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  •  世界史を変えた宋モンゴル「釣魚城の戦い」の謎を解く
    2018年03月19日
    世界史を変えた宋モンゴル「釣魚城の戦い」の謎を解く

    3月19日、重慶市合川区釣魚城の範家堰遺跡から出土した宋代の鉄の砲弾。「釣魚城の戦い」は13世紀に起こった、南宋とモンゴルの生死をかけた戦いだ。モンゴル帝国第4代皇帝モンケは1258年、大軍を率いて南宋に進攻したが、翌年に釣魚城で頑な抵抗に遭い、死亡した。次の帝位を争うため、ヨーロッパから「天の鞭」と恐れられたモンゴル西征軍は直ちに欧州やアジア各地から撤退し、世界情勢は大きく変化した。このため釣魚城は「天の鞭が切れた地」と呼ばれるようになった。中国重慶市文化遺産研究院の袁東山副院長は「釣魚城研究は長期に渡って史料にとらわれ、考古学の実証が乏しかった」と述べ、山城の防御体制がどのように構築されたかや、宋とモンゴルの間でいかなる攻防があったのかなどの謎はまだ解明されていないと説明。範家堰遺跡の発見はこれらの謎を解く鍵になったとし、「発掘調査の結果から、この遺跡は宋モンゴル戦争期の合州官署の所在地であり、釣魚城の戦いの中央指揮所だったと考えられる」と述べた。(重慶=新華社記者/黄豁)=2018(平成30)年3月19日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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