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「中日友好南京,中日友好,友好南京 建物」の写真・グラフィックス・映像

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  •  (1)蘇州市相城開発区に建設される「中日友好天文台」のデザイン発表
    2021年04月02日
    (1)蘇州市相城開発区に建設される「中日友好天文台」のデザイン発表

    1日、ビデオを通じてあいさつする安藤忠雄氏。中国江蘇省蘇州市の相城経済技術開発区で1日、同区に建設予定の「中日友好天文台」のデザインが発表された。同天文台は中国の天文科学普及事業の革新的発展を促進し、中日両国の青少年交流に新たなページを記すことを目指している。同天文台は敷地面積1200平方メートル、建築面積約3600平方メートルで、日本の建築家、安藤忠雄氏が設計を担当した。機能性と芸術性を兼ね備えた建物にはプラネタリウムホールや中日友好交流・天文科学普及展示ホール、研修センターなどが設けられ、観測スペースと専門施設の合理的な配置を実現している。(蘇州=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年4月2日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021040203597

  •  (2)蘇州市相城開発区に建設される「中日友好天文台」のデザイン発表
    2021年04月02日
    (2)蘇州市相城開発区に建設される「中日友好天文台」のデザイン発表

    1日、中日友好天文台のデザインを発表する安藤忠雄建築研究所の中国パートナー、馬衛東(ば・えいとう)氏。中国江蘇省蘇州市の相城経済技術開発区で1日、同区に建設予定の「中日友好天文台」のデザインが発表された。同天文台は中国の天文科学普及事業の革新的発展を促進し、中日両国の青少年交流に新たなページを記すことを目指している。同天文台は敷地面積1200平方メートル、建築面積約3600平方メートルで、日本の建築家、安藤忠雄氏が設計を担当した。機能性と芸術性を兼ね備えた建物にはプラネタリウムホールや中日友好交流・天文科学普及展示ホール、研修センターなどが設けられ、観測スペースと専門施設の合理的な配置を実現している。(蘇州=新華社配信)= 配信日: 2021(令和3)年4月2日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021040203598

  •  「新華社」福建省寄贈の「世界平和の鐘」設置完了長崎・興福寺
    01:01.57
    2021年02月28日
    「新華社」福建省寄贈の「世界平和の鐘」設置完了長崎・興福寺

    中国福建省から長崎県の興福寺に寄贈された梵鐘「世界平和の鐘」の設置作業が26日完了し、本堂横の鐘鼓楼(しょうころう)1階に吊るされた。同寺は1620年に創建され、中日文化交流の長い歴史を見守ってきた。寺院にはかつて、第2代住職の黙子如定(もくすにょじょう)禅師の誓願による、清代初期の華僑が共同で寄贈した梵鐘があった。鐘は1820年に再鋳造されたが、第2次世界大戦中に武器製造のために供出された。2019年11月、于偉国(う・いこく)福建省委員会書記(当時)は代表団を率いて長崎県を訪問し、興福寺を見学した際に、梵鐘がないことを知り、中村法道長崎県知事との会見の席で、福建省が新しい鐘を鋳造し、中日友好の証として興福寺に贈ることを伝えた。設置された梵鐘は直径約1・2メートル、高さ約2メートルで、重さ約2・5トン。同寺の松尾法道第32代住職(70)は「第2次世界大戦中、興福寺は原爆の影響を受け、ほぼ壊滅状態となり、先代の住職が数十年かけて建物を一つずつ修復してきたが、梵鐘はないままだった。梵鐘が戻った今、やっと戦争が終わったと思える」と語った。1654年、当時63歳の明の高僧・隠元(いんげん)禅師は、長崎興福寺の逸然性融住職や唐人らに招かれ、弟子らを連れて渡来し、興福寺に晋山し、住職となった。寺院には、「東明山」や「初登宝地」の扁額、「黄檗開祖国師三幅対」などの隠元禅師の書を所蔵している。隠元禅師はその後、後水尾法皇や徳川幕府の庇護を受け、京都・宇治に日本三大禅宗の一つ、臨済宗黄檗派(明治以降は黄檗宗)を開いた。松尾氏は25歳で住職となってから6回にわたり訪中し、黄檗文化ゆかりの地を訪ね、隠元禅師の足跡を辿る活動を行った。また、福建省福州市で開かれた中日黄檗文化交流大会、同省莆田市での世界仏教シンポジウム、長崎での「隠元禅師と黄檗文化」をテーマとしたシンポジウムなどに携わった。(記者/冮冶、郭威、楊光、張旌) =配信日: 2021(令和3)年2月28日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021030103799

  •  「新華社」日本在住28年の中国画家、私設美術館が銀座にオープン
    02:17.44
    2020年01月10日
    「新華社」日本在住28年の中国画家、私設美術館が銀座にオープン

