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「(長崎大学附属図書館 古写真 ) + イマジンネット画廊 建物」の写真

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  •  銀座松坂屋呉服店
    1924年12月31日
    銀座松坂屋呉服店

    キーワード:銀座松坂屋呉服店、元木洋品店、アンドリウスエンドジョージ宝庫部、森永キャンディーストア、銀座六丁目付近、銀座天賞堂、路面電車、車、街並み、外観、百貨店、デパート=大正期(1924年以降)、東京、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019040301897

  •  浅草公園
    1923年09月01日
    浅草公園

    キーワード:東京浅草、浅草公園、ひょうたん池、浅草十二階、十二階、凌雲閣、眺望塔、展望塔、明治中期、傘=1890(明治23)年~1923(大正12)年9月1日、東京・浅草、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018081000795

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    1922年12月31日
    日比谷 警視庁及び帝国劇場遠望

    キーワード:日比谷、警視庁及び帝国劇場遠望、絵葉書、警視庁(日比谷赤煉瓦庁舎)、関東大震災前、街並み、外観=1923(大正12)年以前、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019071900170

  •  郵船ビルディング(初代)
    1920年12月31日
    郵船ビルディング(初代)

    キーワード:東京、丸の内、郵船ビルディング、初代郵船ビルディング、日本郵船、フラー建築、外観=1920(大正9)年11月以降、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018111234465

  •  高架鉄道神田駅
    1919年12月31日
    高架鉄道神田駅

    キーワード:神田駅、高架鉄道、電車、神田駅開設当時、街並み=1919(大正8)年頃、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020020505784

  •  俯瞰したる日本橋及び室町
    1912年12月31日
    俯瞰したる日本橋及び室町

    キーワード:日本橋、街並み、路面電車、船、絵葉書、室町、三越呉服店(左奥の白いビル)、帝國製麻ビル(手前左の煉瓦の建物、辰野金吾の設計)=大正期、東京、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019021409421

  •  材木を運搬する牛
    1912年12月31日
    材木を運搬する牛

    キーワード:材木を運搬する牛、荷牛、牛を引く男性、大八車、建築中の建物=大正期、撮影場所不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018083100761

  •  丸越本店
    1912年12月31日
    丸越本店

    キーワード:神戸市街、丸越本店、食堂の看板、飲食店、「キリンビール」「うどん」「そば」「寿司」の看板=大正期~昭和初期、兵庫、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018071200557

  •  馬場先凱旋通りより二重橋の遠望
    1912年12月31日
    馬場先凱旋通りより二重橋の遠望

    キーワード:馬場先門通り、絵葉書、人力車、自転車、丸ノ内、街並み=大正期、東京、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019012902118

  •  愛宕山下、現在の慈恵会医科大学辺り
    1912年12月31日
    愛宕山下、現在の慈恵会医科大学辺り

    キーワード:東京慈恵会医院、現在の慈恵会医科大学辺り、愛宕山、街並み=大正期~昭和期、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018041300940

  •  荷車を引く牛
    1912年12月31日
    荷車を引く牛

    キーワード:荷車を引く牛、荷牛、街並み=大正期、撮影場所不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018083100162

  •  農家の風景
    1912年12月31日
    農家の風景

    キーワード:農家の風景、牛、荷車、牛荷、「大佛みやげ」の看板=大正期~昭和期、撮影場所不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018083100230

  •  函館市街 恵比須町帝国博品館
    1908年12月31日
    函館市街 恵比須町帝国博品館

    キーワード:北海道、函館市街、恵比須町帝国博品館=1908(明治41)~1921(大正10)年、北海道、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020052201094

  •  青山脳病院(帝国脳病院)
    1907年12月31日
    青山脳病院(帝国脳病院)

    キーワード:青山病院、帝国脳病院、青山脳病院、精神病院、ローマ式建築、医師・齋藤紀一、時計塔、外観=1907(明治40)年9月~1924(大正13)年12月29日頃、東京市赤坂区青山南町五丁目(現在の東京都港区南青山4丁目)、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2017112400910

  •  日本女子大学
    1906年12月31日
    日本女子大学

    キーワード:帝都六大学、日本女子大学、豊明小学校、豊明幼稚園、外観、学校、教育、郵便ポスト、女学生、女子大=1906(明治39)年以降、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018092825126

  •  松島
    1904年12月31日
    松島

    湾内の経ケ島(きょうがしま)付近から松島海岸を眺めた写真で、島の左には桃山建築様式であり、宮城県指定文化財の観瀾亭(かんらんてい)の建物が見える。船は真帆のチャブネである。水面のおだやかさがとても美しい。=1904(明治37)年、松島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐13‐0]

