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  •  「新華社」敦煌で見つけた「日本の形跡」
    01:01.92
    2021年04月18日
    「新華社」敦煌で見つけた「日本の形跡」

    中国甘粛省敦煌市で現在、「シルクロードの美地・敦煌展」が開催されており、敦煌壁画の精巧なデジタル作品の前では来場者が足を止めている。敦煌は多くの日本人が思いを寄せる場所であり、このシルクロードの古都では多くの「日本の形跡」を見つけることができる。甘粛画院の段兼善(だん・けんぜん)元副院長は「中国と日本は文化的つながりが非常に深く、シルクロードを通じて東に伝わった仏教が、両国の似通った文化の下地をもたらした」と説明。シルクロードの要衝である敦煌では仏教芸術が栄え、文化的価値の高い莫高窟が誕生し、日本は遣隋使や遣唐使を派遣して中国文化を学んできたと述べた。在中国日本大使館の志水史雄公使は「古来より、日本は中国文化を吸収して、日本独自の文化を発展させてきた。中国文化、仏教文化が日本に与えた影響は非常に大きく、日本人の心の中で敦煌が大きな地位を占めていると言っても過言ではない」と語った。約120年前に敦煌の莫高窟蔵経洞が発見され、多くの文化財が海外に流出したことで、日本などの研究者の注目を集めるようになり、国際的な学問「敦煌学」が誕生。日本は世界の敦煌学研究において、重要な力を持つことになった。新中国成立後、敦煌と日本の文化交流はさらに深まり、1958年には当時の敦煌文物研究所所長、常書鴻(じょう・しょこう)氏が敦煌壁画を模写した作品を日本で展示し、大きな話題となった。この展覧会には、画家の平山郁夫氏や小説家の井上靖氏らも訪れた。平山氏はその後敦煌に関心を持ち、敦煌文化財保護事業や人材育成などに心血を注ぎ、井上氏は日本で話題となった小説「敦煌」を著した。=配信日:2021(令和3)年4月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021042003282

  •  「新華社」瀾滄江水源地区で13世紀の仏教壁画見つかる青海省玉樹自治州
    01:11.32
    2019年12月03日
    「新華社」瀾滄江水源地区で13世紀の仏教壁画見つかる青海省玉樹自治州

    瀾滄江の水源地区に位置する中国青海省玉樹チベット族自治州嚢謙(のうけん)県で古代チベット仏教壁画が発見された。同県文化観光局が明らかにした。壁画は8世紀後半から12世紀後半にかけて北東インドを支配したパーラ朝の美術様式を色濃く残しており、13世紀前後のものと推定される。歴史学や人類学の研究できわめて高い価値を持つという。壁画は6月に同県香達鎮多昌村で行われた工事で見つかった寺院遺跡で発見された。山を切り開いた場所から五つの石壁の遺構が見つかり、内壁部分の3カ所で壁画が確認された。遺跡を調査した故宮博物院チベット仏教文物研究所の羅文華(ら・ぶんか)所長は、壁画が13世紀頃のものであると暫定的に判断した。壁画の下方にはチベット文字の題辞があり、年代的に同省でこれまで見つかったチベット仏教壁画の中でも最古のものである可能性があるという。パーラ朝美術が中国に与えた影響やチベット仏教後伝期の初期(11世紀前後)に同地域が果たした歴史的役割を研究する上で貴重な資料となる。文化観光局の職員は、史料の記載が少ない中で今回壁画が見つかったことは、研究者が青海チベット高原の先住民の活動を理解する上で重要な役割を果たすと話している。(記者/田文傑)<映像内容>13世紀の仏教壁画を発見、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019120407130

  •  「新華社」吐蕃時代のものと見られる摩崖石刻を発見四川省白玉県
    01:10.65
    2019年08月30日
    「新華社」吐蕃時代のものと見られる摩崖石刻を発見四川省白玉県

    中国四川省カンゼ・チベット族自治州白玉県でこのほど、専門家による地元のある歴史遺跡の現地調査が行われた結果、この遺跡が7世紀初めから9世紀中頃にかけて栄えた吐蕃(とばん)王国時代の摩崖(まがい)石刻であることが暫定的に確認された。これは現地で初めて発見された吐蕃王国時代の遺跡であり、唐蕃古道(とうばんこどう)の路網化に関する学界の見方を裏付ける証拠になるかもしれない。この遺跡は同県の登竜郷邦邦村に位置する。故宮博物院の蔵伝(チベット伝来)仏教文物研究所所長の羅文華(ら・ぶんか)氏によると、「邦邦石刻造像」は、チベット自治区昌都(チャムド)市、青海省玉樹チベット族自治州、四川省カンゼ・チベット族自治州石渠県で見つかった「吐蕃石刻造像」と非常に似ており、1仏4菩薩の5尊の造像で構成されているという。羅氏は、中国の歴史で有名な唐蕃古道は、唐王朝と吐蕃王国、現在のネパール、インドなどを結ぶ重要な街道だが、かつて考えられていたような1本の幹線道路ではないと指摘。学界は現在、同古道が実際には幹線道路と支線道路で構成される唐王朝と吐蕃王国をつなぐ路網だったとの見方に傾いていると説明した。羅氏はまた「われわれは今回の発見に基づいて、古代に唐蕃古道の1支線道路が白玉県を通っていたと推測している」と述べた。羅氏はさらに「唐蕃古道が白玉県を通っていたか否かについては、さらなる考証が待たれる。しかし、今回の発見は、われわれが吐蕃王国時代の摩崖石刻の分布について改めて考える上で、重要な考古学的意義を持つ」と語った。(記者/康錦謙)<映像内容>摩崖石刻の発見、調査の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019083001374

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