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「湯坂」の写真・グラフィックス・映像
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-宮ノ下街道大平台と塔ノ沢のほぼ中間点で早川が大きく左折する辺りの情景。右上の道路は、明治二十年(1887)7月に開通した塔ノ沢・宮ノ下間の車道で現在の国道一号線。右側の山は湯坂山(ゆさかやま)、左側の山は明星ヶ岳(みょうじょうがたけ)の山裾、正面の山は白銀山(しろがねやま)の尾根。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号68‐9‐0]
商品コード: 2017082400279
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-塔ノ沢温泉湯坂山より眺めた塔ノ沢温泉。早川に架かる千歳橋は、その形態から明治30年後半のものと推測される。早川対岸の塔ノ峰の裾野に点在する建物群は、明治13年(1880)頃建設された日本ハリストス教会箱根避暑館で、滞在のロシア人が持ち帰った箱根細工の七福神をヒントにマトリョーシカが作られた。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号52‐16‐2]
商品コード: 2017081002375
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-湯本温泉早川と須雲川の合流点の右側に小田原馬車鉄道の湯本駅舎が見えるので、明治21年(1888)10月以降の撮影である。また、明治26年(1893)にやや上流に移設された木製トラス製の旭橋が、まだ福住旅館へ通じているので、それ以前に限定できる。川の背後は湯本温泉街と湯坂山である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐31‐0]
商品コード: 2017081400668
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-塔ノ沢温泉早川岸の塔ノ沢温泉の家並み。左隅の大きな建物は明治43年(1910)の大水害で流失する前の福住楼。右側の山は湯坂山。左の山は塔ノ峰で、中腹に見える白亜の建物は、明治13年(1880)頃築造の日本ハリストス教会箱根避暑館。その下の小山は朱舜水が驪山に勝るとして命名したと言われる勝驪山。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐17‐0]
商品コード: 2017081400607
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-湯本の山道湯本近くの山道であるが、箱根八里の旧東海道か、鎌倉時代の湯坂道か、あるいは、他の山道か不明である。背後に山等も見えないので、特定が困難である。旧東海道であれば、石畳が見えてもよさそうだが、有るか無いかはっきりしない。既に埋もれた可能性もある。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐1‐0]
商品コード: 2017082400633
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-塔ノ沢現在の出山の鉄橋を少し上った辺りの光景である。中央の渓流は早川で、この辺りは勾配が比較的穏やかなので、流れもゆったりとしている。右側の山は塔ノ峰の裾野で、その奥に見えるのは明星ヶ岳の一部である。塔ノ峰には阿弥陀寺がある。左手の山は湯坂山の麓で、今は国道一号線が早川沿いに通っている。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐15‐0]
商品コード: 2017082400648
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-湯本温泉中央右側の早川に明治18年(1885)9月に新設された木製トラス製の旭橋が見え、福住旅館へ通じており、さらに明治21年(1888)10月に開通する小田原馬車鉄道の湯本駅舎がまだ見えないので、その間の撮影である。川の背後は湯本温泉と湯坂山で、右手奥の山間には宮ノ下温泉と富士山が遠望される。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐36‐0]
商品コード: 2017081400670
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-湯本温泉湯本温泉街の中央白亜の建物福住旅館に明治10年(1877)建設の金泉楼、明治11年(1878)竣工の萬翠楼が見え、その右の早川に明治18年(1885)9月新設の木製トラス製以前の古い旭橋が見えるので、明治11年から18年の間の撮影である。手前の川は須雲川、左手の山は湯坂山。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐21‐0]
商品コード: 2017081401306
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-湯本温泉旅館明治18年(1885)9月新設の木造トラス橋が早川に架かり、福住旅館に通じている。この橋は明治26年(1893)に少し上流に移設されるので、それ以前である。左手の湯坂山の麓、湯本温泉街上方に見える白い建物は明治13年(1880)建設のハリストス教会箱根避暑館。馬車鉄道の駅の有無は確認不能。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐21‐0]
商品コード: 2017081401323
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-塔ノ沢温泉現在の千歳橋付近から、塔の沢福住樓(当時は、玉の湯か、その前身)、よきや等がある当たりを見た写真である。早川の上に対岸の東屋か川床に渡る架橋が見える。左の山は湯坂山。早川も湯坂山も十六夜日記に出る。=明治30年以前、箱根、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐36‐0]
商品コード: 2017080200866
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