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「長崎大学附属図書館 古写真」の写真・グラフィックス・映像

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    1923年09月01日
    横浜大震災

    大正12年(1923)9月1日、関東地震が発生した。この写真は横浜の被害を撮影した災害写真の絵はがきである。伊勢佐木町警察署跡の惨状。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐28‐0]

    商品コード: 2018020801067

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    1923年09月01日
    横浜大震災

    大正12年(1923)9月1日、関東地震が発生した。この写真は横浜の被害を撮影した災害写真の絵はがきである。横浜神奈川県庁と税関消失の光景。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐26‐0]

    商品コード: 2018020801062

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    1923年09月01日
    横浜大震災

    大正12年(1923)9月1日、関東地震が発生した。この写真は横浜の被害を撮影した災害写真の絵はがきである。横浜桟橋崩壊後の猛火=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐30‐0]

    商品コード: 2018020801065

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    1923年09月01日
    横浜大震災

    大正12年(1923)9月1日、関東地震が発生した。この写真は横浜の被害を撮影した災害写真の絵はがきである。横浜正金銀行猛火に包まれた実況=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐31‐0]

    商品コード: 2018020801069

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    1923年09月01日
    横浜大震災

    大正12年(1923)9月1日、関東地震が発生した。この写真は横浜の被害を撮影した災害写真の絵はがきである。警察部付近より記念会館の猛火につつまれた実況。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐27‐0]

    商品コード: 2018020801063

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
    1904年12月31日
    日光憾満ガ淵の百地蔵

    「並(ならび)地蔵」「化(ばけ)地蔵」「百地蔵」などの呼び名で知られる大谷川の名所「憾満ガ淵(かんまんがふち)」。「含満ガ淵(がんまんがふち)」とも呼ばれる。明治35(1902)年の大水害で、並地蔵の多くが流失または破壊されるなどの大きな被害を受けた。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐59‐0]

    商品コード: 2017081401708

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    1904年12月31日
    松島湾の奇岩

    湾内でも有名な海食洞であった材木島の壮大な姿で、松島湾の成り立ちを堆積層によって証明できる。しかし、昭和44年(1969)の地震でアーチ部分が崩落し、昭和53年(1978)には宮城県沖地震で脚部も崩壊し、現在はその面影さえも無い。=1904(明治37)年、松島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐54‐0]

    商品コード: 2017081401690

  •  大谷川の神橋
    1904年12月31日
    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。右手に電柱が見える。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐9‐0]

    商品コード: 2017081501538

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    1904年12月31日
    浅間山の噴火

    浅間山は三重式のコニーデ火山である。釜山(かまやま)と呼ばれる中央火口丘(2568m)の縁で、立ちのぼる噴煙を撮影している研究者とサポーターの姿が写真にとられている。浅間山の噴火記録は明治19年(1886)以降しかないが、この写真は明治37年(1904)にとられており、浅間山の活動が比較的安定した明治後期(明治27-41年・1894~1908)に当たっている。=1904(明治37)年、長野、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐61‐0]

    商品コード: 2017081401663

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
    1902年12月31日
    日光憾満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵の百地蔵のほとんどが健在で、 奥正面に親地蔵が小さく写っている。 川端と大木の間に白い林羅山の碑がある。 明治35年の水害で百地蔵の一部と親地蔵と林羅山の碑は流失した。=明治35年以前、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号11‐16‐0]

    商品コード: 2017080201281

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
    1902年12月31日
    日光憾満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵は大谷川の激流が男体山の溶岩を浸蝕して生じた淵である。 この地に百地蔵がある。 渦巻く激流のほとりにあった茶屋は並び地蔵の一部と親地蔵と共に明治35年の水害で流失した。 並び地蔵におまいりしている人がいる。=明治35年以前、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号7‐11‐0]

    商品コード: 2017080201011

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
    1902年12月31日
    日光憾満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵は大谷川の激流が男体山の溶岩を浸蝕して生じた淵である。 この地に百地蔵がある。 渦巻く激流のほとりにあった茶屋は並び地蔵の一部と親地蔵と共に明治35年の水害で流失した。 茶屋の人がお茶を運んでいる。=明治35年以前、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐19‐0]

