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「高度経済成長」の写真・映像

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  • 1950年05月31日
    扇風機売り場

    ずらりと並んだかわいい扇風機。夏本番を前にいち早く電器店に姿を見せ、涼風を送っている。「レトロ調扇風機売り場」として、今でもありそうな風景だ。戦争の傷跡がまだいえない時代、扇風機の値段は7000円前後。扇風機税が撤廃されやや安くなったものの、庶民にはまだ簡単には手の届かない代物だった。この後、日本は高度経済成長を迎え、生活が向上。扇風機の世帯普及率は昭和48年には90%を超えるまでになった=1950(昭和25)年5月ごろ、岡山市、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018061501313

  • 1955年11月26日
    2千万円の山

    師走を控え、お札の山を女子行員が鮮やかな手つきで数えている。これで約2千万円。それにしては山が大き過ぎるのではと思われそうだが、積まれているのが聖徳太子の描かれた当時の最高額紙幣・千円札のため。1万円札も5千円札もまだなかった。この年、景気はうなぎ上りで日銀岡山支店で1日に動くお金は約5億円。日本の景気は高度経済成長に向け、順調な足どりだった。=1955(昭和30)年11月26日、岡山市・日銀岡山支店、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018100119845

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    1963年11月05日
    三ちゃん農業

    高度経済成長政策の進展に伴い農業の労働力は都市部へ流出した。農作業の多くはかあちゃん・じいちゃん・ばあちゃんの仕事となった、宮城県刈田郡蔵王町で=1963(昭和38)年11月5日

    商品コード: 2003022000156

  • 1964年03月06日
    都内のあちこちで渋滞 都内の自動車ラッシュ

    高度経済成長の波に乗り、自動車の保有台数も飛躍的に増加、都内のあちこちで渋滞が起きた=1964(昭和39)年3月6日、皇居前

    商品コード: 1964030650001

  • 01:33.63
    1964年08月07日
    「中日映画社」五輪道路の新幹線開通

    羽田空港と日本橋・新宿を結ぶ高速道路1、4号線開通。首都高。※撮影日不明・公開日:1964年(昭和39年)8月7日、クレジット:中日映画社/共同通信イメージズ ※高ビットレート素材あり、要問い合わせ ※テレビ番組利用の場合は、別途お問合わせ下さい。

    商品コード: 2020030601130

  • 1969年12月31日
    44年(1969)/上/新時代、うねる怒り、不満 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    成長・発展へのテープカット/高度経済成長を迎え開発が進んだ小山市。地元住民らが待望した小山市駅東口が1月上旬に開通しテープカットが行われた[下野新聞掲載日:2020(令和2)年7月12日]=1969(昭和44)年、栃木県、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020081502366

  • 1970年01月30日
    45年(1970)/上/繁栄の陰に、波乱内包 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    寒さも吹き飛ばす人、人、人の熱気/1月、日光・湯元で「雪まつり」が開幕。地元温泉街の人々や東京の大学生らが制作した氷の彫刻が会場を埋めた[下野新聞掲載日:2020(令和2)年10月5日]=1970(昭和45)年1月、栃木県日光、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020101401439

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    1970年01月30日
    45年(1970)/上/繁栄の陰に、波乱内包 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    風は去り、仲間来たる/1月末に県内を吹き荒れた突風。旧上河内村の農家ではトマト栽培のビニールハウスに大きな被害が出たが、農業仲間が駆け付け修理などに当たった[下野新聞掲載日:2020(令和2)年10月5日]=1970(昭和45)年1月末、栃木県、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020101401440

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    1970年02月10日
    荷馬車がゆく

    そこのけ、そこのけお馬が通る。戦後の高度経済成長とともに増え続けた交通死者が史上最悪を記録したこの年、車の洪水の中を馬車がゆうゆうと進んでいる。当時のおもな仕事は、長さ12、3メートルのコンクリート製電柱の運搬。多いときには一日に10本も運び、「近距離ならクレーン車より能率的」と重宝がられていた。岡山市内では唯一の馬車だったらしく、警察官も「こんなのどかな光景があっても…」と話し、すでに郷愁を呼ぶ存在だった。=1970(昭和45)年2月10日、岡山市南方、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018121821533

