呼ばれる灯籠群が建ち並ぶ。西門西門は寛永8年(1631)の創建で、切妻造、檜皮葺。三重塔は寛永10年(1633)頃の創建で、本瓦葺である。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐43‐0]
商品コード: 2017081401008
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-日光鉢石宿鉢石(はついし)宿は日光街道最後の宿場である。街道に沿って画面の奥に進むと大谷川に架かる神橋に出る。神橋は東照宮などの建ち並ぶ山内地区の入口である。街道には段差が設けられ、左右と中央には水路が見える。明治37(1904)年の大火で鉢石宿の多くが被災している。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐35‐0]
商品コード: 2017081401125
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-神戸居留地海岸通り明治中頃の居留地海岸通(現中央区)を、西端から東へ向かって撮影。左から、2番の香港上海銀行 (The Hong Kong and Shanghai Banking Corporation)をはじめ、商館・銀行・領事館などが建ち並び、当時のにぎわいぶりがしのばれる。右手海岸には、外国人が散歩を楽しんだプロムナードが見える。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号79‐9‐0]
商品コード: 2017081401170
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-円山公園の枝垂桜円山公園の枝垂桜を南西側より東北東に望む。石垣と柵で囲われた大きな満開の枝垂桜の周囲は、花見に興じる大勢の人々で賑わっている。右奥に建つ也阿弥(やあみ)ホテルに続く参道の南側には、多くの茶店や露天が建ち並ぶ。夫婦らしき男女が茶店を横目に見ながら足早に参道を下っている。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号51‐59‐3]
商品コード: 2017081002318
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-王子村キーワード:王子村、王子町、建ち並ぶ民家、街並み、1870~78(明治3~11)年に発行していたFAR EAST(ファーイースト)に掲載された写真=明治初期、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2018070900994
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-中禅寺湖
中禅寺湖北岸二荒山神社中宮祠を望む。湖畔には行者小屋が建ち並ぶ。明治35年の土石流で観音堂と鳥居左の行者小屋二つは流された。左端に船着場と旅館街がある。=撮影年月日不明、日光、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号40‐11‐0]
商品コード: 2017080902641
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-円山からの京都市街京都市街北部を円山吉水温泉楼閣から西に望む。中央から左奥に向けて延びる道は、神苑で覆われた八坂神社境内へと続く参道である。後に円山公園となる敷地はいまだ未整備のままであるが、所々に料亭が建ち並ぶ。後に公園の名所となる枝垂桜の北東側には、寄棟造の2階建て洋館が建つ。背後には西山連峰が霞んで見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐115‐0]
商品コード: 2017080903205
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-京都清水寺回廊の絵馬清水寺本堂内陣を西から東を向いて撮影する。内陣には巨大な円柱が整然と建ち並び、天井には門徒により奉納された数多くの大小の絵馬が掛けられている。左前の柱の上部に掛けられた絵馬は明治20年(1887)11月に奉納されているので、写真はそれ以後に撮影されたものである。右方の舞台から内陣に光が差し込む。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐15‐0]
商品コード: 2017082300877
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-舟茶屋琵琶湖瀬田川河口を東岸より北西に望む。対岸には方形屋根コロニアル様式の洋館が建ち、歩廊で船着場とつながっている。その背後に松林が広がる。石垣の護岸には2艘の屋形船が停泊している。手前の桟橋は丸太と木板を組み立てた簡易なもので、その上に浴衣姿の男性と船頭らしき男性の姿が見える。背後に比良山系がそびえる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:スチルフリード(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号63‐18‐0]
商品コード: 2017082300920
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-鎌倉の大仏目録番号2748と同時期の明治10年代の写真か。スチルフリート撮影と推定される。参道石畳の両側に掲示板が3枚建ち、その内の1枚には「大佛殿再建喜捨金連名」と記されている。また、像の左側にある小屋の床下には多くの瓦が積まれ、床上にも数枚が置かれている。これらは大仏殿再建用の寄進瓦だろうか。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐30‐0]
商品コード: 2017082800562