    商品コード: 2017080201137

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
    1902年12月31日
    日光憾満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵は大谷川の激流が男体山の溶岩を浸蝕して生じた淵である。 この地に百地蔵がある。 並び地蔵のほとんどが健在であり列座先頭の親地蔵が正面を向いて写っている。 明治35年の水害で並び地蔵の多くと親地蔵が流失した。=明治35年以前、日光、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐40‐0]

    商品コード: 2017080200777

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    横浜大震災

    大正12年(1923)9月1日、関東地震が発生した。この写真は横浜の被害を撮影した災害写真の絵はがきである。横浜グランドホテル破壊の実況=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐34‐0]

    商品コード: 2017080201838

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    火の見櫓前に勢揃いした火消組

    鍛冶橋警視庁火の見櫓前である。火事の消化は警視庁消防本部の仕事だった。明治になり消防局が設けられた時、いろは48組の町火消を管轄下に置いた。明治7年警視庁が創設されると、彼らは警視庁の組織に組み入れられた。さすがトビ職、櫓に乗り、屋根に乗り、これだけの人数でもみな顔が写っている。初めて公式に出初式を行った明治8年(1875)1月4日と思われる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐16‐0]

    商品コード: 2017081401560

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    神戸居留地の台風被害

    神戸居留地の台風被害=1871(明治4)年、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号122‐37‐0]

    商品コード: 2017081601162

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    日光大日堂

    大谷川畔の大日如来を安置した大日堂は明治35年の洪水で流失した。写真は流失する前の大日堂と庭園である。池辺には芭蕉の句碑があり「あろたふと青葉若葉の日の光」と刻まれていた。この句碑は流失後再建された。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐58‐0]

    商品コード: 2017080400635

  •  嵐山渡月橋
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    嵐山渡月橋

    嵐山渡月橋を北詰から南に望む。背後の山腹には法輪寺が見える。渡月橋の北詰には牛馬の往来を禁止する標識が建ち、桜の木の下に設けられた茶店には提灯が吊るされている。川上は材木を浮かべた貯木場となり、丸子船が停泊している。写真の渡月橋は明治25年(1892)に水害で流失した。右前に見える石橋は琴聞橋で、後に車折神社御旅所に移築された。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐6‐0]

    商品コード: 2017081400725

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    鎌倉の大仏

    撮影年代等未詳。大仏殿については史料が少なく、建武元年(1334)と応安2年(1369)等に倒壊の記事があるにとどまる。そして、明応7年(1498)の地震の後は再建されたという記録がないので、これ以降大仏は露坐(ろざ)であったようである。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐15‐0]

    商品コード: 2017081400964

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    鎌倉の神社

    目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけら葺か檜皮葺(ひわだぶき)で、大正12年の大震災の後に銅板葺になった。スチルフリート撮影か。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐45‐0]

    商品コード: 2017082800556

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。右手に電柱が見える。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐18‐0]

    商品コード: 2017081400784

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐36‐0]

    商品コード: 2017081401286

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐16‐0]

    商品コード: 2017081400717

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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる2本の橋。左の朱塗りの橋が神橋(神橋)。その右隣は仮橋。日光山内の入口でもあるこれらの橋は明治35(1902)年の大水害で大谷川が氾濫したため流失した。対岸の家屋は、いわゆる日光の名産品を商う店である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐8‐0]

    商品コード: 2017081002611

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    神戸港

    整理番号39のシリーズは日下部金兵衛の災害を撮影した写真である。この写真は、明治24年(1891)8月の台風による国内(日本人)向けの神戸の港の被害である。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐26‐0]

    商品コード: 2017080902623

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    香港の台風被害

    1874年9月22日、金星太陽面通過観測フランス隊の一行を乗せた船が香港に寄港しているとき、香港を史上最大級の台風が襲った。フランス隊の一行は、台風の当夜、錨の鎖が切れないことだけを願いながら、港の沖合で台風が過ぎ去るのを待った。写真は巨大台風によって崩壊した波止場の石組み。この台風による死者は2,000人を超えた。=撮影年月日不明、香港、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐47‐0]

    商品コード: 2017081501870

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    濃尾大地震(根尾村水鳥谷出現の湖)

