検索結果 26 件中 1 件 〜 26 件 "ニコライ堂"
  1. 2017051900370

    防衛庁舞台にスパイ事件    1月17日夜に、宮永幸久元陸将補と大島経利・准尉が機密文書の受け渡しをした東京・神田駿河台の紅梅坂付近、右側がニコライ堂。翌日の1月18日、2人は防衛庁の機密文書をソ連に流した自衛隊法違反などで逮捕された(逮捕されたのは香椎英一・2尉を含め3人)=1980(昭和55)年1月21日(55年内地524)(宮永スパイ事件) 資料 99273

  2. 2017050800830

    ニコライ堂の除夜の鐘 スケッチ15326  ニコライ堂の除夜の鐘=1954(昭和29)年1月1日、東京都千代田区神田駿河台

  3. 2014062500635

    ニコライ堂の鐘    ニコライ堂の鐘=整理1946(昭和21)年9月1日(21年内地2172)、東京・神田 資料 20491

  4. 2014062500634

    ニコライ堂の鐘    ニコライ堂の鐘=整理1946(昭和21)年9月1日、東京・神田(21年内地2171) 資料 20491

  5. 2014022401073

    ニコライ堂(資料)    東京・神田駿河台のニコライ堂(東京復活大聖堂)=1951(昭和26)年1月23日(26年内地番号なし)  資料 24989

  6. 2014022401072

    ニコライ堂(資料)    東京・神田駿河台のニコライ堂(東京復活大聖堂)=1951(昭和26)年1月23日(26年内地番号なし)  資料 24989

  7. 2012092700287

    90年前撮影の航空写真 「お茶の水」の今昔  お茶の水橋付近。上は1922年撮影。中央左右に神田川が横切る、右下にはニコライ堂、中央左の橋はお茶の水橋、中央には複葉機。現在は高層ビルが林立し当時の面影が残るのはニコライ堂と湯島聖堂(右上)ぐらい=下は15日、共同通信社ヘリから 「写真特集」

  8. 2012032600171

    関東大震災と東京の復興 平成のニコライ堂  神田駿河台のニコライ堂。周囲には高いビルが迫っている=2011(平成23)年12月22日

  9. 2012032600168

    関東大震災と東京の復興 ニコライ堂と聖橋  1930(昭和5)年3月2日、帝都復興祭を前にしたニコライ堂(左奥)と聖橋(手前)。ニコライ堂は前年12月、岡田信一郎の設計で修復が成り、美しい姿が復活した。復興橋梁として新設の聖橋は、山田守の設計による鉄筋コンクリートのアーチ橋で、昭和2年に完成した。(日本電報通信社撮影) DJ1202

  10. 2012031900215

    関東大震災と東京の復興 屋根落ちたニコライ堂  1923(大正12)年9月、地震と火災で鐘楼とドーム屋根が崩壊した神田駿河台のニコライ堂(中央)。周辺は一面、焼け野原と化した

  11. 2011041300287

    日本電報通信社資料    関東大震災で崩壊し再建された神田ニコライ堂の鐘楼に取り付けられた鐘。大小6個の取り付けが終わり明6日から再び山手一円で清らかな響きを聞くことができることになった=1929(昭和4)年4月5日(日本電報通信社撮影) SK4-133

  12. 2009060300059

    ニコライ堂  1962(昭和37)年ころの神田・駿河台のニコライ堂 資料 58443

  13. 2009042800072

    関東大震災  陸軍工兵隊による焼けた市電の撤去作業=1923(大正12)年9月(撮影日不明)(復興、焼け跡、交通、兵士)※遠景中央にニコライ堂が写っている。15000-239とともに神田・小川町交差点付近と思われる 資料 15000-240

  14. 2009042800070

    関東大震災  陸軍工兵隊による焼けた市電の取り壊し作業=1923(大正12)年9月(撮影日不明)(焼け跡、復興、交通、兵士)※遠景左端にニコライ堂が写っている。同じ地点で撮った15000-240とともに、神田・小川町交差点付近と思われる 資料 15000-239

  15. 2009042200163

    関東大震災  神田周辺の焼け跡と大被害を受けたニコライ堂(中央)=1923(大正12)年(撮影月日不明)(焼け跡) 資料 15000-143

  16. 2003013000073

     昭和 205 ◎東京・神田ニコライ堂(奥)とその周辺市街、ヨコ、昭和初期撮影

  17. 2003013000050

     昭和 200 ◎東京・神田・ニコライ堂と聖橋、ヨコ、昭和初期撮影

  18. 1930030200003

    日本電報通信社資料  関東大震災から8年目、復興した帝都。神田・聖橋からニコライ堂(左奥)を望む=1930(昭和5)年3月2日(日本電報通信社撮影) DJ1202

  19. 1930021400004

    日本電報通信社資料  関東大震災からの復興ぶりご視察を前に、巡幸先の九段坂から神田方面の下検分をする宮内省の木下侍従一行。後方中央にニコライ堂が見える。右手の4階建てのビルは大橋図書館=1930(昭和5)年2月14日(日本電報通信社撮影) DJ1166

  20. 1929121500006

    日本電報通信社資料  関東大震災で被災し修復された神田ニコライ堂の復興落成式=1929(昭和4)年12月15日(日本電報通信社撮影) DE0963

  21. 1929121500005

    日本電報通信社資料  関東大震災で壊れたドームと時計塔の修復が終わり、復興落成式を迎えた神田ニコライ堂=1929(昭和4)年12月15日(日本電報通信社撮影) DE0961

  22. 1929121200001

    日本電報通信社資料  関東大震災で壊れたドームや鐘楼の修復が終わり、15日の落成式を待つ神田ニコライ堂=1929(昭和4)年12月12日(日本電報通信社撮影) DI0952

  23. 2017080201004

    九段坂と燈明台  神田方面から皇居内濠に沿って麹町の大地にあがる急勾配の坂。関東大震災後道路改正行事で緩くなった。明治4年に東京湾の漁船の目印にと燈明台が建てられた。遠景に望まれる丸天井の建物は駿河台のニコライ堂である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐18‐0] 「長崎大学附属図書館」「古写真」

  24. 2017081502316

    南山手の洋館群  南山手の丘陵地から長崎港方向を展望する。ロシア寺またはニコライ堂と通称するロシア正教会(ハリストス正教会、長崎市南山手イ19番ロシア領事館構内)の礼拝堂は棟上げして屋根を葺いたところで、いまだ建設中である。竣工は明治38年(1905)であり、この頃の撮影。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐14‐0] 「長崎大学附属図書館」「古写真」

  25. 2017081401301

    お茶の水と聖橋  順天堂医院の前から、共に明治24年(1891)に竣工した御茶の水橋とニコライ堂を望む。開削された人工の神田川を挟んで、左(北)側が湯島台で右(南)側が駿河台になる。江戸防衛のためこの台地には御茶の水橋が出来るまで橋は架けられなかった。この付近は人工の川ながら名渓といわれ、蛍とホトトギスの名所だった。明治20年代後半の撮影。=撮影年月日不明、東京、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐14‐0] 「長崎大学附属図書館」「古写真」

  26. 2018083100204

    御茶ノ水  キーワード:御茶ノ水、神田川、ニコライ堂(東京復活大聖堂)=明治~大正期、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 「イマジンネット画廊」「古写真」「街」

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