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  • 02:37.36
    2021年03月20日
    「新華社」三星堆遺跡で新たに六つの祭祀坑発見黄金仮面など500点以上出土

    中国国家文物局は20日、四川省成都市で、長江上流域文明の中心とされる同省広漢市の三星堆(さんせいたい)遺跡で重要な発見があったと発表した。3千年余り前に四川省一帯で栄えた古蜀国の祭祀坑6基が新たに見つかり、黄金仮面、青銅の人物像や酒器、玉製礼器、絹、象牙などの遺物500点以上が出土した。同遺跡は成都平原の北部に位置する。分布面積は約12平方キロメートルで、中心区域の三星堆古城の面積は約3・6平方キロメートル。中国西南地区で最も規模が大きく、最も長く栄え、最も豊かな文化を持つ古城であり、古国であり、古蜀文明の遺跡とされる。同遺跡が初めて発見されたのは1920年代。1986年に見つかった1号祭祀坑と2号祭祀坑からは、黄金の杖や黄金仮面、縦目仮面(たてめかめん)、大立人像、神樹、象牙など貴重な遺物1720点が出土した。中国文明の多様性と革新性、創造性を示す遺物であり、青銅文明史の中で独特の地位を占めている。同遺跡発掘の総責任者を務める四川省文物考古研究院の唐飛(とう・ひ)院長は、新たに見つかった祭祀坑が1号、2号祭祀坑の隣にあり、新旧の祭祀坑で一つの祭祀坑エリアが構成されていると説明。専門家らは、三星堆の祭祀エリアが古蜀王国で天地や祖先を祭り、国の安泰と民の安寧を祈る場所だったとの見方を示している。祭祀坑の平面プランはいずれも長方形だが、大きさは3・5平方メートルから19平方メートルと差異が見られた。同祭祀エリアには他にも重要な祭祀遺構があると考えられている。3~6号祭祀坑は器物層まで発掘されており、7、8号祭祀坑では坑内の盛土の発掘が進んでいる。これまでに黄金仮面の一部や鳥の形をした金の装飾品、銅製頭像、金箔、青銅製の仮面や神樹、象牙彫刻の一部、象牙、玉琮、玉石器など重要な文化財500点余りが出土している。複合領域の調査では象牙の微細彫刻、絹や織物の残留物、炭化したイネや竹、広葉樹の種など各種遺物も見つかった。今回の発掘と保護・研究作業では、科学技術の手段を駆使して、複合領域にまたがる開かれた考古学活動の新モデルを構築した。(記者/楊華、童芳、尹恒)=配信日:2021(令和3)年3月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 00:53.29
    2021年03月09日
    「新華社」安福県で前漢高位者の墓を発見江西省

    中国江西省安福県でこのほど、前漢時代の高位者の墓が見つかり、土器や陶器、漆器、金銀銅器、ガラス器などが出土した。専門家は被葬者の身分について、列侯(漢代の爵位の一つで諸侯王に次ぐ)クラスで、前漢の安平侯と関わりがあると推測する。墓は同県北西部の起鳳山にある。2019年8月に道路の建設工事中に発見され、同10月に江西省文物考古研究院の発掘チームが緊急発掘調査を開始した。墓の構造は「甲」字型の竪穴土坑木棺墓で、封土と墓道、墓坑、棺室からなる。出土した漆器片からは精密な技巧と精美な文様が見てとれ、形状の分かるものでは耳杯や漆盤などがあった。一部の器物では銘文も確認できた。専門家は、同墓が前漢高位者墓の葬送習俗や構造・配置を研究する上での尺度になると指摘。前漢の安成侯と安平侯の管轄地域を探る重要な手がかりにもなると述べた。(記者/劉彬) =配信日: 2021(令和3)年3月9日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 00:58.50
    2021年02月16日
    「新華社」遵義市で発見の大型墓群、元・明期のものと確認貴州省

    中国貴州省遵義市新蒲新区蝦子鎮で2020年7月に発見された大型墓群は、半年以上の発掘研究の結果、大半が元・明時代のものと確認された。考古スタッフは22基の墓を発掘し、それぞれM1~M22と命名。21基は石室墓、1基は竪穴土坑墓だった。石室墓はさらに竪穴石室墓と横穴石室墓、改葬墓の3種類に分類された。石室墓は、不規則な石板と大量の石灰を組み合わせて築かれ、墓門もなく形状が石棺墓に似ているものが一部で見られたほか、多くの石板を積み上げた比較的複雑な構造を持ち、藻井(そうせい、装飾天井)などの特殊構造を持つものもあった。墓室は長い年月を経ているため損傷が激しく、一部の墓室からのみ人骨と数点の遺物が出土した。うちM1号墓の墓室は同墓異穴式の夫妻双室合葬墓で、体系的な構造を持ち、墓門や棺床、排水溝、壁龕(へきがん)、藻井などが設けられていた。石壁には、花弁文と纏枝文(てんしもん、唐草文)が上下互い違いに施されていた。墓室の状況から被葬者は当時の富裕層か貴族で、高い身分の人物であったと推察されるが、墓室は二つとも盗掘によりひどく損傷しており、人骨もなく出土品も棺釘2本だけだったことから、身元を特定することはできなかった。貴州省文物考古研究所の考古スタッフ、李奎(り・けい)氏によると、22基の墓のうち藻井を持つのはM1、M6、M9号墓だという。M1号墓の形状は、藻井や案など貴州省北部の宋代墓の特徴の一部を備えているが、宋代墓に比べて簡略化されており、また明代の墓ほど単純化されていないため、両者の過渡期に当たる元代か元末明初のものと推測される。M9号墓は比較的簡略に造られ、藻井構造のみが残されている。M6号墓は藻井のある墓とない墓を含み、藻井のない墓は藻井を持つ墓よりも後に築かれた過渡期の墓に属する。これらの変遷状況から、M9とM6号墓の年代は明代初期と推測される。藻井を持つ3基以外は、6枚の石板からなる単純な石室墓で、墓室の数は単室、双室、三室、五室があり、大きさは大小さまざまで、形状も多様だが、年代はいずれも明代に属するという。(記者/劉智強) =配信日: 2021(令和3)年2月16日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 01:03.48
    2021年01月17日
    「新華社」浙江省で上山文化の考古学成果展1万年の稲作の歴史を実証

    中国浙江省博物館の孤山館区精品館で15日、同省で発見された新石器時代文化「上山文化」に関する考古学成果展が開かれた。浙江省文物考古研究所と浙江省博物館、浦江県人民政府、上山文化遺跡連盟が浙江省文物局の指導の下で主催し、上山文化の最新の考古学的成果を2カ月間展示する。同省浦江県にある上山遺跡は2000年に発見され、2005年に上山文化と名付けられた。中国の長江下流と南東部沿海地区で年代の最も古い新石器文化で、その歴史は約1万年前にさかのぼる。浙江省文物考古研究所などの機関はこれまで、省内の銭塘江流域と霊江流域で上山文化に属する遺跡19カ所を発見した。これらの遺跡は、中国さらには東アジア地域で最も規模が大きく、最も分布が集中した初期新石器時代遺跡群を形成している。会場では、大口盆や双耳罐(そうじかん)、土器杯、土器碗、石磨盤、石磨棒など上山文化で1万年前に稲作が行われていたことを示す遺物を見ることができる。中でも「万年米」は1万年前のコメで、上山遺跡から出土した。上山文化の考古学上の最大の貢献は、稲作の起源が中国にあることを実証した点にある。同展では、上山遺跡の他にも義烏市の橋頭遺跡や仙居県の下湯遺跡から出土した器物も展示している。うち橋頭遺跡から出土した彩色土器は9千年の歴史がある。上山文化の稲作と彩色土器については、著名考古学者の厳文明(げん・ぶんめい)北京大学教授もかつて、共に「世界初」の名にふさわしいと評している。(記者/馮源) =配信日: 2021(令和3)年1月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 00:52.01
    2021年01月15日
    「新華社」長江流域最大の商代銅鋳造遺構を発見湖北省武漢市