    濃尾地震では、山崩れや地盤の陥落によって川がせき止められ、写真のような池が各所にできた。そのため、根尾谷では水が溢れ、住民は高所高所へと避難したという。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐20‐0]

    商品コード: 2017080902436

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    濃尾大地震(海老島村の堤防)

    濃尾大地震によって損壊した、名古屋市付近の村(キャプションの「海老島」は該当なし)の堤防。この地震の被害は甚大で、住居の全壊85,848戸、死者7,469人に及んだ。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐5‐0]

    商品コード: 2017080902527

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    濃尾大地震(根尾谷の土石流)

    濃尾地震の被害で、山崩れは1万箇所以上に上っている。根尾谷村では、道路が寸断され、交通が遮断された。そのため、生活物資の高騰が著しく、「塩一俵の価八十銭」(11月5日岐阜日々)にもなったという。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐17‐0]

    商品コード: 2017080902481

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    濃尾大地震(根尾村水鳥谷の断層)

    濃尾地震は、明治24年(1891年)10月28日6時37分、岐阜県根尾村水鳥(みどり)付近を震源に発生した。マグニチュード8の巨大地震であった。この際、根尾谷には延長約100kmにわたって高さ約3mの断層を生じた。昭和27年、この断層は国の天然記念物に指定された。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐18‐0]

    商品コード: 2017080902434

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    濃尾大地震(熱田付近の紡績工場)

    明治24年(1891)の濃尾大地震によって倒壊した、名古屋市熱田区にある紡績工場。この区域には明治期以降近代的工場が進出し、この尾張紡績(明治20年設立)を初め、車両工場、兵器製作所などが活動していた。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐2‐0]

    商品コード: 2017080902451

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    濃尾大地震(長良川堤防)

    明治24年の濃尾地震は、マグニチュード8.4に及ぶ強烈なものであった。名古屋から福井方面にかけて、150kmに渡って地面が割れ動いたという。本写真に見られるように、長良川堤防にも長い亀裂が走った。=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐10‐0]

    商品コード: 2017080902419

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    御所の庭園

    京都市上京区京都御苑内の北側にある。現在の建物は、何度もの火災を経て、安政度の御造営の際に、寛政度の内裏を踏襲して造られたものである。龍泉庭から築地塀ごしに御常御殿の大棟を望む。御内庭は遣水形式で8つの橋をかける。写真中央にその橋の一つが見え、築島がある。=撮影年月日不明、京都、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐15‐0]

    商品コード: 2017080200720

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    奈良の御堂

    興福寺八角堂(南円堂院)正面図と、その前に佇む人物と鹿。興福寺は天智天皇の時代に藤原鎌足病気平癒を祈って建てられた山階寺に由来するとされる。繰り返し火災等にみまわれたが、現在でも北円堂を初め、国宝指定の建物を有している。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号1‐22‐0]

    商品コード: 2017080200697

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    出陣の装束

    標題はこのようになっているが、江戸時代に火事場に出動して消火、警備する武士が着用した火事装束姿である。右手には恐らく一閃張(いっかんばり)で作ったと思われる紙製の兜頭巾(かぶとずきん)を持ち、火事羽織、腰帯、野袴、前掛を着用し、足には皮足袋を履いている。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号50‐21‐0]

    商品コード: 2017080903290

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    神戸居留地の台風被害

    明治4年5月17日 (1871年7月4日)に神戸を襲った台風直後の、雑居地海岸通(現中央区)。メリケン波止場付近から西方を望む。右端の、ベランダの破壊された建物は、建築中のヒョーゴ・ホテル (The Hiogo Hotel)。同じ時・同じ場所からの撮影と考えられる写真が、『The Far East』1871年7月17日号に掲載されている。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号56‐3‐0]

    商品コード: 2017081002761

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    浅草寺二尊仏

    館林の高瀬善兵衛が太田久右衛門正儀(まさよし)に依頼して制作し、貞亨4年(1687)に浅草寺に奉納。蓮台を含め、高さ2.5mの坐像である。通常は濡仏(ぬれぼとけ)の名で呼ばれている。大正12年(1923)の大震災にも動じず、本堂、仁王門、経堂が共に焼失した昭和20年(1945)の空襲の猛火にも耐え、同じ場所に座り続けていらっしゃる。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号51‐40‐0]

