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「第2次世界大戦」の写真・グラフィックス・映像

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  •  ウクライナ4州で住民投票
    2022年09月23日
    ウクライナ4州で住民投票

    23.09.2022 A man holds a replica of the so-called Victory Standard which was erected at the top of the Reichstag building in Berlin at the end of World War Two, during a rally to support the referendum on the joining of Donetsk and Luhansk People‘s Republics (DPR, LPR), as well as the Russian-controlled parts of the Ukrainian regions of Zaporizhzhia and Kherson to Russia, in Simferopol, Crimea, Russia. Konstantin Mihalchevskiy / Sputnik、クレジット:Sputnik/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022092806562

  •  長崎、原爆投下から74年平和祈念式典開催
    2019年08月09日
    長崎、原爆投下から74年平和祈念式典開催

    9日、長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典で、あいさつする日本の安倍晋三首相。長崎市は原爆投下から74年を迎えた9日、平和公園で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」を行った。犠牲者の遺族や市民ら約5200人が参列し、犠牲者に哀悼の意を示すとともに、世界の恒久平和への誓いを新たにした。日本は世界で唯一の被爆国で、侵略戦争を起こした日本の早期降伏を促すため、米軍が1945年8月6日と9日に、広島と長崎にそれぞれ原子爆弾を投下した。日本は長期にわたり、自らを第2次世界大戦で被爆した「被害者」であるとしてきたが、原爆投下に至った歴史的背景について語られることは少ない。(長崎=新華社記者/杜瀟逸)=2019(令和元)年8月9日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019081300913

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    05:06.66
    2019年08月06日
    「新華社」広島、原爆投下から74年平和記念式典開催

    広島市は原爆投下から74年を迎えた6日、平和記念公園で「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)を行った。雨の中、犠牲者の遺族や市民ら約5万人が参列し、犠牲者を追悼するとともに、世界の恒久平和への誓いを新たにした。一方、会場付近には安倍晋三首相の式典参加に抗議する市民が集まり、安倍政権下での改憲阻止を訴えた。午前8時に始まった式典では、松井一実広島市長と遺族代表が、この1年間で死亡が確認された5068人の名前を書き加えた原爆死没者名簿を慰霊碑に納めた。原爆投下時刻の午前8時15分には「平和の鐘」が打ち鳴らされ、参列者全員が起立し1分間の黙とうをささげた。松井市長は平和宣言で、日本が参加していない核兵器禁止条約への署名・批准を政府に促し、核廃絶に向けて一歩踏み込んだリーダーシップを発揮するよう求めた。宣言後には、平和の象徴である白い鳩が空へと放たれ、広島市の小学生2人が子ども代表として「平和への誓い」を読み上げた。安倍首相は式典のあいさつで、日本政府が引き続き「非核三原則」を堅持することに言及したが、広島と長崎に原爆が投下されるに至った歴史的背景に触れることはなかった。安倍首相のあいさつの最中には、首相の式典参加に反対する市民らが会場付近で「戦争と改憲に反対」「憲法を守れ」などのスローガンを叫び、強く抗議した。国連のグテレス事務総長は式典に寄せたメッセージで、核軍縮は1946年に開かれた第1回国連総会の最初の決議テーマだったと説明。世界の指導者らに対し、この目標に向けて一層努力するよう呼び掛けた。原爆投下当時、爆心地の1・9キロ以内で生活していた田村さん(90)は新華社の取材に、「生存者はあまりいなかった。振り返ってみると、やはり平和が一番大切で、もうあのような悲惨な経験を二度としたくない」と訴えた。日本は世界で唯一の被爆国。侵略戦争を起こした日本の早期降伏を促すため、米軍は1945年8月6日と9日に、広島と長崎にそれぞれ原子爆弾を投下した。日本は長期にわたり、自らを第二次世界大戦で被爆した「被害者」であるとしてきたが、原爆投下に至った歴史的背景について語られることは少ない。(記者/彭純、郭丹、郭威)<映像内容>広島市の平和記念式典の様子、撮影日:2019(令和元)年8月6日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019080800846

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    00:57.49
    2019年04月26日
    金正恩氏、ウラジオで献花 予定遅れで戦没者慰霊

