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「野村吉三郎」の写真・映像

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  • 2007年01月24日
    大分県、全日空 野村吉三郎

    野村吉三郎・ANA最高顧問=2007(平成19)年1月24日、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017061600801

  • 2003年07月25日
    大分県、全日空 野村吉三郎

    全日空会長・野村吉三郎氏=2003(平成15)年、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017061600892

  • 2003年07月25日
    大分県、全日空 野村吉三郎

    全日本会長・野村吉三郎氏=2003(平成15)年、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017061600893

  • 1997年06月25日
    大分県、全日空 野村吉三郎

    全日空社長に就任する野村吉三郎氏=1997(平成9)年6月25日、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017061400534

  • 2002年03月20日
    大分県、全日空 野村吉三郎

    全日空会長・野村吉三郎氏=2002(平成14)年、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017061600925

  • 1953年10月17日
    (のむら・きちさぶろう) 野村吉三郎

    海軍大将、外相、駐米大使、枢密顧問官=1953(昭和28)年10月17日、自宅にて(28年内地3066・コマ)

    商品コード: 2005112400007

  • 2000年02月02日
    大分県、全日空 野村吉三郎

    野村吉三郎社長=2000(平成12)年2月2日、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017061400436

  • 2005年06月23日
    大分県、全日空 野村吉三郎

    在京大分県人会の会長に就任した全日本空輸最高顧問の野村吉三郎氏=2005(平成17)年6月23日、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017061600838

  • 2002年04月23日
    大分県、全日空 野村吉三郎

    全日空会長・野村吉三郎氏=2002(平成14)年4月23日、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017061600922

  • 2002年03月01日
    大分県、全日空 野村吉三郎

    野村吉三郎・全日空取締役会長=2002(平成14)年、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017061600927

  • 2001年08月11日
    大分県、全日空 野村吉三郎

    野村吉三郎氏。大分市出身。59年全日本空輸入社。人事部長、東京空港支店長、東京支店長、専務などを経て97年から社長、2001年4月から会長=2001(平成13)年、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2017061600975

  • 2008年11月07日
    (のむら・きちさぶろう) 野村吉三郎

    元全日空会長=2008年11月5日撮影、皇居・宮殿東庭

    商品コード: 2008110700088

  • 1946年02月03日
    (のむら・きちさぶろう) 野村吉三郎

    日米交渉史執筆中=1946(昭和21)年2月3日撮影

    商品コード: 2004030400194

  • 1953年04月08日
    野村吉三郎氏

    日本ビクター社の野村吉三郎氏(元海軍大将)=1953(昭和28)年4月8日 (28年内地1036)

    商品コード: 2012110600197

  • 1997年06月20日
    野村吉三郎さん

    全日空の次期社長に就任する野村吉三郎(のむら・きちさぶろう)さん

    商品コード: 1997062000031

  • 2000年01月29日
    鳥羽董氏、吉野浩行氏 野村吉三郎氏、福田耕治氏

    野村吉三郎・全日本空輸社長、福田耕治・千代田火災海上保険社長、鳥羽董・ダイエー社長、吉野浩行・本田技研工業社長

    商品コード: 2000012900030

  • 1999年10月30日
    福沢武氏、岡田邦彦氏、野村吉三郎氏

    福沢武・三菱地所社長、岡田邦彦・松坂屋社長、野村吉三郎・全日本空輸社長

    商品コード: 1999103000041

  • 1997年05月29日
    野村吉三郎氏 全日空次期社長に野村氏

    野村吉三郎氏

    商品コード: 1997052900091

  • 2016年10月31日
    野村吉三郎駐米大使 野村大使が甲案を伝える

    野村吉三郎駐米大使

    商品コード: 2016103100620

  • 1999年07月08日
    野村吉三郎全日本空輸社長 「選択と集中」で経営再建

    全日本空輸の野村吉三郎社長

    商品コード: 1999070800036

  • 1941年02月01日
    Cordell Hull With Adm. Nomura

    Washington, D.C.: February, 1941. Japanese Navy Adm. Kichisaburo Nomura sitting with the United States Secretary of State, Cordell Hull.、クレジット:Underwood Archives/Universal Images Group/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019101503716

  • 2016年07月29日
    野村大使とルーズベルト 首脳会談「アラスカなら」

    野村吉三郎駐米大使(左)とルーズベルト米大統領

    商品コード: 2016072900692

  • 1997年05月29日
    野村吉三郎氏 全日空次期社長に野村氏

    野村吉三郎氏(同日の電説20号で差し替え)

