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  •  嵐山渡月橋
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    嵐山渡月橋

    嵐山渡月橋を北詰から南に望む。背後の山腹には法輪寺が見える。渡月橋の北詰には牛馬の往来を禁止する標識が建ち、桜の木の下に設けられた茶店には提灯が吊るされている。川上は材木を浮かべた貯木場となり、丸子船が停泊している。写真の渡月橋は明治25年(1892)に水害で流失した。右前に見える石橋は琴聞橋で、後に車折神社御旅所に移築された。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐6‐0]

    商品コード: 2017081400725

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。右手に電柱が見える。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐18‐0]

    商品コード: 2017081400784

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐36‐0]

    商品コード: 2017081401286

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐16‐0]

    商品コード: 2017081400717

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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる2本の橋。左の朱塗りの橋が神橋(神橋)。その右隣は仮橋。日光山内の入口でもあるこれらの橋は明治35(1902)年の大水害で大谷川が氾濫したため流失した。対岸の家屋は、いわゆる日光の名産品を商う店である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐8‐0]

    商品コード: 2017081002611

  •  滝尾神社の白糸滝
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    滝尾神社の白糸滝

    稲荷川支流の天狗沢にある滝で日光東照宮の北西側に位置する。別名「素麺滝(そうめんたき)」。この滝の右側に滝尾神社へ至る山道がある。この滝の周辺一帯も明治35(1902)年の大水害で多大な被害を被った。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号67‐38‐0]

    商品コード: 2017082400202

  •  日光大日堂
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    日光大日堂

    大谷川に沿った中禅寺道途中の名所。憾満ガ淵や裏見滝と共に日光町の遊覧客にとって人気の高い散策コースだった。明治35(1902)年の大水害で大日堂を含む庭園の景観が、さらに、残っていた地蔵堂が大正8年の大水害で流失した他、地形そのものが変わり果てた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐29‐0]

    商品コード: 2017081002676

  •  中島川と上野彦馬邸
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    中島川と上野彦馬邸

    中島川上流、銭屋川の上野彦馬邸(左側の大木が見える白塀の家)前。石の常夜灯(昭和57年の長崎大水害で流失)の左が中島聖堂である。彦馬の家の河原は流水を調整するためか、井堰が見える。左の人物は人力車用に敷石で舗装された車道に立っている。後方のとがった山は豊前坊、稜線は右の英彦山へと続く。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐26‐0]

    商品コード: 2017081502095

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
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    日光憾満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵は大谷川の激流が男体山の溶岩を浸食して生じた淵である。この地に百地蔵がある。並び地蔵のほとんどが健在で、列座先頭の親地蔵も写っている。明治35年の水害で並び地蔵の多くと親地蔵が消失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐57‐0]

    商品コード: 2017080902371

  •  中山道桜沢の橋
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    中山道桜沢の橋

    旧中山道は桜沢の風景(現長野県塩尻市)。右下に木曽川の流れが見える。当地では水田の多くが延徳沖の低湿地にあったため、開田が限界に達した江戸中期以降、度々水害に苦しめられた。=撮影年月日不明、長野、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号38‐29‐0]

    商品コード: 2017082200870

  •  浜町通り
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    浜町通り

    明治中期の濱町通りの四つ角から東濱町(現・浜町通り)を油屋町の方向に見上げている。手前の水路は、現在は暗渠となっているが、昭和57年(1982)の長崎大水害で露出した。右側の建物は、現在は交差点の角地(現・マクドナルド)にあたるが、二階の障子や壁、引戸に明治の趣を見てとれる。前の路上には本河内(ダム)水源地から引かれた水道の共用栓、左には電灯以前のオイルランプが見える。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐25‐0]

    商品コード: 2017081502090

  •  鈴川河合橋附近からの富士山
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    鈴川河合橋附近からの富士山

    鈴川は元吉原ともいい、吉原の駅が寛永16年(1639)水害をさけて、移動したのち、鈴川駅が作られたという。富士に最も近い鉄道の駅があり、海浜には田子の浦が広がっている。=撮影年月日不明、静岡、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐30‐0]

    商品コード: 2017080200882

  •  日光大日堂
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    日光大日堂

    大谷川に沿った中禅寺道途中の名所。憾満ガ淵や裏見滝と共に日光町の遊覧客にとって人気の高い散策コースだった。明治35(1902)年の大水害で大日堂を含む庭園の景観が、さらに、残っていた地蔵堂が大正8年の大水害で流失した他、地形そのものが変わり果てた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号67‐34‐2]

