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「母港」の写真・グラフィックス・映像
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1929年08月13日日本電報通信社資料母港のフリードリヒスハーフェン(Friedrichshafen)を離陸するドイツの飛行船ツェッペリン伯号(Graf Zeppelin)=1929(昭和4)年8月13日(日本電報通信社撮影)
商品コード: 1929081300002
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1954年03月18日第五福竜丸事件
米国は1954年3月1日午前4時ごろ、マーシャル群島ビキニ環礁で水爆実験を実施した。近くの海域で操業中のマグロはえ縄漁船第五福竜丸(156トン、乗組員23人)が強い放射能を含む「死の灰」を浴び、14日、母港の静岡県・焼津港に帰港した。静岡県の焼津港に係留された被災当時の第五福竜丸=1954(昭和29)年3月18日
商品コード: 2006020700110
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1967年11月14日原子力船母港設置を正式受諾原子力船母港設置予定地の青森県むつ市下北埠頭の全景。矢印が下北埠頭=1967(昭和42)年11月14日
商品コード: 2011060700332
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1969年10月13日スケッチ企画5839−5 原子力船母港原子力船母港の建造工事が進む大湊港=1969(昭和44)年10月13日、青森県むつ市
商品コード: 2018030800560
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1969年10月13日スケッチ企画5839−33 原子力船母港原子力船母港の建造工事が進む大湊港の波止場=1969(昭和44)年10月13日、青森県むつ市
商品コード: 2018030800561
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1970年05月02日チタ三世号帰国母港に向かう途中、僚船に迎えられ鳥羽に入港するチタ三世号。太平洋一周、国際ヨットレースに日本人として初めて優勝=1970(昭和45)年5月2日、三重県鳥羽市 (45年内地2325)
商品コード: 2010102700228
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1970年07月19日原子力船むつ母港に母港に接岸した原子力船「むつ」を背景に記念撮影する見物人、左は燃料交換用大型クレーン=1970(昭和45)年7月19日、青森県・むつ港
商品コード: 2010120600231
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1970年07月19日原子力船むつ母港に母港に接岸した原子力船「むつ」=1970(昭和45)年7月19日、青森県・むつ港
商品コード: 2010120600230
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1970年07月19日原子力船むつ母港に母港に接岸した原子力船「むつ」=1970(昭和45)年7月19日、青森県・むつ港
商品コード: 2024031108542
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1972年05月14日種子島沖のふじ ふじ173日ぶりの帰国第13次越冬隊と物資の輸送作業を終えて母港を目指し、173日ぶりに姿を見せた南極観測船ふじ=1972(昭和47)年5月14日午前6時54分、鹿児島県種子島沖(海上自衛隊撮影)
商品コード: 2008121000866
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1973年05月05日原子力船むつ係留続く漁民の反対で出力試験が遅れ、半年も母港に係留されたままの原子力船むつ=1973(昭和48)年5月5日、青森県むつ市の大湊港
商品コード: 2010110100341
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1973年09月30日ミッドウェー母港化反対
米空母ミッドウェーの米海軍横須賀基地の母港化に反対する集会=1973(昭和48)年9月30日、神奈川県横須賀市
商品コード: 2024071807476
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1973年09月30日ミッドウェー母港化反対
米空母ミッドウェーの米海軍横須賀基地の母港化に反対してデモ行進する人たち=1973(昭和48)年9月30日、神奈川県横須賀市
商品コード: 2024071807488
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1973年09月30日ミッドウェー母港化反対
米空母ミッドウェーの米海軍横須賀基地の母港化に反対してデモ行進する人たち=1973(昭和48)年9月30日、神奈川県横須賀市
商品コード: 2024071807496
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1973年10月05日米空母ミッドウェー入港
母港化反対を叫ぶ革新団体の海上デモ=1973(昭和48)年10月5日、神奈川県横須賀市の横須賀港内
商品コード: 2010111000292
