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「(長崎大学附属図書館 古写真 ) + イマジンネット画廊 建物」の写真・グラフィックス・映像

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  •  日光街道の杉並木
    1904年12月31日
    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐7‐0]

    商品コード: 2017081501610

  •  日光東照宮陽明門
    1904年12月31日
    日光東照宮陽明門

    画面中央が陽明門。日光東照宮の本殿前境内から陽明門の裏側を写している。画面左端の八乙女が立っている建物は神楽殿。ここで八乙女が神楽を舞う。写真に添えられた英文キャプションには薬師堂の文字が見えるが、この写真からは画面右奥に薬師堂の屋根だけが見える。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐60‐0]

    商品コード: 2017081401660

  •  松島
    1904年12月31日
    松島

    湾内の経ケ島(きょうがしま)付近から松島海岸を眺めた写真で、島の左には桃山建築様式であり、宮城県指定文化財の観瀾亭(かんらんてい)の建物が見える。船は真帆のチャブネである。水面のおだやかさがとても美しい。=1904(明治37)年、松島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐13‐0]

    商品コード: 2017081501565

  •  仁和寺を参拝する巡礼の女性たち
    1904年12月31日
    仁和寺を参拝する巡礼の女性たち

    仁和寺金堂に参拝するため石段を登って巡礼にむかう女性たちを、観音堂東側の参道から東を向いて撮影する。 女性たちは草鞋履きで荷物を背負い、大きな編み笠をかぶり、長い杖をついて歩いている。背後に建つ入母屋造の建物は水飲み場であろうか。1904年イギリス人写真家H・G・ポンティングの撮影か。=1904(明治37)年、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐39‐0]

    商品コード: 2017081501808

  •  諏訪山から神戸市街を望む
    1904年12月31日
    諏訪山から神戸市街を望む

    目録番号4949・4950と同様に、アメリカのUnderwood & Underwood が制作したステレオスコープ用の写真。諏訪山から南東を望む。麓の円塔のある建物は、明治26年 (1893) に落成した、英和女学校 (移転前の現神戸女学院) の理化学館。台紙には1904年 (明治37) に同社が版権を取得した旨の記載があるため、その間の撮影。=1904(明治37)年、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐15‐0]

    商品コード: 2017081501784

  •  水前寺公園
    1904年12月31日
    水前寺公園

    熊本の名園として知られる水前寺成趣園を撮影したものである。撮影位置は、酔月亭と呼ばれる建物の跡(明治10年西南戦争で焼失、現在はその跡に古今伝授の間が建つ)からの撮影である。飛び石に日傘をさした女性が並ぶが、お土産写真のための演出であろう。=1904(明治37)年、熊本、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐4‐0]

    商品コード: 2017081401692

  •  内国勧業博覧会会場
    1903年12月31日
    内国勧業博覧会会場

    第5回博覧会では、機械館、参考館、加奈陀館、ジョーン館、台湾館等の建物が特設され、国内ばかりではなく、世界各国の最新の技術・産業が紹介された。=1903(明治36)年、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐75‐0]

    商品コード: 2017080902840

  •  中島川と上野彦馬邸
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    中島川と上野彦馬邸

    1864年ベアトが撮影した中島川の清流と上野彦馬邸。整理番号28-32の写真の対岸である。この年は、彦馬がここで開業して2年目にあたるが、建物はまだ質素である。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐33‐0]

    商品コード: 2017080902065

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    大徳寺跡から西役所跡を望む

    大徳寺跡の境内から銅座川越しに長崎奉行所西役所跡(旧県庁)を望む。西役所の建物はすでになく空き地となっている。明治7年(1874)7月に初代の木造県庁が竣工するが、8月20日の台風で倒壊する。初代県庁舎の建設が始まる前の明治6年(1873)頃の撮影であろう。左の白い大きな建物は現十八銀行本店の場所。中央の木の場所は薩摩屋敷であるが、大きかった本屋はすでに見えない。銅座川には新地蔵所の表門だった石橋の新地橋が写っている。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐28‐0]

    商品コード: 2017081600950

  •  長崎市街と長崎港
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    長崎市街と長崎港

    風頭山から長崎市中と港を展望したもの。左隅の新地蔵の付近は埋め立てが進み、新しい建物が建築中であるが、内側はまだ石垣がそのまま残っている。出島と出島橋、明治2年(1869)に架けられた新大橋の架かる築町には白い洋館が見える。明治4年から5年(1871~2)頃の撮影。港の内には軍艦や船が停泊し、対岸には飽の浦の造船所、稲佐方面が展望される。=1873(明治6)年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号114‐31‐0]