    商品コード: 2017082400163

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
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    日光憾満ガ淵の百地蔵

    「並(ならび)地蔵」「化(ばけ)地蔵」「百地蔵」などの呼び名で知られる大谷川の名所。「憾満ガ淵(かんまんがふち)」。「含満ガ淵(がんまんがふち)」とも呼ばれる。画面の奥には、明治35(1902)年の大水害で首を流失した親地蔵が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐49‐0]

    商品コード: 2017081401299

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
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    日光憾満ガ淵の百地蔵

    「並(ならび)地蔵」「化(ばけ)地蔵」「百地蔵」などの呼び名で知られる大谷川の名所。「憾満ガ淵(かんまんがふち)」。「含満ガ淵(がんまんがふち)」とも呼ばれる。画面の奥には、明治35(1902)年の大水害で首を流失した親地蔵が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐48‐0]

    商品コード: 2017081002698

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
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    日光憾満ガ淵の百地蔵

    「並(ならび)地蔵」「化(ばけ)地蔵」「百地蔵」などの呼び名で知られる大谷川の名所。「憾満ガ淵(かんまんがふち)」。「含満ガ淵(がんまんがふち)」とも呼ばれる。画面の奥には、明治35(1902)年の大水害で首を流失した親地蔵が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号47‐28‐0]

    商品コード: 2017080903016

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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる2本の橋。左の朱塗りの橋が神橋(神橋)。その右隣は仮橋。日光山内の入口でもあるこれらの橋は明治35(1902)年の大水害で大谷川が氾濫したため流失した。地面には残雪が見られる。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐11‐0]

    商品コード: 2017081400918

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐33‐0]

    商品コード: 2017081401422

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐20‐0]

    商品コード: 2017082300874

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐4‐0]

    商品コード: 2017081002661

  •  塔ノ沢温泉
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    塔ノ沢温泉

    早川沿いに並ぶ塔の沢温泉の家並み。左隅は明治43年の大水害で流失前の福住樓である。現在はホテル紫雲荘の上手に当たる。左手塔の峯の中腹に見えるのは、ロシア正教のハリストス教会で、ロシア人の避暑館とされた。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐6‐0]

    商品コード: 2017080200895

  •  堀切菖蒲園
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    堀切菖蒲園

    菖蒲園には幾棟もの四阿屋が建てられ、見学者の休憩所として提供されていた。四阿屋では客の求めに応じて酒販を供した。堀切の菖蒲園は昭和前期以降、環境の変化と数度の水害により相次いで廃園となったが、現在は旧堀切園の一部が区立公園として開園されている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号47‐6‐0]

    商品コード: 2017080903068

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    蒲田一帯の大海原の化変

    キーワード:蒲田一帯ノ大海原ノ化變 明治四十三年八月大洪水ノ大惨状、蒲田、災害、水害=1910(明治43)年8月、東京、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019013021875

  •  嵐山渡月橋
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    嵐山渡月橋

    嵐山渡月橋を桂川北岸東部から西に遠望する。北岸に植えられた松並木に沿い、遊歩道が設けられ、茶店と思われる小さな民家が姿を見せる。橋上には往来する人の姿が小さく見える。写真の渡月橋は明治25年(1892)の水害で流失した。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐39‐0]

    商品コード: 2017081400739

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐31‐0]

    商品コード: 2017081401413

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐11‐0]

    商品コード: 2017082400686

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    中島川と編笠橋

    中島川に架かる編笠橋。元禄12年(1699)岸村夫妻が今博多町と本紙屋町の間にかけたアーチ式石橋である。昭和57年(1982)の長崎大水害で崩落し、現在は以前の橋とは形の異なる急な階段の橋に架け替わっている。左の松の大木の横には諏訪神社が見える。橋のたもとの山門は明和3年(1766)に建立された太平寺(現・浪の平)の山門。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐19‐0]

    商品コード: 2017081502087

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐2‐0]

    商品コード: 2017082301015

  •  日光大日堂
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    日光大日堂

    大谷川に沿った中禅寺道途中の名所。憾満ガ淵や裏見滝と共に日光町の遊覧客にとって人気の高い散策コースだった。明治35(1902)年の大水害で大日堂を含む庭園の景観が、さらに、残っていた地蔵堂が大正8年の大水害で流失した他、地形そのものが変わり果てた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐6‐0]

