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    放射線影響研究所 広島研究所

    キーワード:テレビタワー、影響、屋外、建物、研究所、原子爆弾、公園、調査、南区、日本、被曝者、被爆者、放射線、無人、研究施設、比治山公園、風景メイン写真、放射線影響研究所、日米共同研究機関、放影研、カラフルな建物=撮影日不明、広島県広島市、クレジット:A_Murakawa/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020122905060

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    LEADENHALL MARKET AT CHRISTMAS EVE ENGRAVING 1884, a covered market in London, located on Gracechurch Street, UK

    LEADENHALL MARKET AT CHRISTMAS EVE ENGRAVING 1884, a covered market in London, located on Gracechurch Street, UK, britain, british, europe, united kingdom, great britain, european.、クレジット:Album/quintlox/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。

    商品コード: 2021100514462

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    原爆ドームとおりづるタワー

    キーワード:モニュメント、遺跡、屋外、記念公園、建物、原爆ドーム、公園、紅葉、秋、象徴、世界遺産、塔、日本、被爆、平和記念公園、平和公園、保存、無人、歴史的建造物、風景メイン写真、おりづるタワー、ヒロシマ、被曝=撮影日不明、広島県、クレジット:A_Murakawa/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020122905210

  • 1938年12月16日
    原爆被爆前 浦上天主堂

    原爆に被災する前=1938(昭和13)年12月、長崎・浦上天主堂、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100627

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    1944年06月16日
    八幡製鉄(新日鉄八幡) 被爆した東田地区の工場

    米空軍B29の空襲で被爆した八幡市中央町と八幡製鉄所東田地区の工場=1944(昭和19)年6月16日、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015031000296

  • 1945年08月06日
    The bombing of Nagasaki.

    The bombing of Nagasaki. The city is only one of two atomic bomb targets in history so far. Codenamed ‘Fat Man‘, the bomb killed 40,000 instantly and achieved a final death toll of nearly 74,000 and almost 75,000 injuries. Although more powerful than the ‘Little Boy‘ bomb that was dropped on Hiroshima, Nagasaki‘s rough terrain meant the damage was reduced.、クレジット:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019100403770

  • 1945年08月06日
    被爆死体 広島に原爆投下

    広島市内の惨状。西練兵場付近の被爆死体。下の黒点は現像むら=1945(昭和20)年8月10日から17日の間(資料 60478)

    商品コード: 1945080600001

  • 1945年08月06日
    The bombing of Nagasaki.

    The bombing of Nagasaki. The city is only one of two atomic bomb targets in history so far. Codenamed ‘Fat Man‘, the bomb killed 40,000 instantly and achieved a final death toll of nearly 74,000 and almost 75,000 injuries. Although more powerful than the ‘Little Boy‘ bomb that was dropped on Hiroshima, Nagasaki‘s rough terrain meant the damage was reduced.、クレジット:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019100404030

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    1945年08月06日
    被爆直後 原爆のきのこ雲

    水分(みくまり)峡(広島県府中町)入り口から撮った原子雲。原爆のさく裂2分後、最も早く撮られた写真と推定されている。撮影日1945年(昭和20)年8月6日、撮影:山田精三、クレジット:中国新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015072700429

  • 1945年08月09日
    浦上天主堂

    被爆直後の浦上天主堂、長崎市=1945(昭和20)年8月

    商品コード: 2005061100053

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    1945年08月10日
    本土空襲 太平洋戦争

    被爆後の広島の航空写真。円内の色の濃い部分は原爆で完全に破壊された所を示す。軍事施設と工業施設には番号が振られ、それぞれの破壊の程度が記されている=1945年8月、米陸軍航空隊情報部撮影(ACME)

    商品コード: 2010072000214

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    1945年08月11日
    焼けただれた脚 広島の原爆被害

    焼けただれた被爆者の脚=1945(昭和20)年8月10日から17日の間、広島市の西練兵場付近(20年内地439-U)

    商品コード: 2007081600093

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    1945年08月11日
    焼けた電車 広島の原爆被害

    八丁堀付近の電車通りで被爆し、全焼した路面電車。左後方に見える建物は流川教会=昭和20年8月10日か11日(20年内地439-M)この写真は大阪大学調査団(団長・浅田常三郎教授)に同行した同盟通信社大阪支社の中田左都男記者が8月10日から11日にかけて撮影したもの。