    商品コード: 2017081502361

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    諏訪神社の大鳥居

    長崎市上西山町の諏訪神社の入り口の大鳥居。天保2年(1831)に青銅で造られた。大鳥居の額には「鎮西大社」と記されている。明治7年(1874)8月20日の台風で倒壊したが、明治25年(1892)三菱造船所で鋳造して再建される。後ろの鳥居は石造りであった。周囲の建物が古さを感じさせる。内田九一が明治6年(1873)に撮影した同じアングルの写真がある。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐13‐0]

    商品コード: 2017081600923

  •  横浜イギリス領事館
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    横浜イギリス領事館

    何とも見苦しい建物であるが領事法廷の建物である以上四角四面なのももっともなことだと思う。The Far East 明治4年(1871)4月14日号。「復刻版The Far East」より引用。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐4‐0]

    商品コード: 2017080201836

  •  東京の庭
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    東京の庭

    写っている人々は皆綿入れ半纏のような上着を羽織り、建物の二階にいる人物は手拭のようなものを持っている。茶屋ではなく温泉宿ではなかろうか。池泉回遊式の庭園のようで石組みも立派である。右手奥にシュロかヤシのような南洋系の植物が見える。場所は不明である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐23‐0]

    商品コード: 2017081401277

  •  宮ノ下温泉
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    宮ノ下温泉

    明治16年(1883)の宮ノ下大火後、再建・整備された宮ノ下温泉。左の大きな建物は明治24年(1891)竣工の富士屋ホテル本館。右の白亜の洋館は明治20年(1887)完成した奈良屋ホテル。左手の道路は明治20年開通の塔ノ沢・宮ノ下間の車道で箱根駅伝のコースとして知られた現在の国道一号線に当たる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号68‐10‐0]

    商品コード: 2017082400173

  •  横須賀の工廠
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    横須賀の工廠

    港を取り囲むように工廠の建物が建っている。画面右手には特徴のある非常に長い建物が建っており、その向こうには島が見える。港には2艘の船が係留されている。=撮影年月日不明、横須賀、撮影者:鈴木真一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号41‐12‐0]

    商品コード: 2017080902570

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    新富座

    火災の後、明治11年に再建された新富座。建物の普請、看板の図、看板を見上げる人々の影、人力車の群などがはっきりと見て取れる。左手前にあるのは出店のたぐいだろうか。同一のものが、整理番号12-21にある。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐42‐0]

    商品コード: 2017080400596

  •  箱根
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    箱根

    箱根の関所跡付近から見た箱根宿の写真で、左手の建物は、壬生屋(はふや)ホテルで、背後に本陣跡の建物が続く。芦ノ湖が見える辺りは現在、遊覧船の発着所になっている。電信柱により明治14年以降と分かる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐9‐0]

    商品コード: 2017080201128

  •  岡野庭園の女性たち
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    岡野庭園の女性たち

    三角形の四阿屋の板葺きの屋根を竹で組んで押さえている。こうした屋根を持つ建物は、茶室のある空間によく付設される。岡野庭園にはさまざまな建物が在ったようで、かなり大規模なものであったことがわかる。その所在について現在ではほとんど記録がないのが不思議だ。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐36‐0]

    商品コード: 2017081401525

  •  横浜本町通り
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    横浜本町通り

    本町1丁目付近。左の建物は、アメリカ人建築家ブリジェンス(R.P.Bridgens)の設計で明治7年(1874)に竣工した横浜町会所。時計塔をもつこの建物は、本町通りのランドマークとして親しまれたが、同39年(1906)に焼失。跡地に現横浜開港記念会館が建つ。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐1‐0]

    商品コード: 2017082400724

  •  ドンの山から見た大浦居留地と長崎港
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    ドンの山から見た大浦居留地と長崎港

    ドンの山の中腹から大浦川沿いを展望する。大浦川の河口に見えるのは明治2(1869)年に居留地の「馬の遊歩道」のため架けられた下り松橋で、その川上の橋は大浦居留地が埋め立てられた文久年間に架けられた弁天橋である。左丘の妙行寺の横に見えるコの字形の建物はベルビューホテル。対岸には工部省所管「長崎造船局」が見える。その右の丘の上に明治7年(1874)4月に落成するお雇い外国人宿舎がないので、それ以前の撮影。=1872(明治5)年、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐2‐0]

    商品コード: 2017081501531

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    風頭からの長崎市街鳥瞰(県庁側)

    風頭山の中腹、延命寺側の幣振(へいふり)坂の途中からの長崎市街の鳥瞰写真。右下が延命寺の山門。長崎奉行所西役所がおかれていた左端の茂みには明治7年(1874)に建てられる県庁の建物はまだない。まもなく県庁前に整備される地方裁判所、区裁判所、控訴院もない。町全体として江戸期の建物や土蔵を残している。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐42‐0]

    商品コード: 2017081601057

  •  旧長崎奉行所と師範学校
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    旧長崎奉行所と師範学校

