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「救難」の写真・グラフィックス・映像

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  • 周辺情勢 英国に着いた避難の子供 スペイン内戦
    1937年05月23日
    周辺情勢 英国に着いた避難の子供 スペイン内戦

    スペイン北部ビルバオから救難船ハバナで英国南部サウサンプトンに着いた避難民の子供たち。医療検査を受けた後、郊外のキャンプ施設に収容され、内戦終結まで滞在することになっている=1937年5月(PLANET NEWS)

    商品コード: 2010091400117

  • 救難船に乗る負傷者 スペイン内戦
    1937年06月15日
    救難船に乗る負傷者 スペイン内戦

    反乱軍の砲撃を受けたスペイン・バスク地方の中心地ビルボアから救難船に乗せられる負傷した少女。ビルバオはフランコ反乱軍の攻撃で陥落した=1937年6月

    商品コード: 2010061500378

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    1938年01月24日
    日中戦争

    在留欧米人避難民を乗せ、漢口駅を香港に向けて出発する国際救難列車。計4便のそれぞれの屋根に米、英、フランス、ドイツの国旗が付けられ、欧米人計1200人を運んだ=1938年1月(ACME)

    商品コード: 2011022800438

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    1944年06月13日
    米救難艇が侵攻に活躍 欧州戦線

    英国からイギリス海峡を渡りフランス北西部ノルマンディー地方に上陸する連合国軍の侵攻作戦で救難艇として活躍する米沿岸警備隊の舟艇。迅速展開の役割はラジオ放送などで繰り返し伝えられている=1944年6月、米沿岸警備隊撮影

    商品コード: 2019081300307

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    1944年06月16日
    難を逃れた米沿岸警備隊巡視船 欧州戦線

    フランス沖の海域でドイツ軍機の爆撃から難を逃れた米沿岸警備隊の巡視船。後方右に爆撃による水柱が立ち上っている。手前の救難船は、沈没した上陸用舟艇の生存者の救出作業に当たっている=1944年6月、米沿岸警備隊撮影(ACME)

    商品コード: 2015010700621

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    1944年06月22日
    仏北部近海で救難任務 欧州戦線

    フランス北西部ノルマンディー地方の近海で救難任務に就く米沿岸警備艇の戦隊。ドイツ軍の砲撃にもひるまず荒波を航行する戦隊はフランス上陸作戦の際の重要局面で数百人に上る米兵の命を救った=1944年6月、米沿岸警備隊撮影

    商品コード: 2019081300304

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    1944年08月23日
    救難に大活躍の警備隊員 欧州戦線

    米沿岸警備隊の救難艇で配置に就くニューヨーク出身の隊員。乗務する救難艇は連合国軍のノルマンディー上陸作戦の際、ほかの僚艦とともに海に投げ出された900以上の兵員の命を救った=1944年8月、場所不明

    商品コード: 2019081300316

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    1945年01月22日
    太平洋戦争

    太平洋で撃墜され、救難標識の白い風船を掲げてゴムボートで漂流中、沿岸警備隊機にはっけんされた米陸軍航空隊爆撃機の乗員=1945年1月、米沿岸警備隊撮影(ACME)

    商品コード: 2012032300299

  •  空母「天城」
    1946年06月29日
    空母「天城」

    呉市三子島南岸に打ち上げられ、大きく傾斜した空母「天城」。この「天城」の救難作業は困難を極めた=1946(昭和21)年6月29日、広島県(21年内地番号なし)

    商品コード: 2016021700383

  •  空母「天城」
    1946年06月29日
    空母「天城」

    呉市三子島南岸に打ち上げられ、大きく傾斜した空母「天城」。この「天城」の救難作業は困難を極めた=1946(昭和21)年6月29日、広島県(21年内地番号なし)

    商品コード: 2016021700386

  •  空母「天城」
    1947年08月12日
    空母「天城」

    飛行甲板など上部構造を解体することにより、ようやく救難作業に成功し、呉港に曳航される空母「天城」=1947(昭和22)年8月12日、広島県(22年内地番号なし)

