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  •  諏訪山から神戸市街を望む
    1904年12月31日
    諏訪山から神戸市街を望む

    目録番号4949・4950と同様に、アメリカのUnderwood & Underwood が制作したステレオスコープ用の写真。諏訪山から南東を望む。麓の円塔のある建物は、明治26年 (1893) に落成した、英和女学校 (移転前の現神戸女学院) の理化学館。台紙には1904年 (明治37) に同社が版権を取得した旨の記載があるため、その間の撮影。=1904(明治37)年、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐15‐0]

    商品コード: 2017081501784

  •  水前寺公園
    1904年12月31日
    水前寺公園

    熊本の名園として知られる水前寺成趣園を撮影したものである。撮影位置は、酔月亭と呼ばれる建物の跡(明治10年西南戦争で焼失、現在はその跡に古今伝授の間が建つ)からの撮影である。飛び石に日傘をさした女性が並ぶが、お土産写真のための演出であろう。=1904(明治37)年、熊本、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐4‐0]

    商品コード: 2017081401692

  •  仁和寺を参拝する巡礼の女性たち
    1904年12月31日
    仁和寺を参拝する巡礼の女性たち

    仁和寺金堂に参拝するため石段を登って巡礼にむかう女性たちを、観音堂東側の参道から東を向いて撮影する。 女性たちは草鞋履きで荷物を背負い、大きな編み笠をかぶり、長い杖をついて歩いている。背後に建つ入母屋造の建物は水飲み場であろうか。1904年イギリス人写真家H・G・ポンティングの撮影か。=1904(明治37)年、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐39‐0]

    商品コード: 2017081501808

  •  松島
    1904年12月31日
    松島

    湾内の経ケ島(きょうがしま)付近から松島海岸を眺めた写真で、島の左には桃山建築様式であり、宮城県指定文化財の観瀾亭(かんらんてい)の建物が見える。船は真帆のチャブネである。水面のおだやかさがとても美しい。=1904(明治37)年、松島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐13‐0]

    商品コード: 2017081501565

  •  日光街道の杉並木
    1904年12月31日
    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐7‐0]

    商品コード: 2017081501610

  •  日光東照宮陽明門
    1904年12月31日
    日光東照宮陽明門

    画面中央が陽明門。日光東照宮の本殿前境内から陽明門の裏側を写している。画面左端の八乙女が立っている建物は神楽殿。ここで八乙女が神楽を舞う。写真に添えられた英文キャプションには薬師堂の文字が見えるが、この写真からは画面右奥に薬師堂の屋根だけが見える。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐60‐0]

    商品コード: 2017081401660

  •  内国勧業博覧会会場
    1903年12月31日
    内国勧業博覧会会場

    第5回博覧会では、機械館、参考館、加奈陀館、ジョーン館、台湾館等の建物が特設され、国内ばかりではなく、世界各国の最新の技術・産業が紹介された。=1903(明治36)年、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐75‐0]

    商品コード: 2017080902840

  •  大浦川中流域から東山手を望む
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    大浦川中流域から東山手を望む

    南山手26番付近から大浦および東山手の居留地を展望している。手前の大浦川左岸には空き地が目立つ。東山手の丘には12番のアメリカ領事館が見える。手前の大浦川を挟んだ対岸は角から右に29番(H・ホー商会)、左に15、14番(外国人のバー)の邸宅である。建物は和風擬洋式で、コロニアルなベランダが特徴的である。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐37‐0]

    商品コード: 2017081600952

  •  東山手12番館
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    東山手12番館

    東山手の丘の右手には明治元年(1868)に建設された東山手12番館。後にアメリカ領事館となる。その左奥は後の梅香崎女学校。坂下手前は長崎逓信管理局邸逓信生寄宿舎となる大浦28番Bの洋館。その左は幕末からある東山手15番の大型建物。その右奥は16番館(現在グラバー園横に移転)である。山手にはまだ建物がほとんど見られない。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐34‐0]

    商品コード: 2017081601051

  •  海上からの出島パノラマ組写真
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    海上からの出島パノラマ組写真

    梅香崎の長崎税関岸壁の先端あたりから撮影された出島のパノラマ組写真の左側。出島の背後には、旧長崎奉行所西役所の建物も、明治7年(1874)7月に竣工する木造の初代長崎県庁舎も見えない。コロニアルな建物や旗竿の見える旧カピタンハウスの形が明晰である。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐49‐0]

    商品コード: 2017081600960

  •  日光東照宮御水舎
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    日光東照宮御水舎

    画面中央の白い建物は元和4(1618)年に鍋島藩が奉納した花崗岩の水盤がある御水舎(おみずや)。自然の川や湧き水ではなく、境内に水盤を置いた手水所(ちょうずどころ)は、この建物が最初と言われている。水盤は幅1.2メートル、長さ2.6メートル、高さ1メートルの花崗岩。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐37‐0]

    商品コード: 2017081401126

  •  日光東照宮三猿の彫刻
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    日光東照宮三猿の彫刻

