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    2022年09月03日
    立野橋梁歩く人たち 復興目指す鉄路を行く

    2016年の熊本地震で被災し、来年夏の全線再開を目指している南阿蘇鉄道で、復旧工事が進む線路を徒歩で巡る「レールウオークツアー」が行われた。高さ34㍍、ひび割れた基礎部分の修復が終了した「立野橋梁(きょうりょう)」では、参加者たちが眼下に切り立つ峡谷の眺望を楽しみながら復興への思いをはせていた。ツアーは今月末まで行う予定=3日、熊本県南阿蘇村

    商品コード: 2022090311660

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    2022年09月03日
    立野橋梁を歩く人たち 復興目指す鉄路を行く

    2016年の熊本地震で被災し、来年夏の全線再開を目指している南阿蘇鉄道で、復旧工事が進む線路を徒歩で巡る「レールウオークツアー」が行われた。高さ34㍍、ひび割れた基礎部分の修復が終了した「立野橋梁(きょうりょう)」では、参加者たちが眼下に切り立つ峡谷の眺望を楽しみながら復興への思いをはせていた。ツアーは今月末まで行う予定=3日、熊本県南阿蘇村

    商品コード: 2022090311662

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    01:38.49
    2021年06月28日
    熊本城天守閣5年ぶり公開 地震復興の象徴、展示一新

    2016年の熊本地震で被災し、修復が完了した熊本城(熊本市)の天守閣内部が28日、地震後初めて一般公開された。「復興のシンボル」となってきた城への入場が5年ぶりに再開され、来場者は新しくなった展示や最上階からの眺望を楽しんだ。新しい展示では、天守閣の歴史だけでなく、地震の被災状況や復興の様子を取り上げた。<映像内容>市街地からの熊本城、開門時の様子、天守閣外観、天守閣内部の様子、各種展示、雑観など、撮影日:2021(令和3)年6月28日、撮影場所:熊本市中央区

    商品コード: 2021062904624

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    2018年10月01日
    世界一の人工林を見守り続ける夫妻河北省承徳市

    国慶節に国旗を掲げる趙福州さん。(2018年10月1日撮影)中国北京市の北約450キロに位置する河北省承徳(しょうとく)市塞罕壩(さいかんは)には、面積が世界最大の人工林がある。この広大な樹海の中には9つの監視塔が点在するが、そのうちの8つでは夫妻が共同で当直に当たっており、現地の人々は親しみを込めて「夫婦哨兵」と呼んでいる。彼らは塞罕壩の「目」となっている。15分ごとに望遠鏡で遠方を見渡して火事の有無を報告するのだが、この退屈な繰り返しこそが、彼らの一生の仕事だ。生涯にわたって樹海を見守り続けるとはどのような感覚なのか。「とても寂しいものです」。塞罕壩大喚起営林場防火眺望員(森林火災監視員)の趙福州(ちょう・ふくしゅう)さんは、1983年に監視員の仕事を始めてから現在まで、毎年平均して10カ月近く妻の陳秀玲(ちん・しゅうれい)さんと共に監視塔に滞在している。(承徳=新華社配信/許蘇培)=2018(平成30)年10月1日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019021310255

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    2018年07月23日
    鞆の浦観光に打撃 スカイライン通行止め

    大雨で山肌が崩れ、上部を走る市道のスカイラインが通行止めとなっている鞆地区。福山市内に大きな水害を起こした西日本豪雨災害が、観光名所「鞆の浦」にも影響を与えている。眺望を楽しめる県道へとつながる市道「スカイライン」は複数箇所の土砂崩れで復旧の見込みが立たず通行止めのまま。住民は鞆中心部への車の流入を懸念する一方、宿泊施設は風評被害によるキャンセルに頭を抱え、鞆の浦海水浴場の海開きも予定を1週間延期し28日となった。地元からは、今年は鞆が日本遺産に選ばれ「お祝いムードのはずなのに」とのため息が漏れる。=2018(平成30)年7月23日、広島県福山市鞆地区、クレジット:山陽新聞/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018073100488

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    1985年12月31日
    世界一の人工林を見守り続ける夫妻河北省承徳市

