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「弁才天」の写真・グラフィックス・映像

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    江ノ島弁才天

    撮影者未詳。‘ENOSHIMA.523'のタイトルがある。画面中央の祠(ほこら)は、「本宮岩屋」洞窟の中程にあった社殿か、あるいは最奥部の天女を祀った祠だろうか。明治31年(1898)刊『江島 鵠沼 逗子 金沢名所図会』に、この洞窟内に祠が2棟と手洗社が1棟あったと記されている。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐18‐0]

    商品コード: 2017081401519

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    浅草寺

    弁天池から五重塔と仁王門を望む。本写真はベアト(Felix Beato)撮影で、浅草寺の写真としては最古に属する。右下の弁才天を祀る弁天社は、写真2414及び4440よりも質素で向きも異なる。この方が古い。中央の大木は源頼朝が参詣のみぎり、挿した箸から育ったという伝説のある大銀杏だったが、昭和20年(1945)の大空襲で焼失。=撮影年月日不明、東京、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号62‐34‐0]

    商品コード: 2017082800545

  •  不忍池
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    不忍池

    上野公園不忍池を東方から撮影したものである。この池は、かつてこのあたりが東京湾の入江であった頃の名残である。右手は弁才天を祀る堂が建つ中島である。ハスの名所として、江戸・東京市民の遊覧地となって親しまれていた。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐7‐0]

    商品コード: 2017081400957

  •  江ノ島海岸
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    江ノ島海岸

    撮影者未詳。‘L25 ENOSHIMA'のタイトルがある。画面左は漁師小屋か。ところで江ノ島については、古くは『吾妻鏡』に、寿永元年(1182)4月5日、文覚(もんがく)が当地に「大弁才天」を勧請したと記される。また、江戸期には武家のほか庶民にも弁天信仰が広まり、多くの参詣者を集めたという。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐20‐0]

    商品コード: 2017081401350

  •  猪頭弁天
    1913年12月31日
    猪頭弁天

    写真裏面に「府下猪頭弁天大正二年秋九月之写」とある。江戸の水道の源である井の頭であろう。水源保護のため井の頭池の周囲には多くの樹木が植えられた。井之頭弁財天は井の頭池の西に浮かぶ小さな中之島にある。大正時代の絵葉書が手元にあるが、井之頭弁才天は立派な茅葺屋根で、池も写っている。本写真は池もなく家も質素で弁財天ではない。弁財天附近の茶店であろうか。=1913(大正2)年、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号72‐23‐0]

    商品コード: 2017082301199

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