  • 05:56.39
    1970年03月18日
    「中日映画社」進歩と調和を求めて

    日本万国博覧会開催、参加77ヶ国、「太陽の塔」の下、開会式には天皇皇后も列席。<映像内容> 万博開会式、天皇陛下挨拶、万博内の様子(ソビエト館、アメリカ館、人間洗濯機など)、撮影日不明・公開日:1970(昭和45)年3月18日、クレジット:中日映画社/共同通信イメージズ ※高ビットレート素材あり、要問い合わせ※テレビ番組利用の場合は、別途お問合わせ下さい。

    商品コード: 2018052900020

  • 1970年04月30日
    45年(1970)/上/繁栄の陰に、波乱内包 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    安全帽かぶり、ピッカピカでキリリ/4月、県内小学校で入学式が行われ、2万4489人が小学生の仲間入りをした。宇都宮市では新入生全員に交通安全帽などを配布した[下野新聞掲載日:2020(令和2)年10月5日]=1970(昭和45)年4月、栃木県、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020101401443

  • 1970年05月30日
    45年(1970)/上/繁栄の陰に、波乱内包 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    馬上のインターナショナル/5月、高根沢町にある御料牧場の初の公式行事として宮内庁主催の在京外交団招待が行われた。大使館関係者らが馬上からのどかな景色などを楽しんだ[下野新聞掲載日:2020(令和2)年10月5日]=1970(昭和45)年5月、栃木県、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020101401441

  • 1972年12月13日
    白菜の漬け込み

    雪が降り、冬本番を迎えた中国山地の農家の庭先。でんと据えた漬物用の大だるには白菜がぎっしり詰まっていた。テコの応用で重しを十分きかせるため、長くのばした棒の先には、石の入った器が取り付けてある。食卓の必需品、漬物づくりは一家の主婦の腕の見せどころだった。高度経済成長は庶民の暮らしを大きく変えつつあったが、家によっては牛もまだ一家の一員だった。=1972(昭和47)年12月13日、岡山県大原町(現岡山県美作市)、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019012821701

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    06:43.15
    1973年03月16日
    「中日映画社」日本の歩み

    昭和35年新安保条約で岸内閣は強行採決し国民は政治不信に。[所得倍増]の池田内閣を批判した佐藤首相も最低の支持率記録。[列島改造]の田中首相は土地の高騰を招いた。<映像内容>昭和20年8月の終戦後の焼け野原、戦後の列車や船の風景、昭和25年6月朝鮮戦争勃発、遺体にすがりながら泣く女、兵隊の行進の様子、岸信介が新日米安保条約にサインをする様子、強行採決をし混乱する国会、安保阻止派と警察の衝突、池田内閣発足の記念写真撮影、職を求める人々、若者たちが踊ったり遊ぶ様子、通勤ラッシュ、うず高く積まれた万札の束、三池三川鉱ガス爆発、横須賀線鶴見で二重衝突事故、新幹線が走る様子、東京オリンピック開催、佐藤首相が支援者と握手する様子、仕事にあぶれ働く気のない男たちの様子、明治100年のパレード、大学紛争で大学前で火が燃えている様子、万博が開催される様子、水俣病患者などの公害被害者、工場の煙突から煙が出る様子、田中角栄首相の誕生 、撮影日不明・公開日:1973(昭和48)年3月16日、クレジット:中日映画社/共同通信イメージズ ※高ビットレート素材あり、要問い合わせ※テレビ番組利用の場合は、別途お問合わせ下さい。

    商品コード: 2019013004550

  • 1975年04月25日
    沖縄、本土復帰3年

    工業開発か、農、漁業振興か…。石油基地建設予定の平安座島では漁民が網の手入れに余念がない。海洋博を誘致すれば10年かかる基盤整備は1年に縮められる-。地元は当初沸き立ったが高度経済成長のつまずきと石油ショックで国際的な不況。ドル圏から離脱した復帰時に円切り上げというショックに遭った沖縄は、今度も大変な“間の悪さ”に泣いたといえるだろう=1975(昭和50)年4月、宮城島桃源漁港(連載企画「沖縄、本土復帰3年」-7併用)

    商品コード: 2012111500107

  • 1982年02月28日
    自然保護運動高まる

    高度経済成長期の公害や乱開発に伴って自然破壊が進行する中、1960年代後半から自然保護運動が高まりを見せた。自然保護グループは各地でさまざまな運動を展開、湿地保全や野生生物の生息地保護、あるいは自然を買い取るナショナルトラスト運動も組織された。写真は多摩川の環境美化運動に取り組む「東京にサケを呼ぶ会」によるサケの稚魚30万匹の放流=1982(昭和57)年2月28日