    商品コード: 2017081501565

  •  日光街道の杉並木
    1904年12月31日
    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐7‐0]

    商品コード: 2017081501610

  •  諏訪山から神戸市街を望む
    1904年12月31日
    諏訪山から神戸市街を望む

    目録番号4949・4950と同様に、アメリカのUnderwood & Underwood が制作したステレオスコープ用の写真。諏訪山から南東を望む。麓の円塔のある建物は、明治26年 (1893) に落成した、英和女学校 (移転前の現神戸女学院) の理化学館。台紙には1904年 (明治37) に同社が版権を取得した旨の記載があるため、その間の撮影。=1904(明治37)年、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐15‐0]

    商品コード: 2017081501784

  •  小田原
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    小田原

    中央の街道は箱根へ至る、現在の国道一号線。線路は明治21年(1888)開通の小田原馬車鉄道が明治33年(1900)電化されたもの。明治5年(1872)開通の東京・長崎間の電信線、明治33年(1900)敷設の電線も見える。「ういらう」の看板のある建物は、歌舞伎「外郎売り」でも知られた北条早雲時代から続く薬・菓子の老舗「ういろう」。=撮影年月日不明、小田原、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐17‐0]

    商品コード: 2017081400973

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    ドンの山から見た大浦居留地と長崎港

    対岸の工部省所管「長崎造船局」の右上の丘に明治7年(1874)4月に完成したお雇い外国人宿舎が見えるので、それ以後の撮影。大浦川左岸の川幅が狭まる地点の建物をはじめ、随所に台風の傷跡が見られる。明治7年(1874)10月頃、海外に持ち出された『カーモディアルバム』に、大浦川左岸の川幅が狭まる地点の建物がすでに撤去されて新しい建物が建築中の写真があるので、同年8月の台風直後の写真であると推定される。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐5‐0]

    商品コード: 2017081501545

  •  日光街道の杉並木
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    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。写真に見るかぎり、当時の杉並木周辺は整然として美しい。梢の上には道なりに空が見える。=撮影年月日不明、今市、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐18‐0]

    商品コード: 2017081002646

  •  三重塔
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    三重塔

    石黒コレクションの明治8年頃に収集された古写真のアルバムに同じ写真がある。三重塔の左手奥にはかなり大きな建物の屋根が見える。これも寺院建築であろう。背景に山が写っていないので、広い平野部であると思われるが場所は不明だ。明治初年の古い写真である。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐4‐0]

    商品コード: 2017081400967

  •  小山の宿
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    小山の宿

    小山宿(おやましゅく)は静岡県の東北端に位置し、古くからの交通(矢倉沢往還:やぐらざわおうかん)の要所であった足柄峠(あしがらとうげ)の北麓の宿駅。正面に「いつや」と書かれた旅館らしき建物、右側に茶店が見える。左側には冠木門のある屋敷がある。旅館の多かった竹之下地区か。撮影地の書込み方から撮影者はF・ベアトと考えられる。=撮影年月日不明、静岡、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐19‐0]

    商品コード: 2017081401122

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    新富座

    火災の後、明治11年に再建された新富座。彩色された色も褪せ、映像はごく不鮮明。かろうじて建物の普請、看板、たたずむ人影、人力車などが判別できる。詳細は同一のものと思われる整理番号25-42によって知られる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐21‐0]

    商品コード: 2017080201363

  •  横浜本町通り
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    横浜本町通り

    本町通りの1丁目から2丁目を見る。本町通りは開港以来の関内のメイン・ストリートで、このあたりには有力貿易商の店が軒を連ねていた。右手前の蔵造の建物は、2丁目角に建つ平沼商店(石炭屋)で、その奥の洋風建築が田中新七商店。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐9‐0]

    商品コード: 2017081002730

  •  横浜居留地
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    横浜居留地

    谷戸坂を下りた右手に見える赤レンガの建物が明治29年(1896)竣工のフランス領事館で、設計はフランス人建築家サルダ(P.Sarda)。堀川を渡った向こうが山下居留地。写真中央の煙突をもつ建物はグランド・ホテル旧館で、その左の和風屋根は旧ヘボン邸。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐13‐0]

    商品コード: 2017081002757

  •  積雪の住宅街
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    積雪の住宅街

    原題は Snow View of Yokohama. 右手に木造平屋建の日本家屋、中央左手に釣瓶井戸が写っている。左端の建物は洋風に見える。撮影地点も年代もよくわからない。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐45‐0]