    商品コード: 2007081600089

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    1945年08月11日
    被爆死体 広島の原爆被害

    西練兵場付近の被爆死体。画面下部の黒点は現像むらの跡=1945(昭和20)年8月10日から17日の間(20年内地439-V、昭和544)、終戦後、ACMEはこれを入手し9月2日に世界へ配信した。

    商品コード: 2007081600094

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    1945年08月13日
    本土空襲 太平洋戦争

    米軍偵察機による被爆後の長崎の航空写真。色の濃い部分は激甚被害が想定される地域。軍事施設と工業施設には番号が振られ、別紙にそれぞれの破壊の程度が記されている=1945年8月、米陸軍航空隊撮影(ACME)

    商品コード: 2010072000229

  • 1945年08月31日
    Victim of the Hiroshima Nuclear explosion August 1945

    Victim of the Hiroshima Nuclear explosion August 1945、クレジット:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019020605968

  • 1945年08月31日
    原爆被爆 浦上天主堂

    被爆直後の浦上天主堂の惨状(長崎原爆)=1945(昭和20)年頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100393

  • 1945年08月31日
    原爆被爆 浦上天主堂

    長崎。一瞬にして廃墟と化した浦上天主堂=撮影日不明、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100394

  • 1945年08月31日
    原爆被爆 浦上天主堂

    焼け野原となった浦上天主堂付近=1945(昭和20)年8月頃、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100409

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    1945年09月02日
    被爆 太平洋戦争

    黒焦げになった広島原爆犠牲者の遺体=1945年9月(ACME)※注:この写真は「資料60478」と同一で、同盟通信大阪写真部の佐伯敬(さえき・たかし)カメラマンが撮影した「西練兵場付近の被爆死体」である。ACMEから海外に転電され、デーリー・ニューズに渡り、共同通信に還流してきたもの。画面下部の黒点は現像むらの跡。

    商品コード: 2010102600182

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    1945年09月02日
    被爆 太平洋戦争

    1945年8月9日の原爆投下で壊滅した長崎市街の航空写真=1945年9月、米陸軍航空隊撮影(ACME)

    商品コード: 2010102600186

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    1945年09月06日
    被爆 太平洋戦争

    被爆後の長崎。1発の爆弾が全市を灰とがれきと溶けた金属に変えた=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102600211

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    1945年09月10日
    被爆 太平洋戦争

    1945年8月9日の原爆投下から約一カ月経った長崎の光景。この丘の斜面に、かつては住宅が建ち並んでいた。被爆地に初めて入った米報道陣が撮影=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102900331

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    1945年09月10日
    被爆 太平洋戦争

    1945年8月9日の原爆投下から約1カ月経った長崎の光景。被爆地に初めて入った米報道陣が撮影=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102900338

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    1945年09月10日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下から約1カ月後の長崎で、自宅跡に転居先を記した立て札を立てる住民。被爆地に初めて入った米報道陣が撮影=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102900340

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    1945年09月10日
    被爆 太平洋戦争

    1945年8月9日の原爆投下から約1カ月経った長崎の光景。爆発に耐えた西部ガス長崎支店八千代町工場のガスタンク。被爆地に初めて入った米報道陣が撮影=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102900332

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    1945年09月10日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下から約1カ月後の長崎で、日本人家族が自分の家のあった場所に建てた掘っ立て小屋。被爆地に初めて入った米報道陣が撮影=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102900339

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    1945年09月18日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下から約1カ月後の長崎の中心部。被災家族が自分の家のあった場所に建てた掘っ立て小屋2棟が見える。被爆地に初めて入った米報道陣が撮影=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102900341

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    1945年09月18日
    被爆 太平洋戦争

    長崎で、原爆投下により破壊された路面電車=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102900337

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    1945年09月18日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下後の三菱重工業長崎製鋼所。屋根の鉄骨がアメのように曲がっている=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102900343

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    1945年09月18日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下後の長崎の浦上天主堂=1945年9月(ACME)

    商品コード: 2010102900344

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    1945年09月30日
    長崎医大病院全景 長崎に原爆投下

