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「軍令部」の写真・グラフィックス・映像

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  • 1929年01月22日
    日本電報通信社資料

    故珍田捨巳侍従長の後任を受諾した海軍軍令部長の鈴木貫太郎大将(中央)は、海軍省から就任式に参内した=1929年(昭和4年)1月22日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1929012200003

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    1929年09月21日
    日本電報通信社資料

    軍縮問題対策研究のため渡米する海軍軍令部参謀の山口多聞中佐(左)と見送りの家族=1929(昭和4)年9月21日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1929092100001

  • 1929年11月26日
    日本電報通信社資料

    ロンドン海軍軍縮会議全権に対する訓令案の用兵部分について委細奏上した加藤寛治軍令部長(手前)=1929(昭和4)年11月26日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2011101900147

  • 1929年12月28日
    日本電報通信社資料

    旭日大授章受章で授与式に参内する海軍の加藤寛治軍令部長=1929(昭和4)年12月28日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1929122800003

  • 1930年05月19日
    日本電報通信社資料

    ロンドン海軍軍縮会議から帰国した全権の財部彪海相に経過説明を受け退出する加藤寛治軍令部長=1930(昭和5)年5月19日、東京・霞が関の海相官邸(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1930051900006

  • 1930年05月20日
    日本電報通信社資料

    ロンドン海軍軍縮条約に反対し割腹自殺した海軍軍令部参謀の草刈英治少佐の遺族が帰京=1930(昭和5)年5月20日、東京駅(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1930052000002

  • 1930年06月10日
    日本電報通信社資料

    辞意を表明した海軍の加藤寛治軍令部長。ロンドン海軍軍縮条約をめぐり浜口内閣の方針に不満を抱いていた同部長は、参内して天皇に単独上奏した。写真は参内を終え軍令部長室で撮影=1930(昭和5)年6月10日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1930061000001

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    1930年06月13日
    日本電報通信社資料

    海軍の軍令部長に就任した谷口尚真大将(右)と新次長の永野修身中将=1930(昭和5)年6月13日、軍令部(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1930061300001

  • 1930年07月22日
    日本電報通信社資料

    海軍軍事参議官会議開催。上奏、ご裁下を仰ぐため天皇が滞在する葉山へ向かう谷口尚真軍令部長(手前)=1930(昭和5)年7月22日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1930072200001

  • 1930年07月23日
    日本電報通信社資料

    葉山に伺候する東郷平八郎元帥(左)と谷口尚真軍令部長=1930(昭和5)年7月23日、東京駅(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2012091200299

  • 1930年07月23日
    日本電報通信社資料

    葉山に伺候する東郷平八郎元帥(左)と谷口尚真軍令部長=1930(昭和5)年7月23日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1930072300002

  • 1930年09月08日
    日本電報通信社資料

    財部彪海相を訪問する加藤寛治前軍令部長=1930(昭和5)年9月8日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2012101200193

  • 1930年09月13日
    日本電報通信社資料

    乃木神社第19回年祭。神酒を受ける谷口尚真軍令部長(左)=1930(昭和5)年9月13日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2012101500273

  • 1930年11月25日
    昭和天皇の侍従長 鈴木貫太郎(すずき・かんたろう)

    海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。海軍軍令部長を経て、予備役となり、1929年1月、昭和天皇の侍従長。2・26事件で重傷を負い、1936年11月にその職を引く。1945年4月7日から8月17日まで内閣総理大臣を務める=1930(昭和5)年11月25日複写(撮影月日不詳)

    商品コード: 2015071300417

  • 1930年12月16日
    日本電報通信社資料

    横浜に入港したポルトガルの軍艦アダマストル号の艦長ノゲイラ大佐(左)が谷口尚真海軍軍令部長を訪問=1930(昭和5)年12月16日、横浜港(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2013031800224

  • 1931年02月23日
    日本電報通信社資料

    最新式の油槽船第2小倉丸を視察する海軍の谷口尚真軍令部長(手前)=1931(昭和6)年2月23日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2013050300188