    中国の湖北省文物考古研究所はこのほど、同省武漢市黄陂区の魯台山郭元咀遺跡で商(殷)代の大規模な銅器鋳造施設の遺構を発見したと明らかにした。遺構からは熔解器具や原料、燃料など銅の精錬・鋳造に関する遺物が大量に出土した。専門家は、長江流域で最も規模が大きく、保存状態も良い商代の青銅器鋳造遺跡であり、手工業生産の一連の流れが比較的整った「銅器鋳造工房」だと評価した。遺跡は同研究所が2019年3月から2020年12月にかけ、北京大学考古文博学院と共同で発掘調査を実施。銅鋳造施設のために築かれた人工基礎の上で、銅鋳造に関わる各種遺構を発見した。人工基礎は灄水(長江の支流)の東岸沿いに平行に築かれており、南辺の長さは29・4メートル、東辺は40・8メートル。面積は約1100平方メートルで、独立した工房エリアを構成していた。同研究所の副研究員で、同遺跡発掘プロジェクトの責任者を務める胡剛(こ・ごう)氏によると、遺構ではこれまでに炉台15基、るつぼ壁の残骸80点余り、土製鋳型120点余り、石製、銅製の工具類105点が出土。2つの境界溝と複数の大型灰坑の中からは大量の日用土器や印文硬質土器、炭化した植物種子、木炭、小動物の骨が見つかった。浮選法で選別した種子の放射性炭素年代測定値を年輪年代法で補正した数値は紀元前1401年~同1226年だった。同研究所の方勤(ほう・きん)所長は、出土した土製鋳型片から推測した器物の口径が25センチだったことから、同遺構では大型器物も鋳造されていたと指摘。銅くずの分析では銅と錫の合金(青銅)を精錬していたことも分かっており、遺構が少なくとも粗銅と合金の精錬、鋳型による鋳造を行う高い技術と生産能力を持っていたと説明した。方氏はまた、遺跡の位置づけについて「湖北省ではここ数年で最も重要な商代の考古学発見の一つといえる。紀元前1226年前後の商王朝による長江流域の統治と支配の実像を再現しており、殷墟文化第一期前後の青銅器鋳造活動の組織形態や原料の輸送ルートなど、青銅器時代の重要な学術的問題にとって大きな価値がある」と述べた。(記者/方亜東、喩珮) =配信日: 2021(令和3)年1月15日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 00:59.92
    2021年01月12日
    「新華社」岳陽市の羅城遺跡で新発見楚文化の湖南波及は春秋中期か

    中国湖南省岳陽市屈原管理区で9日、羅子国城遺跡(羅城遺跡)で実施された考古発掘の現地報告会が開かれた。参加した専門家は、遺跡北部の小洲羅で大量に出土した春秋時代中期またはそれ以前の遺構について、湖南地区で発見された年代の最も古い楚文化の遺構に属すると指摘。現在知られている典型的な楚文化が最も早い時期に湖南に伝った地点の一つが羅城遺跡であることを説明しており、湖南が正式に中原王朝の統治体系に組み込まれた起点の地といえるとの見方を示した。湖南省文物考古研究所は2020年に小洲羅で実施した発掘調査で、土器や石器の製造など手工業活動と関わりがあるとみられる土取り場跡や窯跡、建築跡を発見した。日常生活に関連する灰坑や井戸なども見つかり、主に春秋時代中・後期に属する土器や石器などが出土した。同研究所の研究員で、羅城遺跡発掘プロジェクトの責任者を務める盛偉(せい・い)氏は「これらの遺構は、楚人が羅国の民を移住させたという文献の記載が根拠のないものではないことを示している。羅城遺跡は楚が羅国の民を移した場所である可能性が高い」と指摘。陶盆や陶罐などの器物とその組み合わせは典型的な楚文化様式であり、湖北省の江漢平原で出土した春秋時代後期の土器との類似性が高く、湘江下流の臨湘大畈遺跡に代表されるこの地域の同時代の文化遺構とは大きく異なると説明した。したがって、当時の羅城に住んでいたのは湖南の土着民ではなく、江漢平原西部の楚文化地区からの移民である可能性があるという。専門家は、羅城遺跡が文献に記載のある羅県であった可能性があるとも推測する。戦国時代に強大な勢力を誇った楚は、南方開拓へ注力するために羅県を設置した。楚の詩人、屈原(くつ・げん)が晩年の一時期を同地で過ごし、汨羅江の河畔で吟行したとの言い伝えもある。同地には高位者を埋葬したと思われる大型の封土を持つ墳墓があり「屈原の十二疑塚」と呼ばれている。(記者/崔俊傑、李紫薇) =配信日: 2021(令和3)年1月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 00:56.83
    2021年01月05日
    「新華社」河南省で隋代の漢白玉石棺床墓を発見

    中国河南省安陽市でこのほど、大型で緻密な彫刻が施された漢白玉(大理石の一種)製石棺床を持つ隋代の墓が発見された。専門家は墓が極めて高い組積技術と彫刻技術を持つことから、隋代の美術工芸研究の新たな実物資料になるほか、民族と宗教融合の研究に重要な意義を持つとしている。出土した墓誌により、隋の開皇10(590)年に麴慶(きく・けい)夫妻を合葬した墓だと分かった。墓の形状は磚室(せんしつ、れんが造りの墓室)石棺床墓だった。棺床の各部には各種図案が彫刻されていた。屏風型の図案には被葬者の日常生活や宗教故事が描かれ、正面2カ所の格狭間(こうざま)には霊獣が彫られていた。格狭間の両側には楽器を持つ人がおり、棺床の両端には神の王が配されていた。いずれもゾロアスター教の風格が色濃く表れていた。安陽市文物考古研究所の孔徳銘(こう・とくめい)所長は、被葬者の麹慶に代表される麹氏一族について、隴西地方(現在の甘粛省)で長期間生活し、シルクロードの要路を勢力下に収め、欧州や西アジア、中央アジアの文化の影響を深く受けていたと説明。「墓内の棺床とそれに施された仏教とゾロアスター教の影響の色濃い数十個の浮き彫り図案は、シルクロードの東西文明が互いに交流し、影響を与え合ったことを歴史的に証明している」と述べた。墓誌には丁寧で美しい筆跡で麹慶と夫人の出身と生涯が書かれていた。麹慶は歴史書の記載がないことから、墓誌は隋代の文字の変遷と書道芸術の研究の新たな証拠となるだけでなく、歴史を補う価値も持つ。墓からは、種類が豊富で精巧な作りの相州窯の白磁も多数見つかった。孔氏は、隋代の安陽相州窯が非常に高い焼成技術を持っていたことを示していると説明。相州窯磁器の研究の空白を埋めるとともに、中国の白磁の起源と発展における貴重な実物資料になると語った。(記者/史林静、李文哲、袁月明) =配信日: 2021(令和3)年1月5日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    00:39.80
    2020年12月30日
    「新華社」武当山で明代大改修の背景示す新たな石刻見つかる湖北省

    中国湖北省十堰(じゅうえん)市の武当山で20日、自然景観調査隊が、明代に行われた道教寺院群の大規模修復の背景を示す新たな摩崖(まがい)石刻を発見した。同山は道教の聖地と知られ、世界遺産にも登録されている。調査隊は、五竜宮の周辺で「三十六岩」と呼ばれる奇岩を捜索していた際、山奥にある採石場跡で偶然、摩崖石刻を見つけた。岩には「武昌左」「武」「山」の文字が刻まれており、明の朝廷が地域の兵士や民間人を集めて武当山の大規模修復を実施したとする古い地理誌の記載、中でも明代軍事制度の根幹をなす「衛所」の軍隊が「皇室工兵部隊」として派遣されていたことを裏付ける証拠となった。採石場跡は五竜宮周辺の岩の上にある。これまでに確認された面積は約千平方メートルで、採石の跡がはっきりと残っている。「武昌左」の3文字は、いずれもこぶし大の大きさで、湖北省文物考古研究所武当山考古研究センターの康予虎(こう・よこ)考古隊隊長は、状況から見て文字を刻んだのは当時の採石職人だろうとの見方を示す。文献には、明の永楽帝が武当山の大改修を行った際、兵士や民間人を30万人集めたとの記載があることから、「武昌左」は当時の衛所の一つ「武昌左衛」を指すと考えられる。同調査隊は2017年11月にも、「武当山七星樹」の向かい側の密林にある採石場跡の巨岩の上で、「永楽十年軍夫二十七万」「武昌右」「武昌前」「常」「岳」など、修復工事に兵士が参加したことを示す文字を見つけている。(記者/李偉) =配信日: 2020(令和2)年12月30日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    00:51.54
    2020年12月08日
    「新華社」河北省の周家荘墓地から貴族墓商代後期の歴史の空白埋める

