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  •  小島養生所と長崎市街地
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    小島養生所と長崎市街地

    小島養生所と長崎市街地=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐12‐0]

    商品コード: 2017081501555

  •  風頭山からの長崎市街地遠望
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    風頭山からの長崎市街地遠望

    風頭山からの長崎市街地遠望=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐30‐0]

    商品コード: 2017081502342

  •  長崎市立長崎商業学校
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    長崎市立長崎商業学校

    キーワード:市立長崎商業学校、校門、外観=明治後期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018012601150

  •  Map of Nagasaki.
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    Map of Nagasaki.

    Map of Nagasaki. Published: Japan 1801 of Kyowa era. print on hosho paper : woodcut Japanese print shows map of harbor area of Nagasaki.、クレジット:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。広告、プロモーション、商業目的での利用に関してはお問合せください。

    商品コード: 2020021406934

  •  長崎市街と長崎港
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    長崎市街と長崎港

    内田九一の撮影による風頭山から望む長崎市街と長崎港。出島の横には中島川口に架けられていた大橋を見ることができる。当時、新地浦にはまだ海水が流入していた。出島側には西役所の遺構が見られ、旧県庁舎はまだ建てられていない。明治初年の写真。=1873(明治6)年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐1‐0]

    商品コード: 2017080902661

  •  長崎市街地
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    長崎市街地

    長崎市街地=明治5年頃、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐11‐0]

    商品コード: 2017082400286

  •  茂木
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    茂木

    茂木の家並みと岬。小浜温泉、天草行きの桟橋はまだ岬の先端に見受けられない。大正8年(1919)西彼杵郡茂木町となり、昭和37年(1962)長崎市に編入された。海岸には、多くの漁船と網干し場が見られる。=明治中期、長崎、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号8‐17‐0]

    商品コード: 2017080201108

  •  長崎・長崎市街
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    長崎・長崎市街

    キーワード:長崎市街、商店街、人力車、鶴田家具店、看板、街並み=撮影年月日不明、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018011900835

  •  長崎市街中心部北
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    長崎市街中心部北

    長崎市街中心部北=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐24‐0]

    商品コード: 2017081501593

  •  山間の水車小屋
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    山間の水車小屋

    整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。長崎市茂木町の河平川岸。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐56‐0]

    商品コード: 2017080902750

  •  漁村の風景
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    漁村の風景

    整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。撮影地は長崎市茂木町の茂木郵便局前。\r\n=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐60‐0]

    商品コード: 2017080902853

  •  興福寺開山堂と麹屋町
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    興福寺開山堂と麹屋町

    1864年頃、ベアトが撮った興福寺開山堂と麹屋町の通りである。幕末の長崎市内の街路の写真として最古のものの一枚である。道路の中央には石畳舗装がなされ、突き当たりの寺町通りへは後年斜路に改造される石段で結ばれている。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐28‐0]

    商品コード: 2017080902182

  •  悟真寺外国人墓地
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    悟真寺外国人墓地

    長崎市稲佐にある浄土宗悟真寺の外国人墓地。中央に見える白い塔はギリシャ正教の塔でロシア人墓地にある。その右手はオランダ人の墓域で、オランダ人商館長デュルコープなどの墓がある。=明治初期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐20‐0]

    商品コード: 2017080901983

  •  南山手の洋館群
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    南山手の洋館群

    南山手の丘陵地から長崎港方向を展望する。ロシア寺またはニコライ堂と通称するロシア正教会(ハリストス正教会、長崎市南山手イ19番ロシア領事館構内)の礼拝堂は棟上げして屋根を葺いたところで、いまだ建設中である。竣工は明治38年(1905)であり、この頃の撮影。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐14‐0]

    商品コード: 2017081502316

  •  長崎港と中町教会
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    長崎港と中町教会

    福済寺裏山から長崎市街地北部と長崎港口を撮影。中央の赤い煉瓦の建物は明治29年(1896)旧大村藩屋敷跡に建設された中町教会。従って撮影時期は明治29年(1896)から、明治32年(1899)要塞地帯法により長崎市内の写真撮影が禁止される前までの間である。写真下部は福済寺の本堂の屋根。写真右の煉瓦の建物は煙草専売公社。写真中央の沿岸部には海側に向いた倉庫の建物が並んでいる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐33‐0]

    商品コード: 2017081401338

  •  山間の渓谷での釣り人
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    山間の渓谷での釣り人