    聖福寺付近から撮影している。中央は立山の旧長崎奉行所と明治7年(1874)に新築されたばかりの長崎官立師範学校である。長崎奉行所の原型を写す写真として珍しい。平成17年(2005)、この場所に長崎歴史文化博物館が建てられた。背後の伊良林には慶応元年(1865)に坂本龍馬が結成した亀山社中の拠点となった建物が見える。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐4‐0]

    商品コード: 2017081601022

  •  酒店
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    酒店

    右奥に見える大きな平屋の建物は、造り酒屋のように見えるが、確定は出来ない。左の一かたまりの民家もみすぼらしく見えるだけである。どのような意図のもとに撮影されたのか不明である。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐3‐0]

    商品コード: 2017080902278

  •  二荒山神社への参道
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    二荒山神社への参道

    日光東照宮の五重塔前の境内から上新道(かみしんみち)を通して二荒山神社方面を写したもの。画面の先に二荒山神社境内の鳥居と社殿が見える。画面右の石垣の上に陽明門など東照宮の絢爛豪華な建物が集中している。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号79‐19‐0]

    商品コード: 2017081401227

  •  鶴岡八幡宮
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    鶴岡八幡宮

    東から若宮(わかみや)を望む。その上段は上宮楼門(ろうもん)と廻廊(かいろう)である。若宮はこけら葺か檜皮葺(ひわだぶき)で、寛永元年(1624)の再建。上宮は江戸初期の建物が文政4年(1821)の大火で焼失したのち、同11年に銅板葺で再建された。若宮と上宮廻廊は現重要文化財。撮影年代は未詳。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐36‐0]

    商品コード: 2017081401051

  •  木賀温泉
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    木賀温泉

    明治22年(1889)開通の宮ノ下・宮城野間新道が見えないので、それ以前の木賀温泉である。奥の鳥居の位置が薬師堂。手前が亀屋の建物群で、その右端が神代楼。須沢を挟んで手前が松坂屋。左端の白壁が見えるのが松坂屋の眺海楼。一番手前が仙石屋。右に早川、背後に箱根外輪山明神ヶ岳が見える。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐24‐0]

    商品コード: 2017081401356

  •  日光東照宮の上神庫と唐銅鳥居
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    日光東照宮の上神庫と唐銅鳥居

    画面右の上神庫は校倉造りを模した建物で百物揃千人行列の装束など祭礼道具を納めている。画面左端は鍋島藩が奉納した御水舎(おみずや)。その右が三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。日本初の青銅製鳥居である。その奥の二層屋根は経典を納める輪蔵(りんぞう)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐10‐0]

    商品コード: 2017082400638

  •  大浦川と弁天橋
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    大浦川と弁天橋

    大浦川の河口部に、弁天橋が創架されたのは慶応元年(1865)。2対の橋脚をもつ「反り」がついた木製の「桁橋」で、両岸には石段が付いていた。橋のたもとの入母屋造り二階建ては大浦12番地のもので、少し前の写真ではまだベランダが付いておらず、逆に、明治3年頃の居留地図では既に建物そのものが消滅していた。明治元年(1868)前後の撮影。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐26‐0]

    商品コード: 2017081501600

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    神戸市街の遠景

    諏訪山から神戸港を望む。明治中期。建物などの着色が異なるが目録番号4871と同じ写真。南北の道路右側の塀で囲った屋敷は小寺邸。その向こうから左 (東方)にかけての地域には、現在も、県政の中枢を担う兵庫県庁舎や兵庫県警察本部がある。開港から20年あまりたち、市街地が沿岸部から山手へ拡大していくようすがわかる。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐1‐0]

    商品コード: 2017081501789

  •  上野公園の桜
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    上野公園の桜

    農商務省の主催で、明治18年(1885)4月1日より繭・生糸・織物・陶器・漆器の5品目の共進会が開催された。左の建物がその会場である。建物手前が第一陳列館、向こう側が第二陳列館である。東照宮の鳥居の前から北に向いて撮影したもので、写真では見えないが道路の突き当りが博物館(現東京国立博物館)になる。明治18年(1885)撮影。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐1‐0]

    商品コード: 2017081400697

  •  日光山輪王寺の常行堂と法華堂
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    日光山輪王寺の常行堂と法華堂

    大猷院の仁王門前から見た法華堂(手前)と常行堂(奥)。渡り廊でつながれた建物は、二つ堂または担い堂とも呼ばれ、輪王寺と比叡山にしか見られない珍しい形式である。常行堂には阿弥陀如来と摩多羅神が、法華堂には普賢菩薩・鬼子母神・十羅刹女がまつられている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐11‐0]

    商品コード: 2017081400932

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐11‐0]

    商品コード: 2017081501775

  •  日光東照宮唐門
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    日光東照宮唐門

    唐門は東照宮本社の正門である。江戸時代には将軍に直接拝謁できる身分の幕臣や大名だけが使用を許された。正面上部の彫刻は「舜帝朝見の儀」。唐門の内側に人物が立っている。後ろの建物が本社拝殿である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号50‐38‐0]

