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「飽の浦」の写真・映像

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    飽の浦の谷

    元治元年(1864)頃、飽の浦を訪れたベアトは、この入江にそそぎこむ大日川の石橋と人物を撮影。幕末の長崎郊外を撮影したものとして珍しい写真である。川の男性は魚を釣っているのだろうか。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐17‐0]

    商品コード: 2017080902085

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    飽の浦の谷

    飽の浦の谷=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐9‐0]

    商品コード: 2017081601073

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    飽の浦恵美須神社

    写真には「浪の平」とあるが、飽の浦の恵美須神社である。恵美須町(現・長崎駅付近)から寛永10年(1633)、小柳五郎佐衛門道長が稲佐の「瀬ノ脇村」のこの地に移転した。フェートン号事件の時に奉行松平図書守の御用場所となる。明治維新後、稲佐神社と改称したが、昭和12年(1937)に創立時の呼称が復活。鳥居の下まで海岸が迫って、漁家が建ち並び、港内から対岸を見渡せる景勝地であった。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐34‐0]

    商品コード: 2017081502097

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    飽の浦恵美須神社

    上野彦馬による稲佐飽の浦から長崎港のパノラマ写真の一部。もともとのオリジナルは四つ切り四枚で構成されていて、これは向かって一番左の写真。神社の裏から長崎港を望んでいる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐16‐0]

    商品コード: 2017080201350

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    飽の浦恵美須神社

    明治7年(1874)8月20日の書き込みあり。飽の浦恵美須神社の境内越しに長崎港を遠望している。神社の境内には台風で荒らされた跡が見える。海岸には沢山の和船が係留されている。神社の左右が飽の浦の集落、左奥に水の浦、その先に大鳥崎、稲佐崎の岬がある。大鳥崎の先に丸尾海岸の海軍埋め立て地の建物が見える。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐18‐0]

    商品コード: 2017081601046

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    飽の浦恵美須神社

    飽の浦恵美須神社=1868年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号58‐15‐0]

    商品コード: 2017081400555

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    飽の浦恵美須神社

    釛山恵美須神社と称する。写真では神社の裏から長崎港、対岸を望んでいる。現在は三菱の工場のため眺望は遮られている。フェートン号事件の際には長崎奉行の御用所に指定された。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐2‐0]

    商品コード: 2017080200784

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    飽の浦恵美須神社

    飽の浦恵美須神社=明治5年頃、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐21‐0]

    商品コード: 2017082400182

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    飽の浦恵美須神社

    飽の浦恵美須神社。明治5年(1872)の天皇巡幸に随行した内田九一が、同じアングルで撮影しているが、比べてみると、この写真では、海側の鳥居の左にあった松がないので、それより後の撮影。また、同じアングルで明治7年(1874)8月20日の台風直後に撮影された写真に写る、岬の先の丸尾海岸の海軍埋め立て地の建物がないので、それ以前の撮影である。当時の神社の建物は消滅しているが、神社は存続している。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐18‐0]

    商品コード: 2017081501612

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    飽の浦恵美須神社

    この写真は英文で「長崎、稲佐の景色」と題されている。飽の浦神社(恵美須神社)の境内ごしに長崎港の風景を遠望している。同じ作品が上野彦馬のアルバムにも収蔵されている。明治初年の撮影と思われる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号40‐28‐0]

    商品コード: 2017080902586

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    飽の浦恵美須神社

    飽の浦恵美須神社の境内越しに長崎港を遠望している。神社の境内の前には和船が係留されている。神社の左右が飽の浦の集落、左奥に水の浦、その先に大鳥崎、稲佐崎の岬がある。稲佐崎の対岸は西坂付近である。左側の山は金比羅山と立山である。明治天皇西国巡幸の長崎湾を撮影した4枚組写真の左端。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号120‐22‐0]

    商品コード: 2017081601033

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    飽の浦からの長崎港

    飽の浦から撮影された長崎港のパノラマ。もともと四つ切り四枚継ぎの写真であるが、この写真は全体の四分の一を構成。港内には蒸気船が浮かんでいる。中央右の建物は官営の長崎製鉄所。オリジナル写真の複写と思われる。=明治5年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐15‐0]

    商品コード: 2017080201335

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    飽の浦からの長崎港

    飽の浦からの長崎港=明治5年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐19‐0]

    商品コード: 2017082400146

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    飽の浦の外国人宿舎

    現在の三菱病院付近にあった大長崎製鉄所のオランダ人止宿所である。2階から外を眺めているのは、造船技師レーマンか、造営師レミーと思われる。ベアトの元治元年(1864)のアルバムにも掲載されている。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐16‐0]

    商品コード: 2017080902060

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    飽の浦船着場と長崎港

    飽の浦船着場と長崎港=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐4‐0]

    商品コード: 2017081501598

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    飽の浦からの長崎港

    飽の浦からの長崎港=明治5年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐20‐0]

    商品コード: 2017082400150

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    飽の浦の外国人宿舎

    飽の浦の外国人宿舎=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号121‐17‐0]