    明治中期(1887)頃の長崎の郊外の釣りの風景。手彩色の写真。長崎市街地には小河川が流れ込んでいた。また、長崎郊外の茂木には若菜川があり、多くの写真が撮影されている。長崎周辺の自然と釣り人の服装を撮影した写真。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐14‐0]

    商品コード: 2017081400550

  •  長崎市街と長崎港
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    長崎市街と長崎港

    風頭山から長崎市中と港を展望したもの。左隅の新地蔵の付近は埋め立てが進み、新しい建物が建築中であるが、内側はまだ石垣がそのまま残っている。出島と出島橋、明治2年(1869)に架けられた新大橋の架かる築町には白い洋館が見える。明治4年から5年(1871~2)頃の撮影。港の内には軍艦や船が停泊し、対岸には飽の浦の造船所、稲佐方面が展望される。=1873(明治6)年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐31‐0]

    商品コード: 2017081502361

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    諏訪神社の大鳥居

    長崎市上西山町の諏訪神社の入り口の大鳥居。天保2年(1831)に青銅で造られた。大鳥居の額には「鎮西大社」と記されている。明治7年(1874)8月20日の台風で倒壊したが、明治25年(1892)三菱造船所で鋳造して再建される。後ろの鳥居は石造りであった。周囲の建物が古さを感じさせる。内田九一が明治6年(1873)に撮影した同じアングルの写真がある。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐13‐0]

    商品コード: 2017081600923

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    風頭からの長崎市街鳥瞰(県庁側)

    風頭山の中腹、延命寺側の幣振(へいふり)坂の途中からの長崎市街の鳥瞰写真。右下が延命寺の山門。長崎奉行所西役所がおかれていた左端の茂みには明治7年(1874)に建てられる県庁の建物はまだない。まもなく県庁前に整備される地方裁判所、区裁判所、控訴院もない。町全体として江戸期の建物や土蔵を残している。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐42‐0]

    商品コード: 2017081601057

  •  長崎市街中心部南
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    長崎市街中心部南

    風頭から旧市街南部を望んだ写真である。小島ごしに東山手と長崎港の入口にアングルが向けられている。写真左下に英語で「長崎港」という意味の説明。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐11‐0]

    商品コード: 2017080201857

  •  平和の像
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    平和の像

    キーワード:1体、屋外、人物像、彫像、日本、平和の像、無人、その他、テーマメイン写真=撮影日不明、長崎県長崎市、クレジット:GYRO PHOTOGRAPHY/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020123000717

  •  長崎市街
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    長崎市街

    キーワード:長崎市街、長崎港、写真=明治中期~後期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020062204478

  •  諏訪神社
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    諏訪神社

    長崎市諏訪神社の拝殿。秋のくんちで有名な長崎の氏神である。明治初期の古写真や手彩色の絵葉書で数多く紹介されている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐17‐0]

    商品コード: 2017082400293

  •  諏訪町の通り
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    諏訪町の通り

    諏訪町通りを南東方向に撮影した写真。石段の上方は日蓮宗光栄山長照寺(長崎市寺町18)。背後は風頭山。道路脇左右に石組みの側溝、右側には水道栓、その先にオイルランプが立っている。明治20年代前半。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐29‐0]

    商品コード: 2017081502457

  •  立山からの長崎港遠望
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    立山からの長崎港遠望

    立山から長崎市街地北部と大黒町から出島に至る沿岸部を撮影。明治10年(1877)代頃。右端は旧佐賀藩の砲台で、大黒町から浦五島町、大波止を経て出島に至る。明治20年(1887)頃この沿岸部は埋め立てられ、時津街道が新設される。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号108‐1‐0]

    商品コード: 2017081501945

  •  崇福寺山門
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    崇福寺山門

    長崎市鍛冶屋町の黄檗宗崇福寺山門、龍宮門である。寛文13年(1635)唐僧、超然によって寺は創建された。崇福寺の建造物は文化財が多い。この山門も国の重要文化財に指定されている。=1872(明治5)年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐29‐0]

    商品コード: 2017080400453

  •  山腹から望む港町
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    山腹から望む港町

    整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真が、1枚物やそれをアルバムにして販売されたのに対して、個人アルバムは貴重である。全て、鮮やかな彩色がされている。撮影地は長崎市桜木町の弥生が丘バス停付近と思われる。\r\n=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐59‐0]

