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「尾大地震」の写真・グラフィックス・映像

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    濃尾大地震(根尾村水鳥谷出現の湖)

    濃尾地震では、山崩れや地盤の陥落によって川がせき止められ、写真のような池が各所にできた。そのため、根尾谷では水が溢れ、住民は高所高所へと避難したという。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐20‐0]

    商品コード: 2017080902436

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    濃尾大地震(海老島村の堤防)

    濃尾大地震によって損壊した、名古屋市付近の村(キャプションの「海老島」は該当なし)の堤防。この地震の被害は甚大で、住居の全壊85,848戸、死者7,469人に及んだ。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐5‐0]

    商品コード: 2017080902527

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    濃尾大地震(根尾谷の土石流)

    濃尾地震の被害で、山崩れは1万箇所以上に上っている。根尾谷村では、道路が寸断され、交通が遮断された。そのため、生活物資の高騰が著しく、「塩一俵の価八十銭」(11月5日岐阜日々)にもなったという。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐17‐0]

    商品コード: 2017080902481

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    濃尾大地震(根尾村水鳥谷の断層)

    濃尾地震は、明治24年(1891年)10月28日6時37分、岐阜県根尾村水鳥(みどり)付近を震源に発生した。マグニチュード8の巨大地震であった。この際、根尾谷には延長約100kmにわたって高さ約3mの断層を生じた。昭和27年、この断層は国の天然記念物に指定された。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐18‐0]

    商品コード: 2017080902434

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    濃尾大地震(熱田付近の紡績工場)

    明治24年(1891)の濃尾大地震によって倒壊した、名古屋市熱田区にある紡績工場。この区域には明治期以降近代的工場が進出し、この尾張紡績(明治20年設立)を初め、車両工場、兵器製作所などが活動していた。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐2‐0]

    商品コード: 2017080902451

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    濃尾大地震(長良川堤防)

    明治24年の濃尾地震は、マグニチュード8.4に及ぶ強烈なものであった。名古屋から福井方面にかけて、150kmに渡って地面が割れ動いたという。本写真に見られるように、長良川堤防にも長い亀裂が走った。=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐10‐0]

    商品コード: 2017080902419

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    濃尾大地震(根尾村水鳥谷倒壊寺院)

    濃尾地震の震源地、根尾谷村の水鳥にあった寺院の倒壊した模様。地震の規模はマグニチュード8.0(理科年表による)、瞬時の倒壊であったろう。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐19‐0]

    商品コード: 2017080902435

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    濃尾大地震(東海道本線長良川鉄橋)

    濃尾地震により崩壊した長良川鉄橋である。5スパンある内の3スパンが落橋した。この鉄橋は英人C. A. W. ポナール(C. A. W. Pownall) により設計され、明治21年(1888年)1月に架設された。当時のわが国が誇る最大級の鉄道橋であった。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐1‐0]

    商品コード: 2017080902607

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    濃尾大地震(一の宮)

    濃尾地震で倒壊した家の前に粗末な小屋を建てて風雨をしのいでいる親子。その前には、茶碗、水桶、釜などが置かれているのが見て取れる。震災後数日の様子であろうか=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐8‐0]

    商品コード: 2017080902608

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    濃尾大地震(根尾谷金原円勝寺倒壊)

    濃尾地震の震源地、根尾谷村の金原にあった寺院の倒壊した模様。地震の規模はマグニチュード8.0(理科年表による)、仙台以南の全国で揺れを感じたという。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐15‐0]

    商品コード: 2017080902392

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    濃尾大地震(北方町)

    震源に近いの岐阜県本巣郡北方町の惨状。11月1日付け「岐阜日々」によると、「本巣郡において、倒家数千戸、北方町の中字中町全潰、その他各町倒家なきはなく、死者数百名に上る」という。写真は西方から東方(岐阜方面)を望んで撮ったもの。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐13‐0]

    商品コード: 2017080902620

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    濃尾大地震(大垣川の倒壊家屋)

    大垣の市中を流れる川(水門川か)に倒壊した家屋。大垣では地震後大火が発生し、市中の7割を焼失したという。潰家の下にあって悲痛の声を発していた負傷者の多くが、この大火で焼亡した。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐14‐0]

    商品コード: 2017080902619

  •  濃尾大地震(根尾谷金原の断層)
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    濃尾大地震(根尾谷金原の断層)