    1980年代初頭に撮影された趙福州さんと陳秀玲さんの監視塔の前での記念写真。中国北京市の北約450キロに位置する河北省承徳(しょうとく)市塞罕壩(さいかんは)には、面積が世界最大の人工林がある。この広大な樹海の中には9つの監視塔が点在するが、そのうちの8つでは夫妻が共同で当直に当たっており、現地の人々は親しみを込めて「夫婦哨兵」と呼んでいる。彼らは塞罕壩の「目」となっている。15分ごとに望遠鏡で遠方を見渡して火事の有無を報告するのだが、この退屈な繰り返しこそが、彼らの一生の仕事だ。生涯にわたって樹海を見守り続けるとはどのような感覚なのか。「とても寂しいものです」。塞罕壩大喚起営林場防火眺望員(森林火災監視員)の趙福州(ちょう・ふくしゅう)さんは、1983年に監視員の仕事を始めてから現在まで、毎年平均して10カ月近く妻の陳秀玲(ちん・しゅうれい)さんと共に監視塔に滞在している。(承徳=新華社配信/許蘇培)=1980年代初頭、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019021310244

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    1923年09月01日
    浅草十二階 関東大震災

    キーワード:東京浅草、関東大震災、災害、1923年、十二階、浅草公園、凌雲閣、眺望塔、展望塔=1923(大正12)年9月1日、東京・浅草、撮影者:不明、クレジット:イマジンネット画廊所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。

    商品コード: 2018073100502

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    1904年12月31日
    松島湾の奇岩

    湾内でも有名な海食洞であった材木島の壮大な姿で、松島湾の成り立ちを堆積層によって証明できる。しかし、昭和44年(1969)の地震でアーチ部分が崩落し、昭和53年(1978)には宮城県沖地震で脚部も崩壊し、現在はその面影さえも無い。=1904(明治37)年、松島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐54‐0]

    商品コード: 2017081401690

  •  濃尾大地震(根尾谷金原の断層)
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    濃尾大地震(根尾谷金原の断層)

    向こうの山の斜面が崩壊し、手前の収穫前の田がえぐられている。「田は或いは陥り或いは裂けたるため、地盤の不均一なるのみか水を保つべからざるより、来年に至ってはとても田作の見込みなく」と新聞(11月5日岐阜日々)は伝えている。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐16‐0]

    商品コード: 2017080902390

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    江ノ島

    これと同じ横浜開港資料館所蔵資料から、日下部金兵衛(1841~1934)の撮影と知れる。片瀬からの眺めで、江ノ島正面には宿屋街や漁師町などが写る。また、左の離れ小島は「聖天島(しょうてんじま)」。のちこの小島は、大正12年の大震災で周囲が隆起したため江ノ島と陸続きとなった。=撮影年月日不明、江ノ島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号51‐49‐0]

    商品コード: 2017091301333

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    榛名富士

    榛名山は上毛三山のひとつに数えられる名山であるが、六世紀まで噴火していた休火山である。山頂のカルデラの中に榛名湖がありそれに接して成層型の中央火口丘があり、榛名富士と呼ばれている。=撮影年月日不明、群馬、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号85‐33‐0]

    商品コード: 2017081401492

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    濃尾大地震(根尾村水鳥谷出現の湖)

    濃尾地震では、山崩れや地盤の陥落によって川がせき止められ、写真のような池が各所にできた。そのため、根尾谷では水が溢れ、住民は高所高所へと避難したという。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐20‐0]

    商品コード: 2017080902436

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    濃尾大地震(根尾谷の土石流)

    濃尾地震の被害で、山崩れは1万箇所以上に上っている。根尾谷村では、道路が寸断され、交通が遮断された。そのため、生活物資の高騰が著しく、「塩一俵の価八十銭」(11月5日岐阜日々)にもなったという。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐17‐0]

    商品コード: 2017080902481

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    濃尾大地震(根尾村水鳥谷の断層)

    濃尾地震は、明治24年(1891年)10月28日6時37分、岐阜県根尾村水鳥(みどり)付近を震源に発生した。マグニチュード8の巨大地震であった。この際、根尾谷には延長約100kmにわたって高さ約3mの断層を生じた。昭和27年、この断層は国の天然記念物に指定された。=撮影年月日不明、岐阜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号39‐18‐0]

    商品コード: 2017080902434

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    御所の庭園

    京都市上京区京都御苑内の北側にある。現在の建物は、何度もの火災を経て、安政度の御造営の際に、寛政度の内裏を踏襲して造られたものである。龍泉庭から築地塀ごしに御常御殿の大棟を望む。御内庭は遣水形式で8つの橋をかける。写真中央にその橋の一つが見え、築島がある。=撮影年月日不明、京都、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号2‐15‐0]

    商品コード: 2017080200720

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