    商品コード: 2003070500063

  • 03:28.14
    2002年04月17日
    成田暫定滑走路

    4月18日、成田空港2本目の滑走路である暫定平行滑走路が運用開始される。〈映像内容〉成田空港の2本目の暫定平行滑走路を含めた成田空港の様子、撮影日:2002(平成14)年4月17日、撮影場所:成田空港

    商品コード: 2019042300677

  • 2002年04月18日
    演説するプーチン大統領 高度経済成長へ号令

    18日、クレムリンで演説するロシアのプーチン大統領(手前)(ロイター=共同)

    商品コード: 2002041800206

  • 2008年12月25日
    池田内閣で高度経済成長へ 所得倍増計画を決定

    1960(昭和35)年12月27日、経済審議会の答申を受けて池田勇人内閣は国民所得倍増計画を閣議決定。首相は通産相時代と変わって低姿勢の「寛容と忍耐」をモットーに公約実現に取り組み、高度経済成長を成し遂げた。 写真:カレーライスを食べながら議員と懇談する池田首相(左)=同年8月9日、自民党本部

    商品コード: 2008122500188

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    2009年10月29日
    都会への出稼ぎ盛ん 三ちゃん農業

    1963(昭和38)年11月5日、東京五輪開催の前年、高度経済成長政策が推進され、農家の労働力は出稼ぎで都市部へどっと流れた。農作業の多くは残されたかあちゃん、じいちゃん、ばあちゃんたちの仕事となってしまった。 写真:池田内閣解散による選挙運動中、宮城県蔵王町では女性ばかりで農作業

    商品コード: 2009102900219

  • 2009年12月17日
    浅草の歳末商戦 1万円のサンドイッチマン

    1958(昭和33)年12月23日、東京・浅草の仲見世に現れたサンドイッチマン。発行されたばかりの一万円札の肖像、聖徳太子のスタイルが目を引いたことだろう。このころに「なべ底不況」から脱し「岩戸景気」が始まった。池田内閣が「所得倍増計画」を発表し高度経済成長時代を迎えるのは2年後。

    商品コード: 2009121700272

  • 2009年12月24日
    お汁粉に歓声 講道館の鏡開き

    1960(昭和35)年1月10日、東京都文京区の講道館で恒例の新年鏡開き。柔道の初げいこを終えた小学生がお汁粉の丼を手にうれしそう。都会の子どもに丸刈りは少なく、前髪をそろえた「坊ちゃん刈り」がほとんど。高度経済成長期の豊かさの中で育った「団塊世代」もすでに還暦を過ぎた。

    商品コード: 2009122400278

  • 2010年07月01日
    世界最大の「日章丸」 マンモスタンカー進水

    1962(昭和37)年7月10日、当時世界最大のマンモスタンカー「日章丸3世」(13万9千重量トン)が長崎・佐世保重工業造船所で進水した。全長291メートルで14万キロリットルもの原油が積める巨大タンカー。高度経済成長期の石油需要の高まりで中東と日本を結んだ。写真は建造中の日章丸。

    商品コード: 2010070100191

  • 2010年11月18日
    倒産自殺もやむを得ず発言 池田通産相への不信任可決

    1952(昭和27)年11月28日、不況さなかの中小企業対策に「倒産、自殺もやむを得ない」と発言した池田勇人通産相(吉田内閣)への不信任案が衆院で可決、議場を去った。翌日辞任。蔵相時に「貧乏人は麦を食え」発言が追及されたことも。首相になると所得倍増政策を打ち出し高度経済成長に大きな役割を果たした。

    商品コード: 2010111800408

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    2011年02月10日
    街頭にも求職青年 就職難時代

    1956(昭和31)年2月16日、東京・内幸町の帝国ホテル近くで職を求めて立つ青年。前年10月には完全失業者が全国で72万人に達し、失業問題が深刻だった。鉱工業生産などが戦前水準を上回り、経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言するが、高度経済成長時代が到来するのはもう少し先のこと。

