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「本庄繁」の写真・映像

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  • 1931年08月01日
    日本電報通信社資料

    陸軍定期異動による官職伝達式に臨む各将官。前列右から佐藤子之助中将、真崎甚三郎中将、緒方勝一大将、本庄繁中将、後列右から坂本政右衛門、広瀬寿助、西義一、林仙之の各中将=1931(昭和6)年8月1日、首相官邸(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1931080100003

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    1931年09月19日
    日本電報通信社資料

    柳条湖事件(満州事変)時の満蒙における関東軍の首脳ら。関東軍司令官の本庄繁中将

    商品コード: 1931091900005

  • 1931年12月23日
    日本電報通信社資料

    関東軍司令官の本庄繁陸軍中将の揮毫(きごう)=1931(昭和6)年12月23日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1931122300002

  • 1931年12月23日
    日本電報通信社資料

    関東軍司令官の本庄繁陸軍中将の揮毫(きごう)=1931(昭和6)年12月23日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1931122300001

  • 1932年01月01日
    日本電報通信社資料

    本庄繁・関東軍司令官=1932(昭和7)年1月1日撮影(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2014050400081

  • 1932年01月20日
    日本電報通信社資料

    満州出征兵士の安泰を祈願し参拝した歴代天皇御陵の記念の御朱印を「本庄繁関東軍司令官に差し上げて下さい」と荒木貞夫陸相に差し出す大阪市天王寺小5年生の東村日出子さん=1932(昭和7)年1月20日、東京・永田町の陸相官邸(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2014091200254

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    1932年04月30日
    リットン調査団、関東軍司令部を訪問

    1931年9月18日に中国・奉天(現・瀋陽)付近の南満州鉄道(満鉄)線路の爆破事件、いわゆる柳条湖事件が発生。これをきっかけに、満州事変が勃発し、翌年満州国が建国された。事件は関東軍の謀略とされる。爆破事件と満州国実態調査のため国際連盟が派遣したリットン調査団は、日本と中華民国を経て、現地の関東軍司令部を訪れた。中央が団長のリットン卿。その右が本庄繁・関東軍司令官=1932年4月(撮影日不詳)、中国・奉天(現・瀋陽)

    商品コード: 2010121500525

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    1932年09月05日
    日本電報通信社資料

    前関東軍司令官本庄繁中将らを乗せ神戸に入港するうすりい丸=1932(昭和7)年9月5日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932090100003

  • 1932年09月05日
    日本電報通信社資料

    帰国し、うすりい丸の甲板で出迎えの人と乾杯する前関東軍司令官の本庄繁中将(左手前、グラスを手にする横顔の人物)=1932(昭和7)年9月5日、神戸港(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932090500002

  • 1932年09月05日
    本庄凱旋将軍一行

    凱旋した本庄繁将軍一行が、神戸港着=1932(昭和7)年09月5日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2016101400467

  • 1932年09月05日
    本庄凱旋将軍一行

    凱旋した本庄繁将軍一行、神戸港着=1932(昭和7)年09月5日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2016101400468

  • 1932年09月05日
    本庄凱旋将軍一行

    凱旋した本庄繁将軍ら、うすりい丸の甲板上で出迎えの要人らと乾杯=1932(昭和7)年09月5日、神戸港(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2016101400469

  • 1932年09月06日
    本庄将軍、桃山御陵参拝

    本庄繁将軍、桃山御陵参拝=1932(昭和7)年09月06日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2016101900083

  • 1932年09月08日
    日本電報通信社資料

    大歓迎の中、東京駅に着いた前関東軍司令官の本庄繁中将ら5将軍=1932(昭和7)年9月8日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932090800013

  • 1932年09月08日
    日本電報通信社資料

    前関東軍司令官の本庄繁中将ら5将軍が凱旋。沿道の歓迎を受け馬車5台を列ねて東京駅前から宮城へ=1932(昭和7)年9月8日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932090800001

  • 1932年09月08日
    日本電報通信社資料

    帝都に凱旋した前関東軍司令官の本庄繁中将(左)=1932(昭和7)年9月8日、東京駅前(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932090800002

  • 1932年09月08日
    日本電報通信社資料

    凱旋し、1年ぶりに帰宅した前関東軍司令官本庄繁中将。右からうめ子夫人、本庄中将、父親常右衛門さん、母堂。後方は令息、令嬢ら=1932(昭和7)年9月8日、東京市外中野町の自宅(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015071900071

  • 1932年09月08日
    日本電報通信社資料

    前関東軍司令官本庄繁中将(玄関前の着帽の人物)の凱旋を提灯行列で祝う中野町民たち=1932(昭和7)年9月8日、東京市外中野町の本庄邸(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015071900072

  • 1932年09月08日
    日本電報通信社資料

    帝都に凱旋した前関東軍司令官本庄繁中将(一歩前で敬礼)ら5将軍=1932(昭和7)年9月8日、東京駅(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015071900092

  • 1932年09月08日
    日本電報通信社資料

    御料馬車5台を連ね宮城に向かう本庄繁中将ら凱旋将軍たち=1932(昭和7)年9月8日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015071900104