    北朝鮮の朝鮮中央通信は26日、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が25日に行われたロシアのプーチン大統領との首脳会談で、米国によって非核化を巡る「朝鮮半島問題が原点に戻りかねない」と警告したと報じた。金氏は26日、滞在先の極東ウラジオストク市内で、第2次大戦の戦没者を慰霊するモニュメントを訪れ、献花した。〈映像内容〉ウラジオストク市内の第2次大戦の戦没者を慰霊するモニュメントで献花した際の映像、撮影日:2019(平成31)年4月26日、撮影場所:ロシア ウラジオストク市内

    商品コード: 2019050700415

  • 第2次大戦に終止符 吉田首相、講和条約に調印
    2015年09月03日
    第2次大戦に終止符 吉田首相、講和条約に調印

    1951(昭和26)年9月8日、米サンフランシスコで第2次世界大戦に終止符を打つ対日講和条約が調印された。連合国側は米、英など48カ国が署名。ソ連は調印を拒否、中国は招かれず、インドなど参加拒否国も。写真は署名する日本全権団首席の吉田茂首相。日米間の安全保障条約も締結された。

    商品コード: 2015090300396

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    05:26.35
    2015年08月14日
    安倍談話「おわび」記述 戦後70年で閣議決定

    政府は14日午後の臨時閣議で、戦後70年の安倍晋三首相談話を決定した。その後、首相は官邸で記者会見し、談話を発表した。談話は先の大戦をめぐり、歴代内閣が近隣諸国への謝罪を続けてきた経過を紹介する形で「おわび」を記述。「歴代内閣の立場は、今後も揺るぎない」とした。「侵略」に言及した上で、国際紛争を解決する手段としての武力行使を否定。植民地支配との決別も宣言した。〈映像内容〉首相の会見場への入り、会見場雑観、記者会見の談話読み上げ、質疑応答など、撮影日:2015(平成27)年8月14日、撮影場所:首相官邸

    商品コード: 2019061901917

  •  歴史認識継承は「前提」 70年談話で首相
    10:11.94
    2015年08月06日
    歴史認識継承は「前提」 70年談話で首相

    安倍晋三首相は6日、訪問先の広島市で記者会見し、戦後70年談話について「安倍内閣として歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継ぐ。それを前提として作成する」と強調した。〈映像内容〉安倍首相の記者会見、会見入り、会場雑観など。尺は約10分。、撮影日:2015(平成27)年8月6日、撮影場所:広島県広島市

    商品コード: 2019061302691

  •  「痛切な反省の上に発展」 戦後70年で首相講演
    04:40.88
    2015年07月09日
    「痛切な反省の上に発展」 戦後70年で首相講演

    安倍晋三首相は9日夕、東京都内のシンポジウムで講演し、今年が戦後70年なのを踏まえ「わが国は先の大戦の痛切な反省の上に立ち、一貫して平和国家として歩んできた。奇跡と言われた経済発展を成し遂げ、世界の国々と繁栄してきた」と述べた。シンポジウムは米シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)が主催し、日米の有識者らが集まった。〈映像内容〉安倍首相の講演の様子、撮影日:2015(平成27)年7月9日、撮影場所:東京都内

    商品コード: 2019032800517

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    2014年07月11日
    質問に答える安倍首相 パプアで戦没者碑に献花

    第2次世界大戦の戦没者の碑に献花し、記者の質問に答える安倍首相=11日午後、パプアニューギニアのウェワク(共同)

    商品コード: 2014071100205

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    2014年07月11日
    黙とうする首相夫妻 パプアで戦没者碑に献花

    第2次世界大戦の戦没者の碑を訪れ、黙とうする安倍首相夫妻=11日午前、パプアニューギニアのウェワク(共同)

    商品コード: 2014071100189

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    2014年07月11日
    黙とうする安倍首相夫妻 パプアで戦没者碑に献花

    第2次世界大戦の戦没者の碑を訪れ、黙とうする安倍首相夫妻=11日午前、パプアニューギニアのウェワク(共同)