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-中禅寺湖二荒山神社中宮祠境内から湖畔の六軒茶屋を眺める。その奥には行者小屋が見える。明治初期の撮影らしく、歌ケ浜方面に向かう画面右奥の湖畔には建物が一軒も見えない。また、画面中央に建ち並ぶ六軒茶屋付近の湖畔を見ると、石積みによる護岸が施されていない。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐20‐0]
商品コード: 2017082400643
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-下鴨糺の森の御手洗池の茶店下鴨糺の森の御手洗川畔に建つ茶店を撮影する。簡素な数寄屋風の茶店に2人の女性が乗った小舟が乗り付けている。御手洗川は下鴨神社の御手洗社から湧き出る水が流れ出した川である。近世から明治期にかけて、毎年土用の丑の日に、この川の畔に篝火を焚いた屋根付きの納涼床ができ、名物の御手洗団子を売る茶店が建ち並んだ。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐43‐0]
商品コード: 2017081401469
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-円山公園京都市東山区の西部、東山山麓にあたる。もと安養寺六坊・祇園感神院等の寺社領であったが、明治維新で官収され、明治19年(1886)の公園設置の太政官符により公園とし、円山安養寺にちなんで丸山公園と名付けられた。明治時代には、人口温泉・貸席・ホテル等が建ち並ぶ歓楽街であった。淮木の生えた築山ごしにホテル等が見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号19‐5‐0]
商品コード: 2017080201803
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-京都清水寺回廊清水寺本堂内陣を西から東を向いて撮影する。内陣には巨大な円柱が整然と建ち並び、天井には門徒により奉納された数多くの大小の絵馬が掛けられている。左前の柱の上部に掛けられた絵馬は明治20年(1887)11月に奉納されているので、写真はそれ以後に撮影されたものである。右方の舞台から内陣に光が差し込む。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号52‐32‐2]
商品コード: 2017081002585
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-円山からの京都市街京都市街北部を円山吉水温泉楼閣から西に望む。中央から左奥に向けて延びる道は、神苑で覆われた八坂神社境内へと続く参道である。後に円山公園となる敷地はいまだ未整備のままであるが、所々に料亭が建ち並ぶ。後に公園の名所となる枝垂桜の北東側には、寄棟造の2階建て洋館が建つ。背後には西山連峰が霞んで見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号52‐22‐0]
商品コード: 2017081002463
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-円山からの京都市街京都市街北部を円山吉水温泉楼閣から西に望む。中央から左奥に向けて延びる道は、神苑で覆われた八坂神社境内へと続く参道である。後に円山公園となる敷地はいまだ未整備のままであるが、所々に料亭が建ち並ぶ。後に公園の名所となる枝垂桜の北東側には、寄棟造の2階建て洋館が建つ。背後には西山連峰が霞んで見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号52‐32‐0]
商品コード: 2017081002608
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-石山寺境内の茶店石山寺境内の茶店の賑わいを撮影する。境内内には屋根付きの茶店の中に縁台が設けられ、大勢の女性が縁台に座って飲食に興じている様子。犬や子供達の姿も見える。同地は高台に建ち、眼下に景色の眺望を楽しめる場所に位置する。左の一段高くなった建物は月見亭。縁台には煙草盆が置かれる。右奥に多宝塔の一部が見える。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐118‐0]
商品コード: 2017080902932
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-向島佐竹庭園
秋田藩佐竹氏の庭園は浩養園と称した。明治中期から一般にも公開され、江戸の名園として評判になった。しかし明治36年(1903)、札幌麦酒株式会社の所有となった。吾妻橋工場が建ち、残された庭園でビアガーデンを開設した。明治39年(1906)に大日本麦酒株式会社吾妻橋工場になる。大正時代には工場拡張や大震災により庭園の面影は失われる。現在は墨田区役所横に数本の樹木が植えられ説明版があるのみ。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐9‐0]
商品コード: 2017081401438
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-大浦川沿い明治30年頃の大浦川右岸の居留地風景。大規模な木造の洋館が建ち並んでいる。石積みの護岸に沿ってガスランプが立つ河岸道路には、客待ちの人力車が並ぶ。海岸には沖の船との連絡に使う荷船「サンパン」がびっしり繋がれている。背後の山腹のピンク色の洋館は、現在、グラバー園に移設されているスチイル記念学校である。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐18‐0]
商品コード: 2017081400560