    商品コード: 2017080903347

  •  日光東照宮三猿の彫刻
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    日光東照宮三猿の彫刻

    「見ザル、言わザル、聞かザル」で知られる三猿(さんえん)は、日光東照宮の神馬の厩舎・神厩(しんきゅう)の長押(なげし)を飾る彫刻である。神厩は東照宮の中でこれだけが漆の塗られていない素木(しらき)造りの建物である。三猿の彫刻は8面あり、人生の比喩でもある。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐73‐0]

    商品コード: 2017081400679

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    濃尾大地震(崩壊した村落)

    濃尾地震の被害は、全国で、建物全壊142,177戸、半壊18,184戸、死者7,273人に達した。被害の地域は、岐阜、愛知、福井、石川、滋賀、三重の6県に及んだ。この地震を契機に、わが国の地震学の研究が始まった。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐11‐0]

    商品コード: 2017080902378

  •  芝増上寺文昭院霊廟水盤舎
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    芝増上寺文昭院霊廟水盤舎

    参拝の前に手を浄める水盤が二つ。 水盤を雨露から守る建物は、 柱も屋根もぜいを尽くしている。 下に立つ男との比較から、 その巨大差がわかる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号4‐2‐0]

    商品コード: 2017080200795

  •  妙義山中之岳の道場
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    妙義山中之岳の道場

    新築なのか真っ白な漆喰の壁に三角屋根の道場が見える。その右隣には建設中の一回り小さな建物が付属しており、左手前にも一棟建築中の建物が見える。背後には険しい妙義山の山並みが迫っている。=撮影年月日不明、群馬、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号38‐57‐0]

    商品コード: 2017080902427

  •  芦ノ湖
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    芦ノ湖

    箱根関所跡付近から見た箱根宿の眺望。芦ノ湖に臨んでいる建物は大きな藁葺き屋根の建物と一体のもので、いわゆる本陣である。本陣は江戸時代、参勤交代の折に大名等が宿泊・休憩した。背後の山は鞍掛山で、芦ノ湖の手前には、杉並木と湖を眺める職人風の人物が見られる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐17‐0]

    商品コード: 2017082400637

  •  横浜増徳院の門前
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    横浜増徳院の門前

    横浜元町増徳院の門前の風景である。本道左手の屋根の建物は薬師堂である。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号16‐36‐0]

    商品コード: 2017080201575

  •  浜町通り
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    浜町通り

    明治中期の濱町通りの四つ角から東濱町(現・浜町通り)を油屋町の方向に見上げている。手前の水路は、現在は暗渠となっているが、昭和57年(1982)の長崎大水害で露出した。右側の建物は、現在は交差点の角地(現・マクドナルド)にあたるが、二階の障子や壁、引戸に明治の趣を見てとれる。前の路上には本河内(ダム)水源地から引かれた水道の共用栓、左には電灯以前のオイルランプが見える。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐25‐0]

    商品コード: 2017081502090

  •  中島川の桜馬場堰
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    中島川の桜馬場堰

    中島川上流の桜馬場町および伊良林町、中島川と鳴滝川の合流地点付近(現・中之橋付近)の風景で「桜場晴嵐」として崎陽八景に数えられている。右手建物上流は明治中期から昭和前期まで桜の名所であった「中川カルルス」である。オーストリア(現・チェコ共和国)のカルルス温泉の成分表により温泉を提供した。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐18‐0]

    商品コード: 2017081502094

  •  寺
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    正面奥に本堂らしい建物が見えるが、道の左右は何であろうか。木組みの仮小屋のような物や石塔などがあり、雑然としている。父親と娘らしい人物が本堂の方へ歩いている。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐42‐0]

    商品コード: 2017080902309

  •  宮ノ下温泉
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    宮ノ下温泉

    向山(むこうやま)から見た宮ノ下。正面の白亜の建物は明治20年(1887)に再建された奈良屋ホテル。その奥に明治24年(1891)竣工の富士屋ホテル本館が見えるので、それ以降の撮影である。右手の二階建の大きな建物はつたや旅館。その下に白鷺の滝と早川の流れが見える。中央下方は五段旅館。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐28‐0]

    商品コード: 2017081501592

  •  興福寺の大雄宝殿
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    興福寺の大雄宝殿

    南京寺と通称される東明山興福寺(長崎市寺町64)の大雄宝殿。元和6年(1620)、中国・江西省浮梁県から渡来した眞圓が開創。宝殿、山門、経堂は二代住持の黙子如定が寛永18年(1641)に建立した。向かって左奥の入母屋造りは媽祖堂(媽祖は航海の守護神)、右端は庫裡(台所にあたる建物)。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐47‐0]