    中国の河北省文物局はこのほど、同省石家荘市欒城(らんじょう)区の周家荘墓地で1年近く実施した事前調査と緊急発掘調査で、22基の墓を発掘したと明らかにした。墓からは青銅の盛食器「簋(き)」や酒器「爵(しゃく)」「觚(こ)」のほか、兵器や玉器などが出土した。同墓地の発見は同省中南部における商代後期の歴史の空白を埋めたほか、商周時代の歴史や地理、文化、社会発展を研究する上で重要な実物資料をもたらした。墓地は同区西営郷周家荘村の南約200メートルにあり、東を流れる洨河(こうが)からは約2キロ離れている。発掘完了エリアは墓葬と遺跡の二つの部分からなり、緊急発掘調査を実施した墓22基のうち、「甲」字形の墓2基を含む17基が商代の墓だった。墓の格式は高く、造りも精巧で、3千年近くの歳月を経ても良好な状態で保存されていた。同省文物考古研究院の専門家は、商代後期のある程度の身分を持つ貴族の墓群だと暫定的に判断している。(記者/駱学峰)<映像内容>周家荘墓地の空撮、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 01:06.30
    2020年12月08日
    「新華社」西周時代の高位者の墓葬群を発見浙江省衢州市

    中国浙江省衢州(くしゅう)市衢江区の雲渓郷を流れる衢江の北岸に幾つかの丘がある。これらの丘は西周時代の土墩墓(どとんぼ)であり、文化財・考古学研究者の3年以上にわたる努力の結果、高位者を埋葬した墓葬群であることが分かった。当時衢州全域を支配していた「姑蔑(こべつ)国」の君主の墓だと推測される。当時の中国南方地域では、土墩墓を造営する際、地下に墓穴を掘るのではなく平地に盛り土をし、その中に死者を埋葬した。浙江省文物考古研究所は2019年以降、衢江区文化広電観光体育局と共同で同郷孟姜村にある土墩墓3基の発掘調査を実施。墓からは玉器や灰釉陶器、印文紋硬質土器が出土した。2018~19年に両者が実施した地元の廟山尖土墩墓の発掘調査でも大量の青銅器や玉器、少量の土器・陶磁器が出土している。史料には、商周時代に越(えつ)の西部に姑蔑と呼ばれる民族集団が存在していたことが記されている。専門家は文献の記載と出土遺物などから、この場所が当時の姑蔑の君主の墓だとの認識を示している。(記者/馮源)<映像内容>西周時代の高位者の墓葬群を発見、展示の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 00:59.88
    2020年12月04日
    「新華社」洛陽市で春秋後期の戎族王級墓見つかる河南省

    中国河南省洛陽市伊川県の徐陽墓地でこのほど、春秋時代(紀元前770年~同476年)後期の墓が新たに見つかった。同墓地は北西部から中原(黄河中・下流域)に移住した戎(じゅう)族の一部族「陸渾(りくこん)の戎」の墓群として知られている。今回見つかったのは王級の墓とみられ、2600年前の彼らの移住と民族融合の歴史をさらに裏付けることとなった。発掘現場の責任者、呉業恒(ご・ぎょうこう)氏によると、墓の保存状態は良く、青銅の編鐘(へんしょう)や編磬(へんけい)、玉璜(ぎょくこう)、玉扳指(ぎょくはんし、扳指は弓を引く指を保護する指輪状の装具)などの副葬品が出土した。墓の周囲からは車と馬を副葬した竪坑「車馬坑」も見つかった。呉氏は「車馬坑があるのは高級貴族の墓であり、編鐘や編磬などの礼器が出土したことを考えれば王級の墓と思われる」と見方を示した。同墓地で王級の墓が出土したのは2度目だという。洛陽市文物考古研究院の史家珍(し・かちん)院長は「墓から出土した副葬品や車馬坑に馬や羊、牛の頭部とひづめを埋める習慣は春秋時代の戎(じゅう)族の文化や埋葬習慣に似ている。一方で銅製の礼器や馬車の規格を見ると中原の影響を強く受けていたことも伺える」と説明した。歴史書の記載によると、陸渾の戎は紀元前638年、北西部から現在の洛陽市伊川県に移住。同525年に晋国により滅ぼされた。(記者/袁月明)<映像内容>洛陽市で発見された戎族王級墓の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 00:59.68
    2020年12月04日
    「新華社」河北博物院でアジア古代文明展河北省石家荘市

    中国河北省石家荘市の河北博物院で4日、アジアの各古代文明の歴史や交流に焦点を当てた「アジア古代文明展」が開幕した。同展ではシリア、アラブ首長国連邦(UAE)、パキスタン、カンボジア、レバノン、日本の6カ国の機関が所蔵する文化財と河北博物院、河北省文物考古研究院、南京博物院の所蔵品合わせて190点(組)以上を展示している。会期は2021年2月28日まで。(記者/楊知潤)<映像内容>アジア古代文明展の様子、撮影日:2020(令和2)年12月4日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    01:00.11
    2020年11月11日
    「新華社」2千年前の大型穀物庫らしき遺構を発見内モンゴル自治区

    中国内モンゴル自治区文物考古研究所と中山大学(広東省)の合同考古学チームはこのほど、同自治区フフホト市玉泉区の沙梁子村で、約2千年前の前漢中~後期の建築基礎遺構を発見した。大型の穀物倉庫の跡と思われ、これまで見つかった漢代の単体版築(はんちく)高台建築の中で最大の規模だという。遺構は面積約11万平方メートルの前漢時代の町の遺跡中央部に位置する。東西約170メートル、南北約21メートルの細長い建物で、柱間16間、奥行き2間が残されていた。内部から南北方向の細い溝16本が見つかり、考古学者は換気や防潮のために掘られたと推測している。建物の壁と柱には防虫、防湿効果の高いマツ材が使われていた。遺跡で採取した土壌サンプルにはキビが含まれており、版築基礎の下から見つかった食糧貯蔵用の穴の列からも大量のキビが出土した。考古学研究者らは、内部で見つかった溝や出土遺物から、同遺構が前漢の大型穀物倉庫の跡と判断した。使用期間は約100年間で、最後は火災で焼失したとの見方を示すが、現時点で倉庫の存在を記載した文献資料は見つかっていないという。(記者/張晟)<映像内容>内モンゴル自治区で発見された大型穀物庫らしき遺構、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 00:49.08
    2020年11月04日
    「新華社」1500年前の皇帝祭天遺跡を発掘内モンゴル自治区

