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「日露戦争」の写真・映像

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    01:25.61
    2020年10月01日
    サハリン、日本の鉄路に幕 宮沢賢治「銀河鉄道」にも

    第2次大戦終結まで南部が日本領だったロシア極東サハリン(樺太)で30日、日本の統治時代に敷設された規格の線路で最後の列車が運行された。サハリンでは日本の線路幅の狭軌(1067ミリ)からロシア規格の広軌(1520ミリ)への全面改修が15年以上続き、10月中に完工予定。作家宮沢賢治も乗り、代表作「銀河鉄道の夜」の着想を得たといわれる日本統治時代の鉄路は幕を閉じる。 日露戦争(1904~05年)で勝利し、北緯50度以南の樺太を譲与された日本は、本土と同じ狭軌で鉄道網を整備。総距離は700キロ以上に及んだ。第2次大戦末期の45年8月に南樺太に侵攻した旧ソ連は、終戦後も日本の線路や機関車など鉄道インフラを使い続け、北部に線路を延伸した。 しかし線路や橋、信号機が老朽化し、サハリンと大陸を結ぶ鉄道橋の建設構想も議論される中、国営ロシア鉄道はサハリンだけが狭軌だった線路幅を、全土と同じ広軌に改修する工事に2003年から着手。政府の支援も受けて鉄道インフラ刷新を進めてきた。  30日は狭軌が残る最後の区間となったサハリン西部ホルムスク(真岡(まおか))に近い、旧豊真(ほうしん)線の一部のポリャコボ(手井(てい))―ニコライチュク(池の端(いけのはた))の約8キロを最終列車が走行。共同通信と一部地元メディアが同乗を認められた。<映像内容> 最後の列車の運行の様子、車内の様子、雑観など、撮影日:2020(令和2)年10月1日、撮影場所:ロシア極東サハリン西部ホルムスク

    撮影: 2020(令和2)年10月1日

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    2020年08月29日
    信濃毎日新聞などの紙面 日露戦争テーマに展示会

    28日、ロシア西部イワノボ州のイワノボ国立歴史郷土博物館で展示された信濃毎日新聞の紙面(右下)など(共同)

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    2020年08月29日
    展示会に集まった人たち 日露戦争テーマに展示会

    28日、日露戦争をテーマにした展示会に集まった地元の人々=ロシア西部イワノボ州のイワノボ国立歴史郷土博物館(共同)

    撮影: ロシア西部イワノボ州のイワノボ国立歴史郷土博物館

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    2020年08月29日
    愛媛新聞の紙面 日露戦争テーマに展示会

    28日、ロシア西部イワノボ州のイワノボ国立歴史郷土博物館で展示された愛媛新聞の紙面(共同)

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    2020年05月09日
    写真が見つかった民家物置 日露戦争の捕虜写真発見

    ロシア西部イワノボ州で、日露戦争時代の捕虜の写真が見つかった自宅の物置を案内するエブゲニー・ロジャノフさん=2月(共同)

    撮影: 2月

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    2020年05月09日
    日露戦争の捕虜写真発見

    ロシア・イワノボ州、モスクワ

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    2020年05月09日
    日露戦争の捕虜写真発見

    ロシア・イワノボ州、モスクワ

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    2020年05月09日
    日露戦争の捕虜写真発見

    ロシア・イワノボ州、モスクワ

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    2020年05月09日
    日露戦争の捕虜写真発見

    ロシア・イワノボ州、モスクワ

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    2019年04月13日
    岡山県新庄村 「がいせん桜」が見頃

    ピンク色のアーチをつくった「がいせん桜」=岡山県新庄村。岡山県新庄村中心部の「がいせん桜」が見頃を迎えた。宿場町の面影が残る通りにピンク色のアーチが架かり、山里の遅い春を観光客が満喫している。旧出雲街道沿い約400メートルに、ほぼ5メートルおきに並ぶソメイヨシノ132本。愛称は、日露戦争の戦勝記念に植えられたことにちなむ。=2019(平成31)年4月13日、岡山県新庄村、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ

    撮影: 2019

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    2019年04月08日
    ガリュチェンコさん