    日本在住の中国画家、王伝峰(おう・でんぽう)氏の名を冠した私設美術館が8日、東京・銀座でオープンした。五階建てビルの全フロアが展示スペースとなっており、外観と内装は著名建築家の隈研吾氏がデザインした。同日館内で取材に応じた王氏は「美術館を通じて中国の芸術を広め、中国と世界の文化交流に貢献したい」と語った。王氏は中国東部の山東省出身。日本での生活は28年になる。2011年には中国政府から「中日友好の使者」として表彰されている。魚をモチーフにした作品は世界でも有名で、中日平和友好条約締結30周年(2008年)の記念切手のデザインにも選ばれている。オープン初日は隈氏も姿を見せた。王氏の古い友人でもある隈氏は美術館のデザインについて「外壁は合金の棒材で覆い王氏の作品の繊細感を表現した。銀座という環境との一体感を持たせた」と説明。内装については、中国文化からインスピレーションを受けて竹の要素も加えたと語った。中国文化から得られる印象の一つに「竹林」を挙げる隈氏は「中国で最初に造った建物も『竹屋』だった。竹は日本と中国、双方にとって大事な植物」と語り、両国の持つ共通の文化を表現していきたいと抱負を述べた。美術館が位置する銀座1丁目は、昨年の基準地価で1平方メートル当たり3千万円を超える。同エリアの建物は日本で最も高い不動産の一つとされる。美術館のこけら落としでは、王氏の作品二十数点が展示された。王氏は「美術館は予約制だが入場無料で年間無休。3カ月ごとに作品を入れ替える。世界各地の優れた芸術家の作品も展示していきたい。中国とより広い世界を一つにつなげていく」と述べた。隈氏は「王氏は日中両国の懸け橋。今年は銀座を訪れる外国人も増えるので、美術館で日中共通の哲学に気づいてほしい」と語った。(記者/郭威、彭純)<映像内容>中国画家の王伝峰氏の私設美術館が銀座でオープン、作品展示、建築家の隈研吾氏来館の様子など、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020011005904

  •  中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺
    2018年07月20日
    中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺

    20日、発掘現場で作業の状況を説明する発掘プロジェクトの責任者、南京大学歴史学院の賀雲翱教授(中央)。中国江蘇省南通市の如東掘港唐宋国清寺遺跡は、1年近くの発掘調査で重要な考古学上の発見が得られた。遺跡からは唐・宋朝時代の複数の建築遺構が見つかり、磁器や紫砂陶器、石刻仏像、銅銭などの文物が出土した。また、最下層の基壇(建物の土台)が唐代末期の掘港国清寺のものであることが確認された。今回の発掘調査は、9世紀の日本の留学僧、円仁の旅行記「入唐求法巡礼行記」に記された「掘港国清寺」が実在したことを初めて裏付けた。同遺跡は中国の海上シルクロードにおける代表的な遺跡であり、日本の遣唐使の歴史と中日友好交流史の研究で、歴史的、文化的、学術的に重要な意味を持つ。(南通=新華社記者/李賀)=2018(平成30)年7月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018072400868

  •  中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺
    2018年07月20日
    中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺

    20日、如東掘港唐宋国清寺遺跡から出土した瓦当の一部。中国江蘇省南通市の如東掘港唐宋国清寺遺跡は、1年近くの発掘調査で重要な考古学上の発見が得られた。遺跡からは唐・宋朝時代の複数の建築遺構が見つかり、磁器や紫砂陶器、石刻仏像、銅銭などの文物が出土した。また、最下層の基壇(建物の土台)が唐代末期の掘港国清寺のものであることが確認された。今回の発掘調査は、9世紀の日本の留学僧、円仁の旅行記「入唐求法巡礼行記」に記された「掘港国清寺」が実在したことを初めて裏付けた。同遺跡は中国の海上シルクロードにおける代表的な遺跡であり、日本の遣唐使の歴史と中日友好交流史の研究で、歴史的、文化的、学術的に重要な意味を持つ。(南通=新華社記者/李賀)=2018(平成30)年7月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018072400899

  •  中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺
    2018年07月20日
    中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺

    20日、出土した建造部材を点検する専門家。中国江蘇省南通市の如東掘港唐宋国清寺遺跡は、1年近くの発掘調査で重要な考古学上の発見が得られた。遺跡からは唐・宋朝時代の複数の建築遺構が見つかり、磁器や紫砂陶器、石刻仏像、銅銭などの文物が出土した。また、最下層の基壇(建物の土台)が唐代末期の掘港国清寺のものであることが確認された。今回の発掘調査は、9世紀の日本の留学僧、円仁の旅行記「入唐求法巡礼行記」に記された「掘港国清寺」が実在したことを初めて裏付けた。同遺跡は中国の海上シルクロードにおける代表的な遺跡であり、日本の遣唐使の歴史と中日友好交流史の研究で、歴史的、文化的、学術的に重要な意味を持つ。(南通=新華社記者/李賀)=2018(平成30)年7月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018072400869

  •  中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺
    2018年07月20日
    中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺

    20日、如東掘港唐宋国清寺遺跡から出土した「国清」の文字が書かれた磁器。中国江蘇省南通市の如東掘港唐宋国清寺遺跡は、1年近くの発掘調査で重要な考古学上の発見が得られた。遺跡からは唐・宋朝時代の複数の建築遺構が見つかり、磁器や紫砂陶器、石刻仏像、銅銭などの文物が出土した。また、最下層の基壇(建物の土台)が唐代末期の掘港国清寺のものであることが確認された。今回の発掘調査は、9世紀の日本の留学僧、円仁の旅行記「入唐求法巡礼行記」に記された「掘港国清寺」が実在したことを初めて裏付けた。同遺跡は中国の海上シルクロードにおける代表的な遺跡であり、日本の遣唐使の歴史と中日友好交流史の研究で、歴史的、文化的、学術的に重要な意味を持つ。(南通=新華社記者/李賀)=2018(平成30)年7月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018072400872

  •  中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺
    2018年07月20日
    中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺

    20日、遺構から発掘された磁器を点検する専門家。中国江蘇省南通市の如東掘港唐宋国清寺遺跡は、1年近くの発掘調査で重要な考古学上の発見が得られた。遺跡からは唐・宋朝時代の複数の建築遺構が見つかり、磁器や紫砂陶器、石刻仏像、銅銭などの文物が出土した。また、最下層の基壇(建物の土台)が唐代末期の掘港国清寺のものであることが確認された。今回の発掘調査は、9世紀の日本の留学僧、円仁の旅行記「入唐求法巡礼行記」に記された「掘港国清寺」が実在したことを初めて裏付けた。同遺跡は中国の海上シルクロードにおける代表的な遺跡であり、日本の遣唐使の歴史と中日友好交流史の研究で、歴史的、文化的、学術的に重要な意味を持つ。(南通=新華社記者/李賀)=2018(平成30)年7月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018072400830

  •  中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺
    2018年07月20日
    中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺

    20日、出土した唐代様式の蓮の花紋様の礎石の説明をする考古学者。中国江蘇省南通市の如東掘港唐宋国清寺遺跡は、1年近くの発掘調査で重要な考古学上の発見が得られた。遺跡からは唐・宋朝時代の複数の建築遺構が見つかり、磁器や紫砂陶器、石刻仏像、銅銭などの文物が出土した。また、最下層の基壇(建物の土台)が唐代末期の掘港国清寺のものであることが確認された。今回の発掘調査は、9世紀の日本の留学僧、円仁の旅行記「入唐求法巡礼行記」に記された「掘港国清寺」が実在したことを初めて裏付けた。同遺跡は中国の海上シルクロードにおける代表的な遺跡であり、日本の遣唐使の歴史と中日友好交流史の研究で、歴史的、文化的、学術的に重要な意味を持つ。(南通=新華社記者/李賀)=2018(平成30)年7月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018072400866

  •  中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺
    2018年07月20日
    中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡掘港国清寺

    20日、如東掘港唐宋国清寺遺跡から出土した法器。中国江蘇省南通市の如東掘港唐宋国清寺遺跡は、1年近くの発掘調査で重要な考古学上の発見が得られた。遺跡からは唐・宋朝時代の複数の建築遺構が見つかり、磁器や紫砂陶器、石刻仏像、銅銭などの文物が出土した。また、最下層の基壇(建物の土台)が唐代末期の掘港国清寺のものであることが確認された。今回の発掘調査は、9世紀の日本の留学僧、円仁の旅行記「入唐求法巡礼行記」に記された「掘港国清寺」が実在したことを初めて裏付けた。同遺跡は中国の海上シルクロードにおける代表的な遺跡であり、日本の遣唐使の歴史と中日友好交流史の研究で、歴史的、文化的、学術的に重要な意味を持つ。(南通=新華社記者/李賀)=2018(平成30)年7月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018072400888

  •  ハルビン市の中日友好園林・資料
    2015年07月16日
    ハルビン市の中日友好園林・資料

    中国黒竜江省ハルビン市郊外の方正県にある「中日友好園林」=2015年7月13日(共同)

    商品コード: 2015071600270

  • つまずいた経済優先 謝罪の旅を求め続ける日々
    1995年02月28日
    つまずいた経済優先 謝罪の旅を求め続ける日々

    日本の無償援助で建設された中日友好医院の玄関わきには、奈良時代に日本に渡り唐の文化を伝えた鑑真の座像が日中友好の象徴として建っている=1月16日、北京市内(共同)(カラーネガ)(M判ぬけ・注意)

    商品コード: 1995022800086

  • つまずいた経済優先 謝罪の旅を求め続ける日々
    1995年02月28日
    つまずいた経済優先 謝罪の旅を求め続ける日々

    日本の無償援助で建設された中日友好医院の玄関わきには、奈良時代に日本に渡り唐の文化を伝えた鑑真の座像が日中友好の象徴として建っている=1月16日、北京市内(共同)(カラーネガ)

    商品コード: 1995022800085

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