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-出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地方面を望む安政5年(1858)の開国条約締結直後の1862年、長崎を訪問したミルトン・ミラーが撮影した、長崎の最も古い風景写真のなかの1枚。当時出島の南側中央のオランダ商館長邸を訪問したと思われるミラーが、屋敷横の日本庭園から、第二次埋め立てが完了し建物が建ち始めた大浦居留地を遠望している。左の大きな白黒の柱はオランダ国旗の旗竿であり、右には妙行寺(当時イギリスの仮領事館)の屋根が見える。妙行寺横にはまだグラバー邸は見えない。ライデン大学に寄託されているボードウィン・コレクションにも同じ写真が存在する。=1861~62年頃か、長崎、撮影者:ミルトン・ミラー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号113‐8‐0]
商品コード: 2017081502341
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-松の森神社側から本河内を望む左手の松の茂みが松の森神社で、右手の町並みは新大工町である。真ん中の片淵は田んぼだらけでまだ建物がない。ここには、明治15年(1882)年から41年(1908)の間、長崎監獄が建ち、その左手には、明治38年(1905)3月に、長崎高等商業学校(現長崎大学経済学部)が建設される。新大工町右手の伊勢町中島には、上野彦馬邸の蔵と明治5年(1872)頃に建てられた新しい二階建ての白い写場が遠望される。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐6‐0]
商品コード: 2017081600932
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-中山道和田峠の茶店西餅屋中山道最大の難所、和田宿和田峠の様子と休息する旅人たち。この西餅屋には茶屋が建ち並んでおり、峠を越える人々の休息所となっていた。冬期には積雪が3mにも及び、峠越えは難渋を極めたという。=撮影年月日不明、長野、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号38‐41‐0]
商品コード: 2017082200883
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-北野天満宮三光門北野天満宮中門正面を南から北に望む。中央に白装束の2人の神主が立っている。参道には多くの石灯籠と松並木が建ち並んでいる。中門は三光門とも呼ばれる。単層、入母屋造、檜皮葺の四脚門で、桃山時代の創建である。前後に軒唐破風をかけ、その上部に千鳥破風を設け、後西天皇筆の「天満宮」の額を掲げている。右奥に拝殿が垣間見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐10‐0]
商品コード: 2017080902587
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-Turkey. Istanbul. Church of the Holy Saviour in Chora. 11th-13th centuries. Central nave and the apse, at background.Turkey. Istanbul. Church of the Holy Saviour in Chora. 11th-13th centuries. Central nave and the apse, at background.、クレジット:Album/Prisma/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。
商品コード: 2020051310495
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-嵐山渡月橋嵐山渡月橋を北詰から南に望む。背後の山腹には法輪寺が見える。渡月橋の北詰には牛馬の往来を禁止する標識が建ち、桜の木の下に設けられた茶店には提灯が吊るされている。川上は材木を浮かべた貯木場となり、丸子船が停泊している。写真の渡月橋は明治25年(1892)に水害で流失した。右前に見える石橋は琴聞橋で、後に車折神社御旅所に移築された。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐6‐0]
商品コード: 2017081400725
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-宮城野川現在の宮城野橋から100メートルほど下流(蕎麦屋みやび〔雅美〕付近)より見た、早川の流れと宮城野。今でも同様な大きな岩と樹群れが存在する。左端の白い大岩は現在は壊され、その位置に建物が建ち、その左横を国道138号線が走る。遠方の山は箱根外輪山の山々で、右から明神ヶ岳・火打石岳・小塚山。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐25‐0]
商品コード: 2017081401485
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-飽の浦恵美須神社写真には「浪の平」とあるが、飽の浦の恵美須神社である。恵美須町(現・長崎駅付近)から寛永10年(1633)、小柳五郎佐衛門道長が稲佐の「瀬ノ脇村」のこの地に移転した。フェートン号事件の時に奉行松平図書守の御用場所となる。明治維新後、稲佐神社と改称したが、昭和12年(1937)に創立時の呼称が復活。鳥居の下まで海岸が迫って、漁家が建ち並び、港内から対岸を見渡せる景勝地であった。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐34‐0]
商品コード: 2017081502097
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-中禅寺湖
中禅寺湖北岸二荒山神社中宮祠を望む。湖畔には行者小屋が建ち並ぶ。明治35年の土石流で観音堂と鳥居左の行者小屋二つは流された。舟に3人の女と船頭が乗っている。整理番号11-20と同じ写真である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐31‐0]
商品コード: 2017080902127