    商品コード: 2016021700380

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    1950年08月12日
    朝鮮戦争

    朝鮮某所で後方に向かう救難ヘリに運ばれる米軍負傷兵=1950年8月(ACME)

    商品コード: 2010122700573

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    1950年08月20日
    朝鮮戦争

    救難ヘリで移送される直前、死亡した米軍兵士の遺体の上にかがみこむ兵士たち=1950年8月(ACME)

    商品コード: 2011011100688

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    1950年09月26日
    朝鮮戦争

    ソウルの戦闘で負傷、輸血を受けながら救難ヘリに乗せられる米海兵隊員=1950年9月(ACME)

    商品コード: 2011020300197

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    1951年07月05日
    朝鮮戦争

    米空軍のSA16水陸両用飛行艇アルバトロスから負傷兵をH5救難ヘリに移す米軍兵士=1951年7月(米極東空軍提供)

    商品コード: 2011051000536

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    1951年07月05日
    朝鮮戦争

    韓国の空軍基地で、200キロ離れた島から韓国負傷兵を運んできた米航空救難中隊のSA16水陸両用飛行艇アルバトロス(左)。負傷兵を後方の病院に運ぶため離陸したH5ヘリ=1951年7月(米極東空軍提供)

    商品コード: 2011051000535

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    1951年09月12日
    朝鮮戦争

    地雷原で負傷した国連軍兵士を救出するため着陸する米軍の救難ヘリ=1951年9月、米陸軍撮影

    商品コード: 2011051900155

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    1951年09月12日
    朝鮮戦争

    米軍基地から負傷者救出のため離陸した米軍救難ヘリ=1951年9月、米陸軍撮影(ACME)

    商品コード: 2011051900154

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    1951年09月12日
    朝鮮戦争

    前線後方で、救急車から救難ヘリに移される米軍負傷兵=1951年9月、米陸軍撮影

    商品コード: 2010052100349

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    1951年11月30日
    朝鮮戦争

    初雪に覆われた朝鮮半島で、着陸装置にスキーを付けた米海兵隊の救難ヘリ=1951年11月、米海軍撮影(ACME)

    商品コード: 2011062100077

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    1952年08月21日
    朝鮮戦争

    救難ヘリから降ろされ、救護所に運ばれる米海兵隊員=1952年8月(UP)

    商品コード: 2011072200172

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    1952年08月24日
    朝鮮戦争

    救難ヘリを待つ間、負傷兵に輸血を続ける米軍衛生兵=1952年8月(UP)

    商品コード: 2011072200178

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    1952年10月30日
    朝鮮戦争

    中国人民義勇軍との激戦で負傷、担架に乗せられた米海兵隊員に駆け寄る救難ヘリ乗員=1952年10月(UP)

    商品コード: 2011092800260

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    1953年02月12日
    朝鮮戦争

    高地の戦闘で負傷、輸血を受けながら救難ヘリに運び込まれる米軍兵士=1953年2月(UP)

    商品コード: 2011100500320

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    1953年03月30日
    朝鮮戦争

    韓国の中西部戦線のベガス高地で、タコツボを掘る米海兵隊員。右の土のうは救難ヘリの着陸地点標識=1953年3月

    商品コード: 2011100500358

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    1953年04月01日
    朝鮮戦争

    中部戦線の高地近くで、国連軍負傷兵を担架で救難ヘリまで運ぶ米軍衛生兵=1953年4月(UP)

    商品コード: 2011101300413

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    1953年04月06日
    朝鮮戦争

    西部戦線の「ベガス・ヒル」で、負傷兵を担架に乗せ、救難ヘリに急ぐ米海兵隊員=1953年4月6日撮影(UP)