    日露戦争中の捕虜収容所を舞台にした恋愛映画に主演したロデオン・ガリュチェンコさん

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    03:29.10
    2018年07月07日
    「新聞が伝えた明治」展 ニュースパークで始まる

    明治維新150年を記念し、大日本帝国憲法公布や日清・日露戦争など明治時代の重要な出来事を当時の新聞紙面で振り返る企画展「新聞が伝えた明治―近代日本の記録と記憶」が7日、横浜市中区のニュースパーク(日本新聞博物館)で始まった。日本初の日刊新聞「横浜毎日新聞」の創刊号の複製や、当時の新聞記者を描いた錦絵などもあり、展示資料は計約300点。1896(明治29)年の明治三陸地震で、地元の岩手広報が被害状況を伝えた紙面もある。〈映像内容〉展示の模様、博物館の担当主観見学芸員の赤木孝次さんインタビュー、撮影日:2018(平成30)年7月7日、撮影場所:神奈川県 横浜市 中区

    撮影: 2018(平成30)年7月7日

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    2018年04月05日
    がいせん桜 見頃

    江戸時代の宿場の趣を残す町並みと山里の空を覆うように咲いた桜がマッチし、観光客らが薄紅色に染まった“花のトンネル”をくぐり抜けている。日露戦争勝利を記念し1906(明治39)年、旧出雲街道沿いの約400メートル区間に植えられたソメイヨシノで132本が並ぶ。=2018(平成30)年4月5日、岡山県新庄村、クレジット:山陽新聞社/共同通信イメージズ

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    2018年02月06日
    近代の自立の道を求めて

    日露戦争で活躍した戦艦三笠を展示する三笠公園。東郷平八郎の銅像も=神奈川県横須賀市

    撮影: 神奈川県横須賀市

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    2017年10月20日
    日露戦争の軍事郵便44通

    中国・旅順(現大連市)

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    2017年10月20日
    日露戦争の軍事郵便44通

    中国・旅順(現大連市)

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    2017年10月20日
    日露戦争の軍事郵便44通

    中国・旅順(現大連市)

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    2017年10月20日
    日露戦争の軍事郵便44通

    中国・旅順(現大連市)

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    2017年05月08日
    時空超え平和を体感

    日露戦争で活躍した戦艦三笠を展示する三笠公園。東郷平八郎の銅像も=神奈川県横須賀市

    撮影: 神奈川県横須賀市

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    2016年12月15日
    献花する首相夫人 日ロ兵士の墓碑に献花

    日露戦争で死没したロシア兵が眠る墓碑に献花する安倍昭恵首相夫人と大西倉雄市長。奥中央は日本兵を弔う墓碑=15日午前、山口県長門市

    撮影: 15日午前、山口県長門市

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    2016年12月15日
    墓碑訪れた安倍首相夫人 日ロ兵士の墓碑慰霊

    日露戦争で死没したロシア兵が眠る墓碑(右)と日本兵が眠る墓碑の慰霊に訪れた安倍昭恵首相夫人(中央)=15日午前、山口県長門市

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    2016年12月15日
    手を合わせる安倍首相夫人 日ロ兵士の墓碑慰霊

    日露戦争で死没したロシア兵が眠る墓碑に手を合わせる安倍昭恵首相夫人=15日午前、山口県長門市

    撮影: 15日午前、山口県長門市

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    2016年12月15日
    献花する安倍首相夫人 日ロ兵士の墓碑慰霊

    日露戦争で死没したロシアの兵士が眠る墓碑に献花する安倍昭恵首相夫人=15日午前、山口県長門市

    撮影: 15日午前、山口県長門市

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    2016年12月12日
    ロシア兵と日本兵の墓 戦没ロシア兵、国超え慰霊

    日露戦争で死没したロシア兵の墓碑(左)と、撃沈された「常陸丸」の日本兵の墓碑=12日午後、山口県長門市

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    2016年12月12日
    二つの墓碑 戦没ロシア兵、国超え慰霊

    日露戦争で死没したロシア兵の墓碑(手前)と、撃沈された「常陸丸」の日本兵の墓碑=12日午後、山口県長門市

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    2015年11月04日
    神奈川県,江の島の児玉神社