    商品コード: 2017081502218

  •  東大寺大仏殿
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    東大寺大仏殿

    東大寺の中心建物である金堂・大仏殿を正面・南から全景を写す。聖武天皇の命により建造されて以来2度焼失したが18世紀初めに再建され、現在に至っている。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号14‐23‐0]

    商品コード: 2017080201453

  •  鈴木ホテル
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    鈴木ホテル

    画面中央の白い建物群が鈴木ホテル。鈴木ホテルは明治4(1871)年に鈴木喜惣次が神橋近くの鉢石町に開業した旅館。外国人に対する日本の内地旅行が解禁されると、日光での外国人向けホテルの先駆者となったが、明治20年代に廃業した。画面の奥に大谷川が見える。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐32‐0]

    商品コード: 2017082400204

  •  宮ノ下温泉
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    宮ノ下温泉

    明星ヶ岳の尾根から眺めた宮の下の全景で、珍しい構図。中央の白亜の洋館は奈良屋旅館、背後に富士屋ホテルが見える。後方の集落は小涌谷で、白い建物は三井家別荘層雲閣。画面右下はベルツの別荘の可能性がある。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐83‐0]

    商品コード: 2017080400659

  •  芝増上寺有章院霊廟中門
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    芝増上寺有章院霊廟中門

    七代将軍家継の霊廟。左端にあるのが拝殿中門である。中央やや右寄りに映っている建物は鐘楼。水盤舎のあたりからの撮影。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐37‐0]

    商品コード: 2017080400643

  •  大浦川沿い
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    大浦川沿い

    大浦川右岸の居留地建物群。丘の上のピンクの建物は東山学院。川沿いの建物の看板には「M. H. Cook, SAIL MAKER, Cooks HOTEL」と読める。この一帯には外国人には外国人のバーやホテルが立ち並んでいる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号8‐3‐0]

    商品コード: 2017080201059

  •  日光東照宮オランダ灯篭
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    日光東照宮オランダ灯篭

    画面右がオランダ国から贈られた八角形の回転灯籠で、日光東照宮陽明門の手前にある。画面奥の中央にスタンド型の蓮灯籠。画面左の建物は鐘楼で、その手前の屋根のある4本柱に支えられた建物には朝鮮鐘が下げられている。画面奥に上神庫(かみじんこ)の屋根が見える。=撮影年月日不明、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐41‐0]

    商品コード: 2017081401234

  •  南山手からの大浦居留地
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    南山手からの大浦居留地

    南山手から大浦および東山手を展望している。中央には新築の孔子廟が見える。手前の洋館は外国人バー街。孔子廟の右後ろ3棟は現在復元された「東山手洋館7棟」。右手上に建つピンク色の洋館は東山学院(旧・イギリス領事館)、その上の白い建物は海星学校。正面奥にはラッセル館の屋根が見える。明治32年(1899)頃の撮影。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号95‐5‐0]

    商品コード: 2017081401550

  •  日光東照宮オランダ灯篭
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    日光東照宮オランダ灯篭

    画面右がオランダ国から贈られた八角形の回転灯籠で、日光東照宮陽明門の手前にある。画面左の建物は鐘楼で、その手前の屋根のある4本柱に支えられた建物には朝鮮鐘が下げられている。画面の左手外側に石段があり、それを上ると陽明門がある。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐11‐0]

    商品コード: 2017082301150

  •  江ノ島神社の鳥居
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    江ノ島神社の鳥居

    撮影者未詳。江島神社の青銅鳥居?(現存)後方には看板があって、「ゑびすや茂八」と書かれている。「ゑびすや」は江戸時代から今に続く老舗(しにせ)の旅館で、鳥居左側の建物群は明治27年(1894)刊『日本博覧図』所収「一等旅館恵比寿楼」銅版図から、同旅館の「本店」「土蔵」「上段ノ間」等と推定できる。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐2‐0]

    商品コード: 2017081501773

  •  中島川一の瀬橋
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    中島川一の瀬橋

    中島川上流の蛍茶屋に架かる石橋、一の瀬橋をベアトが撮影したものである。左手の建物は茶屋。旅人はこの茶屋で休憩したのち後、日見峠に向けて左折して長崎街道へと向かった。この橋の写真としては最古のものである。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐24‐0]

    商品コード: 2017080902062

  •  長崎市街中心部
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    長崎市街中心部

    風頭から撮られた長崎の旧市街と港の光景である。対岸は稲佐。町並みの中心部分に左上がりに中島川が写っている。川の石橋群も見ることができる。写真中央の白い建物は師範学校や小学校。整理番号21-6 の写真の複製と思われる。=1879(明治12)年頃、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐4‐0]

    商品コード: 2017080201731

  •  中禅寺湖
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    中禅寺湖

    二荒山神社中宮祠の境内から中禅寺湖を眺める。手前の二つの建物は行者小屋である。行者小屋は男体山(なんたいさん)に登る信者たちの宿舎であった。信者たちは、この行者小屋に寝泊りしながら、中禅寺湖で禊をして、男体山の頂を目指した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐7‐0]

