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  •  安芸の宮島
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    安芸の宮島

    三笠の浜から大鳥居を望む,この地は現在でも厳島神社の朱の大鳥居を背景に写真撮影が行われる眺望地である。画面左側には文化3年(1806)に阿波国の藍屋講中が寄進した石燈籠がある。厳島神社に寄進された数百の石燈籠のうちでも最大級の規模をもつ。=撮影年月日不明、宮島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐48‐0]

    商品コード: 2017081400846

  • 蜂須賀家墓前で奉納踊り 徳島の阿波おどりが開幕
    2000年08月12日
    蜂須賀家墓前で奉納踊り 徳島の阿波おどりが開幕

    阿波おどりが開幕、阿波国の領主蜂須賀家の墓前で行われた奉納踊り=12日午前9時、徳島市下助任町の興源寺

    商品コード: 2000081200020

  • 吉野川に架かる橋 名田橋 名田橋の夜景
    2015年07月07日
    吉野川に架かる橋 名田橋 名田橋の夜景

    名田橋は、一級河川・吉野川の下流に架かるプレストレスト・コンクリート橋。1963年に開通。 徳島市不動北町と板野郡藍住町を結んでいる。1896(明治29)年の徳島県阿波国徳島近傍地図にこの橋が記載されているので、明治期には賃取橋ができていたと思われる。大正期には、徳島県によって架橋計画されながらも取り消された。主要地方道徳島引田線に架かる、下弦が緩やかなカーブを描くスマートなコンクリートの橋。国内で2番目に架けられた「ディビダーク工法」による橋で、架設当時は国内最長のPC橋であった。本橋の完成によって、高度経済成長によりハイウェイ時代に突入しつつあった日本は、この工法が爆発的に普及していった。古くから、この付近には「名田の渡し」があり、今では石碑が建てられている。藍住町側の橋の下には、藍住町名田橋下公園がある。グラウンドではスポーツの試合やイベントなどが開催されている。=2015(平成27)年7月7日、徳島県板野郡藍住町、クレジット:徳島新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2025022704654

  • 吉野川に架かる橋 名田橋 名田橋の夜景
    2015年07月07日
    吉野川に架かる橋 名田橋 名田橋の夜景

    名田橋は、一級河川・吉野川の下流に架かるプレストレスト・コンクリート橋。1963年に開通。 徳島市不動北町と板野郡藍住町を結んでいる。1896(明治29)年の徳島県阿波国徳島近傍地図にこの橋が記載されているので、明治期には賃取橋ができていたと思われる。大正期には、徳島県によって架橋計画されながらも取り消された。主要地方道徳島引田線に架かる、下弦が緩やかなカーブを描くスマートなコンクリートの橋。国内で2番目に架けられた「ディビダーク工法」による橋で、架設当時は国内最長のPC橋であった。本橋の完成によって、高度経済成長によりハイウェイ時代に突入しつつあった日本は、この工法が爆発的に普及していった。古くから、この付近には「名田の渡し」があり、今では石碑が建てられている。藍住町側の橋の下には、藍住町名田橋下公園がある。グラウンドではスポーツの試合やイベントなどが開催されている。=2015(平成27)年7月7日、徳島県板野郡藍住町、クレジット:徳島新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2025022704659

  • 吉野川に架かる橋 名田橋 名田橋
    2016年05月02日
    吉野川に架かる橋 名田橋 名田橋

    名田橋は、一級河川・吉野川の下流に架かるプレストレスト・コンクリート橋。1963年に開通。 徳島市不動北町と板野郡藍住町を結んでいる。1896(明治29)年の徳島県阿波国徳島近傍地図にこの橋が記載されているので、明治期には賃取橋ができていたと思われる。大正期には、徳島県によって架橋計画されながらも取り消された。主要地方道徳島引田線に架かる、下弦が緩やかなカーブを描くスマートなコンクリートの橋。国内で2番目に架けられた「ディビダーク工法」による橋で、架設当時は国内最長のPC橋であった。本橋の完成によって、高度経済成長によりハイウェイ時代に突入しつつあった日本は、この工法が爆発的に普及していった。古くから、この付近には「名田の渡し」があり、今では石碑が建てられている。藍住町側の橋の下には、藍住町名田橋下公園がある。グラウンドではスポーツの試合やイベントなどが開催されている。=2016(平成28)年5月2日、徳島県徳島市、クレジット:徳島新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2025022704677

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    2022年10月21日
    大麻比古神社

    鳴門市大麻町板東にある神社。式内社(名神大社)、阿波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。通称として「大麻さん」とも呼ばれ、阿波国・淡路国両国の総鎮守として、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集める。境内は大麻山県立自然公園に指定されている。境内には鳴門市の天然記念物で最大の樹齢約800年を超えるクスノキがある。=2022(令和4)年10月21日、徳島県鳴門市大麻町、クレジット:徳島新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2025021704753

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    2023年05月01日
    大麻比古神社のクスノキ

    鳴門市大麻町板東にある神社。式内社(名神大社)、阿波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。通称として「大麻さん」とも呼ばれ、阿波国・淡路国両国の総鎮守として、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集める。境内は大麻山県立自然公園に指定されている。境内にある鳴門市の天然記念物で最大のクスノキは、巨樹・老木の風格を備え後世に残すべき価値のある銘木である。大麻比古神社の神木として大切にされてきた、鳴門市最大のクスノキの巨樹・老木である。大きく空洞化した樹幹が風雪に耐えて樹齢を重ねてきたことを物語り、なおかつ旺盛な生命力によって、豊かな樹冠を保っている。推定樹齢は約800年である。東方の枝は他のクスノキの枝に接しているため、伸張が少ないが、南北方向には26.3メートルにわたって枝を張り出し、広く境内を覆う。樹幹の北面が大きく空洞化しているものの、枯損した枝もほとんどなく、樹勢は極めて旺盛で、巨樹・老木としての風格がある。主幹には注連縄が張られ、周囲には石柱で囲われて神社のシンボルとなっている。主幹の一部に鉄製の支柱を施し、落雷防止の避雷針なども設置されていて、保存状態は良好である。=2023(令和5)年5月1日、徳島県鳴門市大麻町、クレジット:徳島新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2025021704745

  • 四国八十八箇所第十五番札所 国分寺(阿波国分寺) 四国霊場第15番札所 国分寺
    2024年04月10日
    四国八十八箇所第十五番札所 国分寺(阿波国分寺) 四国霊場第15番札所 国分寺

    阿波国分寺は、徳島県徳島市国府町矢野に位置する曹洞宗の寺院。薬王山、金色院と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第十五番札所。札所寺院としては単に国分寺と呼ぶのが通例である。天平13(741)年、聖武天皇が発した国分寺建立の詔により諸国に建てられた国分寺の一つ。寺伝では行基が自ら薬師如来を刻んで開基し、聖武天皇から釈迦如来像と大般若経、光明皇后の位牌厨子が納められたと伝わっている。当初は法相宗の寺院として七堂伽藍を有する大寺院であった。弘仁年間(810-824年)に空海(弘法大師)が巡錫した際に真言宗に改宗したとされる。=2024(令和6)年4月10日、徳島県徳島市、クレジット:徳島新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2025021706712

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