    商品コード: 1997052900061

  • 2016年10月31日
    対米交渉の公電、甲案 野村大使が甲案を伝える

    対米交渉の甲案を野村吉三郎駐米大使に伝える外務省の公電(外交史料館蔵)

    商品コード: 2016103100623

  • 1997年06月02日

    (DBのみの画像)◎野村吉三郎(全日空・社長)半・正・カラー・全日空パンフより

    商品コード: 1997060200030

  • 1951年09月08日
    講和調印の感想を語る

    自宅で感想を語る野村吉三郎氏=1951(昭和26)年9月8日(26年内地2450)

    商品コード: 2013101700203

  • 2016年11月11日
    外務省の公電 「切り札」の乙案提出

    対米交渉の乙案を野村吉三郎駐米大使に伝える外務省の公電(外交史料館蔵)

    商品コード: 2016111100661

  • 1999年07月23日
    官邸を出る野村社長 全日空機ハイジャック

    小渕首相と会談後、首相官邸を出る全日空の野村吉三郎社長(中央)=23日午後6時3分

    商品コード: 1999072300117

  • 2016年10月31日
    外務省の公電 対米交渉は二段構えで

    対米交渉の甲案を野村吉三郎駐米大使に伝える外務省の公電(外交史料館蔵)

    商品コード: 2016103100573

  • 1941年11月17日
    Japanese WWII Peace Envoy

    Washington D.C.: November 17, 1941.Saburo Kurusu, (right) Japan‘s special envoy for a “final attempt at peace“, Secretary of State Cordell Hull, and Kichisaburo Nomura, (left) Japanese Ambassador to the United States, arrive at the White House for a 70 minute conference with President Roosevelt. The President told them that he hoped a major conflict in the Pacific could be avoided.、クレジット:Underwood Archives/Universal Images Group/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020020605225

  • 1998年01月31日
    会見する野村全日空社長 日米航空交渉で合意成立

    日米航空交渉での合意を受け記者会見する野村吉三郎全日空社長(右)=1月31日午後、東京・霞が関の全日空本社

    商品コード: 1998013100083

  • 1932年07月14日
    日本電報通信社資料

    近く御下賜の義眼を入れる加療中の野村吉三郎海軍提督=1932(昭和7)年7月14日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015070600504

  • 1951年06月05日
    追放解除を期待される人びと

    元駐米大使で元海軍大将の野村吉三郎氏=出稿1951(昭和26)年6月5日(26年内地1662)

    商品コード: 2013080700159

  • 2001年02月21日
    新旧社長 全日空社長に大橋氏昇格

    全日空の次期社長に就任する大橋洋治副社長(左)と会長に就く野村吉三郎社長=21日、東京都港区のホテル

    商品コード: 2001022100050

  • 1942年08月13日
    野村、来栖両大使湘南市展望

    湘南市を展望する野村吉三郎、来栖三郎両大使=整理1942(昭和17)年8月13日(番号なし)

    商品コード: 2015052800251

  • 1948年06月08日
    スペルマン枢機卿来朝

    ウォルシュ司教と握手する野村吉三郎大使(左)=1948(昭和23)年6月8日、東京・上智大(旧連2067)

    商品コード: 2017041700372

  • 1997年06月16日
    野村吉三郎全日空次期社長 「和協の精神」で乗り切る

    インタビューに答える全日空次期社長の野村吉三郎専務=東京・霞が関の全日空本社(のむら・きちさぶろう)

    商品コード: 1997061600089

  • 1999年07月23日
    会見する野村社長 全日空社長が会見

    ハイジャック事件で記者会見する全日空の野村吉三郎社長(左)=23日午後、羽田空港内の全日空東京空港支店

    商品コード: 1999072300080

  • 1947年01月12日
    故永野修身の葬儀

    故永野修身の葬儀に参列した野村吉三郎氏(手前)と名士=1947(昭和22)年1月12日

    商品コード: 2003122000333

  • 1932年06月24日
    日本電報通信社資料

    帝都に凱旋し、馬車で参内する隻眼の野村吉三郎海軍提督=1932(昭和7)年6月24日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015061700493

  • 2016年07月29日
    野村大使の公電 首脳会談「アラスカなら」

    ルーズベルト米大統領との会談の様子を外務省に伝えた野村吉三郎駐米大使の公電(外務省外交史料館蔵)