    キーワード:スティルライフ、屋外、看板、建物、午前中、江の島、児玉源太郎、秋、神社、鳥居、日本、入り口、風景、無人、歴史人物、日露戦争、児玉神社、風景メイン写真=2015(平成27)年11月4日、神奈川県藤沢市、クレジット:Keiji Kaneda/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    撮影: 2015

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    2015年02月13日
    ロシア兵の墓 大阪にロシア兵墓地

    日露戦争で日本の捕虜となったロシア兵の墓=10日、大阪府泉大津市

    撮影: 10日、大阪府泉大津市

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    2014年11月03日
    ロシア人墓地

    キーワード:ロシア人墓地、屋外、秋、心、素朴な、昼、日本、風景、捕虜、墓、墓石、無人、ロシア兵、日露戦争、風景メイン写真=2014(平成26)年11月3日、愛媛県松山市、クレジット:Shinobu Soga/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    撮影: 2014

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    2014年02月09日
    太平洋艦隊関係者 日露戦争の沈没艦慰霊

    9日、ロシア・ウラジオストクで開かれたワリャク乗組員の慰霊祭で、あいさつする太平洋艦隊の関係者(共同)

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    2014年02月09日
    戦死者を悼む慰霊碑 日露戦争の沈没艦慰霊

    日露戦争で戦死した防護巡洋艦ワリャクの水兵らを悼む慰霊碑=9日、ロシア・ウラジオストク(共同)

    撮影: 9日、ロシア・ウラジオストク

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    2012年02月19日
    長崎県・対馬 対馬要塞機雷

    日露戦争後、戦勝記念に海軍から贈られたとされる住吉神社の機雷=2012(平成24)年2月頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    撮影: 2012

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    2012年02月01日
    万世橋駅の惨状 関東大震災と東京の復興

    1923(大正12)年9月、中央線万世橋駅の惨状。辰野金吾設計の赤れんが造りの駅舎は壁を残して焼け落ちた。中央は日露戦争の「軍神」広瀬武夫中佐と杉野孫七兵曹長の銅像。1936(昭和11)年、駅前に鉄道博物館が移転し、1943(昭和18)年には駅が廃止され建物は博物館専用に。同博物館は戦後「交通博物館」となった。

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    2012年01月14日
    乃木希典の直筆手紙 「戦死者多く」と自責

    札幌市内で見つかった、日露戦争の陸軍司令官乃木希典の直筆の手紙

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    2010年05月31日
    日露戦争の資料を公開 「坂の上の雲」企画展

    203高地攻略の際の状況を説明する平塚館長=31日午後、陸上自衛隊旭川駐屯地

    撮影: 31日午後、陸上自衛隊旭川駐屯地

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    2009年12月07日
    開戦直前作成された同盟案 ロシアの戦争回避案を黙殺

    日露戦争直前に作成された日露同盟案。「5.日本とロシアの同盟」と題された章とベゾブラーゾフの署名

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    2009年12月07日
    砲撃する日本軍 ロシアの戦争回避案を黙殺

    日露戦争で旅順港のロシア軍を砲撃する日本軍=1904年(共同)

    撮影: 1904年

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    2009年10月20日
    電報と司馬さんのサイン 日露戦争の電報を公開

    公開された日露戦争の戦況を伝える電報(右)と司馬遼太郎さんのサイン=20日午後、大阪府東大阪市の司馬遼太郎記念館

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    2009年10月20日
    電報と司馬さんのサイン 日露戦争の電報を公開

    公開された日露戦争の戦況を伝える電報(右)と司馬遼太郎さんのサイン=20日午後、大阪府東大阪市の司馬遼太郎記念館

  • 2009年09月01日
    朝鮮中央通信資料 「北関大捷碑」切手を発行

    北朝鮮で発行された「北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)」の記念切手。豊臣秀吉が朝鮮半島に送った兵を現地の義兵が破ったことを記念して建てられた北関大捷碑は日露戦争中に日本に持ち込まれたが、2006年に韓国経由で北朝鮮側の元の位置に戻された=2009年9月1日(朝鮮中央通信=共同)

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    2008年10月18日
    上陸記念碑跡とプラント 年明けに日本へ輸出開始

    日露戦争での旧日本軍上陸記念碑跡(右)がある丘から望んだロシア・サハリン南部のLNGプラント=1日(共同)