    商品コード: 2017081400719

  •  横浜税関監視課庁舎と大桟橋
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    横浜税関監視課庁舎と大桟橋

    海岸通りから見た大桟橋全景。横浜港のシンボル的存在である大桟橋は、明治22年(1889)からの第1次築港工事で建設され、同27年(1894)に完成した鉄製の海陸連絡橋。幅19m、全長730mを誇る。左の建物は同年竣工の税関監視課庁舎。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐9‐0]

    商品コード: 2017081401292

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    画面には‘L19 DAI BUTSU(A)'の印字がある。像の左は目録番号3375と同じ建物で、台座の右下には大きな平石が3基並んでいる。また、台座正面にある銅製前机(まえづくえ)の下には瓦が数枚積まれている。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐18‐0]

    商品コード: 2017081501735

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    ‘Daibutsu Kamakura.'とある。銅造蓮弁(れんべん)が写るが、目録番号2747と同じ像左横の建物は朽ちており、2747よりも遅れた明治初期の撮影と思われる。また、蓮弁は享保21年(1736)に4枚鋳造されたと史料に見える。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐30‐0]

    商品コード: 2017081501729

  •  遊廓
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    遊廓

    右手の建物の1階が張見世になっているので妓楼だと思われるが、左側の建物は旅館のような造りになっている。詳細は不明。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐1‐0]

    商品コード: 2017081400950

  •  山手谷戸坂からのグランドホテル
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    山手谷戸坂からのグランドホテル

    中央の建物はグランド・ホテル旧館。左奥にはサルダ(P.Sarda)設計の新館(明治20年竣工)が見える。旧館左の大きな和風屋根は旧ヘボン邸。谷戸橋の手前に広がる敷地には、のちに(同29年)同じくサルダの設計によりフランス領事館が竣工する。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐2‐0]

    商品コード: 2017081400952

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐33‐0]

    商品コード: 2017081501781

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    鶴岡八幡宮の蓮池

    撮影年代未詳。‘A B6 LOTUS POND AT KAMAKURA'の印字がある。東から石橋を望んだ景で、向かって左の建物の先に三の鳥居がある。石橋は江戸期の風土記や絵図に「赤橋(あかはし)」とあり、その奥には「新橋」という木橋が架かる。この赤橋は大正12年(1923)の大震災で崩壊した。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐40‐0]

    商品コード: 2017081401003

  •  野毛山から見た横浜
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    野毛山から見た横浜

    山裾は野毛町、長屋造りの大きな建物は神奈川奉行所の役宅(官舎)である。対岸の町並は太田屋新田の堤の上にできた入船町、左手の弁天の森にも役宅がある。その右手に横浜町の町並が広がっている。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐13‐0]

    商品コード: 2017081501649

  •  和船
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    和船

    紀ノ川河口に位置する和歌山市は、中世では紀伊湊と呼ばれたように、海路と河川交通の中継地であった。中州の鼠島付近と思われる場所に、多くの和船が繋留されている。対岸に見えるのが和泉山脈で、右の小山の上に見える建物は和歌山城であろう。=撮影年月日不明、和歌山、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐71‐0]

    商品コード: 2017081400642

  •  日光東照宮の上神庫と唐銅鳥居
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    日光東照宮の上神庫と唐銅鳥居

    画面右の上神庫は校倉造りを模した建物で百物揃千人行列の装束など祭礼道具を納めている。画面左端は鍋島藩が奉納した御水舎(おみずや)。その右が三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。日本初の青銅製鳥居である。その奥の二層屋根は経典を納める輪蔵(りんぞう)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号62‐6‐0]

    商品コード: 2017082300970

  •  外国人居留地と港
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    外国人居留地と港

    手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐66‐0]

    商品コード: 2017082300975

  •  藤沢清浄光寺山門
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    藤沢清浄光寺山門

    正面に門があり、石畳が奥まで続いている。道の右側の白壁の建物には桶が並べられている。(整理番号37-4と同じ)=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐80‐0]

    商品コード: 2017080902335

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601570

  •  横浜堀割川
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    横浜堀割川

    中村の切通し。堀割川は中村川から滝頭まで開削された運河で、明治7年(1874)に開通。中村川・大岡川・吉田川の舟運の便を図るとともに、開削した土砂を吉田新田の埋め立てに利用した。左手の建物は石油貯蔵庫か。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐68‐0]

    商品コード: 2017082300976

  •  円山
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    円山

    京都市東山区の西部、東山山麓を背景として、前面山裾に新しい建物が多く建っている。明治19年(1886)の公園設置の太政官符により公園とし、円山安養寺にちなんで丸山公園と名付けられた。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐6‐0]