    商品コード: 2017081002293

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    濃尾大地震(根尾村水鳥谷倒壊寺院)

    濃尾地震の震源地、根尾谷村の水鳥にあった寺院の倒壊した模様。地震の規模はマグニチュード8.0(理科年表による)、瞬時の倒壊であったろう。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐19‐0]

    商品コード: 2017080902435

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    濃尾大地震(東海道本線長良川鉄橋)

    濃尾地震により崩壊した長良川鉄橋である。5スパンある内の3スパンが落橋した。この鉄橋は英人C. A. W. ポナール(C. A. W. Pownall) により設計され、明治21年(1888年)1月に架設された。当時のわが国が誇る最大級の鉄道橋であった。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐1‐0]

    商品コード: 2017080902607

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    濃尾大地震(一の宮)

    濃尾地震で倒壊した家の前に粗末な小屋を建てて風雨をしのいでいる親子。その前には、茶碗、水桶、釜などが置かれているのが見て取れる。震災後数日の様子であろうか=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐8‐0]

    商品コード: 2017080902608

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    濃尾大地震(根尾谷金原円勝寺倒壊)

    濃尾地震の震源地、根尾谷村の金原にあった寺院の倒壊した模様。地震の規模はマグニチュード8.0(理科年表による)、仙台以南の全国で揺れを感じたという。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐15‐0]

    商品コード: 2017080902392

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    濃尾大地震(北方町)

    震源に近いの岐阜県本巣郡北方町の惨状。11月1日付け「岐阜日々」によると、「本巣郡において、倒家数千戸、北方町の中字中町全潰、その他各町倒家なきはなく、死者数百名に上る」という。写真は西方から東方(岐阜方面)を望んで撮ったもの。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐13‐0]

    商品コード: 2017080902620

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐2‐0]

    商品コード: 2017082301015

  •  日光大日堂
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    日光大日堂

    大谷川に沿った中禅寺道途中の名所。憾満ガ淵や裏見滝と共に日光町の遊覧客にとって人気の高い散策コースだった。明治35(1902)年の大水害で大日堂を含む庭園の景観が、さらに、残っていた地蔵堂が大正8年の大水害で流失した他、地形そのものが変わり果てた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐6‐0]

    商品コード: 2017081400913

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    中島川と編笠橋

    中島川に架かる編笠橋。元禄12年(1699)岸村夫妻が今博多町と本紙屋町の間にかけたアーチ式石橋である。昭和57年(1982)の長崎大水害で崩落し、現在は以前の橋とは形の異なる急な階段の橋に架け替わっている。左の松の大木の横には諏訪神社が見える。橋のたもとの山門は明和3年(1766)に建立された太平寺(現・浪の平)の山門。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐19‐0]

    商品コード: 2017081502087

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    日光裏見滝

    日光清滝の荒沢の上流に裏見の滝がある。滝の裏面に通じる道があり、滝の裏を見れるのでこの名が付けられた。滝の裏を見る人が写っている。明治35年の洪水で落ち口は決壊し滝が後退して裏に通じる道もなくなった。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐44‐0]

    商品コード: 2017080902119

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    武士の火事装束

    武士の火事装束=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号78‐78‐0]

    商品コード: 2017081401158

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    日光裏見滝

    日光清滝の荒沢の上流に裏見の滝がある。滝の裏面に通じる道があり、滝の裏を見れるのでこの名が付けられた。滝の裏を見る人が写っている。明治35年の洪水で落ち口は決壊し滝が後退して裏に通じる道もなくなった。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐35‐0]

    商品コード: 2017080901989

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    中禅寺湖

    中禅寺湖北岸の二荒山神社中宮祠(画面右奥の高台)と行者小屋(画面中央)、六軒茶屋(画面手前)の一部を撮影したもの。右手画面の外側に男体山がそびえている。明治35(1902)年の台風で男体山に土石流が発生し、大被害を被る以前の風景を写したもの。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号89‐1‐0]