    「見ザル、言わザル、聞かザル」で知られる三猿(さんえん)は、日光東照宮の神馬の厩舎・神厩(しんきゅう)の長押(なげし)を飾る彫刻である。神厩は東照宮の中でこれだけが漆の塗られていない素木(しらき)造りの建物である。三猿の彫刻は8面あり、人生の比喩でもある。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐20‐0]

    商品コード: 2017081400828

  •  身延山久遠寺本堂
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    身延山久遠寺本堂

    山梨県南巨摩郡身延町に所在する日蓮宗総本山身延山久遠寺の祖師堂棲神閣である。棲神閣は日蓮上人尊像を奉安する建物であるが、江戸期の建物は明治8年(1875)に焼失しており、写真に写るのは明治14年(1881)に移築再建されたものである。建物周囲の状況から再建まもない頃の撮影であろう。=撮影年月日不明、山梨、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐33‐0]

    商品コード: 2017082400212

  •  宮ノ下温泉旅館
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    宮ノ下温泉旅館

    宮の下の奈良屋旅館の写真。現在も、建物と樹木は、ほぼ同じ状態で存在するが、今で は、国道一号線が樹木の間近を通っている。 奈良屋旅館は、箱根でも老舗の旅館で、明治 天皇や昭憲皇后を初め、貴賓が多く宿泊した。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号29‐4‐0]

    商品コード: 2017080902185

  •  積雪の彦根城
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    積雪の彦根城

    彦根城は、井伊直勝(直継)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成した。写真は手前に「いろは松」・「佐和口多聞櫓」、山手に「天秤櫓」、山頂に天守の順に写っている。いずれの建物も現存している。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号72‐194‐0]

    商品コード: 2017082400456

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    大仏像は高徳院の本尊で、もとは「大仏殿」とよばれた、建物の中にあったと言う。最初は木像であったが、後の建長4年(1252)深沢の里に金銅八尺の釈迦如来(阿弥陀像の誤り)を鋳始めると『吾妻鏡』にある。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐17‐0]

    商品コード: 2017080201159

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    宮ノ下富士屋ホテル

    箱根宮ノ下の富士屋ホテルは明治11(1878)年に山口仙之助が開業した。当初の建物は明治16(1883)年の宮ノ下大火で全焼している。写真の建物は明治24(1891)年に新築した本館で、唐破風の玄関が特徴的な木造洋風建築である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐2‐0]

    商品コード: 2017081401031

  •  日光街道の杉並木
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    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=撮影年月日不明、今市、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐5‐0]

    商品コード: 2017082300930

  •  皇居内濠
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    皇居内濠

    水鳥が泳ぐ壕の対岸、左手に一棟(書院?)、右手に一棟(茶室?)建物が見える。、背景には背の高い木立が見える。撮影場所の詳細は不明。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号22‐13‐0]

    商品コード: 2017080400444

  •  高鉾島
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    高鉾島

    神ノ島の高台から撮影した高鉾島。明治20年代後半(1895頃)の写真。神ノ島教会の入口付近から見ると、このようなアングルになる。現在では海岸部が埋め立てられて大きく地形が変化している。石垣の先、岬の建物のある所は、現在は神ノ島愛児園の場所。海岸には「サンパン」が係留されている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐9‐0]

    商品コード: 2017081502103

  •  真光寺の仏像
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    真光寺の仏像

    真光寺の大仏。明治中期から後期の撮影だろう。左手奥には鐘楼、右手には通用門が見える。寺は古くから時宗の霊場として信仰を集め、有名な観光名所でもあったが、昭和20年 (1945) の戦災で、一遍上人の廟所を残して建物などすべてを焼失した。現在、堂宇は再建されている。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐33‐0]

    商品コード: 2017081401053

  •  塔ノ沢温泉
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    塔ノ沢温泉

    現在の箱根観光会館跡地辺りから早川渓谷の上流を見上げた構図。正面の建物は、明治20年頃開業した新玉の湯である。塔ノ沢村の総代堀貞蔵が、玉の湯旅館を読売新聞社主子安峻に譲渡し、新たに建設したもの。左手の道は、明治20年(1887)に開通した塔ノ沢・宮ノ下間の車道で、国道一号線となった。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号89‐2‐0]

    商品コード: 2017081400880

  •  大阪城
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    大阪城

    大阪城の南側から望んだところ。左の櫓は六番櫓、右に見えるのは三番櫓と二番櫓である。六番櫓の右に見える建物は輜重兵(しちょうへい)第四小隊等の兵営である。明治20年(1888)前後と思われる。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐10‐0]

    商品コード: 2017081401333

  •  日光東照宮陽明門
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    日光東照宮陽明門

    画面中央が日光東照宮で最も有名な建物である陽明門。その奥に日光東照宮の本社がある。画面左側に鼓楼。その右下手前が釣灯籠。画面中央の右端が鼓楼と対をなす鐘楼。画面右手前に上神庫(かみじんこ)の屋根の一部が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐1‐0]

