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「戦災復興」の写真・映像

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  • 1946年01月22日
    堀井敬治氏

    戦災復興院住宅建設課長の堀井敬治氏=整理1946(昭和21)年1月22日(21年内地番号なし)

    商品コード: 2014090200386

  • 1946年02月19日

    皇M 086 ◎昭和天皇 裕仁 地方巡幸で神奈川県下の戦災復興状況を御視察 横浜市西区の稲荷台共同宿舎の住民の見送りに応える天皇陛下=1946(昭和21)年2月19日 (皇室2310)

    商品コード: 2010121700167

  • 1946年02月28日

    皇M 089 ◎昭和天皇 裕仁 都内巡幸で戦災復興状況をご視察 東京・小石川の窪町国民学校で学童に話しかける天皇陛下=1946(昭和21)年2月28日 (昭和天皇、裕仁(ひろひと)) 運用メモ参照

    商品コード: 2010121700171

  • 1946年03月01日

    皇M 090 ◎昭和天皇 裕仁 都内巡幸で都下の戦災復興をご視察、三多摩地区・日野町で供米状況を見る天皇陛下=1946(昭和21)年3月1日 (昭和天皇、裕仁(ひろひと)) 運用メモ参照

    商品コード: 2010121700172

  • 1946年03月09日
    阿部美樹志氏

    戦災復興院総裁の阿部美樹志氏=整理1946(昭和21)年3月9日(21年内地番号なし)

    商品コード: 2014122200734

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    1947年05月31日
    「博多どんたく」

    「博多どんたく」奈良屋校区復興祭で、福岡大空襲の焼け跡が残る市街に繰り出すどんたく隊。戦災復興の簡易住宅が立ち並ぶ=1947(昭和22)年5月、福岡市、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019121704198

  • 1949年08月30日
    鹿児島市

    郡元町戦災復興住宅街=整理1949(昭和24)年8月、鹿児島市(24年内地番号なし)

    商品コード: 2016091400824

  • 1949年10月09日
    神子元島灯台

    戦災復興工事の完成近い神子元島灯台(みこもとしまとうだい)。わが国で最初に建設された洋式灯台の内の1基=1949(昭和24)年10月9日、静岡県下田港沖の神子元島(24年内地6908)

    商品コード: 2013091100157

  • 1953年03月30日
    灰色から緑の街へ

    「灰色の平面的な街」といわれる岡山市を魅力ある緑の街にしようと、市内各所で大がかりな緑化計画が進められている。柳川―新西大寺町間の柳川線大通りでは、県戦災復興事務所により植樹が進められている。10メートル間隔に柳60本を植える計画。市も4月初めから、主要道や各種施設、事業所の周辺などに順次、カエデ、クスノキなど500本を植える予定。岡山商工会議所も植樹運動に着手。近く、市内の小、中、高校23校にポプラ、イチョウなど3500本を植える。=1953(昭和28)年3月30日、岡山市、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018061501328

  • 1953年07月24日
    工事が終わったら工事開始

    岡山市中心部の柳川筋。当時の県戦災復興工事事務所がこの年の4月から柳川筋の緑地帯工事にかかり、5月初旬に完成した。ところが岡山市水道局が柳川ロータリーから岡山郵便局までの柳川筋で、中央幹線の鉄管を埋める工事を始め、掘った土砂を出来上がったばかりの緑地帯に積み上げ、緑地帯の芝は枯死。事前に両者で工事について話し合っていたということだったが―。=1953(昭和28)年7月24日、岡山市、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018062700309

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    1955年07月15日
    街中を行く戦車

    自衛隊の「特車」と呼ばれた戦車部隊が爆音をたて、現在の岡山県庁付近を通過する。今はトレーラーなどによる輸送手段が発達し、戦車が一般道を走行することはあまりない。この時は、戦車5台が滋賀県から鉄道で岡山駅に運ばれ、約2400人が参加し、吉井川(備前市、瀬戸町、長船町)で行われた渡河演習に参加するため一般道を自走した。終戦から10年、戦災復興の進む岡山市内を走る戦車の姿に当時の人も目を丸くした。=1955(昭和30)年7月15日、岡山市内山下、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018100119853

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    1984年07月12日
    松山事件の斎藤さん、自由の身に

    報告集会会場に現れ、大勢の人々に祝福される斎藤幸夫さん=1984年7月11日、仙台市・戦災復興記念館

    商品コード: 2005120500149

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    1984年07月12日
    斎藤幸夫さん、自由の身に

    松山事件再審判決で無罪釈放となり感慨無量の斎藤幸夫さん=1984(昭和59)年7月11日、仙台市の戦災復興記念館

    商品コード: 1984071200014

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    1984年07月12日
    斎藤幸夫さん、自由の身に

    松山事件再審判決で無罪釈放後、母親のヒデさん(右端)や弁護団と共に記者会見する斎藤幸夫さん(左から3人目)=1984(昭和59)年7月11日、仙台市の戦災復興記念館

    商品コード: 1984071200011

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    1984年07月12日
    松山事件の斎藤さん、自由の身に

    母親ヒデさん(左)のあいさつに涙する斎藤幸夫さん=1984年7月11日、仙台市・戦災復興会館

    商品コード: 2005120500153

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    1984年07月12日
    斎藤幸夫さん、自由の身に

    松山事件再審判決で無罪釈放となり、花束を手に支援の人々にあいさつする斎藤幸夫さん(右)と母親のヒデさん=1984(昭和59)年7月11日、仙台市の戦災復興記念館

    商品コード: 1984071200015

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    1984年07月12日
    斎藤幸夫さん、自由の身に

    松山事件再審判決で斎藤幸夫さんが無罪釈放となり、大勢の人たちに祝福される母親ヒデさん(中央)=1984(昭和59)年7月11日、仙台市の戦災復興記念館

    商品コード: 1984071200012

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    1984年07月12日
    斎藤幸夫さん、自由の身に

    松山事件再審判決で無罪釈放となり、あいさつする斎藤幸夫さん=1984(昭和59)年7月11日、仙台市の戦災復興記念館

    商品コード: 1984071200013

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    1984年07月12日
    松山事件の斎藤さん、自由の身に

    自由の身となって一夜が明け、心からの笑顔を見せる斎藤幸夫さん=1984年7月11日、仙台市・戦災復興記念館

    商品コード: 2005120500148

  • 1996年05月30日
    川田悦子さんも参加 HIV訴訟支援者らが集会

    「東北HIV訴訟を支援する会」で講演する川田悦子さん=30日午後、仙台市青葉区の戦災復興記念館

    商品コード: 1996053000101

  • 1998年05月15日
    民話寄席 東北弁落語寄席が一周年

    東北弁落語の記念公演をする「今野家一門」のメンバー=15日、仙台市青葉区立町の仙台市戦災復興記念館

    商品コード: 1998051500149

  • 2005年12月09日
    景観を考える座談会 美しさ重視し社会資本整備

    景観美を重視した社会資本整備を話し合う「東北の景観を考える座談会」=9日午後、仙台市青葉区の戦災復興記念館

    商品コード: 2005120900127

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