    向こうの山の斜面が崩壊し、手前の収穫前の田がえぐられている。「田は或いは陥り或いは裂けたるため、地盤の不均一なるのみか水を保つべからざるより、来年に至ってはとても田作の見込みなく」と新聞(11月5日岐阜日々)は伝えている。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐16‐0]

    商品コード: 2017080902390

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    濃尾大地震(大垣若森村)

    11月1日付けの「岐阜日々」(号外)によると、大垣では「人家九分通りくだけ、四方より発火して七分を焼失す」とあり、全市焼失の被害を受けた模様。大垣の被害について、11月6日「時事」は、家屋全潰3,356、同半潰962、死亡789、負傷者1,270、火災数1,473と伝えている。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐7‐0]

    商品コード: 2017080902400

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    濃尾大地震(枇杷島橋)

    明治24年(1891)の濃尾大地震によって倒壊した、名古屋市枇杷島にある橋。枇杷島は名古屋城下町の成立直後から青物市場として栄え、さまざまな物資が取り引きされてきた場所である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐4‐0]

    商品コード: 2017080902471

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    濃尾大地震(郵便局)

    明治24年(1891)の濃尾大地震で倒壊した、名古屋にある電信郵便局と、それを見つめる人々。建物の惨状が、マグニチュード8.4という大地震のすさまじさを如実に物語っている。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐3‐0]

    商品コード: 2017080902606

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    濃尾大地震(奥村の救護所)

    明治24年(1891)10月28日早朝に起きた濃尾地震の被災者たち。広場にて米や水などが支給されているところであろう。=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐23‐0]

    商品コード: 2017080902506

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    濃尾大地震

    明治24年(1891)、濃尾地方を震源としたマグニチュード8.4の地震が発生した。日本陸域の地震では最大で、世界的にも巨大地震であった。日本の近代的な地震学の原点になった地震であった。巨大な断層、根尾谷断層が発生したことで有名。写真は詳細な岐阜県内の寺院の被害の状況。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐43‐0]

    商品コード: 2017081401603

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    濃尾大地震(崩壊した村落)

    濃尾地震の被害は、全国で、建物全壊142,177戸、半壊18,184戸、死者7,273人に達した。被害の地域は、岐阜、愛知、福井、石川、滋賀、三重の6県に及んだ。この地震を契機に、わが国の地震学の研究が始まった。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐11‐0]

    商品コード: 2017080902378

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    濃尾大地震(笠松村)

    笠松村は現在岐阜県羽島郡笠松町。町の規模の割に、大きな被害を出しており、当時の新聞報道でも、被害の大きさが早くから報じられている。11月6日「時事」によると、家屋全潰555、同半潰29、死亡205、負傷者382、火災数547と伝えている。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐12‐0]

    商品コード: 2017080902479

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    濃尾大地震(一の宮村)

    明治24年の濃尾地震により損壊した一宮地域(濃尾平野西部)の家屋と地面。中央には呆然とたたずむ人影。この地震は内陸部のものとしては日本最大級で、道路や堤防の破損決壊、山崩れなどが多く生じた。=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐6‐0]

    商品コード: 2017080902537

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    濃尾大地震(死亡者)

    倒壊家屋の下敷きになり死亡した人。濃尾地震による死者は全国で7,273人であるが、そのうち美濃で4,889人、尾張で2,331人に上った。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐22‐0]

    商品コード: 2017080902406

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    濃尾大地震

    濃尾大地震=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐12‐0]

    商品コード: 2017081400634

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    濃尾大地震(黒田村)

    明治24年(1891)10月28日に起きた濃尾地震直後の惨状。強い揺れによって柱が倒れ、茅葺き屋根が家全体を押しつぶしている。写真中央には、一命を取り留めた母子が呆然とたたずんでいる。=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐9‐0]

    商品コード: 2017080902407

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    濃尾大地震(根尾村天神堂の陥没)

    天神堂は水鳥から5kmほど上流に行ったところ。写真のキャプションによると、水準から30フィート陥没したとある。倒壊した家屋、それを見つめる家族。このような光景が各地で見られた。根尾谷での被害は、総戸数715のうち倒壊675、総人口3,346のうち死者142、負傷290であった。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐21‐0]

    商品コード: 2017080902429

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    濃尾大地震(奥村の救護所)

    地震により負傷した人々が、テントの下で応急処置を受けている場面。負傷者はほとんど女性のようである。おそらく地震直後であろう。=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐24‐0]

    商品コード: 2017080902457

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