    商品コード: 2017080902824

  •  高鉾島
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    高鉾島

    明治中期(1887)頃の手彩色の写真。長崎市の西岸の岬の先の現在の神ノ島教会あたりから見た、高鉾島の遠景。右に見える島が、神ノ島。高鉾島は、外国人に殉教の島、パッペンベルグ(PAPPENBERG)島として知られていた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐8‐0]

    商品コード: 2017082400684

  •  茂木の家並み
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    茂木の家並み

    茂木の若菜川上流を高台から望む。若菜川は干潮のため水量は少ないが、満潮時は潮が流れ込んでいた。下流には木製の若菜橋が見える。屋根は瓦葺きが多いが、手前には何軒かの藁葺き屋根も見える。茂木は長崎、島原や大村と近く、歴史的には教会領、天領、島原領、代官領と支配が代わり、明治12年(1879)茂木村となった。昭和37年(1962)長崎市に編入された。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐38‐0]

    商品コード: 2017081502123

  •  海岸を散歩する外国人
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    海岸を散歩する外国人

    整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。アルバムの所有者と思われるが、人物は未詳。場所は現在の長崎市茂木町茂木郵便局前。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐61‐0]

    商品コード: 2017080902869

  •  弟を背負う兄と妹
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    弟を背負う兄と妹

    整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。長崎市茂木町の茂木街道「河平橋」の手前と思われる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐58‐0]

    商品コード: 2017080902885

  •  長崎市街の中心と梅香崎居留地
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    長崎市街の中心と梅香崎居留地

    ベアトによる1866年3月の書き込み。風頭山から長崎市の中心地および出島、新地、梅香崎を遠望したもの。中島川口にはまだ橋がなく、西役所の建物が右手上にみえる。新地の裏はまだ海続きである。海上に外国船舶多数。=1866年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐2‐0]

    商品コード: 2017080201625

  •  長崎のパノラマ(3枚続きパノラマの3)
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    長崎のパノラマ(3枚続きパノラマの3)

    風頭山から長崎市街中心部をパノラマ撮影した写真。梅香崎の高台から長崎県庁、県庁から現在の長崎市役所までの高台を過ぎ、高等小学校(現・桜町小学校)から諏訪神社に至る3枚綴り(目録番号5615-5617)の写真である。中島川変流工事が完了しているので、明治26年(1893)以降の撮影。 3枚目のこの写真には、桜町から高等小学校を経て、諏訪神社に至る範囲が撮影の対象である。写真の左下の寺院は光永寺である。一覧橋、古町橋、編笠橋、大井手橋が見えている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐3‐0]

    商品コード: 2017081600824

  •  小島養生所と長崎市街地
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    小島養生所と長崎市街地

    小島養生所と長崎市街地=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号120‐18‐0]

    商品コード: 2017081601097

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601570

  •  長崎市街中心部
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    長崎市街中心部

    風頭から撮られた長崎の旧市街と港の光景である。対岸は稲佐。町並みの中心部分に左上がりに中島川が写っている。川の石橋群も見ることができる。写真中央の白い建物は師範学校や小学校。整理番号21-6 の写真の複製と思われる。=1879(明治12)年頃、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐4‐0]

    商品コード: 2017080201731

  •  お栄のホテルでくつろぐ軍人と女たち
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    お栄のホテルでくつろぐ軍人と女たち

    「ホテル・ヴェスナー(春)」の庭でくつろぐロシア兵と女性たち。嘉永6年(1853)、司令官プチャーチンがロシア艦艇4隻を率いて稲佐に上陸して以来、稲佐はロシア人の居留地を呈した。ホテルは明治26年(1893) 11月に完成し、落成式にはロシア極東艦隊司令長官、艦長、幕僚らが参加した。写真の向こうには長崎港が広がり、長崎市街、英彦山、立山が一望できる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号107‐4‐0]

    商品コード: 2017081501902

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    長崎のパノラマ(3枚続きパノラマの1)

    風頭山から長崎市街中心部をパノラマ撮影した写真。梅香崎の高台から長崎県庁、県庁から現在の長崎市役所までの高台を過ぎ、高等小学校(現・桜町小学校)から諏訪神社に至る3枚綴り(目録番号5615-5617)の写真である。中島川変流工事が完了しているので、明治26年(1893)以降の撮影。1枚目のこの写真には、左から梅香崎の高台、その先の長崎税関、新地、出島と変流後の中島川、長崎県庁から地方裁判所までが撮影されている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐1‐0]