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1973年10月05日ミッドウェー、横須賀入港
米空母ミッドウェーに近づき、母港化反対を叫ぶ革新団体の海上デモ=1973(昭和48)年10月5日、横須賀港
商品コード: 2004031200214
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1973年10月05日米空母ミッドウェー入港
母港化反対集会後、ジグザグデモする参加者=1973(昭和48)年10月5日、神奈川県横須賀市の米海軍横須賀基地正面ゲート付近
商品コード: 2010111000293
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1973年10月05日ミッドウェー、横須賀入港米海軍基地正面ゲート前で開かれたミッドウェー母港化反対集会=1973(昭和48)年10月5日、神奈川県横須賀市
商品コード: 2004031200221
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1973年10月07日ミッドウェー母港化に反対横須賀が米空母ミッドウェーの母港化されることに反対して開かれた集会=1973(昭和48)年10月7日、横須賀・臨海公園
商品コード: 2004031200222
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1973年10月07日ミッドウェー母港化に反対道一杯に埋め尽くしたミッドウェー母港化反対デモ=1973(昭和48)年10月7日、横須賀中央駅前
商品コード: 2004031200223
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1974年06月30日反戦米兵憂さ晴らしロックVVAW(反戦ベトナム帰還兵の会)と米空母の母港化に反対する横須賀市民会が開いたロックコンサート。「ミッドウェー艦内の“うさ”をロックのリズムで晴らそう」と、横須賀港に停泊中の米空母乗組員など反戦米兵ら約400人が参加した=1974(昭和49)年6月30日、神奈川県横須賀市汐入町の臨海公園
商品コード: 2011122600261
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1974年08月24日「むつ出港」で厳戒体制原子力船「むつ」(手前)の出港を控え、船首付近に集まって海上デモをする漁船。陸奥湾沿岸漁協の漁船が「出力試験阻止」「原子力船母港反対」などのプラカードを掲げ行き交った。2年近くも岸壁につながれていた「むつ」が、あす25日、出力試験のため出港する=1974(昭和49)年8月24日、青森県下北埠頭
商品コード: 2012022700096
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1974年08月24日「むつ出港」で厳戒体制原子力船「むつ」の出港を前に開かれた「出力試験阻止、母港撤去漁民、労働者、県民総決起集会」。右端は菊池渙治むつ市長。2年近くも岸壁につながれていた「むつ」が、あす25日、出力試験のため出港する=1974(昭和49)年8月24日、青森県むつ市役所前
商品コード: 2012022700098
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1974年08月25日原子力船「むつ」立ち往生8月25日、日本初の原子力船「むつ」は母港の青森県・大湊港で放射能汚染を心配する地元漁民に取り囲まれた(写真・航空撮影)。翌日反対を押し切り出港したが、出力試験中に放射線が漏れ試験は中止された。1993年原子炉を撤去し海洋観測船への転用が決まった、昭和49年8月25日
商品コード: 2003050200123
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1974年08月25日49年カラーニュース 629-11 ◎原子力船「むつ」立ち往生 8月25日、日本初の原子力船「むつ」は母港の青森県・大湊港で放射能汚染を心配し、出港に反対する地元漁民に取り囲まれた=1974(昭和49)年(1974年国内十大ニュース10)
商品コード: 2010040600178
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1974年08月26日「むつ」一路実験水域へ下北半島大間崎沖西方約10キロ付近を一路実験水域へ進む原子力船「むつ」。漁船の強力な海上封鎖に遭い、26日午前0時45分、予定より16時間近く遅れ、母港の下北埠頭を暗闇の中出港した。青森県尻屋崎沖の太平洋上で最初の臨界実験を行い、9月8日帰港する予定=1974(昭和49)年8月26日午前7時45分、共同通信社ヘリから
商品コード: 2012022700105
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1974年09月18日「むつ」土のう作戦を開始原子力船「むつ」の母港に隣接するむつ市漁協に向け“帰港阻止”に使う土のうを運び出す漁民。陸奥湾沿岸漁民による対策会議は、土のうによる海中バリケード作戦を決め、各漁協ごとに土のうを作り始め、3万個を目指して作業中=1974(昭和49)年9月18日、青森県下北郡横浜町漁港
商品コード: 2012031400187
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1974年09月18日「むつ」土のう作戦を開始土のうを積んで、原子力船「むつ」の母港近くにいったん集結した漁船。陸奥湾沿岸漁民による対策会議は、土のうによる海中バリケード作戦を決め、各漁協ごとに土のうを作り始め、3万個を目指して作業中を続けている=1974(昭和49)年9月18日、青森県むつ市芦崎で共同通信社ヘリから