    商品コード: 2017081401474

  •  宮城野川
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    宮城野川

    現在の宮城野橋から100メートルほど下流(蕎麦屋みやび〔雅美〕付近)より見た、早川の流れと宮城野。今でも同様な大きな岩と樹群れが存在する。左端の白い大岩は現在は壊され、その位置に建物が建ち、その左横を国道138号線が走る。遠方の山は箱根外輪山の山々で、右から明神ヶ岳・火打石岳・小塚山。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐25‐0]

    商品コード: 2017081401485

  •  堀川からの谷戸橋
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    堀川からの谷戸橋

    左端は山下居留地69番館。その奥に旧ヘボン邸。煙突をもった建物がグランド・ホテル旧館。谷戸橋(明治20年に鉄橋化)を挟んで山手側には、サルダ(P.Sarda)設計のフランス領事館の付属施設が見えているので、撮影は明治29年(1896)以降。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐3‐0]

    商品コード: 2017081400745

  •  藤沢の寺
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    藤沢の寺

    藤沢にある時宗の総本山清浄光寺。清浄光寺は正中2年(1325)一遍の孫弟子遊行四代呑海の開山。建物の前にちょん髷の男と少年が立っている。=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号24‐18‐0]

    商品コード: 2017080400505

  •  神社と池
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    神社と池

    円覚寺の妙香池と塔頭正続院の暖寮(おんりょう)か。暖寮は一撃亭ともいう。正続院は早く建長寺から移したもので、左に回ると正面が舎利殿であり、舎利殿は上層は入母屋づくりで、虹梁は蝦虹梁となっているという点から右の建物がそう考えられる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号16‐47‐0]

    商品コード: 2017080201595

  •  木賀温泉
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    木賀温泉

    明治22年(1889)開通の宮ノ下・宮城野間新道が見えないので、それ以前の木賀温泉である。奥の鳥居が見えるのは薬師堂で、左が湯用院。手前が亀屋の建物群で、右端が神代楼。須沢を挟んで手前が松坂屋。左端の壁が白く見えるのが松坂屋の眺海楼。一番手前が仙石屋。右に早川と木賀の渓谷が続く。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐23‐0]

    商品コード: 2017082300962

  •  雪の建物前の男たち
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    雪の建物前の男たち

    雪の建物前の男たち=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号72‐47‐0]

    商品コード: 2017082301230

  •  日光東照宮唐銅鳥居付近
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    日光東照宮唐銅鳥居付近

    画面左端は元和4(1618)年に鍋島藩が奉納した花崗岩の水盤がある御水舎(おみずや)。その右隣の建物は輪蔵(りんぞう)で、仏教の経典を納める経蔵である。中央手前に、三代将軍家光の建てた日本初の青銅製鳥居である唐銅鳥居。右上奥に鼓楼。その右下は釣灯籠。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐6‐2]

    商品コード: 2017081002665

  •  日光東照宮唐銅鳥居からの陽明門
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    日光東照宮唐銅鳥居からの陽明門

    東照宮境内の御水舎(おみずや)の脇から唐銅鳥居をとうして陽明門を見ている。唐銅鳥居は三代将軍家光の建てた日本初の青銅製鳥居である。画面左端の建物は鼓楼。その右隣に釣灯籠を納める燈台穂屋。画面右端の建物は鐘楼。陽明門の奥が日光東照宮の本社である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐41‐0]

    商品コード: 2017081002685

  •  日光東照宮陽明門
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    日光東照宮陽明門

    陽明門の裏側を写している。日光東照宮を象徴する陽明門には、江戸時代初期の工芸・装飾技術の全てが集約されている。陽明門に施された彫刻の数は508体。一日中眺めていても飽きないことから、俗に「日暮らし門」とも呼ばれる。画面右端の建物は神輿舎(しんよしゃ)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐61‐2]

    商品コード: 2017081400643

  •  東山手から大浦天主堂を望む
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    東山手から大浦天主堂を望む

    ヴィルヘルム・ブルガーの「日本と中国」のシリーズとして外国人に販売されたもののうち「長崎の風景」のステレオカード。中央上の大木は「よんご松」と呼ばれたグラバー邸内の大松で、そばにグラバー邸の屋根が見える。大浦居留地の建物群には、まだ活気が窺える。明治初期。=1877(明治10)年頃、長崎、撮影者:ヴィルヘルム・ブルガー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐20‐0]

    商品コード: 2017082301073

  •  長崎港と中町教会
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    長崎港と中町教会

    福済寺裏山から長崎市街地北部と長崎港口を撮影。中央の赤い煉瓦の建物は明治29年(1896)旧大村藩屋敷跡に建設された中町教会。従って撮影時期は明治29年(1896)から、明治32年(1899)要塞地帯法により長崎市内の写真撮影が禁止される前までの間である。写真下部は福済寺の本堂の屋根。写真右の煉瓦の建物は煙草専売公社。写真中央の沿岸部には海側に向いた倉庫の建物が並んでいる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐33‐0]

    商品コード: 2017081401338

  •  大浦海岸通り
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    大浦海岸通り

    明治中期の大浦海岸通り(バンド)。写真右から二つ目の建物は大浦10番で、居留地の外国人社交場であった長崎クラブである。前に電信柱が見えるが、これは明治26年(1893)以降、長崎電灯株式会社が設置したものである。建物の向うの丘が東山手で、明治15年(1882)に落成したラッセル館(活水学院の本校舎)が見える。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐24‐0]