    商品コード: 2017081600823

  •  シーボルト像
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    シーボルト像

    キーワード:シーボルト、屋外、人物像、彫像、日本、無人、その他、テーマメイン写真=撮影日不明、長崎県長崎市、クレジット:GYRO PHOTOGRAPHY/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020122902255

  •  八坂神社
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    八坂神社

    整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真が、1枚物やそれをアルバムにして販売されたのに対して、個人アルバムは貴重である。全て、鮮やかな彩色がされている。長崎市鍛冶屋町の八坂神社。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐57‐0]

    商品コード: 2017080902855

  •  長崎市街中心部
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    長崎市街中心部

    風頭から見た長崎の旧市街と港の風景である。街の中心部分に左上がりに中島川が写っている。川の石橋群も観察される。この写真は茶色に変色しているが、整理番号21-4 の同一の写真のオリジナルではないかと思われる。=明治中期、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐6‐0]

    商品コード: 2017080201846

  •  興福寺の大雄宝殿
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    興福寺の大雄宝殿

    南京寺と通称される東明山興福寺(長崎市寺町64)の大雄宝殿。元和6年(1620)、中国・江西省浮梁県から渡来した眞圓が開創。宝殿、山門、経堂は二代住持の黙子如定が寛永18年(1641)に建立した。向かって左奥の入母屋造りは媽祖堂(媽祖は航海の守護神)、右端は庫裡(台所にあたる建物)。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐47‐0]

    商品コード: 2017081502218

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    長崎市街と長崎港

    左端の梅香崎の埋立地に建物が建ち込み、波止場には長崎税関が見える。新地の海岸側には洋館が建てられ、裏側では護岸工事が進んでいる。変流前の中島川の河口には明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。出島では、築町の対岸側に新しい洋館が建っているが、明治9年(1876)建設の美以教会の鐘塔も、同11年(1878)建設の聖公会神学校の鐘塔も見えない。したがって、撮影時期は明治5年前後である。暴風雨で倒壊した初代県庁舎に代わって、明治9年に新築される2代目県庁舎もまだ見えない。五島町あたりには諸藩の蔵屋敷が多かった。めぼしい大きな建物が市街にまだない頃の、風頭山から見た典型的な明治初期の長崎の鳥瞰である。=1873(明治6)年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐22‐0]

    商品コード: 2017082400663

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    大徳寺跡から立山方面を望む

    大徳寺跡の境内から立山方面の長崎市街地を撮影している。奥の高台は旧内町で古くは石垣で囲われていた。甍(いらか)の町は、長崎のダウンタウンである思案橋、浜町から中島川右岸の町である。台風により瓦が飛ばないように固めた漆喰が目立つ。また白壁の土蔵が多いのも特徴的である。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐29‐0]

    商品コード: 2017081600957

  •  梁川
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    梁川

    明治初期の撮影。現在の長崎市の浦上川下流。浦上川の河口は、当時浦上山里村で、浦上川の下流は、梁川と呼ばれていた。写真は、下流から上流を撮影したもの。写真右側は左岸で浦上新田である。左側は右岸で、竹の久保付近である。明治30年(1897)以降に埋立てられる前の、浦上川下流の風景。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐30‐0]

    商品コード: 2017081501693

  •  諏訪神社の大鳥居
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    諏訪神社の大鳥居

    長崎市上西山町の諏訪神社入口の大鳥居が写っている。半纏の男がてを回している。鳥居の大きさを示すためであろうか。写真したにはドイツ語で「長崎の神社の鳥居」の意味の説明が付されている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号1‐19‐0]

    商品コード: 2017080200694

  •  風頭山から見た長崎市街
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    風頭山から見た長崎市街

    風頭山から見た長崎市街=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐5‐0]

    商品コード: 2017081502147

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601607

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601606

  •  諏訪神社の鳥居
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    諏訪神社の鳥居

    明治中期(1887)頃の手彩色の写真。秋のくんちの踊り馬場から参道入り口方面を見た写真。三つの鳥居が重なって見える。鳥居越しに、長崎市市街地と寺町周辺が見えている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐13‐0]

    商品コード: 2017081400573

  •  長崎市街中心部北
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    長崎市街中心部北

    風頭から長崎市街北部にアングルが向けられている。出島、梅ケ 崎ごしに港を望んでいる。対岸は飽の浦。出島橋が架設されているのがわかる。整理番号75-9 、75-22と大体おなじアングル。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐10‐0]

    商品コード: 2017080201831

  •  長崎市街中心部北
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    長崎市街中心部北

    長崎市街中心部北=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号101‐2‐0]