  • 2008年03月10日
    銃見せる稲葉教授ら 明石大佐調達の銃日本へ

    明石元二郎大佐が日露戦争中に欧州で調達したライフル銃を見せるヤコブスタード市立歴史博物館のビョルクルンド館長(右)と名城大の稲葉千晴教授=1月、ヘルシンキ大(共同)

  • 2006年03月01日
    朝鮮中央通信資料 北関大捷碑が北朝鮮に帰郷

    北朝鮮の開城で開催された北関大捷碑の引き渡し記念式典。同石碑は、豊臣秀吉が朝鮮半島に送った兵を、現地の義兵が破ったことを記念して建てられ、日露戦争中に日本に持ち込まれたとされる=2006年3月1日(朝鮮中央通信=共同)

    撮影: 2006年3月1日

  • 2006年03月01日
    朝鮮中央通信資料 北関大捷碑が北朝鮮に帰郷

    北朝鮮の開城で引き渡された北関大捷碑。同石碑は、豊臣秀吉が朝鮮半島に送った兵を、現地の義兵が破ったことを記念して建てられ、日露戦争中に日本に持ち込まれたとされる=2006年3月1日(朝鮮中央通信=共同)

    撮影: 2006年3月1日

  • 2005年08月02日
    日露戦争から問う戦後60年

    又吉盛清さん

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    2004年11月02日
    献花する露大使ら ロシア人墓地で慰霊祭

    ロシア人墓地で営まれた日露戦争開戦100年を記念した慰霊祭で献花するロシュコフ駐日ロシア大使(左端)=2日午前、松山市

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    2004年10月23日
    奉天に入場する日本軍 日本軍作戦を事前に察知

    日露戦争の奉天(現中国瀋陽)での戦いでロシア軍を破り、入場する日本軍=1905年3月15日(共同)

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    2004年09月18日
    松山市のロシア人墓地 ロシア人墓地で慰霊祭

    日露戦争開戦100年の11月2日、慰霊祭が開かれる松山市のロシア人墓地

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    2004年08月28日
    びょうぶに張られた原稿 日露戦争伝える原稿を展示

    水墨画を張ったびょうぶの上に張られた電報送達紙の説明をする「骨董の館」の永井幹生館長=7月、宮崎県綾町

    撮影: 7月、宮崎県綾町

  • 2004年06月17日
    京口和雄さん

    日露戦争の墓地の清掃を20年続ける「松山ロシア人墓地保存会」会長の京口和雄(きょうぐち・としお)さん

  • 2004年04月06日
    里帰りした楽器 1世紀後ロシアから里帰り

    日露戦争で捕虜になった日本兵の手製楽器を持つワシーリッチ氏(右)と修理する和楽器製造会社の大滝進一郎社長=6日午後、東京・永田町の憲政記念館

  • 2004年03月19日
    握手する日ロ参加者 子孫がきずな深め握手

    19日、ロシア・サンクトペテルブルクに保存されている「オーロラ号」内で握手を交わす、「三笠」保存会の沖為雄副会長(左)と日露戦争遺族会のアブラーモフ代表(共同)

  • 2004年03月02日
    保坂宗子さん

    ロシアの日露戦争遺族会と初めて交流する東郷平八郎元帥のひ孫、保坂宗子(ほさか・むねこ)さん

  • 2004年02月10日
    参拝する亀井氏ら 自・民両党で明治神宮参拝

    明治神宮を参拝する「日露戦争に学ぶ会」の国会議員ら。中央左は自民党の亀井静香元政調会長=10日午前、東京都渋谷区

    撮影: 10日午前、東京都渋谷区

  • 2004年02月07日
    コルバコフさんと作品 日露戦争の連作に挑む

    従軍画家ベレシチャーギンを描いた大作の前に立つコルバコフさん。左手前は制作中の東郷平八郎・連合艦隊司令長官の肖像画(共同)

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    2004年01月20日
    ロシア初の潜水艇 潜水艇開発で必死の情報戦

    日露戦争のために建造され、ウラジオストクに配備されたロシア初の潜水艇デリフィン号(ルビン社「ロシアの潜水艦」より)(共同)