    商品コード: 2017081002743

  •  山手公園
    -
    山手公園

    元町百段上からの風景。手前は元町の家並み、堀川の向こうが山下居留地。目立つ建物としては、右端に増徳院の薬師堂、その左遠方に見える2階建ての大きな洋館がグランド・ホテル新館。撮影時期は明治30年(1897)頃か。=1885(明治18)年頃、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐89‐0]

    商品コード: 2017081401670

  •  円山也阿弥ホテル
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    円山也阿弥ホテル

    京都市東山区の西部、東山山麓は、もと安養寺六坊、祇園感神院等の寺社領であった。明治6年(1873)、吉水園という人口温泉が開かれ、金閣寺に似た建物が建てられた。明治12年(1879)、長崎人井万吉が安養寺塔頭その他の施設を買収し、洋風に改造して、京都初の洋風ホテルを開業した。上方右手の建物の破風に「YAAMI」の看板がある。=撮影年月日不明、京都、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐13‐0]

    商品コード: 2017080200796

  •  グランドホテル
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    グランドホテル

    バンド東端と山手方面を望む。グランドホテルは明治6年(1873)8月新装開業の旧館と18・19番の新館からなる。この建物は、フランス人居留地建築家サルダの設計になり、明治20年(1887)に落成した。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号43‐20‐0]

    商品コード: 2017080902832

  •  横浜グランドホテル全景
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    横浜グランドホテル全景

    キーワード:横浜、海岸通り、グランドホテル全景、旧館、新館、18番、19番、20番、ヘボン邸=1873(明治6)年~1923(大正12)年、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018032301446

  •  宮ノ下温泉
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    宮ノ下温泉

    明治11年(1878)に創業した当初の富士屋ホテルのL字型の洋館である。山口仙之助氏が養父粂蔵氏の援助で老舗の藤屋旅館を買収し、「富士屋」と改称し実質的に日本初の洋式ホテルとして開業した。横浜から職人を連れてきて建設したもので、明治16年(1883)12月の宮ノ下大火で この建物は焼失した。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐51‐0]

    商品コード: 2017082300977

  •  高輪東宮御所
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    高輪東宮御所

    キーワード:高輪東宮御所、旧高輪御殿、東宮御所、高輪皇族邸、旧因州池田屋敷表門黒門、芝高輪御殿=明治後期~大正期、東京、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019012925938

  •  堂が島温泉
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    堂が島温泉

    左上から、宮の下の家並み、右上は奈良屋ホテル、左下は大和屋、その右が夢想国師の庵、中央の滝が調べの滝、滝の右上が五段旅館、旅館の右の滝は、宮の下の道路拡張で消滅した。右下の建物は現在の対星館に当たる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐8‐0]

    商品コード: 2017080201149

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    宮ノ下温泉

    左手奥の建物は創業当時の富士屋ホテルの洋館で、明治11年(1878)に造られ、明治16年(1883)12月に大火で消失するまで存在したので、その間の撮影と分かる。右手の建物は、明治7年(1874)の宮ノ下の火災で焼失後に再建された奈良屋旅館。目録番号3313と同時期の写真であろう。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:臼井秀三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号94‐43‐0]

    商品コード: 2017081501755

  •  堂が島
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    堂が島

    堂ヶ島温泉の眺望で、建物は手前から近江屋、道を挟んで大和屋、その先が丸屋、次が江戸屋。 階段の上のお堂は山居山。その向こうが奈良屋。左の滝は調べの滝、右の川は早川である。川には木橋が架かり、向山へ渡れるようになっている。平松別荘がまだないので、明治20年(1887)以前の撮影である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐22‐0]

    商品コード: 2017081401348

  •  稲佐のロシア人居留地桟橋
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    稲佐のロシア人居留地桟橋

    現在の旭町・旭大橋の進入路の下付近は、浦上村渕庄屋・志賀家の屋敷があり、「志賀の波止」と呼ばれた。左の地先の建物は諸岡マツ経営の料亭ボルガ。その手前の2階建ては、福田家の別邸で、「稲佐お栄」こと道永エイが働くことになるロシアの将校クラブ。さらに手前の大きな屋根は散使の福田家、右は庄屋の志賀家。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐19‐0]

    商品コード: 2017081601032

  •  松の森神社側から本河内を望む
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    松の森神社側から本河内を望む