    商品コード: 2011021000361

  • 2011年04月07日
    3階建て練習場も ゴルフブーム到来

    1963(昭和38)年4月12日、東京・芝の3階建て大型ゴルフ練習場はサラリーマンゴルファーで大にぎわい。高度経済成長によって暮らしにもゆとりが出始めレジャーブームが到来した。全国でゴルフ場が増え、それまで高級レジャーだったゴルフの大衆化が一気に進んだ。

    商品コード: 2011040700236

  • 2011年04月21日
    純金にダイヤちりばめ ミニ馬車1500万円

    1970(昭和45)年4月26日、純金の車体にダイヤモンド350個をちりばめた全長27センチのミニチュア馬車が東京・銀座の百貨店にお目見えした。お値段は1500万円なり。高度経済成長期の豊かさを象徴するような豪勢な装飾品は、この先値上がりが確実な貴金属類への投資を誘ったものだろうか。

    商品コード: 2011042100219

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    2012年06月21日
    公害問題が深刻化 環境庁が発足

    1971(昭和46)年7月1日、新しい省庁、環境庁が発足した。高度経済成長で大気汚染問題が深刻化、厚生省や通産省などに分散していた公害規制の一元化と、自然破壊の進行を止める環境行政が必要となった。佐藤内閣の山中貞則総務長官(兼任)が看板掛け。4日後に実質初代となる大石武一長官が決まった。

    商品コード: 2012062100241

  • 2012年09月06日
    佐藤首相ら祝杯 大阪万博開催が決定

    1965(昭和40)年9月13日、日本万国博の大阪開催が決定した。東京五輪に次ぐ国家プロジェクトは「人類の進歩と調和」をテーマに、高度経済成長を成し遂げた日本の象徴的なイベントとなった。写真は翌日、祝杯を挙げる(右から)佐藤首相、(1人おいて)中馬大阪市長、左藤大阪府知事、三木通産相。

    商品コード: 2012090600263

  • 2012年09月27日
    東北線に初登場 旅はお座敷列車で

    1960(昭和35)年10月7日、団体客を乗せ盛岡から仙台に到着したのは東北線にお目見えした国鉄の和風仕立ての「お座敷列車」。青畳の上でくつろぎながら旅気分が味わえるジョイフルトレインのはしりとなった。神武景気を上回る高度経済成長期は岩戸景気と呼ばれ、家庭を離れて団体旅行を楽しむ主婦が増えた。

    商品コード: 2012092700320

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    2013年02月07日
    街頭にも求職青年 就職難時代

    1956(昭和31)年2月16日、東京・内幸町の帝国ホテル近くで職を求めて立つ青年。前年秋には完全失業者が全国で72万人に達し、失業問題が深刻だった。鉱工業生産などが戦前の水準を上回ったことで経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言するが、高度経済成長時代が到来するのはもう少し先になる。

    商品コード: 2013020700177

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    2013年03月14日
    集団就職列車 「金の卵」が上野駅到着

    1964(昭和39)年3月18日、集団就職列車で地方から上京する中卒者は「金の卵」と呼ばれ重宝された。高度経済成長期を迎えた都会では働き手が不足していた。この年に井沢八郎が歌った「あゝ上野駅」は、親元を離れて働く彼らへの応援歌でもあった。

    商品コード: 2013031400247

  • 2013年04月11日
    電気冷蔵庫が普及 あこがれの「三種の神器」

    1956(昭和31)年4月21日、東芝の工場にずらりと並ぶ出荷を前にした電気冷蔵庫。高度経済成長期に白黒テレビや洗濯機とともに「三種の神器」と呼ばれ、家庭への普及はめざましかった。この冷蔵庫の価格は約7万円、「文化生活」には必需品のあこがれの家電品だった。

    商品コード: 2013041100210

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    2013年12月30日
    38年師走/高度成長 にぎわう年の瀬 「昭和」戦後の記憶 レンズが見た栃木の世相

    ボーナス後の日曜/官公庁ボーナス支給後、初の日曜日。好調な景気を反映して宇都宮市内は約10万人の買い物客でにぎわった[下野新聞掲載日:1963(昭和38)年/2013(平成25)年12月30日]=1963(昭和38)年12月、栃木県宇都宮市、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020090906711