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-石山寺の境内石山寺本堂、蓮如堂を多宝塔南側参道より西に望む。参道には石畳が敷かれ、参道北側に石灯籠が建ち並ぶ。石灯籠の右方には珪灰岩が露出した斜面が見える。本堂は慶長7年(1602)の創建で、総檜皮葺で寄棟造である。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐115‐0]
商品コード: 2017080902930
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-法螺貝を吹く修行僧旧花屋町通油小路西入から、高下駄を履き法螺貝を吹きながら旧花屋町通を東進する修行僧を撮影する。その修行僧を白地の洋服を着用した白人男性が物珍しく見つめている。同所は西本願寺の門前町で広告の看板・提灯・ガス灯を軒先に掲げた仏具屋などが建ち並び、人の往来も激しい。背後には並木の堀川をはさみ、方形屋根の西本願寺経蔵が見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐112‐0]
商品コード: 2017080902999
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-大浦居留地の洋館群[整理番号75‐24‐0](3881)と2枚続きの写真である。現在の昭和会病院の敷地から大浦居留地の南半を俯瞰したもの。画面下の道路が現在孔子廟やNTT病院が面している大浦3 番街で、明治初年(1868)頃までは、この街路沿いに製茶工場などが建ち並んでいたが、すでに空き地が目立っている。明治20 年(1887)頃の撮影。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐23‐0]
商品コード: 2017082800651
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-江ノ島神社の鳥居撮影者未詳。‘№338 GATE OF ENOSHIMA.'のタイトルがある。明治時代の「茶屋町」の景。正面に「江島神社」の懸額のある青銅の鳥居(現存)が建ち、その奥には「ゑびすや茂八」(恵比寿屋)等の宿屋が続く。なお、鳥居には「延享四丁卯歳二月」(1747)と「文政四辛巳歳三月再建」(1821)の銘がある。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐80‐0]
商品コード: 2017091301336
- 本画像はログイン後にご覧いただけます-川辺の農村集落
川辺に建つ農村集落を撮影する。川の水量は少なく緩やかで、砂利地の中洲が姿をあらわす。護岸には低い石垣が組まれ浸食を防いでいる。背後には、川の増水を避けるため比較的高地に藁葺や桟瓦葺の民家が建ち、各家間を行き来できるよう小道でつながれる。稲木が見えるので季節は秋で、場所は亀岡の保津川起点周辺と想像される。背後には竹林がせまる。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐96‐0]
商品コード: 2017080902958
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-西本願寺大谷本廟から望む京都市街西大谷山門前から下り坂の参道を西に望む。背後に京都市街と西山連峰を遠望する。山門前には石灯籠が建ち、庭園は整備され、ソテツの木が植えられる。参道手前には人力車と車夫、傘をさした人物が写る。参道北側には背の高い樹木の列が並ぶ。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号52‐23‐0]
商品コード: 2017081002440
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-音無川沿いに建ち並ぶ茶屋や料亭キーワード:音無川(王子川)沿いに建ち並ぶ茶屋や料亭、王子、日下部金兵衛撮影か?=明治中期、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
商品コード: 2018070900998
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-不忍池不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)、天海僧正が池を琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。上野山は清水坂あたりからの俯瞰。参道に茶屋が建ち並んでいる。その先、中央に弁天堂、右手前に生地院、明治6年上野山が公園に指定される前の撮影。=撮影年月日不明、東京、撮影者:鈴木真一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号41‐6‐0]
商品コード: 2017080902518
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-黒谷金戒光明寺の石段黒谷金戒光明寺の石段を蓮池院(熊谷堂)北側の参道より東に望む。石段両側の斜面には数多くの墓石が建ち並び、親子連れが石段を登っていく。石段上には樹林でさえぎられた文珠塔がそびえる。石段中腹左に見える阿弥陀如来座像は移築され現存しない。 文珠塔は三重の塔で、寛永11年(1634)に徳川秀忠の菩提を弔うために建立された。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐28‐0]
商品コード: 2017081401486
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1902年12月31日中禅寺湖
中禅寺湖北岸二荒山神社中宮祠を望む。 湖畔に行者小屋が建ち並ぶ。 明治35年の土石流で、 観音堂と鳥居左の行者小屋二つは流された。 舟に三人の女と船頭が乗っている。=明治35年以前、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号11‐20‐0]
商品コード: 2017080201242
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1902年12月31日中禅寺湖