    左手の松の茂みが松の森神社で、右手の町並みは新大工町である。真ん中の片淵は田んぼだらけでまだ建物がない。ここには、明治15年(1882)年から41年(1908)の間、長崎監獄が建ち、その左手には、明治38年(1905)3月に、長崎高等商業学校(現長崎大学経済学部)が建設される。新大工町右手の伊勢町中島には、上野彦馬邸の蔵と明治5年(1872)頃に建てられた新しい二階建ての白い写場が遠望される。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐6‐0]

    商品コード: 2017081600932

  •  小島からの長崎医学校と唐人屋敷
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    小島からの長崎医学校と唐人屋敷

    現在の鶴鳴学園長崎女子高校下の高台あたりから、長崎医学校越しに長崎港を展望している。中央の白い建物群が長崎医学校。文久元年(1861)に小島養生所として創設され、医学校を併設して、慶応元年(1865)に精得館と改称。明治元年(1868)には長崎府医学校と改称。その後明治5年(1872)に第六大学区医学校と名前を変更し、明治7年(1874)には長崎医学校となり、明治24年(1891)浦上に移転した。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐40‐0]

    商品コード: 2017081601053

  •  出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地方面を望む
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    出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地方面を望む

    安政5年(1858)の開国条約締結直後の1862年、長崎を訪問したミルトン・ミラーが撮影した、長崎の最も古い風景写真のなかの1枚。当時出島の南側中央のオランダ商館長邸を訪問したと思われるミラーが、屋敷横の日本庭園から、第二次埋め立てが完了し建物が建ち始めた大浦居留地を遠望している。左の大きな白黒の柱はオランダ国旗の旗竿であり、右には妙行寺(当時イギリスの仮領事館)の屋根が見える。妙行寺横にはまだグラバー邸は見えない。ライデン大学に寄託されているボードウィン・コレクションにも同じ写真が存在する。=1861~62年頃か、長崎、撮影者:ミルトン・ミラー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号113‐8‐0]

    商品コード: 2017081502341

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    堂が島温泉

    堂が島温泉の全景である。左端の建物は大和屋。中央の滝は調べの滝。その左上が五段旅館。滝の右の建物は、東京日本橋の銀行家平松甚四郎氏の別荘で、明治末年の早川の洪水で流失した。現在は対星館となっている。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐9‐0]

    商品コード: 2017080200931

  •  横浜根岸台
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    横浜根岸台

    英語で「根岸、横浜」と記入されている。横浜の背後から根岸に抜ける掘割川の風景である。開削されて日が浅いために、あちこちで土がむきだしになっている。画面中央の大きな建物は工場であろうか。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐2‐0]

    商品コード: 2017080201131

  •  横浜税関
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    横浜税関

    横浜大桟橋の根本部に、明治27年(1894)に建設された。この建物は妻木頼黄により設計されたものである。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐17‐0]

    商品コード: 2017080201708

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    底倉温泉

    底倉温泉は、明治14年に大火で全焼しているので、それ以前の写真である。『箱根七湯の栞』(弘化7年)との比較で、階段の右上が万屋、その右が梅屋、さらに蔦屋で、道を挟んで手前の建物が総湯(共同湯)と分かる。=明治14年以前、箱根、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐38‐0]

    商品コード: 2017080200824

  •  甲府の市街地
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    甲府の市街地

    山梨県甲府市所在の甲府城から南側に広がる市街地を撮影した写真。手前に写る洋風の建物群は明治9年(1876)に山梨県令藤村紫朗が甲府城内に設置した勧業試験場のうち、鍛冶曲輪に建設されたブドウ酒醸造に係る建物群であることから、撮影時期は明治初期と考えられる。写真奥には甲府盆地南端の曽根丘陵および御坂山塊が見え、写真左奥には富士山を望む。=撮影年月日不明、甲府、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐46‐0]

    商品コード: 2017081401501

  •  横浜本町通り
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    横浜本町通り

    本町通りの1丁目から2丁目を見る。本町通りは開港以来の関内のメイン・ストリートで、このあたりには有力貿易商の店が軒を連ねていた。右手前の蔵造の建物は、2丁目角に建つ平沼商店(石炭屋)で、その奥の洋風建築が田中新七商店。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐80‐0]

    商品コード: 2017080903300

  •  宮ノ下の急流
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    宮ノ下の急流

    宮ノ下と木賀温泉の間の木賀の桟道辺りから見た早川の流れ。木の橋は、現在の早川遊歩道の東京電力川久保発電所近くの橋に相当するものと思われる。左の木陰に建物の屋根が見えるが、何に相当するか、よく分からない。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐37‐0]