商品コード: 2012031400188
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1974年09月22日最盛期のイカ漁 原子力船とイカ、ホタテ漁民味のいい近海イカ。尻屋崎沖のイカ漁は今が最盛期。母港への入港をあきらめた「むつ」は、仮停泊地として下北半島東端の尻屋崎に船首を向ける(49年内地5877)(写真企画「原子力船とイカ、ホタテ漁民」5枚組の4)
商品コード: 2012031400203
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1974年09月22日母港がある陸奥湾 原子力船とイカ、ホタテ漁民高度5千800メートル、眼下に広がる下北半島。手前細く突き出た尻屋崎、右上雲の合間に原子力船「むつ」の母港がある陸奥湾が見える(写真企画「原子力船とイカ、ホタテ漁民」5枚組の1)
商品コード: 2012031400208
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1974年09月25日政府と住民の板挟み帰るあてのない「むつ」を待つ母港専用岸壁とむつ事業所。原子力船「むつ」は、洋上に“漂流”したままで行き先はまだ決まらない=1974(昭和49)年9月25日、青森県陸奥湾で共同通信社ヘリから
商品コード: 2012050700103
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1974年10月05日娯楽と実益の釣り水ききんで海水ぶろに 食堂で開かれた缶ビールパーティー。中央は女性司ちゅう長の菊池いくのさん。左端は荒稲蔵船長。「むつ」が目的を失って漂流に入ったのは9月2日から。放射線漏れ事故という思いがけないトラブルで、すべての試験が中止されたものの、母港周辺の漁民の反対で、帰る場所がなくなってしまった…(高間徹共同通信記者・漂流「むつ」同乗記-5)併用
商品コード: 2012050700178
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1974年10月06日米空母の母港化で反対集会
米軍基地ゲート前で「ミッドウェー母港化反対」を叫ぶデモ隊。母港化1周年を迎えて抗議集会を行った。「核兵器積載能力のある艦船は、すべて核兵器を積載しており、日本など寄港の場合も核抜きにはしない」-との米国核戦略専門家ラロック国防情報センター所長(退役少将)の議会で証言が伝えられた=1974(昭和49)年10月6日、神奈川県横須賀市
商品コード: 2012050700187
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1974年10月10日ミッドウェーが横須賀入港米海軍横須賀基地に向かう米第七艦隊の攻撃型空母ミッドウェー(上方)にシュプレヒコールを行う「米空母の母港化に反対する横須賀市民の会」の人たち。同空母は、米海軍艦船による核持ち込みを認めたラロック証言で、緊張と不安感がみなぎっている横須賀港に入港、昨年10月5日の第1回以来15回目の入港=1974(昭和49)年10月10日、神奈川県横須賀市深田台の中央公園
商品コード: 2012050700219
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1974年10月15日秋風寒く「むつ」帰港原子力船「むつ」を岸壁で出迎え、久しぶりの対面を喜び合う乗組員家族。出港以来50日ぶりに青森県むつ市の母港に帰ってきた。放射線漏れ事故を起こし太平洋上を漂流、根強い入港阻止闘争を行ってきた陸奥湾沿岸漁民は姿を見せなかった=1974(昭和49)年10月15日、青森県むつ市の大湊港・下北埠頭
商品コード: 2012051400168
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1974年10月15日秋風寒く「むつ」帰港原子力船「むつ」を岸壁で出迎え、荒稲蔵船長(右)を「ご苦労様」と労う鈴木善幸自民党総務会長。出港以来50日ぶりに青森県むつ市の母港に帰ってきた。放射線漏れ事故を起こし太平洋上を漂流、根強い入港阻止闘争を行ってきた陸奥湾沿岸漁民は姿を見せなかった=1974(昭和49)年10月15日、青森県むつ市の大湊港・下北埠頭
商品コード: 2012051400167
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1974年10月15日秋風寒く「むつ」帰港出迎える家族の待つ母港岸壁に50日ぶりに接岸する原子力船「むつ」。強行出港した後、放射線漏れ事故を起こし太平洋上を漂流し続けた「むつ」。根強い入港阻止闘争を行ってきた陸奥湾沿岸漁民は姿を見せなかった=1974(昭和49)年10月15日、青森県むつ市の大湊港・下北埠頭
商品コード: 2012051400169
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1974年11月02日横須賀米軍基地に核兵器庫「核兵器一時貯蔵庫」がある-との疑惑が高まった米海軍横須賀基地。2日も米艦船が入港、右方には現在オーバーホール中のミサイル駆逐艦パーソンズ(矢印)が見える。米軍事問題の権威筋が1日、米第七艦隊の攻撃型空母ミッドウェーなどの艦船が母港としている横須賀基地に核兵器一時貯蔵庫があると言明した=1974(昭和49)年11月2日午後2時過ぎ、神奈川県横須賀市で共同通信社ヘリから
商品コード: 2012051400386