    商品コード: 2017081601098

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    飽の浦からの長崎港

    稲佐方面、飽の浦からの長崎のパノラマ。オリジナルは四つ切り四枚で構成されている。これはその一枚。中央右の建物は官営の長崎製鉄所。港内には蒸気船が浮かび長崎港の賑わいを示している。オリジナル写真の複写と思われる。=明治5年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号15‐34‐0]

    商品コード: 2017080201452

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    飽の浦からの長崎港

    明治5(1872)年、天皇の西国巡幸に随行した内田九一が撮影した長崎港の4枚組写真の一枚である。会場には天皇のお召し艦が見える。もともと上野彦馬の撮影と見られていたが、霞会が所蔵していた西国巡幸の内田の献納写真に同じものがあり、撮影者が九一であることがわかった。=明治5年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐24‐0]

    商品コード: 2017081400971

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    飽の浦からの長崎港

    飽の浦から内田九一によって撮影された長崎港のパノラマ。明治5年天皇の長崎行幸時のもので、左にお召し艦がみえる。もともと四つ切り四枚継ぎの写真でこれは全体の四分の一を構成している。=明治5年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐15‐0]

    商品コード: 2017080400665

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    長崎製鉄所飽の浦工場

    文久元年(1861)に落成した長崎製鉄所を譲り受け、明治17年(1884)に三菱会社長崎造船所飽の浦機械工場になった。工場の建物、50トン起重機等の工場施設を見ることができる。対岸は西坂、大黒町付近。=1879(明治12)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐3‐0]

    商品コード: 2017080201718

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    飽の浦からの長崎港

    整理番号26-15の写真の左に続く組写真。海には天皇に随行した艦隊が停泊している。また海岸には石炭が野積みされている。=明治5年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐27‐0]

    商品コード: 2017080901990

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    飽の浦からの汽船と南山手

    飽の浦からの汽船と南山手=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号123‐2‐0]

    商品コード: 2017081601160

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    飽の浦からの汽船と南山手

    1872年2月16日付けの "The Far East "に掲載された写真である。これについての説明文はない。対岸から南山手の居留地を写している。港内には大型の蒸気船が浮かんでいる。=1872(明治5)年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐32‐0]

    商品コード: 2017080400452

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    飽の浦からの汽船と南山手

    飽の浦から長崎港と対岸の南山手を望む写真である。対岸の海岸側は浪の平町、小曽根町、松ケ 枝町である。鍋冠山の下腹にはロシア領事館等の洋館が見える。左の団平船による艦船への石炭積み込み風景は珍しい映像である。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐12‐0]

    商品コード: 2017080201888

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    飽の浦のお雇い外国人宿舎

    飽の浦の工部省所管「長崎造船局」の北の丘に明治7年(1874)4月に落成したお雇い外国人の宿舎。この頃のお雇い外国人は、フランス人の建設師長ワンサン・フロラン、イギリス人の機械師長フランク・ロベルト・ストリー、同じくイギリス人の機械師補ジョン・デキソンと水夫頭目ダグラスの計4人であった。「長崎造船局」は、最先端の知識や技術、機械を外国から移植し、明治17年(1884)には岩崎弥太郎率いる三菱に経営が引き継がれ、「長崎造船所」と改称する。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐48‐0]

    商品コード: 2017081601045

  • 1996年03月14日
    イージス艦みょうこう 海上自衛隊で3番目の配備

    海上自衛隊の舞鶴基地に配属されるイージス護衛艦「みょうこう」=14日午前、長崎市飽の浦町の三菱重工業長崎造船所

    商品コード: 1996031400030

  • 2001年11月28日
    会見する杉内投手 杉内のダイエー入り決定

    ダイエー入りが決まり記者会見する三菱重工長崎の杉内俊哉投手=28日午前、長崎市飽の浦町

    商品コード: 2001112800122

  • 1980年12月22日
    長崎県 三菱重工長崎造船所

    飽ノ浦町の三菱長崎造船所=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)、クレジット:西日本新聞/共同通信イメージズ (空撮)

    商品コード: 2017041400378

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    長崎市街と長崎港

    風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の町並み。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐16‐0]

    商品コード: 2017081502343

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    長崎市街中心部北

    風頭から長崎市街北部にアングルが向けられている。出島、梅ケ 崎ごしに港を望んでいる。対岸は飽の浦。出島橋が架設されているのがわかる。整理番号75-9 、75-22と大体おなじアングル。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐10‐0]

    商品コード: 2017080201831

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    長崎市街と長崎港

    風頭山から長崎市中と港を展望したもの。左隅の新地蔵の付近は埋め立てが進み、新しい建物が建築中であるが、内側はまだ石垣がそのまま残っている。出島と出島橋、明治2年(1869)に架けられた新大橋の架かる築町には白い洋館が見える。明治4年から5年(1871~2)頃の撮影。港の内には軍艦や船が停泊し、対岸には飽の浦の造船所、稲佐方面が展望される。=1873(明治6)年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐31‐0]

    商品コード: 2017081502361

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