    商品コード: 2017081501501

  •  長崎市浜の町
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    長崎市浜の町

    キーワード:長崎市浜の町、商店街、提灯の飾り付け、天秤棒、絵葉書=明治後期、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020062204459

  •  大浦海岸通り
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    大浦海岸通り

    キーワード:長崎市、大浦海岸通り、洋館の街並み、絵葉書=撮影年月日不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020062204495

  •  長崎市街と長崎港
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    長崎市街と長崎港

    長崎市街と長崎港=1873(明治6)年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐7‐0]

    商品コード: 2017081401331

  •  大黒町および出島と長崎港口
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    大黒町および出島と長崎港口

    ベアトによる1866年2月の書き込み。立山(現長崎駅前)から長崎市内と港口を遠望する。海岸沿いに各藩の蔵屋敷がみられ、旧市内の建物、西役所、出島、大浦居留地、大浦教会がみええる。海上には船舶が多数。=1866年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐3‐0]

    商品コード: 2017080201537

  •  長崎港と浪の平南山手
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    長崎港と浪の平南山手

    南山手外国人居留地の南の端付近から長崎市街地方向を望む。写真右の建物は、明治20年(1887) 7月、尋常小曾根小学校を改称した尋常鎮鼎小学校。学校の裏手から山麓一帯が南山手外国人居留地。左側の町並みは手前から古河町、浪の平町。写真中央の工場付近が小曾根町の三菱炭鉱社と麦粉会社。居留地末期の明治30年(1897)頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号105‐45‐0]

    商品コード: 2017081501939

  •  長崎市街と長崎港
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    長崎市街と長崎港

    風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の町並み。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐16‐0]

    商品コード: 2017081502343

  •  浪の平と長崎港
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    浪の平と長崎港

    南山手外国人居留地の南端にある金刀比羅神社の高台から浪の平越しに長崎市街地を望む。右の空き地の居留地境には、明治20年(1887)7月に建つ尋常鎮鼎小学校はまだない。左側の古河町と浪の平町の海岸には中小の造船所が見える。上の工場付近は小曾根町の三菱炭坑社となる。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐2‐0]

    商品コード: 2017081601014

  •  風頭からの長崎市街鳥瞰(立山側)
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    風頭からの長崎市街鳥瞰(立山側)

    左下は延命寺の山門。右端には興福寺にあった開山堂が見える。その上の大伽藍は光永寺の本堂。正面の立山の山麓には福済寺や聖福寺などの寺院が連なっている。道路の縦筋は、左から現在の諏訪通り、まっすぐなのは新橋通り、右は紺屋通りである。この鳥瞰写真でも旧家や蔵屋敷の土蔵が目立つ。江戸時代総町80か町時代の様子がわかる。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐43‐0]

    商品コード: 2017081601058

  •  長崎市街北部及び長崎港
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    長崎市街北部及び長崎港

    風頭山から撮影した、長崎市街中心部、現在の長崎県庁から長崎市役所に至る高台から大黒町を経て、右端に浦上新田を撮影したもの。明治20年(1887)頃の撮影。写真下側の市街地の中心部に中島川が見える。明治中期の繁栄した長崎の密集した市街地を見ることができる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号106‐41‐0]

    商品コード: 2017081501979

  •  長崎市街中心部
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    長崎市街中心部

    長崎市街中心部=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐5‐0]

    商品コード: 2017081400546

  •  小島養生所と長崎市街地
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    小島養生所と長崎市街地

    幕末から明治初期の撮影。中央に小島養生所が見える。万延元年(1860)5月、小島郷佐古に病院を建て、民衆の治療に当たらせた。これが小島養生所である。文久元年(1861)には、養生所地続きの所に医学所が新設され、ポンペが内科外科の講義を行った。左下の窪地は唐人屋敷である。=1865年頃、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐20‐0]

    商品コード: 2017081501701

  •  長崎・風頭山
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    長崎・風頭山

    キーワード:風頭山(かざがしらやま)、休憩する子供たち、長崎市街、長崎湊、景色、景観=明治中期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018011900874

  •  長崎・寄合町
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    長崎・寄合町

    キーワード:長崎市寄合町、街並み、人力車、和装の女性、日の丸の旗、国旗=明治後期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018011900924

  •  長崎市街中心部北
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    長崎市街中心部北

    長崎市街中心部北=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号79‐3‐0]