    商品コード: 2017080201286

  •  中禅寺湖
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    中禅寺湖

    中禅寺湖の南東の湖畔にある歌ヶ浜から、北岸の男体山や、その麓の二荒山中宮祠と六軒茶屋の家並みを写したもの。夕景色の美しい歌ケ浜は埋め立てられ、現在は大駐車場となっている。画面奥の対岸に広がる建物の様子から、明治35(1902)年以前に撮影されたものである。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐23‐0]

    商品コード: 2017081401033

  •  身延山久遠寺本堂
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    身延山久遠寺本堂

    山梨県南巨摩郡身延町に所在する日蓮宗総本山身延山久遠寺の祖師堂棲神閣の内陣の状況を収めた写真であろう。棲神閣は日蓮上人尊像を奉安する建物であり、写真奥の須弥壇内がその主要な部分にあたろう。明治14年(1881)の再建後の建物内を写した写真として貴重である。=撮影年月日不明、山梨、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐53‐0]

    商品コード: 2017081401449

  •  彦根玄宮園
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    彦根玄宮園

    玄宮園(げんきゅうえん)は、彦根城の北三の丸にある井伊家旧下屋敷の庭園。四代藩主・直興(なおおき)が、延宝7年(1679)に完成させた。名前は、中国唐代の玄宗皇帝の離宮から取ったものである。池を取り巻くように臨池閣(りんちかく)などの亭屋や緑樹・奇石などが配置されている。写真の建物は、明治以降に料理旅館業として使用されている。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐44‐0]

    商品コード: 2017081401321

  •  日光東照宮唐門
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    日光東照宮唐門

    唐門は東照宮本社の正門である。江戸時代には将軍に直接拝謁できる身分の幕臣や大名だけが使用を許された。正面上部の彫刻は「舜帝朝見の儀」。唐門の内側に人物が立っている。後ろの建物が本社拝殿である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐39‐0]

    商品コード: 2017081401494

  •  堂が島温泉
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    堂が島温泉

    堂ヶ嶋温泉の眺望で、建物は左手前に一部見えるのが近江屋、次が大和屋、その向こうが江戸屋。早川沿いの新しい屋根の建物も大和屋、石段の上のお堂は山居山、その左奥に見えるのは、奈良屋の跡に建てられた平松別荘。平松別荘の建設は明治20年(1887)頃なので、それ以降の撮影と思われる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐44‐0]

    商品コード: 2017081401054

  •  横浜郵便局
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    横浜郵便局

    本町通りを挟んで、右に明治8年(1875)に新築された横浜郵便局(現県庁の敷地内)、その奥は電信局(同5年竣工)。いずれも明治20年代に煉瓦造に改築されるので撮影はそれ以前。時計塔のある建物は、同7年竣工の横浜町会所(現横浜開港記念会館)。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐104‐0]

    商品コード: 2017081401689

  •  日光東照宮鐘楼
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    日光東照宮鐘楼

    画面左の建物が釣鐘が納められている鐘楼(しょうろう)。鐘楼には竜、飛竜(ひりゅう)、鶴、麒麟、波など78体の彫刻が施されている。鐘楼は陽明門を挟んで鼓楼と共に対を成している。画面の中央に陽明門が見え、そこから画面右方向に彫刻で飾られた東回廊が延びている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐102‐0]

    商品コード: 2017082200864

  •  歌舞伎座(東京百景ノ内)
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    歌舞伎座(東京百景ノ内)

    歌舞伎座(東京百景ノ内)=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号116‐1‐0]

    商品コード: 2017081502464

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    九段坂と燈明台

    神田方面から皇居内濠に沿って麹町の大地にあがる急勾配の坂。関東大震災後道路改正行事で緩くなった。明治4年に東京湾の漁船の目印にと燈明台が建てられた。遠景に望まれる丸天井の建物は駿河台のニコライ堂である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐18‐0]

    商品コード: 2017080201004

  •  グランドホテル全景
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    グランドホテル全景

    英語で「グランドホテルの風景、横浜」とある。横浜バンドの東端、20番のグランドホテルの全景を元町側から撮影したものである。右端の大きな建物木骨石貼のグランドホテル旧館で、明治3年開業された。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐2‐0]

    商品コード: 2017080200767

  •  長崎製鉄所飽の浦工場
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    長崎製鉄所飽の浦工場

    文久元年(1861)に落成した長崎製鉄所を譲り受け、明治17年(1884)に三菱会社長崎造船所飽の浦機械工場になった。工場の建物、50トン起重機等の工場施設を見ることができる。対岸は西坂、大黒町付近。=1879(明治12)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐3‐0]

    商品コード: 2017080201718

  •  師範学校正門
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    師範学校正門

    明治7年(1874)に創立されたばかりの長崎官立師範学校の正門である。門を入った左手の旧長崎奉行所の建物と新築の右手の建物が校舎(旧県知事公舎の場所)として利用された。明治5年(1872)東京に官立(国立)の師範学校が設立され、その後日本各地に設置されたが、東京師範学校と東京女子師範学校を除き、すべて府県に移管された。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐5‐0]