    中国内モンゴル自治区の文物考古研究所は、フフホト市武川県内でこのほど、中国南北朝時代の北魏王朝(386~534年)の皇帝が天を祭る儀式を行った祭天遺跡の発掘調査を実施した。北魏皇室の祭天遺跡が発掘されたのは今回が初めて。遺跡はフフホト市街地の北方に位置する大青山の蜈蚣壩(ごしょうは)頂上にある。分布範囲は約1万平方メートル。遺跡の存在は1980年代に確認されていたが、正式な発掘が始まったのは2019年からで、これまでに遺跡の形状や構造、性質が明らかになっている。遺跡中央部では、儀式を行う円形の建物遺構が見つかった。遺構の内径は15・5メートル、外径32・5メートルで、南東部に幅約1メートルの通路が設けられていた。室内部分からは祭祀(さいし)用の陶缶も少量ながら出土している。遺構の外側には、いけにえ用のヒツジやウマを入れる環濠が2重に掘られており、中からこれらの動物の足の骨が見つかった。また、皇帝が儀式を行う際に臣下が立ち並ぶ二重の段の跡も発見された。同研究所の張文平(ちょう・ぶんぺい)副所長は、北魏の皇室が天を祭ったことは歴史書に多くの記載があるが、今回の発掘が行われるまでその場所を特定することができなかったと説明。遺跡が使用された時期については、出土品の年代鑑定から430~490年の間ではないかとの見方を示した。専門家は今回発掘された遺跡について、中原王朝の祭祀・礼法と北方遊牧民族の伝統的な祭祀方式が結合したものだと指摘。年代的に隋唐時代の西安の圜丘や明清時代の北京の天壇より早いことから、中国の皇室祭天儀式の歴史や北魏の祭天儀礼制度を研究する上で貴重な実物証拠になるとの考えを示した。(記者/張晟)<映像内容>皇帝祭天遺跡の発掘現場の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 01:39.96
    2020年09月26日
    「新華社」雲南省で新石器~明清時代まで続いた集落遺跡を発掘

    中国の雲南省文物考古研究所は26日、臨滄市文物管理所などと共同で実施した芒嘎(ぼうかつ)遺跡の考古学発掘調査が、このほど完了したと明らかにした。遺跡からは、溝や墓葬、灰坑などの遺構128カ所、石器や土器、陶器、青銅器などの遺物約1500点(組)が出土した。同遺跡は雲南省臨滄市耿馬(こうま)タイ族ワ族自治県の勐簡(もうかん)郷にある。大きさは東西約530メートル、南北約220メートルで、総面積約11万平方メートル。今回は付近の高速道路建設に伴う発掘調査となり、97のグリッド(区画)に分けた9600平方メートルで実施した。雲南省文物考古研究所の胡長城(こ・ちょうじょう)副研究員は「遺跡は川辺の台地にあり、新石器時代から明清時代まで集落として使われた。継続時間が長く、出土遺物の形状もさまざまで、遺跡の類型も多い。南汀河(なんていが)流域、さらには雲南省南西部の民族や文化、歴史を研究する上で重要な価値がある」と語った。(記者/孫敏、厳勇)<映像内容>芒嘎遺跡の発掘調査の様子、撮影日:2020(令和2)年9月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 01:14.30
    2020年09月24日
    「新華社」新石器時代早期の大型住居遺跡を発見内モンゴル自治区

    中国内モンゴル自治区の文物考古研究所はこのほど、同自治区シリンゴル盟鑲黄旗(じょうこうき)の草原で、8400~7600年前の新石器時代早期の大型住居遺跡を発見したと明らかにした。乃仁陶勒蓋遺跡と名付けられた同遺跡からは、壁面に段差があり、柱穴とかまどが残る住居跡が270カ所余り見つかった。動物の骨や土器片、骨角器、大量の石器も出土した。考古学者は、出土した遺物から同遺跡の年代が裕民文化期に相当すると暫定的に判断した。裕民文化は2015年に発見された考古学の新たな文化類型で、中国の北方草原地帯の新石器時代黎明期と考えられている。裕民文化期は千年続いたとされる。人々は環境に適応するため季節ごとに集落を移動させ、固定式の半竪穴住居で生活していた。秋と冬は居住者が集中し、比較的大きな集落を形成していた。生産様式は主に狩猟と道具の製作で、乃仁陶勒蓋遺跡もこれらの特徴を備えているという。(記者/張晟)<映像内容>新石器時代早期の大型住居遺跡を発見、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2020年09月21日
    「新華社」ハクチョウの首の形の青銅壺、中身は漢代の薬酒研究者が解析

    中国河南省の三門峡市文物考古研究所はこのほど、同市で今年5月に出土した「鵝首曲頚青銅壺(がしゅけいじんせいどうこ)」と呼ばれるハクチョウの頭部をかたどった青銅製の壺に残っていた3リットル余りの謎の液体の解析結果を発表した。液体は中国科学院大学の研究スタッフの解析で、前漢初期の古酒であることが分かった。湖南省長沙市の馬王堆漢墓から出土した医学書「五十二病方」の記述と一致しており、止血と消炎効果のある薬酒だという。中国科学院大学考古学・人類学系(学部)の楊益民(よう・えきみん)教授は「今も窒素・炭素の安定同位体の測定や微量な植物化石の分析、プロテオーム解析などを続けている。原料や制法、効能に関するより多くの情報が得られる見込みだ」と明らかにした。三門峡市文物考古研究所の鄭立超(てい・りつちょう)所長は、「当時の壺の首はニンニクの球根の形をしたものが多く、ハクチョウの頭部をかたどった造型は個人が特別に作らせたものだろう。個性的で非常に珍しい。液体の分析結果に基づけば壺は酒器であり、頂部にある小さな孔から酒を注いだのだろう」と述べた。青銅壺は同市後川村の古墓群から出土した。墓の形式とその後の調査により、前漢初期のものと判断された。被葬者は身長1・8メートル前後の男性と推定されるが、遺骨の状態が悪いため年齢や死因は分かっていない。同墓からは銅器や玉器、陶器、鉄器なども出土した。銅器には銅鏡、銅印、銅盆、銅飾品などが含まれる。また、鉄剣には四つの玉の装飾品からなる玉剣具も付いていた。鄭氏は「宝剣が出土したのであれば身分は武人のはず。銅鏡や銅の装飾品は容姿に気を使っていたことを示している。ハクチョウの首をかたどった壺に美酒を入れていたことをみると、被葬者は生活の質を追求する人物だったと考えられる」と説明した。<映像内容>古墓群から出土した青銅製の壺、壺の中に残っていた液体の解析、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2020年09月14日
    「新華社」武当山五竜宮遺跡の発掘調査始まる湖北省十堰市

    中国湖北省十堰(じゅうえん)市の武当山でこのほど、五竜宮遺跡の発掘調査が始まった。世界文化遺産に登録される武当山の建築群で実施される初の大規模発掘調査となる。850間(柱間)の道教寺院と廟宇を持つ五竜宮は、同山で最も早い時期に建てられた建築群「九宮」の一つ。唐の貞観年間(627~649年)に建立され、今でも多くの古建築や遺跡が残る。全国重点文物保護単位(国宝・重要文化財に相当)にも指定されている。今回の発掘エリアは南宮東道院で、面積は5千平方メートル。発掘チームは湖北省文物考古研究所を中心に複数の研究部門と大学のスタッフからなる。今回の発掘では、五竜宮の全体的な建築配置と建立・修復年代、個々の建築物の機能と歴史背景などの問題を解決する。将来実施される全面的な文化財保護活動に科学的根拠を提供し、武当山西ルートの観光開発に文化的、歴史的価値を添える目的もある。(記者/李偉)<映像内容>五竜宮遺跡の発掘調査の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2020年08月11日
    「新華社」雲南省麗江市で春秋戦国時代の古墓群を発見

    中国雲南省麗江市玉竜ナシ族自治県大具郷の為都村でこのほど実施された中学校のグラウンド工事で、古墓群が出土した。その後の考古調査で春秋戦国時代のものだと暫定的に判断された。同省文物考古研究所が11日、明らかにした。発掘済みと発掘中の墓は現時点で計59基。墓の類型は長方形、円形、不規則形状の竪穴式土坑墓と石棺墓の4種類が確認された。墓坑は上下複数の層からなり、それぞれの層から遺体が見つかった。各層には一次葬として1、2体の遺体が安置され、その周囲に二次葬の遺骨が多数置かれていた。同省で発掘された古墓でこのような葬送習俗を持つものは初めてだという。墓坑の層は最も多いもので4層あり、一つの墓坑からは最大19個の頭骨が確認された。ほかにも陶罐(とうかん)や海貝の殻、小型の銅器などが出土した。発掘作業は現在も続けられている。(記者/字強、厳勇)<映像内容>雲南省麗江市の中学校の工事で古墓群が出土、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2020年08月03日
    「新華社」泥に埋もれて400年、北宋の都・開封の「州橋」が姿現わす