    商品コード: 2017081401215

  •  長崎市街と長崎港
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    長崎市街と長崎港

    長崎市街と長崎港=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐4‐0]

    商品コード: 2017082400591

  •  福済寺からの長崎市街
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    福済寺からの長崎市街

    福済寺からの長崎市街=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐31‐0]

    商品コード: 2017081400579

  •  A British naval officer from HMS
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    A British naval officer from HMS

    A British naval officer from HMS ‘Inconstant‘ being tattooed in Nagasaki during the ship‘s courtesy visit to Japan. Engraving, London, 1892. 、クレジット:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。広告、プロモーション、商業目的での利用に関してはお問合せください。※エディトリアル使用のみ。広告、プロモーション、商業目的での利用に関してはお問合せください。

    商品コード: 2020020301015

  •  長崎市寄合町の街並み
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    長崎市寄合町の街並み

    キーワード:長崎市寄合町、街並み、坂道、寄合町遊郭=明治後期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018012601148

  •  平和祈念像
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    平和祈念像

    キーワード:屋外、人物像、彫像、日本、平和祈念像、無人、その他、テーマメイン写真=撮影日不明、長崎県長崎市、クレジット:GYRO PHOTOGRAPHY/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020122901654

  •  隅田川の舟遊び
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    隅田川の舟遊び

    山谷堀が隅田川に流れ込む河口にあった有明楼(ゆうめいろう)前の今戸河岸で内田九一が撮影。浅瀬なので舟が浮いていない。それでブレずにシャープに撮れている。背景は向島で牛島神社や長命寺のある辺りである。この度長崎市立博物館所蔵の内田九一撮影のアルバムの中にこの写真を見つけ、九一撮影だと確認した。撮影は明治5年と思われるが、本写真は後に複写され販売されたもの。=撮影年月日不明、東京、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐25‐0]

    商品コード: 2017081400890

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    長崎・市中の火事騒ぎ

    キーワード:市中の火事騒ぎ、逃げ惑う人たち、火災、混乱、災害、「淋球」の看板=明治後期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018012601179

  •  福済寺からの長崎市街
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    福済寺からの長崎市街

    福済寺の上の墓地から見た、長崎市街地北部と出島から大黒町に至る沿岸部。出島の変流工事が終わっておらず、明治10年代と思われる。出島から五島町に至る沿岸部は浦上新道の整備がされていない。写真右、松の木の先端付近が砲台である。写真中央の空き地は、後に中町教会が建てられた大村藩屋敷跡である。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐4‐0]

    商品コード: 2017081502073

  •  長崎市街、長崎港
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    長崎市街、長崎港

    キーワード:長崎市街、長崎港、ステレオ写真=明治初期~中期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020062204484

  •  長崎市街、長崎港
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    長崎市街、長崎港

    キーワード:長崎市街、長崎港、絵葉書=明治中期、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020062204496

  •  風頭山から見た長崎市街
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    風頭山から見た長崎市街

    風頭山から見た長崎市街=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号120‐13‐0]

    商品コード: 2017081600964

  •  長崎市街と長崎港
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    長崎市街と長崎港

    長崎市街と長崎港=1870年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。[目録番号 : 7295]

    商品コード: 2024081310823

  •  石橋と長崎市街
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    石橋と長崎市街

    石橋と長崎市街=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号100‐1‐0]

    商品コード: 2017081501594

  •  長崎・長崎市街
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    長崎・長崎市街

    キーワード:風頭山(かざがしらやま)から長崎市街を望む=撮影年月日不明、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019010701565

  •  長崎市街、長崎港
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    長崎市街、長崎港

    キーワード:南山手外国人居留地から長崎市街を望む。長崎港に停泊する船、海岸には中小の造船所が見える。後に三菱炭坑となる=明治初期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019010701530

  •  長崎大光寺本堂
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    長崎大光寺本堂

    長崎市鍛冶屋町にある浄土真宗大光寺本堂である。唐通事陽惣右衛門の寄進による。墓地には、日本印刷の祖本木昌造の墓がある。同じアングルで上野彦馬が同じポーズをとりベアトが撮影した幕末の写真(整理番号66-27)が残されているが、長崎を来訪した九一がこの写真と同じポーズでこれを撮影したと推測される。同様の彩色写真(整理番号15-28, 66-2)も、同じ写真の無彩色(整理番号66-3)もコレクションの中にある。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号15‐28‐0]