    被爆した長崎医大病院の航空写真=1945(昭和20)年9月、長崎市

    商品コード: 1945093050017

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    1945年09月30日
    被爆 太平洋戦争

    長崎の原爆爆心地から1・5キロ地点の建物。爆風と火災で屋根の骨組みだけが残った=日時不明

    商品コード: 2010102600167

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    1945年09月30日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下後の長崎の住宅地域。後方の丘が盾となって被害を緩和した。手前の空き地は人工的な防火帯=日時不明

    商品コード: 2010102600169

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    1945年09月30日
    被爆直後 原爆ドーム

    被爆後間もなく撮影された広島県産業奨励館(原爆ドーム)、1945(昭和20)年9月、撮影:松重美人・中国新聞所蔵、エディトリアル使用のみ・商業利用不可、クレジット:中国新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015072700427

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    1945年09月30日
    惨状伝える 被爆クスノキ

    被爆後撮影されたクスノキ、1945(昭和20)年9月、撮影:松重美人・中国新聞所蔵、エディトリアル使用のみ・商業利用不可、クレジット:中国新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015072700428

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    1945年10月31日
    本川小学校々舎 広島に原爆投下

    爆心地に近く、外壁を残し全焼した本川小学校々舎。後にその一部と地下室が「平和資料館」として整備され、被爆の「証」として保存されている=1945(昭和20)年10月、広島市中区

    商品コード: 1945103150017

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    1945年10月31日
    比治山・多聞院 広島に原爆投下

    爆心地から1.7キロ、比治山にある多聞院の被害も甚大であったが、倒壊を免れた本堂では救援物資の受付や、避難してきた多数の被爆者などに握り飯の配給を行った。また爆風で梁を破損した鐘楼が現在もそのまま保存されている=1945(昭和20)年10月、広島市・比治山町

    商品コード: 1945103150013

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    1945年10月31日
    福屋デパート 広島に原爆投下

    被爆した福屋デパート本館。爆風と熱風で窓は吹き飛ばされ、外郭を残して内部を全焼した。その後、1953年(昭和28年)6月に全面復旧。現存する被爆建物の一つとして現在に至る=1945(昭和20)年10月、広島市中区

    商品コード: 1945103150009

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    1946年03月09日
    被爆 太平洋戦争

    鉄筋コンクリート造りで、原爆による倒壊を免れた長崎医科大学臨床教室(付属病院)=1946年3月、米海軍撮影(ACME)

    商品コード: 2010102600273

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    1946年07月18日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下後の長崎の住宅地。爆心地から北東に300メートル離れている=1946年7月、米戦略爆撃調査団撮影(ACME)

    商品コード: 2010102900404

  • 1946年07月31日
    復興の広島

    被爆から1年、復興のつち音高い広島市街の展望。八丁堀の福屋デパートから東方を望む。右手前のビルは中国新聞社、後方の白いビルは東警察署=1946(昭和21)年7月31日

    商品コード: 2003122000176

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    1946年08月01日
    被爆 太平洋戦争

    長崎の原爆爆心地の南方1―1・5キロに位置する三菱重工長崎兵器製作所茂里町工場の焼け跡(画面中央の黒い部分)=1946年8月、米陸軍撮影(米陸軍公式写真)

    商品コード: 2010102900407

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    1946年08月01日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下後、強化コンクリートのビルの外壁を残して、がれきと化した広島の爆心地周辺の航空写真=1946年8月、米陸軍撮影(米陸軍公式写真)

    商品コード: 2010102900406

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    1946年08月01日
    被爆 太平洋戦争

    長崎の爆心地から1300メートル離れた三菱重工長崎兵器製作所の魚雷工場=1946年8月、米陸軍撮影(米陸軍公式写真)

    商品コード: 2010102900413

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    1946年08月01日
    被爆 太平洋戦争

    原爆で廃墟と化した三菱重工長崎兵器製作所の魚雷工場=1946年8月、米陸軍撮影(米陸軍公式写真)

    商品コード: 2010102900409

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    1946年08月01日
    被爆 太平洋戦争