    商品コード: 2010052100385

  • 救難用としても便利 水に浮く繊維
    1953年05月28日
    救難用としても便利 水に浮く繊維

    カポック繊維を合成樹脂加工して作られたオーバーは救難用としても便利で水にも浮く=1953(昭和28)年5月28日

    商品コード: 1953052850001

  •  空自が遭難機の救難訓練
    1961年08月16日
    空自が遭難機の救難訓練

    宮崎県の日向灘で救助訓練をする航空自衛隊西部航空方面隊のヘリコプター=1961(昭和36)年8月16日

    商品コード: 2011112800085

  •  三河島事故
    1962年05月04日
    三河島事故

    救難対策本部で心配そうに名簿を調べる人たち=1962(昭和37)年5月4日、場所不明

    商品コード: 2011122000286

  •  Soviet soldiers conduct rescue operation for English ship Stancrown
    1964年01月01日
    Soviet soldiers conduct rescue operation for English ship Stancrown

    01.01.1964 Soviet soldiers conduct a rescue operation for stranded English ship Stancrown. V.Faktorovich, head of the rescue operation, deputy head of the Baltic Maritime Navigation, and Stancrown captain Jonsent, left, discuss the operation. Dmitriy Kozlov、クレジット:Sputnik/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019051601641

  •  「インタナシヨナル映画」救命ボート
    01:29.95
    1965年04月30日
    「インタナシヨナル映画」救命ボート

    キーワード:救命ボート投下、救難訓練、船=製作年:1965(昭和40)年4月、場所不明、クレジット:インタナシヨナル映画/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020020703361

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    1967年08月29日
    山形県下の豪雨

    孤立した難民を救難ボートで救出する自衛隊員=1967(昭和42)年8月29日、山形県東村山郡中山町長崎

    商品コード: 2011051000156

  •  航空機救難訓練
    1968年07月02日
    航空機救難訓練

    羽田空港で行われた救助シュートを使用しての機体からの救出作業=1968(昭和43)年7月2日

    商品コード: 2023121205794

  • プランジャー 米原潜が佐世保入港
    1969年01月30日
    プランジャー 米原潜が佐世保入港

    佐世保港に入り、潜水艦救難艦「フロリカン」に接舷する米原潜「プランジャー」=1969(昭和44)年1月30日

    商品コード: 2010120900226

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    1969年12月11日
    企画「防衛産業」「潜水艦」

    潜水艦乗員救難特務艦“ふしみ”の潜水病患者治療再圧タンク=1969(昭和44)年11月18日、住友重工・浦賀造船所(44年内地 6413)

    商品コード: 2011053000232

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    1970年09月15日
    魚釣島の台湾国府旗を撤去

    尖閣列島・魚釣島の台湾国府旗を撤去 琉球警察本部救難艇が出動=1970(昭和45)年9月15日、クレジット:沖縄タイムス/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017050900542

  •  新潟港沖でタンカー真っ二つ、大量原油流出
    1971年12月01日
    新潟港沖でタンカー真っ二つ、大量原油流出

    11月30日に座礁し、真っ二つになったリベリアの原油タンカー「ジュリアナ号」(中央)=1971(昭和46)年12月1日、新潟市日和山海岸沖(航空自衛隊新潟救難隊提供)

    商品コード: 2011022200292

  •  新潟港沖でタンカー真っ二つ、大量原油流出
    1971年12月02日
    新潟港沖でタンカー真っ二つ、大量原油流出

    11月30日に座礁し、真っ二つになったリベリアの原油タンカー「ジュリアナ号」の周りに中和剤を散布する航空自衛隊新潟救難隊のヘリコプター=1971(昭和46)年12月2日、新潟市日和山海岸(46年内地7178)

    商品コード: 2011022200295

  •  東京・晴海で消防出初め式
    1976年01月06日
    東京・晴海で消防出初め式

    新春恒例の消防出初め式の救助演習で、車体に水をかけながら火の中を突破する耐熱救難車。1659(万治2)年以来の歴史を持つという出初め式のことしのテーマは「災害に強い社会を目指して」=1976(昭和51)年1月6日、東京都中央区の晴海大通り