    商品コード: 2017081400987

  •  横浜税関監視課庁舎と大桟橋
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    横浜税関監視課庁舎と大桟橋

    海岸通りから見た大桟橋全景。横浜港のシンボル的存在である大桟橋は、明治22年(1889)からの第1次築港工事で建設され、同27年(1894)に完成した鉄製の海陸連絡橋。幅19m、全長730mを誇る。左の建物は同年竣工の税関監視課庁舎。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐88‐0]

    商品コード: 2017081401594

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    御所の庭園

    京都市上京区京都御苑内の北側にある。現在の建物は、何度もの火災を経て、安政度の御造営の際に、寛政度の内裏を踏襲して造られたものである。龍泉庭から築地塀ごしに御常御殿の大棟を望む。御内庭は遣水形式で8つの橋をかける。写真中央にその橋の一つが見え、築島がある。=撮影年月日不明、京都、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐15‐0]

    商品コード: 2017080200720

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    奈良の御堂

    興福寺八角堂(南円堂院)正面図と、その前に佇む人物と鹿。興福寺は天智天皇の時代に藤原鎌足病気平癒を祈って建てられた山階寺に由来するとされる。繰り返し火災等にみまわれたが、現在でも北円堂を初め、国宝指定の建物を有している。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号1‐22‐0]

    商品コード: 2017080200697

  •  芦ノ湯温泉紀伊国屋旅館
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    芦ノ湯温泉紀伊国屋旅館

    芦の湯温泉の代表的な旅館紀伊国屋で、明治中期のもの。看板に「KII-NO-KUNI-HOTEL」と見えるのが、外人客が多かったことを示す。実際、グラント元米国大統領なども泊まった。左の建物は現存する。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐19‐0]

    商品コード: 2017080200845

  •  稲佐のロシア人居留地桟橋
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    稲佐のロシア人居留地桟橋

    現在の旭町・旭大橋の進入路の下付近は、浦上村渕庄屋・志賀家の屋敷があり、「志賀の波止」と呼ばれた。左の地先の建物は諸岡マツ経営の料亭ボルガ。その手前の2階建ては、福田家の別邸で、「稲佐お栄」こと道永エイが働くことになるロシアの将校クラブ。さらに手前の大きな屋根は散使の福田家、右は庄屋の志賀家。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐19‐0]

    商品コード: 2017081601032

  •  松の森神社側から本河内を望む
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    松の森神社側から本河内を望む

    左手の松の茂みが松の森神社で、右手の町並みは新大工町である。真ん中の片淵は田んぼだらけでまだ建物がない。ここには、明治15年(1882)年から41年(1908)の間、長崎監獄が建ち、その左手には、明治38年(1905)3月に、長崎高等商業学校(現長崎大学経済学部)が建設される。新大工町右手の伊勢町中島には、上野彦馬邸の蔵と明治5年(1872)頃に建てられた新しい二階建ての白い写場が遠望される。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐6‐0]

    商品コード: 2017081600932

  •  大浦川左岸
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    大浦川左岸

    右の白い壁の建物は下り松41番で後の三栄鉄工所。煉瓦造2階建て、外壁プラスター塗り。貿易雑貨商のゼニオ・W・レエク商会。左の入母屋造、コロニアル洋館は37番のエキスプレス居酒屋。上は妙行寺の本堂と鐘堂である。和船は沖の船との連絡用。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐36‐0]

    商品コード: 2017081600969

  •  小島からの長崎医学校と唐人屋敷
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    小島からの長崎医学校と唐人屋敷

    現在の鶴鳴学園長崎女子高校下の高台あたりから、長崎医学校越しに長崎港を展望している。中央の白い建物群が長崎医学校。文久元年(1861)に小島養生所として創設され、医学校を併設して、慶応元年(1865)に精得館と改称。明治元年(1868)には長崎府医学校と改称。その後明治5年(1872)に第六大学区医学校と名前を変更し、明治7年(1874)には長崎医学校となり、明治24年(1891)浦上に移転した。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐40‐0]

    商品コード: 2017081601053

  •  出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地方面を望む
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    出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地方面を望む

    安政5年(1858)の開国条約締結直後の1862年、長崎を訪問したミルトン・ミラーが撮影した、長崎の最も古い風景写真のなかの1枚。当時出島の南側中央のオランダ商館長邸を訪問したと思われるミラーが、屋敷横の日本庭園から、第二次埋め立てが完了し建物が建ち始めた大浦居留地を遠望している。左の大きな白黒の柱はオランダ国旗の旗竿であり、右には妙行寺(当時イギリスの仮領事館)の屋根が見える。妙行寺横にはまだグラバー邸は見えない。ライデン大学に寄託されているボードウィン・コレクションにも同じ写真が存在する。=1861~62年頃か、長崎、撮影者:ミルトン・ミラー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号113‐8‐0]