    原爆投下前の長崎の航空写真。爆心地は画面上方中央やや右寄りのスタジアムの北東側。画面右上方の三菱重工長崎兵器製作所大橋工場や、浦上川東岸に広がる三菱製鋼所や長崎兵器製作所茂里町工場などが破壊の主な目標となった=1946年8月、米陸軍撮影(米陸軍公式写真)

    商品コード: 2010102900411

  • 1947年08月01日
    被爆から2年の広島市

    続々と家々が立ち並び、急速に復興する広島市=昭和22年8月1日

    商品コード: 2003122000441

  • 1947年08月01日
    被爆から2年の長崎市

    カトリック信徒の祈りが絶えぬ原爆祈念碑に見守られ、復興進む長崎港=昭和22年8月1日

    商品コード: 2003122000439

  • 1947年08月01日
    被爆から2年の長崎市

    夏草繁る長崎の爆心地に平和の祈りを捧げるカトリック信徒たち=昭和22年8月1日

    商品コード: 2003122000440

  • 1947年10月08日
    広島の似島の千人塚

    広島原爆の被爆者九百人が仮埋葬されていた防空壕(広島県・似島)=1947(昭和22)年10月8日

    商品コード: 2014120300208

  • 1947年10月08日
    広島の似島の千人塚

    広島原爆の被爆者九百人が仮埋葬されていた似島の千人塚(広島県・似島)=1947(昭和22)年10月8日

    商品コード: 2014120300209

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    1947年12月07日
    天皇が広島巡幸

    被爆後の広島を初めて訪れ、奉迎の多数の市民に帽子を振って応える天皇陛下。会場から南側の爆心地方向を望む。左後方は廃虚となった産業奨励館(原爆ドーム)、右のビルは広島県商工経済会(後の広島商工会議所)=1947(昭和22)年12月7日午前、広島市の護国神社跡広場(皇4287)

    商品コード: 2009122100108

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    1947年12月07日
    天皇が広島巡幸

    被爆後の広島を初めて訪れ、奉迎の多数の市民に帽子を振って応える天皇陛下。会場から南側の爆心地方向を望む。左後方は廃虚となった産業奨励館(原爆ドーム)、右のビルは広島県商工経済会(後の広島商工会議所)=1947(昭和22)年12月7日午前、広島市の護国神社跡広場

    商品コード: 2009122100109

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    1948年08月06日
    「ノーモア・ヒロシマ」 被爆3周年の平和式典

    被爆3周年の平和式典。第2回平和祭。慈仙寺鼻を平和広場と名づけ、平和塔を建てた。現在の元安川左岸、「平和の鐘」が立つあたり。「ノーモア・ヒロシマズ」の看板が初めて会場に登場した(当時)。撮影日1948(昭和23)年8月6日、エディトリアル使用のみ・商業利用不可、クレジット:中国新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015072700433

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    1949年05月27日
    天皇が長崎巡幸

    被爆後の長崎を初めて訪れ、奉迎の多数の市民に帽子を振って応える天皇陛下=1949(昭和24)年5月27日午後、長崎市浦上球場の奉迎場

    商品コード: 2009122100115

  • 1949年06月09日
    永井博士

    被爆体験記「長崎の鐘」の病床の永井隆博士と二人の愛児=1949(昭和24)年6月9日、長崎(24年内地3494)

    商品コード: 2004070200293

  • 1950年01月02日
    永井隆

    風呂に入る永井隆博士。右は息子の誠一さん=1950(昭和25)年で仮登録(撮影年月日確定材料不足)(25年内地233関連)「長崎の鐘」、被爆者

    商品コード: 2013070800270

  • 1950年01月02日
    永井隆

    病床で筆を執る永井隆博士。奥は娘の茅乃さん、息子の誠一さん(右)=1950(昭和25)年で仮登録 (撮影年月日確定材料なし)(25年内地233関連) 「長崎の鐘」被爆者

    商品コード: 2013070800269

  • 1951年05月29日
    「被爆の瓦」売り出される

    ノー・モア・ヒロシマズの平和運動と事業費獲得の一石二鳥を狙い売り出された「被爆の瓦」=出稿1951(昭和26)年5月29日(26年内地1591)