    中国河南省開封(かいほう)市で実施されている考古発掘調査で、北宋の都「東京開封府」を代表する建造物とされる「州橋」の遺構が姿を現した。当時の市井の賑わいを見つめ、その後数百年にわたり泥に埋もれていた古橋が、再び全容を現しつつある。州橋遺跡は、同市の中山路と自由路の交差点から南約50メートルの地点にある。建造年代は唐の建中年間(780~783年)までさかのぼることができる。その後の五代十国、宋、金、元、明各時代を経て、明末の1642年に起きた黄河の氾濫で土砂に埋没した。1984年に偶然発見され、部分的な試掘調査が実施されている。同遺跡では、河南省文物考古研究院と開封市文物考古研究所が2018年から合同で発掘調査を進めている。発掘調査は、北宋東京城の城内に引かれた大運河の造営方法や管理・運営システムなどを知る上で重要な意義を持ち、同城の都市構造の研究においても大きな価値があるという。(記者/袁月明)<映像内容>州橋の遺構の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2020年06月09日
    「新華社」河南省洛陽で前漢時代の家族墓が出土精巧な線刻画、液体入り青銅器も

    中国河南省洛陽市では、工事現場で見つかったある古墓群の発掘が4月から続けられている。うち一つの前漢時代の家族墓からは、方壺(ほうこ)や鼎(てい)、盤(ばん)、甗(げん)など青銅器一式が出土し、研究者にさまざまな謎を投げかけた。方壺の中からは容器半分ほどの液体も見つかったという。洛陽市文物考古研究院の史家珍(し・かちん)院長は「前漢時期の副葬品は陶器が中心で、青銅器を使っていたのは高級官僚や高貴な身分の人が多かった。古墳の多い洛陽では、発掘をしても9割の墓が空っぽといえるほど盗掘が多く、今回のように青銅器一式が出土するケースは非常に珍しい」と語った。今回見つかった家族墓は墓葬6基からなる。L字形をしており東西方向に4基、南北方向に2基並んでいる。考古学者らは、墓の形状と出土品の状況から貴族とその家族の墓だと判断した。このうち、空心磚(くうしんせん、空洞れんが)造りの墓からは、騎馬による狩猟の様子を描いた彩色の線刻画が残るれんがが見つかった。馬を操りながら縦横無尽に駆け巡る様子や片膝をついて獲物に弓を引く様子など、描かれた人物は生き生きとしており、飛鳥や仙樹などの要素が前漢時代の「昇仙思想」を如実に表現している。液体の入った青銅器は、今回の遺跡から2キロ足らずの地点で2017年に発掘された前漢時代の大型墓からも出土している。約3・5キロの液体は分析の結果、硝石とミョウバンの水溶液「礬石水(ばんせきすい)」であることが確認され、当時の人々が「仙薬」と呼んだ液体が実際に発見されたことで大きく注目された。史氏は「今回出土した銅方壺の中の液体が美酒なのか仙薬なのかは検査しないと分からない」とするものの、検査結果は同墓に被葬者の身分をひも解く手掛かりになると見ている。家族墓が見つかった古墓群全体の敷地面積は約1万9千平方メートル。これまでに墓葬171基の発掘が完了しており、東周や前漢、後漢、西晋、唐などの幾つかの時代にまたがることが確認されている。69基はまだ発掘されておらず、今後の調査が待たれる。(記者/袁月明)<映像内容>前漢時代の家族墓が出土、青銅器や線刻画など、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2020年05月30日
    「新華社」浙江省で8千年前の貝塚遺跡を発見中国沿海部で最古

    中国浙江省余姚市で見つかった同省初の先史時代の貝塚遺跡「井頭山(せいとうざん)遺跡」の発掘成果が5月30日、正式に発表された。中国沿海部で年代が最も古く、最も深い場所に埋蔵された貝塚遺跡で、同遺跡の発見は寧波地区の人類活動史を8千年前までさかのぼらせた。同遺跡は同市三七市鎮にあり、1・5キロ東には、河姆渡(かぼと)文化(約7千年前の新石器時代の文化)の代表的遺跡の一つ、田螺山遺跡がある。2013年に工場建設に伴う試掘調査で発見された。北京大学考古文博学院の放射性炭素年代測定実験室など多くの実験室の測定により、同遺跡の年代は7800~8300年前と河姆渡文化より千年古いことが分かった。今回の発見は、同省北部の寧紹平原の先史時代考古年代学を大きく進展させ、寧波地区の人類活動史を河姆渡文化よりさらに千年さかのぼらせた。浙江省文物考古研究所が寧波市文物考古研究所、余姚河姆渡遺跡博物館などと合同で昨年9月から現在まで実施した発掘調査では、土器や石器、木器、骨器、貝器などの大量の人工的遺物と古代の稲作を示す遺構が出土したほか、水生・陸生動植物の遺物も見つかり、考古学上の画期的な収穫が得られた。(記者/顧小立、鄭夢雨、馮源)<映像内容>井頭山遺跡の発掘成果、撮影日:2020(令和2)年5月30日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 01:22.30
    2020年05月28日
    「新華社」河南省の黄河河畔で大型古墓群見つかる出土品は2千点以上

    中国河南省の三門峡市文物考古研究所はこのほど、同市湖浜区の黄河河畔で大型古墓群を発見したと明らかにした。各時代の墓葬600基余りを発掘し、遺物2千点余りが出土した。同研究所の鄭立超(てい・りつちょう)所長によると、古墓群は黄河南岸から500メートルの後川村にある。同地で2017年10月から始まったバラック地区の改造事業に合わせて実施した3度の探査発掘で3万7600平方メートルを調査。各時代の墓葬600基余りを発見した。時代は主に秦漢時代(紀元前3世紀~3世紀)、唐宋時代(7世紀~13世紀)、明清時代(14世紀~20世紀)に分かれており、中でも秦漢時代の墓が多く、300基近く見つかった。これまでに発掘を終えた墓葬602基からは、土器や銅器、鉄器、金銀器、玉器、磁器、石器、骨器・蚌器(大型の貝殻から作られた道具)などの器物2千点余りが出土した。首を曲げたハクチョウの頭部をかたどった青銅製のつぼ「鵝首曲頚青銅壺(がしゅけいじんせいどうこ)」や玉の剣具、玉を象眼した銅製の帯鈎(たいこう)、銘文のある銅器など、独特な造型を持ち精巧に作られた器物も多く見つかった。いずれも高い歴史的、芸術的価値を持つ希少な副葬品だという。秦漢時代の墓葬から「陝亭」「陝市」と刻印された副葬品が見つかったほか、唐~元代の墓誌には陝州に関する直接的な記述があった。専門家は、墓が秩序正しく並び、同時代の墓葬ではエリアの重なりが見られないことや旧陝州城の近くにあることから、陝州城の人々が代々使用した集団墓地だった可能性を指摘。しかも計画に基づき整備されたものだとの見方を示した。専門家はまた、今回の大型古墓群の発見と発掘により、三門峡地区が政治的中心の移転に伴い次第に隆盛から衰退へ向かった過程が明らかになったと説明。中でも大量に見つかった秦墓と前漢墓は、同地区の墓葬の変化を知る上で貴重な資料になると述べた。(記者/楊金鑫、李麗静)<映像内容>河南省の黄河河畔大型古墓群を発見、発掘作業の様子など、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 01:21.24
    2020年05月25日
    「新華社」河南省でハクチョウの首の形をした青銅壺が出土中には成分不明の液体