    商品コード: 2017081502341

  •  飽の浦からの長崎港
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    飽の浦からの長崎港

    稲佐方面、飽の浦からの長崎のパノラマ。オリジナルは四つ切り四枚で構成されている。これはその一枚。中央右の建物は官営の長崎製鉄所。港内には蒸気船が浮かび長崎港の賑わいを示している。オリジナル写真の複写と思われる。=明治5年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号15‐34‐0]

    商品コード: 2017080201452

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    堂が島温泉

    堂が島温泉の全景である。左端の建物は大和屋。中央の滝は調べの滝。その左上が五段旅館。滝の右の建物は、東京日本橋の銀行家平松甚四郎氏の別荘で、明治末年の早川の洪水で流失した。現在は対星館となっている。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐9‐0]

    商品コード: 2017080200931

  •  諏訪神社の大鳥居
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    諏訪神社の大鳥居

    長崎の諏訪神社入口の大鳥居。整理番号1-19の写真よりは後の時期の撮影。右手の建物二階部分のヴェランダが目をひく。人物は着飾っている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号8‐12‐0]

    商品コード: 2017080201050

  •  横浜根岸台
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    横浜根岸台

    英語で「根岸、横浜」と記入されている。横浜の背後から根岸に抜ける掘割川の風景である。開削されて日が浅いために、あちこちで土がむきだしになっている。画面中央の大きな建物は工場であろうか。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐2‐0]

    商品コード: 2017080201131

  •  横浜税関
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    横浜税関

    横浜大桟橋の根本部に、明治27年(1894)に建設された。この建物は妻木頼黄により設計されたものである。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐17‐0]

    商品コード: 2017080201708

  •  日光東照宮オランダ灯篭
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    日光東照宮オランダ灯篭

    画面右がオランダ国から贈られた八角形の回転灯籠で、日光東照宮陽明門の手前にある。画面奥の中央にスタンド型の蓮灯籠。画面左の建物は鐘楼で、その手前の屋根のある4本柱に支えられた建物には朝鮮鐘が下げられている筈だが、何故かこの写真ではその鐘が見えない。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐26‐0]

    商品コード: 2017082400145

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    底倉温泉

    底倉温泉は、明治14年に大火で全焼しているので、それ以前の写真である。『箱根七湯の栞』(弘化7年)との比較で、階段の右上が万屋、その右が梅屋、さらに蔦屋で、道を挟んで手前の建物が総湯(共同湯)と分かる。=明治14年以前、箱根、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐38‐0]

    商品コード: 2017080200824

  •  日光東照宮眠猫
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    日光東照宮眠猫

    眠猫(ねむりねこ)は日光東照宮の建物に施された彫刻群の中で、最も有名な作品。作者は左甚五郎(ひだりじんごろう)と伝えられている。眠猫の彫刻は東回廊の、奥社へ続く石段の参道入口にある。眠猫の裏側には雀が遊ぶ彫刻が施されている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐74‐0]

    商品コード: 2017081400669

  •  摩耶山夫人堂
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    摩耶山夫人堂

    摩耶山忉利天上寺。中央の建物は、9世紀初期に弘法大師が唐から持ち帰った摩耶夫人 (まやぶにん) 像を安置した、夫人堂。明治30年 (1897) に神戸で刊行されたガイドブックに同じ写真があり、また、同じ写真をもとに制作したと思われる石版画が明治26年刊のガイドブックに見られるため、明治中期の撮影。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐17‐0]

    商品コード: 2017091301342

  •  甲府の市街地
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    甲府の市街地

    山梨県甲府市所在の甲府城から南側に広がる市街地を撮影した写真。手前に写る洋風の建物群は明治9年(1876)に山梨県令藤村紫朗が甲府城内に設置した勧業試験場のうち、鍛冶曲輪に建設されたブドウ酒醸造に係る建物群であることから、撮影時期は明治初期と考えられる。写真奥には甲府盆地南端の曽根丘陵および御坂山塊が見え、写真左奥には富士山を望む。=撮影年月日不明、甲府、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐46‐0]

    商品コード: 2017081401501

  •  中島川と阿弥陀橋
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    中島川と阿弥陀橋

    中島川は馬町近くで一の瀬川(本流)と堂門川(西山川)に分かれる。川の分岐点から上流に高麗橋、阿弥陀橋がある。写真は中島川に架かる阿弥陀橋で、明治20年代後半(1895頃)の撮影。向かって右岸の建物に「時計工」の字が見え、店の中に時計が並べられている。店の前に水道の共用栓があり、水道敷設後の写真であることが分かる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号106‐40‐0]

    商品コード: 2017081501891

  •  日光東照宮御水舎
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    日光東照宮御水舎

    画面中央の白い建物は元和4(1618)年に鍋島藩が奉納した花崗岩の水盤がある御水舎(おみずや)。自然の川や湧き水ではなく、境内に水盤を置いた手水所(ちょうずどころ)は、この建物が最初と言われている。御水舎の右隣は経典を納める輪蔵(経蔵)である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐38‐0]

    商品コード: 2017081401223

  •  王子滝野川の紅葉
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    王子滝野川の紅葉

    滝野川は飛鳥山の桜に対し、明治期の紅葉の名所。石神井川の末流。中央の橋の上に女性が二人、奥の岸辺に見える建物は紅葉見のためか。左右から紅葉した木々が川面にかかって影を落としている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号11‐4‐0]