    商品コード: 2017081501616

  •  日光街道の杉並木
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    日光街道の杉並木

    写っているのは日光街道の杉並木ではない。場所は日光山内の東照宮から二荒山神社に通じる上新道(かみしんみち)。画面は二荒山神社側から東照宮方面を写している。杉木立の間に見える建物は本地堂(ほんじどう)と経蔵(きょうぞう)。=撮影年月日不明、今市、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐16‐2]

    商品コード: 2017081002689

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    香港海岸の建物群

    1860年代の香港の海岸通り。右手前の大きな凹形の建物はアヘン貿易で莫大な利益をあげたデント商会。左奥には香港に現存する最古の教会堂である聖ヨハネ主教座堂の先端が見えている。この通りには香港上海銀行の最初のオフィスやジャーディン・マセソン商会もあり、香港における商業・金融の中心であった。金星太陽面通過観測フランス隊の一行は、1874年8月16日にマルセイユを出港し、日本に向かう途中の9月20日頃、香港に寄港した。=撮影年月日不明、香港、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐46‐0]

    商品コード: 2017081501883

  •  山梨県庁
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    山梨県庁

    キーワード:山梨県庁舎、藤村式建築、甲府市錦町、外観=1877(明治10)年~1930(昭和5)年頃、山梨、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018020901359

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601607

  •  茂木
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    茂木

    整理番号8-17と同じアングルの写真であるが、潮は満潮である。時代が少し後のものであり、岬の先端に新しい建物が建てられている。明治25(1892)頃築かれる桟橋はまだ見えない。通りは旧街道になる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐25‐0]

    商品コード: 2017080400450

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601606

  •  築地居留地
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    築地居留地

    キーワード:築地居留地、外国人居留地、街並み=明治後期、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2019081413172

  •  富士屋ホテル
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    富士屋ホテル

    キーワード:東海道、神奈川、箱根、宮ノ下、富士屋ホテル、近代建築=撮影年月日不明、箱根、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018111234473

  •  善光寺本堂
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    善光寺本堂

    善光寺の堂塔伽藍は8回も焼失し、現存する本堂は宝永4年(1707)の再建である。間口23.7m、奥行52.8mで、日本における木造建築としては、東大寺の大仏殿、京都の三十三間堂に次ぐ建坪をもっている。建物の高さは28m。明治10年代山門の上から撮られた本堂が現在と違う点は、回廊の勾欄(こうらん・欄干)に朱が塗ってあったことである。=撮影年月日不明、長野、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐13‐0]

    商品コード: 2017080201330

  •  湯本温泉
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    湯本温泉

    湯本温泉街の中央白亜の建物福住旅館に明治10年(1877)建設の金泉楼、明治11年(1878)竣工の萬翠楼が見え、その右の早川に明治18年(1885)9月新設の木製トラス製以前の古い旭橋が見えるので、明治11年から18年の間の撮影である。手前の川は須雲川、左手の山は湯坂山。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐21‐0]

    商品コード: 2017081401306

  •  横須賀造船所
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    横須賀造船所

    慶応元年(1865)に幕府が建設した横浜製鉄所は、明治維新によって明治政府に接収され、第一ドックが完成した明治4年(1871)に横須賀造船所と改称された。造船所の建物群。=撮影年月日不明、横須賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐28‐0]

    商品コード: 2017080902443

  •  長崎・本籠町の商店
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    長崎・本籠町の商店

    キーワード:本籠町、商店、雑貨屋の看板、店先、ポストカード、貝ボタン、ネックレス、「Fuji&Co.」=明治後期、長崎、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018011900868

  •  明治座
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    明治座

    キーワード:明治座、日本橋浜町、歌舞伎、街並み、係留された木造船=東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018020901205

  •  下諏訪
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    下諏訪

    中山道と甲州街道の合流地点を甲州街道側から中山道江戸方面を撮影したもの。道の両側に立ち並ぶ建物のいくつかは、紋章を付した看板を掲げている。左に映る桔梗屋、まるやは現在も下諏訪温泉で旅館を営んでいる。写真下に見える梯子の影は、整理番号38-39の中央に見える梯子の影。=撮影年月日不明、長野、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐15‐0]

    商品コード: 2017080902130

  •  小島付近墓地からの市街地
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    小島付近墓地からの市街地

    長崎の正覚寺の右上、小島郷のどんの山の墓地付近から長崎の市内中央を望む。右の丘の寺は清水寺、写真中央左の建物は、ポンペの建設した養生所で長崎医学校の前身。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐27‐0]

    商品コード: 2017080902095

  •  神戸オリエンタルホテル
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    神戸オリエンタルホテル

    キーワード:神戸オリエンタルホテル、神戸居留地、西洋式ホテル、人力車、外観、居留地=1882(明治15)年頃か?、兵庫、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018071200631

