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2017080201822
「長崎大学附属図書館」「古写真」 下関海峡 元治元年(1864)8月、英、米、仏、蘭からなる連合艦隊は下関沖に投錨、長州藩の砲台や弾薬庫を攻撃した。長州藩は3日後には休戦を申し入れた。二人の白人はこの事件を回顧してこの下関海峡を望む砲台跡に立っていると思われる。=1971(昭和46)年、下関、撮影者:THE FAR EAST、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号19‐19‐0]
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2017082800553
「長崎大学附属図書館」「古写真」 イギリス公使館高輪東禅寺山門 安政6年(1861)東禅寺はイギリス公使館になり、初代駐日イギリス公使としてオ-ルコック(Sir Rutherford Alcock)が駐在した。文久元年(1861)5月28日に、攘夷派の水戸浪士に襲われ双方が死者や怪我人をだしている(東禅寺事件)。今も奥書院や玄関に弾痕や刀傷が残っている。3421と同じ時撮影のステレオ写真。=1859(安政6)年、東京、撮影者:ピエール・ロシエ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐6‐0]
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2018022600144
「イマジンネット画廊」「古写真」 日比谷焼き打ち事件 キーワード:焼き打ちにあった京橋分署の交番、ポーツマス条約、反対、国民集会、暴動化=1905(明治38)年9年5日頃、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
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2017111500350
「イマジンネット画廊」「古写真」 生麦事件の現場 キーワード:東海道、生麦事件の現場、現在の横浜市鶴見区生麦=明治初期、撮影場所不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
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2017080200784
「長崎大学附属図書館」「古写真」 飽の浦恵美須神社 釛山恵美須神社と称する。写真では神社の裏から長崎港、対岸を望んでいる。現在は三菱の工場のため眺望は遮られている。フェートン号事件の際には長崎奉行の御用所に指定された。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐2‐0]
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2017080200726
「長崎大学附属図書館」「古写真」 宮ノ下富士屋ホテル 明治16年の大火後、徐々に復興されたが、明治24年に本格的に再建されて、まもなくの富士屋ホテル本館の写真である。露国皇太子の宿泊に間に合わせるため急ピッチで整備されたが、大津事件で実現しなかった。=明治24年5月以降、箱根、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号1‐42‐0]
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2017082400723
「長崎大学附属図書館」「古写真」 神奈川台町の関門 ODAWARAとの書き込みがあるが、実際は神奈川台町の関門。外国人殺傷事件が相次いだことを受けて、警備体制の強化のために幕府が設置したもの。神奈川では東西の二箇所に設置された。写真は左手が海側。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐16‐0]
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2017081401634
「長崎大学附属図書館」「古写真」 華厳滝 那智滝(和歌山県)、袋田滝(茨城県)とともに日本の三大名瀑のひとつである。華厳滝の高さは97メートル。明治33(1900)年に地元に住む星野五郎平が滝壷近くへ通じる道を開拓し五郎平茶屋を開いた。明治36(1903)年、この滝で藤村操が自殺した事件は有名である。=1877(明治10)年頃、日光、撮影者:F.ベアト/スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐76‐0]
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2017082301057
「長崎大学附属図書館」「古写真」 根岸の茶店 元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの根岸村にあった茶屋だと思われるが詳細は不明である。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐43‐0]
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2019010401991
「イマジンネット画廊」「古写真」「そこにあった江戸」 遣米使と米国高官、州知事の面談が行われているシティーホール前 遣米使と米国高官、州知事の面談が行われているシティーホール前=1860年6月18日、アメリカ、「E. Anthony 」掲載、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
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2018022600166
「イマジンネット画廊」「古写真」 日比谷公園交番焼き打ち キーワード:日比谷焼打事件、焼き打ちにあった日比谷公園交番、日比谷公園交番焼打址、残がいが残っている、ポーツマス条約、反対、国民集会、暴動化=1905(明治38)年9年5日頃、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
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2018020901246
「イマジンネット画廊」「古写真」 常陸丸事件 キーワード:輸送船常陸丸(ひたちまる)事件、日本橋、日露戦争、輸送船常陸丸(ひたちまる)沈没による犠牲者の葬列、白い軍服の日本兵たちの後ろに神官が歩いている、ステレオ写真=1904(明治37)年、東京、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
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2017080201881
「長崎大学附属図書館」「古写真」 谷中天王寺五重塔 幸田露伴『五重塔』にも描かれた天台宗天王寺の墓地。手前に人力車、その向こうにあるのは荷車か。道沿いに松や桜が並んでいる。五重塔は昭和32年心中放火事件のため消失。現在は礎石のみが残る。徳川慶喜の墓がある。=撮影年月日不明、東京、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐20‐0]
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2017081502097
「長崎大学附属図書館」「古写真」 飽の浦恵美須神社 写真には「浪の平」とあるが、飽の浦の恵美須神社である。恵美須町(現・長崎駅付近)から寛永10年(1633)、小柳五郎佐衛門道長が稲佐の「瀬ノ脇村」のこの地に移転した。フェートン号事件の時に奉行松平図書守の御用場所となる。明治維新後、稲佐神社と改称したが、昭和12年(1937)に創立時の呼称が復活。鳥居の下まで海岸が迫って、漁家が建ち並び、港内から対岸を見渡せる景勝地であった。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐34‐0]
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2018122022985
「イマジンネット画廊」「古写真」「そこにあった江戸」 横浜 生麦事件の現場 横浜、生麦事件の現場=幕末、横浜、撮影者:フレデリック・サットン、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
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2018040900564
「長崎大学附属図書館」「古写真」 晒首 「壬申(明治4年)三月」の高札の年次が読めるが、これは神奈川裁判所が管内で起こった薬物を用いた殺人事件の犯人を晒首の情景である。この1枚は1876(明治6)年にスティルフリードが刊行したアルバムのなかに収載されている。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号76-42] ※データベース非公開画像です。閲覧希望の際は、お問い合わせください。
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2017080902411
「長崎大学附属図書館」「古写真」 鎌倉事件の現場 ボールドウィン少佐たちが殺害された現場。藁葺の家が2軒あり、家の前にひとりの男が立っている。左の家の縁台には数人の人が腰をかけている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号36‐15‐0]
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2017080902244
「長崎大学附属図書館」「古写真」 生麦事件の現場 F.ベアトアルバムの写真である。文久2年8月21日(1862.9.14)に起こった、生麦事件の現場である。東海道生麦村、現在の横浜市鶴見区生麦である。=撮影年月日不明、神奈川、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号36‐16‐0]