  • 1931年06月18日
    和服姿の6巨頭

    来年2月ジュネーブで行われる軍縮会議に向け方針を協議するため集まった政府と軍部の6巨頭。左から谷口尚真海軍軍令部長、南次郎陸相、安保清種海相、若槻礼次郎首相、幣原喜重郎外相、金谷範三陸軍参謀総長=1931(昭和6)年6月18日、首相官邸(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1970010100033

  • 1931年09月18日
    日本電報通信社資料

    佐伯湾の海軍大演習に向かう住山侍従武官。後ろは同じ列車で出発した谷口尚真軍令部長=1931(昭和6)年9月18日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2014022100765

  • 1931年09月25日
    日本電報通信社資料

    満州事変勃発で急ぎ帰京することになった谷口尚真軍令部長(左)は、九州で展開中の海軍小演習の統監業務を加藤寛治大将に引き継いだ=1931(昭和6)年9月25日、神戸のオリエンタルホテル(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1931092500003

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    1931年10月31日
    (ながの・おさみ) 永野修身

    軍人、連合艦隊司令長官、海軍大将、海軍大臣、軍令部総長、元帥=撮影日不明

    商品コード: 2019031101003

  • 1932年02月02日
    日本電報通信社資料

    親補式に参内する海軍軍令部長に御就任の伏見大将宮殿下=1932(昭和7)年2月2日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2014121000272

  • 1932年02月28日

    皇M 300 ◎伏見宮博恭王殿下(ひろやす)、海軍・軍令部長室の伏見宮博恭王殿下=撮影年月日記載なし(撮影年月日不確定 運用メモ参照) 1932(昭和7)年2月で仮登録 旧皇族

    商品コード: 2010122700073

  • 1932年05月07日
    日本電報通信社資料

    伏見軍令部長宮殿下(中央)が海軍省各局長、在京大将、各国大公使、夫人令嬢たちを招いて開かれた園遊会=1932(昭和7)年5月7日、紀尾井町の伏見宮邸(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015042200440

  • 1932年06月08日
    日本電報通信社資料

    海軍軍令部次長室に掲げられた東郷平八郎元帥直筆の書=1932(昭和7)年6月8日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932060800001

  • 1932年07月13日
    日本電報通信社資料

    殊勲の海軍装甲自動車第9号晴れの都入り。海軍省で伏見宮軍令部長(×印)はじめ岡田啓介海相(△印)が、友貞少佐より説明を聞かれた=1932(昭和7)年7月13日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932071300001

  • 1932年07月13日
    日本電報通信社資料

    上海戦線で活躍し、海軍省に到着した海軍装甲自動車第9号の説明を聞く伏見軍令部長宮殿下(×印)、岡田啓介海相(△印)ら=1932(昭和7)年7月13日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015070600487

  • 1932年07月16日
    日本電報通信社資料

    三笠会館の開館式で、屋上マストに並ぶ(左から)安保清種元海相、谷口尚真軍令部長、加藤寛治大将、岡田啓介海相、山本英輔横須賀鎮守府長官=1932(昭和7)年7月16日、横須賀市稲岡町(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932071600001

  • 1932年07月16日
    日本電報通信社資料

    三笠会館の開館披露祝賀式で記念写真に納まる海軍将星たち。前列右より谷口尚真軍令部長、加藤寛治大将、(1人おいて)三笠保存会会長の岡田啓介海相、(1人おいて)斯波忠三郎保存会副会長、安保清種元海相、山本英輔横須賀鎮守府長官=1932(昭和7)年7月16日、横須賀市(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015070600540

  • 1932年09月06日
    日本電報通信社資料

    国際連盟会議の帝国代表随員としてジュネーブに向け出発する軍令部の岡野俊吉中佐(右)と見送りの加藤寛治大将=1932(昭和7)年9月6日、東京駅(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015071500454

  • 1933年03月15日
    日本電報通信社資料

    伏見軍令部長官殿下には、東北各地に於ける海軍徴兵志願兵の徴募状況を御視察のため15日午前9時28分上野駅発、仙台へ向かわれた=1933(昭和8)年3月15日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015111100435