    商品コード: 2017081400800

  •  嵐山渡月橋
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    嵐山渡月橋

    嵐山渡月橋を桂川北岸東部から西に遠望する。北岸に植えられた松並木に沿い、遊歩道が設けられ、茶店と思われる小さな民家が姿を見せる。橋上には往来する人の姿が小さく見える。写真の渡月橋は明治25年(1892)の水害で流失した。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐39‐0]

    商品コード: 2017081400739

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    鶴岡八幡宮の蓮池

    撮影年代未詳。‘A B6 LOTUS POND AT KAMAKURA'の印字がある。東から石橋を望んだ景で、向かって左の建物の先に三の鳥居がある。石橋は江戸期の風土記や絵図に「赤橋(あかはし)」とあり、その奥には「新橋」という木橋が架かる。この赤橋は大正12年(1923)の大震災で崩壊した。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐40‐0]

    商品コード: 2017081401003

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐31‐0]

    商品コード: 2017081401413

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号77‐11‐0]

    商品コード: 2017082400686

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    ドンの山から見た大浦居留地と長崎港

    対岸の工部省所管「長崎造船局」の右上の丘に明治7年(1874)4月に完成したお雇い外国人宿舎が見えるので、それ以後の撮影。大浦川左岸の川幅が狭まる地点の建物をはじめ、随所に台風の傷跡が見られる。明治7年(1874)10月頃、海外に持ち出された『カーモディアルバム』に、大浦川左岸の川幅が狭まる地点の建物がすでに撤去されて新しい建物が建築中の写真があるので、同年8月の台風直後の写真であると推定される。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐5‐0]

    商品コード: 2017081501545

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    大涌谷

    大涌谷は箱根火山が水蒸気爆発を起こした爆裂火口の跡で、今でも盛んに噴煙を上げている。明治の初めまで大地獄と呼ばれ精霊が行く場所とされたが、明治六年(1873)天皇・皇后が宮ノ下奈良屋で避暑をされた時、滞在地近辺に地獄があっては畏れ多いと大涌谷と改称された。人物が数人見える。左は冠岳。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号47‐15‐0]

    商品コード: 2017080903012

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    濃尾大地震

    濃尾大地震=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐12‐0]

    商品コード: 2017081400634

  •  日光裏見滝
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    日光裏見滝

    大谷川支流の荒沢川にある裏見滝は、華巌滝、裏見滝と並ぶ日光三大名瀑。元禄2(1689)年、この滝を訪れた芭蕉は、「暫時は滝に籠るや夏の初」の句を残した。不動明王が祀られている滝の裏側まで行けたが、写真のように明治35(1902)年の大水害によって崩壊している。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐12‐0]

    商品コード: 2017081400762

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    濃尾大地震(黒田村)

    明治24年(1891)10月28日に起きた濃尾地震直後の惨状。強い揺れによって柱が倒れ、茅葺き屋根が家全体を押しつぶしている。写真中央には、一命を取り留めた母子が呆然とたたずんでいる。=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐9‐0]

    商品コード: 2017080902407

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    濃尾大地震(根尾村天神堂の陥没)

    天神堂は水鳥から5kmほど上流に行ったところ。写真のキャプションによると、水準から30フィート陥没したとある。倒壊した家屋、それを見つめる家族。このような光景が各地で見られた。根尾谷での被害は、総戸数715のうち倒壊675、総人口3,346のうち死者142、負傷290であった。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐21‐0]

    商品コード: 2017080902429

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    濃尾大地震(奥村の救護所)

    地震により負傷した人々が、テントの下で応急処置を受けている場面。負傷者はほとんど女性のようである。おそらく地震直後であろう。=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐24‐0]

    商品コード: 2017080902457

  •  人力車に乗る女性
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    人力車に乗る女性

    降雨時の車夫と客の姿。車夫は蓑に網代笠を身に付け、客の女性は傘を指している。座席後ろにある折畳式の覆いは、雨よけ・日よけに不可欠であったが、撮影のためか、写真では覆いは閉じられたままである。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号16‐9‐0]

    商品コード: 2017080201601

  •  日光日光含満ガ淵の百地蔵
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    日光日光含満ガ淵の百地蔵

