KYODO NEWS IMAGELINK

報道写真の購入なら共同通信イメージズ

  • あざ
  • しゅく
  • りゅう
  • 一行
  • 万治
  • 万福寺
  • 三筆
  • 両国
  • 令和
  • 会長

「蔵書印」の写真・グラフィックス・映像

絞り込み
  • 提供元
  • 日付
  • 種類
  • 向き
  • カテゴリ
並び順
  • 古い順
4
( 1 4 件を表示)
  • 1
4
( 1 4 件を表示)
絞り込み
並び順
  • 古い順
  • 2008年10月29日
    勝海舟蔵書の源氏物語写本 最古級の源氏物語写本

    鎌倉時代中期の写本とみられる源氏物語「梅枝」の巻。中央上に勝海舟(勝安芳)の蔵書印が押してある=29日午後、神戸市東灘区の甲南女子大

    商品コード: 2008102900212

  • 2008年10月29日
    勝海舟の蔵書印 最古級の源氏物語写本

    甲南女子大が所蔵する源氏物語「梅枝」の巻に押されている勝海舟(安芳)の蔵書印

    商品コード: 2008102900251

  • 2019年08月24日
    300年前に日本で刊行の漢籍が中国に「逆輸入」福建省福清市

    福清市黄檗文化促進会が今回購入した「荘子鬳斎口義」に残る「和田表図書記」の蔵書印。(8月24日)中国福建省の福清市黄檗(おうばく)文化促進会は8月24日、同市出身の著名在日華僑の劉莉生(りゅう・りせい)氏の協力を得て、日本の古書店から「老子鬳斎口義(けんさいくぎ)」「列子鬳斎口義」「荘子鬳斎口義」という貴重な漢文古籍3部を購入した。これらの古籍は中国で書かれたが、日本に伝わり広く刊行されたため、両国で幾つかの版本が残されている。今回の購入で日本の版本の一つが中国に「逆輸入」されたことになる。「列子鬳斎口義」と「荘子鬳斎口義」は日本の万治2年(1659年)、「老子鬳斎口義」は宝永6年(1709年)の出版。著者は中国儒学の一派、南宋理学最後の学者といわれる林希逸(りん・きいつ、1193~1271年)。林希逸は現在の福清市魚渓鎮で生まれ、字(あざな)を粛翁(しゅくおう)、号を鬳斎または竹溪(ちくけい)という。ほかにも「竹溪稿」「竹溪詩選」「竹溪鬳斎続集」などの著作がある。劉氏はこれらの著作について、黄檗宗の僧侶、隠元禅師の一行が1654年に渡日した際に持ち込んだものが、その後、日本で大量に印刷・出版されて広まったのだろうと語る。福清市黄檗文化促進会の林文清(りん・ぶんせい)会長は、林希逸と黄檗宗との関係を説明してくれた。林希逸の子孫で禅僧の即非如一(そくひにょいつ)は、俗姓を林といい、同市内の黄檗山万福寺で隠元の主な弟子の1人だったという。隠元渡日から3年後に隠元の招きで日本に渡り、15年にわたる布教の中で、隠元が日本で黄檗宗を開くのを助け、隠元入滅後はその後を継いだ。即非如一は詩や書に長けており、師匠の隠元や兄弟子の木庵(もくあん)と共に「黄檗の三筆」と称され、江戸時代の日本の文化に大きな影響を与えた。(福州=新華社配信/劉莉生)=2019(令和元)年8月24日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091700623

  • 2019年08月24日
    300年前に日本で刊行の漢籍が中国に「逆輸入」福建省福清市

    「列子鬳斎口義」に残る「大島氏図書」の蔵書印。(8月24日撮影)中国福建省の福清市黄檗(おうばく)文化促進会は8月24日、同市出身の著名在日華僑の劉莉生(りゅう・りせい)氏の協力を得て、日本の古書店から「老子鬳斎口義(けんさいくぎ)」「列子鬳斎口義」「荘子鬳斎口義」という貴重な漢文古籍3部を購入した。これらの古籍は中国で書かれたが、日本に伝わり広く刊行されたため、両国で幾つかの版本が残されている。今回の購入で日本の版本の一つが中国に「逆輸入」されたことになる。「列子鬳斎口義」と「荘子鬳斎口義」は日本の万治2年(1659年)、「老子鬳斎口義」は宝永6年(1709年)の出版。著者は中国儒学の一派、南宋理学最後の学者といわれる林希逸(りん・きいつ、1193~1271年)。林希逸は現在の福清市魚渓鎮で生まれ、字(あざな)を粛翁(しゅくおう)、号を鬳斎または竹溪(ちくけい)という。ほかにも「竹溪稿」「竹溪詩選」「竹溪鬳斎続集」などの著作がある。劉氏はこれらの著作について、黄檗宗の僧侶、隠元禅師の一行が1654年に渡日した際に持ち込んだものが、その後、日本で大量に印刷・出版されて広まったのだろうと語る。福清市黄檗文化促進会の林文清(りん・ぶんせい)会長は、林希逸と黄檗宗との関係を説明してくれた。林希逸の子孫で禅僧の即非如一(そくひにょいつ)は、俗姓を林といい、同市内の黄檗山万福寺で隠元の主な弟子の1人だったという。隠元渡日から3年後に隠元の招きで日本に渡り、15年にわたる布教の中で、隠元が日本で黄檗宗を開くのを助け、隠元入滅後はその後を継いだ。即非如一は詩や書に長けており、師匠の隠元や兄弟子の木庵(もくあん)と共に「黄檗の三筆」と称され、江戸時代の日本の文化に大きな影響を与えた。(福州=新華社配信/劉莉生)=2019(令和元)年8月24日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019091700709

  • 1