  • 1933年05月08日
    日本電報通信社資料

    伏見軍令部長官殿下同妃若宮妃殿下御同伴、藤山氏邸お成り=1933(昭和8)年5月8日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015112000296

  • 1933年07月29日
    日本電報通信社資料

    伏見軍令部長官殿下、海軍大演習御統裁に御出発。29日午後3時22分、東京駅御出発あらせらるる殿下=1933(昭和8)年7月29日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015122100287

  • 1937年01月19日
    福留繁・海軍中将

    福留繁(ふくどめ・しげる)・海軍中将。連合艦隊参謀、軍令部第1課長、長門艦長などを歴任=1937(昭和12)1月19日整理

    商品コード: 2012062500091

  • 1937年12月31日
    天皇が臨席し大本営会議

    1937(昭和12)年11月24日、昭和天皇(中央)が臨席し、宮殿・東一の間で開かれた第1回大本営会議。出席者は(右列奥から手前へ)陸軍側、参謀総長の閑院宮、杉山元陸相、多田駿参謀次長、下村定参謀本部第一部長、(左列奥から手前へ)海軍側、軍令部総長の伏見宮、米内光政海相、島田繁太郎軍令部次長、近藤信竹軍令部第一部長。12月13日の南京陥落の前だが、支那事変処理根本方針を審議した。この写真は宮内省から提供され、各紙は1938(昭和13)年元旦号で掲載した。(資料29271、宮内省貸し下げ)

    商品コード: 2004020300053

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    1940年01月31日
    (すずき・かんたろう) 鈴木貫太郎

    海軍軍人、海軍大将、政治家、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長を歴任し、1929年1月予備役編入と同時に昭和天皇の侍従長。在任中の1936年、二・二六事件で重傷を負う。1940年6月枢密院副議長、1944年枢密院議長。1945年4月内閣総理大臣に就任し、終戦工作を行う=1940(昭和15)年1月複写(撮影年月日不詳)

    商品コード: 2015011900200

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    1940年12月31日
    及川古志郎(おいかわ・こしろう)

    海軍軍人。1883(明治16)年、新潟生まれ。海軍大将、軍令部総長などを歴任。写真は、海軍大臣在任当時の撮影=1940(昭和15)年12月複写(撮影年月日不詳)

    商品コード: 1940120100002

  • 1941年12月23日
    第1629号 「同盟写真特報」

    屠れ!英米、我等の敵だ!!共同の敵撃滅へ枢軸の誓愈々堅し、写真はオットー独大使の招待会に於ける左から武者小路前駐独大使、鈴木企画院総裁、島田海相、杉山参謀長、永野軍令部総長、オットー独大使、東條首相、東郷外相、昭和16年12月23日(火曜日)第1629号

    商品コード: 2008062600290

  • 1942年04月02日
    第1722号 「同盟写真特報」

    桜ほころぶ社頭に感激に遺児、聖なる靖国の父に晴れの対面(1)行幸の鹵簿(行幸(行啓)のときの行列)を宮城前に奉拝し感激の遺児部隊(2)畏れおおくも浅香総裁宮殿下より有り難きご激励のお言葉を賜る(3)明治神宮に参拝の遺児部隊(4)永野軍令部総長より激励されて感激の遺児たち(5)畏れおおくも皇后陛下より下賜ののご紋菓を拝受(6)本庄大将の激励を受ける遺児たち(7)海軍館に武勲を偲ぶ遺児たち(8)福田訓練導におんぶして入京した松葉杖の遺児石井君(9)桜花微笑む靖国の社頭で聖なる父と対面感激の遺児部隊、昭和17年4月2日(木曜日)第1722号

    商品コード: 2009011800031

  • 1942年12月31日

    M_4450 ◎中沢佑(なかざわ・たすく) 海軍軍人、海軍中将。海軍人事局長、軍令部第1部長、第21航空戦隊司令官、第1航空艦隊参謀長他を歴任。写真は海軍人事局長(海軍少将)在任時の撮影=1942(昭和17)年12月撮影(撮影日不詳)(中澤佑)