    商品コード: 2017081400913

  •  高台にある住宅街
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    高台にある住宅街

    キーワード:マイホーム、一軒家、屋外、家、丘、建物、郊外、高台、住宅地、土地、日本、不動産、民家、無人、水害対策、近所付き合い、風景メイン写真、住宅産業=撮影日不明、神奈川県、クレジット:Keiji_Kaneda/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021021504215

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐28‐0]

    商品コード: 2017081002705

  •  塔ノ沢温泉
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    塔ノ沢温泉

    早川岸の塔ノ沢温泉の家並み。左隅の大きな建物は明治43年(1910)の大水害で流失する前の福住楼。右側の山は湯坂山。左の山は塔ノ峰で、中腹に見える白亜の建物は、明治13年(1880)頃築造の日本ハリストス教会箱根避暑館。その下の小山は朱舜水が驪山に勝るとして命名したと言われる勝驪山。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐17‐0]

    商品コード: 2017081400607

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
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    日光憾満ガ淵の百地蔵

    「並(ならび)地蔵」「化(ばけ)地蔵」「百地蔵」などの呼び名で知られる大谷川の名所。「憾満ガ淵(かんまんがふち)」。「含満ガ淵(がんまんがふち)」とも呼ばれる。画面の奥には、明治35(1902)年の大水害で首を流失した親地蔵が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐14‐0]

    商品コード: 2017081400764

  •  大尻川
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    大尻川

    中禅寺大尻川の流れと流れ口に架かる大尻橋を見る。 大尻橋は板橋で欄干はなく、 初期のものである。 明治35年の水害でも流されなかった。 この橋で中禅寺湖南岸より中禅寺に至る。 大尻川の流れは華厳の滝となる。 整理番号10-5と同時撮影であろうが同一写真ではない。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐20‐0]

    商品コード: 2017080201132

  •  嵐山渡月橋
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    嵐山渡月橋

    嵐山渡月橋を北詰から南に望む。背後の山腹には法輪寺が見える。橋の欄干横から着物姿の女性がカメラの方を見つめるなど、人々が往来している様子がうかがえる。北詰の桜の木の下では男性が釣りをしている。写真の渡月橋は明治25年(1892)に水害で流失した。右前に見える石橋は琴聞橋で、後に車折神社御旅所に移築されている。玉村康三郎撮影。=撮影年月日不明、京都、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐113‐0]

    商品コード: 2017080903264

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    二股と桃渓橋

    日見峠及び鳴滝方面からの銭屋川(中島川本流)と西山方面からの堂門川の合流地点である。桃渓橋は、延宝7年(1679)、永島仁左衛門こと僧卜意(ぼくい)が出来大工町の堂門川に架けた長さ12.4m、幅3.4mのアーチ石橋である。川端に桃の木が多く、桃の木大工町といわれ、この名がついた。左の松の大木の場所は不動明王堂。橋は川の合流点より上部にあったので水害で崩落することがなかった。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐24‐0]

    商品コード: 2017081601024

  •  大尻川
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    大尻川

    中尊寺大尻川の流れと流れ口に架かる大尻橋を見る。 大尻橋は板橋で欄干はなく、 初期のものである。 明治35年の水害でも流されなかった。 この橋で中尊寺湖南岸より中尊寺に至る。 大尻川の流れは華厳の滝となる。 整理番号9-20と同時撮影であろうが同一写真ではない。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐5‐0]

    商品コード: 2017080201191

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    日光裏見滝

    大谷川支流の荒沢川にある裏見滝は、華巌滝、裏見滝と並ぶ日光三大名瀑。写真のように、以前は不動明王が祀られている滝の裏側まで行けたが、明治35(1902)年の大水害で道は崩落した。元禄2(1689)年、この滝を訪れた芭蕉は、「暫時は滝に籠るや夏の初」の句を残した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐23‐2]

    商品コード: 2017082400192

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    日光裏見滝

    大谷川支流の荒沢川にある裏見滝は、華巌滝、裏見滝と並ぶ日光三大名瀑。写真のように、以前は不動明王が祀られている滝の裏側まで行けたが、明治35(1902)年の大水害で道は崩落した。元禄2(1689)年、この滝を訪れた芭蕉は、「暫時は滝に籠るや夏の初」の句を残した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号94‐12‐0]