    商品コード: 2017080201248

  •  宮ノ下の急流
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    宮ノ下の急流

    宮ノ下と木賀温泉の間の木賀の桟道辺りから見た早川の流れ。木の橋は、現在の早川遊歩道の東京電力川久保発電所近くの橋に相当するものと思われる。左の木陰に建物の屋根が見えるが、何に相当するか、よく分からない。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐37‐0]

    商品コード: 2017081501616

  •  日光東照宮陽明門の彫刻
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    日光東照宮陽明門の彫刻

    日光東照宮陽明門の袖塀から東西に延びる延長220メートルの回廊の南側部分を撮影したもの。南側は25枚の大彫刻で飾られている。回廊を照らし出すための燭台が、ひとつひとつの彫刻の下部に取り付けられている。奥に見える建物は鳴竜で有名な本地堂(薬師堂)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号51‐58‐2]

    商品コード: 2017081002392

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    香港海岸の建物群

    1860年代の香港の海岸通り。右手前の大きな凹形の建物はアヘン貿易で莫大な利益をあげたデント商会。左奥には香港に現存する最古の教会堂である聖ヨハネ主教座堂の先端が見えている。この通りには香港上海銀行の最初のオフィスやジャーディン・マセソン商会もあり、香港における商業・金融の中心であった。金星太陽面通過観測フランス隊の一行は、1874年8月16日にマルセイユを出港し、日本に向かう途中の9月20日頃、香港に寄港した。=撮影年月日不明、香港、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐46‐0]

    商品コード: 2017081501883

  •  石山寺
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    石山寺

    石山寺(いしやまでら)境内の本堂正面から撮影したもの。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。瓦葺の建物(蓮如堂)の奥にみえるのが本堂で、承暦2年(1096)に焼失した後、再建された。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐42‐0]

    商品コード: 2017082301139

  •  茂木
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    茂木

    整理番号8-17と同じアングルの写真であるが、潮は満潮である。時代が少し後のものであり、岬の先端に新しい建物が建てられている。明治25(1892)頃築かれる桟橋はまだ見えない。通りは旧街道になる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐25‐0]

    商品コード: 2017080400450

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601606

  •  善光寺本堂
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    善光寺本堂

    善光寺の堂塔伽藍は8回も焼失し、現存する本堂は宝永4年(1707)の再建である。間口23.7m、奥行52.8mで、日本における木造建築としては、東大寺の大仏殿、京都の三十三間堂に次ぐ建坪をもっている。建物の高さは28m。明治10年代山門の上から撮られた本堂が現在と違う点は、回廊の勾欄(こうらん・欄干)に朱が塗ってあったことである。=撮影年月日不明、長野、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐13‐0]

    商品コード: 2017080201330

  •  葬列
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    葬列

    幟に「故石橋老母喜久」とあるものの、誰の葬式かわからないのは残念である。しかし、彩色などは巧みである。建物等から東京か関西辺りで撮影されたものと思われる。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号51‐127‐0]

    商品コード: 2017081002509

  •  石山寺境内の茶店
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    石山寺境内の茶店

    石山寺境内の茶店の賑わいを撮影する。境内内には屋根付きの茶店の中に縁台が設けられ、大勢の女性が縁台に座って飲食に興じている様子。犬や子供達の姿も見える。同地は高台に建ち、眼下に景色の眺望を楽しめる場所に位置する。左の一段高くなった建物は月見亭。縁台には煙草盆が置かれる。右奥に多宝塔の一部が見える。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐118‐0]

    商品コード: 2017080902932

  •  湯本温泉
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    湯本温泉

    湯本温泉街の中央白亜の建物福住旅館に明治10年(1877)建設の金泉楼、明治11年(1878)竣工の萬翠楼が見え、その右の早川に明治18年(1885)9月新設の木製トラス製以前の古い旭橋が見えるので、明治11年から18年の間の撮影である。手前の川は須雲川、左手の山は湯坂山。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐21‐0]

    商品コード: 2017081401306

  •  教会の建物
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    教会の建物

    教会の建物=撮影年月日不明、清国、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐47‐0]

    商品コード: 2017080902906

  •  横須賀造船所
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    横須賀造船所

    慶応元年(1865)に幕府が建設した横浜製鉄所は、明治維新によって明治政府に接収され、第一ドックが完成した明治4年(1871)に横須賀造船所と改称された。造船所の建物群。=撮影年月日不明、横須賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐28‐0]

    商品コード: 2017080902443

  •  温室と男性たち
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    温室と男性たち

    農業試験所あるいは薬草園の温室か。ペンキで塗った木造でガラス張りの真新しい建物である。男たち二人はここの研究員もしくは管理者であろうか。休日らしい出で立ちに見うけられる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号72‐17‐0]

    商品コード: 2017082301196

  •  宮ノ下富士屋ホテル
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    宮ノ下富士屋ホテル

    富士屋ホテルの写真。建物の有無から、明治25(1892)から27年(1894)頃と判断される。奈良屋旅館と外人客の獲得を争い、協定を結び、外国人は富士屋ホテルに宿泊することになった。これも外人客の撮影であろう。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐6‐0]