    商品コード: 2013060500095

  •  東京・晴海で消防出初め式
    1976年01月06日
    東京・晴海で消防出初め式

    新春恒例の消防出初め式の救助演習で、車体に水をかけながら火の中を突破する耐熱救難車=1976(昭和51)年1月6日、東京都中央区の晴海大通り

    商品コード: 2024121105713

  •  東京湾で特殊救難隊が訓練
    1976年03月23日
    東京湾で特殊救難隊が訓練

    ヘリコプターから荒れる海へ飛び降りる第3管区海上保安本部の特殊救難隊員。転覆した船の中に生存者を発見-潜水具を身につけた隊員が、20メートル上空のヘリからロープで降下、海面上3メートルの低空飛行から直接飛び込みなどレンジャー部隊が訓練を披露=1976(昭和51)年3月23日、東京湾富津岬沖

    商品コード: 2013080600408

  • PS-1 対潜行動の“主役”たち
    1976年03月26日
    PS-1 対潜行動の“主役”たち

    揺れるPXL選定のかげで [PS-1] 日本で開発された対潜哨戒飛行艇。荒波の中を自由に発着出来るため、救難用としても諸外国の注目を集めている。陸上発着出来るよう改造されたのがUS-1で、50年暮れの国会で武器禁輸規定に触れるかどうかの議論を呼んだ=1976(昭和51)年3月、山口県・岩国基地(写真特集「対潜行動の“主役”たち 揺れるPXL選定のかげで」6枚組の1)(51年内地 2236)

    商品コード: 2013080600422

  •  東京湾で航空機救難訓練
    1976年07月28日
    東京湾で航空機救難訓練

    航空機救難訓練で遭難者の救助のためヘリから海上に降下する特殊救難隊員。手前は“漂流ボート”=1976(昭和51)年7月28日、東京湾富津沖

    商品コード: 2014010800103

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    1977年05月03日
    特務艇「ゆうちどり」 近く姿を消す“帝国海軍”

    近く引退する海軍特務艇「ゆうちどり」。海上自衛隊が帝国海軍から受け継いだ最後の一隻。産声を上げたのは太平洋戦争たけなわの1943(昭和18)年3月。船尾に5トンクレーンを持った海軍航空隊の飛行機救難船。終戦で連合軍に接収され、遊覧船「マーサ」に変身。1949(昭和24)年8月、海上保安庁に引き渡され掃海船「ゆうちどり」に=1977(昭和52)年4月27日、神奈川県横須賀港

    商品コード: 2014081800164

  •  鳴門海峡で救難訓練
    1977年11月15日
    鳴門海峡で救難訓練

    「工事作業船と貨物船が衝突」を想定、ヘリも出動して行われた救難訓練=1977(昭和52)年11月15日、鳴門海峡裸島付近で共同通信社ヘリから

    商品コード: 2015013000123

  •  ソ連偵察機、佐渡沖で墜落
    1980年06月27日
    ソ連偵察機、佐渡沖で墜落

    ソ連機「TU16・バジャー」(爆撃機を偵察機型に改造)が墜落した現場付近を捜索する自衛隊の救難ヘリと救命艇(下)=1980(昭和55)年6月27日午後4時30分ごろ、佐渡弾崎沖約110キロで航空自衛隊大型救難機V107バートルから撮影(55年内地5775)

    商品コード: 2018080200674

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    1980年08月25日
    曳航されるソ連原潜 ソ連原潜で火災発生

    8月21日、沖縄東方沖を航行中のソ連の原子力潜水艦内で火災が発生、乗組員9人が死亡し、3人が負傷した。海上保安本部が巡視船などを出動させたが、ソ連側は救難作業を拒否。その後の25日、長崎県五島列島・大瀬崎沖を曳航される「エコー1」級原潜=1980(昭和55)年8月25日、共同通信社ヘリから 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第8巻使用画像(P55)

    商品コード: 2015041400478

  •  米原潜衝突事故
    1981年05月07日
    米原潜衝突事故

    衆院内閣委員会で米原潜・日昇丸衝突事故の米中間報告について、「多くの疑問を抱いている」と明らかにした海上保安庁の野呂警備救難監=1981(昭和56)年5月7日

    商品コード: 2022102810631

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    1981年10月14日
    田尻宗昭

    田尻宗昭、学者・研究者、たじり・むねあき、死去・1990年7月4日、四日市海上保安部警備救難課長、東京都公害研究所次長、東京都職員研修所教授、神奈川労災職業病センター所長、神奈川大特任教授、「海の公害Gメン」として有名=1981(昭和56)年10月14日