    商品コード: 2017081401052

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐9‐2]

    商品コード: 2017081002627

  •  高台にある住宅街
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    高台にある住宅街

    キーワード:マイホーム、安心、安全、一軒家、屋外、家、丘、建物、郊外、高台、住宅地、日本、不動産、無人、住まい、水害対策、近所付き合い、風景メイン写真、住宅産業=撮影日不明、神奈川県、クレジット:Keiji_Kaneda/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021021504225

  •  嵐山渡月橋
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    嵐山渡月橋

    嵐山渡月橋を桂川北岸東部から西に遠望する。手前北岸には3艘の丸子船が横付けされて停泊し、松並木が姿を見せる。橋南詰には小規模な集落が点在している。写真の渡月橋は明治25年(1892)の水害で流失した。=撮影年月日不明、京都、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐16‐0]

    商品コード: 2017081401344

  •  日光裏見滝
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    日光裏見滝

    大谷川支流の荒沢川にある裏見滝は、華巌滝、裏見滝と並ぶ日光三大名瀑。元禄2(1689)年、この滝を訪れた芭蕉は、「暫時は滝に籠るや夏の初」の句を残した。不動明王が祀られている滝の裏側まで行けたが、写真のように明治35(1902)年の大水害によって崩壊している。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐12‐0]

    商品コード: 2017081400762

  •  川岸の旅館
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    川岸の旅館

    早川の川岸から、塔の沢の温泉街を眺めた写真。二階建ての旅館は、明治43年(1910)の大水害で流出前の福住楼で、現在の紫雲荘の上手の位置に当たる。電線が見えるので、明治25年(1892)以降の撮影と判断される。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐184‐0]

    商品コード: 2017080902985

  •  日光日光含満ガ淵の百地蔵
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    日光日光含満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵は大谷川の激流が男体山の溶岩を浸蝕して生じた淵である。 この地に百地蔵がある。 並び地蔵のほとんどが健在であり、 列座先頭の親地蔵も写っている。 川の沿り大木の手前に林羅山の碑が見える。 明治35年の水害で、 並び地蔵の多くと、 親地蔵や碑は流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号8‐6‐0]

    商品コード: 2017080201044

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号67‐34‐0]

    商品コード: 2017082400232

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
    1902年12月31日
    日光憾満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵の百地蔵のほとんどが健在で、 奥正面に親地蔵が小さく写っている。 川端と大木の間に白い林羅山の碑がある。 明治35年の水害で百地蔵の一部と親地蔵と林羅山の碑は流失した。=明治35年以前、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号11‐16‐0]

    商品コード: 2017080201281

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
    1902年12月31日
    日光憾満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵は大谷川の激流が男体山の溶岩を浸蝕して生じた淵である。 この地に百地蔵がある。 渦巻く激流のほとりにあった茶屋は並び地蔵の一部と親地蔵と共に明治35年の水害で流失した。 並び地蔵におまいりしている人がいる。=明治35年以前、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号7‐11‐0]

    商品コード: 2017080201011

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
    1902年12月31日
    日光憾満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵は大谷川の激流が男体山の溶岩を浸蝕して生じた淵である。 この地に百地蔵がある。 渦巻く激流のほとりにあった茶屋は並び地蔵の一部と親地蔵と共に明治35年の水害で流失した。 茶屋の人がお茶を運んでいる。=明治35年以前、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐19‐0]

    商品コード: 2017080201137

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
    1902年12月31日
    日光憾満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵は大谷川の激流が男体山の溶岩を浸蝕して生じた淵である。 この地に百地蔵がある。 並び地蔵のほとんどが健在であり列座先頭の親地蔵が正面を向いて写っている。 明治35年の水害で並び地蔵の多くと親地蔵が流失した。=明治35年以前、日光、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐40‐0]

    商品コード: 2017080200777

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
    1904年12月31日
    日光憾満ガ淵の百地蔵

    「並(ならび)地蔵」「化(ばけ)地蔵」「百地蔵」などの呼び名で知られる大谷川の名所「憾満ガ淵(かんまんがふち)」。「含満ガ淵(がんまんがふち)」とも呼ばれる。明治35(1902)年の大水害で、並地蔵の多くが流失または破壊されるなどの大きな被害を受けた。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐59‐0]