    商品コード: 2013080700131

  • 1951年08月06日
    ある原爆被災者の記録 ピカドン

    「ピカドン ある原爆被災者の記録」P2-3、ネガ番号=44-24、キーワード:原爆、被爆、中村杉松、クレジット:福島菊次郎/共同通信イメージズ、●本作品は特別料金が適用されます。ご注文の際は弊社営業部までお問い合わせください。電話:03-6252-6224●

    商品コード: 2017071900408

  • 1951年08月06日
    ある原爆被災者の記録 ピカドン

    「ピカドン ある原爆被災者の記録」、ネガ番号=44-27、キーワード:原爆、被爆、中村杉松、クレジット:福島菊次郎/共同通信イメージズ、●本作品は特別料金が適用されます。ご注文の際は弊社営業部までお問い合わせください。電話:03-6252-6224●

    商品コード: 2017071900409

  • 1951年08月31日
    ある原爆被災者の記録 ピカドン

    「ピカドン ある原爆被災者の記録」P7、ネガ番号=49-30、キーワード:原爆、被爆、中村杉松、クレジット:福島菊次郎/共同通信イメージズ、●本作品は特別料金が適用されます。ご注文の際は弊社営業部までお問い合わせください。電話:03-6252-6224●

    商品コード: 2017071900412

  • 1951年09月25日
    被爆したままの姿 浦上天主堂

    被爆したままの浦上天主堂=1951(昭和26)年9月25日、長崎市、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015081100908

  • 1951年12月31日
    ある原爆被災者の記録 ピカドン

    「ピカドン ある原爆被災者の記録」、ネガ番号:44-13、キーワード:原爆、被爆、女性、市民、生活、日常、クレジット:福島菊次郎/共同通信イメージズ、●本作品は特別料金が適用されます。ご注文の際は弊社営業部までお問い合わせください。電話:03-6252-6224●

    商品コード: 2015102000067

  • 1951年12月31日
    ある原爆被災者の記録 ピカドン

    「ピカドン ある原爆被災者の記録」P32、ネガ番号:44-14、キーワード:原爆、被爆、女性、市民、生活、日常、太田川、貝、クレジット:福島菊次郎/共同通信イメージズ、●本作品は特別料金が適用されます。ご注文の際は弊社営業部までお問い合わせください。電話:03-6252-6224●

    商品コード: 2017071900449

  • 1953年12月31日
    ある原爆被災者の記録 ピカドン

    「ピカドン ある原爆被災者の記録」、ネガ番号=51-32、キーワード:原爆、被爆、中村杉松、クレジット:福島菊次郎/共同通信イメージズ、●本作品は特別料金が適用されます。ご注文の際は弊社営業部までお問い合わせください。電話:03-6252-6224●

    商品コード: 2017071900417

  • 1954年03月01日
    巨大なきのこ雲 水爆実験「ブラボー」

    1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁で実施された水爆実験「ブラボー」の巨大なきのこ雲。ブラボーはキャッスル作戦として実施された一連の水爆実験の第1回目のもの。この実験では第5福竜丸など多くの漁船が被爆した。退色が進んだオリジナルをモノクロに変換の上、補正。(米国立公文書館所蔵)

    商品コード: 2015073100210

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    1954年03月16日
    原爆マグロ魚河岸へ

    魚河岸で第五福竜丸が捕獲した魚を測定器で調べる科学研究所員と都衛生局員=1954(昭和29)年3月16日、東京・築地の中央卸売市場(29年内地3477)(ビキニ、死の灰、第5福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2006022700527

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    1954年03月16日
    原爆マグロ魚河岸へ

    第五福竜丸の漁獲品から強い放射能が検出され廃棄処分に。「原爆マグロ」と呼ばれ、マグロ全般が食卓から敬遠されるようになった。写真は第五福竜丸のマグロを測定器で調べる科学研究所員と東京都衛生局員=1954(昭和29)年3月16日、東京・築地の中央卸売り市場(29年内地3462)(ビキニ、死の灰、第5福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2002122400017

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    1954年03月16日
    第五福竜丸被爆事件

    東大病院で、入院した第五福竜丸乗組員について記者団に語る清水健太郎教授(中央)=1954(昭和29)年3月16日(29年内地3474)

    商品コード: 2012080100448

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    1954年03月16日
    被ばくした増田氏を診断