  •  浅草公園凌雲閣
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    浅草公園凌雲閣

    浅草公園凌雲閣=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号116‐40‐0]

    商品コード: 2017081502395

  •  堂が島温泉
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    堂が島温泉

    堂ヶ島温泉の眺望で、建物は手前から近江屋、道を挟んで大和屋、その先が丸屋、次が江戸屋。 階段の上のお堂は山居山。その向こうが奈良屋。左の滝は調べの滝。平松別荘がまだないので、明治20年(1887)以前の撮影である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐41‐0]

    商品コード: 2017082300974

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    画面には‘9. DAIBUTSU, KAMAKURA'とある。像前方2基の平石は旧大仏殿の礎石だろうか。また、像右側に植わるソテツの奥に、茅葺(かやぶき)と思える簡素な建物が写っている。撮影年代等は未詳。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐9‐0]

    商品コード: 2017081400731

  •  木賀温泉
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    木賀温泉

    木賀温泉の亀屋周辺の様子。亀屋の三層の建物神代楼が中央に見える。また、明治22年(1889)開通の宮ノ下・宮城野間の新道に向いた亀屋の玄関が望まれるので、明治22年から、木賀温泉街が大火で焼失する明治25年(1892)までの撮影である。右に早川が流れ、箱根外輪山明神ヶ岳 も遠望できる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐20‐0]

    商品コード: 2017081401341

  •  横浜海岸通り 郵船会社前
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    横浜海岸通り 郵船会社前

    キーワード:横浜海岸通り、郵船会社、牛車、街並み=明治後期、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020062508669

  •  円山
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    円山

    京都市東山区の西部、東山山麓を背景として、前面山裾に新しい建物が多く建っている。明治19年(1886)の公園設置の太政官符により公園とし、円山安養寺にちなんで丸山公園と名付けられた。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐6‐0]

    商品コード: 2017080201286

  •  横浜グランドホテル新館
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    横浜グランドホテル新館

    キーワード:神奈川、横浜、海岸通り、横浜居留地、18~20番、人力車、近代建築、フランス人居留地建築家サルダの設計、外観=1887(明治20)年~1923(大正12)年9月1日、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018111331007

  •  フランス領事館
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    フランス領事館

    キーワード:神奈川、横浜、谷戸橋、フランス領事館、フランス人建築家サルダ設計、近代建築、外観=1896(明治29)年~1923(大正12)年9月1日、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018111234495

  •  中禅寺湖
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    中禅寺湖

    中禅寺湖の南東の湖畔にある歌ヶ浜から、北岸の男体山や、その麓の二荒山中宮祠と六軒茶屋の家並みを写したもの。夕景色の美しい歌ケ浜は埋め立てられ、現在は大駐車場となっている。画面奥の対岸に広がる建物の様子から、明治35(1902)年以前に撮影されたものである。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐23‐0]

    商品コード: 2017081401033

  •  堂が島温泉
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    堂が島温泉

    堂ヶ嶋温泉の眺望で、建物は左手前に一部見えるのが近江屋、次が大和屋、その向こうが江戸屋。早川沿いの新しい屋根の建物も大和屋、石段の上のお堂は山居山、その左奥に見えるのは、奈良屋の跡に建てられた平松別荘。平松別荘の建設は明治20年(1887)頃なので、それ以降の撮影と思われる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐44‐0]

    商品コード: 2017081401054

  •  長崎港と浪の平南山手
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    長崎港と浪の平南山手

    南山手の琴平神社から居留地の南端と浪の平を展望する。右手前の大きな建物は、明治20年(1887) 尋常小曽根小学校の校舎を鍋冠山麓に新築し、改称した尋常鎮鼎小学校(後の浪平小学校)。玄関には先生らしき人が立ち、校庭には男女の生徒が見える。右手、丘の上の「ヨンゴ松」の直下はグラバー邸。明治20年代中頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐24‐0]

    商品コード: 2017082400574

  •  長崎市街中心部と長崎港
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    長崎市街中心部と長崎港

    風頭山の南端から撮影。第1次長崎港改修事業完了後の明治26年(1893)頃。中島川は出島の背後に変流し、河口には、明治23年(1890)架設の新川口橋が架かっている。銅座川が新地の北側を流れるようになり、新地の海岸部には大規模な中国商社の建物が並んでいる。明治中期の急激に近代化する長崎市街地中心部を撮影した写真である。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐9‐0]

    商品コード: 2017082400615

  •  立山からの長崎港と町並み
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    立山からの長崎港と町並み