    商品コード: 2017081401708

  •  大谷川の神橋
    1904年12月31日
    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。右手に電柱が見える。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐9‐0]

    商品コード: 2017081501538

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    1910年08月12日
    小石川春日町 水害

    キーワード:小石川、春日町、水害、大洪水、災害、浸水=1910(明治43)年8月12日、東京、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019013123487

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    1910年12月31日
    大洪水・本所中の郷の惨状

    キーワード:風俗、動物、大洪水・本所中の郷の惨状、牛車=1910(明治43)年8月、東京、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2023082410300

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    1911年07月26日
    大暴風雨大惨事

    キーワード:暴風雨、洲崎海岸、江東区=1911(明治44)年7月26日、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019011012375

  • 水害 筑後川の出水
    1929年07月10日
    水害 筑後川の出水

    筑後川の出水=1929(昭和4)年7月10日、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015040700289

  •  日本電報通信社資料
    1930年07月29日
    日本電報通信社資料

    風水害の朝鮮に派遣される海江田幸吉侍従(右)を見送る斉藤実朝鮮総督=1930(昭和5)年7月29日、東京駅(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2012091900184

  •  日本電報通信社資料
    1931年08月24日
    日本電報通信社資料

    漢口の水災、日本租界の惨状=1931(昭和6)年8月24日、掛け合わせ(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2014010800277

  •  日本電報通信社資料
    1931年08月31日
    日本電報通信社資料

    上海の日本租界の水害=1931(昭和6)年8月31日、掛け合わせ(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2014011500255

  •  日本電報通信社資料
    1931年09月04日
    日本電報通信社資料

    中国の水害の慰問船、郵船の天城丸=1931(昭和6)年9月4日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1931090400004

  •  日本電報通信社資料
    1931年09月04日
    日本電報通信社資料

    中国へ水害慰問品を持っていく慰問使の日清汽船社長の深尾隆太郎男爵。しかし満州事変勃発で「民心激昂の折柄御諒察願上げ候」と受け取りは拒否され9月下旬にむなしく帰国した=1931(昭和6)年9月4日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1931090400003

  •  日本電報通信社資料
    1931年09月06日
    日本電報通信社資料

    療養中の身で、中国の水害基金募集を放送で呼び掛ける中華民国水災同情会会長の渋沢栄一子爵(中央)と、兼子夫人(右端)、長男篤二(栄一の左後ろ)ら家族。渋沢は約2カ月後に91歳で亡くなった=1931(昭和6)年9月6日、東京・飛鳥山の自邸(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1931090600002

  •  日本電報通信社資料
    1931年09月09日
    日本電報通信社資料

    中華民国水害義援金は41万5千円に達した。写真は日本商工会議所に設けられた中華民国水災同情会の受け付け=1931(昭和6)年9月9日、東京・丸の内(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1931090900001

  •  日本電報通信社資料
    1931年09月15日
    日本電報通信社資料

    中華民国の水害慰問で同仁会の第四診療班が出発=1931(昭和6)年9月15日、東京駅(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1931091500002

  •  日本電報通信社資料
    1932年09月24日
    日本電報通信社資料

    北海道水害視察から帰京、持参した農作物を並べて党の協議会に臨む石塚英蔵貴族院議員(中央、着席者)=1932(昭和7)年9月24日、民政党本部(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015072900123

  •  救済する皇軍
    1938年06月19日
    救済する皇軍

    水害に悩む支那良民を救済する皇軍=整理1938(昭和13)年6月19日、場所不明(番号なし)

    商品コード: 2015081900327

  •  諫早水害一周年を迎えて 諫早市本野 湯尾町 中島 流された田畑と家の跡に建築の準備
    1945年01月01日
    諫早水害一周年を迎えて 諫早市本野 湯尾町 中島 流された田畑と家の跡に建築の準備

    諫早水害一周年を迎えて 諫早市本野 湯尾町 中島 流された田畑と家の跡に建築の準備、クレジット:長崎新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023061105253

  •  諫早水害一周年を迎えて 諫早市本野 湯尾町中島 流された田畑と家の
    1945年01月01日
    諫早水害一周年を迎えて 諫早市本野 湯尾町中島 流された田畑と家の

    諫早水害一周年を迎えて 諫早市本野 湯尾町中島 流された田畑と家の、クレジット:長崎新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023061105241