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1974年11月02日横須賀米軍基地に核兵器庫「核兵器一時貯蔵庫」がある-との疑惑が高まった米海軍横須賀基地(手前)と隣接する市街地。2日も米艦船が入港、右方には現在オーバーホール中のミサイル駆逐艦パーソンズが見える。米軍事問題の権威筋が1日、米第七艦隊の攻撃型空母ミッドウェーなどの艦船が母港としている横須賀基地に核兵器一時貯蔵庫があると言明した=1974(昭和49)年11月2日午後2時過ぎ、神奈川県横須賀市で共同通信社ヘリから
商品コード: 2012051400387
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1975年03月22日政府「むつ」新母港で方針原子力船「むつ」の新母港に有力視されている長崎県対馬の浅茅湾。手前右は、下県郡美津島町大船越。政府は新母港選びに当たり、むつ市での経験から、漁業権をめぐる問題が比較的少ない離島を中心に選考を進めている=1975(昭和50)年3月22日、共同通信社特別機から(カラーB 2648)
商品コード: 2012091800072
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1975年04月19日甑島が「むつ」の新母港?原子力船「むつ」の新母港最有力候補地の一つとなった鹿児島県上甑島の浦内湾。薩摩半島の串木野市から1日3便の定期船で1時間半、過疎の離島に降ってわいたような「むつ」の母港化問題で、島民に戸惑いも…(昭和48年7月撮影)(50年内地 2695)
商品コード: 2012111500068
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1975年04月20日甑島、最有力候補地に“甑島にほぼ内定”と報じる紙面に「初耳だ。本当の話なら絶対反対」と語る中甑島漁協組合員。政府は、原子力船「むつ」の新母港候補地に鹿児島県上甑島をあげ、外洋に接し、波静かな内海が多い、乗組員らの生活を賄う施設が整っている、水深が10メートル以上ある-などの諸条件を満たしているとしている=1975(昭和50)年4月20日
商品コード: 2012111500081
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1975年04月20日甑島、最有力候補地に原子力船「むつ」の新母港候補にあげられた鹿児島県上甑島浦内湾中甑港。政府は、外洋に接し、波静かな内海が多い、乗組員らの生活を賄う施設が整っている、水深が10メートル以上ある-などの諸条件を満たしているとしている=1975(昭和50)年4月20日
商品コード: 2012111500077
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1975年05月17日むつ母港、対馬三浦湾有力原子力船「むつ」母港の最有力候補地として浮かび上がってきた対馬の三浦港(上方)。手前は美津島大船越町地区。科学技術庁の生田豊朗原子力局長が「水深があるうえに後背地が広く、ドック建設が可能で沿岸漁民が少ないとして候補地にあげた」-と社会党の中村重光代議士が明かした=1975(昭和50)年5月(50年内地 3309)
商品コード: 2012111900120
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1975年05月22日むつ母港化反対ののろし原子力船「むつ」母港化に反対して、「対馬の海を守れ」と三浦湾内を海上デモする地元漁船。科学技術庁は対馬を「むつ」母港の最有力候補地として地元と非公式折衝を続けてきたが、「白紙還元する」との方針を固めた=1975(昭和50)年5月22日、長崎県対馬の美津島町
商品コード: 2012111900143
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1975年05月22日むつ母港化反対ののろし原子力船「むつ」母港化反対で開かれた決起大会に手に手にプラカードを持ち参加した“かあちゃんパワー”。科学技術庁は対馬を「むつ」母港の最有力候補地として地元と非公式折衝を続けてきたが、「白紙還元する」との方針を固めた=1975(昭和50)年5月22日、長崎県対馬の美津島町
商品コード: 2012111900142
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1975年08月24日原子力船「むつ」いまだ漂流中身の振り方が決まらないまま母港に係留されている原子力船「むつ」。放射線漏れ事故、太平洋上での長期漂流…。話題を呼んだ「むつ」が強行出港したあの日から1年を迎えた。新母港が決まらないまま「むつ」は、依然青い海に巨体を横たえたまま=1975(昭和50)年8月、青森県むつ市(原子力船「むつ」いまだ漂流中 強行出港から1年特集併用)
商品コード: 2013030400426
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1975年08月24日原子力船「むつ」いまだ漂流中出港阻止を叫び土のう作戦を展開した漁民も今はホタテ漁に追われている。放射線漏れ事故、太平洋上での長期漂流…。話題を呼んだ「むつ」が強行出港したあの日から1年を迎えた。新母港が決まらないまま「むつ」は、依然青い海に巨体を横たえたまま=1975(昭和50)年8月、青森県むつ市(原子力船「むつ」いまだ漂流中 強行出港から1年特集併用)
商品コード: 2013030400428
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1975年08月24日原子力船「むつ」いまだ漂流中原子力船「むつ」の原子炉近くにある機関室で保守作業をする機関員。放射線漏れ事故、太平洋上での長期漂流…。話題を呼んだ「むつ」が強行出港したあの日から1年を迎えた。新母港が決まらないまま「むつ」は、依然青い海に巨体を横たえたまま=1975(昭和50)年8月、青森県むつ市(原子力船「むつ」いまだ漂流中 強行出港から1年特集併用)