    商品コード: 2016072900691

  • 1998年03月05日
    会見する野村社長 全日空が無配転落へ

    無配転落の見通しを発表する全日空の野村吉三郎社長=5日午後、東京・霞が関の全日空本社

    商品コード: 1998030500194

  • 1998年05月16日
    野村吉三郎氏 佐伯尚孝氏、鈴木敏文氏

    佐伯尚孝・三和銀行頭取、野村吉三郎・全日本空輸社長、鈴木敏文・セブン―イレブン・ジャパン会長(鈴木敏文=K98ー12592)

    商品コード: 1998051600038

  • 1999年05月01日
    吉野準一氏、野村吉三郎氏 青柳守城氏、枝元賢造氏

    )、産業01S、モノクロのみ  青柳守城・住友金属鉱山社長、枝元賢造・サッポロビール社長、吉野準一・太平洋証券会長兼社長、野村吉三郎・全日本空輸社長

    商品コード: 1999050100066

  • 1933年05月26日
    日本電報通信社資料

    青山墓地で涙新たに故白川義則大将1周年祭、玉串を捧げ終った野村吉三郎提督、右側遺族(青山墓地にて)=1933(昭和8)年5月26日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015112000345

  • 1929年06月25日
    日本電報通信社資料

    北米方面への航海前に参内し、拝謁を終え宮城を出る海軍中将の野村吉三郎練習艦隊司令官傘下の乗組員たち=1929(昭和4)年6月25日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2011062500177

  • 1932年06月15日
    日本電報通信社資料

    上海天長節爆弾事件で右眼を失明し帰国、大阪駅を通過する野村吉三郎海軍提督(前列右)=1932(昭和7)年6月15日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932061500004

  • 1932年06月28日
    日本電報通信社資料

    野村吉三郎提督の後任として第3艦隊司令長官に任命された左近司政三中将、親補式のため参内へ=1932(昭和7)年6月28日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932062800001

  • 1932年10月10日
    日本電報通信社資料

    横須賀鎮守府司令長官兼海軍将官会議議員に補せられ、親補式に参内する野村吉三郎中将=1932(昭和7)年10月10日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932101000001

  • 1997年09月25日

    「カラー」「人物通信」 ◎野村吉三郎(のむら・きちさぶろう)、全日本空輸社長、1997.06.16、出稿19971009

    商品コード: 1997092500038

  • 1951年06月05日
    追放解除を期待される人びと

    元駐米大使で元海軍大将の野村吉三郎氏=出稿1951(昭和26)年6月5日(26年内地1662関連、旧番号4918)

    商品コード: 2013080700160

  • 1942年08月14日
    野村大使会見

    浅間丸にて記者団と会見する野村吉三郎駐米大使(左側中央の白服)と来栖三郎特命大使(円卓のそばのメガネ)=1942(昭和17)年8月9日、昭南港(番号なし)

    商品コード: 2015052800225

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    1932年04月29日
    日本電報通信社資料

    上海天長節爆弾事件。爆弾テロで負傷した第三艦隊の野村吉三郎司令長官の留守宅に夫人を見舞った荒木貞夫陸相=1932(昭和7)年4月29日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932042900006

  • 1997年05月29日
    野村、普勝両氏が会見 全日空の社内抗争収拾へ

    新社長に内定し、記者会見する全日空の野村吉三郎専務。左は退任する普勝清治社長=29日午後、東京・霞が関の全日空本社

    商品コード: 1997052900163

  • 2001年03月26日

    「カラー」「人物通信」 ◎野村吉三郎(のむら・きちさぶろう)、全日本空輸会長、撮影日 2001.02.19、出稿日 2001.04.06

    商品コード: 2001032600082

  • 2016年11月04日
    野村大使から外務省への公電 前途見通せるまで辛抱を

    野村吉三郎駐米大使が外務省に送った「前途ノ見透判明スル時迄辛抱スルコト得策」と書かれた公電。2㌻にまたがっている(外交史料館蔵)

    商品コード: 2016110400623

  • 1998年11月20日
    陳謝する野村全日空社長 全日空を行政処分

    国際線ジャンボ機の違反運航問題で、川崎二郎運輸相(左)に報告書を提出、陳謝する全日空の野村吉三郎社長=20日午前、運輸省

    商品コード: 1998112000010

  • 1999年07月30日
    遺影を抱く夫人と遺族ら 殉職した長島機長の葬儀

    長島直之機長の出棺を見守る(左から)長女の留合さん、長男の英治さん、遺影を抱く妻の久実子さん、全日空の野村吉三郎社長=30日午後、東京・南青山の青山葬儀所

    商品コード: 1999073000100

  • 1998年12月26日
    沼田氏、奥田氏 野村氏、ユーバンクス氏

    野村吉三郎・全日本空輸社長、ゴードン・ユーバンクス・シマンテック社長(未出稿ネガより)▽沼田忠一・勧角証券社長▽奥田碩・トヨタ自動車社長(K97ー2468)

