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  •  猪頭弁天
    1913年12月31日
    猪頭弁天

    写真裏面に「府下猪頭弁天大正二年秋九月之写」とある。江戸の水道の源である井の頭であろう。水源保護のため井の頭池の周囲には多くの樹木が植えられた。井之頭弁財天は井の頭池の西に浮かぶ小さな中之島にある。大正時代の絵葉書が手元にあるが、井之頭弁才天は立派な茅葺屋根で、池も写っている。本写真は池もなく家も質素で弁財天ではない。弁財天附近の茶店であろうか。=1913(大正2)年、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号72‐23‐0]

    商品コード: 2017082301199

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    芝増上寺

    増上寺は慶長3年(1598)に江戸貝塚(現千代田区紀尾井町)から芝に移り、慶長10年(1605)頃造営された本堂。本写真の本堂は当時のもの。関東浄土宗の首座として幕府の庇護を受け、徳川家菩提寺だったことで、屋根の大棟の前後に金葵紋が5つずつ施されている。明治6年(1873)12月に放火により焼失。明治23年(1890)再建されるも、明治42年(1909)4月に浮浪者の焚き火で焼失。大正11年(1922)再々建の本堂も昭和20年(1945)の空襲で焼失する。現在の本堂は昭和49年(1974)年の建立。=撮影年月日不明、東京、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐27‐0]

    商品コード: 2017081401128

  •  境内の鹿
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    境内の鹿

    春日社の神鹿として保護されてきた奈良の鹿は、人を恐れることなく、被写体の前をも悠然と横切っていく。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐134‐0]

    商品コード: 2017080902941

  •  春日大社参道の鹿
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    春日大社参道の鹿

    春日大社の祭神のひとつである武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿島より鹿に乗って奈良に訪れたという伝承により、古来より奈良の鹿は神の使いとして保護されてきた。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐36‐0]

    商品コード: 2017080902724

  •  日光大猷院本殿・拝殿
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    日光大猷院本殿・拝殿

    日光の大猷院本殿を皇嘉門奥の石垣上から撮影している。重層入母屋造の本殿の前には相の間があり、拝殿と連結している。いわゆる権現造りである。厳冬に備えてあろうか壁面四方が保護されている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐36‐0]

    商品コード: 2017080902344

  •  春日大社参道の鹿
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    春日大社参道の鹿

    古来より神の使いとして保護されてきた奈良公園の鹿は現在約1200頭を数える。毎年10月におこなわれる「鹿の角きり」は、奈良の秋の風物詩である。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐122‐0]

    商品コード: 2017080902935

  •  御殿場からの富士山
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    御殿場からの富士山

    明治時代まで陸上輸送の主たる手段は馬であった。日本の馬は、西洋の馬と比べて小柄で格好も悪かったが、力はあったという。当時、日本の馬はまだ蹄鉄をつけず、蹄の保護のため藁沓(わらぐつ)を履かされていた。菅のように見える積み荷の詳細は不明。=撮影年月日不明、御殿場、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号4‐15‐0]

    商品コード: 2017080200809

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