商品コード: 2013030400427
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1975年09月21日「むつ」受け入れ阻止集会原子力船「むつ」母港化反対でデモ行進する集会参加者たち。「欠陥原子力船“むつ”新母港粉砕大集会」には、初めて参加した公明党、県漁連の各代表も含め長崎県内外各地から約3千人が参加した=1975(昭和50)年9月21日、長崎県佐世保市
商品コード: 2013032600162
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1975年10月27日“むつ”と佐世保行き先が決まらず青森県むつ市につながれたままの原子力船“むつ”。放射線漏れを起こし動きがとれなくなった“むつ”が、母港に係留されてからすでに1年を経過。傷ついた船体修理の必要に迫られている。修理港探しは各地で総スカン(科学企画「“むつ”と佐世保」3回続きの<上>併用)
商品コード: 2013040800321
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1975年10月28日“むつ”と佐世保米海軍艦船がひしめいていた佐世保港も今はひっそり。頼みの佐世保重工(手前)も造船不況が重なり新造船の受注はめっきり減っている。原子力船“むつ”が母港に係留されてからすでに1年を経過。傷ついた船体修理の必要に迫られている。政府は佐世保港に照準を合わせているようだ(共同通信社特別機から)(科学企画「“むつ”と佐世保」3回続きの<中>併用)
商品コード: 2013040800335
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1976年05月27日軍艦「長門」の記念碑完成神奈川県横須賀市汐入町の臨海公園に建てられた軍艦「長門」記念碑。長門は、旧海軍連合艦隊の旗艦として活躍、終戦直後の21年に米国の原子力爆弾の実験艦となってビキニ環礁の海に沈められた。母港だった現在の海上自衛隊横須賀基地近くに記念碑が完成した=1976(昭和51)年5月27日
商品コード: 2013102800105
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1976年11月22日58日ぶり博多港へ 浜吉丸、“喜びの帰港”荒れた海を一路母港に急ぐ「第23浜吉丸」。同船は9月末日本海で操業中、ソ連警備艇に領海侵犯などの疑いで捕獲されて以来、58日ぶり博多港に戻る=1976(昭和51)年11月22日、福岡県遠賀郡芦屋町北方90キロで共同通信社ヘリから
商品コード: 2014031800121
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1976年11月22日拿捕されていた第23浜吉丸 58日ぶり博多港へ荒れた海を一路母港に向かう「第23浜吉丸」。9月末、日本海で操業中にソ連警備艇に領海侵犯などの疑いで拿捕されて以来、58日ぶり博多港に戻る=1976(昭和51)年11月22日、福岡県遠賀郡芦屋町北方90キロ 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第7巻使用画像(P87)
商品コード: 2015030300487
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1977年02月01日この大漁いつまで… 北転船−帰港ぎっしりスケトウを積み込み、白い航跡を残し日本に向かう北転船−「ジーン」。船室いっぱいにベルの音が響く。男たちはつかのまの仮眠を捨て、長靴、厚いゴムのカッパ上下、ヘルメットにゴムの手袋をつけ、甲板に飛び出す。三昼夜半の操業で美登丸は470トンのスケトウダラを船倉に詰め込み、母港・釧路へ(52年内地 803)(「北転船」 オホーツク海漁場ルポ6回続きの6完)
商品コード: 2014070100614
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1977年07月28日帆走するヨット 「さちかぜ」一路小倉へ白い帆に風を受け一路母港のある小倉へ向かう「さちかぜ」。日本では初めての夫婦で世界一周航海を続けていた大平雄三さん、さち子さん夫妻と、さち子さんの弟、早友文夫さんの3人が乗ったヨット「さちかぜ」が2年2カ月半ぶりに帰港する=1977(昭和52)年7月28日、宮崎市の北北東15キロで共同通信社特別機から(52年内地 5725)
商品コード: 2014091700190
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1977年07月28日「さちかぜ」一路小倉へ白い帆に風を受け一路母港のある小倉へ向かう「さちかぜ」=1977(昭和52)年7月28日、宮崎市の北北東15キロ
商品コード: 2024122604306
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1978年10月11日あいさつする大沢船長 「むつ」大湊港を出港見送りの人たちに「最善を尽くします」とお別れのあいさつをする原子力船「むつ」の大沢文男船長。放射線漏れ事故からちょうど4年の年月、母港大湊港に釘付けだった「むつ」が改修工事、安全性総点検のため佐世保へ…=1978(昭和53)年10月11日、青森県むつ市(53年内地 9239)
商品コード: 2015080700442