    商品コード: 1981112000028

  •  大韓航空機撃墜事件
    1983年09月27日
    大韓航空機撃墜事件

    記者会見で大韓航空機の遺品の引き渡しの様子を説明する外務省の丹波実ソ連課長(右)と結束・一管本部救難部長=1983(昭和58)年9月27日午前7時15分、北海道小樽市の第一管区海上保安本部

    商品コード: 2021062806790

  • 現場 日航ジャンボ機墜落事故
    1985年08月12日
    現場 日航ジャンボ機墜落事故

    自衛隊百里基地の救難機が撮影した、墜落し炎上する日航ジャンボ機。左の炎が機首と見られる=1985(昭和60)年8月12日午後8時45分撮影(入間発(1985年国内十大ニュース1)

    商品コード: 2007062600071

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    1985年08月12日
    日航ジャンボ機墜落事故

    航空自衛隊百里基地の救難機が撮影した、墜落し炎上する日航ジャンボ機=1985(昭和60)年8月12日午後8時45分(1985年国内十大ニュース1)

    商品コード: 2009100700086

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    1985年08月15日
    自衛隊の救難ヘリコプター 日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故

    墜落現場で救出作業を続ける自衛隊の救難ヘリコプターと救急隊員=1985(昭和60)年8月13日、群馬県・御巣鷹山

    商品コード: 1985081550002

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    1988年07月25日
    現場に到着した救難母艦 潜水艦釣り船衝突事故

    現場海域に到着した潜水艦救難母艦「ちよだ」に搭載のPTC(深海潜水装置)=1988(昭和63)年7月25日、東京湾・横須賀港沖(第1富士丸、なだしお)

    商品コード: 2007010500169

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    1988年07月25日
    潜水艦救難母艦「ちよだ」 潜水艦釣り船衝突事故

    現場海域に着いた潜水艦救難母艦「ちよだ」(手前)。後方は深田サルベージの大型クレーン船=1988(昭和63)年7月25日、東京湾・横須賀港沖(第1富士丸、なだしお)(1988年国内十大ニュース4)

    商品コード: 2007010500168

  •  ワイヤ下ろし引き揚げ開始
    1988年07月26日
    ワイヤ下ろし引き揚げ開始

    沈没した釣り船「第1富士丸」をつり上げるワイヤを海中に下ろす作業を始めた大型クレーン船。手前は深海潜水装置で捜索を続ける海上自衛隊の潜水艦救難母艦「ちよだ」=1988(昭和63)年7月26日午前7時45分、横須賀港沖(共同通信社ヘリから)

    商品コード: 2020082600280

  •  ワイヤ下ろし引き揚げ開始
    1988年07月26日
    ワイヤ下ろし引き揚げ開始

    深海潜水装置でダイバーを下ろし、捜索活動をする海上自衛隊の潜水艦救難母艦「ちよだ」=1988(昭和63)年7月26日午前7時45分、横須賀港沖(共同通信社ヘリから)

    商品コード: 2020082600283

  •  きょうも潜水捜索続く
    1988年07月26日
    きょうも潜水捜索続く

    海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船「第1富士丸」の衝突事故から4日目、早朝から引き揚げ作業、潜水捜索が始まった遭難現場海域。右は沈没した第1富士丸をつり上げるワイヤを下ろす大型クレーン船、左の大型船は潜水艦救難母艦「ちよだ」=1988(昭和63)年7月26日午前7時40分、横須賀港沖(共同通信社ヘリから)

    商品コード: 2020082600290

  •  船内から20遺体発見
    1988年07月27日
    船内から20遺体発見

    釣り船「第1富士丸」の船内から発見した遺体を海上保安庁の巡視艇に移す特殊救難隊員=1988(昭和63)年7月27日午前5時30分すぎ、横須賀・長浦港沖(共同通信社ヘリから)