中禅寺湖北岸二荒山神社中宮祠を望む。 湖畔に沿って行者小屋が建ち並ぶ。 明治35年の土石流により、 写真中央の観音堂と鳥居左の2つの行者小屋が流された。 船頭が舟を櫂ぎ4人の女が洗濯をしている。=明治35年以前、日光、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐41‐0]
商品コード: 2017080200765
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1904年12月31日黒谷金戒光明寺の石段黒谷金戒光明寺の石段を石橋の極楽橋上より東に望む。石段両側の斜面には数多くの墓石が建ち並ぶ。墓参りを終えたと思われる人々が大勢石段を降りてくる。石段上には樹木の枝でさえぎられた文珠塔がそびえる。右端には「御廟」と記された高札が建つ。明治37年(1904)撮影。=1904(明治37)年、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐17‐0]
商品コード: 2017081401667
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1904年12月31日牛の田起こし宇治の水田にて農夫が黒毛牛を操り農地を耕している。牛の背中に結わえた縄と鋤が結び付けられ、牛が鋤を引っ張ると水田が耕されていく。背後には大きな土蔵が建ち、その横に屋根付きの筵で囲われた小屋が仮設され、天秤棒を担いだ農夫が荷を運んでいる。仮設の小屋には稲の苗が保管されているのであろうか。1904年イギリス人写真家H・G・ポンティングの撮影か。=1904(明治37)年、宇治、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐24‐0]
商品コード: 2017081501816
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1944年09月09日橋の建て替えも迅速に 欧州戦線
フランス西部レンヌを制圧後、直ちに巨大なクレーン車を操作し、市内の運河に新たな橋を架ける作業に着手した米軍工兵隊の港湾再建チーム。従来使われていた橋は退却するドイツ軍が破壊。背景の建物はそのあおりで大破した=1944年9月(ACME)
商品コード: 2019100301475
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1945年09月10日被爆 太平洋戦争
1945年8月9日の原爆投下から約一カ月経った長崎の光景。この丘の斜面に、かつては住宅が建ち並んでいた。被爆地に初めて入った米報道陣が撮影=1945年9月(ACME)
商品コード: 2010102900331
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1946年08月06日福岡建ち並ぶ被災者住宅。奥は福岡港=1946(昭和21)年8月(21年内地1929)
商品コード: 2014061600577
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1946年08月06日福岡建ち並ぶ被災者住宅。奥は福岡港=1946(昭和21)年8月(21年内地1929関連)
商品コード: 2014061600579
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1946年08月06日復興の兆し 原爆投下から1年の長崎
原爆投下から1年たった長崎市の浦上地区。簡易住宅が建ち並び始め、復興への兆しが見て取れる=1946(昭和21)年8月6日
商品コード: 1946080650001
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1947年08月28日昭和22年夏の長崎市バラックが建ちならぶ長崎市内=1947(昭和22)年8月28日整理(撮影月日不明)(22年内地番号なし)
商品コード: 2014081800343
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1950年07月16日通りにあふれる人々 賑わう浅草六区映画館や芝居小屋などが建ち並び、日本有数の歓楽街として隆盛を誇った「浅草六区」。通りには人があふれた=1950(昭和25)年7月16日、東京都台東区
商品コード: 1950071650001
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1951年12月05日広島市区画整理に沿って建ち並ぶオフィス街兼住宅街=1951(昭和26)年12月5日、広島市(内地番号なし)
商品コード: 2014021000312
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1952年09月05日スケッチ10134 新宿メインストリート夕景百貨店が建ち並ぶ新宿メインストリートの夕景=1952(昭和27)年9月5日、新宿
商品コード: 2017020100550
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1952年09月05日スケッチ10139 新宿駅東口付近夜景新宿駅東口、百貨店が建ち並ぶメインストリート沿いの夜景=1952(昭和27)年9月5日
商品コード: 2017020100551
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1953年12月02日宇野線高架地下道早朝だろうか。国道2号(現主要地方道岡山―児島線)の国鉄宇野線(同JR瀬戸大橋線)高架下を走る関西高校陸上部員。1台の車も見えない。周りの風景も、左端の建物が見える場所には山陽新聞新聞製作センターが、その後方には岡山商工会議所、高架の右端には光生病院が建ち、49年の時間を刻む。また、同線の立体交差事業で今年3月末には地下道部分が平面化され、さらに装いを一新した。=1953(昭和28)年12月2日、岡山市厚生町、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ
商品コード: 2018062700334
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1955年01月01日朝鮮・板門店資料丘に建ちならぶ休戦委員会の建物=1955(昭和30)年1月1日掲載用(30年内地033)昭和29年12月15日出稿(板門店資料105・ネガ10)
商品コード: 2012072400162
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1955年01月01日朝鮮・板門店資料南北朝鮮統一悲願をこめて共同安全保障地域の丘に建ちならぶ休戦委員会の建物。手前が休戦委員会の建物、先方の建物は中立国休戦監視委、スウェーデン、スイス委員の建物=1955(昭和30)年1月1日掲載用、昭和29年12月15日出稿(30年内地049)(板門店資料133・ネガ5)
商品コード: 2012072400168
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1955年10月10日新潟市大火の復興仮の住宅が建ち復興を急ぐ新潟市=1955(昭和30)年10月10日出稿 (縮刷版掲載なし 30年内地番号なし)
商品コード: 2012081400287
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1957年12月31日大分県 天ケ瀬温泉郷玖珠川の両岸に建ち並ぶ天ケ瀬温泉=1957(昭和32)年、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ
商品コード: 2015102200663
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1963年01月26日銀座4丁目交差点 銀座の航空写真三愛ビルや服部時計店ビルが建ち並ぶ銀座4丁目交差点=1963(昭和38)年1月26日
商品コード: 2017110700010
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1963年01月26日銀座4丁目交差点 銀座の航空写真三愛ビルや服部時計店ビルが建ち並ぶ銀座4丁目交差点=1963(昭和38)年1月26日
商品コード: 2017110700011
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1970年12月15日スケッチ企画5969−17 銀座4丁目近代的なビルが建ち並ぶ銀座4丁目=1970(昭和45)年12月15日、東京都中央区
商品コード: 2018031000399
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1972年05月12日復興した那覇市 復帰迎える沖縄沖縄戦ですっかり焼け野原と化した那覇市。その中心街も戦後27年、高層ビルの建ち並ぶまでに復興した=1972(昭和47)年5月11日(1972年国内十大ニュース3関連、外信39029)
商品コード: 2009121700203
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1973年02月08日浅間山が爆発
観光開発で浅間山周辺に建ち並ぶ別荘と後方は噴煙を上げる浅間山=1973(昭和48)年2月8日午後4時40分、長野県南軽井沢
商品コード: 2010101800122
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1974年12月25日だが… 海青く時代-米軍統治時代の学校跡に建ち、時代の流れを見る二宮尊徳像。本土と小笠原を隔てる千キロという距離は観光開発にとっても大きなネックになっている。飛行場建設のメドも立たず、交通手段を船に頼る現状では「島を訪れるのは体力と時間があって、おカネがない若者ばかりだ」という島民の言葉もうなずける(写真ニュース「その後の小笠原諸島」5枚組の3)
商品コード: 2012062100120
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1977年03月09日スケッチ企画6826−26A 東京・銀座通り世界的に有名なメインストリート銀座通り。高級ブランドが建ち並ぶ大人の街だ=1977(昭和52)年3月9日、東京都中央区
商品コード: 2018060700574
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1981年11月04日新改築に最大の関心農村でも二階建ての家が建ち始めたが、8千元(約108万円)もする家は珍しい=安徽省蕪湖県の万春人民公社(共同)
商品コード: 2016022400487
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1985年03月09日科学万博開幕あと1週間建ち並ぶパビリオン群を見て回る見学者=1985(昭和60)年3月9日、茨城県・筑波研究学園都市の科学万博会場
商品コード: 2022012806871
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1985年05月25日福岡県 二日市温泉のマンション群湯の町・二日市に建ち並び始めた温泉つきマンション=1985(昭和60)年5月頃、筑紫野市、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ
商品コード: 2015102200707
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1989年08月03日石室にそびえる十三重塔十三重の塔が石棺に代わって建ち、信仰の場となっている鉢塚古墳の横穴式石室=大阪府池田市鉢塚
商品コード: 2020031302650
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1989年08月31日各種の木簡 礎石建ちの門や木簡出土発表された木簡。左から盗みをした16歳の少年を懲戒免職にした木簡、宿直当番を記したもの、門の通行証、門衛の配置を指示した木簡=奈良市の平城京跡
商品コード: 2008122000130