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    2000年12月21日
    日露戦争の日本軍 20世紀は「戦争の世紀」

    日露戦争 二○三高地(現、中国遼寧省大連市)を目指して進む日本軍=1904年

  • 1999年11月01日
    ちょうちん行列のスケッチ 若き夢二の日記見つかる

    竹久夢二が描いた日露戦争の祝勝ちょうちん行列

  • 1999年11月01日
    旭日旗を持つ女性 若き夢二の日記見つかる

    竹久夢二が描いた日露戦争当時の世相を反映した旭日旗を持つ女性と子供

  • 1998年05月25日
    日露戦争後の大相場で勝利

    野村証券の創業者、野村徳七

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    1997年04月18日
    日本人墓地の発掘作業 日本人墓地を発掘

    本格的な遺骨収拾に向けて行われた台北市北部の旧日本人墓地の発掘=17日午前、台北(共同)(台湾の台北市当局は、都市再開発に伴い市北部にある林森北路近くの旧日本人墓地の発掘作業を開始、現在も墓の痕跡を残している六つのうち、日露戦争で旅順を攻略した乃木希典大将の母の墓など5つを日本人僧りょらの立ち会いの下で掘り、石棺一つを収容した)

    撮影: 17日午前、台北

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    1996年05月15日
    東鶏冠山の要さい 中国遼寧省の旅順を初公開

    初公開された日露戦争の激戦地・東鶏冠山に残る帝政ロシア軍要さいの中の2階建て兵舎跡。2階の床が抜け落ちている=15日午後、中国遼寧省(共同)

    撮影: 15日午後、中国遼寧省

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    1996年05月15日
    東鶏冠山の要さい 中国遼寧省の旅順を初公開

    初公開された日露戦争の激戦地・東鶏冠山に残る帝政ロシア軍要さいの中の2階建て兵舎跡。2階の床が抜け落ちている=15日午後、中国遼寧省(共同)

    撮影: 15日午後、中国遼寧省

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    1996年05月15日
    弾痕残る要さい 中国遼寧省の旅順を初公開

    日露戦争の激戦地・東鶏冠山の帝政ロシア軍の要さい。今も壁の弾痕が生々しい=15日午後、中国遼寧省・旅順(共同)(カラーネガ)

    撮影: 15日午後、中国遼寧省・旅順

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    1996年05月15日
    弾痕残る要さい 中国遼寧省の旅順を初公開

    日露戦争の激戦地・東鶏冠山の帝政ロシア軍の要さい。今も壁の弾痕が生々しい=15日午後、中国遼寧省・旅順(共同)(カラーネガ)

    撮影: 15日午後、中国遼寧省・旅順

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    1995年06月08日
    チジョフ駐日大使が参列 鳥取でロシア兵の慰霊祭

    日露戦争で戦死したロシア兵士の墓前でめい福を祈るチジョフ駐日ロシア大使夫妻(右から3人目)ら=1995年6月8日、鳥取県・岩美町

  • 1993年10月12日
    エリツィン大統領 全抑協会長と会見

    エリツィン・ロシア大統領(左)に日ロ戦争を記録した本をプレゼントする全国抑留者補償協議会の斎藤六郎会長=12日午後、東京・麻布台のロシア大使館

  • 1993年01月06日
    藤井較一・軍人

    藤井較一・海軍幹部第2艦隊参謀長・大佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より・半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    山本安次郎・軍人

    山本安次郎・海軍幹部、連合艦隊機関長・機関総監=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より・半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    斎藤孝至・軍人

    斎藤孝至・海軍幹部・第3艦隊参謀長・大佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より・半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    木佐木幸輔・軍人

    木佐木幸輔・海軍幹部、人事局長、機関中艦=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より、半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    丸山寿美太郎・軍人

    丸山寿美太郎・海軍幹部、大本営参謀、少佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より、半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    江頭安太郎・軍人

    江頭安太郎・海軍幹部・大本営参謀・大佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より・半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    飯田久恒・軍人

    飯田久恒・海軍幹部、連合艦隊参謀、少佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より、半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    森越太郎・軍人

    森越太郎・海軍幹部、大本営参謀、中佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より、半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    永田泰次郎・軍人