  •  諫早水害一周年を迎えて
    1945年01月01日
    諫早水害一周年を迎えて

    諫早水害一周年を迎えて、クレジット:長崎新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023061105233

  •  諫早水害殉難者の納骨堂 観音
    1945年01月01日
    諫早水害殉難者の納骨堂 観音

    諫早水害殉難者の納骨堂 観音、クレジット:長崎新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023061105317

  •  諫早水害一周年を迎えて
    1945年01月01日
    諫早水害一周年を迎えて

    諫早水害一周年を迎えて、クレジット:長崎新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023061105324

  •  諫早水害一周年を迎えて
    1945年01月01日
    諫早水害一周年を迎えて

    諫早水害一周年を迎えて 、クレジット:長崎新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023061105239

  •  東北地方で水害
    1947年07月28日
    東北地方で水害

    泥海と化した東北線石越駅付近(宮城県石越村)=1947(昭和22)年7月28日出稿(22年内地5586)

    商品コード: 2014082200241

  •  奥羽本線で機関車転覆
    1947年08月03日
    奥羽本線で機関車転覆

    水害被害調査中に脱線転覆した奥羽線の機関車(秋田県の峰吉川駅―羽後境駅間)=1947(昭和22)年8月3日

    商品コード: 2014112000198

  •  東北の水害
    1947年08月05日
    東北の水害

    水に浸かった盛岡市内(三戸町付近、地名は残っていない、現中央通2丁目付近)=1947(昭和22)年8月5日出稿(22年内地番号なし)

    商品コード: 2014082100093

  •  東北の水害
    1947年08月05日
    東北の水害

    船で炊き出しを配る消防団員ら(岩手県黒沢尻町)=1947(昭和22)年8月5日出稿(22年内地5671)

    商品コード: 2014082100094

  •  東北の水害
    1947年08月05日
    東北の水害

    いかだに乗って収穫した麦を見回る農民(岩手県黒沢尻町)=1947(昭和22)年8月5日出稿(22年内地5672)

    商品コード: 2014082100092

  •  東北地方に再び水害
    1947年08月07日
    東北地方に再び水害

    水害で湖と化した田圃に暗然たる農民(青森県北津軽郡中川村付近)=1947(昭和22)年8月7日出稿(22年内地5681)

    商品コード: 2014082200240

  • 米代川流域の水害地帯視察 昭和天皇、巡幸(秋田県)
    1947年08月12日
    米代川流域の水害地帯視察 昭和天皇、巡幸(秋田県)

    秋田県の米代川流域の水害地帯を巡り、鷹巣営林署舟場貯木場を視察する昭和天皇=1947(昭和22)年8月12日、秋田県沢口村(現北秋田市)

    商品コード: 1947081400004

  •  キャサリン台風(埼玉県)
    1947年09月18日
    キャサリン台風(埼玉県)

    利根川の堤防決壊で水害を逃れ学校に避難した人たち=1947(昭和22)年9月18日出稿(場所不確定)(22年内地6120) カスリーン台風

    商品コード: 2014101700180

  •  キャサリン台風(栃木県)
    1947年09月18日
    キャサリン台風(栃木県)

    宇都宮市小袋町付近の水害。右側木の上には救いを求める3人の子どもが見える=1947(昭和22)年9月(撮影日不明)(22年内地番号なし) カスリーン台風

    商品コード: 2014101700345

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    1947年09月19日
    キャスリーン台風

    キャスリーン台風が関東地方を直撃、死者・行方不明1930人を出した。豪雨により利根川などが氾濫し東京・葛飾区などに大水害を与えた、冠水した金町付近、昭和22年9月19日(22年内地6071)

    商品コード: 2002111200076

  •  キャサリン台風(東京都)
    1947年09月19日
    キャサリン台風(東京都)

    東京・銀座尾張町で水害罹災者への義援募金を呼び掛ける中学生=1947(昭和22)年9月19日(22年内地6083) カスリーン台風

    商品コード: 2014101700416

  •  米軍機、水害地へ救援出動
    1947年09月19日
    米軍機、水害地へ救援出動

    全町20尺の浸水で孤立状態の一ノ関町へ、米第9軍司令部は大型機3機で糧食と筏用のロープを投下、救援にあたっている。写真はパラシュートで救援物資を投下する米軍機=出稿1947(昭和22)年9月19日(旧連1585)