    筑後町の聖福寺の裏山から長崎市街地北部と長崎港口を撮影した写真である。写真左端の変流後の中島川の河口に明治23年(1890)に架設された錬鉄製のトラス橋、新川口橋が見える。また、明治29年(1896)に建設される中町教会がまだない。このことより、撮影時期は明治23年(1890)から明治29年(1896)の間である。出島から大波止・浦五島町・大黒町に至る、長崎市街地北部の沿岸部が撮影されている。低い角度から撮影されているために、市街地の建物の詳細を見ることができる。写真左に出島があり、中島川を湾奥に流すための導流堤が見える。その手前が大波止である。浦五島町の沿岸部には、海岸部に向いて長い倉庫群が見える。写真の右中の沿岸部のまとまった建物は、税関である。写真右下の赤い塀と長い建物は、大村藩邸の場所である。明治29年(1896)に中町教会が建設される場所である。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐21‐0]

    商品コード: 2017082400582

  •  グランドホテル
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    グランドホテル

    グランド・ホテル新館(18・19番)の全景。フランス人居留地建築家サルダ(P. Sarda)の設計により、明治20年(1887)に落成。写真にみえるバンド側は建物の背面で、ホテルの正面玄関は反対の水町(みずまち)通りに開いていた。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐30‐0]

    商品コード: 2017081002704

  •  グランドホテル全景
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    グランドホテル全景

    英語で「グランドホテルの風景、横浜」とある。横浜バンドの東端、20番のグランドホテルの全景を元町側から撮影したものである。右端の大きな建物木骨石貼のグランドホテル旧館で、明治3年開業された。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐2‐0]

    商品コード: 2017080200767

  •  長崎製鉄所飽の浦工場
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    長崎製鉄所飽の浦工場

    文久元年(1861)に落成した長崎製鉄所を譲り受け、明治17年(1884)に三菱会社長崎造船所飽の浦機械工場になった。工場の建物、50トン起重機等の工場施設を見ることができる。対岸は西坂、大黒町付近。=1879(明治12)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐3‐0]

    商品コード: 2017080201718

  •  師範学校正門
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    師範学校正門

    明治7年(1874)に創立されたばかりの長崎官立師範学校の正門である。門を入った左手の旧長崎奉行所の建物と新築の右手の建物が校舎(旧県知事公舎の場所)として利用された。明治5年(1872)東京に官立(国立)の師範学校が設立され、その後日本各地に設置されたが、東京師範学校と東京女子師範学校を除き、すべて府県に移管された。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐5‐0]

    商品コード: 2017081601039

  •  海上からの出島パノラマ組写真
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    海上からの出島パノラマ組写真

    梅香崎の長崎税関岸壁の先端あたりから撮影された出島のパノラマ組写真の中央。右端の旧対馬屋敷の場所では中国商社の建物が建設中である。その左は明治2年(1869)に架けられた出島新橋。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐50‐0]

    商品コード: 2017081600990

  •  日光街道の杉並木
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    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐16‐0]

    商品コード: 2017081401029

  •  日光街道の杉並木
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    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=撮影年月日不明、今市、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐43‐0]

    商品コード: 2017081002697

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    浅草十二階凌雲閣

    同時代に造られた鹿鳴館が貴族の代表的建築とするなら、凌雲閣は庶民を代表する建物だった。高層建築のない東京にあって、縦位置で写真の撮れる数少ない建物であった。大池に写った姿を取り込み、風景では珍しい縦位置の写真となっている。凌雲閣は大正12年(1923)9月1日の関東大震災で中層から上が崩れ落ち解体された。明治23年(1890)10月竣工から間もない頃の写真。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐38‐2]

    商品コード: 2017081002785

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐2‐0]

    商品コード: 2017082800543

  •  諏訪神社の鳥居
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    諏訪神社の鳥居

    明治中期(1887)頃の手彩色の写真。参道の大鳥居を過ぎた、二の鳥居の前から、諏訪神社方面を見た写真。右側にドンコ茶屋の建物が見える。神社の中腹に、洋風建築が建てられているのは、明治中期の洋風化の情勢が伝わる写真。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐34‐0]

    商品コード: 2017081401347

  •  神戸市街の遠景
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    神戸市街の遠景

    諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐4‐0]

    商品コード: 2017080902582

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601605

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    画面には「西一九 112」の印字がある。台座の前面には銅造蓮弁(れんべん)は置かれていない。像左横の建物は目録番号3997と同じだろう。像前方2基の銅造灯籠(とうろう)の笠に渦巻き状の張り出しがあるなど明治初期の撮影と思えるが、3997とは短い時間差が感じられる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:臼井秀三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号94‐10‐0]