    商品コード: 1998122600032

  • 1932年06月26日
    日本電報通信社資料

    野村吉三郎海軍提督(前列左端)、田代皖一郎臨時上海派遣軍参謀長(前列右から2人目)、嘉村達次郎歩兵第39旅団長(同右端)ら凱旋将軍を首相官邸に招待した斎藤実首相(同左から2人目)=1932(昭和7)年6月26日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 2015061700524

  • 2016年11月18日
    外務省公電 最後通牒と結論、開戦へ

    ハル・ノートの内容を知らせる野村吉三郎駐米大使から外務省への公電。右は冒頭部分、左は要求項目で、(3)として中国とフランス領インドシナからの撤収が書かれている(外交史料館蔵)

    商品コード: 2016111800724

  • 1932年06月24日
    日本電報通信社資料

    上海から凱旋し、宮城に向かう第9師団長の植田謙吉中将第3艦隊司令長官の野村吉三郎海軍中将を乗せた馬車列=1932(昭和7)年6月24日、東京駅前(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932062400002

  • 1952年03月03日
    第7艦隊司令官交代式

    野村吉三郎氏(前列右から2人目)と握手する新司令官のロバート・P・ブリスコー中将、その間は前司令官のハロルド・M・マーティン中将=1952(昭和27)年3月3日、神奈川県横須賀の戦艦ウィスコンシン上(連9579)

    商品コード: 2013022200286

  • 2016年11月04日
    会談に向かう来栖大使ら 友人間に最後の言葉はない

    ルーズベルト米大統領との会談に向かう来栖三郎大使(右)と、野村吉三郎駐米大使(左)、中央はハル米国務長官=1941年11月17日、ワシントンのホワイトハウス(ゲッティ=共同)

    商品コード: 2016110400624

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    2016年11月30日
    野村駐米大使と来栖大使 ハワイ真珠湾を日本軍攻撃

    1941年12月7日、米国への事実上の開戦通告が真珠湾攻撃の後になり、ハル国務長官の非難を受けて、しょんぼりとワシントンの国務省を出る野村吉三郎駐米大使(左)と来栖三郎大使(ゲッティ=共同)

    商品コード: 2016113000238

  • 1932年02月04日
    上海事変

    第三艦隊司令長官として佐世保へ向かう野村吉三郎中将(左)と参謀長の島田繁太郎少将。佐世保から軍艦で上海へ急行する=1932(昭和7)年2月4日、東京駅(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932020400001

  • 1932年06月24日
    日本電報通信社資料

    上海から凱旋し、東京駅に着いた(前列左から)第9師団長の植田謙吉中将、室兼次中将、第3艦隊司令長官の野村吉三郎海軍中将、塩沢少将=1932(昭和7)年6月24日(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932062400001

  • 1997年05月29日
    会見を途中退席する吉川氏 全日空の社内抗争収拾へ

    全日空社長人事の記者会見で、途中退席する次期社長を辞退した吉川謙三氏(左)。中央は退任する普勝清治社長。右は社長昇格が内定している野村吉三郎専務=29日午後、東京・霞が関の全日空本社(ふかつ・せいじ、のむら・きちさぶろう)

    商品コード: 1997052900166

  • 1932年07月27日
    日本電報通信社資料

    上海天長節爆弾事件で負傷し、皇后陛下から下賜された義眼を入れた野村吉三郎海軍提督(左)。右は田川軍医中将=1932(昭和7)年7月27日、東京・築地の海軍軍医学校(日本電報通信社撮影)

    商品コード: 1932072700001

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    1941年11月18日
    ホワイトハウスに入る来栖大使ら 太平洋戦争勃発直前の日米交渉

    対米交渉最終案を用意して訪米した来栖三郎特命全権大使(右)は、11月17日(日本時間で18日)午前、野村吉三郎大使(左)とともにハル米国務長官(中央)と最初の会談を行い、以後の最終交渉にあたったが決裂、12月8日に両国は開戦した=1941(昭和16)年11月17日、米国・ワシントン

    商品コード: 1941111750001

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