    商品コード: 2017041700294

  •  キャサリン台風(東京都)
    1947年09月20日
    キャサリン台風(東京都)

    水害をよそに神社のお祭りで踊る人たち(都内)=1947(昭和22)年9月20日出稿(22年内地6084) カスリーン台風

    商品コード: 2014101700417

  •  キャサリン台風(東京都)
    1947年09月21日
    キャサリン台風(東京都)

    水害地援護移動相談所に集まった罹災者(葛飾区の四ツ木橋付近)=1947(昭和22)年9月21日(22年内地6165) カスリーン台風

    商品コード: 2014101700472

  •  水害地御視察の天皇
    1947年09月21日
    水害地御視察の天皇

    キャスリーン台風で浸水した埼玉県原道を舟で御視察の天皇陛下=1947(昭和22)年9月21日(皇3514)(裕仁)

    商品コード: 2017080800340

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    1947年09月23日
    稲刈りする人々 上野たんぼで稲刈り

    不忍池を水田化した「上野たんぼ」で稲刈りが行われ、収穫された米の一部は先日のカスリーン台風による水害被災者に支援米として贈られた=1947(昭和22)年9月23日(昭和_757)

    商品コード: 1947092350001

  •  キャサリン台風(東京都)
    1947年09月23日
    キャサリン台風(東京都)

    水害から逃れた避難者が建てた避難小屋(葛飾区・四ツ木橋付近)=1947(昭和22)年9月23日(撮影日不確定) カスリーン台風

    商品コード: 2014111700212

  •  水害地御視察の天皇
    1947年09月25日
    水害地御視察の天皇

    キャスリーン台風で罹災した都民を御慰問の天皇陛下=1947(昭和22)年9月25日、東京都江戸川区(皇3534)(裕仁)

    商品コード: 2017080800338

  •  キャサリン台風(東京都)
    1947年09月26日
    キャサリン台風(東京都)

    水害地で子供たちを見舞う安井都知事と片山哲首相(江東区の浅間小学校)=1947(昭和22)年9月28日 カスリーン台風

    商品コード: 2014111700216

  •  キャサリン台風(東京都)
    1947年09月26日
    キャサリン台風(東京都)

    水害地で活躍する都の防疫班(葛飾区・四ツ木)=1947(昭和22)年9月26日 カスリーン台風

    商品コード: 2014111700215

  •  キャサリン台風(東京都)
    1947年09月28日
    キャサリン台風(東京都)

    葛飾区の水害地に到着した米海軍の救援食料(葛飾区・四ツ木橋付近)=1947(昭和22)年9月28日 カスリーン台風

    商品コード: 2014111700218

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    1947年09月28日
    キャスリーン台風

    水害地に到着した米海軍からの救援食料=昭和22年9月28日、東京・四つ木橋(キャスリン台風)

    商品コード: 2003122000490

  •  キャサリン台風(県名不明)利根川水害から二カ月
    1947年11月16日
    キャサリン台風(県名不明)利根川水害から二カ月

    利根川水害から二カ月、残った水田の手入れをする農民=1947(昭和22)年11月16日出稿 (場所不明) (カスリーン台風)

    商品コード: 2014120300257

  •  キャサリン台風(埼玉県)
    1947年11月16日
    キャサリン台風(埼玉県)

    利根川水害から二カ月、栗橋町の利根川決壊現場で完成まじかの第二締切り堤防=1947(昭和22)年11月16日出稿 (カスリーン台風)

    商品コード: 2014120300258

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    1948年07月26日
    北陸水害

    豪雨に襲われ浸水した福井県敦賀市内=1948(昭和23)年7月26日

    商品コード: 2014052800142

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    1948年07月27日
    北陸地方で水害

    上空から見た濁流渦巻く九頭竜川。写真中央の橋は福井地震の時、崩れ落ちたもの=1948(昭和23)年7月27日

    商品コード: 2004033000337

  •  北陸水害
    1948年07月27日
    北陸水害

    家屋内に舟を乗り入れ避難する人たち=1948(昭和23)年7月27日、富山県富山市安野屋町

    商品コード: 2014052800143

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    1948年07月27日

    23年内地 10961 ◎北陸地方で水害 浸水した富山市内=昭和23年7月27日

    商品コード: 2004033000334

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