    商品コード: 2017081501768

  •  堂が島温泉
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    堂が島温泉

    宮の下の東側の渓谷に展開する堂が島温泉の様子である。画面左上は宮の下の家並み、左下の建物は大和屋、中央左手の三角の屋根は夢想国師の庵、その右の滝は調べの滝、滝の右上は五段旅館、滝の右下は対星館である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐7‐0]

    商品コード: 2017080200896

  •  東京の町並み
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    東京の町並み

    川向うに 「江口商店」 の看板が見える。 手前の洋風の建物には目印が見えない。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐11‐0]

    商品コード: 2017080201038

  •  宮ノ下と堂ヶ島
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    宮ノ下と堂ヶ島

    江戸時代、堂ヶ島には、奈良屋・江戸屋・丸屋・大和屋・近江屋があった。左手の二層の建物は大和屋、右の赤いお堂は薬師堂。中央は調べの滝、その上が五段旅館。山の上の白亜の洋館は奈良屋ホテル、その左が富士屋ホテルで、明治16年(1883)の大火後、明治24年(1891)本館竣工後の撮影と分かる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐97‐0]

    商品コード: 2017080903238

  •  南山手の洋館群
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    南山手の洋館群

    マリア学園付近から見た南山手の洋館群。右手の白い建物はロシア領事館、右上には「よんご松」とグラバー邸が見える。中央左の高台の屋敷はシャーマン・ピナニール邸で、眼下に小曽根町が広がっている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐25‐0]

    商品コード: 2017082800600

  •  人力車
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    人力車

    キーワード:横浜、人力車、車夫、女性、子ども、おんぶ、絵葉書、後ろの建物の看板は「産婆」か?=撮影年月日不明、横浜、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2020070201132

  •  南山手からの大浦居留地
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    南山手からの大浦居留地

    グラバー園の展望所下付近からの撮影。右手の大きな洋館は居留地最初の大規模ホテルであったベルヴューホテルで、その手前に柵の見えるところが大浦天主堂への坂道である。大浦海岸通りは元治元年(1864)の5間築足しを終え、突き当たりの梅香崎運上所前の突堤付け根には初代の荷物改所の建物がある。慶応3 年(1867)頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐17‐0]

    商品コード: 2017081501606

  •  円山
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    円山

    京都市街を円山也阿弥ホテル本館2階から西に望む。右端と左端には也阿弥ホテルの別館が姿をのぞかせる。建物の外縁部に回廊をめぐらせ、ホテルが眺望に適した構造となっている様子がうかがえる。中央には電灯に向け8本の電線が架けられている。背後にはうっすらと西山連峰が見える。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐82‐0]

    商品コード: 2017080902893

  •  江ノ島神社の鳥居
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    江ノ島神社の鳥居

    撮影者未詳。江島神社の青銅鳥居?(現存)後方には看板があって、「ゑびすや茂八」と書かれている。「ゑびすや」は江戸時代から今に続く老舗(しにせ)の旅館で、鳥居左側の建物群は明治27年(1894)刊『日本博覧図』所収「一等旅館恵比寿楼」銅版図から、同旅館の「本店」「土蔵」「上段ノ間」等と推定できる。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐2‐0]

    商品コード: 2017081501773

  •  中島川一の瀬橋
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    中島川一の瀬橋

    中島川上流の蛍茶屋に架かる石橋、一の瀬橋をベアトが撮影したものである。左手の建物は茶屋。旅人はこの茶屋で休憩したのち後、日見峠に向けて左折して長崎街道へと向かった。この橋の写真としては最古のものである。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐24‐0]

    商品コード: 2017080902062

  •  長崎市街の中心と梅香崎居留地
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    長崎市街の中心と梅香崎居留地

    ベアトによる1866年3月の書き込み。風頭山から長崎市の中心地および出島、新地、梅香崎を遠望したもの。中島川口にはまだ橋がなく、西役所の建物が右手上にみえる。新地の裏はまだ海続きである。海上に外国船舶多数。=1866年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐2‐0]

    商品コード: 2017080201625

  •  長崎大浦外国人居留地
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    長崎大浦外国人居留地

    ベアト撮影。「ヨーロッパ人の居留地の一部と長崎の市街、65年6月」と記されている。慶応年間の長崎大浦の海岸通り、と東山手の洋館群が詳細にうかがえる。右の丘の上にはまだ建物がみられない。=1865年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号17‐32‐0]

    商品コード: 2017080201628

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