  • 1932年09月11日
    日本電報通信社資料

    靖国神社に参拝する前関東軍司令官本庄繁中将(左から3人目)=1932(昭和7)年9月11日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015072000096

  • 1932年09月13日
    日本電報通信社資料

    斎藤実首相(1段目左)主催の歓迎午餐会に臨む本庄繁中将(その右)ら凱旋将軍たち=1932(昭和7)年9月13日、首相官邸(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932091300002

  • 1932年09月13日
    日本電報通信社資料

    中央満蒙協会主催の本庄繁将軍(中央)一行及び関係者の招待会=1932(昭和7)年9月13日、東京会館(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015072000111

  • 1932年09月16日
    日本電報通信社資料

    満州国承認祝賀会。本庄繁中将(着席者の左から2人目)ら凱旋将軍一行を招待し、開かれた水野錬太郎氏主催の晩餐会=1932(昭和7)年9月16日、東京・丸の内の東京会館(日本電報通信社撮影)※水野本人は写っていない

    商品コード: 2015072200284

  • 1932年09月19日
    日本電報通信社資料

    満州国承認祝賀学生大会。馬上の本庄繁将軍=1932(昭和7)年9月19日、宮城前(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015072200307

  • 1932年10月21日
    日本電報通信社資料

    陸相主催で満州国答礼専使の謝介石・外交総長の招待晩餐会。左から南弘陸軍大将、謝氏、内田康哉外相、荒木貞夫陸相。後列中央軍服姿は真崎甚三郎陸軍参謀次長(右)と本庄繁陸軍中将(左)=1932(昭和7)年10月21日、陸相官邸(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015080500327

  • 1932年11月27日
    日本電報通信社資料

    陸軍特別大演習陪観、軍事視察を終え、帰国の途につく満州国軍政部総長・張景恵氏(左から3人目)と侍従武官長・張海鵬氏(その右)一行。右端は見送りの本庄繁・前関東軍司令官、左端は真崎甚三郎参謀次長=1932(昭和7)年11月27日、東京駅(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015081900840

  • 1932年12月31日
    リットン調査団、関東軍司令部を訪問

    1931年9月18日に中国・奉天(現・瀋陽)付近の南満州鉄道(満鉄)線路の爆破事件、いわゆる柳条湖事件が発生。これをきっかけに、満州事変が勃発し、翌年満州国が建国された。事件は関東軍の謀略とされる。爆破事件と満州国実態調査のため国際連盟が派遣したリットン調査団は、日本と中華民国を経て、現地の関東軍司令部を訪れた。中央が団長のリットン卿。その右が本庄繁・関東軍司令官=1932年4月(撮影日不詳)、中国・奉天(現・瀋陽)

    商品コード: 2003112600039

  • 1933年04月06日
    日本電報通信社資料

    侍従武官長になった本庄繁参議官=1933(昭和8)年4月6日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1933040600003

  • 1933年05月04日
    日本電報通信社資料

    聖上陛下、立川の陸軍航空本部技術部へ行幸。立川駅御着の天皇陛下。後方左は鈴木貫太郎侍従長、右は本庄繁侍従武官長=1933(昭和8)年5月4日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015112000267

  • 1938年04月19日
    本庄繁、軍人

    本庄繁、陸軍大将、関東軍司令官=1938(昭和13)年4月19日整理

    商品コード: 2010101800352

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    2006年11月22日
    リットン調査団関東軍訪問 激動の歴史今に伝える

    満鉄の線路爆破で始まった「満州事変」は関東軍の謀略とされる。リットン調査団はその関東軍の司令部も訪れた。中央が団長のリットン卿。その右が本庄繁・関東軍司令官=1932年4月、奉天(現瀋陽)

    商品コード: 2006112200295

  • 2018年09月14日
    鈴木侍従長と本庄武官長も 天皇が霧島神宮を参拝

    1935(昭和10)年11月16日、陸軍特別大演習統監のため鹿児島、宮崎を行幸中の昭和天皇(左)は、鹿児島県の霧島神宮を参拝した。その後ろは鈴木貫太郎侍従長(中)と本庄繁侍従武官長(右)。この約百日後、二・二六事件が発生した。鈴木侍従長は決起将校に襲われ重傷を負い、天皇は最初から断固鎮定の意思を表明、本庄侍従武官長は決起将校をかばう態度に終始し、事件後、引責辞任した。この写真は新聞聯合社の内山林之助カメラマンが撮影したもので、3人がそろった写真は珍しい。

    商品コード: 2018091404759

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    2019年02月22日
    天皇と侍従長、武官長 反乱100日前に撮影

    1935年11月16日、陸軍特別大演習後の地方巡視で、鹿児島県の霧島神宮を参拝した昭和天皇(左)と随行した鈴木貫太郎侍従長(中)、本庄繁侍従武官長。約100日後、3人は二・二六事件に巻き込まれる。新聞聯合の内山林之助が撮影した

    商品コード: 2019022202071

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