    商品コード: 2017080201561

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601605

  •  長崎市寄合町
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    長崎市寄合町

    キーワード:長崎市寄合町、街並み、絵葉書=明治後期、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020062204458

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    長崎のパノラマ(3枚続きパノラマの2)

    風頭山から長崎市街中心部をパノラマ撮影した写真。梅香崎の高台から長崎県庁、県庁から現在の長崎市役所までの高台を過ぎ、高等小学校(現・桜町小学校)から諏訪神社に至る3枚綴り(目録番号5615-5617)の写真である。中島川変流工事が完了しているので、明治26年(1893)以降の撮影。2枚目のこの写真には、控訴院、長崎商業学校、長崎市役所が撮影されている。中島川の石橋は下流から、袋橋、眼鏡橋から芊原橋(ススキハラバシ)まで含まれている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐2‐0]

    商品コード: 2017081600821

  •  長崎市街中心部と長崎港
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    長崎市街中心部と長崎港

    風頭山の南端から撮影。第1次長崎港改修事業完了後の明治26年(1893)頃。中島川は出島の背後に変流し、河口には、明治23年(1890)架設の新川口橋が架かっている。銅座川が新地の北側を流れるようになり、新地の海岸部には大規模な中国商社の建物が並んでいる。明治中期の急激に近代化する長崎市街地中心部を撮影した写真である。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐9‐0]

    商品コード: 2017082400615

  •  長崎福田海岸の洞窟
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    長崎福田海岸の洞窟

    明治中期。長崎市の福田海岸にあった洞窟。当時は観光にも使われていたようで、観光客らしい人物が洞窟を遠望し、洞窟には洞内の見学船と思われる小船が接近している。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐16‐0]

    商品コード: 2017081400630

  •  立山からの長崎港と町並み
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    立山からの長崎港と町並み

    筑後町の聖福寺の裏山から長崎市街地北部と長崎港口を撮影した写真である。写真左端の変流後の中島川の河口に明治23年(1890)に架設された錬鉄製のトラス橋、新川口橋が見える。また、明治29年(1896)に建設される中町教会がまだない。このことより、撮影時期は明治23年(1890)から明治29年(1896)の間である。出島から大波止・浦五島町・大黒町に至る、長崎市街地北部の沿岸部が撮影されている。低い角度から撮影されているために、市街地の建物の詳細を見ることができる。写真左に出島があり、中島川を湾奥に流すための導流堤が見える。その手前が大波止である。浦五島町の沿岸部には、海岸部に向いて長い倉庫群が見える。写真の右中の沿岸部のまとまった建物は、税関である。写真右下の赤い塀と長い建物は、大村藩邸の場所である。明治29年(1896)に中町教会が建設される場所である。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐21‐0]

    商品コード: 2017082400582

  •  長崎市本石灰町
    1912年12月31日
    長崎市本石灰町

    キーワード:長崎市本石灰町、商店街、賑わう通り、絵葉書=大正期、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020062204457

  •  日本電報通信社資料
    1931年04月06日
    日本電報通信社資料

    三菱造船長崎造船所で進水した一等巡洋艦「鳥海」=1931(昭和6)年4月5日、長崎市(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1931040600006

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    1932年02月02日
    出迎える長崎市民 上海事変

    埠頭で上海からの婦女子避難者を出迎える長崎市民たち=1932(昭和7)年2月、長崎港(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932020250001

  •  上海事変
    1932年02月02日
    上海事変

    埠頭で上海からの婦女子の避難者を出迎える長崎市民たち=1932(昭和7)年2月2日、長崎港(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932020200005

  •  日本電報通信社資料
    1932年02月02日
    日本電報通信社資料

    長崎丸で上海から帰還した第1回婦女子の避難者たちを埠頭で出迎える長崎市民たち=1932(昭和7)年2月2日、長崎港(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2014121000278

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    1945年05月31日
    投下前の三菱製綱所 長崎に原爆投下

    原爆投下前の三菱製綱所全景=1945(昭和20)年5月、長崎市内(米軍提供)

    商品コード: 1945053150002

  • B29爆撃機「エノラ・ゲイ」 Boeing B-29 ‘Enola Gay‘
    1945年08月05日
    B29爆撃機「エノラ・ゲイ」 Boeing B-29 ‘Enola Gay‘