    日光含満ガ淵は大谷川の激流が男体山の溶岩を浸蝕して生じた淵である。 この地に百地蔵がある。 並び地蔵のほとんどが健在であり、 列座先頭の親地蔵も写っている。 川の沿り大木の手前に林羅山の碑が見える。 明治35年の水害で、 並び地蔵の多くと、 親地蔵や碑は流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号8‐6‐0]

    商品コード: 2017080201044

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号67‐34‐0]

    商品コード: 2017082400232

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    日光大日堂

    大谷川畔の大日如来を安置した大日堂は明治35年の洪水で流失した。写真は流失する前の大日堂と庭園である。池辺には芭蕉の句碑があり「あろたふと青葉若葉の日の光」と刻まれていた。この句碑は流失後再建された。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号25‐30‐0]

    商品コード: 2017080400590

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    日光大日堂

    大谷川畔の大日如来を安置した大日堂は明治35年の洪水で流失した。写真は流失する前の大日堂と庭園である。池辺には芭蕉の句碑があり、傍らに寮が設けられていた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐36‐0]

    商品コード: 2017080902007

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    横浜大震災

    大正12年(1923)9月1日、関東地震が発生した。この写真は横浜の被害を撮影した災害写真の絵はがきである。執政宮横浜大震火災御巡視=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐33‐0]

    商品コード: 2017080201810

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    神戸居留地の台風被害

    神戸居留地の台風被害=1871(明治4)年、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号122‐36‐0]

    商品コード: 2017081601196

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    大徳寺跡から立山方面を望む

    大徳寺跡の境内から立山方面の長崎市街地を撮影している。奥の高台は旧内町で古くは石垣で囲われていた。甍(いらか)の町は、長崎のダウンタウンである思案橋、浜町から中島川右岸の町である。台風により瓦が飛ばないように固めた漆喰が目立つ。また白壁の土蔵が多いのも特徴的である。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐29‐0]

    商品コード: 2017081600957

  •  鈴川河合橋附近からの富士山
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    鈴川河合橋附近からの富士山

    鈴川は元吉原ともいい、吉原の駅が寛永16年(1639)水害をさけて、移動したのち、鈴川駅が作られたという。富士に最も近い鉄道の駅があり、海浜には田子の浦が広がっている。=撮影年月日不明、静岡、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐30‐0]

    商品コード: 2017080200882

  •  日光大日堂
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    日光大日堂

    大谷川に沿った中禅寺道途中の名所。憾満ガ淵や裏見滝と共に日光町の遊覧客にとって人気の高い散策コースだった。明治35(1902)年の大水害で大日堂を含む庭園の景観が、さらに、残っていた地蔵堂が大正8年の大水害で流失した他、地形そのものが変わり果てた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号67‐34‐2]

    商品コード: 2017082400163

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    海岸通りと兵庫ホテル

    明治24年(1891)8月の台風による被害を撮影した写真である。兵庫の木材置場から大量の材木が流出して、海岸通りの護岸を破壊した。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐28‐0]

    商品コード: 2017080902410

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    濃尾大地震(一の宮村)

    明治24年の濃尾地震により損壊した一宮地域(濃尾平野西部)の家屋と地面。中央には呆然とたたずむ人影。この地震は内陸部のものとしては日本最大級で、道路や堤防の破損決壊、山崩れなどが多く生じた。=撮影年月日不明、愛知、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐6‐0]

    商品コード: 2017080902537

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    停泊中の〝HELENER RICKMERS 〞号

    明治24年(1891)8月の台風による被害を撮影した写真である。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐33‐0]

    商品コード: 2017080902425

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    神戸労役会社の人々

    明治24年(1891)8月の台風による被害を撮影した写真である。居留地の外国人が、視察に回っている写真である。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐36‐0]

    商品コード: 2017080902622

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    濃尾大地震(死亡者)

    倒壊家屋の下敷きになり死亡した人。濃尾地震による死者は全国で7,273人であるが、そのうち美濃で4,889人、尾張で2,331人に上った。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐22‐0]

    商品コード: 2017080902406

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
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    日光憾満ガ淵の百地蔵