    商品コード: 2017080902069

  •  下諏訪
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    下諏訪

    中山道と甲州街道の合流地点を甲州街道側から中山道江戸方面を撮影したもの。道の両側に立ち並ぶ建物のいくつかは、紋章を付した看板を掲げている。左に映る桔梗屋、まるやは現在も下諏訪温泉で旅館を営んでいる。写真下に見える梯子の影は、整理番号38-39の中央に見える梯子の影。=撮影年月日不明、長野、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐15‐0]

    商品コード: 2017080902130

  •  小島付近墓地からの市街地
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    小島付近墓地からの市街地

    長崎の正覚寺の右上、小島郷のどんの山の墓地付近から長崎の市内中央を望む。右の丘の寺は清水寺、写真中央左の建物は、ポンペの建設した養生所で長崎医学校の前身。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐27‐0]

    商品コード: 2017080902095

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    明治初期の撮影か。台座前方には二つの大きな平石が写る。像左横には目録番号3997と同じ簡素な建物があるが銅造蓮弁(れんべん)がないので、3997よりやや下がった時期の撮影と思われる。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号69‐44‐0]

    商品コード: 2017082800617

  •  浅草公園凌雲閣
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    浅草公園凌雲閣

    浅草公園凌雲閣=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号116‐40‐0]

    商品コード: 2017081502395

  •  堂が島温泉
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    堂が島温泉

    堂ヶ島温泉の眺望で、建物は手前から近江屋、道を挟んで大和屋、その先が丸屋、次が江戸屋。 階段の上のお堂は山居山。その向こうが奈良屋。左の滝は調べの滝。平松別荘がまだないので、明治20年(1887)以前の撮影である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐41‐0]

    商品コード: 2017082300974

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    画面には‘9. DAIBUTSU, KAMAKURA'とある。像前方2基の平石は旧大仏殿の礎石だろうか。また、像右側に植わるソテツの奥に、茅葺(かやぶき)と思える簡素な建物が写っている。撮影年代等は未詳。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐9‐0]

    商品コード: 2017081400731

  •  日光東照宮陽明門
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    日光東照宮陽明門

    陽明門の裏側を写している。日光東照宮を象徴する陽明門には、江戸時代初期の工芸・装飾技術の全てが集約されている。陽明門に施された彫刻の数は508体。一日中眺めていても飽きないことから、俗に「日暮らし門」とも呼ばれる。画面左奥の建物は神楽殿(かぐらでん)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐12‐0]

    商品コード: 2017081400941

  •  木賀温泉
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    木賀温泉

    木賀温泉の亀屋周辺の様子。亀屋の三層の建物神代楼が中央に見える。また、明治22年(1889)開通の宮ノ下・宮城野間の新道に向いた亀屋の玄関が望まれるので、明治22年から、木賀温泉街が大火で焼失する明治25年(1892)までの撮影である。右に早川が流れ、箱根外輪山明神ヶ岳 も遠望できる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐20‐0]

    商品コード: 2017081401341

  •  日光東照宮唐銅鳥居付近
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    日光東照宮唐銅鳥居付近

    東照宮境内の御水舎(おみずや)の脇に建つ唐銅鳥居をとうして陽明門を見ている。唐銅鳥居は三代将軍家光の建てた日本初の青銅製鳥居である。画面左端の建物は鼓楼。その右隣に釣灯籠を納める燈台穂屋。陽明門の奥に唐門の一部が覗ける。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐38‐0]

    商品コード: 2017081400896

  •  日光東照宮御水舎
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    日光東照宮御水舎

    画面中央の白い建物は元和4(1618)年に鍋島藩が奉納した花崗岩の水盤がある御水舎(おみずや)。その右隣は経典を納める輪蔵(経蔵)。右手前は三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。日本で最初の青銅製鳥居である。唐銅鳥居をくぐり、石段を上ると陽明門の前に出る。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐10‐0]

    商品コード: 2017081400793

  •  高鉾島
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    高鉾島

    明治中期(1887)頃の手彩色の写真。神ノ島の先端の高台、現在の神ノ島教会敷地付近から見た、高鉾島。神ノ島の漁村建物一部と和船が撮影されている。外国人に殉教の島と知られた、パッペンベルグ(PAPENBERG)島の記述がある。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐19‐0]

    商品コード: 2017081401042

  •  江ノ島神社の鳥居
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    江ノ島神社の鳥居

    撮影者未詳。江島神社の青銅鳥居?(現存)後方には看板があって、「ゑびすや茂八」と書かれている。「ゑびすや」は江戸時代から今に続く老舗(しにせ)の旅館で、鳥居左側の建物群は明治27年(1894)刊『日本博覧図』所収「一等旅館恵比寿楼」銅版図から、同旅館の「本店」「土蔵」「上段ノ間」等と推定できる。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐2‐0]