    商品コード: 2010020300077

  • 1943年01月01日
    (ながの・おさみ) 永野修身

    海軍軍人。最終階級は海軍大将。海軍大臣、連合艦隊司令長官、軍令部総長などを歴任。写真は軍令部総長当時の撮影。戦後、東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死した=1943(昭和18)年1月複写(M_4329)

    商品コード: 2011012800078

  • 1944年12月31日
    昭和天皇、裕仁(ひろひと)

    1944(昭和19)年8月19日、昭和天皇(奥中央)が臨席し宮殿・東一の間で開かれた最高戦争指導会議。それまでの大本営政府連絡会議を廃止し、代わりに設置された会議である。出席者は(右列奥から手前へ)蓮沼蕃侍従武官長、小磯国昭首相、米内光政海相、重光葵外相、杉山元陸相、田中武雄内閣書記官長、多田武雄海軍省軍務局長、佐藤賢了陸軍省軍務局長、(左列奥から手前へ)及川古志郎軍令部総長(後頭部のみ)、梅津美治郎参謀総長、秦彦三郎参謀次長、伊藤整一軍令部次長。上座のテーブルに着席した首相と閣僚、軍令部総長と参謀総長が構成員であり、蓮沼侍従武官長は陪席者である。そのほかは列席者や幹事である。この写真は12月に宮内省から提供され、各紙は1945(昭和20)年元旦号の紙面で掲載した。皇M番号なし 運用メモ参照

    商品コード: 2015120900057

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    1945年08月06日
    (いとう・せいいち) 伊藤整一

    海軍軍人。駐米武官、海軍省人事局長、軍令部次長などを歴任し、太平洋戦争末期の1945年4月、第2艦隊司令長官として沖縄方面への特攻作戦に従事、戦艦「大和」と共に沖縄近海に没した。1941年10月に海軍中将、没後、海軍大将に特進。写真は中将当時の撮影=1945(昭和20)年8月6日複写(撮影年月日不詳)

    商品コード: 2011071300074

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    1945年09月02日
    敗戦 太平洋戦争

    1945年9月2日、東京湾上の米戦艦ミズーリで行われた式典で調印された日本降伏文書の署名欄。上から重光葵(外相=天皇および日本政府全権代表)、梅津美治郎(陸軍参謀総長=大本営全権代表)、ダグラス・マッカーサー(連合国軍最高司令官=連合国代表)、チェスター・ニミッツ(米海軍第3艦隊司令官=米国代表)、徐永昌(国民政府軍令部長=中華民国代表)、以下、英国、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド各代表

    商品コード: 2010102900475

  • 1946年05月17日
    徐永昌二級上将

    国民政府軍事委員会軍令部部長の徐永昌二級上将=撮影年月日不明(外番号なし)

    商品コード: 2015012000473

  • 1977年01月02日
    宗方小太郎の各種資料 “大物スパイ”の情報集公開

    宗方小太郎が当時の日本海軍軍令部へ送った調査報告書(上方)と孫文から宗方に宛てた手紙。日清、日露戦争期を中心に明治、大正にわたる約40年間、日本海軍の密命を帯びて中国大陸を舞台にスパイ活動を行った宗方の「調査報告書」や書簡類が遺族から国立国会図書館に寄贈された(52年内地 039)

    商品コード: 2014031900380

  • 1993年01月06日
    佐野常羽・軍人

    佐野常羽・海軍幹部、軍令部副官、少佐=1905(明治38)年10月22日、日露戦争凱旋奉告式より、正・複・

    商品コード: 1993010600160

  • 1993年01月06日
    佐々木高志・軍人

    佐々木高志・海軍幹部、軍令部副官、少佐=1905(明治38)年10月22日の日露戦争凱旋奉告式より、半・正・複・

    商品コード: 1993010600163

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    2016年09月01日
    永野修身軍令部総長 対米交渉、重大局面に

    永野修身軍令部総長

    商品コード: 2016090100569

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