    中国河南省の三門峡市文物考古研究所の考古学者がこのほど、同市内の発掘現場で、首を曲げたハクチョウの頭部をかたどった青銅製のつぼを発見した。「鵝首曲頚青銅壺(がしゅけいじんせいどうこ)」と名付けられたつぼの中には、成分不明の液体が3千ミリリットル以上入っていたという。同研究所の関係責任者の祝暁東(しゅく・ぎょうとう)氏によると、青銅壺は同市開発区後川棚戸区(バラック地区)の再開発工事に伴い実施した発掘調査で見つかった古墓から出土した。墓葬の形式から秦王朝末期から漢王朝初期のものと思われ、被葬者は爵位を持つ下級官吏と見られている。墓からは青銅壺以外にも銅鍪(どうぼう、煮沸器)や銅盆(どうぼん)、鉄剣、玉剣具なども出土した。祝氏によると、当時の青銅壺は注口部分がニンニクの鱗茎(りんけい)の形をしているものが多く、ハクチョウやガン、アヒルなどの動物の形をしたものもあったが数は少ないという。今回出土した青銅壺はハクチョウの頭部と曲がった首からなる注口と下膨れの胴部、圏足を持つ。頂部に穴が1カ所開いており、独特な形状をしている。祝氏は「出土した青銅壺から推測すれば、三門峡では秦王朝末期から漢王朝初期に既にハクチョウが見られたと考えられるが、実際は珍しかったのではないか」と語った。壺の中の液体は黄褐色で多くの不純物が沈殿していた。具体的な成分については現在検査が行われている。(記者/楊金鑫、李麗静)<映像内容>ハクチョウの頭部をかたどった青銅製のつぼが出土、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 01:11.08
    2020年05月07日
    「新華社」河南省鞏義市、「河洛古国」の重大な考古学研究の成果を発表

    国河南省鄭州市文物考古研究院は7日、同省鞏義(きょうぎ)市双槐樹遺跡で見つかった古国時代の都邑遺跡における段階的かつ重大な考古学研究の成果を発表した。黄河南岸の高台に位置する双槐樹遺跡は、伊水と洛水(らくすい)が黄河に流れ込む同省鞏義市河洛鎮にある。近年、中国社会科学院考古研究所と合同で遺跡の考古学調査を続けている同研究院は、複数の著名な考古学者による実地視察と研究・検討、論証を経て、同遺跡が今から約5300年前の古国時代の都邑遺跡であるとの結論を下した。また、遺跡が河洛の中心エリアにあることから、「河洛古国」と命名することを提案した。(記者/袁月明)<映像内容>双槐樹遺跡の考古学研究の成果を発表、撮影日:2020(令和2)年5月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    01:45.65
    2020年04月29日
    「新華社」江口沈銀遺跡で「蜀世子宝」金印が出土四川省眉山市

    中国四川省眉山市彭山区は29日、記者会見を開き、同区の江口沈銀遺跡で2019~20年度に実施した考古発掘調査で、金銀器を中心とする1万点余りの遺物が出土したと発表した。うち「蜀世子宝」と記された金印は、国内で初めて見つかった世子の金印だという。世子は明清時代の世襲親王の嫡男を指す。遺跡は省都の成都市から約60キロ、岷江と府河が合流する地点にある。民間の歴史書には、明末期の農民反乱軍の首領、張献忠(ちょう・けんちゅう)が1646年、船に財宝を積み岷江を南下した際に彭山で明朝の将軍、楊展(よう・てん)の待ち伏せに遭い敗れ、船も沈んだと記されている。地元では数百年にわたり千隻分の金銀財宝が川底に沈んでいると伝えられてきた。四川省文物考古研究院は2016年から同遺跡の考古発掘調査を実施し、伝説が事実であることを証明した。発掘調査を指揮した劉志岩(りゅう・しがん)氏によると、今年は1月10日に発掘を開始し、約3カ月で5千平方メートルを発掘したほか、1万平方メートルで調査を実施した。1万点余りの出土品のうち重要な遺物は約2千点。金・銀製の貨幣や地金、食器、首飾り、装飾品などが含まれ、中でも方形の印台に亀の形の印紐(いんちゅう)が付き、印面に「蜀世子宝」と記された金印が最も重要な発見とされた。印台の大きさは10センチ四方で厚さは3ミリ、金の含有率は95%と非常に高かった。「蜀」は明代に成都に置かれた蜀王府、「世子」は親王の嫡男を示すことから、金印が蜀王の世子の所有物として、その身分を象徴し、歴代受け継がれてきた貴重な宝であったことが分かる。今年度の調査では、張献忠が国号を「大西」とした地方政権が所有した銀地金も多数発見された。同政権の財政制度や統治区域を研究する上で重要な意義を持つという。また、昨年度の発掘で明代の火器「火銃」が発見され、今年度に大きさの異なる鉛の弾が出土したことは、同地が古戦場だとする新たな証拠となった。<映像内容>江口沈銀遺跡で金印などの遺物が出土、発掘調査の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 02:11.52
    2020年01月15日
    「新華社」雲南省南部で春秋戦国時代の銅製錬遺跡群見つかる

    中国雲南省文物考古研究所は、同省金平ミャオ族ヤオ族ダイ族自治県の竜脖河(りゅうほつが)遺跡で、採掘と製錬が一体となった春秋戦国時代の銅製錬遺跡群を発見したと明らかにした。省内で見つかった同様の遺跡の中では年代が最も古く、規模も最大で保存状態も良いという。遺跡は同県東部の勐橋(もうきょう)郷卡房(そうぼう)村の竜脖河と紅河が交差する三角地帯に位置する。2004年に同研究所が新河高速道路建設に伴う考古学調査を実施した際に発見された。同研究院と四川大学歴史文化学院などからなる合同考古学チームは、2019年初めに国家文物局が同遺跡の調査を許可したことを受け、同年10月から約2カ月にわたり調査と発掘を実施。工房遺構1カ所、灰坑3カ所、製錬炉28基を含む各種遺構32カ所を発見した。雲南省文物考古研究所の楊帆(よう・はん)研究員は「製錬炉は今回最も多く発見された。最も重要な遺構でもある」と説明。陶器や石器、石製鋳型、石槌、凹石など小型器物216点(組)も出土したことも明らかにした。楊氏によると、今回の系統的で全面的な発掘調査は、中国西南部と東南アジアにおける青銅製錬技術の類型や冶金技術の交流・伝播を研究する上で非常に重要な学術意義を持つという。(記者/曾維)<映像内容>竜脖河遺跡の調査と発掘の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 01:42.92
    2019年12月26日
    「新華社」広州市で漢代から清代にかけての墓57基が出土

    中国広東省の広州市文物考古研究院は26日、同市内の横枝崗で発掘調査を行ったところ、漢代から清代にかけての墓葬57基と文化財500点(組)が出土したと明らかにした。同研究院は今年7月から12月にかけて、市内の麓湖公園南入り口を含む交通結節点の景観向上プロジェクトの建設に合わせ、プロジェクトの範囲内で考古学調査と探査を実施、見つかった古墓葬の緊急発掘調査を行った。目下、墓葬57基の整理作業が終わっており、そのうち11基が漢代、13基が東晋南朝時代、2基が唐代、1基が宋代、5基が明代、25基が清代のものだった。また、古墓葬から陶器や青銅器、鉄器、装身具などの文物500点(組)近くが出土した。考古プロジェクトの責任者、同研究院の易西兵(い・せいへい)副院長は、今回の探査で発見された古墓葬は、漢代と東晋南朝時代の墓に集中的に分布しており、数も多く、規模も大きいことから、広州の歴史地理学的変遷を研究するための豊富な考古資料になっていると説明した。漢代の墓はいずれも竪穴式の木槨墓(もっかくぼ、棺のまわりを木材で取り囲んで造った墓室を持つ墓)で、前漢後期から後漢にかけて造られ、保存状態も比較的良好だった。副葬品の多くは陶器だったが、銅剣や銅鏡、銅銭なども納められていた。また260個の水晶、瑪瑙(めのう)、琥珀(こはく)などでできた球形、菅形のビーズで作られた副葬品の装身具も見つかった。易氏は「現時点で、これらの材料の多くは域外のもので、海のシルクロードを通って広州に渡って来たものだと考えられる」との見方を示している。考古調査作業員らは、1950年代から横枝崗一帯で行われる建設プロジェクトに合わせて緊急発掘調査と発掘作業を複数回実施、前・後漢時代から明・清代にかけての墓葬千基近くを整理しており、同地からは大量の文物が出土している。(記者/鄧瑞璇)<映像内容>広州市横枝崗の発掘調査の様子、撮影日:2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2019年12月25日
    「新華社」皇帝に関わる建造物か青島で秦漢時代の排水遺構が出土