  • 02:32.55
    2014年03月23日
    旧国鉄101系に別れ 秩父鉄道でラストラン

    高度経済成長期に首都圏や関西で通勤、通学を支えた旧国鉄の電車「101系」が23日、完全に引退した。全国で唯一、営業運転を続けていた埼玉県の秩父鉄道でラストランとなり、多くのファンが別れを惜しんだ。【映像内容】旧国鉄電車「101系」のラストランを撮影する鉄道ファン、埼玉県秩父駅の様子、撮影日:2014(平成26)年3月23日、撮影場所:埼玉県 秩父駅

    商品コード: 2019041001033

  • 2014年04月03日
    3階建て練習場も ゴルフブーム到来

    1963(昭和38)年4月12日、東京・芝の3階建て大型ゴルフ練習場はサラリーマンゴルファーで大にぎわい。高度経済成長によって暮らしにゆとりが出始め、レジャーブームが到来した。全国にゴルフ場が増え、高級レジャーの大衆化は一気に進んだ。

    商品コード: 2014040300410

  • 2014年09月24日
    都内の自動車ラッシュ 高速道路網は1万㌔超

    高度経済成長でマイカーの保有台数が増加、都内のあちこちで渋滞が起きた=1964年3月、皇居前

    商品コード: 2014092400505

  • 2014年09月30日
    農作業する女性たち 3ちゃん農業

    高度経済成長政策の進展に伴い、農家の労働力は都市部へ流出。農作業の多くは、残されたかあちゃん、じいちゃん、ばあちゃんたちの仕事となった=1963(昭和38)年11月5日、宮城県刈田郡蔵王町 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第4巻使用画像(P189)

    商品コード: 2014093000445

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    2014年10月30日
    都会への出稼ぎ盛ん 三ちゃん農業

    1963(昭和38)年11月5日、東京五輪開催の前年、高度経済成長政策が推進され農家の労働力は出稼ぎで都市部へどっと流れた。農作業は残されたかあちゃん、じいちゃん、ばあちゃんたちの仕事となってしまった。池田内閣解散による選挙運動中の光景も、宮城県蔵王町の田んぼは女性ばかり。

    商品コード: 2014103000320

  • 2014年11月19日
    テレビ見る家族 高度経済成長がスタート

    家族みんなが揃って見つめるのは居間に据えた白黒テレビ。洗濯機と冷蔵庫をあわせた「三種の神器」が高度経済成長の波に乗り普及し始めるなか、この年の経済白書も「もはや戦後ではない」と記し、これが流行語ともなった=1956(昭和31)年9月 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第3巻使用画像(P52)

    商品コード: 2014111900116

  • 2014年11月21日
    地方から上京した中卒者 経済成長支えた若年労働力

    集団就職列車で地方から上京した中卒者たち。高度経済成長期を迎えた都会では働き手が不足しており、彼らは「金の卵」と呼ばれて重宝された=1964(昭和39)年3月18日、東京・上野駅 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第3巻使用画像(P165)

    商品コード: 2014112100256

  • 2014年12月18日
    浅草の歳末商戦 1万円のサンドイッチマン

    1958(昭和33)年12月23日、東京・浅草の仲見世に現れたサンドイッチマン。発行されたばかりの1万円札の肖像、聖徳太子のスタイルは目を引いたことだろう。「なべ底不況」からようやく脱し「岩戸景気」が始まったころ。池田内閣が「所得倍増計画」を発表し高度経済成長の時代を迎えるのは2年後。

    商品コード: 2014121800307

  • 2014年12月25日
    お汁粉に歓声 講道館の鏡開き

    1960(昭和35)年1月10日、東京都文京区の講道館で恒例の新年鏡開き。柔道の初げいこを終えた小学生がお汁粉の丼を手にうれしそう。都会っ子には丸刈りが少なく、前髪をそろえた「坊ちゃん刈り」がほとんど。高度経済成長期の豊かさの中で育った団塊世代も還暦をすでに過ぎ、古希も間近い。

    商品コード: 2014122500205

  • 2015年02月05日
    総務長官が看板掛け 環境庁が発足

    新しい省庁、環境庁が発足した。高度経済成長で大気汚染問題が深刻化、厚生省や通産省などに分散していた公害規制の一元化と、自然破壊の進行を止める環境行政が必要となった。佐藤内閣の山中貞則総務長官が看板掛け。4日後に実質初代となる大石武一長官が決まった=1971(昭和46)年7月1日、東京・霞が関 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第6巻使用画像(P79)