    商品コード: 2014071100180

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    2014年07月11日
    手を合わせる首相夫妻 戦没者の碑に献花

    第2次世界大戦の戦没者の碑を訪れ、手を合わせる安倍首相夫妻=11日午前、パプアニューギニアのウェワク(共同)

    商品コード: 2014071100166

  • 署名する吉田首相 吉田首相、講和条約に調印
    2012年08月30日
    署名する吉田首相 吉田首相、講和条約に調印

    1951(昭和26)年9月8日、米サンフランシスコで第2次世界大戦に終止符を打つ対日講和条約が調印された。連合国側は米、英など48カ国が署名。ソ連は調印を拒否、中国は招かれず、インドなど参加拒否国も。写真は署名する日本全権団首席の吉田茂首相。同日、日米間の安全保障条約も締結された。(共同)

    商品コード: 2012083000248

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    2011年04月07日
    モスクワで松岡外相 日ソ中立条約調印

    1941(昭和16)年4月13日、モスクワで日ソ中立条約に調印する松岡洋右外相。右端にはスターリン書記長。南進を図り背後の脅威を除きたい日本と、ドイツに備えるソ連の利害が一致し、お互い相手の戦争に中立を守ると規定した。しかし、第2次世界大戦末期の45年8月8日、ソ連は対日宣戦を布告し条約を破棄。

    商品コード: 2011040700237

  • ろうそく持つドイツ首相 独ロ首相参列で平和の決意
    2009年09月02日
    ろうそく持つドイツ首相 独ロ首相参列で平和の決意

    1日、ポーランド北部グダニスクで開かれた第2次世界大戦開戦記念式典で、ろうそくを持つドイツのメルケル首相(ロイター=共同)

    商品コード: 2009090200001

  • 式典の各首脳 独ロ首相参列で平和の決意
    2009年09月01日
    式典の各首脳 独ロ首相参列で平和の決意

    1日、第2次世界大戦開戦70年の記念式典が開かれたポーランド北部グダニスクで、同国のカチンスキ大統領の演説を聞く(前列左から)トゥスク・ポーランド首相、メルケル・ドイツ首相、プーチン・ロシア首相(ロイター=共同)

    商品コード: 2009090100738

  • 開戦から70年の記念式典 独ロ首相参列で平和の決意
    2009年09月01日
    開戦から70年の記念式典 独ロ首相参列で平和の決意

    第2次世界大戦の開戦から70年の1日、ポーランド北部グダニスク郊外の墓地にろうそくを置く欧州各国の代表(ロイター=共同)

    商品コード: 2009090100737

  • 米大統領が演説 ホノルルのVJデー
    1995年09月03日
    米大統領が演説 ホノルルのVJデー

    「対日戦勝・太平洋戦争終結・第二次世界大戦終結」記念追悼式典で演説するクリントン米大統領=2日午前、ホノルルの国立太平洋記念墓地(共同)(カラーネガ)

    商品コード: 1995090300040

  • 米大統領が演説 ホノルルのVJデー
    1995年09月03日
    米大統領が演説 ホノルルのVJデー

    「対日戦勝・太平洋戦争終結・第二次世界大戦終結」記念追悼式典で演説するクリントン米大統領=2日午前、ホノルルの国立太平洋記念墓地(共同)(カラーネガ)

    商品コード: 1995090300047

  • 大戦中にチベットで墜落死 中国が米兵の遺骨を返還
    1993年12月11日
    大戦中にチベットで墜落死 中国が米兵の遺骨を返還

    チベット自治区の山中で見つかった第2次世界大戦中の米兵の遺骨を運ぶ米兵。右は中国外務省の馬振崗北米局長と米国のロイ駐中国大使=11日、北京空港(共同)

    商品コード: 1993121100059

  •  Sir Winston Churchill‘s funeral, steps of St Paul‘s Cathedral, London, 30th January 1965.
    1965年01月30日
    Sir Winston Churchill‘s funeral, steps of St Paul‘s Cathedral, London, 30th January 1965.