    商品コード: 2020082600373

  •  室戸沖で9人不明、絶望か
    1989年10月31日
    室戸沖で9人不明、絶望か

    転覆した韓国の小型タンカー、インチョン・パイオニア号の救難ゴムボートを収容する巡視船の保安官=1989(平成元)年10月31日午前9時13分、高知県室戸沖(共同通信社ヘリから)

    商品コード: 2020051402101

  •  速くて長い足が自慢
    1990年01月20日
    速くて長い足が自慢

    (1)「コックピット」 コンピューター制御のコックピットは、飛行機の姿勢や位置情報をCRT(ブラウン管)にカラー表示するEFIS(電子飛行計器システム)。飛行条件に応じて燃料効率を計算し、最適な飛行をコントロールする=ファルコン900内

    商品コード: 2020080707030

  •  速くて長い足が自慢
    1990年01月20日
    速くて長い足が自慢

    (2)「検討」 居住性満点のキャビンで海図を広げ捜索海域を検討する海上保安庁の係官=ファルコン900内

    商品コード: 2020080707031

  •  速くて長い足が自慢
    1990年01月20日
    速くて長い足が自慢

    (3)「見張り窓」 少し機体を傾ければ真下まで捜索できるよう特別注文で作らせた窓。遭難海域に近づくと、対象物がはっきり見える特殊双眼鏡で船の様子、生存者の有無などを調べる=ファルコン900内

    商品コード: 2020080707032

  •  白州灯台
    1990年11月14日
    白州灯台

    岩松助左衛門は小倉藩から海上救難の役目を負っていた。海の難所に白州灯台の設置を提言した。原形復旧のための補修が決まる=1990(平成2)年11月14日、福岡県北九州市小倉北区の沖合い、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019070102088

  • (あかざわ・ひさお) 赤沢寿男
    1991年02月28日
    (あかざわ・ひさお) 赤沢寿男

    海上保安庁警備救難監、1990(平成2)年10月8日撮影

    商品コード: 1999081200072

  •  MU2救難捜索機
    1993年05月29日
    MU2救難捜索機

    93航空ショー、茨城・百里基地、1993年5月29日撮影(MU―2)

    商品コード: 2005041400120

  •  MU2救難捜索機
    1993年05月29日
    MU2救難捜索機

    93航空ショー、茨城、百里基地、1993(平成5)年5月29日撮影(MU―2)

    商品コード: 2005041400129

  •  ジャンボ機で救難訓練
    1993年10月28日
    ジャンボ機で救難訓練

    ジャンボ機の消火救難訓練で””けが人”を運ぶ救助員=28日午後、成田空港(交通、航空)

    商品コード: 1993102800038

  • 羽田RCCに新システム 捜索区域図を瞬時に作製
    1993年12月02日
    羽田RCCに新システム 捜索区域図を瞬時に作製

    行方不明機の捜索区域図を瞬時に作製するコンピューターシステム(羽田RCC(救難調整本部)=航空機が行方不明になった際捜索や生存者の救助に当たる警察庁、海上保安庁など関係機関相互の情報交換、捜索の調整する。羽田空港)

    商品コード: 1993120200028

  • 東京救難調整本部 新システムで初訓練
    1993年12月15日
    東京救難調整本部 新システムで初訓練

    大型スクリーンとコンピューターを使って行われた捜索救難情報伝達訓練=15日、羽田空港(羽田RCC(救難調整本部)=航空機が行方不明になった際捜索や生存者の救助に当たる警察庁、海上保安庁など関係機関相互の情報交換、捜索の調整する。羽田空港)

    商品コード: 1993121500045

  • 検索する救難艇と潜水士 空港周辺海域を大規模検索
    1994年08月04日
    検索する救難艇と潜水士 空港周辺海域を大規模検索

    関西国際空港周辺の海域を検索する第五管区海上保安本部の救難艇と潜水士=4日午後2時20分「関西新空港」

    商品コード: 1994080400064

  •  御前崎沖でタンカー火災
    1994年08月17日
    御前崎沖でタンカー火災

    火災を起こしたタンカー「STOLT・SAKRA」に調査に向かう警備救難艇(中央)=17日午前、静岡県御前崎沖40キロ(第三管区海上保安本部提供)