    商品コード: 2015020500361

  • 2015年06月25日
    公害問題が深刻化 環境庁が発足

    1971(昭和46)年7月1日、新しい省庁、環境庁が発足した。高度経済成長で大気汚染問題が深刻化し、厚生省や通産省に分散していた公害規制の一元化と、自然破壊の進行を止める環境行政の必要に迫られた。佐藤内閣の山中貞則総務長官(兼任)が看板を掛け、4日後に実質初代の大石武一長官が決まった。

    商品コード: 2015062500350

  • 2015年07月02日
    世界最大の「日章丸」 マンモスタンカー進水

    1962(昭和37)年7月10日、当時世界最大のマンモスタンカー「日章丸3世」(13万9千重量㌧)が長崎・佐世保重工業造船所で進水した。全長291㍍で14万㌔㍑もの原油が積める巨大タンカー。高度経済成長期の石油需要の高まりで中東と日本を結んだ。写真は建造中の日章丸。

    商品コード: 2015070200384

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    2015年07月15日
    到着した集団就職者 大震災、高度成長、憲法

    1964年3月、高度経済成長期を迎え、地方から東京・上野駅に到着した集団就職者たち

    商品コード: 2015071500755

  • 2015年11月19日
    倒産自殺もやむを得ず発言 池田通産相への不信任可決

    1952(昭和27)年11月28日、不況さなかの中小企業対策に「倒産、自殺もやむを得ない」と発言した池田勇人通産相(吉田内閣)への不信任案が衆院で可決。議場を去った同相は翌日辞任。蔵相時には「貧乏人は麦を食え」発言で物議を醸したが、首相になると所得倍増政策で高度経済成長に大きな役割を果たした。

    商品コード: 2015111900300

  • 2017年04月27日
    工場の排煙でかすむ川崎 基本原理守り、息づく

    1970年3月22日、工場の排煙にかすむ川崎市の臨海工業地帯。1960年代、「公害」は高度経済成長の〝ゆがみ〟として社会問題化した。川崎市も大気汚染などの問題が深刻だった

    商品コード: 2017042700512

  • 2017年05月31日
    テレビドラマの魅力再発見

    高度経済成長期のお茶の間を再現した展示コーナー=東京都新宿区の早稲田大学演劇博物館

    商品コード: 2017053100363

  • 04:38.94
    2018年02月13日
    空撮 パナソニック尼崎工場跡と姫路工場 創業100周年

    パナソニックが7日に創業100周年を迎えた。「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助(まつした・こうのすけ)氏が大阪市の借家で始めた町工場は、戦後復興から高度経済成長を経て売上高7兆円、従業員27万人を超す世界企業へと発展。憧れの家電を生み出し、暮らしを変えてきた。人工知能(AI)など急速な技術の進化の中、「次の100年」へ向けた模索も始まっている。〈映像内容〉パナソニックの旧尼崎工場跡や姫路工場の空撮など、撮影日:2018(平成30)年2月13日、撮影場所:大阪府、兵庫県

    商品コード: 2018030700778

  • 03:53.96
    2018年03月06日
    空撮と地上撮 パナソニックミュージアムがオープン 新たな「松下幸之助歴史館」

    パナソニックが7日に、創業100周年を迎えた。松下幸之助氏が立ち上げた町工場は苦境を乗り越え世界企業へと成長したが、最近は競争激化やデジタル化の進展で曲がり角に。自動車向け事業で生き残りを図る。100周年の節目を機に、「松下幸之助歴史館」の新館をつくり、隣接する「ものづくりイズム館」などとともに構成する「パナソニックミュージアム」をオープン、9日から一般公開する。〈映像内容〉「パナソニックミュージアム」の空撮、「松下幸之助歴史館」や、「ものづくりイズム館」の外観、内観。パナソニック石井純常務の挨拶、撮影日:2018(平成30)年3月6日、撮影場所:大阪府門真市

    商品コード: 2018030801149

  • 2019年08月02日
    海事都市今治の1957年建設 跳開橋 跡

    キーワード:ブリッジ、塩田、屋外、橋、建設、建物、交通、交通標識、車両、跡、船、跳ね橋、都会、道路、日本、無人、2019年、海事、建築、今治造船、風景メイン写真、高度経済成長、海事都市、来島ドック、波止浜港、1957年建造、近代遺産、船舶通路=2019(令和元)年8月2日、愛媛県今治市、クレジット:miyata/アマナイメージズ/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020060407926