    「並(ならび)地蔵」「化(ばけ)地蔵」「百地蔵」などの呼び名で知られる大谷川の名所。「憾満ガ淵(かんまんがふち)」。「含満ガ淵(がんまんがふち)」とも呼ばれる。画面の奥には、明治35(1902)年の大水害で首を流失した親地蔵が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐49‐0]

    商品コード: 2017081401299

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
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    日光憾満ガ淵の百地蔵

    「並(ならび)地蔵」「化(ばけ)地蔵」「百地蔵」などの呼び名で知られる大谷川の名所。「憾満ガ淵(かんまんがふち)」。「含満ガ淵(がんまんがふち)」とも呼ばれる。画面の奥には、明治35(1902)年の大水害で首を流失した親地蔵が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐48‐0]

    商品コード: 2017081002698

  •  日光憾満ガ淵の百地蔵
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    日光憾満ガ淵の百地蔵

    「並(ならび)地蔵」「化(ばけ)地蔵」「百地蔵」などの呼び名で知られる大谷川の名所。「憾満ガ淵(かんまんがふち)」。「含満ガ淵(がんまんがふち)」とも呼ばれる。画面の奥には、明治35(1902)年の大水害で首を流失した親地蔵が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号47‐28‐0]

    商品コード: 2017080903016

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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる2本の橋。左の朱塗りの橋が神橋(神橋)。その右隣は仮橋。日光山内の入口でもあるこれらの橋は明治35(1902)年の大水害で大谷川が氾濫したため流失した。地面には残雪が見られる。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号91‐11‐0]

    商品コード: 2017081400918

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐33‐0]

    商品コード: 2017081401422

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐20‐0]

    商品コード: 2017082300874

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    榛名富士

    榛名山は上毛三山のひとつに数えられる名山であるが、六世紀まで噴火していた休火山である。山頂のカルデラの中に榛名湖がありそれに接して成層型の中央火口丘があり、榛名富士と呼ばれている。=撮影年月日不明、群馬、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐33‐0]

    商品コード: 2017081401492

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    日光大日堂

    大谷川畔の大日如来を安置した大日堂は明治35年の洪水で流失した。写真は流失する前の大日堂と庭園である。池辺には芭蕉の句碑があり、傍らに寮が設けられていた。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号26‐38‐0]

    商品コード: 2017080902051

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    香港の台風被害

    香港の台風被害=撮影年月日不明、香港、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐48‐0]

    商品コード: 2017081501859

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    神戸港桟橋の被害状況

    整理番号39のシリーズは日下部金兵衛の災害を撮影した写真である。39-25から39-36まで、台風による神戸港の被害の写真である。明治24年(1891)8月の台風による被害を撮影した写真である。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐25‐0]

    商品コード: 2017080902511

  •  傘をさす女性
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    傘をさす女性

    女性は、風雨の中を蛇の目傘をさして、雨用のカバーをつけた高下駄を履いて歩いている。風で着物の裾がはだけて、その下から派手な長襦袢の模様がみられる。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐37‐0]

    商品コード: 2017081401016

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    池上本門寺

    中央の五重塔は二代将軍秀忠が祈願で病が平癒したお礼にと寄進し、慶長13年(1608)に棟上式をあげた。慶長19年(1614)に地震で傾いていたので、五代将軍綱吉の命で、元禄14年(1701)に現在の場所に移築され改修された。初層は和洋であるが、二層より上は唐様(からよう)の造りという珍しい塔。平成13年(2001)に全面修復が完工した。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐14‐0]

    商品コード: 2017081002606

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    築地川南支流

    明治5年4月16日付 "The Far East "に掲載。小田原橋から備前橋(中央奥)方向を撮影したもの。左の一番奥に見えているのは西本願寺本堂の屋根。右手一帯は南小田原町の家並み(明治5年2月26日の大火災で大部分が消失)。右岸には魚の運搬船係留されている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号22‐7‐0]

    商品コード: 2017080400480

  •  濃尾大地震(根尾谷金原の断層)
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    濃尾大地震(根尾谷金原の断層)

    向こうの山の斜面が崩壊し、手前の収穫前の田がえぐられている。「田は或いは陥り或いは裂けたるため、地盤の不均一なるのみか水を保つべからざるより、来年に至ってはとても田作の見込みなく」と新聞(11月5日岐阜日々)は伝えている。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐16‐0]