    中国山東省青島市の琅琊台遺跡の考古発掘調査でこのほど、新たな進展がみられ、遺跡の山頂部分から2千年以上前の秦漢時代の大型版築(はんちく)土台や排水遺構、建物基礎が見つかった。広大な規模と緻密な建設技術は、同地に当時、格式の高い大型古代建築が存在していたことを示唆している。山東省文物考古研究院と青島市文物保護考古研究所の合同調査チームは10月末、国家文物局の許可を得て、琅琊台遺跡の発掘調査を正式に開始した。遺跡は西海岸新区琅琊鎮にあり、山頂部分の版築土台(大台)と海辺の版築土台(小台)の2カ所からなる。発掘調査は秦漢時代の琅琊文化の解明を主眼に実施された。頂上部の第1発掘地点では、3本の整った陶製配管が整然と並ぶ様子が見て取れた。配管は太く厚みがあり、両端の口径を変えることで連結できるようになっている。現代の排水管によく似ている。第1発掘地点からそれほど遠くない場所にある第2発掘地点では、秦漢時代の石造りの床に開けられた排水口が見つかった。くぼみを作るように敷かれた六つの大小異なる石の中心部の石に四角形の小さな穴が開けられている。穴の形状と精密な作りから室内排水用だと暫定的に判断された。秦漢時代の政治の中心は陝西省一帯であり、琅琊台は山東地域でも数少ない同時代の皇帝巡幸に関わる遺跡とされる。文献には秦の始皇帝や漢の皇帝が琅琊台に巡幸したと記されており、今回の発掘調査を見ても、この場所にかつて皇帝と直接関わりのある格式の高い皇室建造物が存在していた可能性は排除できない。果たしてどのような皇室建造物だったのか。考古学界の見解は現時点で一致していない。ある者はきらびやかな行宮だったといい、ある者は始皇帝が建てた祭祀台だったと推測する。琅琊台の発掘調査がさらに進展すれば、始皇帝が何故同地を3度も巡幸したかという千年の歴史の謎も明らかにされるかもしれない。(記者/李紫恒)<映像内容>琅琊台遺跡の考古発掘調査、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2019年11月16日
    「新華社」中日両国の考古学者、漢代の製鉄技術を復元

    中国四川省邛崃(きょうらい)市で16日、臨邛冶鉄の実験考古学イベントが開かれ、中国と日本の考古学者が漢代の製鉄技術を復元した。漢代の臨邛地区は、現在の成都市邛崃、蒲江一帯に当たる。当時は国内鉄器生産の中心地の一つで、漢代の文人、司馬相如(しば・しょうじょ)の妻で臨邛の才女と呼ばれた卓文君(たくぶんくん)の家族が、同時代で世界最大規模といわれる私営鉄工場を運営していた。今回のイベントは、四川大学歴史文化学院と成都文物考古研究院、四川省文物考古研究院、愛媛大学アジア古代産業考古学研究センター、邛崃市人民政府が共同で主催した。考古学関係者らは、発掘調査で見つかった漢代の溶鉱炉と文献記録を参考に原寸を縮小した直立炉を建設。生鉄の製造に成功し、漢代の製鉄技術の研究に重要な資料と成功例を提供した。愛媛大学アジア古代産業考古学研究センターの村上恭通教授によると、中国古代の製鉄技術は東南アジアに非常に大きな影響を与えたが、中でも臨邛の卓氏の技術は重要な役割を果たした。中国と日本、韓国3カ国の古代製鉄技術はいずれも卓氏の技術と関わりがあり、中国の古代製鉄技術を研究することは日本の製鉄技術の起源を研究することでもあるという。市内では15日、「中国西南地区と東南アジアの冶金技術の起源・伝播及び臨邛製鉄の実験考古学」国際学術シンポジウムも開催され、デンマークや英国、日本、中国など複数の国の専門家・学者50人余りが参加した。(記者/童芳)<映像内容>臨邛冶鉄の実験考古学イベントの様子、撮影日:2019(令和元)年11月16日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ ※サイズの小さい動画です。

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    2019年10月16日
    「新華社」遼寧省博物館で紅山文化の文化財246点を展示

    中国遼寧省瀋陽市の遼寧省博物館で16日、「又見紅山」と題した文化財の逸品展が開幕した。同博物館と遼寧省文物考古研究院が所蔵する紅山文化の文化財の逸品を中心に、内モンゴル自治区文物考古研究所など関連機関から貸し出されたものを含め、石器や陶器、玉器など246点が展示されている。紅山文化は精巧で美しい玉器で知られており、同展には遼寧省と内モンゴル自治区で行われた発掘調査で出土した同文化の玉器の逸品が集められている。特に貴重な玉器の文化財には、切れ目の入った環形の玉「玉玦形猪竜」やC型をした竜のような玉「玉C形竜」、雲を連ねたような形の玉「玉勾雲形器」、上部が斜めに切られた筒型の玉「玉斜口筒形器」、人や鳳凰をかたどった玉製の装飾品などがある。紅山文化は20世紀初頭に内モンゴル自治区で発見され、命名された。しかし、最も重要な考古学的発見は遼寧省朝陽市の牛河梁(ぎゅうがりょう)遺跡であり、その発掘成果が国内外に広く知られている。ここ数年で行われた一連の考古学的発見と研究は、紅山文化を代表とする多くの文化類型が5千年以上に及ぶ中華文明史の重要な支柱となっていることを示している。(記者/姜兆臣、張非非、趙洪南)<映像内容>遼寧省博物館で紅山文化の文化財を展示、撮影日:2019(令和元)年10月16日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2019年09月12日
    「新華社」中国竜文化特別展が開幕150点以上の貴重な文化財を公開

    中国竜文化特別展が12日、江蘇省の常州博物館で正式に開幕した。新石器時代から明、清代に至るまでの「竜」を題材とした青銅器、玉細工、磁器、陶器、書画など多種多様な文化財が、全国各地から150点余り集められた。同博物館の林健(りん・けん)館長は、今回の特別展には国内約20カ所の博物館や研究所が所蔵する150点余りの文化財が出品され、中国で開かれる竜関連の文化財の展示としては、ここ数十年で最大規模、最高ランクの大型展の一つだと紹介した。会期は11月10日までとなっている。展示品の種類は豊富で、竜をかたどった中国新石器時代初期の玉器である天津博物館所蔵の「玉猪竜」や、良渚(りょうしょ)文化の様式が表れた浙江省文物考古研究所所蔵の「玉竜首紋管」、徐州博物館所蔵の「双区竜紋青玉璧」、蘇州博物館所蔵の「唐代大金竜」などが含まれている。南京博物院は今回、竜紋の磁器4点、竜袍(りゅうほう、竜の刺しゅうが施された皇帝の衣装)2着、玉器数点などの貴重な文化財を出展した。同博物院の職員、高潔(こう・けつ)さんは「出品した4点の磁器はいずれも清代の官窯製で、主に竜の文様が施されている。竜は清代でまた皇室の象徴だった」と説明した。(記者/何磊静)<映像内容>中国竜文化特別展の様子、玉細工や陶器など文化財の展示、撮影日:2019(令和元)年9月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2019年08月14日
    「新華社」湖北省で曽侯夫婦の合葬墓発見「曽随の謎」解く重要なカギに