  • 01:46.47
    2020年01月15日
    YS11、解体作業中 羽田から茨城に引っ越し

    国立科学博物館(科博、東京)は15日、羽田空港で保管している戦後初の国産旅客機「YS11」の量産初号機の解体作業を報道関係者に公開した。初号機は今秋以降、茨城県筑西市のテーマパークで一般向けに展示することが決まっており、引っ越しのため、一時解体することになった。茨城に移った後に組み立てられ、高度経済成長を支えた歴史を伝える機体が再び姿を現す。<映像内容>羽田空港で保管され、解体作業が公開されたYS11の様子、解体を請け負った、日航OBらで設立したエヌエス航空技術総研(東京)の代表社員の酒井忠雄(さかい・ただお)さん(67)の話など、撮影日:2020(令和2)年1月15日、撮影場所:東京都内

    商品コード: 2020011603322

  • 2020年06月12日
    専業主婦のリスク知って

    「24年前に来日したので、中国の高度経済成長とは完璧にすれ違い、日本の〝失われた30年〟を経験した。でも日本に来て、一個人としては幸せでした」と周燕飛さん

    商品コード: 2020061208658

  • 2020年06月12日
    専業主婦のリスク知って

    「24年前に来日したので、中国の高度経済成長とは完璧にすれ違い、日本の〝失われた30年〟を経験した。でも日本に来て、一個人としては幸せでした」と周燕飛さん

    商品コード: 2020061208661

  • 2020年06月12日
    専業主婦のリスク知って

    「24年前に来日したので、中国の高度経済成長とは完璧にすれ違い、日本の〝失われた30年〟を経験した。でも日本に来て、一個人としては幸せでした」と周燕飛さん

    商品コード: 2020061208665

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    2020年10月05日
    45年(1970)/上/繁栄の陰に、波乱内包 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    繁栄の懐に狙いつけ/春闘の大型ベースアップを反映し、県内でも空前の規模となった夏のボーナス。金融機関は預金を呼び掛けた[下野新聞掲載日:2020(令和2)年10月5日]=1970(昭和45)年、栃木県、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020101401438

  • 2020年10月05日
    45年(1970)/上/繁栄の陰に、波乱内包 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    2度目の議長就任に1700人/本県選出の船田中衆院議員の2度目の衆院議長就任を祝うパーティーが宇都宮市内で開かれた。県内各界の代表者ら1700人余りが参加した[下野新聞掲載日:2020(令和2)年10月5日]=1970(昭和45)年、栃木県宇都宮市、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020101401437

  • 2020年10月05日
    45年(1970)/上/繁栄の陰に、波乱内包 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    繁栄ひた走るマイカー時代  東北自動車道の建設も急ピッチで進んだマイカー時代。宇都宮市内で開かれた自動車ショーには最新型の乗用車やスポーツカーなどが並び、家族連れらでにぎわった[下野新聞掲載日:2020(令和2)年10月5日]=1970(昭和45)年、栃木県宇都宮市、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020101401436

  • 2020年10月05日
    45年(1970)/上/繁栄の陰に、波乱内包 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    繁栄支える流れ作業/さまざまな産業が発展した高度経済成長期。富士通小山工場では3500人の従業員が勤務し、「通信と電子」の総合メーカーの一翼を担った[下野新聞掲載日:2020(令和2)年10月5日]=1970(昭和45)年、栃木県、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020101401444

  • 2020年10月05日
    45年(1970)/上/繁栄の陰に、波乱内包 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    繁栄に追い付かぬ人手/宇都宮市郊外の住宅建設と、企業宣伝による郵便物の激増で宇都宮郵便局(当時)はパンク寸前に。局員らは郵便物をバッグいっぱいに詰め配達に出た[下野新聞掲載日:2020(令和2)年10月5日]=1970(昭和45)年、栃木県、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020101401445

  • 2020年10月05日
    45年(1970)/上/繁栄の陰に、波乱内包 「昭和」の記憶 レンズが見た栃木の世相

    繁栄の廃棄物、県都を流れる/県は「川をきれいにする運動」の展開を決めた。県公害防止条例を制定したが生活排水の規制は困難で、宇都宮市の釜川などは汚れが目立つ状況だった[下野新聞掲載日:2020(令和2)年10月5日]=1970(昭和45)年、栃木県、クレジット:下野新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020101401442

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