    永田泰次郎・海軍幹部・連合艦隊副官・中佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式から・半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    佐野常羽・軍人

    佐野常羽・海軍幹部、軍令部副官、少佐=1905(明治38)年10月22日、日露戦争凱旋奉告式より、正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    佐々木高志・軍人

    佐々木高志・海軍幹部、軍令部副官、少佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より、半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    高木七太郎・軍人

    高木七太郎・海軍幹部・大本営参謀・中佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より・半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    財部彪・軍人

    財部彪・海軍幹部、大本営参謀、大佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より、・半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    名和又八郎・軍人

    名和又八郎・海軍幹部・人事局員・大佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より・半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1993年01月06日
    船越桿四郎・軍人

    船越桿四郎・海軍幹部、第2艦隊副官、中佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より、半・正・複・

    撮影: 1905

  • 1989年08月05日
    写真が生まれて150年

    1904(明治37)年、日露戦争で、陸地測量部の小倉倹可が撮影したPOPによる中国東北地方、大石橋の戦死者(ペンタックスカメラ博物館蔵)

  • 1989年07月08日
    新井神社の日露戦争記念碑 活動やや活発に

    地震によってずれ動いた新井神社の「日露戦争記念碑」=1989(平成元)年7月8日午後1時40分、静岡県伊東市新井

    撮影: 1989

  • 1980年12月22日
    「ナヒモフ号」の主砲など公開へ

    展示公開のため陸揚げされる「ナヒモフ号」の主砲。バルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、日露戦争の日本海海戦で日本の連合艦隊に対馬海峡で撃沈され、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられ、引き揚げ作業が続いている=1980(昭和55)年12月22日、東京都品川区東八潮の船の科学館(55年内地11512)

    撮影: 1980

  • 1980年12月09日
    公開された「ナヒモフ号」の主砲

    12月1日に引き揚げられ、潜水作業台船テンオー号の船上で公開された「ナヒモフ号」の主砲。バルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、日露戦争の日本海海戦で日本の連合艦隊に対馬海峡で撃沈され、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられ、引き揚げ作業が続いている=1980(昭和55)年12月9日、長崎県上対馬町の比田勝港

    撮影: 1980

  • 1980年10月11日
    引き揚げられたインゴットなど公開

    「ナヒモフ号」から新たに引き揚げられ、表面が磨き上げられたインゴット。バルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、日露戦争の日本海海戦で日本の連合艦隊に対馬海峡で撃沈され、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられ、引き揚げ作業が続いている=1980(昭和55)年10月11日、長崎県上対馬町の梅屋旅館

    撮影: 1980

  • 1980年10月11日
    引き揚げられたインゴットなど公開

    「ナヒモフ号」から新たに引き揚げられたインゴットとネーム・プレートを公開し、記者会見するサルベージ会社日本海洋開発の玉内克己社長。バルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、日露戦争の日本海海戦で日本の連合艦隊に対馬海峡で撃沈され、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられ、引き揚げ作業が続いている=1980(昭和55)年10月11日、長崎県上対馬町の梅屋旅館

    撮影: 1980

  • 1980年10月11日
    引き揚げられたインゴットなど公開

    「ナヒモフ号」からインゴット16本とともに引き揚げられたネーム・プレート。機械の部品についていたとみられる。バルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、日露戦争の日本海海戦で日本の連合艦隊に対馬海峡で撃沈され、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられ、引き揚げ作業が続いている=1980(昭和55)年10月11日、長崎県上対馬町の梅屋旅館

    撮影: 1980

  • 1980年10月11日
    引き揚げられたインゴットなど公開

    「ナヒモフ号」から新たに引き揚げられたインゴット16本とネーム・プレートを公開するサルベージ会社日本海洋開発の玉内克己社長。1番上のインゴットは引き揚げ後、表面が磨き上げられている。バルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、日露戦争の日本海海戦で日本の連合艦隊に対馬海峡で撃沈され、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられ、引き揚げ作業が続いている=1980(昭和55)年10月11日、長崎県上対馬町の梅屋旅館