    商品コード: 2017081501773

  •  中島川一の瀬橋
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    中島川一の瀬橋

    中島川上流の蛍茶屋に架かる石橋、一の瀬橋をベアトが撮影したものである。左手の建物は茶屋。旅人はこの茶屋で休憩したのち後、日見峠に向けて左折して長崎街道へと向かった。この橋の写真としては最古のものである。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐24‐0]

    商品コード: 2017080902062

  •  外国人居留地と港
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    外国人居留地と港

    手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐66‐0]

    商品コード: 2017082300975

  •  藤沢清浄光寺山門
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    藤沢清浄光寺山門

    正面に門があり、石畳が奥まで続いている。道の右側の白壁の建物には桶が並べられている。(整理番号37-4と同じ)=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐80‐0]

    商品コード: 2017080902335

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601570

  •  長崎市街中心部
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    長崎市街中心部

    風頭から撮られた長崎の旧市街と港の光景である。対岸は稲佐。町並みの中心部分に左上がりに中島川が写っている。川の石橋群も見ることができる。写真中央の白い建物は師範学校や小学校。整理番号21-6 の写真の複製と思われる。=1879(明治12)年頃、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐4‐0]

    商品コード: 2017080201731

  •  中禅寺湖
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    中禅寺湖

    二荒山神社中宮祠の境内から中禅寺湖を眺める。手前の二つの建物は行者小屋である。行者小屋は男体山(なんたいさん)に登る信者たちの宿舎であった。信者たちは、この行者小屋に寝泊りしながら、中禅寺湖で禊をして、男体山の頂を目指した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐7‐0]

    商品コード: 2017081400719

  •  横浜税関監視課庁舎と大桟橋
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    横浜税関監視課庁舎と大桟橋

    海岸通りから見た大桟橋全景。横浜港のシンボル的存在である大桟橋は、明治22年(1889)からの第1次築港工事で建設され、同27年(1894)に完成した鉄製の海陸連絡橋。幅19m、全長730mを誇る。左の建物は同年竣工の税関監視課庁舎。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐9‐0]

    商品コード: 2017081401292

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    画面には‘L19 DAI BUTSU(A)'の印字がある。像の左は目録番号3375と同じ建物で、台座の右下には大きな平石が3基並んでいる。また、台座正面にある銅製前机(まえづくえ)の下には瓦が数枚積まれている。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐18‐0]

    商品コード: 2017081501735

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    ‘Daibutsu Kamakura.'とある。銅造蓮弁(れんべん)が写るが、目録番号2747と同じ像左横の建物は朽ちており、2747よりも遅れた明治初期の撮影と思われる。また、蓮弁は享保21年(1736)に4枚鋳造されたと史料に見える。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐30‐0]

    商品コード: 2017081501729

  •  遊廓
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    遊廓

    右手の建物の1階が張見世になっているので妓楼だと思われるが、左側の建物は旅館のような造りになっている。詳細は不明。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐1‐0]

    商品コード: 2017081400950

  •  山手谷戸坂からのグランドホテル
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    山手谷戸坂からのグランドホテル

    中央の建物はグランド・ホテル旧館。左奥にはサルダ(P.Sarda)設計の新館(明治20年竣工)が見える。旧館左の大きな和風屋根は旧ヘボン邸。谷戸橋の手前に広がる敷地には、のちに(同29年)同じくサルダの設計によりフランス領事館が竣工する。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐2‐0]

    商品コード: 2017081400952

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐33‐0]

    商品コード: 2017081501781

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    鶴岡八幡宮の蓮池

    撮影年代未詳。‘A B6 LOTUS POND AT KAMAKURA'の印字がある。東から石橋を望んだ景で、向かって左の建物の先に三の鳥居がある。石橋は江戸期の風土記や絵図に「赤橋(あかはし)」とあり、その奥には「新橋」という木橋が架かる。この赤橋は大正12年(1923)の大震災で崩壊した。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐40‐0]

    商品コード: 2017081401003

  •  野毛山から見た横浜
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    野毛山から見た横浜

    山裾は野毛町、長屋造りの大きな建物は神奈川奉行所の役宅(官舎)である。対岸の町並は太田屋新田の堤の上にできた入船町、左手の弁天の森にも役宅がある。その右手に横浜町の町並が広がっている。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐13‐0]

    商品コード: 2017081501649

  •  和船
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    和船

    紀ノ川河口に位置する和歌山市は、中世では紀伊湊と呼ばれたように、海路と河川交通の中継地であった。中州の鼠島付近と思われる場所に、多くの和船が繋留されている。対岸に見えるのが和泉山脈で、右の小山の上に見える建物は和歌山城であろう。=撮影年月日不明、和歌山、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐71‐0]

    商品コード: 2017081400642

  •  日光東照宮の上神庫と唐銅鳥居
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    日光東照宮の上神庫と唐銅鳥居

    画面右の上神庫は校倉造りを模した建物で百物揃千人行列の装束など祭礼道具を納めている。画面左端は鍋島藩が奉納した御水舎(おみずや)。その右が三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。日本初の青銅製鳥居である。その奥の二層屋根は経典を納める輪蔵(りんぞう)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号62‐6‐0]

    商品コード: 2017082300970

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