    商品コード: 1994081700067

  •  なお781人が不明
    1994年09月29日
    なお781人が不明

    28日、フェリー沈没事故で、スウェーデンの救難ヘリコプターで助け出されたオランダ人男性(ロイター=共同)

    商品コード: 1994092900009

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    1994年10月01日
    海底の船体の像を公表

    1日、海洋調査船のソナーに写った大型フェリー「エストニア」の像を示し、沈没の状況を説明するフィンランド救難当局者(ロイター=共同)

    商品コード: 1994100100160

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    1994年10月19日
    乗員4人、浜松沖で 空自の救難機が行方不明

    消息を絶った救難捜索機に乗っていた関根智久一尉、浦野伸之二尉

    商品コード: 1994101900104

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    1994年10月19日
    行方不明の乗員 空自の救難機が墜落

    行方不明の芦田忠春一曹、廻立敬人三曹

    商品コード: 1994101900107

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    1994年10月19日
    空自救難機が消息絶つ

    MU2救難捜索機の同型機(資料A24748)(駐機)(MU―2)

    商品コード: 1994101900056

  • 救出される乗客 新千歳空港で消火救難訓練
    1994年10月19日
    救出される乗客 新千歳空港で消火救難訓練

    飛行機の消火救難訓練で、機内から救出され担架に乗せられる乗客=19日午後、新千歳空港(カラーネガ)

    商品コード: 1994101900034

  • ジャンボ機を使用 成田空港で消火救難訓練
    1994年10月20日
    ジャンボ機を使用 成田空港で消火救難訓練

    ジャンボ機を使った訓練で「重傷者」を担架に乗せる救急隊員=20日午後、成田空港(カラーネガ)

    商品コード: 1994102000051

  • ジャンボ機を使用 成田空港で消火救難訓練
    1994年10月20日
    ジャンボ機を使用 成田空港で消火救難訓練

    ジャンボ機を使った訓練で「重傷者」を担架に乗せる救急隊員=20日午後、成田空港(カラーネガ)

    商品コード: 1994102000055

  • 羽田空港 「旅客機炎上」で救難訓練
    1994年10月27日
    羽田空港 「旅客機炎上」で救難訓練

    ボーイング767を使って行われた消火救難訓練=27日午後、羽田空港(カラーネガ)

    商品コード: 1994102700046

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    1994年12月03日
    燃料補給中の救難捜索機 手掛かりつかめず捜索中断

    不明ヘリ捜索のため燃料補給する航空自衛隊の救難捜索機=北海道・千歳基地

    商品コード: 1994120300072

  • 帰国に笑顔 活動、存在に高い点数
    1994年12月25日
    帰国に笑顔 活動、存在に高い点数

    ルワンダ難民救援活動を終え帰国、出迎えの家族と再会し、笑顔を見せる自衛隊員=18日夕、成田空港(PKO)

    商品コード: 1994122500033

  • 幹部とあいさつ 活動、存在に高い点数
    1994年12月25日
    幹部とあいさつ 活動、存在に高い点数

    ルワンダ難民救援活動を終え帰国、出迎えの幹部とあいさつを交わす自衛隊員ら=18日夜、新千歳空港(PKO)

    商品コード: 1994122500031

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    1995年02月21日
    掃海艇と事故機 救難飛行艇が着水失敗

    着水に失敗し大破した海上自衛隊の救難飛行艇を引っ張る掃海艇=21日午後4時25分、高知県・沖ノ島の沖で共同通信社ヘリから(カラーネガ)

    商品コード: 1995022100074

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    1995年02月21日
    US1の同型機 海自の飛行艇が着水に失敗

    着水に失敗した海上自衛隊の救難飛行艇US1の同型機(資料A21293)

    商品コード: 1995022100031

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    1995年02月21日
    掃海艇と事故機 救難飛行艇が着水失敗

    着水に失敗し大破した海上自衛隊の救難飛行艇を引っ張る掃海艇=21日午後4時25分、高知県・沖ノ島の沖で共同通信社ヘリから(カラーネガ)

