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1968年03月06日阿賀野川有機水銀中毒 新潟水俣病荒れ果てた阿賀野川下流。舟も網も朽ち、漁をする人影もない=1968(昭和43)年3月(43年国内1345)
商品コード: 2005113000296
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1968年09月22日水俣病資料熊本、水俣市百間のチッソ工場排水溝水門、ここからかつて有機水銀が流れた=1968(昭和43)年9月22日
商品コード: 2005113000283
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胎児性患者・田中実子さん(18歳)は昭和30年発病なのにやっと昨年12月に認定。熊本県水俣市の株式会社チッソが製造していたアセトアルデヒド(化学製品の原料になる)をつくる工程で触媒として用いた水銀が、工場排水として自然界に流され、それが有機水銀(メチル水銀)となり、生物濃縮で高濃度になった魚介類をたくさん食べた人から発症した(1956年頃が発生のピーク)。おもな症状は、感覚障害、運動失調、視野狭窄(きょうさく)、聴力障害などで、ひどい場合は脳を冒し、死に至る。また母親が妊娠中に水銀で汚染された魚介類を食べた場合、胎児水俣病が発症することがある。<映像内容>生まれたときから何もできず座っているだけの水俣病患者 抗議デモ 企業側との自主交渉 多量の水銀を含む工業排水 大石環境庁長官水俣訪問15歳の胎児性患者、※撮影日不明・公開日:1972年(昭和47年)3月10日、クレジット:中日映画社/共同通信イメージズ ※高ビットレート素材あり、要問い合わせ ※テレビ番組利用の場合は、別途お問合わせ下さい。
商品コード: 2017112100393
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1975年10月20日チッソ本社など十カ所捜索水俣病患者の告訴により、業務上過失致死の容疑で関係書類を調べる熊本県警の係官。「チッソ水俣工場の排水に含まれる有機水銀化合物が水俣病の原因であることを知りながら、43年まで故意に排水を流し、多数の患者を発生させた」と当時の社長らを告訴=1975(昭和50)年10月20日、東京・丸の内のチッソ東京本社
商品コード: 2013040800268
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被害の舞台で「ノーモア・ミナマタ」の文字―。水俣病問題の全面解決を求める被害者団体が26日、かつて原因物質の有機水銀が排出された熊本県水俣市沖の八代海(不知火海)に9隻の船を出し、海上アピールを行った。国と熊本県、原因企業のチッソに損害賠償を求めて係争中の「水俣病不知火患者会」(約1970人)が企画し、各船が2.6メートル四方の青いシートに描かれた白い文字を1文字ずつ掲げた。水俣病は公式確認から51年が経過した今も救済を求める声がやまず、認定申請者は熊本、鹿児島、新潟の3県で5000人を超えている<映像内容>海上アピールをする被害者団体、決起集会の会場内の様子、一部空撮、撮影日:2007(平成19)年8月26日、撮影場所:熊本県水俣市沖
商品コード: 2020021405433
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2016年03月12日シンポジウムの参加者 住民健康調査へ署名集め有機水銀による環境汚染をテーマに開かれたシンポジウム=12日午後、熊本県水俣市
商品コード: 2016031200418
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