    商品コード: 2017081601039

  •  海上からの出島パノラマ組写真
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    海上からの出島パノラマ組写真

    梅香崎の長崎税関岸壁の先端あたりから撮影された出島のパノラマ組写真の中央。右端の旧対馬屋敷の場所では中国商社の建物が建設中である。その左は明治2年(1869)に架けられた出島新橋。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐50‐0]

    商品コード: 2017081600990

  •  日光街道の杉並木
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    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐16‐0]

    商品コード: 2017081401029

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐2‐0]

    商品コード: 2017082800543

  •  諏訪神社の鳥居
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    諏訪神社の鳥居

    明治中期(1887)頃の手彩色の写真。参道の大鳥居を過ぎた、二の鳥居の前から、諏訪神社方面を見た写真。右側にドンコ茶屋の建物が見える。神社の中腹に、洋風建築が建てられているのは、明治中期の洋風化の情勢が伝わる写真。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐34‐0]

    商品コード: 2017081401347

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐18‐0]

    商品コード: 2017081501740

  •  神戸市街の遠景
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    神戸市街の遠景

    諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐4‐0]

    商品コード: 2017080902582

  •  高島町神風楼
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    高島町神風楼

    横浜の遊郭、神風楼の建物と女性達を撮影した写真である。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号43‐29‐0]

    商品コード: 2017080902693

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601605

  •  藤沢清浄光寺山門
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    藤沢清浄光寺山門

    正面に門があり、石畳が奥まで続いている。道の右側の白壁の建物には桶が並べられている。(整理番号37-80と同じ)=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐4‐0]

    商品コード: 2017080902345

  •  伊勢神宮境内
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    伊勢神宮境内

    伊勢神宮は、一般に内宮と外宮と呼ばれている皇大神宮と豊受大神宮とを中心に構成されている。写真は天照大神を祭る内宮の境内で、参拝した帰路に第二鳥居を眺めた図。右の建物は神楽殿で、木立の間に御酒殿の屋根が見えている。=撮影年月日不明、三重、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐22‐0]

    商品コード: 2017082400251

  •  日光山輪王寺逍遥園
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    日光山輪王寺逍遥園

    戊辰戦争後の混乱のなか、明治4(1871)年に焼失した満願寺本坊南側の逍遙園。この庭園は、近江八景にならって造られた江戸時代を代表する池泉回遊式の庭園で現存している。ちなみに、写真右手の建物は焼失した満願寺の本坊の址に建てられた紫雲閣である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐24‐0]

    商品コード: 2017082400252

  •  日光東照宮唐銅鳥居付近
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    日光東照宮唐銅鳥居付近

    画面左端は三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。唐銅鳥居の右上に鼓楼。その右下が釣灯籠。画面中央に日光東照宮で最も有名な建物である陽明門。その奥に日光東照宮の本社がある。陽明門の右に鼓楼と対をなす鐘楼が見える。右端に上神庫(かみじんこ)の一部が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐12‐0]

    商品コード: 2017082301042

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    画面には「西一九 112」の印字がある。台座の前面には銅造蓮弁(れんべん)は置かれていない。像左横の建物は目録番号3997と同じだろう。像前方2基の銅造灯籠(とうろう)の笠に渦巻き状の張り出しがあるなど明治初期の撮影と思えるが、3997とは短い時間差が感じられる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:臼井秀三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号94‐10‐0]

    商品コード: 2017081501768

  •  堂が島温泉
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    堂が島温泉

    宮の下の東側の渓谷に展開する堂が島温泉の様子である。画面左上は宮の下の家並み、左下の建物は大和屋、中央左手の三角の屋根は夢想国師の庵、その右の滝は調べの滝、滝の右上は五段旅館、滝の右下は対星館である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐7‐0]

    商品コード: 2017080200896

  •  藤と娘たち
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    藤と娘たち

    本コレクション中に「東京亀戸の藤」(整理番号53-4)がある。本写真も同一場所と思われる。しかしここでは3人の若い女性の姿態に撮影者の意図は集中している。茶屋風の建物や堀川などに江戸の風情を残している。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐50‐0]

    商品コード: 2017080201275

  •  東京の町並み
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    東京の町並み

    川向うに 「江口商店」 の看板が見える。 手前の洋風の建物には目印が見えない。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐11‐0]

    商品コード: 2017080201038

  •  大阪の河口の風景
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    大阪の河口の風景

    川口波止場である。大阪は慶応4年(1868)7月15日に開港した。安治川河口から約4キロ上流のところに設けられ、税関・電信も設置された。写真に写っている船は外輪船である。遠くに見える洋館は、外国人居留地の建物である。明治20年(1888)ころと思われる。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐10‐0]

    商品コード: 2017082400284

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