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1978年10月11日埠頭を離れる「むつ」 「むつ」大湊港を出港ゆっくりと専用埠頭(ふとう)を離れ佐世保に向かう原子力船「むつ」。放射線漏れ事故からちょうど4年の年月、母港大湊港に釘付けだった「むつ」が改修工事、安全性総点検のため佐世保へ…=1978(昭和53)年10月11日、青森県むつ市で共同通信社ヘリから(53年内地 9240)
商品コード: 2015080700443
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1979年03月31日Nuclear-powered ship Siberia8154570 31.03.1979 The nuclear-powered ship Siberia, a Soviet nuclear-powered icebreaker of the Arktika class, built under Project 10520 at the Sergo Ordzhonikidze Baltic Plant in Leningrad. Launched on December 28, 1977. Home port: Murmansk. Viktor Ahlomov、クレジット:Sputnik/共同通信イメージズ
商品コード: 2022041101119
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1980年02月20日ミッドウェー帰港4カ月半余ぶりに母港の在日米海軍横須賀基地に帰港した米空母「ミッドウェー」=1980(昭和55)年2月20日、神奈川県横須賀市で共同通信社ヘリから(55年内地1569)
商品コード: 2017092100471
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1980年05月20日マグロ群を空からキャッチ母港の長部漁港に入るヘリ積載漁船・第38昭福丸=1980(昭和55)年5月20日、岩手県陸前高田市(55年内地4592)(3枚組みの①)
商品コード: 2018041700220
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1980年05月20日マグロ群を空からキャッチ母港の長部漁港に着いたヘリ積載漁船・第38昭福丸=1980(昭和55)年5月20日、岩手県陸前高田市(55年内地4594)(3枚組みの③)
商品コード: 2018041700222
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1980年08月14日「むつ」母港問題で協議原子力船「むつ」の母港問題で会談する中川一郎科技庁長官(左)と北村正哉青森県知事=1980(昭和55)年8月14日、東京・永田町の東京ヒルトンホテル
商品コード: 2019010816823
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1980年08月14日「むつ」母港問題で協議原子力船「むつ」の母港問題の協議を終え、記者会見する中川一郎科技庁長官(右)と北村正哉青森県知事=1980(昭和55)年8月14日、東京・永田町の東京ヒルトンホテル
商品コード: 2019010816824
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1980年08月25日火災事故のソ連原潜をえい航事故発生から5日目、ソ連海軍のカラ級ミサイル巡洋艦(手前)に護衛され、母港のウラジオストクへ向けえい航されるエコー1型ソ連原潜。ソ連原潜は、8月21日朝、沖縄本島の東方海上で火災を起こし漂泊していた=1980(昭和55)年8月25日午後2時過ぎ、長崎県五島列島・大瀬崎沖合70キロで共同通信社ヘリから(55年内地7672)
商品コード: 2019022200364
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1980年08月25日火災事故のソ連原潜をえい航事故発生から5日目、母港のウラジオストクへ向けえい航されるエコー1型ソ連原潜の艦橋。ソ連原潜は、8月21日朝、沖縄本島の東方海上で火災を起こし漂泊していた=1980(昭和55)年8月25日午後2時過ぎ、長崎県五島列島・大瀬崎沖合70キロで共同通信社ヘリから(55年内地7674)
商品コード: 2019022200368
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1980年08月25日火災事故のソ連原潜をえい航事故発生から5日目、母港のウラジオストクへ向けえい航されるエコー1型ソ連原潜の甲板で、手持ちぶさたの乗組員。ソ連原潜は、8月21日朝、沖縄本島の東方海上で火災を起こし漂泊していた=1980(昭和55)年8月25日午後2時過ぎ、長崎県五島列島・大瀬崎沖合70キロで共同通信社ヘリから(55年内地7675)
商品コード: 2019022200373
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1980年08月28日中川長官がむつ市長と会談原子力船「むつ」の母港問題で話し合う中川一郎科技庁長官(右)と河野幸蔵むつ市長=1980(昭和55)年8月28日、科学技術庁(55年内地7762)
商品コード: 2019022200466
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1980年09月24日「むつ反対」海上デモ原子力船「むつ」の青森県大湊港再母港化に反対し、大湊港に集結した海上デモ参加の漁船=1980(昭和55)年9月24日午前10時30分、共同通信社ヘリから
商品コード: 2019032900696