    撮影: 1980

  • 1980年10月05日
    「ナヒモフ号」引き揚げ続行を表明

    「ナヒモフ号」から引き揚げたプラチナかと思われるインゴットを手に、引き揚げ作業の続行を指示したと語る笹川良一・日本船舶振興会会長。日露戦争で沈没したバルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられ、笹川氏が資金を出し、引き揚げ作業が続いている=1980(昭和55)年10月5日、東京・船の科学館(55年内地8992)

    撮影: 1980

  • 1980年10月04日
    「ナヒモフ号」の“財宝”で笹川氏が会見

    「ナヒモフ号」の“財宝”問題で記者会見する笹川良一・日本船舶振興会会長。日露戦争で沈没したバルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられ、笹川氏が資金を出し、引き揚げ作業が続いている=1980(昭和55)年10月4日、東京・三田の笹川記念館(55年内地8968)

    撮影: 1980

  • 1980年09月19日
    「ナヒモフ号」からインゴット

    「ナヒモフ号」から引き揚げられたプラチナかと思われるインゴットを公開するサルベージ会社日本海洋開発の玉内克己社長。バルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、日露戦争の日本海海戦のさい日本の連合艦隊に対馬海峡で撃沈され、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられている=1980(昭和55)年9月19日、長崎県上対馬町

    撮影: 1980

  • 1980年09月19日
    「ナヒモフ号」からインゴット

    「ナヒモフ号」から引き揚げられたプラチナかと思われるインゴットに刻印されたいかりのマーク。ロシア海軍の刻印とみられる。バルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、日露戦争の日本海海戦のさい日本の連合艦隊に対馬海峡で撃沈され、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられている=1980(昭和55)年9月19日、長崎県上対馬町

    撮影: 1980

  • 1980年09月19日
    「ナヒモフ号」からインゴット

    「ナヒモフ号」から引き揚げられたプラチナかと思われるインゴット。バルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」は、日露戦争の日本海海戦のさい日本の連合艦隊に対馬海峡で撃沈され、“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられている=1980(昭和55)年9月19日、長崎県上対馬町

    撮影: 1980

  • 1980年09月16日
    “財宝”探して潜水開始

    対馬海峡で沈没したバルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」の引き揚げで、確認作業のため潜水士2人が乗り込み海底に降ろされるフランス製潜水装置「ベル」。「ナヒモフ号」は、日露戦争で“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられている=1980(昭和55)年9月16日、長崎県・対馬の比田勝港沖合

    撮影: 1980

  • 1980年09月16日
    “財宝”探して潜水開始

    対馬海峡で沈没したバルチック艦隊の装甲巡洋艦「ナヒモフ号」の引き揚げ作業に入った最新鋭潜水作業台船テンオー号。「ナヒモフ号」は、日露戦争で“帝政ロシアの財宝”を積んだまま沈没したのではないかとみられている=1980(昭和55)年9月16日、長崎県・対馬の比田勝港沖合

    撮影: 1980

  • 1977年01月02日
    宗方小太郎の各種資料 “大物スパイ”の情報集公開

    宗方小太郎が当時の日本海軍軍令部へ送った調査報告書(上方)と孫文から宗方に宛てた手紙。日清、日露戦争期を中心に明治、大正にわたる約40年間、日本海軍の密命を帯びて中国大陸を舞台にスパイ活動を行った宗方の「調査報告書」や書簡類が遺族から国立国会図書館に寄贈された(52年内地 039)

  • 1976年08月18日
    乃木大将の手紙 乃木大将が“スキー奨励”

    「スキー資料館」に寄贈された乃木希典大将の手紙。日露戦争の名将乃木大将が、スキーの軍事的要素に着目、当時の陸軍関係者に資料を送っていた。長野県・野沢温泉村に建設中のスキー資料館に寄贈された「坂部コレクション」の中から見つかった

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    1945年03月06日
    山縣元帥初渡満

    満州軍野戦司令部を訪問の山縣有朋元帥(左の馬上)を迎える満州軍司令官の大山巌元帥(敬礼の右)と満州軍参謀長の児玉源太郎大将(同左)=出稿1945(昭和20)年3月6日(日露戦争当時の資料写真)

  • 1944年05月30日
    大山元帥出征

    1904年、日露戦争で宇品より出征する満州派遣軍総司令大山巌元帥=整理1944(昭和19)年5月(番号なし)

    撮影: 整理1944

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