    東大病院で放射能の測定を受ける第五福竜丸で被ばくした増田三次郎さん=1954(昭和29)年3月16日(ビキニ、死の灰、第五福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2006022700528

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    1954年03月17日
    診断結果を発表 第五福竜丸被爆事件

    東大病院で増田三次郎さん(手前右)と山本忠司さん(同左)の被爆状況診断結果を発表する清水博士(中央)=1954(昭和29)年3月17日(29年内地 3498)

    商品コード: 1954031750001

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    1954年03月17日
    第五福竜丸乗組員会見

    記者会見する第五福竜丸乗組員の山本忠司さん(左)と増田三次郎さん。中央の白衣姿は清水博士=1954(昭和29)年3月17日、東京・有楽町のニュートウキョウ(29年内地3498、ビキニ、死の灰、第五福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2006022700534

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    1954年03月18日
    焼津港に係留の第五福竜丸 第五福竜丸被爆事件

    焼津港に係留されている第五福竜丸=1954(昭和29)年3月19日 (29年内地 3617)

    商品コード: 1954031850002

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    1954年03月18日
    安全性をアピール 第五福竜丸被爆事件

    放射能汚染の不安が広がる中、「当店のマグロは近海物で安心です」と自店のネタの安全性をアピール、客を呼ぶにぎり寿司屋=1954(昭和29)年3月18日(29年内地 3536(コマ))

    商品コード: 1954031850001

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    1954年03月19日
    第五福竜丸被爆事件

    山本忠司さんを診察する広島ABCC(原爆傷害調査委員会)のジョン・モートン博士=1954(昭和29)年3月19日、東京都文京区の東大病院

    商品コード: 2012080100465

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    1954年03月19日
    第五福竜丸被爆事件

    山本忠司さんを診察する広島ABCC(原爆傷害調査委員会)のジョン・モートン博士=1954(昭和29)年3月19日、東京都文京区の東大病院

    商品コード: 2012080100464

  • 1954年03月21日
    米国から寄贈の“特効薬”羽田着

    米国からビキニ被爆者に寄贈された放射能火傷の“特効薬”「ヴェラキャル」が羽田空港に着き、客室乗務員の川本多美江さん(左)から田村・東京検疫支所長に手渡される=1954(昭和29)年3月21日

    商品コード: 2012080100470

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    1954年03月22日
    アイゼンバッド氏来日

    「死の灰」被害者の調査と治療協力のため来日した米原子力委員会保健安全課長のメリル・アイゼンバッド博士(左)=1954(昭和29)年3月22日、羽田空港(29年内地3865、ビキニ、第五福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2006022700539

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    1954年03月27日
    被ばく船第5明神丸

    宮城県塩釜港に入港、船体の放射能測定を受ける第5明神丸=1954(昭和29)年3月27日(ビキニ、死の灰、第五福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2006022700537

  • 1954年03月28日

    資料 58110-2 ◎第5福竜丸被爆患者羽田着 米極東軍輸送機で羽田に着いた第5福竜丸被爆患者(先頭は別)=1954(昭和29)年3月28日(29年内地4238)

    商品コード: 2009033100497

  • 1954年03月28日

    資料 58110-1 ◎第5福竜丸被爆患者羽田着 米極東軍輸送機で羽田に着いた第5福竜丸被爆患者=1954(昭和29)年3月28日(29年内地4233)

    商品コード: 2009033100496

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    1954年03月28日

    資料 35660 ◎第五福竜丸被ばく患者が入院 焼津から東大放射線科美甘内科に到着し、検査と治療を受ける第五福竜丸の乗組員たち=1954(昭和29)年3月28日、東京都文京区の東京大学医学部付属病院(29年内地4230)(第5福竜丸)

    商品コード: 2011080900057

  • 1954年05月15日
    俊鶻丸ビキニへ出発

    ビキニ海域の放射能調査のため、大勢の人に見送られ東京港を出港する俊鶻丸=1954(昭和29)年5月15日(農林省水産庁の海洋調査船・俊鶻丸しゅんこつまる)(ビキニ、死の灰、第五福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2006022700557

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    1954年05月25日
    俊鶻丸ビキニ海域で調査