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1980年09月24日「むつ反対」海上デモ原子力船「むつ」の青森県大湊港再母港化に反対し、原子力船開発事業団(後方)の前を海上デモする漁船=1980(昭和55)年9月24日午後0時、青森県大湊港で共同通信社ヘリから
商品コード: 2019032900697
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1980年09月27日青森漁連、「むつ」再母港化に反対原子力船「むつ」再母港化の反対決議書を中川一郎科技庁長官(右)に手渡す植村正治青森県漁連会長=1980(昭和55)年9月27日、科学技術庁
商品コード: 2019032900742
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1980年11月28日「むつ」母港問題で会談原子力船「むつ」の母港問題で、会談に臨む(右から)中川一郎科技庁長官、北村正哉青森県知事、河野幸蔵むつ市長=1980(昭和55)年11月28日、科学技術庁
商品コード: 2019103100749
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1981年03月18日「むつ」母港問題で陳情中川一郎科学技術庁長官(右)に陳情書を渡す植村正治・青森県漁連会長=1981(昭和56)年3月18日、科学技術庁
商品コード: 2022082408975
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1985年06月15日長崎野母港線の整備改良について長崎野母港線の整備改良について、クレジット:長崎新聞/共同通信イメージズ
商品コード: 2023053108047
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1988年01月27日「むつ」関根浜に入港新母港の関根浜港専用岸壁に接岸する原子力船「むつ」=1988(昭和63)年1月27日、青森県むつ市関根浜港(出稿は別カット)
商品コード: 2007010500093
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1988年01月27日「むつ」関根浜に入港新母港の関根浜港専用岸壁に接岸した原子力船「むつ」=1988(昭和63)年1月27日、青森県むつ市関根浜港
商品コード: 2007011000076
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1988年08月31日接岸した2隻 トマホーク艦2隻が入港
米軍横須賀基地に接岸した最新鋭イージス艦「バンカーヒル」(左)と「ファイフ」。2隻は横須賀基地を母港として配備された=1988(昭和63)年8月31日、米海軍横須賀基地
商品コード: 2007010500190
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1989年02月06日速力を上げる潜水艦「なだしお」 「なだしお」神戸出港母港の横須賀に向けて速力を上げる海上自衛隊の潜水艦「なだしお」。1988年7月に釣り船「第1富士丸」と衝突事故を起こし、神戸市中央区の川崎重工神戸工場で、艦体損傷部分の修理や定期点検を行っていた=1989(平成元)年2月6日午前9時10分、神戸港(共同通信社ヘリから)
商品コード: 2019070903199
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1989年02月06日横須賀基地に向かう「なだしお」 「なだしお」神戸出港厳重な見張りを付け、母港の横須賀基地に向かう海上自衛隊の潜水艦「なだしお」。1988年7月に釣り船「第1富士丸」と衝突事故を起こし、神戸市中央区の川崎重工神戸工場で、艦体損傷部分の修理や定期点検を行っていた=1989(平成元)年2月6日午前9時10分、神戸港で共同通信社ヘリから
商品コード: 2019070903200
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1989年02月06日海上自衛隊の潜水艦「なだしお」 「なだしお」神戸出港衝突事故の修理を終え、神戸港を出港し母港の横須賀基地に向かう海上自衛隊の潜水艦「なだしお」=1989(平成元)年2月6日午前9時5分、共同通信社ヘリから
商品コード: 2019070903201
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1989年02月08日横須賀に向かうなだしお 「なだしお」が横須賀寄港神戸で修理を終え、約5カ月半ぶりに母港の横須賀基地に向かう潜水艦「なだしお」=1989(平成元)年2月8日午前10時ごろ、横須賀港沖
商品コード: 2008071500137
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1993年09月27日95年度にTSL母港決定へテクノスーパーライナー実験船の完成予想図(資料)
商品コード: 1993092700034
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1995年05月06日最大の外輪汽船が母港入り史上最大の旅客用外輪汽船、アメリカンクイーン号が完成し四日、米ニューオーリンズの母港に入った。建造費六千五百万ドル(約五十五億円)のこの豪華客船は、初航行として一八一一年にピッツバーグからニューオーリンズまでを初めて航行したニューオーリンズ号の航跡をたどる。(ロイター=共同)
商品コード: 1995050600029