    商品コード: 1995022100076

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    1995年02月21日
    行方不明者の捜索 救難飛行艇が着水失敗

    救難飛行艇が着水に失敗した現場海域で行方不明者の捜索をする海上自衛隊の掃海艇と巡視艇=21日午後4時10分、高知県・沖ノ島の沖で共同通信社ヘリから(カラーネガ)

    商品コード: 1995022100085

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    1995年02月21日
    大破した救難飛行艇 救難飛行艇が着水失敗

    訓練中に着水に失敗し大破した海上自衛隊の救難飛行艇=21日午後4時15分、高知県・沖ノ島の沖で共同通信社ヘリから(カラーネガ)

    商品コード: 1995022100078

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    1995年02月21日
    大破した救難飛行艇 救難飛行艇が着水失敗

    訓練中に着水に失敗し大破した海上自衛隊の救難飛行艇=21日午後4時15分、高知県・沖ノ島の沖で共同通信社ヘリから(カラーネガ)

    商品コード: 1995022100099

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    1995年02月21日
    行方不明者の捜索 救難飛行艇が着水失敗

    救難飛行艇が着水に失敗した現場海域で行方不明者の捜索をする海上自衛隊の掃海艇と巡視艇=21日午後4時10分、高知県・沖ノ島の沖で共同通信社ヘリから(カラーネガ)

    商品コード: 1995022100086

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    1995年02月22日
    海上に浮く事故機 海自の救難飛行艇事故

    事故から一夜明け、海上に機体の一部を見せる海上自衛隊の救難飛行艇=22日午前9時50分、高知県宿毛市沖で共同通信社ヘリから(カラーネガ)

    商品コード: 1995022200025

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    1995年02月22日
    海上に浮く事故機 海自の救難飛行艇事故

    事故から一夜明け、海上に機体の一部を見せる海上自衛隊の救難飛行艇=22日午前9時50分、高知県宿毛市沖で共同通信社ヘリから(カラーネガ)

    商品コード: 1995022200022

  • U125A機 小牧基地に最新救難機
    1995年02月28日
    U125A機 小牧基地に最新救難機

    航空自衛隊小牧基地に配備された最新鋭の捜索救難機U125A=2月28日午後、愛知県小牧市(カラーネガ)

    商品コード: 1995022800058

  • U125A機 小牧基地に最新救難機
    1995年02月28日
    U125A機 小牧基地に最新救難機

    航空自衛隊小牧基地に配備された最新鋭の捜索救難機U125A=2月28日午後、愛知県小牧市(カラーネガ)

    商品コード: 1995022800057

  • 成田空港に新型車両導入 事故の救助に動く司令塔
    1995年05月08日
    成田空港に新型車両導入 事故の救助に動く司令塔

    事故時に備え、成田空港に配備された現場指揮車両(カラーネガ)(事故の際、現場近くで消火救難活動を行う消防、警察、医師会、空港当局、航空会社らの関係者が集まって十四人まで会議ができる。高さ六メートルまで伸びるテレビカメラで現場の状況を把握して、備え付けの電話やファクシミリ、無線で消防署や医療機関に連絡し、適切な消火、救援活動の指示が出せる)

    商品コード: 1995050800007

  • 担架で「けが人」を運ぶ 成田で初の夜間救難訓練
    1995年05月11日
    担架で「けが人」を運ぶ 成田で初の夜間救難訓練

    初の夜間訓練で「けが人」を運び出す救助員ら=11日午後8時10分、成田空港(カラーネガ)

    商品コード: 1995051100111

  • 救難飛行艇US1 パワー増強、素早く現場へ
    1995年07月18日
    救難飛行艇US1 パワー増強、素早く現場へ

    海上自衛隊の救難飛行艇US1

    商品コード: 1995071800003

  • 羽田空港で800人参加 旅客機炎上想定し訓練
    1995年10月12日
    羽田空港で800人参加 旅客機炎上想定し訓練

    大型旅客機の火災を想定し、発煙筒をたいて行われた消火救難訓練=12日午後、羽田空港(カラーネガ)

    商品コード: 1995101200065

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