    ビキニ海域でプランクトンを採集する俊鶻丸の調査団=1954(昭和29)年5月25日(29年内地6363、農林省水産庁の海洋調査船・俊鶻丸(しゅんこつまる)、ビキニ、死の灰、第五福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2006022700558

  • 1954年08月04日
    大田洋子

    被爆体験について語る大田洋子氏(小説家)=1954(昭和29)年8月4日、静岡県伊東市

    商品コード: 2012111300054

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    1954年08月05日
    久保山愛吉さん

    他の入院患者と一緒に記者会見に出席した久保山愛吉さん(左奥)。9月23日に没した=1954(昭和29)年8月5日、東京都新宿区の国立東京第一病院(29年内地11570、ビキニ、死の灰、第五福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2006022700607

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    1954年08月05日
    第五福竜丸の被ばく者会見

    記者会見する第五福竜丸の被ばく者。(左から時計回りに)服部竹治さん、見崎吉男さん、安藤三郎さん、山本忠司さん、鈴木鎮三さん=1954(昭和29)年8月5日、東大病院(29年内地9422、ビキニ、死の灰、第五福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2006022700587

  • 1954年08月06日
    長崎県 浦上天主堂

    被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ (空撮)

    商品コード: 2017041300760

  • 1954年08月06日
    長崎県 浦上天主堂

    被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ (空撮)

    商品コード: 2017041300761

  • 1954年08月06日
    長崎県 浦上天主堂

    被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ (空撮)

    商品コード: 2017041300948

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    1954年08月13日
    第五福竜丸被爆事件

    第五福竜丸で被爆した安藤三郎さん、山本忠司さん、見崎吉男さん=出稿1954(昭和29)年8月13日(29年内地9698)

    商品コード: 2012111300086

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    1954年08月31日
    久保山愛吉さん、重体

    ビキニ被災重症患者の久保山愛吉さんが重体に陥ったことを発表する栗山・国立東京第一病院副院長(右)。左は、美甘・東大付属病院長=1954(昭和29)年8月31日、東京都新宿区の国立東京第一病院(第五福竜丸被爆)

    商品コード: 2012111300136

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    1954年09月01日
    久保山愛吉さん、重体続く

    重体の続く久保山愛吉さんの容体について発表する国立東京第一病院の栗山重信副院長(中央)=1954(昭和29)年9月1日、東京都新宿区の国立東京第一病院(第五福竜丸被爆)

    商品コード: 2012121900060

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    1954年09月01日
    被ばくした久保山愛吉さん重体

    治療中の第五福竜丸無線長の久保山愛吉さんと見舞う(右から)母親しゅんさん、妻すずさん、長女みや子ちゃん=1954(昭和29)年9月1日、東京都新宿区の国立東京第一病院(29年内地10365、ビキニ、死の灰)

    商品コード: 2006022700588

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    1954年09月02日
    久保山愛吉さん、依然重体

    重体の続く久保山愛吉さんへの見舞いの電報、手紙を読み上げる国立東京第一病院の熊取敏之主治医、左は栗山重信副院長=1954(昭和29)年9月2日、東京都新宿区の国立東京第一病院(第五福竜丸被爆)

    商品コード: 2012121900076

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    1954年09月02日
    久保山愛吉さん、依然重体

    重体の続く久保山愛吉さんの容体について発表する(左から)国立東京第一病院の熊取敏之主治医、栗山重信副院長、小山善之内科医長=1954(昭和29)年9月2日、東京都新宿区の国立東京第一病院(第五福竜丸被爆)(29年内地10349)

    商品コード: 2012121900075

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    1954年09月03日
    久保山さん家族が会見

    記者会見する久保山愛吉さんの(右から)母親しゅんさん、妻すずさん、長女みや子ちゃん=1954(昭和29)年9月3日、東京都新宿区の国立東京第一病院(29年内地10404、ビキニ、死の灰、第五福竜丸被ばく関連)

    商品コード: 2006022700599

  • 1954年09月04日
    久保山さん意識戻る

    久保山愛吉さんの白血球検査をする国立東京第一病院の坂口康蔵病院長(手前)、後は栗山重信副院長=1954(昭和29)年9月4日、東京都新宿区の国立東京第一病院(第五福竜丸被爆)(29年内地10581)

    商品コード: 2012121900096

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