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1995年05月10日原子力船「むつ」 むつの原子炉撤去へ母港の関根浜港に係留され、解体を待つ原子力船「むつ」=平成6年7月、青森県むつ市
商品コード: 1995051000004
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1995年05月10日台船に乗ったむつ むつの原子炉撤去作業開始台船に乗せられ、母港へ向かう原子力船「むつ」=10日午後4時、青森県むつ市の関根浜港沖で共同通信社ヘリから
商品コード: 1995051000075
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1995年05月10日台船に乗ったむつ むつの原子炉撤去作業開始台船に乗せられ、母港へ向かう原子力船「むつ」=10日午後4時、青森県むつ市の関根浜港沖で共同通信社ヘリから
商品コード: 1995051000077
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1995年06月18日台船に載せられたむつ むつの原子炉22日に撤去)、科学01S 原子炉撤去のため、台船に載せられ母港の関根浜港に向かう原子力船「むつ」=5月10日、青森県むつ市の関根浜港沖で共同通信社ヘリから
商品コード: 1995061800016
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1995年06月19日米に再改定や不要論も 経済権益防護へ替わる看板)、企画01S、6月26日付朝刊以降使用、解禁厳守 横須賀を母港に、強大な軍事力を誇った空母ミッドウェー=1990年6月
商品コード: 1995061900080
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1995年07月09日「むつ」再生へ船出台船に乗せられたまま母港の青森県・関根浜港を離れる「むつ」=9日午前、青森県むつ市
商品コード: 1995070900013
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1996年07月08日生還したポールズさん 7カ月ぶりに母港に生還
6日、7カ月ぶりに英ライミントンの港に戻ったポールズさん(ロイター=共同)(英国人の元無線技師レス・ポールズさん)
商品コード: 1996070800004
- 本画像はログイン後にご覧いただけます1997年09月22日入港したベローウッド 米揚陸艦が鹿児島に寄港
鹿児島港に接岸した、米第7艦隊の強襲揚陸艦ベローウッド=22日午前9時、鹿児島市南栄(長崎県・佐世保基地を母港とする米第七艦隊の強襲揚陸艦ベローウッド(三九、九六七トン)が22日午前、鹿児島港に入港した。日本の民間港への入港は初めて。佐世保基地によると、友好親善や乗組員の休養などが目的としている)
商品コード: 1997092200030
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1997年11月07日関根浜港に接岸するみらい みらいが母港関根浜に入港青森県むつ市の関根浜港に入港し、接岸する海洋地球研究船「みらい」=7日午後1時、共同通信社ヘリから
商品コード: 1997110700050
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三重県沖の海底から引き揚げられ母港の焼津で展示された第五福竜丸のエンジン=1日午前、静岡県焼津市の焼津市文化センター前
商品コード: 1998030100054
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1998年06月05日インディペンデンスが接岸 米空母インディペンデンスペルシャ湾での任務を終え、米海軍横須賀基地の母港に接岸する空母インディペンデンス=5日午後、神奈川県横須賀市楠ケ浦町で共同通信社ヘリから
商品コード: 1998060500145
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1998年10月03日米空母キティホーク 米軍事戦略の最前線支える横須賀基地に配備された3代目の米空母キティホーク=98(平成10)年8月
商品コード: 1998100300066
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14年ぶりにワールドシリーズに出場するパドレスの本拠地、サンディエゴを母港にする米空母「コンステレーション」は甲板にパドレスへの応援メッセージを人文字で描いた(ロイター=共同)
商品コード: 1998101700022
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2000年01月07日ヨコスカ午前2時 ひたむきな少女の恋クリスマスを前に、ベス・クルグさんは上機嫌。米オレゴン州の高校を卒業、母親が乗船する米空母キティホークの母港にやって来た。1年間自由な時間を過ごし、今年の夏にはサンディエゴの大学に進学する予定だ。吹きすさぶ寒風なんか関係ない。「この街大好き」と一言残し、ボーイフレンドの待つアイリッシュパブに消えて行った。ここはヨコスカ。午前2時。少女百恵の育った街はなかなか眠らない=神奈川県横須賀市(撮影・菅谷洋司)
商品コード: 2000010700068
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22日、ロシアの原子力潜水艦クルスクの母港ビジャエボに向かう列車の中で妻を慰める乗組員の父親(ロイター=共同)
商品コード: 2000082200154
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