    商品コード: 2017080902390

  •  宮ノ下富士屋ホテル
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    宮ノ下富士屋ホテル

    明治16年の大火後、徐々に復興されたが、明治24年に本格的に再建されて、まもなくの富士屋ホテル本館の写真である。露国皇太子の宿泊に間に合わせるため急ピッチで整備されたが、大津事件で実現しなかった。=明治24年5月以降、箱根、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号1‐42‐0]

    商品コード: 2017080200726

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    濃尾大地震(大垣若森村)

    11月1日付けの「岐阜日々」(号外)によると、大垣では「人家九分通りくだけ、四方より発火して七分を焼失す」とあり、全市焼失の被害を受けた模様。大垣の被害について、11月6日「時事」は、家屋全潰3,356、同半潰962、死亡789、負傷者1,270、火災数1,473と伝えている。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐7‐0]

    商品コード: 2017080902400

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    濃尾大地震(枇杷島橋)

    明治24年(1891)の濃尾大地震によって倒壊した、名古屋市枇杷島にある橋。枇杷島は名古屋城下町の成立直後から青物市場として栄え、さまざまな物資が取り引きされてきた場所である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐4‐0]

    商品コード: 2017080902471

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    猿沢池と興福寺五重塔

    猿沢池越しに興福寺五重塔を望む。興福寺は最初山科に建立され、平城遷都とともに現在の地に移されたと伝えられる。度重なる火災などにより一時廃寺状態に陥ったりもしたが、再興され現在に至っている。=撮影年月日不明、奈良、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐19‐0]

    商品コード: 2017080200723

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    岸壁に打ち上げられた艀

    明治24年(1891)8月の台風による被害を撮影した写真である。岸壁に打ち上げられた大量の木材のと艀が撮影されている。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐32‐0]

    商品コード: 2017080902439

  •  大谷川の神橋
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    大谷川の神橋

    大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年に日光地方を襲った大水害で流失した。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐4‐0]

    商品コード: 2017081002661

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    日光東照宮五重塔内部

    東照宮五重塔は慶安2年酒井忠勝によって寄進されたが、 火災で焼失し、 文政元年(1818)に酒井忠進によって再建された。 その内部には五智如来と四体の守護神の像が安置されている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号7‐7‐0]

    商品コード: 2017080200974

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    身延山参道の石段

    山梨県南巨摩郡身延町に所在する日蓮宗総本山身延山久遠寺の三門(三解脱門)を抜けて祖師堂棲神閣へ一直線に向かう287段の階段である「菩提梯」とその両側の杉並木を写した写真である。明治8年(1875)の境内火災の影響か菩提梯右側の山腹は樹木がない様子であることがわかる。=撮影年月日不明、山梨、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐34‐0]

    商品コード: 2017082400172

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    塔ノ沢温泉

    早川沿いに並ぶ塔の沢温泉の家並み。左隅は明治43年の大水害で流失前の福住樓である。現在はホテル紫雲荘の上手に当たる。左手塔の峯の中腹に見えるのは、ロシア正教のハリストス教会で、ロシア人の避暑館とされた。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐6‐0]

    商品コード: 2017080200895

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    飽の浦恵美須神社

    飽の浦恵美須神社。明治5年(1872)の天皇巡幸に随行した内田九一が、同じアングルで撮影しているが、比べてみると、この写真では、海側の鳥居の左にあった松がないので、それより後の撮影。また、同じアングルで明治7年(1874)8月20日の台風直後に撮影された写真に写る、岬の先の丸尾海岸の海軍埋め立て地の建物がないので、それ以前の撮影である。当時の神社の建物は消滅しているが、神社は存続している。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐18‐0]

    商品コード: 2017081501612

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    上野公園

    東照宮の入り口左側にあった大仏の入り口の鳥居である。大仏は寛永8年(1631)に最初に建立され、その後地震や火災で崩壊したが、何度も復興された。大仏に覆屋がなく明治6年(1873)以後の撮影である。現在は頭部だけ残されている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐89‐0]

    商品コード: 2017080903323

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