    Boeing B-29 ‘Enola Gay‘. Historical image of the Boeing B-20 ‘Enola Gay‘ on Tinian in the Marianas Islands, Pacific Ocean. This aircraft, piloted by Colonel Paul Tibbets, dropped the ‘Little Boy‘ bomb over the Japanese city of Hiroshima at 8.16am local time, on 6th August 1945. Detonating 565 metres above the city centre, the bomb had an explosive energy equivalent to 12.5 kilotons (12,500 tons) of TNT. It is estimated that over 155,000 people died in Hiroshima; this figure includes radiation- related deaths within the first year. This bomb, and a second dropped on the city of Nagasaki, resulted in the end of World War Two.、クレジット:Science Photo Library/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023051806556

  • B29爆撃機「エノラ・ゲイ」 Boeing B-29 ‘Enola Gay‘
    1945年08月05日
    B29爆撃機「エノラ・ゲイ」 Boeing B-29 ‘Enola Gay‘

    Boeing B-29 ‘Enola Gay‘. This aircraft, piloted by Colonel Paul Tibbets, dropped the ‘Little Boy‘ bomb over the Japanese city of Hiroshima at 8.16am local time, on 6th August 1945. Detonating 565 metres above the city centre, the bomb had an explosive energy equivalent to 12.5 kilotons (12,500 tons) of TNT. It is estimated that over 155,000 people died in Hiroshima; this figure includes radiation- related deaths within the first year. This bomb, and a second dropped on the city of Nagasaki, resulted in the end of World War Two.、クレジット:Science Photo Library/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023051806559

  • B29爆撃機「エノラ・ゲイ」のイラスト Boeing B-29 ‘Enola Gay‘, illustration
    1945年08月05日
    B29爆撃機「エノラ・ゲイ」のイラスト Boeing B-29 ‘Enola Gay‘, illustration

    Boeing B-29 ‘Enola Gay‘. 1984 illustration of the Boeing B-20 ‘Enola Gay‘ dropping the ‘Little Boy‘ bomb. This aircraft, piloted by Colonel Paul Tibbets, dropped the ‘Little Boy‘ bomb over the Japanese city of Hiroshima at 8.16am local time, on 6th August 1945. Detonating 565 metres above the city centre, the bomb had an explosive energy equivalent to 12.5 kilotons (12,500 tons) of TNT. It is estimated that over 155,000 people died in Hiroshima; this figure includes radiation- related deaths within the first year. This bomb, and a second dropped on the city of Nagasaki, resulted in the end of World War Two.、クレジット:Science Photo Library/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023051806549

  • B29爆撃機「エノラ・ゲイ」 Bomber which dropped the first atomic bomb in war
    1945年08月05日
    B29爆撃機「エノラ・ゲイ」 Bomber which dropped the first atomic bomb in war

    Aircraft which dropped the first atomic bomb. The Boeing B-29 Superfortress Enola Gay bomber which was used to drop the first atomic weapon used in anger. The aircraft, piloted by Colonel Paul Tibbets, dropped the ‘Little Boy‘ bomb over the Japanese city of Hiroshima at 8.16am local time, 6 August 1945. Detonating 565 metres above the city centre, the bomb had an explosive energy equivalent to 12.5 kilotons (12,500 tons) of TNT. It is estimated that over 155,000 people died in Hiroshima; this figure includes radiation- related deaths within the first year. This bomb, and a second dropped on the city of Nagasaki, resulted in the end of World War Two.、クレジット:Science Photo Library/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023051806547

  •  Atomic bomb at Hiroshima
    1945年08月06日
    Atomic bomb at Hiroshima

    World War II - Atomic bomb, Hiroshima August 1945. The atomic bombings of the cities of Hiroshima and Nagasaki in Japan were conducted by the United States during the final stages of World War II in 11945. The two events are the only use of nuclear weapons in war to date.、クレジット:DPA/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022081706365

  •  Pilots of first and second atom bomb flights
    1945年08月06日
    Pilots of first and second atom bomb flights

    Pilots of the two atomic bomb missions. Colonel Paul Tibbets (centre) shakes hands with Major Charles Sweeney (left) shortly before the second atomic bomb mission. Tibbets was the pilot of the B-29 Superfortress Enola Gay which dropped the first atomic bomb on the Japanese city of Hiroshima on 6 August 1945. Sweeney was the pilot of the B-29 Bockscar which dropped the second atomic bomb on the city of Nagasaki on 9 August 1945. The man at right is Captain James Van Pelt, navigator for the Nagasaki mission. These two bombs resulted in over 240,000 dead in the two cities, but ended the fighting in the Far East in World War Two.、クレジット:Science Photo Library/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022082308107

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