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1989年08月31日いたずら書きした木簡 礎石建ちの門や木簡出土官人や庶民の絵をいたずら書きした木簡。当時の服飾を知る貴重な資料=奈良市の平城京跡
商品コード: 2008122000131
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1993年12月09日地震の奥尻島民に厳しい冬 復興の歩みに不況の影厳しい冬を迎えた奥尻島の高台に建ち並ぶ仮設住宅=4日(北海道南西沖地震)「追跡93」7の1
商品コード: 1993120900057
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1994年03月31日高層ビル建ち現場一変 ロス銃撃事件判決高層ビルが建ちすっかり趣が変わった一美さん銃撃事件現場=30日、ロサンゼルス市(共同)
商品コード: 1994033100009
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1995年07月14日プレハブ建つ菅原地区 切れた高速、続く避難生活)、社会354S、17日付朝刊以降使用 更地となった菅原地区の焼け跡に建ち始めたプレハブの建物=7月11日、神戸市長田区
商品コード: 1995071400063
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1995年07月14日プレハブ建つ菅原地区 切れた高速、続く避難生活)、社会354S、17日付朝刊以降使用 更地となった菅原地区の焼け跡に建ち始めたプレハブの建物=7月11日、神戸市長田区
商品コード: 1995071400091
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1995年08月08日九竜城が中国式公園にあずまやなどが建ち、公園らしさを見せてきた九竜城跡(共同)(香港の無法地帯として知られた九竜半島のスラム地区)
商品コード: 1995080800019
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1996年01月10日焼け跡にプレハブ 復興に向けて被災地始動)、社会351S、14日付朝刊以降使用 震災直後の火災で、多くの建物が焼失した神戸市長田区の鷹取地区でも、更地にプレハブの店舗や住宅が建ち始めた=9日、共同通信社ヘリから(カラーネガ)(阪神大震災)
商品コード: 1996011000059
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1996年01月10日焼け跡にプレハブ 復興に向けて被災地始動)、社会351S、14日付朝刊以降使用 震災直後の火災で、多くの建物が焼失した神戸市長田区の鷹取地区でも、更地にプレハブの店舗や住宅が建ち始めた=9日、共同通信社ヘリから(カラーネガ)(阪神大震災)
商品コード: 1996011000066
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1996年01月11日つめ跡残る現場ルポ 被災地に再生の息吹)、社会351S、17日付朝刊以降使用 町の再生に向け、仮設店舗が建ち並ぶ神戸市長田区の菅原地区=7日(カラーネガ)
商品コード: 1996011100064
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1996年01月11日つめ跡残る現場ルポ 被災地に再生の息吹)、社会351S、17日付朝刊以降使用 町の再生に向け、仮設店舗が建ち並ぶ神戸市長田区の菅原地区=7日(カラーネガ)
商品コード: 1996011100052
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1996年01月11日つめ跡残る現場ルポ 被災地に再生の息吹)、社会351S、17日付朝刊以降使用 新しい建物が建ち始め、徐々に明るさを取り戻し始めた神戸市の繁華街三宮=9日、共同通信社ヘリから
商品コード: 1996011100055
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1996年01月11日つめ跡残る現場ルポ 被災地に再生の息吹)、社会351S、17日付朝刊以降使用 新しい建物が建ち始め、徐々に明るさを取り戻し始めた神戸市の繁華街三宮=9日、共同通信社ヘリから
商品コード: 1996011100067
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1996年01月16日長田区の南駒栄公園 公園のバラックに118人仮設住宅(中央上)の周りにバラックが建ち並ぶ南駒栄公園=13日、神戸市長田区で共同通信社ヘリから(カラーネガ)(阪神大震災)
商品コード: 1996011600005
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1996年03月15日森南地区 難航するまち並みづくり)、社会351S、19日付朝刊用、解禁厳守 更地は目立つが、“見切り発車”の住宅などが建ち始めた森南地区=11日、神戸市東灘区で共同通信社ヘリから
商品コード: 1996031500087
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1996年03月15日森南地区 難航するまち並みづくり)、社会351S、19日付朝刊用、解禁厳守 更地は目立つが、“見切り発車”の住宅などが建ち始めた森南地区=11日、神戸市東灘区で共同通信社ヘリから
商品コード: 1996031500064
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1996年04月08日更地が目立つ森南地区 立ちはだかる大蔵、業界阪神大震災の被災地には新しい住宅が建ち始めたが、更地が目立つ神戸市東灘区の森南地区=3月11日、共同通信社ヘリから
商品コード: 1996040800047
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