    キーワード:ウィンストン・チャーチル元首相、葬儀、国葬、クレメント・アトリー、Sir Winston Churchill‘s funeral, steps of St Paul‘s Cathedral, London, 30th January 1965. Earl Attlee is assisted down the steps of St Paul‘s by Sir Anthony Eden, Earl of Avon and a guards officer with other members of the pallbearer party including Field Marshal Viscount Slim, Marshal of the RAF, Viscount Portal, Field Marshal Earl Alexander and Earl Mountbatten. Attlee and Eden served in Churchill‘s war cabinet during the Second World War. Credit: Album / Heritage-Images / Keystone Archives、クレジット:Album/Heritage-Images/Keystone Archives/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。

    商品コード: 2020052106156

  •  ボース調査団、外相に協力要請
    1956年05月07日
    ボース調査団、外相に協力要請

    インド独立の志士スベス・チャンドラ・ボース氏が第2次世界大戦中、台湾で飛行機事故死した真相調査で、重光外相(左端)に協力要請する(その右から)セン駐日インド大使、カーン調査委員長、マントラ調査団員、シベス氏の実兄スレシュ・チャンドラ・ボース氏=1956(昭和31)年5月7日、外務省大臣室(31年内地2078)

    商品コード: 2012041200151

  • 机の上で事務をする幣原 幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)
    1951年03月10日
    机の上で事務をする幣原 幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)

    外交官、政治家、男爵。外務次官を経て、戦前4回にわたり外務大臣を務める。第2次世界大戦直後、第44代内閣総理大臣に就任、その後も国務大臣、衆議院議長などを歴任した。1951年3月10日死去=撮影年月日不詳

    商品コード: 1998030600204

  • (しではら・きじゅうろう) 幣原喜重郎
    1945年11月01日
    (しではら・きじゅうろう) 幣原喜重郎

    外交官、政治家、男爵。外務次官を経て、戦前4回にわたり外務大臣を務める。第2次世界大戦直後、第44代内閣総理大臣に就任、その後も国務大臣、衆議院議長などを歴任した=1945(昭和20)年11月複写(撮影年月日不詳)

    商品コード: 1945110100002

  •  Potsdam Big Three Conference
    1945年08月10日
    Potsdam Big Three Conference

    キーワード:ポツダム会談、イギリス、クレメント・アトリー首相、アーネスト・ベヴィン、アメリカ、ハリー・トルーマン大統領、ジエームズ・F・バーンズ国務長官、ウィリアム・リーヒ、ソ連、ソビエト、ヨシフ・スターリン首相、ヴャチエスラフ・モロトフ、Potsdam, Germany: August 10, 1945 The scene in the palace garden at Potsdam as the Big Three posed for photographers just before the final peace conference meeting. Seated left to right: Great Britain Prime Minister Clement Attlee, U.S. President Harry S. Truman, and Russian Marshal Josef Stalin. Standing left to right are: Admiral William Leahy, Chief of Staff to President Truman; Hon. Ernest Bevin, Brtain‘s Foreign Minister; U.S. Secretary of State James Byrnes; and Russia‘s Foreign Minister Vyacheslav Molotov.、クレジット:Underwood Archives/Universal Images Group/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020021306021

  • 撮影日1933年1月30日 ヒンデンブルク大統領と首相に指名されたヒトラー
    1933年01月30日
    撮影日1933年1月30日 ヒンデンブルク大統領と首相に指名されたヒトラー

    ヒンデンブルク大統領と首相に指名されたヒトラー 撮影日1933年1月30日  General field marshall and President of the Reich Paul von Hindenburg (l) and Adolf Hitler after Hitler's appointment as Imperial Chancellor on the 30th of January in 1933. Hindenburg was elected as president of Weimar Republic after a long and successful military career. On the 30th of January in 1933、 the day which entered history as the Day the seizure of power through the National Socialists、 he appointed Adolf Hitler as chancellor. After Hindenburg's death、 the office of the president of Weimar Republic expired and merged with the office of the chancellor. Paul von Hindenburg was born on the 2nd of October in 1847 in Posen and died on the 2nd of August in 1934 in Neudeck (East Prussia).、 キーワード:第2次世界大戦、uniform neutral POL Politics People、 クレジット:DPA/共同通信イメージズ

    商品コード: 2015062500329

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