    中国湖北省随州の棗樹林墓地にある曽の国の君主と夫人の並穴合葬墓2基の発掘調査により、春秋時代(紀元前770年~紀元前5世紀ごろ)中期の曽の国に関する考古学調査の空白が埋められた。また出土した青銅器の銘文によって「曽随の謎」に関する問題を解決するための重要な証拠がもたらされた。中国国家文物局が先ごろ行った棗樹林墓地の考古学発掘調査についての報告で分かった。曽の国とは「春秋左氏伝」などの文献で言うところの「随の国」で「一つの国に二つの名」がある。随の国は西周(紀元前1046年~紀元前771年)初期に周の天子が南方を鎮守するために封建した重要な邦国であり、その故地は現在の湖北省随州市にあり、西周初期から戦国時代(紀元前5世紀~紀元前221年)中期まで存続した。春秋時代の曽の国と周王朝、楚の国、その他諸侯国との関係やその文化的な由来を探るため、湖北省文物考古研究所は2018年10月から随州棗樹林墓地に対する主体的な探査と発掘調査を開始した。これまでに墓地からは土坑墓54基、馬坑3基が見つかっている。同研究所の郭長江(かく・ちょうこう)副研究員は次のように説明した。ここは春秋時代中期~末期の曽国公の墓地で、墓の形式は多くが長方形の竪穴土坑墓だ。墓は東西方向につくられ、配置は比較的厳密である。これまでに青銅器千点余りが出土しており、一部の青銅器には銘文があった。銘文では主に「曽公」「曽」「曽叔」「曽侯」「曽夫人」などの表記が使われていた。そのうち2組の墓は曽の国の君主レベルの夫婦合葬墓で、曽侯「宝」とその夫人「羋加」の墓(168、169号墓)および、曽公「求」とその夫人「漁」の墓(190、191号墓)。曽侯「宝」と夫人の並穴合葬墓は共に盗掘に遭っていたが、青銅の礼楽器が残っていた。特に夫人の墓には鈕鐘19点など重要な文化財が残されていた。曽公「求」と夫人の並穴合葬墓も盗掘されていたが「求」の墓には銅の礼器と完全な編鐘一式、夫人の墓には銅の礼器一式が残されていた。(記者/喩珮)<映像内容>曽の国の君主と夫人の合葬墓2基の発掘調査の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2019年06月13日
    「新華社」「古代石刻拓本傑作展」開幕、貴重な蘇軾の筆跡も四川省眉山市

    唐代以降の石刻拓本合計130点余りを展示する「碑説眉山古代石刻拓本傑作展」が13日、中国四川省眉山(びざん)市で開幕した。これらの拓本は、地元文化財部門の石刻古跡に対する「緊急記録措置」の成果の一部で、北宋の大文豪・蘇軾(そ・しょく、蘇東坡)が残した「喚魚池」「連鰲山」などの筆跡が特に注目を集めた。眉山は古くは眉州(びしゅう)と呼ばれ、蘇軾にとって故郷となる。今回展示された拓本のうち最も注目を集めたのが、いずれも蘇軾が書いた眉山市青神(せいしん)県中岩寺の「喚魚池」の石刻拓本と、同市東坡(とうば)区広済(こうさい)郷の「連鰲山」の石刻拓本。同市文化財部門は2018年10月から四川省文物考古研究院、四川省芸術研究院と共同で古代石刻文字の特別調査・整理を実施し、情報の収集や文字拓本の採取などの方法を通して、野外の貴重な石刻の「緊急記録措置」を行った。これまでに野外の石刻1514カ所全ての拓本記録作業を完了した。内訳は古墓石刻1100カ所、古建築石刻167カ所、単体石刻153カ所、摩崖石刻94カ所となっている。(記者/陳健)<映像内容>唐代以降の石刻拓本の展示の様子、撮影日:2019(令和元)年6月13日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2019年05月20日
    「新華社」四川省成都市で唐時代の城壁見つかる

    中国四川省の成都文物考古研究院は20日、成都市内でこのほど唐時代の城壁を発見したと発表した。発掘現場の責任者、江滔(こう・とう)氏によると、発見された古い城壁は突き固めた土とれんがや石を積み上げた部分に分かれ、ゆるい弧を描いて東西方向に伸びており、西側の保存状態が比較的良いという。今回発見されたのは唐、明、清の3時代に築かれた城壁。最も古いものは唐末期に築かれ、残存部分の長さは170メートル、幅8・9メートルから12メートルだった。城壁の内側は突き固めた土でできており、外側はれんがが積み重ねられていた。残存部分の高さは約1・5メートルで、両側面はれんがでできているが、使われているれんがの規格は均一ではなく、漢・六朝時代の模様入りのれんがと唐代の無地のれんがが混在していた。外壁の片側の前にはれんがを綺麗に敷き詰めて造った幅約1メートルの犬走りがある。明時代の城壁は突き固めた土のみでできており、唐代の城壁の両側に重なるように築かれていた。清時代の城壁は唐・宋時代の城壁が崩れて積み重なったところを土台として築かれ、現在は北側の基礎部分だけが残る。建築方法は唐代の城壁と似ている。江氏は取材に対し、今回発見された城壁は唐代の名将、高駢(こう・へん)が指揮して建築したものだと紹介。高駢は名門の出身で、唐の僖宗(きそう)の時代に「黄巣の乱」の鎮圧で活躍し「渤海郡王」に封ぜられ、蜀中(現在の四川省中部)の守備に当たっていた時期に羅城の建築を担当し、防御を固めたと背景を説明した。今回発見された城壁はまさに羅城城壁の北西の角に当たるという。江氏は、同城壁は唐・宋時代の都市建設や社会経済状況などの研究に重要な価値を持つと語った。今回の発見はまた、考古学者が唐代の羅城の位置を特定する手がかりにもなるという。(記者/薛晨、童芳)<映像内容>発見された唐時代の城壁の様子、撮影日:2019(令和元)年5月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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    2019年03月20日
    「新華社」清凉寺で汝窯青磁の「天青色」を堪能河南省宝豊県

    汝窯(じょよう)は官窯、哥窯(かよう)、定窯、鈞窯(きんよう)と並んで世に名高い中国・宋代(960~1279年)「五大名窯」の一つ。「天青色」(スカイブルー)と呼ばれる釉薬(ゆうやく)が汝窯の典型的な特徴であり、その色合いは玉石を思わせる。ではその「天青色」を尋ねて千年前の汝官窯遺跡をのぞいてみよう。中国河南省平頂山市宝豊県にある清涼寺汝官窯遺跡展示館は建築面積5160平方メートルで、主に汝窯遺跡の発掘調査の成果を展示公開しており、汝窯の魅力を間近で感じられる施設。汝官窯は北宋時代後期に宮廷に献上する磁器を焼成していた。その荘重な外形、透明感のある艶やかな釉や清雅な芸術スタイルは、古くから人々に称賛されてきた。河南省文物考古研究院は1987年から、宝豊県の清涼寺汝官窯遺跡で前後14回にわたる発掘調査を行い、献上品の汝窯青磁を焼成していた窯炉と工房跡20カ所余りを発見、汝窯青磁に対する人々の認識を広げた。(記者/尚崑崙、楊金鑫)<映像内容>清涼寺汝官窯遺跡展示館の展示、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  • 01:40.54
    2018年10月19日
    「新華社」VR考古体験館で「江口沈銀遺跡」発掘現場をリアルに体験

    明代末期の古戦場跡「江口沈銀(しんぎん)遺跡」の3Dによる臨場体験、烏東德(うとうとく)ダム発掘現場からの中継、三星堆(さんせいたい)遺跡の青銅神樹(同遺跡の二号祭祀坑から出土した青銅製の扶桑樹)伝説について紹介した映像番組の英語版の正式リリース…17日に全面リニューアルオープンした中国四川省文物考古研究院VR(バーチャルリアリティー)考古体験館は、これらを通して来場者を本物の考古学の現場へと「いざなう」。来場者は同館の3Dインタラクティブ体験センターに足を踏み入れると、滔々たる岷江(みんこう)の流れ、巨大な発掘用囲い堰(かこいぜき)、壮大なかつての河床(かしょう、河川の底にあたる部分)、河床の窪みに散在する金の封冊(ほうさく、王侯に封じる旨を記した詔書)や銀錠(ぎんじょう、中国でかつて用いられた秤量貨幣の形態を取る銀貨)などの文化財が、まるで自分のそばにあり、手で触れられるような感覚を体験できる。また、烏東德ダム区考古プロジェクト総合管理システムを通じて、同区の発掘状況や文化財出土状況を手動操作でリアルタイムに確認することが可能だ。今回は映像番組「江口沈銀ドキュメンタリー」「発掘トレーニングキャンプ」「神樹の伝説」の英語版も加わったことで、海外からの来館者のニーズにも応えられるようになったという。(記者/童芳、薛晨)<映像内容>中国四川省文物考古研究院VR考古体験館の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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